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KinKi Kidsは後日「ターニングポイントとなった曲」として、2001年に発表した二人の共作曲『[[Hey! みんな元気かい? |愛のかたまり]]』とこの曲の2曲を挙げている<ref>{{Cite web|url= https://japan.techinsight.jp/2016/11/maki11181944.html/2|title=【エンタがビタミン♪】KinKi Kidsの“大切な歌”『硝子の少年』と『愛のかたまり』 2人しか到達できない世界を表現|work= TechinsightJapan編集部 真紀和泉 |publisher=[[Techinsight]]|date=2016-11-19|accessdate=2020-09-07}}</ref>。しかしこの曲の強烈さが印象に残りすぎて、11枚目のシングル『[[ボクの背中には羽根がある]]』と出会うまで、当時は方向性に悩んでいたという<ref>{{Cite web|url= https://www.chunichi.co.jp/article/295307|title=KinKi Kids転機となった曲とは…!? 堂本剛「違う道を作ってくれた」堂本光一「われわれの歌に合う」|work= 中日スポーツ|publisher=[[中日新聞社]]|date=2021-07-21|accessdate=2021-09-26}}</ref>。 |
KinKi Kidsは後日「ターニングポイントとなった曲」として、2001年に発表した二人の共作曲『[[Hey! みんな元気かい? |愛のかたまり]]』とこの曲の2曲を挙げている<ref>{{Cite web|url= https://japan.techinsight.jp/2016/11/maki11181944.html/2|title=【エンタがビタミン♪】KinKi Kidsの“大切な歌”『硝子の少年』と『愛のかたまり』 2人しか到達できない世界を表現|work= TechinsightJapan編集部 真紀和泉 |publisher=[[Techinsight]]|date=2016-11-19|accessdate=2020-09-07}}</ref>。しかしこの曲の強烈さが印象に残りすぎて、11枚目のシングル『[[ボクの背中には羽根がある]]』と出会うまで、当時は方向性に悩んでいたという<ref>{{Cite web|url= https://www.chunichi.co.jp/article/295307|title=KinKi Kids転機となった曲とは…!? 堂本剛「違う道を作ってくれた」堂本光一「われわれの歌に合う」|work= 中日スポーツ|publisher=[[中日新聞社]]|date=2021-07-21|accessdate=2021-09-26}}</ref>。 |
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剛は当時、先輩方のデビュー曲はキラキラキラって感じの楽曲ってイメージがあり、ユーロビートとかが流行ってた時代だった為、急にマイナーコードの歌謡曲テイストの楽曲が入ってきて、「これでデビューする!」となり、かなり驚いたそうである。また、デビュー曲は、もっと明るい、派手な、みたいな曲であることを子どもながらに思っていたそうで、この曲を聞き「この感じ?」という気持ちがあったそうである。また、ジャニー喜多川も「この暗いの行くの?っていう雰囲気はあった」そうだが、スタッフとの話し合いの中で最終的に「これで行きましょう!」と決定したそうである<ref name="KinKi-Sponichi2>{{Cite web|url= https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/10/11/kiji/20211011s00041000383000c.html|title=堂本剛 デビュー曲「硝子の少年」歌唱いまだに緊張「お前次第やからなと言われてる感じもあって」|work= Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン|date=2021-10-11|accessdate=2022-07-10}}</ref>。 |
剛は当時、先輩方のデビュー曲はキラキラキラって感じの楽曲ってイメージがあり、ユーロビートとかが流行ってた時代だった為、急にマイナーコードの歌謡曲テイストの楽曲が入ってきて、「これでデビューする!」となり、かなり驚いたそうである。また、デビュー曲は、もっと明るい、派手な、みたいな曲であることを子どもながらに思っていたそうで、この曲を聞き「この感じ?」という気持ちがあったそうである。また、ジャニー喜多川も「この暗いの行くの?っていう雰囲気はあった」そうだが、スタッフとの話し合いの中で最終的に「これで行きましょう!」と決定したそうである<ref name="KinKi-Sponichi2">{{Cite web|url= https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2021/10/11/kiji/20211011s00041000383000c.html|title=堂本剛 デビュー曲「硝子の少年」歌唱いまだに緊張「お前次第やからなと言われてる感じもあって」|work= Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン|date=2021-10-11|accessdate=2022-07-10}}</ref>。 |
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後日のインタビューで、光一は「達郎さんから、僕たちが30代、40代、50代になっても歌える曲としていただいた曲で、本当にその言葉通りになった。今歌っても全然恥ずかしくない。でも、いつになっても歌うときに緊張する曲<ref>{{Cite web|url= https://news.mynavi.jp/article/20220702-2385706/|title=堂本光一、「硝子の少年」は「いつになっても歌うときに緊張する」|work= マイナビニュース |publisher=[[マイナビ]]|date=2022-07-02|accessdate=2022-07-10}}</ref>。」、剛は「今も大切に歌わさせていただいていますけど、いまだに難しい。歌う時はすごい毎回緊張してるし、今日はなんかうまくいったなという時と、全然アカンかった時とか、お前次第やからなと言われてる感じもあって、すごい勉強になる<ref name="KinKi-Sponichi2 />。」と答えている。 |
後日のインタビューで、光一は「達郎さんから、僕たちが30代、40代、50代になっても歌える曲としていただいた曲で、本当にその言葉通りになった。今歌っても全然恥ずかしくない。でも、いつになっても歌うときに緊張する曲<ref>{{Cite web|url= https://news.mynavi.jp/article/20220702-2385706/|title=堂本光一、「硝子の少年」は「いつになっても歌うときに緊張する」|work= マイナビニュース |publisher=[[マイナビ]]|date=2022-07-02|accessdate=2022-07-10}}</ref>。」、剛は「今も大切に歌わさせていただいていますけど、いまだに難しい。歌う時はすごい毎回緊張してるし、今日はなんかうまくいったなという時と、全然アカンかった時とか、お前次第やからなと言われてる感じもあって、すごい勉強になる<ref name="KinKi-Sponichi2" />。」と答えている。 |
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== チャート成績 == |
== チャート成績 == |
2022年7月28日 (木) 23:59時点における版
「硝子の少年」 | ||||||||
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KinKi Kids の シングル | ||||||||
初出アルバム『B album』 | ||||||||
リリース | ||||||||
規格 |
8cmCD ('97) 12cmCD ('07) | |||||||
ジャンル | J-POP | |||||||
時間 | ||||||||
レーベル | ジャニーズ・エンタテイメント | |||||||
作詞・作曲 |
松本隆(作詞) 山下達郎(作曲) | |||||||
プロデュース |
藤島メリー泰子 山下達郎 | |||||||
ゴールドディスク | ||||||||
チャート最高順位 | ||||||||
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KinKi Kids シングル 年表 | ||||||||
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「硝子の少年」(がらすのしょうねん)は、KinKi Kidsのデビューシングル。1997年7月21日に8cmCDで発売。発売元はジャニーズ・エンタテイメント。
2007年12月26日に12cmCD(マキシシングル)として再発売されている。
解説
1993年から活動していたKinKi Kidsのメジャーデビューシングル作品であり[3]、1997年に設立されたレコード会社「ジャニーズ・エンタテイメント」から初めて発売された作品である[4]。また、本作はアルバム『A album』と同時発売された。
初回プレスは本作とアルバムの『A album』がセットになった仕様で発売された。本作の初回盤は卓上カレンダー付きであり、このセット販売の発案者は小杉理宇造である。初回プレス数は100万枚製作され完売している。また初回プレス版は、マキシシングルのジャケット仕様に8cmシングルが収められている。
製作
既にアイドルとしてキャリアがあったKinKi Kidsの満を持してのデビューシングルとなる本作の製作にあたり、松本隆と山下達郎にはジャニー喜多川らから「オリコンチャートでの初登場1位」と「ミリオンセールス」が必要最低条件として課された。そのため、山下は「この楽曲を製作する時は、かなりのプレッシャーだった」と語っている。
松本隆はジャニーズ事務所から「10代の少年をテーマにした曲を作ってほしい」と依頼された[5]。またジャニー喜多川からは、「この子たちは人気があるからミリオンね」とだけ注文を受けたという[6]。
しかし松本は歌謡界の一線から7年間も遠のいていた時期であった為[6]、オファーを受けたものの「松本隆の賞味期限は切れてるのではないか」と不安だったという[5]。
その後松本と山下は、すぐに曲作りの打ち合わせに入り、二人は「ポップスの王道に戻った曲を作ろう」という意見で一致した。松本はインタビューで「今(当時)のポップスは全体的に、デジタル化されてサバサバしている。昔のビートルズ、エルビス・プレスリーのように、詞に情感があって、胸にキュンとくる、きれいなメロディーが重なる歌に戻ってみようと思ったんです」と語っている[5]。
当初は3rdシングルとなった『ジェットコースター・ロマンス』をデビュー曲として提唱、事務所からも了承を得たが、山下自身が「(この曲では)100万枚行かない」と納得がいかず、「もう1週間くれ」と言って本曲が製作された[7]。尚、デビュー前より披露されていた『Kissからはじまるミステリー』(1stアルバム『A album』収録)もデビュー曲候補であったが、ジャニーより却下されている[8]。
山下は作曲にかなりの困難を極めたが、70~80年代を代表するヒットメーカーで、ジャニーズでも近藤真彦や少年隊などのヒット曲を数多く手掛けてきた作曲家・筒美京平を引き合いに「筒美京平だったらどういう曲を書くのか」という視点で完成させた[7][9]。また山下は、それまでのジャニーズとKinKi Kidsの2人とはかなり違うイメージを感じ、光一も剛も声が濡れていて、それまでの開放感のあるジャニーズの歌声とはちょっと違う印象を強く抱いたそうで、アイドルのデビュー曲にもかかわらず、あえてせつないマイナー調のメロディーに拘り製作した、ある意味確信犯的に製作した楽曲である[10]。
関係者にデモテープを聞かせた際には「暗い」、「古臭い」、「踊れない」等の酷評や反対があったが「ジャニーズの歴史を踏まえてイメージした楽曲でもあり、二人に合った曲はこれしかない!」と断言。デビュー・シングルの楽曲として選ばれた[7][9]。販促用のパンフレットには「フォーリーブスを生きたママたちと、今まさにKinKiを生きる娘たちとが、時を越えてつながる何かを表現できたらと思い、この曲を作りました」とのコメントを寄せている[5]。また、スタッフの感想を聞きメンバー二人が不安を覚えたが、山下が二人に「大丈夫だよって。あなたたちが40歳になっても歌える曲だから」と伝えたそうである[7]。
松本は、詞を書く対象の歌手から直感的に特徴を読み取ることができ、KinKi Kidsの2人が放つ「輝きや独特な危うさ」をどのように表現するか考え抜いたが、何度も書き直してもジャニーズ側からなかなかOKが出なかった[6]。
詞のテーマがなかなか決まらず一晩悩んでいた時に、テレビをつけた際に偶然KinKi Kidsの2人がテレビに映り、その姿を見て「壊れやすそうだけど、したたかそうだな」[11]「あ、ガラスの少年だ!」と直感し、今までの悩みが嘘のように「この子達、ガラスの少年じゃないか!」と目の前が晴れ、さらに兼ねてより「バスでは別れなどドラマがあるはずで、バスにまつわる歌を書きたい」と思っていたことから「物語が滝のように溢れてあっという間にできた」という[6]。
また、山下の「素晴らしい出来」と評した原曲を聞き、KinKiの2人に純粋さ、素直さを感じていた松本は、「この子たちなら、全世代の人たちに向けて、人間が今忘れかけている愛や夢、希望を、歌で表現してくれる」と確信したという[5]。
発表当時の「援助交際」が横行する時代を憂えて、松本は「指に光る指環 そんな小さな宝石で 未来ごと売り渡す君が哀しい」と歌詞に綴り、KinKiが歌うこのメッセージを、少女たちが真摯に受け止める願いを込めた。傷つきやすい少年、少女の思いを「ぼくの心はひび割れたビー玉さ」に託したという。アイドルという言葉にはある種の軽い響きがあるが、KinKiの2人は、松本も驚く重厚な説得力で歌い上げた[5]。
大ヒットに松本は「ファッションは変化しても、人間はお金よりも大切な、純粋な心を本質的に持っているんだなと感じましたね。若者から中高年まで幅広い人が共感し、カラオケで歌ってくれることがうれしい」と答えている[5]。
山下もこの曲の大ヒットを受け、山下が楽曲提供した曲の代表作となり、自身のライブにて何度もこの曲をセットリストに加え、現在も演奏している。
エピソード
KinKi Kidsは後日「ターニングポイントとなった曲」として、2001年に発表した二人の共作曲『愛のかたまり』とこの曲の2曲を挙げている[12]。しかしこの曲の強烈さが印象に残りすぎて、11枚目のシングル『ボクの背中には羽根がある』と出会うまで、当時は方向性に悩んでいたという[13]。
剛は当時、先輩方のデビュー曲はキラキラキラって感じの楽曲ってイメージがあり、ユーロビートとかが流行ってた時代だった為、急にマイナーコードの歌謡曲テイストの楽曲が入ってきて、「これでデビューする!」となり、かなり驚いたそうである。また、デビュー曲は、もっと明るい、派手な、みたいな曲であることを子どもながらに思っていたそうで、この曲を聞き「この感じ?」という気持ちがあったそうである。また、ジャニー喜多川も「この暗いの行くの?っていう雰囲気はあった」そうだが、スタッフとの話し合いの中で最終的に「これで行きましょう!」と決定したそうである[14]。
後日のインタビューで、光一は「達郎さんから、僕たちが30代、40代、50代になっても歌える曲としていただいた曲で、本当にその言葉通りになった。今歌っても全然恥ずかしくない。でも、いつになっても歌うときに緊張する曲[15]。」、剛は「今も大切に歌わさせていただいていますけど、いまだに難しい。歌う時はすごい毎回緊張してるし、今日はなんかうまくいったなという時と、全然アカンかった時とか、お前次第やからなと言われてる感じもあって、すごい勉強になる[14]。」と答えている。
チャート成績
オリコン週間ランキングで、初週31.5万枚を売り上げ、初登場1位を獲得した。CD累計売上は179.2万枚(オリコン調べ)を記録しており、シングルの中では自身最大ヒット作品である[16][17]。またジャニーズ事務所としては、近藤真彦の『スニーカーぶる〜す』以来、2作目のミリオンセールスとなった。ジャニーズ事務所は、再度ミリオンセールスを達成する事は悲願であったと同時に、平成時代最初のミリオンセールスとなった。
当時のCDシングルは1,000円が相場だったが、カップリング曲が収録されないシングルは半額の500円で販売する方策が1995年頃からCDシングル業界に多く取り入れられており、本作も同様に500円で発売された。初回プレス分は「硝子の少年」と、同時発売のデビューアルバム『A album』が卓上カレンダーと一緒にセット販売され、100万枚製作され完売した。結果、『A album』もおよそ100万枚を売り上げ、オリコンチャートで同一週のシングル・アルバムどちらも全く同じ売り上げ枚数となった。
また、デビューシングルとファーストアルバムの両方ミリオンセールスを達成したのは、DEENに続いて2組目となった。
収録曲
- 硝子の少年 [4:43]
- 硝子の少年(オリジナル・カラオケ) [4:39]
出版者:ジャニーズ出版
参加ミュージシャン
※クレジットは『KinKi Single Selection』より
- Arrange, Background Vocal, Keyboards, Electric Guitar: 山下達郎
- Programmer: 橋本茂昭
- Electric Guitar: 佐橋佳幸
- Keyboards,Acoustic Piano: 難波弘之
- エンジニア: 内沼映二[20]
カバー
2012年9月26日に発売された山下達郎のベストアルバム『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』の初回限定ボーナスディスクには、山下が歌うバージョンが収録されている。これは、デモ・ボーカルにKinKi Kidsのカラオケを重ねたテイクで、過去に数回ラジオで放送されていたものである。また、堂本光一が所有していた「硝子の少年 練習用」として山下達郎からジャニー喜多川経由でKinKi Kidsに渡されたデモテープの一部が、KinKi Kids出演のフジテレビ系バラエティ番組『KinKi Kidsのブンブブーン』2020年6月6日放送分にて放送された。尚、練習用デモテープでは、現在の歌詞と一部違っている。
収録アルバム
脚注
注釈
- ^ 2003年6月度までの旧基準。最低累計正味出荷枚数160万枚以上の作品に適用。
出典
- ^ 日本レコード協会 認定作品 1997年9月度認定作品の閲覧。 2017年12月11日閲覧
- ^ “KAT-TUN、00年代デビュー・アーティスト初の快挙達成!”. ORICON STYLE (2006年4月10日). 2015年11月29日閲覧。
- ^ 『Get the KinKi』集英社ムック、1995年5月。ISBN 9784081020119。
- ^ “ジャニーズがレコード会社設立”. zakzak. (1997年5月30日). オリジナルの2004年2月18日時点におけるアーカイブ。 2013年8月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g “KinKi Kids「硝子の少年」に託された思い”. 日刊スポーツ特別取材班. 日刊スポーツ (2020年8月2日). 2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c d “KinKi Kids『硝子の少年』は松本隆にも“転機”だった ジャニーさんの注文は「ミリオンね」”. TechinsightJapan編集部 真紀和泉. Techinsight (2017年2月26日). 2020年9月7日閲覧。
- ^ a b c d “山下達郎、KinKi Kids「硝子の少年」制作秘話明かす ジャニー喜多川さんからの“大変”なオーダーとは?”. モデルプレス (2021年6月27日). 2022年7月2日閲覧。
- ^ “『関ジャム』山下達郎が語る自戒、多くのミュージシャンたちに突き刺さる“一問百答””. exiteニュース. モデルプレス (2021年6月27日). 2022年7月2日閲覧。
- ^ a b 『HITSTORY 筒美京平 ULTIMATE COLLECTION 1967 - 97』のブックレット内の山下達郎インタビュー記事より抜粋
- ^ “山下達郎「KinKi Kids」のデビュー曲「硝子の少年」は「内輪からはかなりブーイング」あった”. スポニチAnnex. エキサイト (2022年7月3日). 2022年7月9日閲覧。
- ^ NHK 音楽のチカラ 2010年5月27日放送分
- ^ “【エンタがビタミン♪】KinKi Kidsの“大切な歌”『硝子の少年』と『愛のかたまり』 2人しか到達できない世界を表現”. TechinsightJapan編集部 真紀和泉. Techinsight (2016年11月19日). 2020年9月7日閲覧。
- ^ “KinKi Kids転機となった曲とは…!? 堂本剛「違う道を作ってくれた」堂本光一「われわれの歌に合う」”. 中日スポーツ. 中日新聞社 (2021年7月21日). 2021年9月26日閲覧。
- ^ a b “堂本剛 デビュー曲「硝子の少年」歌唱いまだに緊張「お前次第やからなと言われてる感じもあって」”. Sponichi Annex. スポーツニッポン (2021年10月11日). 2022年7月10日閲覧。
- ^ “堂本光一、「硝子の少年」は「いつになっても歌うときに緊張する」”. マイナビニュース. マイナビ (2022年7月2日). 2022年7月10日閲覧。
- ^ KinKi Kids、デビュー時の“苦難”乗り越えて受賞! オリコン 2015年12月25日閲覧
- ^ 【オリコン】秋元康氏、作詞家売上日本一に 総売上6859.1万枚で阿久悠さん上回る オリコン 2018年5月27日閲覧。
- ^ 紅白大トリは嵐が確実 初出場kinkiはデビュー曲「硝子の少年」歌う スポニチ 2016年12月25日記事
- ^ 2017年1月14日放送 NHK「SONGS KinKi Kids Spin off ~いつも 変わらず 2人で~」より。
- ^ 『内沼映二が語るレコーディング・エンジニア史 スタジオと録音技術の進化50年史』 2019年9月 出版社:DU BOOKS、246頁