「大谷駅 (滋賀県)」の版間の差分
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地形的には[[逢坂山トンネル|逢坂峠]]より西で[[山科盆地]]の縁だが、滋賀県に属する。駅そばには老舗の「うなぎの名店」や峠の茶屋が有るだけに見えるが、名神高速蝉丸トンネル西側で入り口から北側へ続く道沿いに大谷団地、大津市営乗馬練習場がある(その敷地は旧陸軍の「大谷射撃場」跡である<ref>「今昔マップ[http://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=34.996394&lng=135.853189&zoom=16&dataset=keihansin&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2]」にて確認できる。</ref>)。 |
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2019年2月11日 (月) 01:22時点における版
大谷駅 | |
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改札口(2006年9月) | |
おおたに Otani | |
◄OT33 追分 (1.6 km) (1.7 km) 上栄町 OT35► | |
所在地 | 滋賀県大津市大谷町23-5 |
駅番号 | OT 34 |
所属事業者 | 京阪電気鉄道 |
所属路線 | ▲京津線 |
キロ程 | 5.0 km(御陵起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
225人/日(降車客含まず) -2016年- |
乗降人員 -統計年度- |
485人/日 -2016年- |
開業年月日 | 1912年(大正元年)8月15日 |
備考 | 無人駅 |
配線図 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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大谷駅(おおたにえき)は、滋賀県大津市大谷町にある、京阪電気鉄道京津線の駅。駅番号はOT34。
ほぼ同じ位置に存在した官設鉄道東海道本線の大谷駅についてもこの記事で述べる。
歴史
- 1879年(明治12年)8月18日 - 京都 - 大谷間開通により東海道本線の駅が開業。
- 1880年(明治13年)7月15日 - 大谷 - 大津(現膳所)間開業。
- 1912年(大正元年)8月15日 - 京津電気軌道 三条大橋 - 札ノ辻(後に廃止)間開通により京津電気軌道の駅が開業[1]。東海道本線の駅と乗換駅になる。
- 1921年(大正10年)8月1日 - 東海道本線馬場(現膳所)- 京都間のルート切り替えに伴い東海道本線の駅が廃止。
- 1925年(大正14年)2月1日 - 会社合併により京阪電気鉄道京津線の駅となる。
- 1930年(昭和5年)11月9日 - 労働組合関係者による電車脅迫脱線事件が起きる(京阪京津線電車脅迫脱線事件を参照)。
- 1932年(昭和7年)4月7日 - 「京津国道(国道1号)」の改良工事に伴い大谷駅新築移転。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 会社合併により京阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)の駅となる。
- 1945年(昭和20年)
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 会社分離により、改めて京阪電気鉄道の駅となる。
- 1996年(平成8年)11月16日 - プラットホームをびわ湖浜大津寄りに71m移設され、駅舎が新築される。
- 2002年(平成14年)3月1日 - 京津線に「スルッとKANSAI」システムの導入のため自動改札機・精算機を設置、使用開始。
- 2007年(平成19年)4月1日 - ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる。
駅構造
相対式2面2線のホームを持つ地上駅。改札口は大津方面行きホーム京都方にあり、反対側の京都方面行きホームへは構内踏切で連絡している。
この駅は終日無人化されており、自動券売機は設けられていない。従って乗車時には改札口にある乗車駅証明書を取り、運賃は降車駅で精算する。但し自動改札機は設けられているため、スルッとKANSAIカードは他の駅同様に使用できる。自動改札機は開閉式ではなく、ICカード用カードリーダーも別に設けられている。
- 40パーミルの勾配上にあり、日本の普通鉄道・軌道では日本一の急傾斜の駅である。1991年から1996年の移設までは30パーミルで明知鉄道の野志駅と並び第2位であった。
- ホームベンチは左右で脚の長さが異なるほどである。
- 「軌道建設規程」により軌道の停留場の勾配は10パーミル以下にしなければならないと定められているが、当駅は内務大臣(当時)の特別の許可を受けている。
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駅全景
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ホーム
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勾配のため脚の長さが異なるベンチ
のりば
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
改札口側 | ▲京津線 | 上り | びわ湖浜大津・石山寺・坂本比叡山口方面 | 石山寺・坂本比叡山口方面はびわ湖浜大津駅乗換 |
反対側 | ▲京津線 | 下り | 京阪山科・ 地下鉄東西線 三条京阪方面 | 御陵駅より地下鉄東西線へ直通 |
※両ホームとも有効長は4両。のりば番号は設定されていない。
利用状況
1日:356人(2009年11月10日) 1990年代半ばまでは800人前後乗降客数だったが、以後減少に転じ2002年には500人を割り込み、400人前後で推移している。
京阪電気鉄道開業百周年記念誌『京阪百年のあゆみ』資料編「駅別乗降客の推移」より
駅周辺
地形的には逢坂峠より西で山科盆地の縁だが、滋賀県に属する。駅そばには老舗の「うなぎの名店」や峠の茶屋が有るだけに見えるが、名神高速蝉丸トンネル西側で入り口から北側へ続く道沿いに大谷団地、大津市営乗馬練習場がある(その敷地は旧陸軍の「大谷射撃場」跡である[2])。
官設鉄道大谷駅
大谷駅(おおたにえき)は、新逢坂山トンネル開業前の東海道本線(一部は現在の奈良線になっている)に存在した駅。
京都 - 大津(この大津駅は現在の京阪電気鉄道京津線びわ湖浜大津駅に近接した位置にあった)間の鉄道全通に先駆け、京都 - 大谷間が開業した際に設けられた駅である。この際のルート選定では、当時東山や逢坂山を横断するトンネルの開削技術がまだなく、また東山を直接越えると急勾配が発生してしまう(後にこのルートで開業した京阪京津線には、碓氷峠とほぼ同じ66.7パーミルの勾配が生まれた)ことから、京都から現在の奈良線のルートで稲荷駅まで南下した後、東へ稲荷山の山すそを迂回するものが採用された。
駅は逢坂山トンネルのすぐ西側、蝉丸神社の近くに設けられ、相対式ホーム2面2線となっており、中線が1本存在した。上下線間の連絡は、跨線橋によって行っていた。
明治はじめ、京都 - 大津(後のびわ湖浜大津)間鉄道開業前年の1879年(明治12年)8月の京都 - 大谷間開業時に開設、1921年(大正10年)8月に廃止された。駅跡は逢坂山トンネル坑口と共にしばらく残っていて、京阪京津線の電車内から見ることができたが、現在は名神高速道路の盛り土に埋まっている。なお太平洋戦争中は旧トンネル内で航空機部品工場として使用された逸話がある。現在残った東側の入り口もフタをされ、中は京都大学が地震計を設置して観測している。
隣の駅
かつて存在した路線
- 鉄道省(官設鉄道)
- 東海道本線(旧線)
- 馬場駅(現・膳所駅) - 大谷駅 - 山科駅
- ※当時の山科駅は現在の東海道本線・湖西線の駅とは位置が異なり、現在の名神高速道路沿いの京都市営地下鉄東西線小野駅付近であった。
脚注
関連項目
外部リンク
- 駅情報局:大谷駅(おけいはん.ねっと) - 京阪電気鉄道