「千曲バス」の版間の差分
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2021年5月29日 (土) 00:01時点における版
千曲三線(現在の車両) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | センバス、チクバス |
本社所在地 |
日本 〒385-0053 長野県佐久市大字野沢20番地 北緯36度13分22.1秒 東経138度28分6.5秒 / 北緯36.222806度 東経138.468472度座標: 北緯36度13分22.1秒 東経138度28分6.5秒 / 北緯36.222806度 東経138.468472度 |
設立 | 1926年(大正15年)10月26日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 6100001007813 |
事業内容 |
一般乗合旅客自動車運送事業 一般貸切旅客自動車運送事業 不動産事業 自動車整備事業 他 |
代表者 | 代表取締役社長 高野 公秀 |
資本金 | 1億円 |
売上高 | 14億8000万円(2016年3月期) |
従業員数 | 180名(2016年12月現在) |
主要株主 | 株式会社グリーンキャブ |
主要子会社 |
東信観光バス株式会社 千曲観光株式会社 |
外部リンク | http://www.chikuma-bus.com/ |
千曲バス株式会社(ちくまバス)は、長野県の小諸市、佐久市、東御市、上田市などに路線を持つグリーンキャブグループのバス会社である。本社は長野県佐久市大字野沢20番地である。創業は1926年(大正15年)。車輌台数は路線バス82輌、観光バス30輌で合計112輌 。
沿革
創業期
長野県の東信地方に初めてバスが走り始めたのは、1913年に丸子と別所を結ぶ路線が丸子自動車により運行されたものに端を発する。その後、1919年4月に佐久自動車商会(小池森太郎が1918年12月に個人事業として設立)により小諸と御代田、岩村田と臼田、岩村田と望月を結ぶ路線が運行開始されたほか、小規模な事業者の設立も相次ぎ、上田市に小県自動車・片山自動車が設立されている。
1919年には佐久鉄道が小諸と小海の間を結んでいたが、鉄道利用者が佐久自動車商会の路線に転移したため、危機感を持った佐久鉄道は鉄道の合理化と同時期にバスにも参入することを決定し、1927年9月より中込と海ノ口、中込と小海、三反田と御代田を野沢経由で結ぶ路線の運行を開始した。
一方、1921年には上田市から青木・別所へ上田温泉電軌(後の上田交通)の鉄道線が開業した。当初は千曲川鉄橋が開通しておらず、1924年に千曲川鉄橋が開通して上田市内に乗り入れるまで、三好町駅と上田市街地の間は小県自動車のバスが連絡していた。この時点では鉄道とバスは協力関係にあったが、鉄道線が上田市内に乗り入れると鉄道とバスは競合関係に変わった。特に青木線と片山自動車は激しい乗客の争奪戦を展開することになった。
1926年10月26日、小池森太郎は会社組織によるバス事業に変更するため小池自動車を設立し、佐久自動車商会のバス事業を承継した。これが千曲バスの直接のルーツとなる。その後も路線網を拡大してゆくが、不況の影響もあり、新車導入も満足に出来なかったという[1]。
1920年代後半に入ると、小規模なバス事業者が次々と設立され、佐久平のバス路線網は拡大されてゆくが、その一方で競合も激しいものとなった。
自主統合から戦時統合へ
1933年には鉄道省は佐久鉄道の国有化を決定、佐久鉄道のバス事業については三反田以北は小池自動車に、中込以南の路線は1934年に野沢を拠点として新設された佐久自動車に譲渡された。
事業者同士の競合による疲弊が発生し、1931年に自動車交通事業法が公布されると、自主統合の気運が高まり、小池自動車も小規模なバス事業者を買収することで営業エリアを拡大していった。しかし、佐久鉄道が国有化され小海線になると運賃が下げられたため、逆にバスの利用者が鉄道に転移する事例も見られた[2]。また、1936年には小諸と中込を結ぶバス路線が小池自動車・佐久自動車の双方に免許交付され、新たな競合も生み出されることになった。
こうした中、小池自動車は1937年に資本金を16万円に増資のうえ、商号を千曲自動車代表取締役社長相馬朝四郎に変更している。
一方、上田市での鉄道とバスの競合は、折りしも昭和の大恐慌により経営が悪化、さらに1938年に併用軌道区間の県道の借用期限が切れたため青木線の運行継続が不可能になったことから、青木線は廃止となった。直接的な廃止理由は借用期限切れであったものの、乗客争奪戦が繰り広げられていたことから、バスに敗れ去った鉄道の事例として挙げられることがある[1]。しかし、青木線を廃止した上田温泉電軌は、逆に片山自動車など数社を買収し、自社のバス部門とした。1939年に上田電鉄に社名変更している。
やがて第二次世界大戦に突入、1940年には千曲自動車が佐久自動車の全路線を買収するなど、統合はさらに進められるようになる。1941年までに東信地方のバス事業者は千曲自動車・東信自動車・上田電鉄)の3社に集約されることになった。さらに燃料事情の悪化に伴い、不要不急路線や鉄道並行路線などが休止された。
そして、1942年には鉄道省通牒により強制統合が進められることとなったが、長野県では大きく6ブロックに分けられることとなり、このうち東信ブロックは千曲自動車が統合主体と選定された。これに伴い、1943年には東信自動車と上田電鉄(1943年10月に丸子鉄道と合併し上田丸子電鉄に社名変更)のバス部門を買収合併し、東信地方のバス事業者は一部に省営自動車が残る以外は、ほぼ千曲自動車に一本化されたのである。
戦後の復興と発展
終戦時点で、千曲自動車の車両数は61台[3]であったが、いずれも代用燃料車両であり、戦時中の酷使により老朽化も著しかった。1948年から代用燃料車の置き換えを開始、同年には新車12台が導入された。この前年の1947年には、松本電気鉄道(現在のアルピコ交通)との相互乗り入れにより松本と上田を結ぶ路線の運行を開始、また自社路線でも1949年から上田と臼田を小諸経由で直通運行を開始した。
1950年代後半に入るとさらに長距離路線の新設が進み、1958年には臼田と長野を結ぶ特急佐久長野線を川中島自動車との相互乗り入れにより開始、1959年には初の県外路線として小諸と甲府を結ぶ急行甲府線を山梨交通との相互乗り入れにより開設した。また、1965年には特急軽井沢線として、長野と軽井沢を結ぶ路線の運行も開始している。
一方、関連事業もこの時期より開始している。千曲自動車では観光開発に着眼し、松原湖に土地を取得した上で旅館「松原館」の営業を開始し、食堂や貸しボートなどの運営も行った[4]。
バス路線網が拡大されてゆく中、1960年代には車掌不足が顕在化したため、(1966年相馬朝四郎死去により社長退任)1968年12月の青木線から整理券方式のワンマン化が開始された。その後も順次ワンマン化は進められ、1972年までに基幹路線はほぼワンマン化された。道路事情により車掌乗務のまま残った路線についても1982年までにワンマン化されている。
モータリゼーションの進展
1970年代に入ると、モータリゼーションや過疎化の進行により、バス利用者は減少の一途をたどることになる。また、信越本線電化によって鉄道輸送事情が改善されたことから、信越本線と並行する路線では大幅に利用者が減少した。このため、長距離路線の運行は1973年までに休止となった。
その一方で、利用者減少を埋め合わせるべく、沿線に存在する観光資源を活用することになり、白樺湖や高峰高原への路線が新設された。また、関連事業の拡大にも積極的に取り組み、ホテル・レストハウス・タクシー・自動車整備・広告代理店などの関連会社新設や買収などを行った。また、1970年4月には上信電鉄中込営業所を譲り受け、貸切バス専業の千曲交通として営業を開始した[5]。
しかし、バス利用者の減少には歯止めがかからず、千曲バスの経営を圧迫し、経営危機に陥ることになった。この時期、長野県内ではどのバス事業者も苦しい状況であり、1983年には川中島自動車が会社更生法の適用を申請する有様であった。千曲自動車においても銀行から新規の融資を受けるのも難しい状況に陥った[6]。
1981年には労使合意の上で再建を図る方針となり、同年10月より経営改善計画が実施されることになり、関連事業はさらに強化され、カプセルホテル・ラーメン屋(くるまやラーメン佐久店)・宅地販売などを手がけることになった。翌1982年6月、商号を千曲バスに変更している。また、観光に関連して、1982年にボンネットバスを他社から購入し、中山道宿場巡りの定期観光バスや白樺高原の観光路線で運行を行った[5]。
また、不採算路線の整理も営業所の統廃合も進められた。1982年7月に川上村村内の千曲バス路線を村営バスに代替した。これが初年度から黒字運営となったことから、1983年以降は北相木村・南相木村・小海町・望月町・東部町・佐久町(当時)・青木村の千曲バス路線を自治体の運行による代替バスに移管するなど、過疎バス対策を進めていった[7]。
1986年には代替バス補助金制度の変更により貸切バス免許による代替が認められたことを受け、同年10月に東信観光バスを設立し、以後の代替バスは町村営バス移管だけではなく、東信観光バスによる貸切代替バスによっても進められることになった。この時、中型・小型貸切バス事業も東信観光バスに移管している。
グリーンキャブ傘下へ
しかし、経営状態は改善の兆しを見せず、1986年末の時点で長期債務を含めて16億円もの赤字を抱え、経営状態は極限に達しており[8]、車両整備もままならない状況[9]となっていた。
この時点で、千曲バスには以下の3つの選択肢しか残されていなかった。
- 整備部門の別会社化による自主再建
- 東京のタクシー会社・グリーンキャブの支援を受ける
- 会社更生法の適用申請
社内でも意見は分かれ[8]、労働組合ではグリーンキャブの資本が入ることに反発し、1988年に長期にわたるストライキを行ったが、自主再建は困難と判断されたことから、長野県が仲介に入る形で労使紛争を収拾させ、同年3月からグリーンキャブの支援を受けることになり、これに伴う経営改善計画が1989年3月までに順次行われた。1990年からは路線バスの冷房化も開始された。
この時期、日本全国でブームの如く高速バス路線の開設が行われていたが、千曲バスも上信越自動車道の延伸を見据えて、1988年から1989年にかけて京浜急行電鉄と共同で往復タイプの帰郷バスを運行した[8]。この実績から、1991年7月8日より千曲バス初の高速バス路線として、池袋と小諸を結ぶ高速バス路線を西武バスとの共同運行により開始した。上信越自動車道が佐久インターチェンジまで開通した1993年には軽井沢・上田・佐久を結ぶ3系統に発展させている。
2004年には、別会社であった千曲交通を吸収合併した。
年表
- 1926年 - 小池自動車として創業。
- 1937年 - 千曲自動車に改称する。
- 1940年 - 北佐久郡・南佐久郡内の乗合自動車業者を統合。これにより両郡唯一の乗合自動車業者となる。
- 1941年 - 佐久自動車を買収統合。
- 1943年 - 東信自動車、上田丸子電鉄のバス部門をそれぞれ統合。これにより長野県東信地区唯一の乗合自動車業者となる(戦後上田丸子電鉄がバス事業を再開し高原自動車が設立されるまで続く)。
- 1988年 - グリーンキャブ(東京のタクシー会社)の傘下に入る。
- 2006年12月1日 - 高速長野線の川中島古戦場バス停を開設。
バス路線
高速バス
一般路線の状況が厳しい中、収益性の高い高速バスは同社の屋台骨的存在となりつつある[10]。1991年7月8日に池袋への高速バス路線の運行を開始しているが、当初は1日2往復であったものが、2009年現在は3系統あわせて14往復にまで増便されている。また、2008年4月25日からは多摩地区への高速バスの運行を開始しているが、これは立川に道場のある宗教団体の信者が長野県に多いことも動機の1つとなったという[11]。
2016年9月30日をもって長野特急線(佐久 - 長野)を廃止した。
< >内は共同運行会社
- 立川方面 (立川線)
路線バス
グリーンキャブ傘下に入る前の1986年時点では、野沢・小諸・上田の他に小海・望月・田中・祢津・青木・丸子・武石にも営業所があり、さらにその営業所に属する車庫があった[12]。また、同社直営ホテル「松原館」も営業所として分類されており、送迎車として路線車が1台配置されていた[12]。その後、営業所の統廃合が行われ、2015年現在では2営業所(小諸・上田)体制となっている。
年々経営を取り巻く状況は厳しさを増していて、不採算路線を市町村営のコミュニティバスや子会社である東信観光バスへの移管、路線廃止、一部路線の運賃値下げなどの手立てを講じたものの改善されるまでには至らず、路線数も運行本数も減少の一途を辿っている。
自社運行路線
岩村田 - 佐久平駅 - 塩名田 - 望月バスターミナル - (←東信運転免許センター) - 立科町役場前
- 立科町役場からの便のうち2本は東信運転免許センターを経由する。
中込駅 - 野沢バスセンター - 前山 - (ヘルシーライフ佐久南) - 相浜 - 八幡 - 望月バスターミナル
- 中込→望月方面は5本、望月→中込方面は月~金曜日運転が3本、火曜・木曜のみ運転の便が2本ある。
御代田駅 - 小田井上宿 - 浅間病院
- 朝に御代田→浅間病院が1便、夕方に浅間病院→御代田駅行きが2便運行される。
- 白駒線
佐久平駅 - 佐久穂町農産物直売所 - 八千穂駅 - 大石 - 別荘地管理棟 - 白駒池入口 - 麦草峠
下秋和車庫 - 上田駅 - 大屋駅 - 長瀬 - 丸子修学館高校入口 - 丸子駅 - 梨の木 - 宮沢(霊泉寺入口) - 鹿教湯温泉 - 鹿教湯車庫
- 上田-松本線
上田駅 - 生島足島神社 - 鹿教湯温泉 - 松本バスターミナル
- 土休日と8月の毎日運行。上記停留所のみ停車する。
下秋和車庫 - 房山 - 上田駅 - 上田原駅前 - 三ッ角 - 小泉 - 当郷 - 青木バスターミナル
- 青木バスターミナル発の朝2便と最終便は房山止まりとなる。
下秋和車庫 - 上田駅 - 三ッ角 - 小泉 - ささらの湯 - 入組(上室賀)
下秋和車庫 - 上田駅 - 笹井 - 町吉田 - 中吉田坂上
下秋和車庫 - 上田駅 - 大屋駅 - 長瀬 - 丸子修学館高校入口 - 丸子駅 - 依田窪広域プール入口 - 浦二本木 - 中居/中権現 - 下築地 - 築地原 - 巣栗上
- もともと千曲バスが運行していた路線だが、不採算路線のため1980年代に一旦は武石村の自治体バスに転換された。しかし2004年に平成の大合併で武石村が上田市に合併されたため再度千曲バスが運行を行うこととなり、同時に武石村内のみの運行だったバスが上田市街まで直通するようになった。
- 浦二本木⇔下築地間では、バスは中居か中権現のいずれかを経由する。
- この路線は武石側を基準としてダイヤが組まれているため、上田市街からバスを利用してその日のうちに武石側を往復することはできない。
東信観光バス委託路線
- 中仙道線
大屋駅 - (シャトーメルシャン椀子ワイナリー) - 虎御前 - 牛鹿 - 立科町役場前
- 日中の3往復がシャトーメルシャン椀子ワイナリーを経由する。
- 丸子線[15]
丸子駅 - 虎御前 - 牛鹿 - 立科町役場前
- 春日線[15]
望月小学校 - 望月バスターミナル - 望月中学校前 - 川久保 - 比田井 - 本郷 - 岩下
望月小学校 - 望月バスターミナル - 望月中学校前 - 片倉 - 比田井 - 本郷 - 湯沢上
- それぞれのバス路線が1日1往復ずつ運行される。
- この路線は岩下・湯沢上側を基準としてダイヤが組まれているため、望月側からバスを利用してその日のうちに終点側へ往復することはできない。
- 久保通線[15]
(東信運転免許センター - )望月バスターミナル - 印内 - 北御牧支所前 - 田中駅
- 4往復が運行されるが、水曜日の1往復が東信運転免許センターまで延長運転される。
- 布施線[15]
望月小学校 - 望月バスターミナル - 布施温泉 - 大木上
- 望月小学校発は平日の毎日運行されるが、大木上発は火曜・木曜のみ運行となる。
市町村コミュニティバス(受託運行)
佐久医療センター - 北中込駅前 - 佐久市役所 - 岩村田駅前 - 佐久平駅 - 佐久大学前 - 佐久医療センター
佐久医療センター - 中込駅 - 野沢バスセンター - 佐久総合病院 - 臼田駅 - 中込駅 - 佐久市役所 - 佐久医療センター
- 立科町シラカバ線(東信観光バスにより運行)
立科町役場前 - 長門牧場 - 女神湖 - 蓼科牧場 - 東白樺湖
- 軽井沢町内循環バス(西コース) [17]
(往路)三ツ石公民館 - 追分 - 借宿 - 信濃追分駅 - 中軽井沢駅 - 軽井沢病院(- 中学校前 - 高校前 - 高校東)
(復路)軽井沢病院 - 中軽井沢駅 - 借宿 - 信濃追分駅 - 追分 - 三ツ石公民館
廃止バス路線
野沢営業所(廃止)管内
- 佐久上田線(旧区間)
- 終点が下秋和に延長されたのを機に分割された。
- 佐久小海線
臼田勝間 - 八千穂駅 - 小海駅
- 中山道線
芦田役場前 - 大屋駅 - 上田駅
- 「芦田役場前」は現在の立科町役場に相当する。
- 芦田⇔大屋駅間は東信観光バスへ移管の上現在も運行中。
- 内山線
野沢バスセンター - 中込駅 - 本郷産業会館前 - 苦水 - 初谷(しょや) - 志賀牧場 - 内山牧場
- 川上線
八千穂駅 - 小海駅 - 信濃川上駅 - 梓山
- 信濃川上駅⇔梓山間は川上村営バスに転換された。詳細は川上村の「川上村営バス」の項を参照。
- 臼田長野線
- 軽井沢長野線(後述)の区間便に相当する。[20]
- 鹿沢温泉線
- 白樺湖線
岩村田 - 佐久平駅 - 望月 - 立科町役場前 - 蓼科牧場 - 東白樺湖 - 西白樺湖
- 現在、立科町役場前⇔東白樺湖間は立科町コミュニティバスのシラカバ線(前述)に引き継がれている。
- 上区線
羽黒下駅 - 千曲病院 - 影
- 大日向線
羽黒下駅 - 余地入口 - 臼石荘
- 合同庁舎線[15]
中込駅 - 合同庁舎
- 朝夕1往復のみ運行されていた。
中込駅 - 野沢営業所 - 大沢農協前 - (地家) - 大沢新田
浅間総合病院 - 岩村田 - 新子田 - 志賀中宿 - 車庫前(駒込)
浅間総合病院 ← 岩村田 - 東中学校入口 - 中安原 - 東小学校入口 - 香坂 - 東地
小諸営業所管内
- 軽井沢長野線
- 北国街道線
軽井沢駅 - 小諸駅 - 上田駅
- 上記の軽井沢長野線の区間便に相当する。北国街道を運行する路線だった。
- 小諸甲府線
小諸駅 - 中込駅 - 小海駅 - 小淵沢駅 - 韮崎駅 - 甲府駅
- 山梨交通との共同運行だった。
- 夢の平線
小諸駅 - 夢の平
- 菱野温泉線
小諸駅 - 菱野温泉
- 浅間線
小諸駅 - 浅間山荘
- 浅間山の火山活動に伴い、立入制限などの影響から廃止された。
- 望月上田線
望月バスターミナル - 田中駅 - 上田駅
- 川辺線
小諸駅 - 久保 - 宮沢
- 望月小諸線
小諸駅 - 塩名田 - 望月バスターミナル - 芦田役場前 - (蓼科高校前)
- 浅間・高峰高原線
佐久平駅 - 小諸駅 - きのこの森 - 高峰温泉
- 湯の丸高原線
佐久平駅 - 小諸駅 - 牧家 - 新張 - 奈良原 - 湯の丸高原
- 祢津線(鹿沢線)[15]
田中駅 - 市民病院 - 祢津小学校 - 新張 - 奈良原
上田営業所管内
- 鹿沢温泉線
上田駅 - 田中駅 - 湯の丸高原 - 鹿沢温泉
- 祢津線
町吉田坂上 - 祢津車庫
- 岩清水線
上田駅 - 岩清水
- 西入線
上田駅 - 西入
- 美ヶ原高原美術館・山本小屋線
上田駅 - 大屋駅 - 丸子駅 - 巣栗上 - 白樺平 - 美ヶ原高原美術館前 - 山本小屋
- 毎年7月中旬~8月中旬の約1ヶ月間(毎年運行期間は変動していた)に1日1往復のみ運行していた。約2時間と運行時間が長いため、巣栗上バス停(ドライブインの中にあり、待機所も兼ねていた)で10分ほど休憩が取られていた。
- 白樺平線
上田駅 - 大屋駅 - 丸子駅 - 巣栗上 - 白樺平
- 上記の美ヶ原高原美術館・山本小屋線が路線短縮されたもの。
- 内村温泉郷線
丸子駅 - 宮沢 - 霊泉寺温泉/大塩温泉
- 鹿教湯線の丸子駅⇔宮沢(霊泉寺温泉)の区間便に相当する。
- 鹿教湯線
上田駅 - 下之郷駅 - 生島足島神社前 - 平井寺 - 上荻窪 - 宮沢 - 大塩温泉 - 鹿教湯温泉 - 鹿教湯車庫
- 現在の上田-松本線の前身に相当する路線である。
- 王ヶ頭線
上田駅 - 奥鹿教湯 - 王ヶ頭
- 1960年代後半の数年間にわたって夏期4ヶ月間のみのみ運行される季節路線だった。
- 別所線
上田駅 - 別所温泉 上田交通別所線に並行して運行されていた。
- 青木線
- 青木村内を運行する路線だった。1980年代に青木村営バスに転換している。
- 管社線
上田駅 - 管社
- 山口線
上田駅 - 山口
- 上青木線
上田駅 - 上青木
上田駅 - 常福寺前 - 下半過
- 旧 川中島バス下半過線を路線譲渡されたもの。
東信観光バス転換路線
- 御牧原線(布下)[15]
総合支所前 - 東電前 - 温泉診療所 - 常満 - 布下 - 東電前 - 北御牧保育園 - 総合支所前
- 朝夕1往復のみ運行される路線だった。
- 御牧原線[15]
総合支所前 - 御牧台 - いちご平
- 八重原線[15]
田楽平 - 中八重原 - 北御牧保育園 - 総合支所前 - 山崎 - 総合支所前
市町村コミュニティバス(受託運行)
- 佐久市巡回バス 2017年9月30日をもって運行終了し、10月1日から佐久市循環バス(北循環・南循環)に再編された。
- 中佐都線 (内回り) 佐久市役所 - 根々井 - 塩名田 - 望月バスターミナル - 佐久平駅 - 岩村田 - 佐久総合運動公園
- 中佐都線 (外回り) 佐久総合運動公園 - 岩村田 - 佐久平駅 - 望月バスターミナル - 塩名田 - 根々井 - 佐久市役所
- 中佐都線は月曜・水曜・金曜に内回り3巡回、外回り2巡回運行されていた。
- 岸野線 (内回り) 佐久市役所 - 高瀬小学校入口 - 合同庁舎 - 中込駅 - 臼田支所 - 三家 - 岩村田 - 佐久平駅
- 岸野線 (外回り) 佐久平駅 - 岩村田 - 三家 - 臼田支所 - 中込駅 - 合同庁舎 - 高瀬小学校入口 - 佐久市役所
- 岸野線は月曜・水曜・金曜に内回り・外回りいずれも2巡回運行されていた。
- 祝日及び年末年始(12月29日~1月3日)は全便運休となっていた。
- 平根線 (内回り) 佐久市役所 - 東小学校入口 - 横根 - 浅間総合病院 - 岩村田 - 佐久市役所
- 平根線 (外回り) 佐久市役所 - 岩村田 - 浅間総合病院 - 横根 - 東小学校入口 - 佐久市役所
- 平根線は月曜・水曜・金曜に内回り・外回りいずれも2巡回運行されていた。
- 平賀線 (内回り) 佐久市役所 - 中込小学校入口 - 中込中学校入口 - 臼田駅 - 城山小学校前 - 佐久医療センター - 岩村田駅前 - 佐久平駅
- 平賀線 (外回り) 佐久平駅 - 岩村田駅前 - 佐久医療センター - 城山小学校前 - 臼田駅 - 中込中学校入口 - 中込小学校入口 - 佐久市役所
- 平賀線は火曜・木曜に内回り・外回りいずれも2巡回運行されていた。
- 中央線 (内回り) 佐久市役所 - 中込駅 - 合同庁舎 - 臼田駅 - 佐久総合病院 - 中込駅 - 岩村田駅前 - 佐久平駅 - 佐久市役所
- 中央線 (外回り) 佐久市役所 - 佐久総合病院 - 臼田駅 - 地家 - 合同庁舎 - 中込駅 - 佐久平駅 - 岩村田駅前 - 佐久市役所
- 中央線は火曜・木曜に内回り2巡回、外回り3巡回運行されていた。
- 浅科線 (内回り) 診療所・保健センター - 御牧原 - 浅科支所 - 塩名田 - 診療所・保健センター
- 浅科線 (外回り) 上原中央 - 浅科支所 - 塩名田 - 布施温泉 - 御牧原 - 診療所・保健センター
- 浅科線はいずれも東信観光バスが運行を受託していたもの。
- 浅科線は月曜・水曜・金曜に内回り・外回りいずれも2巡回運行運行されていた。
- 上田市内循環バス B運行 上田駅 - 信州医療センター - 生塚 - 下秋和 - 塩尻 - アリオ上田前
- 上田市内循環バス B運行 上田駅 - 緑が丘 - 大星東 - 染谷丘高校前 - 笠原工業前 - 上田駅
- 平日と土曜日に運行され、日祝日及び年末年始期間(12月31日~1月3日)は全便運休となる
- 運賃は一回200円で高校生以下及び身障者手帳所有者は100円となる。
車両
1988年にグリーンキャブ傘下に入るまでは、千曲バス本体では三菱・UDトラックス(旧:日産ディーゼル)の2社を主に導入し、千曲交通は日野車を導入していた。いすゞ車は1971年を最後に導入が途絶えていたが、1990年に中古車により導入を再開、近年は新車でも導入されている。また、1990年以降は千曲バス本体でも日野車の導入が行われている。
長野県内の他事業者と同じく昭和時代は冷房車の導入に消極的であり、1989年までは新車でも非冷房車が導入されていたが、1990年以降に冷房車の導入に着手、2008年に全車両の冷房化が完了した。非冷房車を置き換える過程では移籍車が主力となっていたが、この際は神奈川中央交通や成田空港交通などのバス事業者からの車両だけでなく、花王石鹸の社員送迎用の自家用車を購入したこともあった[21]。冷房車では貸切色となったが、東信観光バスの車両は冷房の有無にかかわらず全車両が貸切色であった。
2020年時点では路線バスの車両は中型車がメインとなっているが、自社発注の車両に加えて日本製鉄名古屋製鉄所の特定輸送車だった元鯱バスの日野・レインボーや自家用車から転用された車両も一定数ある。
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過去の車両:千曲バス旧塗色(K-RM80E型)
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過去の車両:高速バス運行開始当初の車両(P-DA67UE型)
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過去の車両:(左)備北バスから購入したボンネットバス(BXD30型)・(右)元花王石鹸の社員送迎用車両(K-MP118K改型)
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貸切バス
ボンネットバス
1982年には、創立55周年を記念した事業の一環として[22]ボンネットバスの運行を開始している。千曲バスのボンネットバスは1969年に既に全廃となっており[22]、備北バスからは1966年式のいすゞBXD30を[22]、伊那バスから1967年式のいすゞBXD50を譲受し[22]、前扉仕様への改造を行なった[23]上で使用することになった。
- 長野22あ11-15 いすゞBXD30 車体:川崎重工 機関:DA640 定員38名(以下「1115号車」とする)
- 長野22あ11-17 いすゞBXD50 車体:北村製作所 機関:DA640 定員62名(以下「1117号車」とする)
1115号車は路線バス標準デザインとなり、軽井沢起点の定期観光バスとして運用を開始した[23]が、1985年に小諸車庫で台風により車体が破損した[24]ため、修復の際にレモンイエロー一色に「Shirakaba Kogen」とロゴを入れた塗装デザインに変更され[23]、白樺湖や霧が峰近辺での貸切運用に使用された。一方、1117号車は当初よりレモンイエロー一色に「Yatsugatake Kogen」のロゴを入れるというデザインで[23]、野辺山駅から八ヶ岳高原への観光路線で使用された[23]。レモンイエローは、八ヶ岳山麓に自生するミヤマキンポウゲの花の色にちなんだものである[23]。2台とも、経営再建の波の中で1990年代前半には運行を終了している。
関連会社
- 東信観光バス
- 千曲ハイヤー
- 佐久ハイヤー
- ニュー交通
- 千曲観光
- 千曲パークホテル
- 小諸ステーションホテル
- 湯の丸高原ホテル
- 東部湯の丸サービスエリア下り線(株式会社レストパークちくま)
- 千曲通商
- カメレオンクラブ佐久店
- 平安堂南佐久店
- 千曲広告
脚注
脚注
出典
- ^ a b バスジャパン・ハンドブック2『千曲バス』p20
- ^ バスジャパン・ハンドブック2『千曲バス』p22
- ^ バスジャパン・ハンドブック2『千曲バス』p24
- ^ バスジャパン・ハンドブック2『千曲バス』p25
- ^ a b バスジャパン・ハンドブック2『千曲バス』p26
- ^ バスジャパン・ハンドブック2『千曲バス』p27
- ^ しかし、その後東部町では町営バスの運行継続も困難になったことから、1990年に路線と車両を東信観光バスに譲渡している。
- ^ a b c バスジャパン・ハンドブック2『千曲バス』p28
- ^ 季刊「バス・ジャパン」2号『信濃川バス紀行』における種村直樹のルポ「信濃川・千曲川バス紀行」p21では、座席がひび割れ穴が開いているままで運行に供している状況が記述されている。
- ^ バスラマ・インターナショナル108『バス事業者訪問120 千曲バス』p35
- ^ バスラマ・インターナショナル108『バス事業者訪問120 千曲バス』p36
- ^ a b 季刊「バス・ジャパン」2号『信濃川バス紀行』p33
- ^ 補助対象路線事業評価
- ^ a b c d e f g h 2013年10月1日から2019年9月30日まで上田市の運賃低減バス実証運行の対象路線だった
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 土曜・日祝日及びお盆期間、年末年始は全便運休となる。
- ^ a b c d お盆期間は土曜・日祝日のダイヤ、年末年始は特別ダイヤで運行される。
- ^ a b c d e f g h i 運賃は大人200円。小学生及び障害者手帳などを提示した際は100円、小学生未満は無料となる(ただし保護者同伴が必要)。
- ^ a b 運賃の上限が500円に設定されている。
- ^ a b c 運賃の上限が300円に設定されている。
- ^ a b 川中島バスと共同運行だった。
- ^ バスジャパン・ハンドブック2『千曲バス』p55
- ^ a b c d 季刊「バス・ジャパン」2号『信濃川バス紀行』p26
- ^ a b c d e f 季刊「バス・ジャパン」2号『信濃川バス紀行』p27
- ^ 季刊「バス・ジャパン」2号『信濃川バス紀行』p28
参考文献
- バス・ジャパン2『信濃川バス紀行』(バスジャパン刊行会・1986年)ISBN 4795277575
- バスジャパン・ハンドブック2『千曲バス』(BJエディターズ・1994年)ISBN 4795277745
- バスラマ・インターナショナル108『バス事業者訪問120 千曲バス』(ぽると出版・2008年)ISBN 9784899801085
関連項目
- 川上村営バス (千曲バスの路線を転換)
外部リンク
- 路線バスについては主要停留所の時刻表のみ掲載。三角運賃表は1枚(ほとんどは1枚につき1路線)につき、100円の証明書代を払うことで入手可能。