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*『遙かなる父、虚子』有斐閣 1983 |
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== 脚注 == |
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2022年10月29日 (土) 00:16時点における版
高木 晴子(たかぎ はるこ、1915年1月9日[1] - 2000年10月22日[1])は、神奈川県出身の俳人。高浜虚子の五女で[1]、高浜年尾、星野立子らの妹。鎌倉生まれ[1]。1932年フェリス女学院卒業[1]。同年、虚子に京都の句会に連れて行かれ、初めて句会に出る[1]。これ以降、虚子に師事する[1]。1934年、日本銀行勤務の高木良一(餅花)と結婚する[1]。戦中は虚子一家と小諸に疎開した[1]。1945年、秋田市に移住[1]。1947年「風荒き夜風に雁の帰るかな」「みちのくの帰雁に夜風悲しとも」の句が『ホトトギス』巻頭を飾る[1]。1971年、主宰立子の病のため『玉藻』雑詠選を担当[1]。1984年『晴居(はるきょ)』を創刊して主宰に就く[1]。
著書
- 『晴子句集』ホトトギス 1951
- 『句集 晴居』玉藻社 1977
- 『句集 続晴居』晴居 1992
- 『遙かなる父、虚子』有斐閣 1983
脚注
参考文献
- 『現代俳句大事典』三省堂、2005年
- 『ホトトギスの俳人101』新書館、2010年