「味園博和」の版間の差分
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高校卒業後は、[[東都大学野球連盟|東都]]の[[専修大学硬式野球部|専修大学]]に進学。[[捕手]]として、後に[[広島東洋カープ|広島]]からドラフトされた同期の[[小林幹英]]や1学年後輩の[[黒田博樹]]をリードする。<br /> |
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1年秋からは2部リーグで複数の捕手での併用であったが、4年秋の入替戦に勝利した。 |
1年秋からは2部リーグで複数の捕手での併用であったが、4年秋の入替戦に勝利した。 |
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2021年6月11日 (金) 01:11時点における版
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県 |
生年月日 | 1973年4月11日(51歳) |
身長 体重 |
174 cm 85 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
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この表について
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味園 博和(みその ひろかず、1973年4月11日- )は、千葉ロッテマリーンズに所属するチームスタッフ(ブルペン捕手)。背番号93。
経歴・人物
鹿児島実業高時代は、春夏合わせて通算4回甲子園に出場[1]。3年次の1991年は、春のセンバツと夏の選手権に春夏連続で出場。夏の選手権では、初戦となった2回戦の旭川工業高戦で2打席連続本塁打を放ち、続く3回戦の桐蔭学園高戦でも本塁打を放ち、チームのベスト4進出に貢献。その活躍が評価され、高校野球日本代表に選出[2]。高校時代の1学年先輩に内之倉隆志がいる。
高校卒業後は、東都の専修大学に進学。捕手として、後に広島からドラフトされた同期の小林幹英や1学年後輩の黒田博樹をリードする。
1年秋からは2部リーグで複数の捕手での併用であったが、4年秋の入替戦に勝利した。
大学卒業後、1996年に社会人野球のデュプロに入団。社会人時代は、午前中にOA機器全般の営業を担当し、午後に練習するという生活を送る[1]。すぐに捕手としての頭角を現し、レギュラーを獲得。2000年、27歳の時にバッテリーコーチ兼選手となる[1]。2003年から6年連続で都市対抗野球大会に出場(自チームで1回、大阪ガスの補強で1回、日本生命の補強で4回)[2]。
2008年6月、同年シーズンをもってデュプロの廃部が発表される[1]。そんな中、デュプロから千葉ロッテマリーンズに入団していた松本幸大を介して松本尚樹スーパーバイザーから、キャッチング能力とコミュニケーション能力が評価されブルペン捕手としてチームスタッフ契約の打診がある[1]。悩んだ末に、内之倉や黒田の後押しもあり入団を決意[1]。2009年シーズンから、千葉ロッテでブルペン捕手を務める。プロ経験のない選手がブルペン捕手を務めるのは異例。
ブルペン捕手として心がけていることは「とにかく投手に気持ち良く投げてもらうこと」と語っている[2]。
詳細情報
背番号
- 93 (2009年 - )
脚注
関連項目
外部リンク
- 過去のドラフト候補一覧 - ウェイバックマシン(2003年11月19日アーカイブ分) - 1991年ドラフト候補・高校生編
- 高校野球全日本メンバー - ウェイバックマシン(2018年11月7日アーカイブ分)