コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「偃渓広聞」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Robot: ウィキ文法修正 2: <br/>タグの違反
1行目: 1行目:
{{Infobox Buddhist
{{Infobox Buddhist
|名前=偃渓広聞
|名前=偃渓広聞
|生没年=[[淳熙]]16年 - [[景定]]4年[[旧暦6月14日|6月14日]]</br>([[1189年]] - [[1263年]][[7月20日]])
|生没年=[[淳熙]]16年 - [[景定]]4年[[旧暦6月14日|6月14日]]<br />([[1189年]] - [[1263年]][[7月20日]])
|諡号=仏智禅師
|諡号=仏智禅師
|尊称=
|尊称=
11行目: 11行目:
|寺院=
|寺院=
|師=[[浙翁如琰]]
|師=[[浙翁如琰]]
|弟子=雲峰妙高、鉄鏡至明、南山 寿</br>止泓 鑑、草堂 隆
|弟子=雲峰妙高、鉄鏡至明、南山 寿<br />止泓 鑑、草堂 隆
|著作=
|著作=
}}
}}
22行目: 22行目:
*禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.326 1985年
*禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.326 1985年


{{先代次代|[[臨済宗]]大慧派|1225 - 1263|[[浙翁如琰]]|雲峰妙高</br>止泓 鑑}}
{{先代次代|[[臨済宗]]大慧派|1225 - 1263|[[浙翁如琰]]|雲峰妙高<br />止泓 鑑}}


{{Normdaten}}
{{Normdaten}}

2021年8月11日 (水) 01:15時点における版

偃渓広聞
淳熙16年 - 景定4年6月14日
(1189年 - 1263年7月20日)
諡号 仏智禅師
生地 福州官侯県(福建省福州市
宗派 臨済宗大慧派
浙翁如琰
弟子 雲峰妙高、鉄鏡至明、南山 寿
止泓 鑑、草堂 隆
テンプレートを表示

偃渓広聞(えんけいこうもん、淳熙16年(1189年) - 景定4年6月14日1263年7月20日)は、で活動した臨済宗大慧派の禅傑である。大慧下4世。

淳熙16年(1189年)に福州官侯県(現在の浙江省福州市周辺)で生誕した。俗姓は林氏。嘉泰元年(1201年)18歳の時に寧国府宛陵光考寺で出家し、鉄牛印に参禅し、径山の浙翁如琰の許に移って趙州洗鉢の公案で開悟した。紹定元年(1228年)慶元府浄慈寺住持となり、次いで香山智度寺、径山寺の席を薫する。淳祐5年(1245年)雪宝資聖寺に勅住、同8年(1248年)阿育王寺、同11年臨安浄慈寺宝祐2年(1254)年に霊隠寺の住持を経て再び径山寺で法を弘めた。景定4年6月14日1263年7月20日)に帰源した。語録として偃渓和尚語録がある。法嗣は雲峰妙高ら5名を数える。

参考文献

  • 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.326 1985年
先代
浙翁如琰
臨済宗大慧派
1225 - 1263
次代
雲峰妙高
止泓 鑑