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「辛坊治郎」の版間の差分

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| 活動期間 = 1980年 - 現在
| 活動期間 = 1980年 - 現在
| ジャンル = [[報道番組]]<br />[[バラエティ番組]]
| ジャンル = [[報道番組]]<br />[[バラエティ番組]]
| 配偶者 = 西岡香<ref name="Nishioka” />
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| 公式サイト =
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'''辛坊 治郎'''(しんぼう じろう、[[1956年]][[4月11日]] - )は[[ニュースキャスター]]、[[シンクタンク]][[実業家|経営者]]。元[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]アナウンサー、[[報道局|報道局局長]]待遇[[解説委員#読売テレビ|解説委員長]]。妻は元読売テレビ報道局報道部記者で現・[[ラジオパーソナリティ]]の西岡香<ref name="Nishioka”>[https://www.instagram.com/p/Bvdx-jrFNwP/ 端山梨奈(ソプラノ歌手) [[Instagram]] 2019年3月26日]</ref>、実兄は株式会社大阪綜合研究所代表で元住友ファイナンスエイシア代表取締役社長の[[辛坊正記]]。
'''辛坊 治郎'''(しんぼう じろう、[[1956年]][[4月11日]] - )は[[ニュースキャスター]]、[[シンクタンク]][[実業家|経営者]]。元[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]アナウンサー、[[報道局|報道局局長]]待遇[[解説委員#読売テレビ|解説委員長]]。妻は元読売テレビ報道局報道部記者で現・[[ラジオパーソナリティ]]の西岡香<ref name="Nishioka">[https://www.instagram.com/p/Bvdx-jrFNwP/ 端山梨奈(ソプラノ歌手) [[Instagram]] 2019年3月26日]</ref>、実兄は株式会社大阪綜合研究所代表で元住友ファイナンスエイシア代表取締役社長の[[辛坊正記]]。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
=== 生い立ち ===
[[鳥取県]][[米子市]]出身。男2人兄弟の二男として生まれる<ref name="s20061026">[https://archive.fo/O0tg7 2006年10月26日配信 ニュースのウラ側: メディア論コーヒーブレイク8 (2017年11月29日時点におけるアーカイブ)]より、「関西のうどん定食」の章を参照。</ref><ref name="Hochi_1”>{{Cite news |title = 新連載スタート!誓います!尖閣諸島突撃リポート |newspaper = [[スポーツ報知]] |date = 2010-10-12 |url = http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/column/shinbou/news/20101012-OHO1T00186.htm |agency = |archiveurl =
[[鳥取県]][[米子市]]出身。男2人兄弟の二男として生まれる<ref name="s20061026">[https://archive.fo/O0tg7 2006年10月26日配信 ニュースのウラ側: メディア論コーヒーブレイク8 (2017年11月29日時点におけるアーカイブ)]より、「関西のうどん定食」の章を参照。</ref><ref name="Hochi_1">{{Cite news |title = 新連載スタート!誓います!尖閣諸島突撃リポート |newspaper = [[スポーツ報知]] |date = 2010-10-12 |url = http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/column/shinbou/news/20101012-OHO1T00186.htm |agency = |archiveurl =
http://web.archive.org/web/20101014060638/http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/column/shinbou/news/20101012-OHO1T00186.htm |archivedate = 2010-10-14 |accessdate = 2018-6-1}}</ref>。鳥取県での生活はわずか2か月で記憶が非常に薄く、[[航空自衛隊]]所属の[[自衛隊員]]である父親の転勤で[[宮城県]][[東松島市]]、[[岐阜県]][[各務原市]]と[[小学校]]入学前迄全国を転々とし<ref name="Sankei_West_1”>{{Cite news |url = https://www.sankei.com/west/news/160823/wst1608230004-n2.html |title = 【そこまで言って36年(2)】辛坊治郎さん おやじは航空自衛官 マスコミ業?「これっぽっちも考えていなかった」 |publisher = [[産経新聞大阪本社]] |date = 2016-8-23 |accessdate = 2020-11-1}}</ref>、物心がついたころから大学時代まで[[埼玉県]][[入間市]]で過ごした{{Refnest|group="注"|辛坊家の本家は[[大阪府]][[岸和田市]]が発祥としているが、辛坊の祖父が農業をするのを嫌い[[天王寺|阿倍野]]で商売を始めたため、父親が婚姻時に戸籍を作り直した際、本籍を[[大阪市]][[天王寺区]]に移していた。辛坊が父親の本籍地に所在してる建物が気になって調査したら[[パチンコ店|パチンコホール]]になっていたため、辛坊が西岡と婚姻時に本家の住所に戻したため、自身のプロフィールに記載の出身地を岸和田と表記されてる物もある。例:『ズームイン!!SUPER』公式サイトでは「大阪府岸和田市」、日本プランニングアート公式サイトでは「大阪府出身(鳥取県生まれ)」と表記してある<ref name="Hirakata_Fes”>{{YouTube|XlwvAP8VPqk|バーチャル夏祭り2020②}}</ref>}}。
http://web.archive.org/web/20101014060638/http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/column/shinbou/news/20101012-OHO1T00186.htm |archivedate = 2010-10-14 |accessdate = 2018-6-1}}</ref>。鳥取県での生活はわずか2か月で記憶が非常に薄く、[[航空自衛隊]]所属の[[自衛隊員]]である父親の転勤で[[宮城県]][[東松島市]]、[[岐阜県]][[各務原市]]と[[小学校]]入学前迄全国を転々とし<ref name="Sankei_West_1">{{Cite news |url = https://www.sankei.com/west/news/160823/wst1608230004-n2.html |title = 【そこまで言って36年(2)】辛坊治郎さん おやじは航空自衛官 マスコミ業?「これっぽっちも考えていなかった」 |publisher = [[産経新聞大阪本社]] |date = 2016-8-23 |accessdate = 2020-11-1}}</ref>、物心がついたころから大学時代まで[[埼玉県]][[入間市]]で過ごした{{Refnest|group="注"|辛坊家の本家は[[大阪府]][[岸和田市]]が発祥としているが、辛坊の祖父が農業をするのを嫌い[[天王寺|阿倍野]]で商売を始めたため、父親が婚姻時に戸籍を作り直した際、本籍を[[大阪市]][[天王寺区]]に移していた。辛坊が父親の本籍地に所在してる建物が気になって調査したら[[パチンコ店|パチンコホール]]になっていたため、辛坊が西岡と婚姻時に本家の住所に戻したため、自身のプロフィールに記載の出身地を岸和田と表記されてる物もある。例:『ズームイン!!SUPER』公式サイトでは「大阪府岸和田市」、日本プランニングアート公式サイトでは「大阪府出身(鳥取県生まれ)」と表記してある<ref name="Hirakata_Fes">{{YouTube|XlwvAP8VPqk|バーチャル夏祭り2020②}}</ref>}}。


[[入間市立豊岡中学校]]在学時に、テレビでメキシコ映画『ぼくの心はバイオリン』を視聴中に停電して結末までの15分を観ることができなかったため、放送局の[[TBSテレビ]]に結末を電話でたずねると親切に教えてもらったことに感激し、将来は放送局で働こうと決心した。
[[入間市立豊岡中学校]]在学時に、テレビでメキシコ映画『ぼくの心はバイオリン』を視聴中に停電して結末までの15分を観ることができなかったため、放送局の[[TBSテレビ]]に結末を電話でたずねると親切に教えてもらったことに感激し、将来は放送局で働こうと決心した。
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=== 読売テレビ時代 ===
=== 読売テレビ時代 ===
1980年3月、早大卒業後の同年4月、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]にアナウンサー職として入社。同期社員は元アナウンサー、スポーツ部、広報、東京事業部社員であった村田真哉{{Refnest|group="注"|共に、前述のフジテレビの社長面談選考に残った人物であった<ref name="Sankei_West_2”>{{Cite news |url = https://www.sankei.com/west/news/160824/wst1608240004-n2.html |title = 【そこまで言って36年(3)】辛坊治郎さん お尻を出して銭湯で泳いでいた「そんな男を報道に…」 |publisher = [[産経新聞大阪本社]] |date = 2016-8-24 |accessdate = 2020-11-1}}</ref>}}。後に[[近畿地方|近畿広域圏]]の中継キャスターとしてレギュラーで出演する、『ズームイン!!朝!』の気象情報読み上げで初鳴き。
1980年3月、早大卒業後の同年4月、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]にアナウンサー職として入社。同期社員は元アナウンサー、スポーツ部、広報、東京事業部社員であった村田真哉{{Refnest|group="注"|共に、前述のフジテレビの社長面談選考に残った人物であった<ref name="Sankei_West_2">{{Cite news |url = https://www.sankei.com/west/news/160824/wst1608240004-n2.html |title = 【そこまで言って36年(3)】辛坊治郎さん お尻を出して銭湯で泳いでいた「そんな男を報道に…」 |publisher = [[産経新聞大阪本社]] |date = 2016-8-24 |accessdate = 2020-11-1}}</ref>}}。後に[[近畿地方|近畿広域圏]]の中継キャスターとしてレギュラーで出演する、『ズームイン!!朝!』の気象情報読み上げで初鳴き。


以後はスポーツ実況を希望し、[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]の担当記者として活動。その後、『ズームイン!!朝!』の中継キャスターとして、8年間担当し、後述である後輩で共演者である[[森武史|森たけし]]と共に1987年の阪神タイガースの不振をボヤいた台詞「なんぎやなぁ」が第4回 新語・流行語大賞 流行語部門 銀賞を受賞し、1989年には森たけしと共に歌唱した阪神タイガースの応援歌「[[負ける気せんね]]』を発売した。
以後はスポーツ実況を希望し、[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]の担当記者として活動。その後、『ズームイン!!朝!』の中継キャスターとして、8年間担当し、後述である後輩で共演者である[[森武史|森たけし]]と共に1987年の阪神タイガースの不振をボヤいた台詞「なんぎやなぁ」が第4回 新語・流行語大賞 流行語部門 銀賞を受賞し、1989年には森たけしと共に歌唱した阪神タイガースの応援歌「[[負ける気せんね]]』を発売した。


[[1990年]]4月から、後述の理由の結果、『ニューススクランブル』のキャスターとして抜擢され、裏番組で同時間帯の視聴率でトップであった『[[MBSナウ]]』([[MBSテレビ|毎日放送]])を視聴率で抜き、同局元アナウンサーで元[[大阪市長]]であった[[平松邦夫]]に引導を渡す結果を挙げた<ref name="Sankei_West_4”>{{Cite news |url = https://www.sankei.com/west/news/160825/wst1608250008-n1.html |title = 【そこまで言って36年(4)】辛坊治郎さん 実は大阪市長“生みの親”「平松邦夫さんに引導を渡しました」 |publisher = [[産経新聞大阪本社]] |date = 2016-8-25 |accessdate = 2020-11-1}}</ref>。また、並行して[[1991年]]1月から[[1992年]]3月まで『ウェークアップ!』の総合司会を務め<ref group="注">『ウェークアップ!』放送当時からダブル司会であった[[桂文珍]]に譲り渡して降板していたが、後年、改題後の『ウェークアップ!ぷらす』を開始するに辺り、2005年4月2日から12年振りに総合司会へ復帰</ref>、[[1995年]]1月17日に発生した[[阪神・淡路大震災]]発災当日から2日間連続で放送された報道特番ではキャスターを務めた。1996年[[アメリカ合衆国広報文化交流局]]の招きで渡米し、[[アメリカ合衆国]]国内のメディア事情を視察。
[[1990年]]4月から、後述の理由の結果、『ニューススクランブル』のキャスターとして抜擢され、裏番組で同時間帯の視聴率でトップであった『[[MBSナウ]]』([[MBSテレビ|毎日放送]])を視聴率で抜き、同局元アナウンサーで元[[大阪市長]]であった[[平松邦夫]]に引導を渡す結果を挙げた<ref name="Sankei_West_4">{{Cite news |url = https://www.sankei.com/west/news/160825/wst1608250008-n1.html |title = 【そこまで言って36年(4)】辛坊治郎さん 実は大阪市長“生みの親”「平松邦夫さんに引導を渡しました」 |publisher = [[産経新聞大阪本社]] |date = 2016-8-25 |accessdate = 2020-11-1}}</ref>。また、並行して[[1991年]]1月から[[1992年]]3月まで『ウェークアップ!』の総合司会を務め<ref group="注">『ウェークアップ!』放送当時からダブル司会であった[[桂文珍]]に譲り渡して降板していたが、後年、改題後の『ウェークアップ!ぷらす』を開始するに辺り、2005年4月2日から12年振りに総合司会へ復帰</ref>、[[1995年]]1月17日に発生した[[阪神・淡路大震災]]発災当日から2日間連続で放送された報道特番ではキャスターを務めた。1996年[[アメリカ合衆国広報文化交流局]]の招きで渡米し、[[アメリカ合衆国]]国内のメディア事情を視察。


1997年人事にて、編成局アナウンス部から報道局報道部に異動。同年から{{仮リンク|ペース大学|en|Pace University}}客員研究員として留学し、翌1998年に帰国。帰国後はアナウンサー職から報道部チーフプロデューサーへ就任し、報道ドキュメンタリー番組の人事査定業務等の同職と並行する形で『報道特捜プロジェクト』(日本テレビ)のキャスターや、『元気モンTV』以後に編成された関西ローカルパートの[[朝の情報番組]]にてコメンテーターを担当。
1997年人事にて、編成局アナウンス部から報道局報道部に異動。同年から{{仮リンク|ペース大学|en|Pace University}}客員研究員として留学し、翌1998年に帰国。帰国後はアナウンサー職から報道部チーフプロデューサーへ就任し、報道ドキュメンタリー番組の人事査定業務等の同職と並行する形で『報道特捜プロジェクト』(日本テレビ)のキャスターや、『元気モンTV』以後に編成された関西ローカルパートの[[朝の情報番組]]にてコメンテーターを担当。
2000年の人事にて、報道局情報番組部長に昇進し、前述のメディア事情をまとめた処女作を上程。2001年10月から過去に辛坊が担当してた『ズームイン!!朝!』を終了させて、開始する事となった『ズームイン!!SUPER』の新聞・ニュース解説兼サブ司会に起用され、2005年4月迄東京で単身赴任生活を送っていた<ref group="注">その後は、大阪と東京の二重生活の形態に変更</ref>。2002年5月から断続的に単発特番として編成されていた、『たかじんのそこまで言って委員会』が2003年7月からレギュラー昇格となり、[[やしきたかじん]]の発言補足を行う副委員長(サブMC)として出演し、一旦番組降板しているが長きに渡って出演している。
2000年の人事にて、報道局情報番組部長に昇進し、前述のメディア事情をまとめた処女作を上程。2001年10月から過去に辛坊が担当してた『ズームイン!!朝!』を終了させて、開始する事となった『ズームイン!!SUPER』の新聞・ニュース解説兼サブ司会に起用され、2005年4月迄東京で単身赴任生活を送っていた<ref group="注">その後は、大阪と東京の二重生活の形態に変更</ref>。2002年5月から断続的に単発特番として編成されていた、『たかじんのそこまで言って委員会』が2003年7月からレギュラー昇格となり、[[やしきたかじん]]の発言補足を行う副委員長(サブMC)として出演し、一旦番組降板しているが長きに渡って出演している。


2009年10月1日付人事にて、先輩である[[岩田公雄]]の定年に伴い<ref group="注">同局特別解説委員に肩書き変更</ref>、報道局解説委員長に就任。翌2010年3月29日から、かつて同時間帯を担当していた森と共に朝の情報番組である『朝生ワイド す・またん!』のキャスターへ就任し、収録込みで全曜日に出演する事となった。しかし、同年8月に、翌9月末で読売テレビを退職して10月からシンクタンクの研究員になる旨が報道され<ref name="Yomiuri”>{{Cite news |title = 辛坊治郎さん、読売テレビを9月に退職へ |newspaper = [[読売新聞東京本社]] |date = 2010-8-3 |url = http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100802-OYT1T01377.htm |agency = |archiveurl =
2009年10月1日付人事にて、先輩である[[岩田公雄]]の定年に伴い<ref group="注">同局特別解説委員に肩書き変更</ref>、報道局解説委員長に就任。翌2010年3月29日から、かつて同時間帯を担当していた森と共に朝の情報番組である『朝生ワイド す・またん!』のキャスターへ就任し、収録込みで全曜日に出演する事となった。しかし、同年8月に、翌9月末で読売テレビを退職して10月からシンクタンクの研究員になる旨が報道され<ref name="Yomiuri">{{Cite news |title = 辛坊治郎さん、読売テレビを9月に退職へ |newspaper = [[読売新聞東京本社]] |date = 2010-8-3 |url = http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100802-OYT1T01377.htm |agency = |archiveurl =
http://web.archive.org/web/20100805140358/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100802-OYT1T01377.htm |archivedate = 2010-8-5 |accessdate = 2018-6-1}}</ref><ref name="Sponichi_1”>{{Cite news |title = 辛坊治郎氏、政界進出か…9月で読売テレビ退社へ |newspaper = |date = 2010-8-3 |url = http://www.sponichi.co.jp/society/news/2010/08/03/01.html |agency = [[スポーツニッポン]] |archiveurl =
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=== 退職以後 ===
=== 退職以後 ===
同局退職以後は、前述の様に結果的に'''フリー'''として古巣である読売テレビ以外の放送局の番組にもゲスト出演を行っており、2012年4月から古巣の読売テレビがラテ兼業で無かったため、初めて首都圏の放送局でのレギュラーかつラジオの初レギュラー番組である『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』のパーソナリティに就任。また、同番組のレギュラー放送終了から約2年後に復活し、後にレギュラー復活に返り咲いた後は、同局の調査率調査週間時の編成にて、同局のレギュラー番組に縦横断的にゲストとしてブッキングされるケースが多発している。また、後述の2013年3月に発表した読売テレビも関わるプロジェクトに参画し、その後再び番組出演を再開し、後に、NNN系列以外の放送局でもレギュラー番組を受け持つ様になったが<ref name = "ORICON_1”>{{Cite news |url = http://www.oricon.co.jp/news/2067617/full/ |title = 辛坊治郎、4月からTBSで新番組 南キャン・山里とタッグ |publisher = [[オリコン#ポータルサイト|ORICON NEWS]] |date = 2016-2-29 |accessdate = 2016-2-29}}</ref>、視聴率不調によりワンクールにて終了の運びとなった。その後、約10年に渡って出演した、『す・またん!』を2019年3月29日放送分にて、降板した<ref>{{Cite news |url = https://mantan-web.jp/article/20190319dog00m200031000c.html |title = 辛坊治郎:「す・またん!」卒業へ 野村明大アナが週5出演に |publisher = [[まんたんブロード|MANTAN WEB]] |date = 2019-3-19 |accessdate = 2019-3-20}}</ref>。
同局退職以後は、前述の様に結果的に'''フリー'''として古巣である読売テレビ以外の放送局の番組にもゲスト出演を行っており、2012年4月から古巣の読売テレビがラテ兼業で無かったため、初めて首都圏の放送局でのレギュラーかつラジオの初レギュラー番組である『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』のパーソナリティに就任。また、同番組のレギュラー放送終了から約2年後に復活し、後にレギュラー復活に返り咲いた後は、同局の調査率調査週間時の編成にて、同局のレギュラー番組に縦横断的にゲストとしてブッキングされるケースが多発している。また、後述の2013年3月に発表した読売テレビも関わるプロジェクトに参画し、その後再び番組出演を再開し、後に、NNN系列以外の放送局でもレギュラー番組を受け持つ様になったが<ref name="ORICON_1">{{Cite news |url = http://www.oricon.co.jp/news/2067617/full/ |title = 辛坊治郎、4月からTBSで新番組 南キャン・山里とタッグ |publisher = [[オリコン#ポータルサイト|ORICON NEWS]] |date = 2016-2-29 |accessdate = 2016-2-29}}</ref>、視聴率不調によりワンクールにて終了の運びとなった。その後、約10年に渡って出演した、『す・またん!』を2019年3月29日放送分にて、降板した<ref>{{Cite news |url = https://mantan-web.jp/article/20190319dog00m200031000c.html |title = 辛坊治郎:「す・またん!」卒業へ 野村明大アナが週5出演に |publisher = [[まんたんブロード|MANTAN WEB]] |date = 2019-3-19 |accessdate = 2019-3-20}}</ref>。


また、2018年2月に自身の趣味である旅行を題材とした[[YouTube]]チャンネル「”'''辛坊の旅'''”」を開設し、旅行以外にも自身のラジオ番組の再配信や企画動画にも活用いている。
また、2018年2月に自身の趣味である旅行を題材とした[[YouTube]]チャンネル「”'''辛坊の旅'''”」を開設し、旅行以外にも自身のラジオ番組の再配信や企画動画にも活用いている。
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== 人物 ==
== 人物 ==
* 妻である西岡とは辛坊と同じ職場の10年後輩で、結婚も西岡の事を辛坊の同期入社の女性職員から紹介して貰い、初めて西岡と2人きりで読売テレビが所在する[[京橋 (大阪市)|京橋]]周辺のイタリア料理店で食事をしてる時に辛坊の目の前に居た西岡に対して「結婚しようかっ」とノリで言うたら了承した結果であると明かしている<ref>{{YouTube|rGuLexDEhQ0|辛坊治郎SundayKiss「元・読売テレビアナウンサー 中元綾子スペシャル」}}</ref>。西岡は元々は同局のアナウンサー志望であったが、アナウンサー職試験で不採用の結果となり、記者職に転じて同局に採用された<ref name = "Tokumori">{{Twitter status|JiroShinbo_tabi|1319455263057870848}}</ref>。そのため、アナウンサー職について怨念を持っており、結果的に辛坊との婚姻により寿退職したが、現在居住してる[[枚方市]]の広報誌に掲載されていた[[エフエムひらかた]]開局前年である1996年に、パーソナリティの募集に応募し合格。2020年10月時点で3つの番組を担当しており<ref>{{Cite web |date = 2020-10-1 |url = http://www.kiku-fm779.com/personality/?ID=20 |title = パーソナリティ 西岡 香 |publisher = [[エフエムひらかた]] |accessdate = 2020-10-25}}</ref>、西岡が担当した番組が[[ギャラクシー賞#第27回 - 第57回|第56回ギャラクシー賞]]奨励賞を受賞している<ref>{{Twitter status|fm779|1138662081010446337}}</ref>。そのため、辛坊もエフエムひらかたの番組にゲスト出演した経験が複数回ある。また、辛坊から見て、妻として家事のセンスについてはダメな方であると評しており、その代わり情深いので特段何も言及しなくなったとしている<ref name="Hirakata_Fes” />。西岡は[[着物]]の[[着付け]]講師と[[フラダンス|フラダンサー]]として活動している。
* 妻である西岡とは辛坊と同じ職場の10年後輩で、結婚も西岡の事を辛坊の同期入社の女性職員から紹介して貰い、初めて西岡と2人きりで読売テレビが所在する[[京橋 (大阪市)|京橋]]周辺のイタリア料理店で食事をしてる時に辛坊の目の前に居た西岡に対して「結婚しようかっ」とノリで言うたら了承した結果であると明かしている<ref>{{YouTube|rGuLexDEhQ0|辛坊治郎SundayKiss「元・読売テレビアナウンサー 中元綾子スペシャル」}}</ref>。西岡は元々は同局のアナウンサー志望であったが、アナウンサー職試験で不採用の結果となり、記者職に転じて同局に採用された<ref name = "Tokumori">{{Twitter status|JiroShinbo_tabi|1319455263057870848}}</ref>。そのため、アナウンサー職について怨念を持っており、結果的に辛坊との婚姻により寿退職したが、現在居住してる[[枚方市]]の広報誌に掲載されていた[[エフエムひらかた]]開局前年である1996年に、パーソナリティの募集に応募し合格。2020年10月時点で3つの番組を担当しており<ref>{{Cite web |date = 2020-10-1 |url = http://www.kiku-fm779.com/personality/?ID=20 |title = パーソナリティ 西岡 香 |publisher = [[エフエムひらかた]] |accessdate = 2020-10-25}}</ref>、西岡が担当した番組が[[ギャラクシー賞#第27回 - 第57回|第56回ギャラクシー賞]]奨励賞を受賞している<ref>{{Twitter status|fm779|1138662081010446337}}</ref>。そのため、辛坊もエフエムひらかたの番組にゲスト出演した経験が複数回ある。また、辛坊から見て、妻として家事のセンスについてはダメな方であると評しており、その代わり情深いので特段何も言及しなくなったとしている<ref name="Hirakata_Fes" />。西岡は[[着物]]の[[着付け]]講師と[[フラダンス|フラダンサー]]として活動している。
* 『ズームイン!!朝!』担当時代に「'''なんぎやなぁ'''」が[[新語・流行語大賞#金賞以外の各賞|第4回 新語・流行語大賞 流行語部門 銀賞]]を受賞したが、この語彙は当時:[[1987年の阪神タイガース]]が[[1986年の阪神タイガース]]で[[1985年の阪神タイガース|1985年の日本一]]時のレギュラー選手の退団やレギュラー選手の不祥事や負傷により優勝戦線の離脱から始まり、プロ野球ファンの俗称である'''暗黒時代'''<ref name="Sanspo”>{{Cite news |url = https://www.sanspo.com/baseball/news/20190402/tig19040210000011-n1.html |title = 【平成の虎から令和の虎へ】 阪神の「暗黒時代」は「平成」とともに始まった |publisher = [[サンケイスポーツ]] |date = 2019-4-2 |accessdate = 2020-10-1}}</ref>の入口に突入してた時期で、番組コーナーである「プロ野球いれコミ情報」の番組構成上、露骨なえこ贔屓で[[読売ジャイアンツ]]中心に時間尺を割かれていて、読売テレビパートの時間尺の縮減を防ぐため、[[森武史|森たけし]]とスタッフとの宴席で打合せして産み出した語彙であった<ref name = "Tokumori" />。また、同コーナーでタイガース贔屓の応援をしていたが、辛坊自身としてはチームのファンと言うよりも出身大学の[[早稲田大学野球部]]出身選手である[[岡田彰布]]のファンだったと明かしている。
* 『ズームイン!!朝!』担当時代に「'''なんぎやなぁ'''」が[[新語・流行語大賞#金賞以外の各賞|第4回 新語・流行語大賞 流行語部門 銀賞]]を受賞したが、この語彙は当時:[[1987年の阪神タイガース]]が[[1986年の阪神タイガース]]で[[1985年の阪神タイガース|1985年の日本一]]時のレギュラー選手の退団やレギュラー選手の不祥事や負傷により優勝戦線の離脱から始まり、プロ野球ファンの俗称である'''暗黒時代'''<ref name="Sanspo">{{Cite news |url = https://www.sanspo.com/baseball/news/20190402/tig19040210000011-n1.html |title = 【平成の虎から令和の虎へ】 阪神の「暗黒時代」は「平成」とともに始まった |publisher = [[サンケイスポーツ]] |date = 2019-4-2 |accessdate = 2020-10-1}}</ref>の入口に突入してた時期で、番組コーナーである「プロ野球いれコミ情報」の番組構成上、露骨なえこ贔屓で[[読売ジャイアンツ]]中心に時間尺を割かれていて、読売テレビパートの時間尺の縮減を防ぐため、[[森武史|森たけし]]とスタッフとの宴席で打合せして産み出した語彙であった<ref name = "Tokumori" />。また、同コーナーでタイガース贔屓の応援をしていたが、辛坊自身としてはチームのファンと言うよりも出身大学の[[早稲田大学野球部]]出身選手である[[岡田彰布]]のファンだったと明かしている。
* 辛坊自身曰く、読売テレビ入社前後でもニュースキャスターを目指していなかった。『ズームイン!!朝!』の初代総合司会であった[[徳光和夫]] が1985年の夏季休暇取得時の代理総合司会が当時はネット局アナウンサーの持ち回り担当であった為、辛坊が担当する日の前日に1985年8月13日に発生した[[日本航空123便墜落事故]]の続報を伝える『NNN報道特別番組』に徳光が休暇を切り上げて戻らずキャスターを担当した事で、番組を見ていた当時の読売テレビの経営陣や編成の人間に「辛坊は報道が出来る素養があるんじゃないの?!」と覚えられた。その実績により、後年徳光が『[[NNNニュースプラス1]]』の[[NNN]]系列全国向けのメインキャスターを担当していた事で、当時:読売テレビのローカルパートのニュース番組は視聴率が低迷してたため、同局編成が「『ズームイン!!』繋がりで、辛坊が適任ではないか?!」と抜擢した事がキッカケと開陳している<ref name="Sankei_West_3”>{{Cite news |url = https://www.sankei.com/west/news/160824/wst1608240004-n3.html |title = 【そこまで言って36年(3)】辛坊治郎さん お尻を出して銭湯で泳いでいた「そんな男を報道に…」 |publisher = [[産経新聞大阪本社]] |date = 2016-8-24 |accessdate = 2020-11-1}}</ref><ref>{{Cite web |date = 2020-10-24 |url = https://www.1242.com/toku/toku_blog/blog20201024-241742/ |title = 土曜の朝からズームイン!辛坊治郎登場!愉快痛快!天下御免の大放談! |publisher = [[徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー]]番組ブログ([[ニッポン放送]]) |accessdate = 2020-10-25}}</ref>。また、同局を退職以後もキャスターを続けているが、自身の肩書きに「'''フリーアナウンサー'''」と「'''フリーキャスター'''」を使用しない事を信条としており、その理由は「古巣含めた放送局からオファーがあるから出演しているだけで、自ら能動的に放送局に売り込んでアナウンサー業を続ける意向が無かった」事を理由としている<ref name = "Tokumori" />。
* 辛坊自身曰く、読売テレビ入社前後でもニュースキャスターを目指していなかった。『ズームイン!!朝!』の初代総合司会であった[[徳光和夫]] が1985年の夏季休暇取得時の代理総合司会が当時はネット局アナウンサーの持ち回り担当であった為、辛坊が担当する日の前日に1985年8月13日に発生した[[日本航空123便墜落事故]]の続報を伝える『NNN報道特別番組』に徳光が休暇を切り上げて戻らずキャスターを担当した事で、番組を見ていた当時の読売テレビの経営陣や編成の人間に「辛坊は報道が出来る素養があるんじゃないの?!」と覚えられた。その実績により、後年徳光が『[[NNNニュースプラス1]]』の[[NNN]]系列全国向けのメインキャスターを担当していた事で、当時:読売テレビのローカルパートのニュース番組は視聴率が低迷してたため、同局編成が「『ズームイン!!』繋がりで、辛坊が適任ではないか?!」と抜擢した事がキッカケと開陳している<ref name="Sankei_West_3">{{Cite news |url = https://www.sankei.com/west/news/160824/wst1608240004-n3.html |title = 【そこまで言って36年(3)】辛坊治郎さん お尻を出して銭湯で泳いでいた「そんな男を報道に…」 |publisher = [[産経新聞大阪本社]] |date = 2016-8-24 |accessdate = 2020-11-1}}</ref><ref>{{Cite web |date = 2020-10-24 |url = https://www.1242.com/toku/toku_blog/blog20201024-241742/ |title = 土曜の朝からズームイン!辛坊治郎登場!愉快痛快!天下御免の大放談! |publisher = [[徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー]]番組ブログ([[ニッポン放送]]) |accessdate = 2020-10-25}}</ref>。また、同局を退職以後もキャスターを続けているが、自身の肩書きに「'''フリーアナウンサー'''」と「'''フリーキャスター'''」を使用しない事を信条としており、その理由は「古巣含めた放送局からオファーがあるから出演しているだけで、自ら能動的に放送局に売り込んでアナウンサー業を続ける意向が無かった」事を理由としている<ref name = "Tokumori" />。
* 阪神・淡路大震災発災当日は当時、居住していた[[京都市|京都市内]]のマンションのキッチンの床の間に布団を敷いて就寝していたが、発災の前震で家具が揺れてる時に「心霊現象に苛まれてる」と思っていたが、その後の震れで観音開きの食器棚からガラスや瀬戸物の食器類が降って来て、一瞬命が終わったと感じたと明かしている。
* 阪神・淡路大震災発災当日は当時、居住していた[[京都市|京都市内]]のマンションのキッチンの床の間に布団を敷いて就寝していたが、発災の前震で家具が揺れてる時に「心霊現象に苛まれてる」と思っていたが、その後の震れで観音開きの食器棚からガラスや瀬戸物の食器類が降って来て、一瞬命が終わったと感じたと明かしている。
* 実質的に川越市で育った辛坊が読売テレビに就職以降、大阪府枚方市をメインに居住してる理由は、居住地を確保する際に辛坊の父方の叔父(兄)が枚方市に居住しており、「治郎ちゃん、家探してるなら探してあげるで」と言われ、市内の新築マンションの4階に確保して貰った事がキッカケである。同じ建物の下層階のテナントに入居したのが1階が飲食店、2階はカラオケスナックで喧騒的になったため転居し、くずはセンチュリータウンや枚方市内を転々し、一時期前述の[[淀川]]の対岸である京都市内に居住していたが、子育てを考慮した結果、現在も枚方市内の自宅に居住している<ref>{{YouTube|XlwvAP8VPqk|バーチャル夏祭り2020②}}</ref>。また、[[京都府]][[亀岡市]]の[[茨木台]]に別荘を有している<ref>{{Twitter status|JiroShinbo_tabi|1091561807255240704}}</ref>。
* 実質的に川越市で育った辛坊が読売テレビに就職以降、大阪府枚方市をメインに居住してる理由は、居住地を確保する際に辛坊の父方の叔父(兄)が枚方市に居住しており、「治郎ちゃん、家探してるなら探してあげるで」と言われ、市内の新築マンションの4階に確保して貰った事がキッカケである。同じ建物の下層階のテナントに入居したのが1階が飲食店、2階はカラオケスナックで喧騒的になったため転居し、くずはセンチュリータウンや枚方市内を転々し、一時期前述の[[淀川]]の対岸である京都市内に居住していたが、子育てを考慮した結果、現在も枚方市内の自宅に居住している<ref>{{YouTube|XlwvAP8VPqk|バーチャル夏祭り2020②}}</ref>。また、[[京都府]][[亀岡市]]の[[茨木台]]に別荘を有している<ref>{{Twitter status|JiroShinbo_tabi|1091561807255240704}}</ref>。
* 読売テレビ退職理由として、当時表向きには前述の企業年金の制度改正の件を列挙していたが、本来は退職翌年に執り行われた[[第17回統一地方選挙]]にて、居住している[[枚方市#議会|枚方市議会議員]]選挙への出馬を目論んでいた<ref name="Daily_1”>{{Cite news |url = https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/04/16/0007927481.shtml |title = 辛坊氏 出馬決意の読テレ退社だった |publisher = [[デイリースポーツ]] |date = 2015-4-16 |accessdate = 2020-4-1}}</ref>。しかし、読売テレビ退職以後も出演し続けた『す・またん!』の視聴率が好調だったため、辞めるに辞められずタイミングを逸したとしている。また、[[大阪都構想#住民投票へ|大阪都構想に伴う]][[2011年大阪府知事選挙]]に報道ベースでも名前が挙がり、自身も内諾していたが、余命宣告を受けた辛坊の母親から「テレビの画面で辛坊を見て過ごしたい」と言及され、結果的に出馬を固辞した結果となった<ref>{{Cite web |date = 2020-4-23 |url = https://news.1242.com/article/220961 |title = 橋下徹が暴露「辛坊治郎さん、大阪府知事選 出るはずだったんです」 |publisher = ニッポン放送 NEWS ONLINE([[ニッポン放送]]) |accessdate = 2020-4-25}}</ref>。
* 読売テレビ退職理由として、当時表向きには前述の企業年金の制度改正の件を列挙していたが、本来は退職翌年に執り行われた[[第17回統一地方選挙]]にて、居住している[[枚方市#議会|枚方市議会議員]]選挙への出馬を目論んでいた<ref name="Daily_1">{{Cite news |url = https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/04/16/0007927481.shtml |title = 辛坊氏 出馬決意の読テレ退社だった |publisher = [[デイリースポーツ]] |date = 2015-4-16 |accessdate = 2020-4-1}}</ref>。しかし、読売テレビ退職以後も出演し続けた『す・またん!』の視聴率が好調だったため、辞めるに辞められずタイミングを逸したとしている。また、[[大阪都構想#住民投票へ|大阪都構想に伴う]][[2011年大阪府知事選挙]]に報道ベースでも名前が挙がり、自身も内諾していたが、余命宣告を受けた辛坊の母親から「テレビの画面で辛坊を見て過ごしたい」と言及され、結果的に出馬を固辞した結果となった<ref>{{Cite web |date = 2020-4-23 |url = https://news.1242.com/article/220961 |title = 橋下徹が暴露「辛坊治郎さん、大阪府知事選 出るはずだったんです」 |publisher = ニッポン放送 NEWS ONLINE([[ニッポン放送]]) |accessdate = 2020-4-25}}</ref>。
* 読売テレビ入社以後から20Kg体重が増大しているが、[[空手]]を嗜んでいたため、筋肉質であると明かしている。
* 読売テレビ入社以後から20Kg体重が増大しているが、[[空手]]を嗜んでいたため、筋肉質であると明かしている。
* 基本的にケチであり、物持ちがいいため、緊急事態宣言中に自宅を整理していたら様々な物が発見されたと明かしている。また、『深層NEWS』を担当するに辺り東京にも居を構えたが、いつキャスターを降板するか分からないため、マトモに生活用品を取り揃えておらず、自身のSNSでの発信で生活用品が足らない事での不便さを明かしていた。結果、買い足したのは、気温低下で体調を崩した事で自身が担当してる『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』の番組内で放送している『[[ラジオリビング]]』で取り扱ってる売れ筋商品である「ハンガリー産 5ツ星高級羽毛布団」位である。
* 基本的にケチであり、物持ちがいいため、緊急事態宣言中に自宅を整理していたら様々な物が発見されたと明かしている。また、『深層NEWS』を担当するに辺り東京にも居を構えたが、いつキャスターを降板するか分からないため、マトモに生活用品を取り揃えておらず、自身のSNSでの発信で生活用品が足らない事での不便さを明かしていた。結果、買い足したのは、気温低下で体調を崩した事で自身が担当してる『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』の番組内で放送している『[[ラジオリビング]]』で取り扱ってる売れ筋商品である「ハンガリー産 5ツ星高級羽毛布団」位である。

2020年11月29日 (日) 00:01時点における版

しんぼう じろう
辛坊 治郎
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 鳥取県米子市
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1956-04-11) 1956年4月11日(68歳)
血液型 AB型
最終学歴 早稲田大学法学部卒業
職歴 読売テレビ(1980年 - 2010年9月)
活動期間 1980年 - 現在
ジャンル 報道番組
バラエティ番組
配偶者 西岡香[1]
担当番組・活動
出演中ウェークアップ!ぷらす
そこまで言って委員会NP
辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』など
出演経歴ズームイン!!朝!
ニューススクランブル
ズームイン!!SUPER
朝生ワイド す・またん!』など
備考
第4回 新語・流行語大賞 流行語部門 銀賞
第27回正論大賞 入賞
2014年MJCマリン賞 スポーツ/アドベンチャー部門
辛坊 治郎
人物
国籍 日本の旗 日本
職業 ニュースキャスター
YouTube
チャンネル
活動期間 2018年2月4日 -
ジャンル 旅行
登録者数 5.62万人
総再生回数 7,641,095回
事務所(MCN ジェットプロダクション
テンプレートを表示

辛坊 治郎(しんぼう じろう、1956年4月11日 - )はニュースキャスターシンクタンク経営者。元読売テレビアナウンサー、報道局局長待遇解説委員長。妻は元読売テレビ報道局報道部記者で現・ラジオパーソナリティの西岡香[1]、実兄は株式会社大阪綜合研究所代表で元住友ファイナンスエイシア代表取締役社長の辛坊正記

来歴

生い立ち

鳥取県米子市出身。男2人兄弟の二男として生まれる[2][3]。鳥取県での生活はわずか2か月で記憶が非常に薄く、航空自衛隊所属の自衛隊員である父親の転勤で宮城県東松島市岐阜県各務原市小学校入学前迄全国を転々とし[4]、物心がついたころから大学時代まで埼玉県入間市で過ごした[注 1]

入間市立豊岡中学校在学時に、テレビでメキシコ映画『ぼくの心はバイオリン』を視聴中に停電して結末までの15分を観ることができなかったため、放送局のTBSテレビに結末を電話でたずねると親切に教えてもらったことに感激し、将来は放送局で働こうと決心した。

埼玉県立川越高等学校で航空部と英語部に所属して1浪の後、1976年4月に早稲田大学法学部へ進学。大学3年時に司法試験に不合格となり、夏休みを挟んだ3か月間で西ヨーロッパモロッコトルコなどを、4年時にはタイをバックパッカーで旅した。

就職活動で埼玉県庁の上級職試験に合格し、住友商事から内定を受諾。大学就職部の掲示板でフジテレビのリポーター・司会者(アナウンサー)募集に交通費一律1,000円支給と見掛けて受験し、受験者1,300人から3名に絞られた7次選考の最終面接で、”担当希望の番組に「『リビング11』(お昼の通販番組)を担当したい」”と応えて不採用とされた。しかし同年12月、大阪の読売テレビから突然電話があり[注 2]「フジテレビの最終で落ちたそうだが良かったら弊社を受けてみないか」と誘われて受験し、受験者8名から合格者2名として内定を受諾し、結果、埼玉県庁、住友商事、読売テレビの3つ選択肢を得たが、読売テレビの内定を承諾した。自身の講演会によると「朝のラッシュアワーが辛いため、始業時刻が朝10時と一番遅かった」ため[6]

読売テレビ時代

1980年3月、早大卒業後の同年4月、読売テレビにアナウンサー職として入社。同期社員は元アナウンサー、スポーツ部、広報、東京事業部社員であった村田真哉[注 3]。後に近畿広域圏の中継キャスターとしてレギュラーで出演する、『ズームイン!!朝!』の気象情報読み上げで初鳴き。

以後はスポーツ実況を希望し、近鉄バファローズの担当記者として活動。その後、『ズームイン!!朝!』の中継キャスターとして、8年間担当し、後述である後輩で共演者である森たけしと共に1987年の阪神タイガースの不振をボヤいた台詞「なんぎやなぁ」が第4回 新語・流行語大賞 流行語部門 銀賞を受賞し、1989年には森たけしと共に歌唱した阪神タイガースの応援歌「負ける気せんね』を発売した。

1990年4月から、後述の理由の結果、『ニューススクランブル』のキャスターとして抜擢され、裏番組で同時間帯の視聴率でトップであった『MBSナウ』(毎日放送)を視聴率で抜き、同局元アナウンサーで元大阪市長であった平松邦夫に引導を渡す結果を挙げた[8]。また、並行して1991年1月から1992年3月まで『ウェークアップ!』の総合司会を務め[注 4]1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災発災当日から2日間連続で放送された報道特番ではキャスターを務めた。1996年アメリカ合衆国広報文化交流局の招きで渡米し、アメリカ合衆国国内のメディア事情を視察。

1997年人事にて、編成局アナウンス部から報道局報道部に異動。同年からペース大学英語版客員研究員として留学し、翌1998年に帰国。帰国後はアナウンサー職から報道部チーフプロデューサーへ就任し、報道ドキュメンタリー番組の人事査定業務等の同職と並行する形で『報道特捜プロジェクト』(日本テレビ)のキャスターや、『元気モンTV』以後に編成された関西ローカルパートの朝の情報番組にてコメンテーターを担当。 2000年の人事にて、報道局情報番組部長に昇進し、前述のメディア事情をまとめた処女作を上程。2001年10月から過去に辛坊が担当してた『ズームイン!!朝!』を終了させて、開始する事となった『ズームイン!!SUPER』の新聞・ニュース解説兼サブ司会に起用され、2005年4月迄東京で単身赴任生活を送っていた[注 5]。2002年5月から断続的に単発特番として編成されていた、『たかじんのそこまで言って委員会』が2003年7月からレギュラー昇格となり、やしきたかじんの発言補足を行う副委員長(サブMC)として出演し、一旦番組降板しているが長きに渡って出演している。

2009年10月1日付人事にて、先輩である岩田公雄の定年に伴い[注 6]、報道局解説委員長に就任。翌2010年3月29日から、かつて同時間帯を担当していた森と共に朝の情報番組である『朝生ワイド す・またん!』のキャスターへ就任し、収録込みで全曜日に出演する事となった。しかし、同年8月に、翌9月末で読売テレビを退職して10月からシンクタンクの研究員になる旨が報道され[9][10]、各新聞社の後追い報道にて、同局の福利厚生制度の制度変更により、企業年金の受取り額が変わる前に退職の意向を強調し、報道通り9月末付にて同局を退職。退職後は自身が設立したシンクタンクである大阪綜合研究所へ移籍し、フリーの立場では番組出演しない旨を強調していた[11]

しかし、結果的には古巣である読売テレビの報道番組、バラエティ番組には芸能プロダクション等の所属もせず同局専属出演契約も締結していないが、フリーとして継続して番組出演を続けており、読売テレビの新規開始した番組にも出演している。但し、前述の理由を退職理由としていたが、後述の理由が本来の理由であった事も自身が出演した番組内で明かしている。

退職以後

同局退職以後は、前述の様に結果的にフリーとして古巣である読売テレビ以外の放送局の番組にもゲスト出演を行っており、2012年4月から古巣の読売テレビがラテ兼業で無かったため、初めて首都圏の放送局でのレギュラーかつラジオの初レギュラー番組である『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』のパーソナリティに就任。また、同番組のレギュラー放送終了から約2年後に復活し、後にレギュラー復活に返り咲いた後は、同局の調査率調査週間時の編成にて、同局のレギュラー番組に縦横断的にゲストとしてブッキングされるケースが多発している。また、後述の2013年3月に発表した読売テレビも関わるプロジェクトに参画し、その後再び番組出演を再開し、後に、NNN系列以外の放送局でもレギュラー番組を受け持つ様になったが[12]、視聴率不調によりワンクールにて終了の運びとなった。その後、約10年に渡って出演した、『す・またん!』を2019年3月29日放送分にて、降板した[13]

また、2018年2月に自身の趣味である旅行を題材としたYouTubeチャンネル「”辛坊の旅”」を開設し、旅行以外にも自身のラジオ番組の再配信や企画動画にも活用いている。

ヨットで太平洋の横断

全盲のヨットマン岩本光弘を補助し、2013年6月に福島県いわき市小名浜港から、8月にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴに到着する予定で航海した。ヨットは間寛平アースマラソンで使ったエオラス号で、企画・発案はアースマラソンのサポートスタッフでもあった比企啓之[14][15]である。6月21日にクジラと思われる生物と衝突してヨットが浸水し、7時45分に118番通報したのちに10時間近く救命ボートで漂流し[16]、18時14分に海上自衛隊US-2救難飛行艇に救助された[17]

人物

  • 妻である西岡とは辛坊と同じ職場の10年後輩で、結婚も西岡の事を辛坊の同期入社の女性職員から紹介して貰い、初めて西岡と2人きりで読売テレビが所在する京橋周辺のイタリア料理店で食事をしてる時に辛坊の目の前に居た西岡に対して「結婚しようかっ」とノリで言うたら了承した結果であると明かしている[18]。西岡は元々は同局のアナウンサー志望であったが、アナウンサー職試験で不採用の結果となり、記者職に転じて同局に採用された[19]。そのため、アナウンサー職について怨念を持っており、結果的に辛坊との婚姻により寿退職したが、現在居住してる枚方市の広報誌に掲載されていたエフエムひらかた開局前年である1996年に、パーソナリティの募集に応募し合格。2020年10月時点で3つの番組を担当しており[20]、西岡が担当した番組が第56回ギャラクシー賞奨励賞を受賞している[21]。そのため、辛坊もエフエムひらかたの番組にゲスト出演した経験が複数回ある。また、辛坊から見て、妻として家事のセンスについてはダメな方であると評しており、その代わり情深いので特段何も言及しなくなったとしている[5]。西岡は着物着付け講師とフラダンサーとして活動している。
  • 『ズームイン!!朝!』担当時代に「なんぎやなぁ」が第4回 新語・流行語大賞 流行語部門 銀賞を受賞したが、この語彙は当時:1987年の阪神タイガース1986年の阪神タイガース1985年の日本一時のレギュラー選手の退団やレギュラー選手の不祥事や負傷により優勝戦線の離脱から始まり、プロ野球ファンの俗称である暗黒時代[22]の入口に突入してた時期で、番組コーナーである「プロ野球いれコミ情報」の番組構成上、露骨なえこ贔屓で読売ジャイアンツ中心に時間尺を割かれていて、読売テレビパートの時間尺の縮減を防ぐため、森たけしとスタッフとの宴席で打合せして産み出した語彙であった[19]。また、同コーナーでタイガース贔屓の応援をしていたが、辛坊自身としてはチームのファンと言うよりも出身大学の早稲田大学野球部出身選手である岡田彰布のファンだったと明かしている。
  • 辛坊自身曰く、読売テレビ入社前後でもニュースキャスターを目指していなかった。『ズームイン!!朝!』の初代総合司会であった徳光和夫 が1985年の夏季休暇取得時の代理総合司会が当時はネット局アナウンサーの持ち回り担当であった為、辛坊が担当する日の前日に1985年8月13日に発生した日本航空123便墜落事故の続報を伝える『NNN報道特別番組』に徳光が休暇を切り上げて戻らずキャスターを担当した事で、番組を見ていた当時の読売テレビの経営陣や編成の人間に「辛坊は報道が出来る素養があるんじゃないの?!」と覚えられた。その実績により、後年徳光が『NNNニュースプラス1』のNNN系列全国向けのメインキャスターを担当していた事で、当時:読売テレビのローカルパートのニュース番組は視聴率が低迷してたため、同局編成が「『ズームイン!!』繋がりで、辛坊が適任ではないか?!」と抜擢した事がキッカケと開陳している[23][24]。また、同局を退職以後もキャスターを続けているが、自身の肩書きに「フリーアナウンサー」と「フリーキャスター」を使用しない事を信条としており、その理由は「古巣含めた放送局からオファーがあるから出演しているだけで、自ら能動的に放送局に売り込んでアナウンサー業を続ける意向が無かった」事を理由としている[19]
  • 阪神・淡路大震災発災当日は当時、居住していた京都市内のマンションのキッチンの床の間に布団を敷いて就寝していたが、発災の前震で家具が揺れてる時に「心霊現象に苛まれてる」と思っていたが、その後の震れで観音開きの食器棚からガラスや瀬戸物の食器類が降って来て、一瞬命が終わったと感じたと明かしている。
  • 実質的に川越市で育った辛坊が読売テレビに就職以降、大阪府枚方市をメインに居住してる理由は、居住地を確保する際に辛坊の父方の叔父(兄)が枚方市に居住しており、「治郎ちゃん、家探してるなら探してあげるで」と言われ、市内の新築マンションの4階に確保して貰った事がキッカケである。同じ建物の下層階のテナントに入居したのが1階が飲食店、2階はカラオケスナックで喧騒的になったため転居し、くずはセンチュリータウンや枚方市内を転々し、一時期前述の淀川の対岸である京都市内に居住していたが、子育てを考慮した結果、現在も枚方市内の自宅に居住している[25]。また、京都府亀岡市茨木台に別荘を有している[26]
  • 読売テレビ退職理由として、当時表向きには前述の企業年金の制度改正の件を列挙していたが、本来は退職翌年に執り行われた第17回統一地方選挙にて、居住している枚方市議会議員選挙への出馬を目論んでいた[27]。しかし、読売テレビ退職以後も出演し続けた『す・またん!』の視聴率が好調だったため、辞めるに辞められずタイミングを逸したとしている。また、大阪都構想に伴う2011年大阪府知事選挙に報道ベースでも名前が挙がり、自身も内諾していたが、余命宣告を受けた辛坊の母親から「テレビの画面で辛坊を見て過ごしたい」と言及され、結果的に出馬を固辞した結果となった[28]
  • 読売テレビ入社以後から20Kg体重が増大しているが、空手を嗜んでいたため、筋肉質であると明かしている。
  • 基本的にケチであり、物持ちがいいため、緊急事態宣言中に自宅を整理していたら様々な物が発見されたと明かしている。また、『深層NEWS』を担当するに辺り東京にも居を構えたが、いつキャスターを降板するか分からないため、マトモに生活用品を取り揃えておらず、自身のSNSでの発信で生活用品が足らない事での不便さを明かしていた。結果、買い足したのは、気温低下で体調を崩した事で自身が担当してる『辛坊治郎ズーム そこまで言うか!』の番組内で放送している『ラジオリビング』で取り扱ってる売れ筋商品である「ハンガリー産 5ツ星高級羽毛布団」位である。
  • 元来、旅行に行った際には遊園地遊具が好きなため来園した時に搭乗していたが、絶叫マシーンの搭乗制限の年齢が65歳だったため、2020年時点で辛坊の年齢が65歳を迎える前に絶叫マシーンに搭乗する模様を、自身のラジオ番組の企画にした位であった[29][30]。また、2020年8月末日をもって閉園となったとしまえんも同様の理由で来園した際、頬っ被りをした女性を『ドキュメント72時間』(NHK総合)の取材クルーが自身の目の前にいたため、取材クルーの取材対象の後ろをずっとマークした結果、同番組の10月2日放送分に紹介テロップは掲載されず[31]、見切れたまま出演した[32]
  • 2012年12月19日に大阪市内の病院で、十二指腸腫瘍(後に初期の十二指腸癌と判明)を摘出した。18日に入院して手術当日も『す・またん!』に病院から直行して通常通り出演し、「私、病院からやってきました。今日(19日)手術なんだよ。テレビ出て解説してる場合じゃないだろ」と明るい調子で司会進行した。手術は成功し、当該週はレギュラー番組の出演を見合わせて翌週に完全復帰した。

出演番組

現在

テレビ

読売テレビ時代からの出演番組

ラジオ

過去

テレビ

読売テレビ時代
読売テレビ退社後も出演
2005年12月30日・20:00 - 22:54に放送された社交ダンスを扱ったバラエティ特番。プロダンサーの青柳明子とペアを組み挑戦したが、準決勝で敗退した。放送前から本番に向けての練習の模様は「ズームイン!!SUPER」の中でも紹介された。
フリー以後

テレビアニメ

ラジオ

その他 

CM

著書

  • 『TVメディアの興亡 〜デジタル革命と多チャンネル時代〜(2000年4月、集英社新書ISBN 4087200264
  • 『ふらっとアフガニスタン7泊8日(2002年6月、日本テレビ) ISBN 4820398202
  • 『あいまいな日本の問題点がスッキリわかる本―辛坊のニュースななめ読み(2007年6月、幻冬舎ISBN 4344013344
  • 『誰も書けなかった年金の真実―あなたがもらえなくなる日(2007年12月、幻冬舎) ISBN 4344014391
  • 『日本の恐ろしい真実 財政、年金、医療の破綻は防げるか?(2010年9月、角川SSコミュニケーションズISBN 4047318256
  • 『この国で起きている本当のこと』(2012年4月、朝日新聞出版ISBN 4022509678
  • 『辛坊訓 日々のニュースは教訓の宝庫』(2012年11月、光文社ISBN 4334977197
  • 『見せかけの正義の正体 この国で起きている本当のこと2013』(2013年5月、朝日新聞出版)ISBN 4022510854
  • 『冒険訓 荒波高い難局ニュースから私事まで… 辛坊訓 2』 (2014年9月、光文社)ISBN 4334977995
  • 『ニュースで伝えられないこの国の真実』(2015年4月、中経出版ISBN 4046012153
  • 『ニュースで伝えられないこの国の正体 大阪の挫折と日本の行方』KADOKAWA, 2015
  • 『ニッポンのアホ!を叱る テレビ、新聞が垂れ流す「ニュースの嘘」を見抜け』光文社, 2016
  • 『ニュースで伝えられない日本の真相』KADOKAWA, 2016
  • 『ニュースの噓を見抜け』KADOKAWA, 2017
  • 『壊されつつあるこの国の未来』KADOKAWA, 2018
  • 『こんなこと書いたら日本中を敵に回す本 禁断のアホワールドへ』光文社, 2018
  • 『大マスコミが絶対書けない事この本読んだらええねん!』光文社, 2019

共著

  • 『日本経済の真実―ある日、この国は破産します(2010年4月、幻冬舎) ISBN 4344018168
    ※実兄辛坊正記(執筆当時は株式会社日本総研情報サービス代表取締役専務)との共著
  • 『中国 この腹立たしい隣人(2011年3月、実業之日本社ISBN 4408108812
    孔健との共著
  • 『2時間でいまがわかる! 放射能の真実!(2011年9月、アスコムISBN 4776207001
    ※高橋千太郎(京都大学原子炉実験所副所長・教授)との共著。
  • 『東京ではわからない地方創生の真実』「ウェークアップ!ぷらす」取材班共著. 中央公論新社, 2015

連載

  • 辛坊治郎の甘辛ジャーナル(『週刊朝日』2011年5月6・13日合併号より連載)
  • 辛坊治郎の「ニュース食い倒れ!」(『FLASH』2011年5月17日号より連載)
  • 辛坊治郎の「なんぎな帆走月報」(『[Kazi]』)

音楽

脚注

注釈

  1. ^ 辛坊家の本家は大阪府岸和田市が発祥としているが、辛坊の祖父が農業をするのを嫌い阿倍野で商売を始めたため、父親が婚姻時に戸籍を作り直した際、本籍を大阪市天王寺区に移していた。辛坊が父親の本籍地に所在してる建物が気になって調査したらパチンコホールになっていたため、辛坊が西岡と婚姻時に本家の住所に戻したため、自身のプロフィールに記載の出身地を岸和田と表記されてる物もある。例:『ズームイン!!SUPER』公式サイトでは「大阪府岸和田市」、日本プランニングアート公式サイトでは「大阪府出身(鳥取県生まれ)」と表記してある[5]
  2. ^ 辛坊が就職試験受験当時は、個人情報保護法が制定されて無かったため、日本では企業間同士による応募書類の回し合いが普通に行われていた
  3. ^ 共に、前述のフジテレビの社長面談選考に残った人物であった[7]
  4. ^ 『ウェークアップ!』放送当時からダブル司会であった桂文珍に譲り渡して降板していたが、後年、改題後の『ウェークアップ!ぷらす』を開始するに辺り、2005年4月2日から12年振りに総合司会へ復帰
  5. ^ その後は、大阪と東京の二重生活の形態に変更
  6. ^ 同局特別解説委員に肩書き変更
  7. ^ 「ブラインドセーリング」プロジェクトへ参加を機に番組降板したが、山本が単独担当時に視聴率を落としたため、番組スタッフの求めに応じて復帰

出典

  1. ^ a b 端山梨奈(ソプラノ歌手) Instagram 2019年3月26日
  2. ^ 2006年10月26日配信 ニュースのウラ側: メディア論コーヒーブレイク8 (2017年11月29日時点におけるアーカイブ)より、「関西のうどん定食」の章を参照。
  3. ^ “新連載スタート!誓います!尖閣諸島突撃リポート”. スポーツ報知. (2010年10月12日). オリジナルの2010年10月14日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20101014060638/http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/column/shinbou/news/20101012-OHO1T00186.htm 2018年6月1日閲覧。 
  4. ^ “【そこまで言って36年(2)】辛坊治郎さん おやじは航空自衛官 マスコミ業?「これっぽっちも考えていなかった」”. 産経新聞大阪本社. (2016年8月23日). https://www.sankei.com/west/news/160823/wst1608230004-n2.html 2020年11月1日閲覧。 
  5. ^ a b バーチャル夏祭り2020② - YouTube
  6. ^ FLASH 2014年4月29日号 「辛坊治郎のニュース食い倒れ!」
  7. ^ “【そこまで言って36年(3)】辛坊治郎さん お尻を出して銭湯で泳いでいた「そんな男を報道に…」”. 産経新聞大阪本社. (2016年8月24日). https://www.sankei.com/west/news/160824/wst1608240004-n2.html 2020年11月1日閲覧。 
  8. ^ “【そこまで言って36年(4)】辛坊治郎さん 実は大阪市長“生みの親”「平松邦夫さんに引導を渡しました」”. 産経新聞大阪本社. (2016年8月25日). https://www.sankei.com/west/news/160825/wst1608250008-n1.html 2020年11月1日閲覧。 
  9. ^ “辛坊治郎さん、読売テレビを9月に退職へ”. 読売新聞東京本社. (2010年8月3日). オリジナルの2010年8月5日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20100805140358/http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20100802-OYT1T01377.htm 2018年6月1日閲覧。 
  10. ^ “辛坊治郎氏、政界進出か…9月で読売テレビ退社へ”. スポーツニッポン. (2010年8月3日). オリジナルの2010年8月4日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20100804215102/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2010/08/03/01.html 2018年6月1日閲覧。 
  11. ^ “辛坊氏 年金の社内制度変更で退社決意?”. スポーツニッポン. (2010年8月4日). オリジナルの2010年8月6日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20100806192304/http://www.sponichi.co.jp/society/news/2010/08/04/06.html 2018年6月1日閲覧。 
  12. ^ “辛坊治郎、4月からTBSで新番組 南キャン・山里とタッグ”. ORICON NEWS. (2016年2月29日). http://www.oricon.co.jp/news/2067617/full/ 2016年2月29日閲覧。 
  13. ^ “辛坊治郎:「す・またん!」卒業へ 野村明大アナが週5出演に”. MANTAN WEB. (2019年3月19日). https://mantan-web.jp/article/20190319dog00m200031000c.html 2019年3月20日閲覧。 
  14. ^ 辛坊治郎キャスター、がん転移の疑い「肺に影見つかった」(2013年3月16日閲覧)
  15. ^ 辛坊治郎さん「肺に影」もヨットで太平洋横断挑戦へ(2013年3月16日閲覧)
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  17. ^ 辛坊さんらを救助、2人とも元気。- デイリースポーツ 2013年6月21日
  18. ^ 辛坊治郎SundayKiss「元・読売テレビアナウンサー 中元綾子スペシャル」 - YouTube
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  22. ^ “【平成の虎から令和の虎へ】 阪神の「暗黒時代」は「平成」とともに始まった”. サンケイスポーツ. (2019年4月2日). https://www.sanspo.com/baseball/news/20190402/tig19040210000011-n1.html 2020年10月1日閲覧。 
  23. ^ “【そこまで言って36年(3)】辛坊治郎さん お尻を出して銭湯で泳いでいた「そんな男を報道に…」”. 産経新聞大阪本社. (2016年8月24日). https://www.sankei.com/west/news/160824/wst1608240004-n3.html 2020年11月1日閲覧。 
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  26. ^ JiroShinbo_tabiのツイート(1091561807255240704)
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  28. ^ 橋下徹が暴露「辛坊治郎さん、大阪府知事選 出るはずだったんです」”. ニッポン放送 NEWS ONLINE(ニッポン放送) (2020年4月23日). 2020年4月25日閲覧。
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  32. ^ jiroshinbo_tabiのツイート(1298123525757124608)
  33. ^ たかじんのそこまで言って委員会の司会交代について

関連項目

外部リンク