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中心地理論が発表された1933年当初、経済理論を援用したクリスタラーに対し、地域の個性を追求していたドイツの学会では芳しい評価が得られなかった<ref name="mr03">森川(1980),pp.30-34</ref><ref name="hys02">林(1986),pp.101-104</ref>。その後、計量革命で法則性が重視されるようになると評価が一変し、「理論地理学の父」と称されるほど高い評価を受けるようになった<ref name="mr03"/><ref name="hys03">林(1986),p.30</ref>。 |
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[[地理学]]へのこうした数学的・幾何的なアプローチは、のちの[[計量地理学]]へと受け継がれてゆく。 |
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2022年5月29日 (日) 00:01時点における版
中心地理論(ちゅうしんちりろん)は、都市機能の規模とその幾何学的な分布を示す都市地理学上の理論。代表的な研究者としてドイツの地理学者・都市学者であるヴァルター・クリスタラー(Walter Christaller 1893-1969)、アウグスト・レッシュ(August Lösch 1906-1945)が挙げられる。
クリスタラーの1933年の主著『都市の立地と発展 (Die Zentralen Orte in Sűddeutschland)』[1](原著の表題は「南ドイツの中心地」の意)と、レッシュの1940年の主著『経済立地論 (Die räumliche Ordnung der Wirtschaft)』[2](原著の表題は「経済の空間的秩序」の意)は、どちらも供給される財の到達範囲・中心地の規模 (階層) によって、幾何的・数学的に説明できる空間構造が生まれることを説明している。
クリスタラーの中心地理論
商業やサービス業、公共サービスなどの都市的機能が国土に満遍なく財やサービスを供給するためにはいかなる都市配置が効率的であるかを考え、南西ドイツにおいて実証した[3]。
財やサービスについて、多く生産・供給する機能は少数の地点に集中し、その財は多数の消費者に到達する。その財を 中心的財[注釈 1][4] といい、中心的財を供給する機能が集積した地点が中心地である[3]。その到達範囲の大きいものを「高次な財」、小さいものを「低次な財」と呼ぶ。中心的財を周辺に供給する機能を 中心性 と呼ぶ[4]。
財の到達範囲は、財の中心性によって異なる。低次な財である最寄品は消費者が近くで済ませたいので、狭い商圏で経営が成り立つ。一方で、高次な財である買回品は消費者が遠くまで出向くことをいとわないうえにめったに購入しないため、広い商圏が必要になる。このことから、高次な財ほど財の到達範囲が広くなるため、中心地機能には階層性がある[4]。
ここで、中心地の階層の説明として、教育施設の中心性とその立地を例として挙げる。中心性の高いものから並べる。
- 大学
- 広域から通学者を集め (=財の到達範囲が大きい)、数千数万人を抱える大規模な教育施設である。大学同士の距離も大きい。大都市にのみ立地していても、広い範囲の利用者が交通機関を用いて集まってくる。
- 高等学校
- 大学ほどではないが、比較的広い範囲から通学者を集める。電車やバスなどの交通機関を用いる通学者もいる。大学ほどではないが、まばらに立地する。
- 小中学校
- 学区は数キロメートル以内である。財の到達範囲が小さい。学齢期のすべての児童の徒歩圏に少なくとも一つの小学校が存在するように立地する。高等学校・大学と比べれば数も多く、大都市にも過疎地にもまんべんなく立地する。
前提条件
理論を構築するにあたっては前提条件を据えている[3]。
交通を妨げる障害が存在せず、輸送があらゆる方向に向けて滑らかに行われ、輸送費は移動距離に比例する均質的な輸送平面を想定しており[5]、具体的には以下の3つである[6]。
- 地表面はアクセシビリティについて方向的な歪みはない
- 一つの財の価格は地表上では不変である
- 地表上の全地点は中心地になる同じ確率を有する
また、以下の3つの行動仮定もなされている[6]。
- 購入者は最も安価な供給地で求めようとする
- 供給者はその下位限界[注釈 2][7]が達成されるときにのみ市場に登場する
- 供給者の市場への登場は、中心地の数ができるだけ少なく、かつ1つの中心地あたりの財ができるだけ多くなるように組織される。
ただし、人口の均等な分布は前提とされておらず[注釈 3]、以下の四類型について検討している[6]。
- 均等に分布する領域
- 小さい中心地をもって分布する領域
- 大きい中心地をもって分布する領域
- 二つの中心地をもって分布する領域
K=3システム
都市Bから到達範囲が21㎞である財が供給されるとする[8]。同規模の都市をできるだけ少数にし、供給範囲ができるだけ重ならないようにしたうえで未供給地域が生じないように配置すると、都市B間の距離は36kmとなる[9]。
到達範囲20kmの財を供給しようとすると、都市Bから供給できない地域が発生してしまうので、新たに都市Kを配置する。すると、K階層の中心地はB階層の中心地がつくる正六角形の頂点に立地する[9]。
到達範囲を19km、18kmと下げても到達範囲12㎞のざいまでは、到達範囲20kmの都市Kから満遍なく供給可能である[9]。到達範囲11㎞の地点で都市Kと同じように都市Aを配置し、以下この作業の繰り返しである。
このプロセスの繰り返しによって六角形上の中心地網が導き出され、補給原理や市場原理と呼ばれる[7]。この原理では、下位になるに従って中心地が3倍ずつ増え、中心地間の距離は高次になるに従って√3倍ずつ増えることから、K=3システムと呼ばれている[7][9]。
K=4システム
条件によっては、直線的な交通路を引くことが優先されることがある[10]。高次の都市間に鉄道を敷設した場合、高次の中心地G地点を結び、その中間地点B地点に都市が形成される[7]。補給原理(K=3システム)では低次の中心地が六角形の頂点に現れてしまうため、交通に基づく中心地体系では6つの辺の中点に位置するように中心地網を変更させている[7]。低次になるに従って中心地の数は4倍となり[10]、高次になるに従って中心地の距離は√4倍となる。この場合の原理を交通原理と呼ぶ[7]。
K=7システム
行政界や山・河川が中心地上に位置するような場合を想定した行政原理[7]も論じられている。また、共同体が敵対する外部の作用から強く団結して防御しようとした場合の隔離原理[11]もまとめて不規則な中心地体系であるK=7システムとして示されている[10]。
行政原理の例としては、ベルリン分割が挙げられる。この場合、低次中心地が完全に高次中心地の六角形の中に組み込まれると問題が回避できるとクリスタラーは主張した[12]。
評価
中心地理論が発表された1933年当初、経済理論を援用したクリスタラーに対し、地域の個性を追求していたドイツの学会では芳しい評価が得られなかった[13][14]。その後、計量革命で法則性が重視されるようになると評価が一変し、「理論地理学の父」と称されるほど高い評価を受けるようになった[13][15]。
地理学へのこうした数学的・幾何的なアプローチは、のちの計量地理学へと受け継がれてゆく。
クリスタラーは、この理論を、南ドイツの都市的機能をもつ集落の配置によって検証した。1930年前後、ドイツで自動車が普及しはじめたころである。その頃と比べれば、現代は流通コストの低下・交通網の発達により、距離の概念が格段に変化している。(その可能性は当初も指摘され、距離については「費用・時間・労力」を掛け合わせた「経済距離」の概念が使われた。)また、通信網の発達により、地理的な制約によらず遠隔の消費者に到達する財など、中心地理論がもはや適用できない例も増えつつある。しかし、物資的な流通や人の移動が地理的な距離の制約から逃れられない以上、中心地とその階層、財の到達を最適化するような立地という概念は消えることはないだろう。
レッシュの中心地理論
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レッシュの中心地理論では、複数の企業が空間的競争を行った結果、理念的に正三角形網の企業立地が均衡状態として得られるという前提のもとに面積の異なる市場圏の形を考察している[16]。
中心地理論の活用例
- マヤ文明研究でテイセン・ポリゴン法として応用され、ピーター・マシューなどが主張しているが、マヤ諸都市の同盟対立、支配従属などの力関係や考古学的な調査結果に基かず機械的に中心地からの中間点で諸都市の勢力範囲、ないしや食料、黒曜石などの資源調達範囲(キャッチメント・エリア)を考えようとしているため、激しい批判にさらされている。また、弥生時代の集落間のキャッチメント・エリアについても奈良大学の酒井龍一が主張しているが、同じような理由で疑問をもたれるか、意識的に無視されている。
脚注
注釈
出典
- ^ Christaller, Walter (1933). Die Zentralen Orte in Sűddeutschland. Jena:翻訳 - クリスタラー, ヴァルター 著、江沢譲爾 訳『立地論研究』大明堂、1969年、396頁。
- ^ Lösch, August. Die räumliche Ordnung der Wirtschaft. Eine Untersuchung über Standort, Wirtschaftsgebiete und internationalem Handel. Jena: Fischer:翻訳 - レッシュ, アウグスト 著、篠原泰三 訳『レッシュ経済立地論』農政調査委員会、1968年、622頁。、(新訳)レッシュ, アウグスト 著、篠原泰三 訳『レッシュ経済立地論』大明堂、1991年、622頁。
- ^ a b c 伊藤ほか(2020), p.26
- ^ a b c 中澤(2021),00.131-135
- ^ 林(1986),pp104-105
- ^ a b c 森川(1980),pp37-38
- ^ a b c d e f g 松原(2013),pp39-44
- ^ 中世の1日の旅程とほぼ同じであり、クリスタラーの経験則から「地区の主要地点」の分布に相当する。
- ^ a b c d 中澤(2021),pp.127-142
- ^ a b c 中澤(2021),p142-145
- ^ 森川(1980),p.56
- ^ 伊藤訳(1997),p.34
- ^ a b 森川(1980),pp.30-34
- ^ 林(1986),pp.101-104
- ^ 林(1986),p.30
- ^ 松原宏(2003)pp.31-37
参考文献
- 富田和暁 『地域と産業 - 経済地理学の基礎』 大明堂→原書房
- 伊藤達也・小田宏信・加藤幸治(2020)『経済地理学への招待』ミネルヴァ書房
- 中澤高志(2021)『経済地理学とは何か―批判的立地論入門』旬報社
- 林上(1986)『中心地理論研究』大明堂
- 森川洋(1980)『中心地論(1)』大明堂
- 松原宏(2013)『現代の立地論』古今書院
- 松原宏(2003)『立地論入門』古今書院
- 伊藤喜栄監訳(1997)『立地と空間(上)―経済地理学の基礎理論』古今書院