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「大将軍神社 (京都市北区)」の版間の差分

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2018年2月11日 (日) 01:20時点における版

大将軍神社
大将軍神社 本殿
本殿
所在地 京都市北区西賀茂角社町129
位置 北緯35度03分32秒 東経135度44分33秒 / 北緯35.05889度 東経135.74250度 / 35.05889; 135.74250座標: 北緯35度03分32秒 東経135度44分33秒 / 北緯35.05889度 東経135.74250度 / 35.05889; 135.74250
主祭神 磐長姫命
(本来は大将軍
社格 (旧)村社
創建 609年推古17年)
別名 大將軍神社
西賀茂大将軍神社
瓦屋寺
例祭 10月(御輿巡行)
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大将軍神社(たいしょうぐんじんじゃ)は、京都市北区西賀茂角社町にある神社である。

西賀茂地域(今原鎮守庵総門田尻[1]の産土神(氏神)で、本殿に主祭神・磐長姫命(いわながひめのみこと)とその家族神四柱を祀る。

京都市内には複数の「大将軍神社大将軍社」が存在することから、それらを区別するため、当社を西賀茂大将軍神社(にしがもたいしょうぐんじんじゃ)と呼称することもある。

歴史

神社案内板の由緒書きによると、創建は609年(推古17年)とされる。桓武天皇平安京造営に際し、王城鎮護のため京都の四方に「大将軍神社」を祀り、当社を北方の守護神としたと伝えられる[2]

また、創建当初からこの地域には瓦窯が設けられ、平安時代には官衙(かんが、古代の役所)の瓦を焼いていたとされる[3]。近くにある神光院慶円に創建される前には、京都御所に奉納する瓦職人の宿に用いられており、「瓦屋寺」と呼ばれていた[4]。当社はその鎮守の社でもあった。

ただし「瓦屋寺」は江戸時代初めまで西賀茂大将軍神社の南側にあった正受寺をさすという説もある[5]。正受寺は正伝寺と密接な関係を持つ寺で、正伝寺の古文書(弘化年間の寺の日記)によれば、江戸時代には正受寺というよりも正伝寺が大将軍神社と関わりを持っていた[6]。それと同時に上賀茂神社とも関係があることは言うまでもない。

古くは「須美社[7]角社」(すみやしろ)[8]とも呼ばれ、方違え(かたたがえ、かたちがえ)、疫除けの神として信仰を集めている。

なお「角社」は大将軍神社とは別の神社であったという説や伝承もある[9][10]

境内

鳥居
西側末社群

本殿は、1591年(天正19年)に造営された賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社・片岡社旧本殿を、1628年(寛永5年)から1636年(寛永13年)の間に移築したものである[11]一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で、賀茂社最古の建物とされている。同じく片岡神社の刻銘のある鉄燈籠(とうろう)とともに、1985年(昭和60年)に京都市指定有形文化財に登録されている。

また、境内に鎮座する建築物と、それを取り囲む樹木とが一体となって、鎮守の森としての境内景観を留めており、京都市によって当社境内全域も「大将軍神社文化財環境保全地区」[12][13]に決定されている。

東側末社群

西側末社群

祭礼

例祭

10月の、概ね23日より前の日曜日に、当社の例祭が挙行される。前夜に宵祭の神事として餅搗(もちつき)を行う。例祭行列の主役とされる「乙女」(主に小学校高学年の女子七名が務める)を始め、「総代」(氏子各町会長)、「宮詣」(乙女の警護を担う男性)、「稚児」(主に就学前児童)、そして「神輿若中」(主に小学生)などの行列が、古来の衣装に身を包んで、賑やかに氏子町内を練り歩く。


関連項目

脚注

  1. ^ 近世(明治22年以前)における愛宕郡西賀茂村のうち、川上、林の2集落を除いた地域
  2. ^ 京都市北区紫野の今宮神社境内社、大将軍社を指すものともされる
  3. ^ 史跡・名勝・天然記念物・文化財環境保全地区及び埋蔵文化財包蔵地台帳”. 京都市. 2010年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月28日閲覧。
  4. ^ わかさ生活研究所 ひとみ研究室 神光院
  5. ^ 『西賀茂大将軍神社とその祭礼行事』(中井幸比古著、今原嘉麻呂監修、糺書房、2016年3月)8-9ページ ISBN 978-4-902644-11-1
  6. ^ 『西賀茂大将軍神社とその祭礼行事』(中井幸比古著、今原嘉麻呂監修、糺書房、2016年3月)5-6ページ ISBN 978-4-902644-11-1
  7. ^ 京都歴史ウォーク 西賀茂の名刹と牛若誕生の地を巡る
  8. ^ 当社の住所が「西賀茂角社町」である
  9. ^ 『賀茂別雷神社境内諸郷の復元的研究』(須磨千頴著、法政大学出版局、2001年)214ページ
  10. ^ 『西賀茂大将軍神社とその祭礼行事』(中井幸比古著、今原嘉麻呂監修、糺書房、2016年3月)10-15ページ ISBN 978-4-902644-11-1
  11. ^ 『賀茂片岡金燈籠天正19年□□』の銘が残る
  12. ^ 京都市指定・登録文化財-環境保全地区
  13. ^ 京都府 文化財環境保全地区
  14. ^ 都の月参り 大将軍神社春祭[リンク切れ]
  15. ^ 都の月参り 大将軍神社火焚祭[リンク切れ]
  16. ^ 公式yaokami
  17. ^ 公式
  18. ^ yaokami
  19. ^ 霊源皇寺墓苑(公式)
  20. ^ 川上大神宮やすらい祭
  21. ^ yaokami