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前面は2600系の非貫通3枚窓から、非貫通2枚窓の[[国鉄80系電車#%E8%BB%8A%E4%B8%A1%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3|湘南形]]に変更された。[[前照灯]]は窓上中央に1灯大型[[白熱電球|白熱灯]]が搭載され、幕板部左右には[[尾灯]]が配された。側面は2600系同様1,100 mm幅の片開き3扉だが、横幅1,000 mmの大型側面窓を採用したために窓配置が変更され、先頭車がd1D3D3D2、中間車が2D3D3D2となった。これは京王で[[京王5000系電車 (初代)|5000系]]まで踏襲されただけでなく、他の関東私鉄でも同様の窓配置の車両が頻出した。それらの車両を総称して趣味者は『関東タイプ』『新関東型』と呼んだが、本系列はそのはしりとされている<ref>{{Cite web |url=https://www.keio.co.jp/train/museum/history/postwar03.html |title=戦後復興・発展期.3 |access-date=2022-09-07 |publisher=京王電鉄 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210128073244/https://www.keio.co.jp/train/museum/history/postwar03.html |archive-date=2021-01-28}}</ref>。 |
前面は2600系の非貫通3枚窓から、非貫通2枚窓の[[国鉄80系電車#%E8%BB%8A%E4%B8%A1%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3|湘南形]]に変更された。[[前照灯]]は窓上中央に1灯大型[[白熱電球|白熱灯]]が搭載され、幕板部左右には[[尾灯]]が配された。側面は2600系同様1,100 mm幅の片開き3扉だが、横幅1,000 mmの大型側面窓を採用したために窓配置が変更され、先頭車がd1D3D3D2、中間車が2D3D3D2となった。これは京王で[[京王5000系電車 (初代)|5000系]]まで踏襲されただけでなく、他の関東私鉄でも同様の窓配置の車両が頻出した。それらの車両を総称して趣味者は『関東タイプ』『新関東型』と呼んだが、本系列はそのはしりとされている<ref>{{Cite web |url=https://www.keio.co.jp/train/museum/history/postwar03.html |title=戦後復興・発展期.3 |access-date=2022-09-07 |publisher=京王電鉄 |archive-url=https://web.archive.org/web/20210128073244/https://www.keio.co.jp/train/museum/history/postwar03.html |archive-date=2021-01-28}}</ref>。 |
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当時京王線は[[軌道]]施設の許容軸重が10トン以内<ref name="keio1955_p053"/>と、軌道線並みの規格をまだ脱していなかったが、電動車に[[高張力鋼]]を採用することで車両軽量化を図り、車体の大型化を実現した<ref name="green_p018_050/>。1次車は後述する通り初の試みということで、台枠など骨組みのみの採用<ref name="green_p051"/>であったが、日本車輛の製造当時の発表によれば、台車を含め4トンの軽量化を達成している<ref name="日車1953_p123"/>。 |
当時京王線は[[軌道]]施設の許容軸重が10トン以内<ref name="keio1955_p053"/>と、軌道線並みの規格をまだ脱していなかったが、電動車に[[高張力鋼]]を採用することで車両軽量化を図り、車体の大型化を実現した<ref name="green_p018_050" />。1次車は後述する通り初の試みということで、台枠など骨組みのみの採用<ref name="green_p051"/>であったが、日本車輛の製造当時の発表によれば、台車を含め4トンの軽量化を達成している<ref name="日車1953_p123"/>。 |
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塗装は登場当時の標準色であったダークグリーンに塗られていた<ref name="green_p006"/>。 |
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2022年9月28日 (水) 23:59時点における版
京王2700系電車 | |
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基本情報 | |
運用者 | 京王帝都電鉄 |
製造所 | 日本車両製造、東急車両 |
製造年 | 1953年 - 1956年、1962年 |
製造数 | 43両 |
運用開始 | 1953年3月[1] |
運用終了 | 1981年11月8日 |
廃車 | 1981年12月 |
投入先 | 京王線 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,372 mm |
電気方式 |
直流600V → 1,500V (架空電車線方式) |
車両定員 | 100人 |
自重 |
デハ2701‐2704:34.5 t デハ2705以降:33.5 t クハ2770形:22.0 t[2] |
全長 | 17,655 mm |
車体長 | 17,000 mm |
全幅 | 2,656 mm |
車体幅 | 2,600 mm |
全高 |
3,550 mm(集電装置なし) 4,020 mm(集電装置あり) |
車体高 | 3,550 mm |
床面高さ | 1,150 mm |
車体 | 半鋼製 |
台車 |
日本車両 D-16A、NA-4、NA-4A 東急車両 TS-101、TS-101A、TS-103など |
主電動機 | 東洋電機製造 TDK553/4ーCM |
主電動機出力 |
90kW×4基 / 両(600V時) →110kW×4基 / 両(1,500V時) |
駆動方式 | 吊掛駆動 |
歯車比 | 59:21(2.81) |
制御方式 | 抵抗制御 |
制御装置 | 東洋電機製造 電動カム軸式ES-556A |
制動装置 | AMA元空気溜管式空気ブレーキ |
備考 | 寸法などは1次車製造当時の数値[3] |
京王2700系電車(けいおう2700けいでんしゃ)は、1953年(昭和28年)に登場した京王帝都電鉄京王線用の通勤形電車。
車体に緑色塗装が施されていた[4][注釈 1]ことから、京王部内・部外問わず、「グリーン車」の通称で呼ばれていた車両の一形式であり、日本で初めて高張力鋼を使用した軽量車である。
登場経緯
1948年(昭和23年)6月に大東急から分離独立して発足した京王帝都電鉄は、京王線の本格的な高速鉄道への脱皮のため設備改良を実施、1950年5月20日より戦前からの14m車による3両編成運転を開始、8月には車幅はやや狭いが車体長を16mとした2600系の導入と段階的に改良を進めた[1]。
そして車幅は2600系とほぼ同じであるが、車体長は17メートルに延ばした大型車として、1953年3月に導入[1]したのが本系列である。
車両概説
本系列は3形式あわせて43両製造された。
- デハ2700形
- 奇数番号車が新宿方に運転台、偶数番号車が八王子方に運転台のある制御電動車。24両製造。
- クハ2770形
- 奇数番号車が八王子方に運転台、偶数番号車が新宿方に運転台のある制御車。14両製造。
- サハ2750形
- 中間に挟まれる付随車。全て中型車の更新名義となっているが、車体は新製されており、流用されたのは台車だけである。5両製造。
下記に説明する内容は1次車の製造当時を基本とする。2次車以降の変更点は増備途上での変更として記載する。
車体
前面は2600系の非貫通3枚窓から、非貫通2枚窓の湘南形に変更された。前照灯は窓上中央に1灯大型白熱灯が搭載され、幕板部左右には尾灯が配された。側面は2600系同様1,100 mm幅の片開き3扉だが、横幅1,000 mmの大型側面窓を採用したために窓配置が変更され、先頭車がd1D3D3D2、中間車が2D3D3D2となった。これは京王で5000系まで踏襲されただけでなく、他の関東私鉄でも同様の窓配置の車両が頻出した。それらの車両を総称して趣味者は『関東タイプ』『新関東型』と呼んだが、本系列はそのはしりとされている[5]。
当時京王線は軌道施設の許容軸重が10トン以内[6]と、軌道線並みの規格をまだ脱していなかったが、電動車に高張力鋼を採用することで車両軽量化を図り、車体の大型化を実現した[7]。1次車は後述する通り初の試みということで、台枠など骨組みのみの採用[8]であったが、日本車輛の製造当時の発表によれば、台車を含め4トンの軽量化を達成している[9]。
塗装は登場当時の標準色であったダークグリーンに塗られていた[10]。
内装
車内はロングシートで、シート長は運転席側が1,100 mm、ドア間3,300 mm、連結面側2,400 mm。連結面側貫通路は幅800 mmで扉付きとなっている。半鋼製車のため内装はラワン材などが用いられており、側妻や仕切壁はニス塗、天井は白色エナメル仕上げ、床には耐久性・耐水性に優れたアピトン材が、二重張りで用いられている。室内灯は当時標準だった白熱灯で、片側に6個ずつ2列で配置した[11]。
主要機器
2600系同様、架線電圧の1500Vへの昇圧も視野に入れ、主電動機は1500V用であるTDK553/4-CM[注釈 2]を採用、制御器は電動カム軸式ES-556Aを採用した。どちらも東洋電機製で、駆動方式は吊掛駆動である。集電装置はパンタグラフで、デハ2700形の運転台側に装備された。
台車についてはデハ2701 - 2703は流用品のD-16A[注釈 3]を装着、デハ2705、2706は国鉄DT20形台車と軸箱などの基本構造が共通で、ボギー枠に高張力鋼を使用[11]したオールコイルばね台車NAー4を採用。サハはデハ2000系(初代)の更新名義で作られたため、台車はデハ2000系から流用した、雨宮製作所製の板台枠リベット組み立ての釣り合い梁式台車[注釈 4]を履いていた[13][14]。
制動装置(ブレーキ)は、AMA元空気溜管式空気ブレーキが採用されたほか、非常用として手ブレーキを併設した[3]。
増備途上での変更
- 1次車(1953年[注釈 5]製造
デハ2701 - 2706(日本車輌製造製)、サハ2751 - 2753(東急車輛製造製)の9両。Mc-T-Mcの3両編成を組んで登場。デハ2705と2706の2両には試験的に誘導無線が採用された。誘導無線の実用化は1954年で、京王の導入は阪神電気鉄道と並んで日本で最初の例である。連結器は柴田式自動連結器を採用していた[2]。
- 2次車(1953年[注釈 6]製造)
デハ2707 - 2714(日車製)、デハ2715 - 2720(東急製)の14両。全面的に高抗張力鋼を使用しているほか、側窓まわりが大きく変化し、上段がHゴム支持・下段がアルミ窓枠にHゴムで固定というスタンディー・ウィンドウ(いわゆるバス窓)を採用、補強のため車体の幕板部・窓中央・窓下の3か所に横方向のリブが入った。内装はニス塗を止めてデコラ張に変更[6]したが、床は東急製のデハ2713と2715がリノリウム張りになった[6]以外は木製。台車は日車製は1次車で採用されたNA-4の改良型であるNA-4Aを、東急製はウィングばね台車のTS-101を履く[4][6]。連結器は日本製鋼所の密着自動連結器に変更された[6]。
- 3次車(1954年[注釈 7]製造)
クハ2771 - 2777の7両で全て東急製。2次車と車体上の差は少ないが、横方向に入ったリブが幕板部・窓下と2次車に比べて1本少ない。また前面下部に急行灯が設置され、これは既存車にも追設された。パンタグラフ台座の準備はされなかったものの、将来の電装化を見越して[17][18]高抗張力鋼で製造されたため、重量はわずか22トン[6]。台車も電動車化できるよう、2次車東急製の改良型であるTS-101Aである[4]。
- 4次車(1956年[注釈 8]製造)
デハ2721 - 2724、クハ2778 - 2784の11両で全て東急製。このグループから車体色がより明るいライトグリーンに変更され、側窓はHゴム支持ながら、上段・下段ともに上昇式となった[20]。誘導無線を本格的に装備したほか、低圧電源用として100Vバッテリーを搭載、客室灯が蛍光灯となった[2]。台車はデハがTS-101B、クハはTS-103Aである[4]。
- 5次車(1962年[注釈 9]製造)
サハ2754 - 2755の2両で東急製。2010系2次車に準じた全鋼製車体で製造されており、貫通路も2010系に合わせた1,250 mmの広幅で室内もデコラ貼りとなっている。車籍上はサハ2117,2118の更新扱いであり、台車はその2両がサハ化の時に交換していた、4次車クハの台車とほぼ同型のTS-103[21][22][注釈 10]を流用している。このサハと連結するためデハ2707[22]、デハ2708[23]が貫通路を広幅に改造した[注釈 11]。
沿革
投入から昇圧まで
1次車はMc-T-Mcの3両編成を組んで登場したが、当時京王線は駅の拡張工事の関係で本系列の3両編成は全線では使用できず、登場から半年以上たった1953年12月10日、調布駅が東へ300メートル移転して現在の位置になったことで、府中駅まで運用できるようになった。
そのためか2次車はMc-Mcの2両編成で運用を開始したが、運用拡大に伴う乗客増加でラッシュ時の収容力不足を露呈し、急遽デハ2700形3両で編成を組むことになった[16]。その後クハ2770形の導入で、改めてラッシュ時はMc-Mc-Tcの3両、閑散時Mc-TcまたはMc-Mcという2両編成での運用となり[6][10]、京王線の設備増強で4両編成での運用が始まると、2700系単独のTc-Mc+Mc-Tcという4両編成や、2600系3両にデハ2700形1両といった混結で運用された[23]。
台車換装
デハ2701 - 2704のD-16台車については、1956年~1958年にかけてクハ2770形のTS-101A台車と交換し[2]、サハ2751 - 2753の雨宮製台車も東急製の新造台車TS-306Aに交換している[21][24]。その後も後述する転用の影響などで、製造当初とは違う台車を履く車両も数多くあった[4]。
新宿駅地下化と1500V昇圧改造
1963年4月に京王線新宿駅が地下化され、8月には架線電圧が1500Vに昇圧された。これに際して2700系は前年1962年の夏から次のような工事を開始した[2][25]。
- デハ2700形は高圧母線を車体外に取り付けているため、地下駅での過走による火災事故を防ぐ目的で、奇数車・偶数車どちらもパンタグラフを連結面側に移設。旧来のパンタ台は撤去・整形され、ベンチレーターが設けられている。
- 不燃化のため、デハ2700形のみ床を鋼板化・ロンリウム貼りに変更。
- ヘッドライトを2灯化。デハ2701 - 2710とクハ2771 - 2784はシールドビーム2灯化[8]されたが、デハ2711 - 2724はシールドビーム2灯化された車両と、余剰になった大型白熱灯を用いて2灯化されたもの[26]と2つの形態に分かれた。
- 1~3次車について、4次車と同様に誘導無線装備、低圧電源用100Vバッテリー搭載、客室灯の蛍光灯化を実施。
- 昇圧対策にデハ2700形に電圧転換装置を設置。昇圧工事終了後に取り外し、その場所に弱め界磁制御器を取り付けた。そのため制御器名称はES-556Bとなった。
- 新宿 - 笹塚間の軌道改良・複線間隔拡大工事完了に伴い側窓の保護棒撤去。
パンタグラフの移設とヘッドライトの2灯化は順次行われたため、パンタグラフ移設前に昇圧を迎えた車両[23]や、デハ2019のようにパンタグラフは移設したものの、ヘッドライト1灯のまま昇圧後も営業運転していた車両[27]も存在した。
地上時代は2700系以降の車両は4両までしか入線できなかった新宿駅も、地下化で17m車・18m車の5両編成や6両編成が走れるようになった。昇圧後は元々軽量車でかつ弱め界磁機能追加で高速性能の向上した2700系はMc-Tcの2両編成を組み、カルダン駆動だが電磁自動空気ブレーキ(ARSE-D)装備のため混結可能な2000系の3両編成[注釈 12]と連結した5両編成や、2010系との6両編成で本線運用に使用された。また、乗客数増加による混雑で生じた窓ガラス破損対策として、2000系以降で採用されていた強化ガラス装備のアルミサッシは、2700系含めた在来車でも採用され戸袋内窓・反戸袋側下窓・側下窓の順で交換が進められた[28]。
塗装変更
1963年10月1日より、京王はそれまで不定期だった特急の毎日運転を開始した。しかし20分間隔で運転するには新型車5000系はまだ3編成しかなく、運用が賄えなかった。そのため2010系の一部が、昇圧直後の1963年から5000系と同じアイボリーに臙脂色帯の塗装に変更されて運用を補完することになった。そしてMc-Tc編成を組んでいたデハ2707 - 2711、2714とクハ2777 - 2781、2784が、2010系に増結して6両編成を組む[注釈 13]ため、同様に塗装を変更した。当初は5000系の4連と2700系の2連を連結して特急運用についた記録も残っている[29]が、高尾線開通に伴う分割特急運用に対応した5000系の連結器変更[30]などによって見られなくなった。
アイボリー塗装は1967年までにはデハ2705、2706、2712とクハ2775、2776、2782に波及[注釈 14]して、優等列車をメインに運用されたが、5000系の増備と冷房化により優等列車運用が同系列に統一されたため、1971年までには再びグリーンに戻された。そのグリーンも1965年(昭和40年)頃からはさらに明るいスタンリッドライトグリーンに変更されている。
ブレーキのHSC化
1967年から京王線は自動列車停止装置(ATS)の設置を開始した。車両側の応答速度を上げる目的で、5000系はATS設置前にブレーキを電磁自動空気ブレーキから電磁直通ブレーキ(HSC-DもしくはHSC)に改造したが、グリーン車もATS搭載時に同様に改造を実施することとなり、ATSが全線で使用されるようになった1969年までに、2700系のブレーキもAMAからHSC化された[31]。
転用改造
京王は新宿ー初台間地下化と1500Vへの昇圧、それに伴う車両新造や設備増強などで車両の予算には苦心していた。例えばデハ2011 - 2020・2061 - 2070の編成までのサハは、京王電軌時代からの14m級中形車を電装解除して編成していた。しかし京王社内でスモールマルティー(ⓣ)と呼称されていたこれらの車両は昭和初期製の車両も多く、車体の狭さや乗り心地にも問題があったため、早期の更新が求められていた。そこで京王は1963年から1969年にかけて、2700系を改造して老朽車を代替する工事を実施したが、単なる転用ではなく台車や電装品流用など複雑な動きを伴うものとなった[32]。
- 昇圧と同時に投入した5000系のうち、増結用2両編成の5070系(後の5100系)のデハ5070形に、デハ2700形の電装品と台車を流用。相方のクハ5770形もサハ2750形などから台車を流用。
- 電装解除された車両や台車を供出した車両は、廃車された中型車から台車[注釈 15]を流用。
- デハの減少で編成を組む相手がなくなった車両を、2010系の中型車改造サハの代替、通称ラージマルティー(○に大文字Tを入れる。Ⓣ)に改造し、スモールマルティーを代替。
- 中型車からの流用した台車も、老朽化しているものから5070系が空気ばね台車を新造した際の供出や、予備台車の製造時などに交換して淘汰[21][注釈 16]。
1963年にデハ2700形のうち6両が、デハ5070形に電装品と台車を供出。6両中4両は2700系でのMc-Tc編成を組むためクハ2770形に編入されたが、残り2両は電装解除に加え、流線型の前面を取り払って台枠いっぱいまで切妻型客室を延長・両側に広幅貫通路を設置する中間車への改造[注釈 17]も実施、サハ2754、2755と共にサハ2500形・2550形へ編入されて中型車改造車を代替した[4]。
- デハ2717、2720、2723、2724 → クハ2788、2785、2786、2787
- デハ2715、2716 → サハ2569、2519
- サハ2754、2755 → サハ2570、2520
続いて1965年には2両が電装解除され、デハ2721はクハ2790[注釈 18]、デハ2722は中間車化改造され、サハ2751 - 2753と共にサハ2500形・2550形へ編入された。翌1966年にも4両に電装解除が実施され、この4両と1963年に電装解除されてクハに編集された2両が中間車に改造され、サハ2500形・2550形へ編入された[4]。
- デハ2721 → クハ2790
- デハ2713、2714、2718、2719、2722 → サハ2514、2564、2565、2566、2568
- サハ2751 - 2753 → サハ2567、2517、2518
- クハ2785、2788[注釈 19] → サハ2516、2515
運用上の都合からデハ2700形の電装解除は24両中12両で終了したが、中型車転用付随車がまだ6両在籍していた。そこで1969年1月に、2600系・と編成を組んでいた制御車5両[33]にクハ2771を加えた6両を、サハ2500形・2550形へ改造・編入して中型車改造車を一掃[4]。一連の転用が終了した。
- クハ2771、2783、2784、2786、2787、2790[注釈 19] → サハ2512(2代)、2513、2562(2代)、2561(2代)、2511(2代)、2563
最終的に2700系として残ったのは23両(デハ2701 - 2712、クハ2772 - 2782)となり、デハ2701[注釈 20]以外は車号末尾を揃えたMc-Tcの2両編成に整理された[36]。
長編成化に伴う中間車化
他系列の転用が終わった1970年、2010系との6両編成の際に中間に組み込まれるようになった車両のうち、デハ2706以降の偶数番号車と、2700系単独で編成を組む際に中間になっていたデハ2703・デハ2704に対し、サハ化改造と同様の手法で中間車化改造が行なわれた。目的は運転台を客室化することで収容人数の増加や、貫通化することで乗客の移動や車掌の社内巡視強化などを図れるため[37]。これにより、先のデハ2701を除く22両は次のような編成で運用されることとなった[36]。
- 2両×4本:2010系[注釈 21]との貫通6両編成を組む、クハ2700(偶数車) - デハ2700(偶数車・中間車)
- 4両×1本:2700系のみの貫通4両編成[注釈 22]
- 2両×5本:2010系や上記2700系4連と連結して使用される、デハ2700 - クハ2770(1本を除いてどちらも奇数車)[注釈 23]
その他
軽量化のために高張力鋼で材料の寸法を下げるといった手法[3]で作られた本系列は、2次車から4次車については外板のリブが目立つ特徴だった。しかし京王線の規格向上でそこまで軽量化を追い求める必要がなくなったことから、後年サハ2500,2550に改造された車両も含め、外板が交換された車両は、リブが下段一本だけになるなどの変化が生じている[38]。
終焉
1977年12月に2600系が全廃された際、2600系と編成していたデハ2701、本線で使用されていたクハ2772-デハ2702が廃車された。1979年11月には2700系のみの4両編成が廃車、単独の2両編成5本も1981年2月までには廃車され、2010系と貫通6両を組んでいる編成のみが残った。
そして1981年11月8日に、クハ2782とデハ2712と2010系での6両編成が、京王相模原線調布駅 - 京王多摩センター駅間でさよなら運転を実施。この運転後、1981年2月に運用離脱後保管されていたデハ2711を残して全車廃車となった。このうち、クハ2782は運転台側の車体半分が藤沢市内の解体業者に物置として転用されていた(現状は不明)。
なお本系列の廃車後も、2010系のサハに改造された車両のうち4両が1984年まで残っていたほか、後述するデハ2711→デワ221が1986年まで在籍していた[4]。
車歴
- デハ2700形
車号 | 製造年月 | 改造1 | 改造年月 | 改造2 | 改造年月 | 廃車年月 |
デハ2701 | 1953年3月 | 1977年12月 | ||||
デハ2702 | 1977年12月 | |||||
デハ2703 | M化 | 1970年3月 | 1979年11月 | |||
デハ2704 | M化 | 1970年3月 | 1979年11月 | |||
デハ2705 | 1979年11月 | |||||
デハ2706 | M化 | 1970年3月 | 1981年2月 | |||
デハ2707 | 1953年12月 | 1979年11月 | ||||
デハ2708 | M化 | 1970年3月 | 1981年2月 | |||
デハ2709 | 1979年11月 | |||||
デハ2710 | M化 | 1970年3月 | 1981年12月 | |||
デハ2711 | デワ221 | 1982年1月 | 1986年3月 | |||
デハ2712 | M化 | 1970年3月 | 1981年12月 | |||
デハ2713 | サハ2514 | 1966年10月 | 1981年2月 | |||
デハ2714 | サハ2564 | 1966年10月 | 1981年2月 | |||
デハ2715 | サハ2569 | 1964年2月 | 1981年2月 | |||
デハ2716 | サハ2519 | 1964年2月 | 1981年2月 | |||
デハ2717 | クハ2788 | 1964年2月 | サハ2516 | 1966年6月 | 1981年2月 | |
デハ2718 | サハ2565 | 1966年6月 | 1981年2月 | |||
デハ2719 | サハ2566 | 1966年6月 | 1981年2月 | |||
デハ2720 | クハ2785 | 1964年2月 | サハ2515 | 1966年6月 | 1981年2月 | |
デハ2721 | 1956年9月 | クハ2790 | 1964年2月 | サハ2563 | 1969年1月 | 1984年3月 |
デハ2722 | サハ2568 | 1965年9月 | 1981年2月 | |||
デハ2723 | クハ2786 | 1964年2月 | サハ2561 | 1969年1月 | 1981年12月 | |
デハ2724 | クハ2787 | 1964年2月 | サハ2511 | 1969年1月 | 1981年12月 |
- サハ2750形
車号 | 製造年月 | 改造 | 改造年月 | 廃車年月 |
サハ2751 | 1953年3月 | サハ2567 | 1965年9月 | 1981年2月 |
サハ2752 | サハ2517 | 1965年9月 | 1981年2月 | |
サハ2753 | サハ2518 | 1965年9月 | 1981年2月 | |
サハ2754 | 1962年1月 | サハ2570 | 1964年2月 | 1984年3月 |
サハ2755 | サハ2520 | 1964年2月 | 1984年3月 |
- クハ2770形
車号 | 製造年月 | 改造 | 改造年月 | 廃車年月 |
クハ2771 | 1954年11月 | サハ2512 | 1969年1月 | 1981年12月 |
クハ2772 | 1977年12月 | |||
クハ2773 | 1979年11月 | |||
クハ2774 | 1979年11月 | |||
クハ2775 | 1979年11月 | |||
クハ2776 | 1981年2月 | |||
クハ2777 | 1979年11月 | |||
クハ2778 | 1956年9月 | 1981年2月 | ||
クハ2779 | 1979年11月 | |||
クハ2780 | 1981年12月 | |||
クハ2781 | 1981年2月 | |||
クハ2782 | 1981年12月 | |||
クハ2783 | サハ2513 | 1969年1月 | 1984年3月 | |
クハ2784 | サハ2562 | 1969年1月 | 1981年12月 |
デワ220形
1982年にデハ2711が事業用車に改造されデワ220形221となった。デニ201と共に深夜の工事用車両の牽引、桜上水工場での入換車などに使われていたが、使用期間は短く1986年に廃車されている[39]。
改造点は下記の通りである[40]。
- 元の連結面側(八王子方)に運転台を設置。乗務員室扉は設けておらず、正面窓下に前照灯・尾灯を2つずつ取り付けている。
- パンタグラフを新設運転台側(八王子方)から既設運転台側(新宿方)に移設。
- 外部塗色を灰色に警戒色の黄帯に変更。
参考文献
書籍
- 宮下洋一 編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』株式会社ネコ・パブリッシング、2019年5月1日。ISBN 978-4-7770-2350-9。
雑誌記事
- 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄 1950-60』、鉄道図書刊行会、2005年8月。
- p.44-55 飯島正資「私鉄車両めぐり 京王帝都電鉄」※『鉄道ピクトリアル』第45号、第46号より再録
- p.60-105 京王帝都レールファンクラブ「私鉄車両めぐり(65) 京王帝都電鉄」※『鉄道ピクトリアル』第171号、第172号、第174号、第176号、第177号より再録
- p.106-118 京王帝都レールファンクラブ「私鉄車両めぐり(72) 京王帝都電鉄 補遺」※『鉄道ピクトリアル』第197号より再録
- p.120-123 日本車輛東京支店「高張力鋼を使った京王帝都電鉄2700形電動車」※『電気車の科学』1953年4月号より再録
- p.144-153 読者短信に見る京王電鉄の記録
- 合葉博治、猪俣剛「私鉄車両めぐり(97) 京王帝都電鉄」『鉄道ピクトリアル』第278号、電気車研究会、1973年5月、62-72頁。
- 益崎興紀「スジをたどる=運転の変遷」『鉄道ピクトリアル』第422号、電気車研究会、1983年9月、32-40頁。
- 「京王線70周年・井の頭線50周年-それぞれの時代」『鉄道ピクトリアル』第422号、電気車研究会、1983年9月、41-61頁。
- 鉄道ピクトリアル編集部「京王帝都電鉄車両めぐり」『鉄道ピクトリアル』第422号、電気車研究会、1983年9月、121-135頁。
- 高橋孝一郎「私鉄車両めぐり(123) 京王帝都電鉄」『鉄道ピクトリアル』第422号、電気車研究会、1983年9月、147-163頁。
電子資料
- “2022年京王ハンドブック 年表”. 京王電鉄 (2022年7月31日). 2022年9月15日閲覧。
脚注
注釈
- ^ 後述するように、当系列には一時違う車体色になった車両も存在する。
- ^ 端子電圧750V時出力110kW。架線電圧が600Vでは90kW級のモーターとなる。
- ^ 営団地下鉄1000系の旧台車であるD-18を、日車が1372mm用に改造したものとされる[6][12]。
- ^ 京王社内名称はH-1、あるいはA-1。
- ^ 入線は京王の年表では1953年3月[1]。製造月は資料によって2月[4][2]と3月[15]説があり。
- ^ 製造月は資料によって10月[4][2]と12月[15]説があるが、前者が日車製、後者が東急製の製造月[16]。
- ^ 2次車と同時に製造としている資料もあるが[2]、飯島(1955)[6]、猪俣(1973)[15]は1954年導入としている他、1954年11月5日に東急車両から搬出されている写真が存在する[17]。
- ^ 製造月は9月[4][2][15][19]。
- ^ 製造月は資料によって1月[4][2]と2月[15][19]説があり。
- ^ 宮下(2019)はTS-306としている[4]。
- ^ 京王線ファンクラブ(1965)は、クハ2777と2778も改造されたと記載しているが[2]、宮下(2019)の1963年8月3日の編成表[23]では、該当クハは別のデハと編成を組んでいる。
- ^ 後述する旧型車改造付随車を挟んでいた。
- ^ 5000系の増結用車5070系(→のち5100系)は、2700系から電装品を流用しており、同一の性能の2700系が優等運用につくことは特に問題はなかった。
- ^ ただしデハ2714-クハ2784の編成は、デハが後述する2010系用のサハに改造される関係で、追加された6両と同時には存在していない。
- ^ 雨宮製作所A-2や、2700系製造と同時期に一部サハが交換していたTS-103など。
- ^ 井の頭線からの転用車の一部にも使用されている。
- ^ 2700系とほぼ同時期に登場し、前面湘南型で主電動機にも共通性がある京急600形(初代)→400形440グループ、470グループも、長編成化に際して同様の改造が実施されたが、京急は台枠先端を切除したために旧運転台側が明瞭であるのに対し、本系列は元から製造された中間車とほぼ見分けがつかない。
- ^ クハ2789は欠番。
- ^ a b 太字は電装解除された元デハ2700形。
- ^ 編成相手を失った後は、もっぱら2600系3両と連結して、4両編成のローカル運用で使用された[34][35]。
- ^ 2700系と連結する側のデハ2010形4両が同様の改造を受けている。
- ^ 新宿側からクハ2774 - デハ2704 - デハ2703 - クハ2774[36]。
- ^ 偶数車はクハ2772 - デハ2702[36]。
出典
- ^ a b c d 京王電鉄『2022年京王ハンドブック』 p.108 「年表」
- ^ a b c d e f g h i j k 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 京王帝都レールファンクラブ「私鉄電車めぐり(65) 京王帝都電鉄 第3部 車両各論」 p.89-91
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 日本車輛東京支店「高張力鋼を使った京王帝都電鉄2700形電動車」(1953) p.121
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.122
- ^ “戦後復興・発展期.3”. 京王電鉄. 2021年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年9月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 飯島正資 「私鉄車両めぐり 京王帝都電鉄」(1955) p.53
- ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.18、p.50
- ^ a b 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.51
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 日本車輛東京支店「高張力鋼を使った京王帝都電鉄2700形電動車」(1953) p.123
- ^ a b 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.6
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 日本車輛東京支店「高張力鋼を使った京王帝都電鉄2700形電動車」(1953) p.122
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 京王帝都レールファンクラブ「私鉄電車めぐり(65) 京王帝都電鉄 第2部 車両総論」 p.83
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 「京王帝都電鉄車輛アルバム-1950~60」 p.29
- ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.18、p.122
- ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』278号(1973年5月号)合葉博治・猪俣剛「私鉄車両めぐり(97) 京王帝都電鉄」 p.70-72 旅客車一覧表(1973年2月28日現在)
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 「読者短信に見る京王電鉄の記録」 p.144
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 「読者短信に見る京王電鉄の記録」 p.145
- ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.18
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル』422号(1983年9月号)高橋孝一郎「私鉄車両めぐり(123) 京王帝都電鉄」 p.164-171 現有車輛諸元表
- ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.56
- ^ a b c 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 京王帝都レールファンクラブ「私鉄車両めぐり(72) 京王帝都電鉄 補遺 p.110-112
- ^ a b 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 「読者短信に見る京王電鉄の記録」 p.147
- ^ a b c d 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.126
- ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.57
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 「読者短信に見る京王電鉄の記録」 p.146
- ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.53
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 「京王帝都電鉄車輛アルバム-1950~60」 p.21
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 京王帝都レールファンクラブ「私鉄電車めぐり(65) 京王帝都電鉄 第2部 車両総論」 p.79
- ^ 『鉄道ピクトリアル』422号(1983年9月号)「京王線70周年・井の頭線50周年-それぞれの時代」 p.47
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 京王帝都レールファンクラブ「私鉄車両めぐり(72) 京王帝都電鉄 補遺 p.109-110
- ^ 『鉄道ピクトリアル』278号(1973年5月号)合葉博治・猪俣剛「私鉄車両めぐり(97) 京王帝都電鉄」p.64
- ^ 『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション9 京王電鉄1950-60』 京王帝都レールファンクラブ「私鉄電車めぐり(65) 京王帝都電鉄 第3部 車両各論」 p.94
- ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.55、p.68
- ^ 『鉄道ピクトリアル』278号(1973年5月号)合葉博治・猪俣剛「私鉄車両めぐり(97) 京王帝都電鉄」p.69
- ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.46
- ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』278号(1973年5月号)合葉博治・猪俣剛「私鉄車両めぐり(97) 京王帝都電鉄」p.62-63
- ^ 『鉄道ピクトリアル』278号(1973年5月号)合葉博治・猪俣剛「私鉄車両めぐり(97) 京王帝都電鉄」p.65
- ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.54、P.64-67
- ^ 宮下洋一編『鉄道車輌ガイド Vol.30 京王帝都のグリーン車』(2019) p.107
- ^ 『鉄道ピクトリアル』422号(1983年9月号)鉄道ピクトリアル編集部「京王帝都電鉄車両めぐり」 p.128