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* 『見えない銃—外山恒一、孤軍奮闘の軌跡/だいたい全記録 』出版研、1995年12月(1990年代初頭までの、単行本未収録の論文やエッセイをまとめたもの)ISBN 4879690651
* 『見えない銃—外山恒一、孤軍奮闘の軌跡/だいたい全記録 』出版研、1995年12月(1990年代初頭までの、単行本未収録の論文やエッセイをまとめたもの)ISBN 4879690651
* 『ヒット曲を聴いてみた—すると社会が見えてきた』(共著)駒草出版 、1998年4月 ISBN 4906082467
* 『ヒット曲を聴いてみた—すると社会が見えてきた』(共著)駒草出版 、1998年4月 ISBN 4906082467
* 『最低ですかーっ!—まったく新しい政治犯 外山恒一語録』不知火書房、2004年12月 ISBN488345066X
* 『最低ですかーっ!—まったく新しい政治犯 外山恒一語録』不知火書房、2004年12月 ISBN 488345066X
* 『青いムーブメント―まったく新しい80年代史』[[彩流社]]、2008年5月ISBN 9784779113369
* 『青いムーブメント―まったく新しい80年代史』[[彩流社]]、2008年5月ISBN 9784779113369
* 『ポスト学生運動史―法大黒ヘル編 1985~1994』 彩流社、2010年1月 ISBN 477911487X
* 『ポスト学生運動史―法大黒ヘル編 1985~1994』 彩流社、2010年1月 ISBN 477911487X

2022年4月11日 (月) 01:09時点における版

とやま こういち

外山 恒一
2007年4月8日高円寺駅前でテレビ局の取材に応じる外山
生誕 (1970-07-26) 1970年7月26日(54歳)
日本の旗 鹿児島県姶良郡隼人町(現・霧島市
国籍 日本の旗 日本
出身校 福岡県立筑紫丘高等学校中退
職業 政治活動家
前衛芸術
評論家
雑誌編集長
活動期間 1986年 -
肩書き ファシスト党・我々団臨時総統
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外山 恒一(とやま こういち、1970年7月26日 - )は、日本政治活動家文筆家ストリートミュージシャンファシスト。政治結社・ファシスト党・我々団臨時総統。

来歴

1970年(昭和45年)、鹿児島県姶良郡隼人町に生まれる。

10代の頃より書籍の執筆を行い、九州で最初のストリートミュージシャンとなるなど、初期から現在に至るまで、主として九州を拠点に、政治的あるいは芸術的運動を続ける。

高校入学直後より「反管理教育」の活動家というスタンスで管理教育への抵抗運動を始め、左翼運動を左翼の立場から激烈に批判するようになる。4つの高校を転々とし(すべて中退)、20代を若き異端の極左活動家として過ごす。

1993年(平成5年)、西武池袋百貨店にて開催されていた「新・寺山修司展 テラヤマ、ワールド」の会場でビラ撒きをする。

2001年(平成13年)に傷害罪で起訴され(後述)、福岡刑務所で2年間服役。獄中で、それまでの極左運動とは決別しファシズムに転向、現在はファシストを自称する[1]

2004年(平成16年)5月5日に出獄した後は、獄中で構想したファシスト政党「我々団」の建設を活動の主軸におきながら、現在に至る。

2007年東京都知事選挙に、無所属として立候補。政見放送の冒頭にて『反管理教育運動を出発点に、異端的極左活動家となり、今時政治犯として2年投獄され、現在に至る。反体制知識人。』と過去の経歴を紹介し、日本国政府転覆を主張する過激な政見放送が話題を呼び、動画共有サイト・YouTubeなどで注目を集めた。

2008年アメリカ合衆国大統領選挙への「立候補」を宣言。日本人である為、当然ながら被選挙権も選挙権も有していないが、この時YouTubeに投稿した演説を称する動画内において、アメリカ主導のグローバリズムを皮肉った[2]

2012年(平成24年)の衆議院議員総選挙第46回衆議院議員総選挙)で、原子力発電推進派候補の選挙カーを追いかけながら「あの候補は原発推進派です」などと宣伝して、周知を図る落選運動を行う。同年夏には劇団どくんごの全国ツアーに連動し、外山自身も全国ツアーを敢行。2ヶ月間ほどかけて日本各地を回った。

2014年東京都知事選挙においては原子力発電所推進派候補へのほめ殺し街頭宣伝など、選挙に介入したパフォーマンスを行った。

2014年より、「教養強化合宿」と称して、主に学生向けに、左翼運動史を独自のカリキュラムに基づいて“詰め込み教育”する私塾を定期的に開催している。(一部大学では「外山合宿出身者」が一派閥を形成している模様[3])

思想

普通の右翼とは少し違うが、右か左かと言われれば自分は右だと述べている[4]ファシズムについては右翼版のアナキズムであると考えている[5]

反原発派であるが、日本の核武装には賛成という立場である。原子力発電所の本当の目的は核武装の準備として、核武装化のポーズを対外的に維持するために存在しているのであり、それ以外の「原子力の平和利用」等の理由は嘘であり屁理屈であると主張している[6]。原発は2、3基程度に減らし、核開発に必要な原子炉は営利企業ではなく自衛隊のような国家機関が管理して採算を度外視した安全対策を講じなければならないとしている[7]

「中華主義者」を自称している。いずれ中華人民共和国アジアの覇者になるとし、その時に備えて日米同盟を破棄し、日本は中国に「朝貢」すべきだと主張した。一方で、中国の覇権主義に関しては、日本やベトナムチベットウイグル等の少数派が互いに団結して、反西洋で中国の味方をしつつ、自らの要求(少数民族の権利等)を中国に飲ませれば良いとしている[8]

在特会をはじめとする"行動する保守"の活動には批判的であるが、中韓両国の若者の反日活動には自身も腹が立つとして、気持ちは理解はできるとしている。ただ、在特会らの行動は中国・韓国の"反日"運動と同レベルに成り下がっての"反中・反韓"でしかなく、先進国の国民としてのプライドを持ち、上から目線で批判すべきだとしている[9]

選挙履歴

都道府県知事選挙
選挙 政党 得票 得票率 惜敗率 順位 供託金 肩書
2007年4月8日 東京都知事選挙 無所属 15,059 0.27% 0.54% 8/14 没収 ストリート・ミュージシャン
区市町村議会議員選挙
選挙 選挙区 定数 政党 得票 得票率 惜敗率 順位 供託金 肩書
2005年11月27日 霧島市議会議員選挙 隼人選挙区 12 無所属 122 0.65% 12.63% 16/16 没収
2007年4月22日 熊本市議会議員選挙   48 無所属 540 0.22% 17.23% 61/62 没収
2008年4月13日 鹿児島市議会議員選挙   50 無所属 540 0.23% 18.54% 58/58 没収

人物・エピソード

2001年傷害罪(当時交際していた女性と口論となり顔面を強く平手打ちし負傷させる。本人曰くただの痴話喧嘩の類いであるとしている。)、2002年名誉毀損罪(傷害事件の民事訴訟で弁護士事務所を中傷)で起訴され、2件とも実刑判決(それぞれ10か月、1年)を受けた。

2006年1月17日に、鹿児島市で一方通行の道を原動機付自転車で逆走するなどした際に、鹿児島県警察の出頭命令に従わなかったため、2007年6月に逮捕され、逮捕後も黙秘等を続けたため、道路交通法違反の罪で起訴された。検察から、罰金1万5000円を求刑されたが、同年10月、鹿児島地方裁判所は、前科2犯であることや交通違反を繰り返し、遵法精神に欠けることを重視し、求刑の8倍に当たる罰金12万円の判決を言い渡した[10]。外山は控訴し、2008年3月、福岡高等裁判所宮崎支部は罰金12万円とした1審・鹿児島地裁判決を「重すぎて不当」として破棄し、罰金3万円とした。

福岡市の飲食店「BARラジカル」の設立に関わり、1年ほど店長を務める。外山が退職した後、将棋BARとして営業する。

2012年12月、自民党が圧勝した衆院選のときに九州各地の原発推進候補をショパンの「葬送行進曲」を大音量で流しながら追い回し、「原発を選挙戦の争点にしましょう」、「前を走っている人は原発推進派です」と告知していくという「原発推進派懲罰遠征」を決行。

その後、右翼青年から『右翼の世界には“ほめ殺し”という手法もあって、それも違法じゃないんですよ』と聞き付け、ほめ殺しへ戦略を転換。翌年の第23回参議院議員通常選挙で、外山は「選挙戦の期間限定で原発推進派に転向する」と宣言し、「自民党ほめご…いや大絶賛キャンペーン」と称して、原発推進候補への「ほめごろし」を新潟、仙台、札幌などで行った。

2014年に、2014年東京都知事選挙が始まると、毎日一般参加者を募り、舛添要一田母神俊雄に対して、ほめ殺しの体験学習会を開いた。

サブカルチャーが嫌いであると公言しており、そのためいわゆる「オタク文化」やオタクも毛嫌いしている。理由としてオタクのシニシズムを挙げている。

山本太郎を高く評価している。外山は山本を「もともと右寄りの人物」と見ており、そもそも天皇への素朴な信頼がなければ直訴なんてするわけがないとしている。また、かなり体育会系的なメンタリティの持ち主で、基本的には保守的な人間であるとして、「山本が左傾したのが残念でならない。右派が反原発に冷たくしたせいで彼を左に追いやってしまった」と自著の中で右派を批判している[11]

外山恒一賞

外山が設立した賞。外山曰く「主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する賞[12]」であるとのこと。2011年5月に設立されて、それ以後年一回ずつ受賞者を発表している。

第一回(2011年)
金友隆幸行動する保守系団体・排害社代表)
第二回(2012年)
亀井純太郎(前衛芸術家、劇団「第七インターチェンジ」の作・演出家)
第三回(2013年)
レイシストをしばき隊 (行動する保守系団体に対してカウンター運動を行う団体対レイシスト行動集団の前身)
第四回(2014年)
水永康貴(ミュージシャン、ロックBAR経営者)
第五回(2015年)
『サルママ』編集部(宮崎発のカルチャー誌)
第六回(2016年)
たかゆき(ストリートミュージシャン)
第七回(2017年)
  1. オクムラユウスケ(ミュージシャン)
  2. 吉田一郎(さいたま市議)
第八回(2018年)
受賞なし
第九回(2019年)
秘密[13]
第十回(2020年)
なごやトリエンナーレ(あいちトリエンナーレではない)[14]

著書

  • 『ぼくの高校退学宣言—グッバイ・ハイスクール』 徳間書店、1989年1月 ISBN 9784195538494
  • 『ハイスクール「不良品」宣言—反管理教育中高生ネツトワーク・DPクラブの顛末』駒草出版、1990年6月 ISBN 9784906082346
  • 『校門を閉めたのは教師か—神戸高塚高校校門圧殺事件』駒草出版、1990年11月 ISBN 490608236X
  • 『注目すべき人物—1970年生まれの「同世代」批判』ジャパンマシニスト社、1992年11月 ISBN 9784880491028
  • 『さよならブルーハーツ—パンク日記』JICC出版局、1993年4月 ISBN 4796606076
  • 『ガキのきもちはわかるまい ブルセラ世代はどこに行く?』小田公美子、落合Q太郎、きむ・むい寺澤有、深沢薫、藤井誠二、藤井良樹、町田直子との共著 風雅書房、1994年 ISBN 9784894240278
  • 『見えない銃—外山恒一、孤軍奮闘の軌跡/だいたい全記録 』出版研、1995年12月(1990年代初頭までの、単行本未収録の論文やエッセイをまとめたもの)ISBN 4879690651
  • 『ヒット曲を聴いてみた—すると社会が見えてきた』(共著)駒草出版 、1998年4月 ISBN 4906082467
  • 『最低ですかーっ!—まったく新しい政治犯 外山恒一語録』不知火書房、2004年12月 ISBN 488345066X
  • 『青いムーブメント―まったく新しい80年代史』彩流社、2008年5月ISBN 9784779113369
  • 『ポスト学生運動史―法大黒ヘル編 1985~1994』 彩流社、2010年1月 ISBN 477911487X
  • 『政府転覆 余は如何にして東京都知事候補となりし乎』上・下巻 わけあり堂、2011年(電子書籍)
  • 『デルクイ01 反体制右翼マガジン』 彩流社、2011年2月 ISBN 4779115639
  • 『デルクイ02 左右混淆反体制マガジン』 彩流社、2013年11月 ISBN 4779119375
  • 『良いテロリストのための教科書』 青林堂、2017年9月 ISBN 4792606039
  • 『全共闘以後』イースト・プレス、2018年8月 ISBN 4781617190 改訂版2018年12月
  • 『政治活動入門』百万年書房、2021年3月 ISBN 9784910053219

脚注

  1. ^ 外山恒一氏インタビュー「東京都知事選に出て誤算だったこと」 ハフィントンポスト、2015年9月25日(JST)閲覧
  2. ^ 2008 United States Presidential Candidate from Japan YouTube、2018年2月26日(JST)閲覧
  3. ^ 政治が嫌いと言える合宿〜外山合宿19期レポート〜”. note(ノート). 2022年3月21日閲覧。
  4. ^ 『良いテロリストのための教科書』 青林堂 p15
  5. ^ 『良いテロリストのための教科書』 青林堂 p15
  6. ^ 『良いテロリストのための教科書』 青林堂 p194
  7. ^ 『良いテロリストのための教科書』 青林堂 p197
  8. ^ 「中国に朝貢せよ」でプチ炎上した外山恒一。その真意は「ほめ殺し」だった!?【1万字インタビュー】 (3/4)”. 日刊SPA!. 扶桑社 (2016年8月16日). 2020年2月27日閲覧。
  9. ^ 『良いテロリストのための教科書』 青林堂 p186-187
  10. ^ “道交法違反 「身勝手」被告に求刑の8倍判決 鹿児島地裁”. 毎日新聞. (2007年10月5日). オリジナルの2007年10月6日時点におけるアーカイブ。. https://megalodon.jp/2007-1005-1631-01/mainichi.jp/select/jiken/news/20071005k0000m040179000c.html 
  11. ^ 『良いテロリストのための教科書』 青林堂 p198~199
  12. ^ 我々少数派「第三回・外山恒一賞 受賞者発表」2013年05月05日(日)アメーバブログ 2013年5月閲覧
  13. ^ 外山恒一”. www.warewaredan.com. 2020年5月12日閲覧。
  14. ^ 『第十回・外山恒一賞 受賞者発表』”. 我々少数派. 2021年3月29日閲覧。

関連項目

出典