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2019年2月11日 (月) 01:10時点における版
- この記事は英語版に基づいています。詳しくは/履歴をご覧ください。
エルサレム総主教庁(エルサレムそうしゅきょうちょう)は正教会の9つの総主教庁の一つ。古代5総主教座のひとつであるとともに、新約聖書「使徒行伝」 で初代教会とされるエルサレム教会につらなるキリスト教世界最古の歴史をもつ。
451年までエルサレムには正教の主教座が置かれていたが、カルケドン公会議でエルサレム主教に総主教の地位が認められたため、以後は総主教を名乗っている。
記録に残る最古のエルサレム総主教は62年のイアコフであり、これは伝承によれば「義人イヤコフ」と同一の人物である。イスラム教登場後、パレスチナがアラブ人に征服された後、イスラム教徒はエルサレムはこの地方におけるキリスト教の中心地でありエルサレム総主教がその指導者であると認識した。十字軍のエルサレム攻囲戦後の1099年、ローマ・カトリックによる十字軍はエルサレムに西方教会の司教を任じ、正教の主教をエルサレムから追放し、1187年に到るまで正教のエルサレム総主教はコンスタンティノポリスに在住した。
今日ではエルサレム総主教庁はエルサレムの聖墳墓教会に置かれている。
エルサレム主教の一覧 (62年 - 451年)
- 義人イヤコフ (- 62年)
- シメオン (クロパの子) (62 - 107年)
- Justus I (?- 111年)
- Zaccheus (?)
- Tobias (?)
- ベニヤミン1世 (?)
- イオアン1世 (?)
- マトフェイ1世 (?)
- フィリップ (?)
- Senecas (?)
- Justus2世 (?)
- レビイ(?)
- エフレム (?)
- イオシフ1世 (?)
- イウダ (?- 134年)
- マルコ (134 -?)
- カッシアン (?)
- Poplius (?)
- マキシム (?)
- ユリアン1世 (?)
- Gaius1世 (?)
- Symmachus (?)
- Gaius II (?)
- ユリアン2世 (?)
- Capion (?)
- マキシム2世 (?)
- アントニン (?)
- ウァレンス (?)
- Dolichianus (?)
- Narcissus(185年 - ?)
- ディイ (?)
- Germanion (?)
- Gordius (?)
- Narcissus(再任)(? - 231年)
- Alexander(231 - 251年)
- Mazabanis(251-260年)
- イメメイ(260-298年)
- Zamudas(298-300年)
- エルモン(300-314年)
- マカリイ1世(314-333年)
- マキシム3世(333-348年)
- キリール1世(350-386年)
- イオアン2世(386-417年)
- プラウリイ(417-422年)
- Iouvenalios (422-?)
- アタナシイ1世 (?)
- Martyrius (?)
- Sallustius (?)
- イリア1世 (?)
- イオアン3世 (?)
エルサレム総主教の一覧
- ペトル(? - 458年)
- マカリイ2世(552年、564 - 575年)
- エウストキイ (552 - 564)
- イオアン4世 (575 - 594)
- アモス (594 - 601)
- イサアク (601 - 609)
- ザハリア(609 - 632年)
- モデスト(632 - 634)
- ソフロニイ1世(634 - 638年)
- 空位
- アファナシイ2世(?-706年)
- イオアン5世(706-735年)
- フェオドル(745-770年)
- イリア2世(770-797年)
- ゲオルギイ(797-807年)
- フォマ1世(807-820年)
- ワシリイ(820-838年)
- イオアン6世(838-842年)
- セルギイ1世(842-844年)
- ソロモン(855-860年)
- フェオドシイ(862-878年)
- イリア3世(878-907年)
- ゲルギイ2世(908-911年)
- レオンティ1世(912-929年)
- アファナシイ1世(929-937年)
- Christodolus(?-937年)
- アガフォン(950-964年)
- イオアン7世(964-966年)
- Christodolus II(966-969年)
- フォマ2世(969-978年)
- イオシフ2世(980-983年)
- Orestes(983-1005年)
- フェオフィル1世(1012-1020年)
- ニキフォル1世 (1020-?)
- Joannichius (?)
- ソフロニイ2世 (?)
- エウフェミイ1世(1084年)
- シモン2世(1084-1106年)
- Savvas(1106-1156年)
- イオアン8世(1106-1156年)
- ニコライ (?)
- イオアン9世(1156-1166年)
- ニキフォル2世(1166-1170年)
- レオンティ2世(1170-1190年)
- ドシフェイ1世(?-1191年)
- マルコ2世 (1191-?)
- エウフェミイ2世(1223年頃)
- アファナシイ2世(1224-1236年)
- ソフロニイ3世 (1236-?)
- グレゴリイ1世(?-1298年)
- Thaddaeus(1298年)
- アファナシイ3世(1313頃-1314年)
- グレゴリイ2世(1322年)
- ラザリ(1334頃-1368年)
- アルセニイ(1344年)
- ドロフェイ1世(1376-1417年)
- フェオフィル2世(1417-1424年)
- フェオファン1世(1424-1431年)
- イオアキム (1431-?)
- フェオファン2世(1450年)
- アファナシイ4世 (1452-?)
- イアコフ2世(1460年頃)
- アウラアム(1468年)
- グレゴリイ3世(1468-1493年)
- マルコ3世(1503年)
- ドロフェイ2世(1505頃-1537年)
- ゲルマン(1537-1579年)
- ソフロニイ4世(1579-1608年)
- フェオファン3世(1608-1644年)
- パイセイ(1645-1660年)
- ネクタリイ1世(1660-1669年)
- ドシフェイ2世(1669-1707年)
- Chrysanthus(1707-1731年)
- メレティイ(1731-1737年)
- パルフェミィ(1737-1766年)
- エフレム2世(1766-1771年)
- ソフロニイ5世(1771-1775年)
- アウラミイ(1775-1787年)
- プロコピイ1世(1787-1788年)
- アンフェム(1788-1808年)
- ポリカルプ(1808-1827年)
- アファナシイ5世(1827-1845年)
- キリール2世(1845-1872年)
- プロコピイ2世(1872-1875年)
- イェロフェイ(1875-1882年)
- ニコデム(1883-1890年)
- ゲラシム(1891-1897年)
- ダミアヌ(1897-1931年)
- ティモフェイ(1935-1955年)
- ベネディクト(1957-1980年)
- ディオドル(1981-2000年)
- イリネオス(2001-2005年)
- セオフィロス3世(2005-)