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[[大阪府]][[大阪市]]出身。[[大阪府立千里高等学校]]、[[京都大学大学院経済学研究科・経済学部|京都大学経済学部]]卒業、[[京都大学大学院農学研究科・農学部|京都大学大学院農学研究科]]農林経済学専攻修士課程中退。[[近畿大学]][[文芸学部]]助教授、[[桐朋学園芸術短期大学]]演劇専攻准教授を歴任。 |
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劇作、演出、役者、照明を手がける製作者。京都の舞台芸術活性化のため「[[京都舞台芸術協会]]」の設立に参加するなど積極的な活動を行っている。戯曲は英語、ドイツ語、ロシア語、インドネシア語に翻訳され海外でも上演されている。元[[日本劇作家協会]」[[京都]]支部長。 |
劇作、演出、役者、照明を手がける製作者。京都の舞台芸術活性化のため「[[京都舞台芸術協会]]」の設立に参加するなど積極的な活動を行っている。戯曲は英語、ドイツ語、ロシア語、インドネシア語に翻訳され海外でも上演されている。元[[日本劇作家協会]]」[[京都]]支部長。 |
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高校時代には野球部に所属していた。 |
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2021年5月29日 (土) 00:12時点における版
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鈴江 俊郎(すずえ としろう、1963年 - )は、日本の劇作家、演出家、俳優。office 白ヒ沼代表。
大阪府大阪市出身。大阪府立千里高等学校、京都大学経済学部卒業、京都大学大学院農学研究科農林経済学専攻修士課程中退。近畿大学文芸学部助教授、桐朋学園芸術短期大学演劇専攻准教授を歴任。
劇作、演出、役者、照明を手がける製作者。京都の舞台芸術活性化のため「京都舞台芸術協会」の設立に参加するなど積極的な活動を行っている。戯曲は英語、ドイツ語、ロシア語、インドネシア語に翻訳され海外でも上演されている。元日本劇作家協会」京都支部長。
高校時代には野球部に所属していた。
経歴
- 大学在学中に「劇団その1」を結成、演劇活動を始める。
- 1989年『区切られた四角い直球』で、第4回テアトロ・イン・キャビン戯曲賞を受賞 。
- 1993年「劇団八時半」を結成。京都を拠点に活動。
- 1994年より、松田正隆、土田英生と編集部を結成して戯曲創作雑誌『LEAF』を発行。
- 1995年『零れる果実』で、第2回シアターコクーン戯曲賞を受賞。同年『ともだちが来た』で、第2回OMS戯曲賞受賞。
- 1996年『髪をかきあげる』で、第40回岸田國士戯曲賞受賞。
- 2003年『宇宙の旅、セミが鳴いて』で、文化庁芸術祭賞大賞を受賞。
- 2007年11月「劇団八時半」の活動を休止。同年12月に「office 白ヒ沼」を設立。