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*禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.326 1985年 |
*禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.326 1985年 |
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2021年8月11日 (水) 01:15時点における版
偃渓広聞 | |
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淳熙16年 - 景定4年6月14日 (1189年 - 1263年7月20日) | |
諡号 | 仏智禅師 |
生地 | 福州官侯県(福建省福州市) |
宗派 | 臨済宗大慧派 |
師 | 浙翁如琰 |
弟子 |
雲峰妙高、鉄鏡至明、南山 寿 止泓 鑑、草堂 隆 |
偃渓広聞(えんけいこうもん、淳熙16年(1189年) - 景定4年6月14日(1263年7月20日)は、宋で活動した臨済宗大慧派の禅傑である。大慧下4世。
淳熙16年(1189年)に福州官侯県(現在の浙江省福州市周辺)で生誕した。俗姓は林氏。嘉泰元年(1201年)18歳の時に寧国府宛陵光考寺で出家し、鉄牛印に参禅し、径山の浙翁如琰の許に移って趙州洗鉢の公案で開悟した。紹定元年(1228年)慶元府浄慈寺住持となり、次いで香山智度寺、径山寺の席を薫する。淳祐5年(1245年)雪宝資聖寺に勅住、同8年(1248年)阿育王寺、同11年臨安浄慈寺、宝祐2年(1254)年に霊隠寺の住持を経て再び径山寺で法を弘めた。景定4年6月14日(1263年7月20日)に帰源した。語録として偃渓和尚語録がある。法嗣は雲峰妙高ら5名を数える。
参考文献
- 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.326 1985年
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