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*『[[南史]]』巻11 列伝第1 |
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2019年10月29日 (火) 00:22時点における版
何皇后 | |
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在位 | 493年 - 494年 |
全名 | 何婧英 |
配偶者 | 廃帝鬱林王 |
父親 | 何戢 |
母親 | 宋氏(余杭広昌郷君) |
何 婧英(か せいえい、生没年不詳)は、南朝斉の蕭昭業の皇后、鬱林王妃。本貫は廬江郡灊県。
経歴
撫軍将軍何戢と側室の宋氏(余杭広昌郷君)の間の娘として生まれた。484年(永明2年)、蕭昭業にとついで南郡王妃となった。493年(永明11年)、皇太孫妃となった。蕭昭業が即位すると、皇后に立てられた。後宮にあって蕭昭業の側近の楊珉之と姦通し、寝所をともにして夫婦のようであった。楊珉之は蕭昭業とも関係を持っていたため、蕭昭業は婧英と楊珉之との関係を好きに任せていた。婧英の親族が宮中に入ると、ひとりあたり百数十万の賞賜を受けた。また婧英の親族は武帝の耀霊殿を占拠した。蕭昭業が廃位されると、婧英は鬱林王妃に降格された。