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'''亀田 誠治'''(かめだ せいじ、[[1964年]][[6月3日]] - )は、[[日本]]の[[音楽プロデューサー]]、[[ミュージシャン]]([[ベーシスト]])。バンド・'''[[東京事変]]'''の元メンバー<ref name="kameonprofile">{{cite web|url= https://kame-on.com/profile/ |title= Profile -人に歴史あり- |date= |accessdate= 2017-04-23 |publisher= [[亀の恩返し]] }}</ref>。[[アメリカ合衆国]][[ニューヨーク]]出身<ref name="lifestyle">{{Cite interview|subject= 【ゆめを叶えた大人の子ども時代、ヒヨっ子ちゃずのイラストインタビューVol.4】 |date= 2017-03-16|interviewer= イラストレーターちゃず(取材)・馬島利花(文) |url= https://woman.excite.co.jp/article/lifestyle/rid_E1488172686199/ |title= 音楽プロデューサー・ベーシスト亀田誠治 |program= くらし, [[エキサイト|ウーマンエキサイト]] |accessdate= 2017-04-23}}</ref>。[[武蔵中学校・高等学校|私立武蔵高等学校]]を経て、[[早稲田大学]]卒業<ref name="kameonprofile"/>。妻は歌手の[[下成佐登子]]。 |
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2004年に[[椎名林檎]]らと'''[[東京事変]]'''を結成し、2012年まで活動。2005年からは[[ap bank fes]]に[[bank band]]のベーシストとして参加している。 |
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[[第49回日本レコード大賞|第49回]](2007年)・[[第58回日本レコード大賞|第58回]](2015年)[[日本レコード大賞]]で編曲賞を受賞。 |
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[[タモリ]]のファンである<ref>[https://twitter.com/seiji_kameda/status/392697002737156096 亀田誠治 @hyakutanaoki 2013年10月22日10:00 のツイート]</ref>。 |
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アレンジャーとベーシストとして参加した[[椎名林檎]]のアルバムが2作連続して'''[[ミリオンセラー]]'''となったことで音楽業界に名前が知られるようになり、2000年代に入ると次第に音楽プロデューサーとしての仕事が増えてくる<ref name="rikunabi"/>。[[スピッツ (バンド)|スピッツ]]や[[平井堅]]、[[スガシカオ]]など、様々なアーティスト達から次々にプロデュースの依頼が舞い込むようになり、有名プロデューサーの仲間入りを果たした。 |
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== 主な仕事 == |
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2018年4月29日 (日) 00:02時点における版
亀田誠治 | |
---|---|
生誕 |
1964年6月3日(60歳) アメリカ合衆国・ニューヨーク |
出身地 | 日本 |
学歴 | 早稲田大学第一文学部 |
職業 |
音楽プロデューサー 編曲家 ソングライター 作詞家 作曲家 ベーシスト |
担当楽器 |
ベース ギター ドラム キーボード ピアノ シンセサイザー |
活動期間 | 1989年 - |
レーベル |
EMIミュージック・ジャパン[注 1] (2004年 - 2012年) |
事務所 |
ハーフトーンミュージック 誠屋 |
共同作業者 | 東京事変など |
公式サイト | 亀の恩返し |
亀田 誠治(かめだ せいじ、1964年6月3日 - )は、日本の音楽プロデューサー、ミュージシャン(ベーシスト)。バンド・東京事変の元メンバー[1]。アメリカ合衆国ニューヨーク出身[2]。私立武蔵高等学校を経て、早稲田大学卒業[1]。妻は歌手の下成佐登子。
人物
これまでに、椎名林檎(編曲)、平井堅・スピッツ・GLAY・Do As Infinity・いきものがかり(編曲・プロデュース)、JUJU(作詞・編曲・プロデュース)、大原櫻子(作詞・作曲・編曲・プロデュース)など、数多くのアーティストやアイドル、女優などのプロデュースやアレンジなどを手がける。
2004年に椎名林檎らと東京事変を結成し、2012年まで活動。2005年からはap bank fesにbank bandのベーシストとして参加している。
第49回(2007年)・第58回(2015年)日本レコード大賞で編曲賞を受賞。
オフィシャルサイトで自身の知識をフリーでシェアして新しい才能を応援する「恩返し」プロジェクトも展開している[3]。
プロデュースする際の信条は、本人いわく「アーティストの喉元にあるアイデアを引き出し、かたちにするお手伝い」という気持ちで行うこと[2]。
講演会なども積極的に実施し、早稲田大学(東京)や立命館大学(京都)で特別講義を行っている。
影響
音楽を聴くのが好きだった母親の影響で自宅では常にステレオからクラシックの名曲や当時流行っていたビートルズなどさまざまなジャンルの音楽が流れていたことがきっかけで音楽に親しむようになった[2]。
雑誌『ベースマガジン』にて、「細部に渡ってポール・マッカートニーに音楽を学んだ」と語っている[4]。ギターを持ちながらビートルズのレコードをかけ、「ハロー・グッドバイ」を聴いた時に自然とベースのラインを追っかけていた事がベースを始めるきっかけだったという。初めて買ったベースも、ポールの使うリッケンバッカーのコピーモデルだった[5]。
邦楽ではサザンオールスターズ[6]、オフコース[7]のファンである。また、小林武史にも影響を受けており、ラジオから流れた「真夏の果実」がきっかけで「プロデューサーが加わる事によってこんなにも音楽は生き生きと表情を変えるんだ、新しい息吹が吹きこまれることを知った」と述べている[8]。
日本国内で彼に影響を受けたベーシストは数多く、高い技量、メロディーラインを食わない派手なベースライン、音楽的思考、そして独特の歪んだベースの音などは彼の持ち味といえる。
使用機材
- フェンダー・ジャズベース(66年製) - 1984年、20歳の時に購入[1]。メインベースとして使用[5]。
- フェンダー・プレシジョンベース(60年製)
- フェンダー・ムスタングベース
- YAMAHA BB-2000 - 高校一年の時に購入。ジャズベースを購入した際にフレットレスに改造[5]。
- YAMAHA BB-2024カメダ・エディション - 自身のシグネイチャー・モデル。東京事変のアルバム『スポーツ』時に腱鞘炎を患い、アルバムツアーでの肉体的負担を減らすためにより軽くて弾きやすいベースが必要だったことと、老朽化したジャズベースをレコーディング用に温存するためにヤマハと共同開発[5]。以後、レコーディングやライブで多く使用。
- YAMAHA SLB-100 - エレクトリック・アップライト・ベース。
- YAMAHA SLB-200LTD - エレクトリック・アップライト・ベース。
来歴
生い立ち
1964年、両親が仕事で駐在していたときにアメリカ合衆国ニューヨークで生まれるが、生後1年で帰国[1][2]。両親は栃木県の出身[10]。
3歳のとき、ピアノを習い始める[2]。大阪の千里に引っ越し、吹田市立千里第三小学校に入学[1]。小学五年生の時にたまたま自宅にあったクラシックギターでビートルズをコピーしたことをきっかけにギター教室に通うが、六年生になると東京の江古田に引っ越すことになり、ギターはそれきりになる[1][2]。東京では趣味はBCL(海外短波放送受信)と全米TOP40という洋楽のヘビーリスナーになる[1][2]。中学二年生の時にベースを購入し、プロのミュージシャンになることを意識し始める[2]。
音楽業界へ
大学在学中にピアニスト・ヴォーカリストの吉中美樹と音楽ユニット「Miki-Pooh」を結成。就職活動の代わりに曲を書き、デモテープを作ってはレコード会社に送り、バンドのコンテストにも応募するなど、音楽業界へ入る道筋を探すが、結果は出なかった[3]。彼が作った曲をきっかけに仲間のデビューが決まるが、デビュー曲の作曲やアレンジはプロが行い、彼自身はデビューすることもそこに関わることもできなかった[3]。しかし、その縁でプロのレコーディング現場に出入りするようになり、スタジオに通いながらプロのやり方を勉強している内にこまごまとした仕事を任されるようになる[3]。
1988年、友人の助けを得て一留で大学を卒業。この頃から自作デモテープがオーディションで各賞を総ナメにするようになる[1]。
1989年、自作曲がコンペで当選し、最初の転機が訪れる[11]。アイドルグループ・CoCoのデビュー直後のシングルに採用されることが決まっただけでなくアレンジも任されることになり、ハーフトーンミュージックに所属して編曲家として活動を開始する[3]。また同年にシンガーソングライター崎谷健次郎のサポート・ミュージシャンに起用され、それをきっかけにベーシストとしても様々なアーティストたちのレコーディングにスタジオ・ミュージシャンとして参加するようになる[3]。1995年には崎谷健次郎のアコースティック・ライヴに参加し、その模様はNHK-BS2で放映された。
音楽プロデュース業確立期
1998年、椎名林檎と出会い、これが2度目の転機となる[11]。当時、彼女のような個性を持つアーティストはおらず、それをどう生かすかで悩んでいたレコード会社の担当者が、亀田なら彼女と上手に向き合って何か生み出してくれるのではないかと期待して声をかけてきたものだった[注 2]。
アレンジャーとベーシストとして参加した椎名林檎のアルバムが2作連続してミリオンセラーとなったことで音楽業界に名前が知られるようになり、2000年代に入ると次第に音楽プロデューサーとしての仕事が増えてくる[3]。スピッツや平井堅、スガシカオなど、様々なアーティスト達から次々にプロデュースの依頼が舞い込むようになり、有名プロデューサーの仲間入りを果たした。
「東京事変」結成〜解散
2004年夏、旧知の椎名林檎の誘いで彼女のバンド「東京事変」にベーシストとして加入、40歳にして念願のバンドデビューを果たし、ミュージシャンとして日本武道館のステージに立つという25年越しの夢を実現した[3]。
2007年、平井堅の「哀歌 (エレジー) 」やアンジェラ・アキ「サクラ色」など数多くの楽曲を編曲した実績により、第49回日本レコード大賞の編曲賞を受賞した。
2008年5月、映画『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』の制作スタッフからの指名で、布袋寅泰、KREVAとともに期間限定ユニット「The THREE」を結成し、映画をプロモーションする[13]。
2009年5月2日・3日、日本武道館にて、自身の総指揮によるライブイベント「亀の恩返し」を開催[14]。
2009年12月6日、TBS系放送の情報ドキュメンタリー番組「情熱大陸」に出演、作業風景が特集される。
2010年、NHK-BS2で放送されている音楽情報番組『ウエンズデー J-POP』に音先案内人として不定期出演。
2011年12月31日、東京事変のメンバーとして「第62回NHK紅白歌合戦」に出場する椎名林檎のバックバンドを務める。
現在まで
2012年7月1日、クリエイティブディレクターの箭内道彦の東日本大震災復興支援プロジェクト「THE HUMAN BEATS」の一環として楽曲制作の依頼を受け、箭内が作詞・作曲、亀田がプロデュースを手がけたチャリティソング「『two shot』feat.キヨサク【one chorus ver.】」が配信リリースされる[15][注 3]。ボーカルはMONGOL800のキヨサクがウクレレの弾き語りで参加。
2012年9月19日、「THE HUMAN BEATS」のチャリティCD「Two Shot」がタワーレコード限定でリリースされる[16][注 3]。前作の配信版に新たにRHYMESTERのMummy-Dがラッパーとして参加。
2012年11月4日、ラフォーレミュージアム六本木にて、ヤマハLMが開催するイベント「サウンドジャム」内のスペシャルイベントとして、亀田主催のベースコンテスト「第一回亀田杯ベース選手権大会」の最終ライブ審査を開催。
2013年5月18日・19日、日本武道館にて主催ライブイベント「亀の恩返し2013」を開催[17]。
2013年7月31日と8月1日に東京・東京国際フォーラム ホールAで開催されたクインシー・ジョーンズの来日公演にて、トリビュートパートのプロデュースを手掛ける[18]。
2013年9月9日より、自身が出演した東洋水産のカップ麺「マルちゃん 麺づくり」CMが放送開始[19]。
2013年12月、音楽プロデュースを手がけた映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」が劇場公開[注 4]。劇中バンド「CRUDE PLAY」と「MUSH&Co.」のプロデュースも行う。
2014年5月11日、東京・青山 スパイラルホールにて、亀田主催のベースコンテスト「第二回亀田杯ベース選手権大会」の最終審査を公開ライヴ形式で行う[21][注 5]。
2014年10月12日、東京・恵比寿ザ・ガーデンホールにてトーク&ライヴイベント「J-WAVE『BEHIND THE MELODY』〜FM 亀の恩返し supported by イープラス」を開催[22]。
2014年11月、flumpoolのボーカル山村隆太とギター阪井一生の誘いで期間限定のスペシャルユニット「THE TURTLES JAPAN」を結成[23][24]。
2015年、いきものがかりの「あなた」、大原櫻子「瞳」で、第57回日本レコード大賞・編曲賞を受賞[25]。
2016年3月、高橋優のシングル「「さくらのうた」」に、高橋優とのユニット・メガネツインズの楽曲「メガネが割れそう」が収録される。
2016年12月31日、第67回NHK紅白歌合戦に出場する椎名林檎のバックバンドのメンバーを務め、東京事変解散から4年10か月ぶりに共演。
主な仕事
プロデュース、編曲、楽曲提供
は行
|
ま行
|
や行
|
ら行
|
わ行
|
ライブサポート、レコーディング(一部)
所属グループ
グループ名 | 活動期間 | 詳細 |
---|---|---|
The THREE | 2008年 | 布袋寅泰×KREVA×亀田誠治による期間限定ユニット。亀田はベーシストとして参加。映画『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』の主題歌「裏切り御免」をリリース。 |
THE TURTLES JAPAN | 2014年 - 2015年 | flumpoolの山村隆太、阪井一生を中心に結成されたバンド。亀田はベース演奏と作・編曲とプロデュースを担当している。1stシングル『It's Alright!』を2014年11月に発売[注 8][24]。 |
東京事変 | 2004年 - 2012年 | シンガーソングライターの椎名林檎を中心に結成されたバンド。亀田はベース演奏と一部の楽曲の作詞(全1曲)と作曲(全8曲、うち2曲は椎名林檎との共作)を担当している。 |
Bank Band | 2005年 - 2012年 2016年 - 現在 |
非営利の融資機関であるap bankの活動資金や融資金を集めるために、音楽プロデューサーの小林武史、Mr.Childrenの桜井和寿を中心に結成されたバンド。亀田は『沿志奏逢2』とライブ『ap bank fes('05〜)』からベーシストとして参加。 |
BAND FOR "SANKA" | 2008年 | 2008年北京オリンピックでの日本選手団応援を目的とするバンドプロジェクト。亀田はベーシストとして参加。 |
VIVA LA J-ROCK ANTHEMS | 2015年、2016年、2017年 | 毎年ロック・フェスティバル「VIVA LA ROCK」の「VIVA LA J-ROCK ANTHEMS」のコーナーでさまざまなゲストボーカリストを迎えながら日本のロックアンセムを披露するための一日限りのスペシャルバンド。亀田はベーシスト兼バンドマスター。 |
THE HUMAN BEATS | 2012年 | MONGOL800の上江洌清作、RHYMESTERのMummy-D、クリエイティブ・ディレクターの箭内道彦、音楽プロデューサーの亀田誠治による音楽ユニット。東日本大地震チャリティーシングル「Two Shot」をリリース。 |
森亀橋 | 2000年 - 現在 | 森俊之、亀田誠治、佐橋佳幸の音楽プロデューサー3人によるグループ。イベントの主催やアーティストのプロデュースなどを行う。 |
主な関連アーティスト
アーティスト名 | 作品に関与した期間 | 仕事内容 |
---|---|---|
CoCo | 1990年 - 1994年 | デビュー直後から作曲、編曲で参加しており、関わった楽曲は20曲以上になる。シングル曲で初めて編曲に参加したのは、1990年5月発売の「夏の友達」。[注 9] |
永作博美 | 1993年 - 1994年 | ribbon在籍当時にリリースされたソロシングル「My Home Town」「Without You」「逢いにきて」、及びアルバム『N』、『Here and Now』のすべての編曲及びサウンド・プロデュースで参加。なお、レコーディングではベースも演奏し、1993年9月16〜17の両日、渋谷ON AIRで行われたソロ・コンサート「HIROMI NAGASAKU LIVE SHOW'N'」にもバックバンドのメンバーとして参加している。 |
國府田マリ子 | 1997年 - 2001年 | 多数のアルバムとシングルにおいて、編曲とベースを担当している。またバックバンドのメンバーも務める。 |
椎名林檎 | 1998年 - 2002年 | 1stアルバム『無罪モラトリアム』と2ndアルバム『勝訴ストリップ』およびカバーアルバム『唄ひ手冥利〜其ノ壱〜』収録の亀パクト・ディスクの他、初期のシングル曲多数にアレンジャーとベーシストとして参加。またソロ前期のコンサート・ツアーとデビュー10周年記念ライブにもベーシストとして参加している。[注 10] |
Do As Infinity | 2000年 - 現在 | 3rdシングル「Oasis」から、アレンジャー、プロデューサー、レコーディングでのベース演奏で参加。 |
Emi with 森亀橋 | 2001年 - 現在 | 森俊之(Keyboard)、亀田誠治(Bass)、佐橋佳幸(Guitar)の3人によるプロデュース・チーム「森亀橋」が、元Le Couple(ル・クプル)の藤田恵美をヴォーカルに迎えたユニット[注 11]。 |
CHARCOAL FILTER | 2002年 - 2004年 | 編曲とプロデュースを担当[注 12]。 |
平井堅 | 2002年 - 現在 | シングル「大きな古時計」で編曲とベースを担当して以降、「LIFE is... 〜another story〜」「瞳をとじて」「POP STAR」「哀歌(エレジー)」「僕は君に恋をする」などに参加。 |
いきものがかり | 2006年 - 現在 | 「ホットミルク」や「風が吹いている」などの編曲・プロデュースを担当。 |
ポルノグラフィティ | 2006年 | シングル「ハネウマライダー」収録全曲でレコーディングでのベース演奏に参加。 |
坂本真綾 | 2007年 | ミニ・アルバム『30minutes night flight』の収録曲「セツナ」にベース演奏で参加。 |
JUJU | 2008年 - 現在 | 「やさしさで溢れるように」、「また明日...」、「ただいま」などの作詞・編曲・プロデュースを担当。 |
秦基博 | 2008年 - 現在 | シングル「フォーエバーソング」、「初恋」で編曲を担当。 |
NICO Touches the Walls | 2009年 | シングル「ビッグフット」、「ホログラム」、「かけら -総べての想いたちへ-」、アルバム「オーロラ」で編曲を担当。 |
大原櫻子 | 2014年 - 現在 | 亀田が音楽プロデュースを担当し、審査員も務めた映画『カノジョは嘘を愛しすぎてる』のオーディションで主演女優に抜擢される[20]。劇中バンドのMUSH&Co.(マッシュ・アンド・コー)のボーカルとして亀田が作詞・作曲・編曲・プロデュースしたシングル「明日も」で歌手デビュー後、大原櫻子としてシングル「サンキュー。」で正式にソロ・デビュー。以来、彼女のほとんどの楽曲の作詞・作曲・編曲・プロデュースを担当、レコーディング・ベーシストとしても参加している。 |
出演
TV番組
- 亀田音楽専門学校 - J-POP解説番組[27](NHK Eテレ)
- 単発版(2013年1月3日 - 4日、全2回)
- SEASON 1(2013年10月3日 - 12月19日、全12回)
- SEASON 2(2014年10月2日 - 12月18日、全12回)
- SEASON 3(2016年1月7日 - 1月28日、全4回)
ラジオ番組
劇場アニメ
- ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年(2015年12月23日) - アンドレアのお父さん 役[29]
CM
注釈
- ^ 東京事変として所属。
- ^ その紹介のされ方は、「今まで見たことも聴いたこともないような歌詞やメロディを書く女の子がいる。誰も手に負えなくなっているので、これに向き合ってくれるサウンドプロデューサーは、人間的に見ても亀ちゃんぐらいしかいないし持たないだろう」というものだった[12]。
- ^ a b これらの楽曲の販売によって得た利益の全額はあしなが育英会「あしなが東日本大地震・津波遺児募金」へ寄付された。
- ^ 主演女優を探す「リコを探せ!オーディション」にも審査員として参加[20]。
- ^ 優勝者は亀田がプロデュースするDo As Infinityのレコーディングにベーシストとして1曲参加することができる。
- ^ 台湾のシンガー。アルバム『還是想念(Still Missing)』収録の「家家酒」「漂流」「I Love You Bon Bon」をプロデュース[26]。
- ^ 森俊之、亀田誠治、佐橋佳幸という音楽プロデューサー3人によるグループ。名前はそれぞれの名字から一文字取って付けた。
- ^ この曲は、TBS系『CDTV』10・11月度オープニングテーマ曲に決定している。
- ^ なお、CoCoの解散記念のメモリアル写真集『未来はCoCoから』(1994年)の中で、グループ解散に際して活動に関わったスタッフの一人として亀田もメッセージを寄せているが、その中で現在の妻である下成佐登子と出会ったきっかけがCoCoのレコーディング・セッションだったことを明かしており、「全くもってCoCo様には頭が上がらないのだ」とコメントしている。
- ^ 亀田の「師匠」という愛称は彼女がそう呼んでいることが由来。
- ^ 2001年と2003年にリリースされた藤田の「Camomileシリーズ」は、香港で人気に火がつき、台湾、マレーシア、タイ、シンガポール、インドネシアのアジア五カ国でゴールド・ディスク、プラチナ・ディスクを獲得した。
- ^ DVD『わくわくチャコールフェア2005 〜積もる話をツモりながらCHARCOAL FILTERとテンション点棒あがるDVD』では、ギターを演奏している極めて珍しいライヴ映像が収録されている(『Kazematic』)。また、編曲家としてのイメージの強い亀田だが、Konagawa Takahiroのソロ楽曲「tears」(アルバム『The first tears』収録)では作詞を担当している。
出典
- ^ a b c d e f g h “Profile -人に歴史あり-”. 亀の恩返し. 2017年4月23日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 【ゆめを叶えた大人の子ども時代、ヒヨっ子ちゃずのイラストインタビューVol.4】 (16 March 2017). "音楽プロデューサー・ベーシスト亀田誠治" (Interview). Interviewed by イラストレーターちゃず(取材)・馬島利花(文). 2017年4月23日閲覧。
{{cite interview}}
: 不明な引数|program=
は無視されます。 (説明) - ^ a b c d e f g h 仕事とは? (9 July 2014). "Vol.125 亀田誠治" (Interview). Interviewed by 泉彩子. 2017年4月23日閲覧。
{{cite interview}}
: 不明な引数|program=
は無視されます。 (説明) - ^ 『ベースマガジン 10月号』、リットーミュージック、2005年、2014年12月6日閲覧。
- ^ a b c d アーティストインタビュー. "Seiji Kameda" (Interview). 2017-04-23閲覧。
{{cite interview}}
:|accessdate=
の日付が不正です。 (説明); 不明な引数|program=
は無視されます。 (説明) - ^ 亀田誠治 @hyakutanaoki 2013年8月9日6:22 のツイート
- ^ 亀田誠治 @hyakutanaoki 2014年5月15日18:03 のツイート
- ^ “桑田佳祐 (8/11) - 音楽ナタリー Power Push”. 音楽ナタリー. 2016年5月5日閲覧。
- ^ 亀田誠治 @hyakutanaoki 2013年10月22日10:00 のツイート
- ^ 亀田誠治 @seiji_kameda 2012年3月3日4:35 のツイート
- ^ a b “高須光聖×亀田誠治“才能の塊”ダウンタウンと椎名林檎との出会いp=2”. TOKYO FM+, エキサイトニュース (2017年2月26日). 2017年4月23日閲覧。
- ^ “高須光聖×亀田誠治“才能の塊”ダウンタウンと椎名林檎との出会いp=3”. TOKYO FM+, エキサイトニュース (2017年2月26日). 2017年4月23日閲覧。
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- ^ 亀田誠治 @hyakutanaoki 2017年1月13日5:46 のツイート
- ^ 亀田音楽専門学校 SEASON 2 - NHK
- ^ 81.3 FM J-WAVE : BEHIND THE MELODY〜FM KAMEDA
- ^ “大原櫻子、声優初挑戦 『映画ちびまる子ちゃん』挿入歌も声の出演も”. ORICON STYLE (2015年11月27日). 2015年11月27日閲覧。
- ^ マルちゃん「麺づくり」HP
外部リンク
- 亀の恩返し - オフィシャルサイト
- 元祖・誠屋 - 旧オフィシャルサイト
- 亀田誠治 (@seiji_kameda) - X(旧Twitter)
- Seiji Kameda - IMDb