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**ヤクルトは神宮球場での対阪神19回戦で[[土橋勝征]]が3号サヨナラ本塁打を打ち、プロ野球新記録となるチーム年間最多サヨナラ本塁打となる9本<ref>読売新聞1993年8月23日23面「ヤクルトがチーム年間サヨナラ本塁打の日本新」読売新聞縮刷版1993年8月p933</ref>。ヤクルトの[[広沢克己]]が一回裏に[[中西清起]]から三振を喫し、プロ通算1000三振<ref>読売新聞1993年8月23日23面「ヤクルト・広沢が1000三振」読売新聞縮刷版1993年8月p933</ref>。 |
**ヤクルトは神宮球場での対阪神19回戦で[[土橋勝征]]が3号サヨナラ本塁打を打ち、プロ野球新記録となるチーム年間最多サヨナラ本塁打となる9本<ref>読売新聞1993年8月23日23面「ヤクルトがチーム年間サヨナラ本塁打の日本新」読売新聞縮刷版1993年8月p933</ref>。ヤクルトの[[広沢克己]]が一回裏に[[中西清起]]から三振を喫し、プロ通算1000三振<ref>読売新聞1993年8月23日23面「ヤクルト・広沢が1000三振」読売新聞縮刷版1993年8月p933</ref>。 |
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**阪神の[[松永浩美]が神宮球場での対ヤクルト19回戦の一回表に6号本塁打を打ち、プロ野球新記録となる3試合連続先頭打者本塁打<ref>読売新聞1993年8月23日23面「阪神・松永が史上初の3試合連続先頭打者本塁打」読売新聞縮刷版1993年8月p933</ref>。 |
**阪神の[[松永浩美]]が神宮球場での対ヤクルト19回戦の一回表に6号本塁打を打ち、プロ野球新記録となる3試合連続先頭打者本塁打<ref>読売新聞1993年8月23日23面「阪神・松永が史上初の3試合連続先頭打者本塁打」読売新聞縮刷版1993年8月p933</ref>。 |
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* [[8月25日]] - 巨人の[[川相昌弘]]が東京ドームでの対阪神22回戦の一回裏に犠打を決め、プロ通算250犠打を達成<ref>読売新聞1993年8月23日23面「巨人・川相内野手が250犠打」読売新聞縮刷版1993年8月p1078</ref>。 |
* [[8月25日]] - 巨人の[[川相昌弘]]が東京ドームでの対阪神22回戦の一回裏に犠打を決め、プロ通算250犠打を達成<ref>読売新聞1993年8月23日23面「巨人・川相内野手が250犠打」読売新聞縮刷版1993年8月p1078</ref>。 |
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* [[8月27日]] - 近鉄の[[野茂英雄]]がグリーンスタジアム神戸での対オリックス16回戦の六回裏に[[高橋智]]から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成。阪神・[[江夏豊]]の940回を更新する、プロ野球史上最速の871回での達成<ref>読売新聞1993年8月28日20面「野茂、最速1000奪三振」読売新聞縮刷版1993年8月p1182</ref>。 |
* [[8月27日]] - 近鉄の[[野茂英雄]]がグリーンスタジアム神戸での対オリックス16回戦の六回裏に[[高橋智]]から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成。阪神・[[江夏豊]]の940回を更新する、プロ野球史上最速の871回での達成<ref>読売新聞1993年8月28日20面「野茂、最速1000奪三振」読売新聞縮刷版1993年8月p1182</ref>。 |
2020年1月11日 (土) 01:10時点における版
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競技結果
日本プロ野球
→「日本プロ野球」も参照
ペナントレース
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日本シリーズ
日付 | 試合 | ビジター球団(先攻) | スコア | ホーム球団(後攻) | 開催球場 |
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10月23日(土) | 第1戦 | ヤクルトスワローズ | 8 - 5 | 西武ライオンズ | 西武ライオンズ球場 |
10月24日(日) | 第2戦 | ヤクルトスワローズ | 5 - 2 | 西武ライオンズ | |
10月25日(月) | 移動日 | ||||
10月26日(火) | 第3戦 | 西武ライオンズ | 7 - 2 | ヤクルトスワローズ | 明治神宮野球場 |
10月27日(水) | 第4戦 | 西武ライオンズ | 0 - 1 | ヤクルトスワローズ | |
10月28日(木) | 第5戦 | 西武ライオンズ | 7 - 2 | ヤクルトスワローズ | |
10月29日(金) | 移動日 | ||||
10月30日(土) | 第6戦 | 雨天中止 | 西武ライオンズ球場 | ||
10月31日(日) | ヤクルトスワローズ | 2 - 4 | 西武ライオンズ | ||
11月1日(月) | 第7戦 | ヤクルトスワローズ | 4 - 2 | 西武ライオンズ | |
優勝:ヤクルトスワローズ(15年ぶり2回目) |
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
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タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 古田敦也 | ヤクルト | 工藤公康 | 西武 | ||
最優秀新人 | 伊藤智仁 | ヤクルト | 杉山賢人 | 西武 | ||
首位打者 | T.オマリー | 阪神 | .329 | 辻発彦 | 西武 | .319 |
本塁打王 | 江藤智 | 広島 | 34本 | R.ブライアント | 近鉄 | 42本 |
打点王 | 広沢克己 | ヤクルト | 94点 | R.ブライアント | 近鉄 | 107点 |
R.ローズ | 横浜 | |||||
最多安打 | 古田敦也 | ヤクルト | 161本 | 石井浩郎 | 近鉄 | 147本 |
和田豊 | 阪神 | |||||
盗塁王 | 緒方耕一 | 巨人 | 24個 | 大石大二郎 | 近鉄 | 31個 |
石井琢朗 | 横浜 | |||||
最高出塁率 | T.オマリー | 阪神 | .427 | 辻発彦 | 西武 | .395 |
最優秀防御率 | 山本昌広 | 中日 | 2.05 | 工藤公康 | 西武 | 2.06 |
最多勝利 | 山本昌広 | 中日 | 17勝 | 野田浩司 | オリックス | 17勝 |
今中慎二 | 中日 | 野茂英雄 | 近鉄 | |||
野村弘樹 | 横浜 | |||||
最多奪三振 | 今中慎二 | 中日 | 247個 | 野茂英雄 | 近鉄 | 276個 |
最高勝率 | 山本昌広 | 中日 | .773 | 工藤公康 | 西武 | .833 |
最優秀救援投手 | 石毛博史 | 巨人 | 30SP | 赤堀元之 | 近鉄 | 32SP |
ベストナイン
→「ベストナイン (日本プロ野球)」も参照
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
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守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 今中慎二 | 中日 | 工藤公康 | 西武 |
捕手 | 古田敦也 | ヤクルト | 田村藤夫 | 日本ハム |
一塁手 | 広沢克己 | ヤクルト | 石井浩郎 | 近鉄 |
二塁手 | ロバート・ローズ | 横浜 | 辻発彦 | 西武 |
三塁手 | 江藤智 | 広島 | 石毛宏典 | 西武 |
遊撃手 | 池山隆寛 | ヤクルト | 広瀬哲朗 | 日本ハム |
外野手 | 前田智徳 | 広島 | 秋山幸二 | 西武 |
A.パウエル | 中日 | 佐々木誠 | ダイエー | |
新庄剛志 | 阪神 | 藤井康雄 | オリックス | |
指名打者 | R.ブライアント | 近鉄 |
高校野球
メジャーリーグ
→詳細は「1993年のメジャーリーグベースボール」を参照
- ワールドシリーズ - トロント・ブルージェイズが4勝2敗でフィラデルフィア・フィリーズを下す。シリーズMVPはポール・モリター。
できごと
1月
2月
3月
- 3月2日 - 野球評論家の江夏豊が神奈川県警保安課と縁北署に覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕される[3]。
- 3月19日 - パ・リーグは今季のスローガンに「SEXY・パ・リーグ」としたと発表[4]。
- 3月23日 - ヤクルトスワローズは東新橋のヤクルト本社にて定例株主総会を開き、球団社長の相馬和夫が退任し酒井清人が新社長に、常務取締役・球団代表補佐に倉島今朝徳を選出[5][6]。
- 3月25日 - ロッテは株主総会を開き、球団代表の阿部利雄がロッテ商事取締役・商品需給部部長となり、後任にロッテ本社広報室担当部長の三ツ野充蔵が就任[7]。
4月
- 4月10日
- 4月11日
- 4月15日 - 【MLB】デトロイト・タイガースの監督のスパーキー・アンダーソンがデトロイトでの対オークランド・アスレチックス戦に3-2で勝ち、メジャー通算2000勝を達成[11]。
- 4月23日 - 巨人の長嶋一茂が甲子園球場での対阪神1回戦の四回表に阪神先発の仲田幸司から1号本塁打を打ち、これがセ・リーグ3万号本塁打となる[12]。
- 4月29日
- 広島の大野豊が広島市民球場での対ヤクルト4回戦の九回表から登板して7セーブ目を挙げ、プロ通算100セーブを達成[14]。
- 4月30日 - 巨人の斎藤雅樹が東京ドームでの対ヤクルト1回戦に先発して8回を投げ3勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[15]。
5月
- 5月7日
- 5月12日 - 西武の渡辺久信が西武球場での対オリックス5回戦に先発し1失点完投で3勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[18]。
- 5月19日
- 5月26日 - 広島の大野豊が広島市民球場での対中日5回戦の九回表から登板して11セーブ目を挙げ、プロ野球新記録となる開幕から11試合連続セーブを達成[21]。
- 5月30日 - 巨人は東京ドームでの対中日8回戦に4-3でサヨナラ勝ちし、球団通算4000勝を達成[22]。
6月
- 6月1日 - 巨人の原辰徳が横浜スタジアムでの対横浜7回戦に4番・三塁で先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[23]。
- 6月4日 - 近鉄の大石大二郎が日生球場での対ダイエー8回戦の八回裏二死二塁の場面で左前適時安打を打ち、プロ通算1500本安打を達成[24]。
- 6月5日 - 近鉄は藤井寺球場での対ダイエー9回戦、2対8とリードされた九回裏に6点差を追いつき9対8で逆転サヨナラ勝ち。九回裏に6点差を逆転しサヨナラ勝ちを収めたのはプロ野球史上初めて[25]。
- 6月8日 - ロッテの愛甲猛が仙台宮城球場での対近鉄9回戦を欠場し、連続試合出場が694で止まる[26]。
- 6月9日 - ヤクルトの伊藤智仁が金沢での対巨人11回戦に先発しセ・リーグタイ記録となる1試合16奪三振。九回裏に巨人の篠塚和典に3号サヨナラ本塁打を打たれ敗戦投手[27]。
- 6月10日 - 広島市民球場での広島対横浜12回戦で広島の北別府学が先発し、プロ通算500試合登板を達成[28]。広島の大野豊が5-3とリードした八回表途中から登板したが9回に2失点して5-5の同点となり、連続試合セーブは12で止まる[29]。
- 6月11日 - ダイエーの山本和範が福岡ドームでの対ロッテ9回戦の一回裏に左中間二塁打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[30]。
- 6月12日
- 6月17日 - 西武の平野謙が西武球場での対近鉄11回戦の六回裏無死一塁の場面で犠打を決め、プロ野球史上初めて通算400犠打を達成[33]。
- 6月27日 - 横浜の高木豊がナゴヤ球場での対中日15回戦で左中間二塁打を打ち、プロ通算300二塁打を達成[34]。
- 6月29日 - 阪神は松永浩美の背番号を「2」から「02」に変更すると発表[35]。
7月
- 7月1日 - 日本ハムの田村藤夫が千葉マリンスタジアムでの対ロッテ13回戦の九回表に2号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[36]。
- 7月4日 - ヤクルトのジャック・ハウエルが神宮球場での対巨人13回戦の九回裏に橋本清から15号サヨナラ本塁打を打ち、プロ野球新記録となるシーズン4本目のサヨナラ本塁打[37]。
- 7月6日 - ナゴヤ球場での中日対ヤクルト13回戦で9回までに中日が12、ヤクルトが16三振を喫し1試合合計28三振のプロ野球新記録。中日の今中慎二が先発し9回まで投げ、セ・リーグタイ記録の1試合16奪三振[38]。
- 7月8日 - 横浜の高木豊が東京ドームでの対巨人13回戦に3番・一塁で先発出場し、プロ通算1500試合出場を達成[39]。
- 7月9日 - オリックスの佐藤義則がグリーンスタジアム神戸での対ダイエー14回戦の五回表に浜名千広から三振を奪い、プロ通算1500奪三振を達成[40]。
- 7月10日
- 7月13日 - 巨人の槙原寛己が札幌円山球場での対広島14回戦に先発し9回途中まで投げ5勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[43]。
- 7月15日
- 7月20日 - 元広島の津田恒実が脳腫瘍のため午前2時45分、入院先の福岡市内の病院にて死去[46]。
8月
- 8月6日 - ナゴヤ球場での中日対巨人14回戦が、巨人ナインが東海道新幹線で事故が起きて運転を見合わせたため球場入りが大幅に遅れる見通しとなり、アグリーメントにより試合中止となる[47]。
- 8月8日 - オリックスの野村貴仁が千葉マリンスタジアムでの対ロッテ18回戦の七回裏に1イニング4奪三振を記録[48]。
- 8月11日 - 中日の郭源治がナゴヤ球場での対阪神15回戦の八回表一死一、二塁の場面で救援登板し7セーブ目を挙げ、プロ通算100セーブを達成[49]。
- 8月13日 - 西武は西武球場での対ダイエー18回戦で先発の渡辺久信が2回まで無失点に抑え、チームとしてパ・リーグ新記録の40回連続無失点を達成。3回表に失点し記録が止まる[50]。
- 8月17日 - オリックスの星野伸之が東京ドームでの対日本ハム18回戦に先発し8回2失点で7勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[51]。
- 8月18日 - 中日の落合博満がナゴヤ球場での対ヤクルト18回戦の六回裏に川崎憲次郎から15号2点本塁打を打ち、プロ通算450号本塁打を達成[52]。
- 8月19日 - 近鉄のラルフ・ブライアントが西武球場での対西武18回戦の八回表に石井丈裕から28号本塁打を打ち、プロ野球通算200号本塁打を達成。元阪神のランディ・バースの587試合を更新する、578試合での達成[53]。
- 8月22日
- 8月25日 - 巨人の川相昌弘が東京ドームでの対阪神22回戦の一回裏に犠打を決め、プロ通算250犠打を達成[57]。
- 8月27日 - 近鉄の野茂英雄がグリーンスタジアム神戸での対オリックス16回戦の六回裏に高橋智から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成。阪神・江夏豊の940回を更新する、プロ野球史上最速の871回での達成[58]。
9月
- 9月4日 - 西武の工藤公康が西武球場での対ダイエー21回戦に先発し1失点で完投し13勝目を挙げ、プロ通算100勝を達成[59]。
- 9月10日 - ヤクルトの山田勉が広島市民球場での対広島19回戦に先発し、セ・リーグタイ記録の1試合16奪三振を達成[60]。
- 9月17日 - 広島の監督の山本浩二が広島市のホテルにて記者会見し、今年限りで辞任すると正式に表明[61]。
- 9月20日 - ダイエーは24日付けで、球団社長の田辺寿、球団代表の坂井保之、編成部長兼海外部長の杉浦忠が退任し、監督の根本陸夫が代表取締役専務兼球団本部長に就任すると発表[62]。
- 9月21日 - プロ野球選手関係委員会と労働組合プロ野球選手会が東京・銀座のプロ野球機構会議室にて今年の秋から実施するフリー・エージェント制度について最終合意に達する。今年は機構側が提示した「1軍年間150日間で10年」で実施し、資格年数短縮のための条件については継続審議とすることで覚書を交わし確認[63]。
- 9月25日 - ヤクルトの広沢克己が神宮球場での対ヤクルト24回戦の十回裏に郭源治から23号サヨナラ本塁打を打ち、プロ通算200号本塁打を達成[64]。
- 9月27日 - 広島は広島市のホテルにて記者会見し、二軍監督の三村敏之が新監督に就任すると正式に発表[65]。
- 9月29日 - 巨人の桑田真澄がナゴヤ球場での対中日22回戦に先発し1回と1/3を投げ、プロ通算1500投球回を達成[66]。
10月
- 10月3日 - ヤクルトの池山隆寛が横浜スタジアムでの対横浜24回戦の五回表に23号2点本塁打を打ち、プロ通算200号本塁打を達成[67]。
- 10月5日 - 阪神の岡田彰布が甲子園球場内の球団事務所にて球団社長の三好一彦と話合い、三好から「契約は今季限り」と通告される[68]。
- 10月13日 - 西武は千葉マリンスタジアムでの対ロッテ25回戦に3-2で勝ち、4年連続リーグ優勝を達成[69]。西武の清原和博が一回表に左前安打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[70]。
- 10月14日 - 近鉄のラルフ・ブライアントが千葉マリンスタジアムでの対ロッテ25回戦で3三振を喫し、プロ野球史上初のシーズン200三振を記録[71]。
- 10月15日 - ヤクルトは神宮球場での対広島25回戦に5-1で勝ち、2年連続リーグ優勝を達成[72]。
- 10月16日 - 横浜の斎藤明夫選手兼任コーチが今季限りでの現役引退を退団を表明[73]。
- 10月17日 - 近鉄の野茂英雄が西武球場での対西武26回戦に先発し延長10回を投げ17勝目を挙げ、プロ野球史上初の4年連続最多勝を決める[74]。
- 10月20日 - 横浜の斎藤明夫が横浜スタジアムでの対中日26回戦の九回表から登板し、プロ通算600試合登板を達成[75]。
- 10月21日 - ロッテはロッテ本社にて記者会見し、牛島和彦が今季限りで現役引退すると正式に表明[76]。
- 10月25日 - 沢村栄治賞の選考が行われ、中日の今中慎二を選出[77]。
- 10月30日 - 日本ハムは広島から足立亘を金銭トレードで獲得したと発表[78]。
11月
- 11月1日 - プロ野球日本シリーズの第7戦が西武球場で行われ、ヤクルトが西武を4-2で下し78年以来15年ぶり2度目の日本一を達成[79]。
- 11月2日
- 11月3日 - プロ野球セ・パ両リーグの最優秀選手、最優秀新人、ベストナインを決定する記者投票の開票が行われ、最優秀選手にセがヤクルトの古田敦也、パは西武の工藤公康、最優秀新人にセはヤクルトの伊藤智仁、パは西武の杉山賢人を選出[82]。
- 11月8日 - 横浜は横浜市内のホテルに高木豊、屋鋪要、山崎賢一、大門和彦、松本豊、市川和正を呼び、今季限りでの解雇を通告[83]
- 11月16日 - 西武の秋山幸二・渡辺智男・内山智之とダイエーの佐々木誠・村田勝喜・橋本武広の交換トレードが成立したと西武、ダイエー両球団が発表[84]。
- 11月20日 - 1993年度のプロ野球のドラフト会議が東京の新高輪プリンスホテルにて開かれる[85]。
- 11月23日 - ヤクルトの杉浦亨と捕手兼バッテリーコーチの八重樫幸雄が今季限りでの現役引退を正式に表明[86]。
12月
誕生
1月
- 1月5日 - 中谷将大
- 1月9日 - レオナルド・ウルヘエス
- 1月14日 - ドヴィダス・ネブラウスカス
2月
3月
- 3月1日 - マイケル・コンフォルト
- 3月2日 - ホセ・アドリス・ガルシア
- 3月5日 - カイル・シュワーバー
- 3月5日 - 後藤駿太
- 3月15日 - マイケル・フルマー
- 3月27日 - ブランドン・ニモ
4月
5月
6月
- 6月4日 - アーロン・ノラ
- 6月4日 - ホルヘ・ボニファシオ
- 6月4日 - 宇佐見真吾
- 6月7日 - 呉念庭
- 6月11日 - ホルヘ・アルファーロ
- 6月12日 - ショーン・ニューカム
- 6月23日 - ティム・アンダーソン
- 6月26日 - 吉本祥二
- 6月27日 - 野田昇吾
- 6月30日 - トレイ・ターナー
7月
8月
9月
10月
11月
12月
死去
- 1月21日 - チャーリー・ゲーリンジャー(*1903年)
- 2月2日 - 田丸仁(*1926年)
- 3月4日 - 岩本章(*1921年)
- 4月7日 - ボブ・アレキサンダー(*1922年)
- 6月11日 - 矢野祐弘(*1931年)
- 6月26日 - ロイ・キャンパネラ(*1921年)
- 7月3日 - ドン・ドライスデール(*1936年)
- 7月20日 - 津田恒実(*1960年)
- 10月11日 - リー・ウォールス(*1933年)
- 11月12日 - ビル・ディッキー(*1907年)
- 12月7日 - 森永勝也(*1934年)
- 12月25日 - 藤村隆男(*1920年)
脚注
- ^ 中日ドラゴンズ 編 編『中日ドラゴンズ70年史』中日新聞社、2006年、174頁。ISBN 4806205141。
- ^ セ・リーグHistory Archived 2013年11月19日, at the Wayback Machine.セ・リーグ公式サイト
- ^ 毎日新聞1993年3月4日27面「江夏元投手を逮捕 覚せい剤所持現行犯 自宅マンション 『寂しくて、3年前から』」毎日新聞縮刷版1993年3月p131
- ^ 毎日新聞1993年3月20日24面「SEXY・パ・リーグ」毎日新聞縮刷版1993年3月p774
- ^ 毎日新聞1993年3月24日24面「ヤクルト新球団社長」毎日新聞縮刷版1993年3月p928
- ^ “球団のあゆみ 1990年代”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト. 2015年12月31日閲覧。
- ^ 毎日新聞1993年3月26日21面「三ツ野氏がロッテ新球団代表に」毎日新聞縮刷版1993年3月p1021
- ^ 読売新聞1993年4月11日25面「広島・北別府が通算3000イニング達成」読売新聞縮刷版1993年4月p505
- ^ 読売新聞1993年4月12日夕刊17面「近鉄・大石が350盗塁を達成」読売新聞縮刷版1993年4月p537
- ^ 読売新聞1993年4月12日夕刊17面「秋山通算300号、西武快勝」読売新聞縮刷版1993年4月p537
- ^ 読売新聞1993年4月19日25面「アンダーソン監督が2000勝」読売新聞縮刷版1993年4月p763
- ^ 読売新聞1993年4月24日17面「巨人・長嶋が通算3万号」読売新聞縮刷版1993年4月p1089
- ^ 読売新聞1993年4月30日19面「巨人・原が通算1000打点」読売新聞縮刷版1993年4月p1353
- ^ 読売新聞1993年4月30日19面「大野100セーブ達成 既に100勝もプロ4人目」読売新聞縮刷版1993年4月p1353
- ^ 読売新聞1993年5月1日19面「巨人・斎藤が通算100勝」読売新聞縮刷版1993年5月p19
- ^ 読売新聞1993年5月8日19面「落合 セでも200号」読売新聞縮刷版1993年5月p233
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- ^ 読売新聞1993年10月21日21面「横浜・斎藤明が600試合登板」読売新聞縮刷版1993年10月p975
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- ^ 読売新聞1993年10月26日21面「今中に初の沢村賞」読売新聞縮刷版1993年10月p1221
- ^ 読売新聞1993年10月31日21面「広島・足立、日本ハムへ移籍」読売新聞縮刷版1993年10月p1477
- ^ 読売新聞1993年11月2日1面「ヤクルト15年ぶり日本一」読売新聞縮刷版1993年11月p59
- ^ 読売新聞1993年11月3日23面「松永(阪神)FA宣言1号」読売新聞縮刷版1993年11月p133
- ^ 読売新聞1993年11月3日23面「野村監督に『正力賞』『日本一』チーム作り評価」読売新聞縮刷版1993年11月p133
- ^ 読売新聞1993年11月4日19面「古田 大差でMVP 『パ』は工藤 辻抑える 新人王に伊藤(ヤクルト)・杉山(西武)」読売新聞縮刷版1993年11月p161
- ^ 読売新聞1993年11月9日21面「高木、屋鋪ら6人解雇 横浜通告」読売新聞縮刷版1993年11月p409
- ^ 読売新聞1993年11月17日21面「西武 ダイエー 3対3 大型トレード」読売新聞縮刷版1993年11月p763
- ^ 読売新聞1993年11月20日夕刊11面「すんなり『相思相愛』ドラフト会議 明暗消えてなごやま」読売新聞縮刷版1993年11月p951
- ^ 読売新聞1993年11月24日19面「八重樫と杉浦引退表明」読売新聞縮刷版1993年11月p1099
- ^ 読売新聞1993年12月17日15面「西本、退団決まる」読売新聞縮刷版1993年12月p771