「財津一郎」の版間の差分
m cewbot: ウィキ文法修正 10: 角括弧の終了違反 |
|||
106行目: | 106行目: | ||
* [[なんたって18歳!]] 第38話「泣きぬれた名人」(1972年、[[TBSテレビ|TBS]]・[[大映テレビ]]) |
* [[なんたって18歳!]] 第38話「泣きぬれた名人」(1972年、[[TBSテレビ|TBS]]・[[大映テレビ]]) |
||
* [[隼人が来る]] 第9話「びっくり捕物初手柄」(1972年[[]]、フジテレビ・東映) - 目明し・団九郎 |
* [[隼人が来る]] 第9話「びっくり捕物初手柄」(1972年[[]]、フジテレビ・東映) - 目明し・団九郎 |
||
* [[ママはライバル](1973年、[[TBSテレビ|TBS]]・大映テレビ) |
* [[ママはライバル]](1973年、[[TBSテレビ|TBS]]・大映テレビ) |
||
* [[出雲の阿国 (小説)|出雲の阿国]](1973年、[[テレビ朝日|NET]]) |
* [[出雲の阿国 (小説)|出雲の阿国]](1973年、[[テレビ朝日|NET]]) |
||
* [[非情のライセンス]](NET・東映) |
* [[非情のライセンス]](NET・東映) |
2020年1月29日 (水) 00:00時点における版
ざいつ いちろう 財津 一郎 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
本名 | 財津 永栄(ざいつ ながひで) | ||||||||||
生年月日 | 1934年2月22日(90歳) | ||||||||||
出生地 | 日本・熊本県熊本市 | ||||||||||
身長 | 176 cm | ||||||||||
血液型 | O型 | ||||||||||
ジャンル | 俳優、コメディアン、歌手 | ||||||||||
活動期間 | 1955年 - 2011年 | ||||||||||
配偶者 | あり | ||||||||||
著名な家族 | 財津功(息子) | ||||||||||
事務所 | 志母澤事務所 | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ 『新宿警察』 『3年B組金八先生』シリーズ 『秀吉』 『天花』 映画 『連合艦隊』 バラエティー番組など 『てなもんや三度笠』 CM こてっちゃん タケモトピアノ | |||||||||||
|
財津 一郎(ざいつ いちろう、本名:財津 永栄〈ざいつ ながひで〉[注 1]、旧芸名:財津 肇メ、1934年2月22日 - )は、日本の俳優、コメディアン、歌手。熊本県熊本市出身。熊本県立済々黌高等学校卒業。
現在は自身や家族の体調不良を理由に新規の仕事を断っており、かつて撮影したCMが放送されている以外は実質的な引退状態である。
略歴
財津家は神武天皇の時代から続く名家[1]。父親は農林省(現:農林水産省)の役人で、3人兄弟の末っ子として東京に住んでいたが、父が中国へ出征したため、1944年に一家は故郷の熊本へ疎開。1947年に、阿蘇にある財津家の土地を守るために阿蘇郡黒川村(現・阿蘇市)へ移住、学校もそれまで通っていた済々黌中学から阿蘇農業高等学校(現・熊本県立阿蘇中央高等学校)へ転校。1949年に再び熊本市へ戻って済々黌高校に復学[2]。高校生時代は水球部で活動[3]。終戦後も高校を卒業するまでを熊本で過ごした[4]。
1953年、上京後に早大文学部演劇学科受験に失敗。早大近くの印刷店などでアルバイト生活をしつつ[5]、当時東京都大田区にあった榎本健一映画演劇研究所(いわゆるエノケン学校)で演技を勉強する[6]。同時に帝劇ミュージカルの研究生になる。
エノケン学校卒業後は「もっと東京で修業を積みたい」として撮影所入りなどはせずに過ごしていたが、偶然ある野球場で憧れの仲代達矢に会ったことがきっかけで発奮し[6]、1955年、帝劇ミュージカル解散の後、財津肇メ(ざいつ はじめ)の芸名で石井均一座に入門(この時、楽屋の化粧室前でばったり会ったのが伊東四朗[7]。今の妻ともこの一座で出会っている[8])。また新宿の劇団「ムーラン」の舞台に立った。その「ムーラン」も数年後解散の憂き目に遭い、一時は大阪からやり直しと宝塚新芸座からOSミュージックホールと歩いた[9]。1962年に吉本興業に入り[10]、1964年、吉本新喜劇に参加、芸名を現在の財津一郎に改める。この芸名の名付け親は当時の吉本興業社長の林弘高で、「吉本では大衆的な名前でいかなあかん。本名は堅苦しい。一郎と言えば河野一郎、有島一郎。みんな大物や」という名付け理由だったという[8]。
1965年に吉本新喜劇座長に就任[2]。新喜劇では初期はサラリーマン役が多かったが、その後「老け役」が多くなっていった[11]。
藤田まこと主演の『てなもんや三度笠』に浪人・蛇口一角(へびぐち いっかく)役で出演し、手を頭の後ろから回して反対側の耳をつかんで甲高い声で叫ぶ「非っ常にキビシ〜ッ!」「〜してチョウダィ!」のギャグや抜いた刀の刃を蛇のようになめまわす、といった奇怪な動きが評判となり、一世を
1969年に吉本興業を退社して東京に活動拠点を移し、志母澤事務所に移籍[2]。
1981年、『連合艦隊』では、中井貴一扮する神風特別攻撃隊に志願した青年の父親でもある海軍兵曹長役を演じた。
『3年B組金八先生』での英語の教科担任・左右田先生役では自身の持ち味が生かされたボケ役だった。
1995年、61歳の時に脳内出血を発症してしまい、開頭手術後は左半身に軽い麻痺が残ったが、リハビリに励んだ結果、3ヶ月後にテレビドラマの仕事に復帰した。
1996年の『秀吉』では豊臣秀吉の義父といわれる竹阿弥役を演じた。
2004年、『天花』では主人公・佐藤天花の成長を見守る祖父役で出演。
2010年11月13日公開の映画『ふたたび swing me again』に主演[注 2]。体力的な不安があったというが、監督の塩屋俊が何度も説得したことから出演を承諾し、撮影期間中は役を演じることのみに集中して、最後までやり遂げた[14]。第23回東京国際映画祭の舞台挨拶に登壇した際、「この映画の出演は(俳優生活の)最後のごほうびだと思って演じました」と語っていた[15]。
2011年3月27日放送の『3年B組金八先生ファイナル』に出演[16]以降、芸能活動休止状態にある。2019年に元朝日放送プロデューサーの澤田隆治が時代劇専門チャンネルでの『てなもんや三度笠』特別記念番組の出演依頼をかけたところ、体調不良を理由に出演を辞退されたといい[17]、同年に財津自身もメディアのインタビューに応じ、財津の言によれば「脳出血など病気もやったことと、家内(妻)の具合が悪いことなどあり仕事は全て断っている」とのことである[18]。
2015年、熊本日日新聞にて人生をふり返ったコラム「私を語る」を連載し、同年9月にそれを1冊にまとめた自身初の著書「聞いてチョウダイ 根アカ人生」を発売した。
人物
- 財津の奇声は『こてっちゃん』などのCMでも評判となった[19]。長年タケモトピアノのCMに出演しており、関西圏でもブレイク。「CM中の財津の歌声を聞くと赤ちゃんの泣き声が止まる」と『探偵!ナイトスクープ』などで紹介された(赤ちゃんが泣き止む理由は財津の声が幼児が好む440ヘルツ周辺の音であるため、とのこと)[20]。作り替える必要がないという理由で、タケモトピアノのCMは20年近く同じものが使われ続けている[17]。日本電気(NEC)『バザールでござーる』のCMにも、1991年から2004年まで声で出演していた[19]。
- 同じ昭和9年(1934年)生まれの愛川欽也、坂上二郎、長門裕之、牧伸二、森山周一郎、藤村俊二、大橋巨泉、山本文郎、睦五朗らとは「昭和九年会」を結成している[21]。
- 長男・功(1961年8月22日 - )は日本テレビプロデューサー[22]。
- 人気があった反面、「クドい」と言われることも少なくなかったが、本人の持ち味であり、自覚もしていた(同じように「クドいキャラ」のルー大柴へは「『クドいな、あいつ』と言われても、ちらっとでもこっちに目線を向けさせればこっちの勝ちだ」と直々にアドバイスしていた)。
- 吉本新喜劇に出演していた頃はアドリブで仁丹を使ったネタをやったところ、当時の新喜劇のテレビ中継のスポンサーだった大正製薬を怒らせてしまった(幸い財津は降板せずに済んだが、この一件が元でそれまで生中継されていた新喜劇は録画放送されるようになった)[23]。
- とある舞台で演出家とBGMで揉め、好きなジャズを流すように財津が勧めたが、演出家は断固として拒否した。しかし、この演出家は「財津さんは、『枠を打ち破るパワー』のある人。だから、わざと枠に閉じこめ、それを壊すくらいの演技をしてほしかったからだ」と財津の高い演技力あってこその演出法だった、と述べている。
- 一時期、楽屋での食事の時間を惜しみ、開演5分前になって到着したラーメンに「どうせ腹に入ったら一緒だ」として、急いで側にあったアンパンを放り込んで食べたりしており、周りからは「財津ラーメン」と呼ばれるなどしてしばらく変人扱いされた[24]。
- 歌手の財津和夫と縁戚関係があるとされる[25]。従来は血縁関係はないとしていた。ちなみにファンレターが間違って届くことがあったという(「財津さんへ」とは書かれているが、読んでいくうちに内容が音楽のことばかりのため、人違いに気づくという)。
ギャグ
- きびしーいっ
- 吉本新喜劇で用いられていたギャグ[26]。
作品
シングル
- ピュンピュン丸の歌(1967年)
- 野風増(1984年11月25日)
- ラストデイト[財津一郎・片平なぎさ](1989年)
- 夢追い坂/門出歌[金田たつえ・財津一郎](1994年3月1日)
- バザール3兄弟音頭(1994年7月10日)
- NEC、PC-9800シリーズのCMソング。1999年4月7日に再発。
- お前は小学一年生(1996年)
- タケモトピアノの歌(2003年)
- 帰ってきたケロッ!とマーチ(2007年)
アルバム
- NHKみんなのうたより 大全集6〜おふろのうた〜(1991年)
- 同アルバム収録の「ぼくは大きな石ころさ」を歌っている。
- モダンチョキチョキズのアルバム レディメイドのモダン・チョキチョキズ(1997年)
- 同アルバム収録の「くまちゃん」で、濱田マリとデュエットしている。
出演
テレビドラマ
- てなもんや三度笠(1962年-1968年、朝日放送) - 浪人・蛇口一角→桜富士夫
- ハレンチ学園(1970年 - 1971年、東京12チャンネル・日活)
- 徳川おんな絵巻 第37話「まぼろしの恋」(1971年、関西テレビ・東映)
- 花嫁のれん(1971年、フジテレビ)
- 一心太助(1971年 - 1972年、フジテレビ・国際放映) - 坂部正七
- なんたって18歳! 第38話「泣きぬれた名人」(1972年、TBS・大映テレビ)
- 隼人が来る 第9話「びっくり捕物初手柄」(1972年[[]]、フジテレビ・東映) - 目明し・団九郎
- ママはライバル(1973年、TBS・大映テレビ)
- 出雲の阿国(1973年、NET)
- 非情のライセンス(NET・東映)
- 第1シリーズ 第1話「兇悪の門」(1973年) - 田沢
- 第2シリーズ 第3話「兇悪の序曲」(1974年) - 国崎
- 第2シリーズ 第102話「自供」 - (1976年-1977年) - 堀刑事
- 赤ひげ 第31話「向う横丁のお稲荷さん」(1973年、NHK) - 利助
- 剣客商売 第6話「まゆ墨の金ちゃん」(1973年、東宝・俳優座・フジテレビ) - 三浦金太郎(金ちゃん)
- アイフ大作戦 第2話「男性飼育必敗法」(1973年、TBS・東映)
- あんたがたどこさ(1973年 - 1974年、TBS)
- 恐怖劇場アンバランス 第2話「死を予告する女」(1973年、フジテレビ) - 久保
- 事件狩り 第7話「魔がさした若い二人」(1974年、TBS・大映テレビ)
- 時間ですよ 昭和元年(1974年 - 1975年、TBS)
- ムリすんなよ(1974年、TBS)
- はじめまして(1975年、TBS) - 妹川乙四郎
- 落下傘の青春(「軍国歌謡集」より)(1975年、NHK)
- 女の(1975年、TBS)
- 新宿警察(1975年-1976年、フジテレビ・東映) - 山辺刑事
- 夜明けの刑事(TBS・大映テレビ)
- 第63話「母は復讐など許さない!!」(1976年) - 海津刑事
- 第109話「初恋をタイホせよ!」(1977年) - 熊本県警・武智大五郎刑事
- 必殺からくり人 第1話「鼠小僧に死化粧をどうぞ」(1976年、朝日放送・松竹) - 鼠小僧次郎吉
- 夫婦旅日記 さらば浪人 第19話「ひょうたんから駒の物語」(1976年、フジテレビ・勝プロ)
- 同級生「私の父」より(1977年、TBS)
- 達磨大助事件帳 第17話「地獄の沙汰も銭」(1978年、テレビ朝日 / 前進座 / 国際放映) - 仁斉
- 松本清張おんなシリーズ・馬を売る女(1978年、TBS) - 八田英吉役
- 松本清張の顔・死の断崖(1978年、テレビ朝日)
- 明日の刑事 第25話「一万人マラソン殺人事件」(1978年、TBS・大映テレビ)
- 若さま侍捕物帳(1978年、テレビ朝日 / 前進座 / 国際放映)第3話
- 不毛地帯(1979年、毎日放送) - 芦田国雄
- 雲霧仁左衛門(1979年、KTV) - 木鼠の吉五郎
- 伝七捕物帳 第2期(1979年、テレビ朝日) - 関口陣十郎
- 活動屋ばんざい 日本映画の草分け 監督マキノ省三のカチンコ人生(1979年、関西テレビ) - 牧野省三
- 3年B組金八先生シリーズ(TBS) - 左右田
- 第1シリーズ(1979年 - 1980年)
- スペシャル9「子供を救え!大人達よ立ち上がれ」(1998年)
- ファイナル「最後の贈る言葉」(2011年)
- 蒼き狼 成吉思汗の生涯(1980年、テレビ朝日)
- 天皇の料理番(1980年 - 1981年、TBS)
- 鞍馬天狗(1981年、TBS) - 近藤勇
- 大江戸捜査網 第418話「錠前師の哀歌」(1981年、テレビ東京) - 松五郎
- いのち燃ゆ(1981年) - 多吉
- 淋しいのはお前だけじゃない(1982年、TBS)
- おゆう(1983年、TBS)
- 恋人・やめません?(1983年、TBS)
- 壬生の恋歌(1983年、NHK) - 芹沢鴨
- のんき君(1983年 - 1984年、フジテレビ)
西部警察スペシャル「燃える勇者たち」(1984年1月1日、テレビ朝日/石原プロ) 小山内
- 事件記者チャボ! 第6話(1983年、日本テレビ) - 三木(怪盗下がりぐも)
- 気分は名探偵(1984年 - 1985年、日本テレビ)
- サーティーン・ボーイ(1985年、TBS)
- 花へんろ 風の昭和日記 第二章(1986年、NHK)
- 大都会25時(1987年、テレビ朝日)
- 傑作時代劇「雲霧仁左衛門」(1987年7月、テレビ朝日・東映) - 松屋吉兵衛
- 大河ドラマ(NHK)
- 家と女房と男の名誉(1988年、フジテレビ) - 砂田伊平
- 火曜サスペンス劇場「再会・殺意の方程式」(1988年12月、NTV系・大映映像)
- 水曜グランドロマン「ニセ学歴」(1989年6月7日、日本テレビ)
- 終戦特集シリーズ真相2「ボクらの疎開戦争!」(1989年8月15日、テレビ朝日・PDS)
- 鬼平犯科帳(フジテレビ)
- 第1シリーズ 第15話「泥鰌の和助始末」(1989年) - 泥鰌の和助
- 第3シリーズ 第8話「妙義の團右衛門」(1992年) - 妙義の團右衛門
- 第9シリーズ 第1話「大川の隠居」(2001年) - 生駒の仙右衛門
- 月曜・女のサスペンス(テレビ東京系・宝塚映像)
- 「大阪の女」
- 「四国の女」(1991年)
- 小春の春(1989年、TBS)
- 続続・三匹が斬る! 第1話(SP)「帰ってきた三匹!九州路、取るは天下かはたまた夢か」(1990年、テレビ朝日) - 伊能忠敬
- 忠臣蔵(1990年、TBS) - 宝井其角
- 幕府お耳役檜十三郎(1991年、テレビ東京) - 田ノ内伊織
- 松本清張スペシャル・数の風景(1991年、テレビ朝日)
- 前畑がんばれ(1991年、NHK)
- 暴れん坊将軍IV 第61話「嵐呼ぶよな島帰り!」(1992年、テレビ朝日) - 長兵衛
- 清左衛門残日録(1993年、NHK総合) - 佐伯熊太
- 私が愛したウルトラセブン(1993年、NHK)
- 嘘つきは夫婦のはじまり(1993年、日本テレビ)
- 付き馬屋おえん事件帳 スペシャル「散る花 咲く花 吉原と大奥の光と影!」(1993年、テレビ東京) - 中野播磨守清茂
- お金がない!(1994年、フジテレビ) - 長尾修二
- 松本清張スペシャル・状況曲線(1994年、テレビ朝日) - 味岡正弘
- はぐれ刑事純情派(1994年、テレビ朝日 / 東映)第7シリーズ・スペシャル版「安浦刑事の挑戦!黒い疑惑…それはお立ち台ギャルの謎の死から始まった」 - 勝又謙吾
- 母の旅立ち(1995年、NHKドラマ新銀河)
- 流れ板七人(1997年、テレビ朝日)
- 夜会の果て(1997年、NHK)
- はみだし刑事情熱系PART2 第1話「東京〜札幌〜小樽、愛と復讐の銃弾」(1997年、テレビ朝日)
- 家政婦は見た!(1997年) - 田辺勇
- 翔ぶ男(1998年、NHK)
- 甘い結婚(1998年、フジテレビ)
- ブラザーズ BROTHERS(1998年、フジテレビ)
- 永遠のアトム 手塚治虫物語(1999年、テレビ東京) - 葛西健蔵
- フードファイト(2000年、日本テレビ)
- 私立探偵 濱マイク(2002年、日本テレビ)
- 天花(2004年、NHK連続テレビ小説)
映画
- 幕末 てなもんや大騒動(1967年)
- 一心太助(1967年)
- 早射ち犬 (1967年、大映)
- ドリフターズですよ! 前進前進また前進(1967年)
- とむらい師たち(1968、大映)
- 喜劇 深夜族(1969年、松竹)
- 続・男はつらいよ(1969年、松竹)
- 新・男はつらいよ(1970年、松竹)
- 喜劇・命のお値段(1971年、松竹)
- コント55号とミーコの絶体絶命(1971年、松竹)
- 喜劇 猪突猛進せよ!!(1971年、松竹)
- あゝ声なき友(1971年、松竹)
- 喜劇 男の子守唄(1972年、松竹)
- 虹をわたって(1972年、松竹)
- 藍より青く(1973年、松竹)
- 野良犬(1973年、松竹)
- 悪名縄張り荒らし(1974年、大映)
- 忍術 猿飛佐助(1976年、松竹)
- 黒木太郎の愛と冒険(1977年、ATG)
- 多羅尾伴内(1978年、東映)
- 多羅尾伴内 鬼面村の惨劇(1978年、東映)
- トラブルマン 笑うと殺すゾ(1979年、東宝)
- 青春グラフィティ スニーカーぶる〜す(1981年、東宝)
- 連合艦隊(1981年、東宝)
- 近頃なぜかチャールストン(1981年、ATG)
- ヨコハマBJブルース(1981年、東映)
- 探偵物語(1983年、東映)
- 逃がれの街(1983年、製作:日本テレビ、田中プロモーション、配給:東宝)
- ふしぎな國・日本(1983年、松竹)
- 蜜月(1984年、ATG)
- お葬式(1984年、ATG)
- CHECKERS IN TAN TAN たぬき(1985年)
- ジャズ大名(1986年、松竹)
- キネマの天地(1986年、松竹)
- 紳士同盟(1986年)
- ブラックボード(1986年)
- 落葉樹 (1986年)
- 首都消失(1987年)
- パチンコ物語(1990年、松竹)
- 元祖パチンコ物語・温泉珍道中(1994年、シネウエーブ)
- 元祖パチンコ物語・駅前戦争(1994年、シネウエーブ)
- 美味しんぼ(1996年、松竹)
- 宣戦布告(2002年、東映)
- ホーム・スイートホーム(2003年)
- ふたたび swing me again(2010年) - 貴島健三郎 役
アニメ
- ロボタン(1966年 - 1968年、フジテレビ) - 伊地野家のパパ[28]
- 親子ネズミの不思議な旅(1978年、日本ヘラルド映画) - ドブネズミ マニー[29]
- 吾輩は猫である(1982年) - 金田[30]
ラジオ
- 財津一郎・男の純情(1979年 - 1981年、ニッポン放送)
ナレーション
- メトロポリタンジャーニー(1996年、フジテレビ) - 旅のナレーター
バラエティ
CM
- 三共、新三共胃腸薬(現在は第一三共ヘルスケアから第一三共胃腸薬として発売)
- タケモトピアノ
- 原ヘルス工業、バブルスター
- NEC、バザールでござーる(バザール・デ・ゴザールの声)
- スタミナ食品(現・エスフーズ)、こてっちゃん
- 日本フルハップ(旧西日本KSD)
- 呼子萬坊、いかまんじゅう
- アサヒ飲料、十六茶
著書
- 聞いてチョウダイ 根アカ人生(熊本日日新聞社、2015年9月27日刊)
脚注
注釈
出典
- ^ a b 財津一郎 2015, pp. 9–11
- ^ a b c 財津一郎 2015, pp. 130-132「年表」
- ^ キナ線100年:済々黌人物誌(熊本日日新聞社編集局編著、熊本日日新聞社・刊 1982年12月)「異色の先輩 ~財津一郎さん~」より。
- ^ “【エンタがビタミン♪】「火垂るの墓」のよう。聞くものが目頭を押えた財津一郎の終戦直後の体験。(前編)”. Techinsight (2016年10月28日). 2016年9月15日閲覧。
- ^ 財津一郎 2015, p. 34
- ^ a b 財津一郎 2015, pp. 42–46
- ^ 財津一郎 2015, pp. 49–52
- ^ a b 財津一郎 2015, pp. 61–62
- ^ 財津一郎 2015, pp. 54–56
- ^ 財津一郎 2015, p. 56
- ^ 吉本興業 1989, p. 63.
- ^ 財津一郎 2015, pp. 64–71
- ^ 阿川佐和子「阿川佐和子のこの人に会いたい」『週刊文春』2010年11月18日号、文藝春秋、128 - 132頁。
- ^ “「ふたたび swing me again」主演 財津一郎さん特別インタビュー”. PHILE WEB (2010年11月10日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ “財津一郎、主演作「ふたたび」でいい秋にしてチョウダイ!”. 映画.com. (2010年10月27日) 2019年8月16日閲覧。
- ^ “「3年B組金八先生 ~ファイナル 「最後の贈る言葉」4時間SP~」2011年3月27日(日)放送内容”. テレビ紹介情報. 価格.com. 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “「ピアノ売ってちょーだい」のCMでお馴染み、俳優「財津一郎」は今どうしているのか”. デイリー新潮. (2019年8月16日) 2019年8月16日閲覧。
- ^ 「田村正和、財津一郎、 田中邦衛…あの国民的名優は今もお元気なのか」『現代ビジネス』、講談社、2019年9月29日、2019年10月2日閲覧。
- ^ a b 財津一郎 2015, pp. 84–86
- ^ 財津一郎 2015, pp. 94–96
- ^ 財津一郎 2015, pp. 81–83
- ^ 日外アソシエーツ 編 編『現代日本人名録 2002』(新訂)日外アソシエーツ、2002年、[要ページ番号]頁。ISBN 4-8169-1695-4。
- ^ 前田五郎『芸能界み〜んなホントのことでっせ!』日本文芸社、1993年、161-162頁。ISBN 4-537-02380-5。
- ^ 財津一郎 2015, pp. 59–60
- ^ “財津和夫 財津一郎と遠い親戚だった「冗談でなく本当だったとは」 ネットでも反響”. デイリースポーツ (2016年9月15日). 2016年9月15日閲覧。
- ^ 吉本興業 1989, p. 34.
- ^ "注目コンテンツをマルチに展開するプロジェクト『インデックス・エンタテインメント』開始第1弾は「タケモトピアノCM」の新たな展開をプロデュース!" (Press release). インデックス・ホールディングス. 5 April 2005. 2006年10月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月17日閲覧。
- ^ ロボタン - メディア芸術データベース
- ^ 親子ねずみの不思議な旅 - メディア芸術データベース
- ^ 吾輩は猫である - メディア芸術データベース
参考文献
- 財津一郎『聞いてチョウダイ 根アカ人生』熊本日日新聞社、2015年。ISBN 978-4-87755-529-0。
- 吉本興業 編 編『吉本新喜劇名場面集 1959-1989』データハウス、1989年。ISBN 4-924442-78-X。
外部リンク
- 財津一郎 - テレビドラマデータベース
- 財津一郎 - 日本映画データベース
- 財津一郎 - allcinema
- 財津一郎 - KINENOTE
- Ichirô Zaitsu - IMDb
- 財津一郎 - NHK人物録