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15歳で[[スイス]]から渡米した{{仮リンク|ジョン・モーゼス・ブランズウィック|en|John Moses Brunswick}}により、シンシナティ・キャリッジ・メイキング カンパニーとして、[[オハイオ州]][[シンシナティ]]で[[1845年]][[9月15日]]に創業<ref name="his">{{cite web|url=https://www.brunswick.com/our-company/our-history |title=Our History |publisher=Brunswick Corporation |date= |accessdate=2022-07-08 }}</ref>。創業当初は[[馬車]]の製造を主な事業としていたが、機械工場を開設して間もなくブランズウィックはビリヤードに魅せられており、当時アメリカ国内で使われていたビリヤードテーブルは[[イギリス]]から輸入された物であったため、ビリヤードテーブルの製造に勝機を見出しておりテーブルの製造を開始する。結果、ブランズウィックのビリヤード台は商業的に成功を収めたことで事業を拡大、[[1848年]]には、[[イリノイ州]][[シカゴ]]に最初の支店を開設している。 |
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2人の兄弟が入社した[[1855年]]にはJ.M ブランズウィック・アンド・ブラザース・ビリヤードテーブル・マニュファクチャリングに改名しており<ref name="his" />、この時の[[スローガン]]は、''The oldest and most extensive billiard tables''(最も古く最も優れたビリヤードテーブル)、''The oldest and most extensive billiard table manufacturers in the United States''(米国で最も歴史があり、最も豊富な実績を持つビリヤード台メーカー)であった<ref name="JMBB">{{cite book |title=The Rocky Mountain Directory and Colorado Gazetteer |editor1=Wallihan, Samuel S. |editor2=Bigney, T. O. |year=1871 |no-pp=y |page=J. M. Brunswick & Brother advertisement |location=Denver |publisher=S. S. Wallihan & Co}}</ref>。 |
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[[1874年]]、ブランズウィック社はジュリアス・バルケが所有していた競合メーカー、グレート・ウェスタン・ビリヤード・マニュファクトリーと合併し、グレート・ウエスタン・ビリヤーズ・テーブル・マニュファクトリーとなった<ref name="his" />。[[1878年]]には業界最大手企業となっており、[[1879年]]には資本金275,000ドル(約3,700万円)で[[法人化]]され、同年、もう1つの競合会社であった[[ニューヨーク]]のH.W.コレンダー社と合併し、コレンダーが[[特許]]を持つビリヤードクッションの権利を得ている。[[1884年]]にブランズウィック・バルク・コレンダー・カンパニー(略称:B.B.C.カンパニー)を設立した<ref> Shamos, Mike (1999). The New Illustrated Encyclopedia of Billiards. New York: Lyons Press. pp. 24, 89–90. ISBN 1-55821-797-5.</ref>。 |
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=== 1900年代 === |
=== 1900年代 === |
2022年7月29日 (金) 00:01時点における版
種類 | 公開会社 |
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市場情報 | |
業種 |
金融業 保険業 造船業 輸送用機械 マリンエレクトロニクス |
設立 | 1845年9月15日 |
創業者 | ジョン・モーゼス・ブランズウィック |
本社 | アメリカ合衆国 イリノイ州 メッタワ[1] |
事業地域 | 世界 |
主要人物 | CEO:デビッド・フォールクス(David Foulkes) |
製品 | プレジャーボート、船外機、船舶用電子機器 |
サービス | 融資、保険、マリーナ |
売上高 | 58億USドル(2021年[2]) |
従業員数 | 18,500名 (2022年[3]) |
子会社 | ナビコ |
ウェブサイト |
brunswick |
ブランズウィック コーポレーション(英語:Brunswick Corporation 旧称:Brunswick-Balke-Collender Company)は、イリノイ州メッタワにグローバル本社を置くアメリカ合衆国のコングロマリット。1845年の創業以来、様々な製品の開発製造、マーケティングを行っており、世界24カ国で18,500名以上の従業員が就業する。
1845年にビリヤード台製造業として創業しており、1890年に開始したボウリング事業で業績を伸ばし多角化した。今日におけるプレジャーボート部門では世界有数のメーカーとなり、これに付随した船外機や船舶用電子機器部門でも大手企業となる。また、技術部門ではアメリカ政府と取引を行う防衛部門を有している。
歴史
黎明期
15歳でスイスから渡米したジョン・モーゼス・ブランズウィックにより、シンシナティ・キャリッジ・メイキング カンパニーとして、オハイオ州シンシナティで1845年9月15日に創業[4]。創業当初は馬車の製造を主な事業としていたが、機械工場を開設して間もなくブランズウィックはビリヤードに魅せられており、当時アメリカ国内で使われていたビリヤードテーブルはイギリスから輸入された物であったため、ビリヤードテーブルの製造に勝機を見出しておりテーブルの製造を開始する。結果、ブランズウィックのビリヤード台は商業的に成功を収めたことで事業を拡大、1848年には、イリノイ州シカゴに最初の支店を開設している。
2人の兄弟が入社した1855年にはJ.M ブランズウィック・アンド・ブラザース・ビリヤードテーブル・マニュファクチャリングに改名しており[4]、この時のスローガンは、The oldest and most extensive billiard tables(最も古く最も優れたビリヤードテーブル)、The oldest and most extensive billiard table manufacturers in the United States(米国で最も歴史があり、最も豊富な実績を持つビリヤード台メーカー)であった[5]。
1872年、2人の兄弟はシカゴとサンフランシスコとで競合とビリヤードパーラーを始めるため会社を去っている[4]。
1874年、ブランズウィック社はジュリアス・バルケが所有していた競合メーカー、グレート・ウェスタン・ビリヤード・マニュファクトリーと合併し、グレート・ウエスタン・ビリヤーズ・テーブル・マニュファクトリーとなった[4]。1878年には業界最大手企業となっており、1879年には資本金275,000ドル(約3,700万円)で法人化され、同年、もう1つの競合会社であったニューヨークのH.W.コレンダー社と合併し、コレンダーが特許を持つビリヤードクッションの権利を得ている。1884年にブランズウィック・バルク・コレンダー・カンパニー(略称:B.B.C.カンパニー)を設立した[6]。
1886年、ブランズウィック逝去。享年67歳。これに伴いヒュー・コレンダーが新社長として就任[4]。
1890年、ブランズウィックの義理の息子であるモーゼス・ベンシンガーが社長に就任し、ボウリング事業を開始する[4]。20世紀初頭、ブランズウィックは取り扱い商品を拡大し、便座、自動車用タイヤ、蓄音機など様々な製品の製造を行っている[4][7]。
1900年代
1910年代後半には、ブランズウィックレコードという名称で蓄音機とレコードの販売を開始し、急速に普及した。1930年、ブランズウィックはレコード会社の経営権をワーナーブラザーズに売却し、冷蔵庫のラインナップを発表する。
第二次世界大戦中、ブランズウィック・バルク・コレンダー社は、アメリカ軍向けの小型標的型無人航空機を製造している。戦後は学校向けの家具を発売。1949年、ボウリング場を運営する大手企業アメリカン・マシン・アンド・ファウンドリー(AMF)社と協力し、ボウリングピンを自動で処理するための全自動ユニット「モデルA」メカニカル・ピンセッターを発表。なお、それ以前にもブランズウィックは、半自動や手動式の「スポッティングテーブル」と呼ばれるユニット2機種を製造しており、モデルAはその後継機となる。1950年代には、レジャー用品やスポーツ用品市場でAMFに対抗するため、ゴルフ用品の製造も開始している。
1960年4月10日、ブランズウィック・バルク・コレンダー社は、正式にブランズウィックに社名を変更。翌年には4億2,200万ドル(約573億5千万円)の売上を計上した。1961年には、船外機大手であったマーキュリー・マリーンを買収。1970年代、ブランズウィックは、ボウラーが手で行う代わりに電子的にスコアを集計する、自動スコアラーを発表した。
ブランズウィックはブローバック機構を用いた機関銃の特許を取得する。 この他、ロケット推進式手りゅう弾となる珍しいグレネードランチャーなど、武器の開発も行っている[8][9][10][11][12]。
1971年には、日本のヤマハ発動機に対し合弁事業の打診を行っている。ヤマハはアメリカに視察を行い、当時の社長である川上源一に対し、当時劣っていた船外機の技術を吸収するため必要であると上申する。しかし、川上は技術提携ならば認めるが、合弁事業には明確に反対を示したことで計画は一時凍結された。その後、ヤマハが断ればスズキやトーハツに対し打診が行くだけであって得策では無いとして、最終的に合弁として認められ、折半出資による「三信工業」が設立された[13]。契約期間は10年であったが、9年後の1982年に合弁事業は解消され、三信工業の株は全てヤマハ発動機が保有するに至った。当時世界トップレベル企業との経験による収穫は大きく、今日における「マリーンのヤマハ」を決定付ける事象となった[14]。
1980年代には、ブランズウィックはベイライナー、ボストン・ホエーラー、マクサム、シーレイ、トロフィーなどのブランドで、ヨットやプレジャーボートの主要メーカーとなっている[15]。
湾岸戦争では、ブランズウィックはアメリカ軍にカモフラージュネットの供給を行っている。また、パトリオットミサイル向けのレドームも製造していた。
1997年、ブランズウィックはロードマスターの自転車部門を買収し、大衆向け自転車メーカーとなった。しかし、中国を中心とした海外メーカーからの低価格な輸入品が急増し、米国での継続的な生産が困難であることが明らかになったことで、1999年に同社はロードマスターの自転車部門をパシフィックサイクルに売却した。
2000年以降
2001年、ブランズウィックはジェンマー・インダストリーズからハッテラス・ヨットを現金約8,000万ドル(約108億7千万円)で買収。2013年に「ハッテラス/カボ」ブランドをバーサ・キャピタル・マネジメントに売却する[16]。21世紀初頭の時点で、ブランズウィックは、マーキュリーマリンのブランド名の下、プレジャーボートや船外機を製造するほか、スポーツ・フィットネス機器などの製造にも携わっている。
2004年、ブランズウィックはレーベ・ボート社を買収。また同年、マサチューセッツ州アクトンを拠点とするマリンエレクトロニクス大手のノーススターテクノロジーズをカナダマルコーニ社より買収する。その後、ニュージーランドのオークランドに本社を置くナブマン社をノーススター社と合併させ、ブランズウィック・ボートグループの販売代理店とした。また、ブランズウィックはMx-Marineも買収。2006年、当時のCEOが3Mに移籍すると、新CEOはNorthstar、Navman、Mx-Marineの売却を決定する。現在、ナビコはEagle、Lowrance、B&G、Simradの各ブランドに加え、この3つのブランドを所有する。
2014年7月17日、ブランズウィックは、2014年末までにボウリング事業から撤退する計画を発表した。前年に1億8,700万ドル(約254億2千万円)の収益をもたらしたボウリングセンター事業を、競合のボウレロ コーポレーションに2億7,000万ドル(約367億円)で売却することに合意したことを明らかにした[17]。また、ボウリング機器・製品事業の買い手探しをラザードに依頼したことも明らかとなった。ブランズウィックは、2013年の純売上高の92%を占めるコア事業となるマリン部門とフィットネス部門に集中するための決定であった。なお、ブランズウィックの原点となるビリヤード事業はフィットネス部門の一部として継続することが発表された[18]。ボウリングセンター事業のボウレロへの売却は、2014年9月に完了している。2015年5月、ボウリング機器・製品部門を民間投資会社のブルーアーク・キャピタル・マネージメントに売却し、ボウリング事業から完全に撤退した[19]。
2019年5月、アメリカ最大となる多数のマリーナを運営するフリーダムボートクラブを買収したとの発表が行われた[20]。
脚注
- ^ “Brunswick – Contact”. www.brunswick.com. 2022年7月7日閲覧。
- ^ “BC Income State、ment – Brunswick Corporation Stock – Yahoo Finance”. finance.yahoo.com. 2022年7月7日閲覧。
- ^ “Overview”. Brunswick. 2022年7月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g “Our History”. Brunswick Corporation. 2022年7月8日閲覧。
- ^ Wallihan, Samuel S.; Bigney, T. O., eds (1871). The Rocky Mountain Directory and Colorado Gazetteer. Denver: S. S. Wallihan & Co. p. J. M. Brunswick & Brother advertisement
- ^ Shamos, Mike (1999). The New Illustrated Encyclopedia of Billiards. New York: Lyons Press. pp. 24, 89–90. ISBN 1-55821-797-5.
- ^ Kogan, Rick (1985). Brunswick: The Story of an American Company from 1845 to 1985. Skokie, IL: Brunswick Corporation. pp. 36-39
- ^ “Machine gun”. 2022年7月8日閲覧。
- ^ The Directory of the World's Weapons. Blitz Editions. 1996. ISBN 1-85605-348-2.
- ^ Jane's Infantry Weapons 1995–96, p. 219.
- ^ Jane's Infantry Weapons 1984–85, p. 661.
- ^ Forecast International Comments on RAW.
- ^ “いつの日も遠くヤマハ発動機 開拓時代のうらばなし 巨人・ブランズウィック社との交渉”. ヤマハ発動機. 2022年7月12日閲覧。
- ^ “いつの日も遠くヤマハ発動機 開拓時代のうらばなし マーキュリー社との合弁”. ヤマハ発動機. 2022年7月12日閲覧。
- ^ Clifford, Tyler (2021年4月30日). “Boat maker Brunswick seeing big demand as buyers become more diverse, CEO says” (英語). CNBC. 2021年8月11日閲覧。
- ^ “Brunswick Corp. sells N.C. yacht builder Hatteras/Cabo”. www.bizjournals.com. August 10, 2013時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月11日閲覧。
- ^ “Bowlmor AMF Completes Acquisition of Brunswick Corporation's Bowling Center Business” (September 18, 2014). 2022年7月8日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “Brunswick to Sell Retail Bowling Business to Bowlmor AMF” (July 18, 2014). 2022年7月8日閲覧。
- ^ “BlueArc Capital Management Acquires Brunswick Bowling Products” (May 26, 2015). 2022年7月8日閲覧。
- ^ “Brunswick to acquire Freedom Boat Club”. Daily Herald (May 17, 2019). 2022年7月8日閲覧。
関連項目
- ブランズウィック・ボート・グループ
- トーハツ - 合弁企業トーハツマリーンを運営する。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- ブランズウィック コーポレーション (@Brunswick_Corp_) - X(旧Twitter)
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