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「日本におけるアメリカ軍機事故の一覧」の版間の差分

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=== 1999年(平成11年) ===
=== 1999年(平成11年) ===
* 1月20日 - [[高知県]]沖の太平洋上で[[空中給油]]訓練中の{{仮リンク|第212海兵戦闘攻撃飛行隊|en|VMFA-212}}所属の[[F/A-18 (航空機)|F/A-18C]]戦闘攻撃機が僚機と接触し、高知県[[夜須町 (高知県)|夜須町]](現・[[香南市]])の沖約18kmの[[土佐湾]]に墜落。乗員は緊急脱出後、救命ゴムボートで現場海域を漂流しているところを救助された<ref name="Jwing No8>イカロス出版 Jwing No.8 1999年4月号 89頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」</ref>。
* 1月20日 - [[高知県]]沖の太平洋上で[[空中給油]]訓練中の{{仮リンク|第212海兵戦闘攻撃飛行隊|en|VMFA-212}}所属の[[F/A-18 (航空機)|F/A-18C]]戦闘攻撃機が僚機と接触し、高知県[[夜須町 (高知県)|夜須町]](現・[[香南市]])の沖約18kmの[[土佐湾]]に墜落。乗員は緊急脱出後、救命ゴムボートで現場海域を漂流しているところを救助された<ref name="Jwing No8">イカロス出版 Jwing No.8 1999年4月号 89頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」</ref>。
* 1月21日 - [[青森県]]の[[三沢飛行場|三沢基地]]所属の[[F-16 (戦闘機)|F-16C]]戦闘機が[[岩手県]][[釜石市]]橋野の山中に墜落し、炎上した<ref name="Jwing No8 />。墜落の原因はパイロットが制服のファスナーに気を取られている間のいわゆる「わき見運転」が事故原因だった。後日、この飛行機には発がん性物質である[[ヒドラジン]]が搭載されていた事が判明し問題となった。
* 1月21日 - [[青森県]]の[[三沢飛行場|三沢基地]]所属の[[F-16 (戦闘機)|F-16C]]戦闘機が[[岩手県]][[釜石市]]橋野の山中に墜落し、炎上した<ref name="Jwing No8" />。墜落の原因はパイロットが制服のファスナーに気を取られている間のいわゆる「わき見運転」が事故原因だった。後日、この飛行機には発がん性物質である[[ヒドラジン]]が搭載されていた事が判明し問題となった。
* 4月19日 - 沖縄県の[[第1海兵航空団]]{{仮リンク|第36海兵航空群|en|Marine Aircraft Group 36}}所属の[[CH-53E (航空機)|CH-53E]]輸送ヘリコプターが夜間訓練中に北部訓練場の沖合に墜落し、乗員4名が死亡した<ref name="okinawa20101201" /><ref name="Jwing No11>イカロス出版 Jwing No.11 1999年7月号 96頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」</ref>。
* 4月19日 - 沖縄県の[[第1海兵航空団]]{{仮リンク|第36海兵航空群|en|Marine Aircraft Group 36}}所属の[[CH-53E (航空機)|CH-53E]]輸送ヘリコプターが夜間訓練中に北部訓練場の沖合に墜落し、乗員4名が死亡した<ref name="okinawa20101201" /><ref name="Jwing No11">イカロス出版 Jwing No.11 1999年7月号 96頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」</ref>。
* 5月5日 - [[東京都]]の横田基地所属の[[C-130 (航空機)|C-130]]輸送機が積載輸送訓練中に東京都[[町田市]][[小山町 (町田市)|小山町]]で投下訓練用の砂袋(重量約7kg、パラシュート付き)を誤って落下させた<ref name="mizuho20101201" />。この砂袋は民家に落下し、屋根瓦4枚が破損した<ref name="machida-jiko" />。
* 5月5日 - [[東京都]]の横田基地所属の[[C-130 (航空機)|C-130]]輸送機が積載輸送訓練中に東京都[[町田市]][[小山町 (町田市)|小山町]]で投下訓練用の砂袋(重量約7kg、パラシュート付き)を誤って落下させた<ref name="mizuho20101201" />。この砂袋は民家に落下し、屋根瓦4枚が破損した<ref name="machida-jiko" />。
* 6月4日 - [[沖縄県]]の[[嘉手納飛行場|嘉手納基地]]で滑走路上にホバリングしていた[[ハリアー II (航空機)|AV-8B]]攻撃機がエンジンに異物を吸い込み、エンジンから火を吹いて墜落。パイロットは墜落直前に脱出し無事だった<ref name="okinawa20101201" />。
* 6月4日 - [[沖縄県]]の[[嘉手納飛行場|嘉手納基地]]で滑走路上にホバリングしていた[[ハリアー II (航空機)|AV-8B]]攻撃機がエンジンに異物を吸い込み、エンジンから火を吹いて墜落。パイロットは墜落直前に脱出し無事だった<ref name="okinawa20101201" />。

2018年1月29日 (月) 00:41時点における版

日本におけるアメリカ軍機事故の一覧(にほんにおけるあめりかぐんきじこのいちらん)では、アメリカ軍軍用機やアメリカ軍がチャーターした飛行機が日本国内で起こした墜落事故など航空事故についての概要を発生年月日順に表示する。 なお、返還前の沖縄県にて発生した米軍の航空機事故についても併せて記載する。

本項以外の航空事故および事件については以下を参照。

日本におけるアメリカ軍機事故の概要

第二次世界大戦の終戦のあと、連合国軍を構成する1国としてアメリカ軍が来て国内各地に航空基地を持つに至った。こうして日本の空を数多くの米軍機が飛ぶようになったがそれと合わせて日本国内での米軍機の事故も多発することとなった。

例をあげると昭和31年2月4日付の読売新聞に昭和28年度から30年度までの3年間の米軍機の墜落機数と不時着機数が以下のとおり掲載されている。

  • 昭和28年度 - 墜落15機(うちジェット機10機)、不時着12機
  • 昭和29年度 - 墜落30機(うちジェット機23機)、不時着8機
  • 昭和30年度 - 墜落23機(うちジェット機15機)、不時着13機

上記の数字はあくまで墜落や不時着だけのものであり、この他にも増槽(補助燃料タンク)の投棄など、落下物の被害も少なくない。

米軍機の墜落などにより日本人の身体や財産に被害が生じた場合には行政協定第18条により米軍から補償を受ける権利があるが、米軍が公務中の事故の場合は補償額の75%を米軍、25%を日本政府がそれぞれ分担して支払うこととなっている。被害額が防衛施設庁(旧・調達庁)の調査で決まると、まず日本政府が全額立替払いするがこの補償額が低いと問題になっている。

前述の昭和31年2月4日付の読売新聞の記事によれば、死亡した者についてはその死者の日収の1000日分で上限100万円まで。子供や年寄りなど無職の者に対しては一律20万円となっている。これは「タクシーに轢かれて死んだ場合の30万円より安い」と書かれていることからかなり低い額となっていた。その後、上限額が100万円から150万円に引き上げられたり、死者の遺族に配偶者がいる場合は1名あたり10万円が加算されるなど、ある程度は改善されたが依然として安い金額である事に変わりはなかった。

なお、1972年(昭和47年)に、アメリカによる統治が終わった沖縄県では、復帰以降の米軍航空機関連の事故は平成16年12月末現在で328件(うち墜落41件)発生していることが報告されている[1]

1940年代

1945年(昭和20年)

  • 8月19日 - 富山県富山市山下の立山重工業工場の敷地に食料を投下しようとして低空飛行したグラマン・アヴェンジャー機1機が工場近くにある民家の土蔵に衝突し大破。乗員1名死亡。
  • 8月28日 - 秋田県大館市の捕虜収容所に救援物資を空輸中の3機のアメリカ軍第73航空団497爆撃群所属のB-29爆撃機のうち1機(機体番号44-69998)が、秋田県南秋田郡戸賀村(現男鹿市)にある男鹿本山に悪天候により墜落。11名死亡、1名生還。1964年に地元住民により墜落現場付近に供養塔が建てられ、1990年には男鹿市立加茂青砂小学校(現男鹿市立北陽小学校)に「平和の碑」が建立された[2]
  • 8月30日 - 福岡県にある捕虜収容所に救援物資を空輸するため飛行中だったアメリカ軍第58航空団40爆撃群所属B-29爆撃機(機体番号44-61554)が宮崎県西臼杵郡高千穂町五ケ所にある親父山に墜落。乗員12名全員死亡。1995年に平和祈念碑が五ケ所高原の三秀台に建立された[3]
  • 9月4日 - 長崎県長崎市西彼杵郡香焼島(現・長崎市香焼町川南造船所の福岡捕虜収容所第2分所に救援物資を投下中のB-29爆撃機(機体番号44-61666)が事故により、対岸の山中に墜落。搭乗員全員死亡。遺体は解放された捕虜たちにより火葬され、遺灰が長崎市の大浦天主堂に納められた[3]
  • 9月4日(または18日?) - 福島県常磐炭鉱の捕虜収容所に救援物資を空輸中のB-29爆撃機が操縦ミスにより福島県石城郡磐崎村(現在のいわき市)にある湯ノ岳の中腹に墜落。乗員13名全員死亡[2]

1946年(昭和21年)

1947年(昭和22年)

  • 5月31日 - 朝鮮から厚木基地へ向い飛行していた乗員8名のC-54輸送機が厚木基地西方の山に墜落し全員死亡した。墜落現場は飛行機も犠牲者も原形を留めぬ状態だったという。
  • 7月14日 - 東京都横田基地を離陸したA-26攻撃機がエンジン故障をおこし八高線多摩川鉄橋を通過中の列車の上に墜落して1両が鉄橋から河原に落下した。この事故による死者は4名。

1948年(昭和23年)

1949年(昭和24年)

  • 1月8日 - 兵庫県西宮市にある工場にB-26爆撃機が墜落し工場は全焼。工員3名が死亡、十数名の重軽傷者を出した。
  • 3月6日 - 那覇から立川基地へ飛行していたC-46輸送機が墜落。乗員12名のうち6名死亡、2名死亡、その他は行方不明となった。
  • 4月1日 - 米軍のB-26爆撃機が富士山の標高9500フィートの地点に衝突して大破。乗員4名全員が死亡。

1950年代

1950年(昭和25年)

1951年(昭和26年)

  • 2月 - 山口県岩国市内に米軍機が焼夷弾を誤投下。
  • 5月10日 - 福岡市東区二又瀬の市街地にジェット戦闘機(機種不明)が墜落し乗員1名と地上に居た者合計10名が死亡。
  • 8月 - 山口県岩国市柱島に米軍機が500ポンド爆弾6個を誤投下。
  • 9月27日 - 神奈川県小田原市上空で立川基地へ向うC-46輸送機と、同じく立川基地へ向かうC-119輸送機が接触して双方とも墜落。このうちC-46輸送機は足柄上郡寄村(現・松田町)にある丹沢山系の五佐原山の中腹に墜落し乗員14名全員死亡。C-119輸送機は足柄上郡三保村(現・山北町)の玄倉川の上流付近に墜落した。
  • 10月 - 沖縄本島那覇市に米軍機の増槽(補助燃料タンク)が落下して住民6名死亡。
  • 11月5日 - 東京都の立川基地を離陸しようとしたF-80戦闘機が離陸に失敗し立ち木に翼が接触し墜落炎上。操縦士1名が死亡。
  • 11月18日 - 砂川村B29爆撃機墜落事故
    • 東京都の横田基地を離陸したB-29爆撃機が離陸直後に東京都北多摩郡砂川村に墜落し周辺の都営住宅や工場の社宅・民家を巻き込んで炎上。積んでいた爆弾が誘爆し3戸を全焼し26戸が全半壊。米兵乗員2名と地上に居た住民5名が死亡、住民二十数名が負傷。爆弾の爆風が凄まじく、4km四方の700戸の家々で窓ガラスが割れたり雨戸が落ちるなどの被害が出た。米軍は墜落現場から半径1kmの住民に対して避難勧告を出した。

1952年(昭和27年)

1953年(昭和28年)

  • 1月26日 - 静岡県御殿場で小型連絡機が墜落し2名死亡。
  • 2月13日 - 大分飛行場を離陸したSA16型機が門司烏山の山中に墜落し乗員7名が死亡。
  • 2月27日 - 気象観測のため飛行していたB-29爆撃機から7名の全乗員が埼玉県所沢市付近の上空でパラシュートで脱出し機体を放棄。無人のB-29爆撃機はそのまま相模湾まで迷走飛行したのちに伊豆大島から13・14マイルほど離れた海上に墜落。
  • 3月17日 - 北海道夕張市滝ノ上にF-84戦闘機2機が接触して墜落し2名死亡。
  • 6月18日 - 立川基地グローブマスター機墜落事故
  • 6月23日 - 芦屋基地を離陸した双胴輸送機が山口県豊浦郡角島の西約15マイルの海に墜落し乗組員7名が行方不明。
  • 7月27日 - 長崎県対馬に小型ジェット機が墜落。乗員1名はパラシュートで脱出し海に降下したところを漁船に救助された。
  • 7月29日 - 日本海B-50爆撃機が墜落。米軍は墜落地点の海域を捜索したが搭乗員16名は行方不明のまま7月31日午前10時に捜索を打ち切った。
  • 8月13日 - 神奈川県の鎌倉沖約3kmの海上に双発機が墜落。乗員1名は無事に漁船に救助された。
  • 8月14日 - 静岡県田方郡函南村(現・函南町)丹那の玄岳に単発機が激突し乗員1名死亡。
  • 8月17日 - 千歳基地を離陸したジェット機が苫小牧沖約5マイルの海に墜落し1名死亡。
  • 8月24日 - 沖縄県から横田基地へ向かう途中のB-29爆撃機がエンジン故障により飛行出来なくなり、神奈川県津久井郡内郷村(現・相模原市)の上空で全乗員13名のうち9名が飛行機を放棄してパラシュートで脱出し、無事に内郷村に降下した。残り4名のうち3名もその後にパラシュートで脱出して無事に同郡青野原村(現・相模原市)に降下して生還したが、1名が不明となった。その後、B-29爆撃機は東京都西多摩郡檜原村藤原白岩にある犬掛山の山腹に墜落して大破炎上した。
  • 8月26日 - 板付空港(現・福岡空港)を離陸したF-80戦闘機2機が空中で接触し博多湾外の地ノ島付近に2機とも墜落し1名死亡。
  • 8月27日 - 東京都と埼玉県の境あたりを飛行していたB-29爆撃機で火災事故が発生し全乗員(7名)が飛行機を放棄してパラシュートで飛び降りた。このうち4名は埼玉県所沢市に無事に降下。飛行機は無人のまま飛び続け相模湾へ出たのち伊豆大島の近くに墜落した。
  • 9月4日 - 木更津基地を離陸したF-86セイバー機5機が悪天候により燃料切れとなり全機墜落。
  • 11月1日 - 北海道千歳町(現・千歳市)で連絡機が墜落。乗員1名重傷。
  • 11月26日 - 岩国基地から美保基地へ飛んでいたC-46輸送機が日本海に墜落。乗員30名は全員助かった。
  • 12月19日 - 愛知県の小牧飛行場で火災を起こしたB-29爆撃機が炎上したまま不時着し大破。2名死亡。

1954年(昭和29年)

  • 1月3日 - 福岡県糸島郡芥屋村(現・糸島市)芥屋大門の海岸線にある防風林にC26双発水上機が墜落し4名死亡。
  • 1月6日 - 埼玉県のジョンソン基地(現・入間基地)所属のジェット機が東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎に墜落。乗員2名死亡。
  • 2月1日 - 北海道苫小牧沖40km海上にアメリカ空軍のC-46輸送機が墜落し35名全員死亡。
  • 3月15日 - 青森県野辺地駅構内にF-84戦闘機が墜落。乗員1名は死亡し、保線区員7名と一般人5名が負傷した。
  • 4月8日 - 横田基地のKC-26大型機が愛知県長久手村(現・長久手市)長湫字市ケ洞山林中に墜落。3名重傷、2名行方不明。
  • 4月9日 - 北海道の千歳飛行場近くにF-84戦闘機が墜落し乗員1名死亡。
  • 5月 - 広島県双三郡布野村(現・三次市)に米軍爆撃機が墜落。乗員1名死亡。
  • 6月6日 - 厚木飛行場を離陸した爆撃機広島県の山中に墜落し5名死亡。
  • 6月11日 - 鹿児島県屋久島岩国基地を飛び立った飛行艇が墜落。
  • 6月17日 - 広島県の山中に米軍機が墜落。
  • 7月1日 - 兵庫県伊丹市に複座式戦闘機が墜落し乗員2名死亡。
  • 7月9日 - 千葉県の姉ヶ崎の沖合いに米軍機が墜落し乗員1名が死亡。
  • 7月16日 - 神奈川県の丹沢でF-84戦闘機2機が墜落。
  • 8月4日 - 神奈川県の大磯海岸沖にF-86戦闘機が墜落し乗員1名が死亡。
  • 9月2日 - 埼玉県三ヶ島村(現・所沢市)にB-26爆撃機が墜落し3名死亡。
  • 9月20日 - 岐阜県上宝村(現・高山市)にB-26爆撃機が墜落し3名死亡。
  • 11月7日 - 北海道の納沙布岬歯舞諸島の間の海上で地形観測を行っていたB-29爆撃機がソ連ミグ戦闘機2機から攻撃を受け別海村(現・別海町)にある農家に墜落し農家は全壊した。この飛行機の乗員は12名で、そのうち10名は無事にパラシュートで降下、1名死亡、1名行方不明となった。
  • 11月8日 - 北海道別海村の原野に前日の航空機事故の調査のため飛来した小型機が墜落。
  • 12月21日 - 横田基地を離陸したジェット機が東京都稲城村(現・稲城市)に墜落。

1955年(昭和30年)

  • 1月6日 - 茨城県東茨城郡で厚木飛行場から飛び立ったジェット機が空中爆発し、落下した破片で中学生1名死亡。パイロットは脱出し無事だった。
  • 1月6日 - 羽田空港近くの東京湾上空で横田基地を飛び立ったF-86セイバーとT-33練習機が空中衝突し火の玉になって墜落。2名死亡。
  • 1月14日 - 鳥取県米子市の美保基地を飛び立った無人機(無線操縦)が大篠津駅に墜落。駅にいた1名が重傷。
  • 1月31日 - 福岡県志賀町(現・福岡市)沖の海中に405S型ヘリコプター(HO5Sの誤記の可能性あり)が墜落し乗員3名死亡。
  • 1月24日 - 茨城県玉造町(現・行方市)の霞ヶ浦に米軍ジェット機が墜落。
  • 1月24日 - 北海道勇払郡穂別町(現・むかわ町)でに米軍ジェット機2機が墜落。うち1機のパイロットはパラシュートで脱出し無事だったが、もう一機のパイロット1名は死亡した。
  • 2月20日 - 京都府久美浜町(現・京丹後市)沖約2マイルの日本海にF2F双発ジェット機が墜落し3名死亡。
  • 3月1日 - 福岡県芦屋町の沖約18マイルの海上にC-119型双発機が墜落し乗員7名のうち4名は漁船に救助され3名死亡。
  • 3月4日 - 埼玉県ジョンソン基地(現・入間基地)を離陸しようとしたジェット機が離陸に失敗し滑走路から約1.5km離れた畑に墜落。乗員2名死亡。
  • 3月24日 - 埼玉県名細村米軍機墜落事故
  • 5月24日 - 長野県南佐久郡川上村の金峰山に米軍機が墜落しているのが発見された。この機体は錆びていた事からかなり以前に墜落したものと思われた。
  • 5月25日 - 宮城県仙台市の沖に米軍のH-19ヘリコプターが墜落し乗員6名死亡。
  • 6月17日 - 愛知県小牧基地に着陸しようとした千歳基地所属のF-86ジェット戦闘機が送電線に接触して墜落し民家3戸が全半壊し少年1名が死亡、重傷1名、軽傷4名を出した。乗員1名も死亡した。
  • 6月23日 - 神奈川県横浜市港北区の上空でF-100スーパーセイバー戦闘機2機が接触し、そのうちの1機が墜落。乗員は無事だった。
  • 6月25日 - 横田基地を飛び立ったF-86機が行方不明。
  • 6月26日 - 東京湾に米軍のジェット機が墜落した。
  • 6月26日 - 伊豆七島方面に米軍のジェット機が墜落。乗員2名はゴムボートで漂流し無線で救助を求めた。これに対して米軍や海上保安庁が大規模な捜索を行ったがゴムボートは発見できなかった。
  • 6月28日 - 伊豆七島方面に墜落した米軍機を捜索していた1名乗りジェット機と4名乗りヘリコプターが行方不明となった。
  • 9月12日 - 千葉県の木更津基地を離陸しようとしたジェット練習機がエンジン故障で離陸に失敗し墜落。乗員2名は無事だった。
  • 9月19日 - 八王子市F80機墜落事故
    • 横田基地を離陸したF-80練習機が東京都八王子市の民家が点在する場所に墜落。住民5名と乗員1名が死亡。
  • 9月29日 - 横浜市保土ヶ谷区今井町に厚木基地所属のジェット戦闘機が墜落し乗員1名が死亡。
  • 10月9日 - 日野町B26爆撃機墜落事故
    • 東京都日野町(現・日野市)に立川基地を離陸したB-26爆撃機が墜落炎上し乗組員2名が死亡。
  • 10月21日 - 青森県三沢基地を離陸しようとしたB-47爆撃機が離陸に失敗し大破炎上。乗員4名のうち1名が死亡。
  • 12月15日 - 神奈川県の国府津沖約3マイルの相模湾に米軍のジェット機が墜落し乗員1名が行方不明となった。

1956年(昭和31年)

  • 2月3日 - 名古屋市千種区の住宅にT-33練習機が墜落。住民1名が負傷。乗組員2名は空中で脱出後にパラシュートが開かず死亡。
  • 2月3日 - 新小岩駅前米軍機墜落事故
    • 東京都にある総武本線新小岩駅北口から100mほど離れた商店街FJ-2フューリージェット戦闘機が墜落。民家5戸が全焼し住民4名の重軽傷者をだした。住宅密集地でありながら幸いにも地上にいた者に死者は出なかった。戦闘機の乗員1名は死亡した。
  • 3月1日 - 8時20分頃、横浜市戸塚区汲沢町の民家の庭先に厚木航空隊所属の米軍ジェット機が墜落。民家数軒が半壊程度で済んだが墜落地点には直径15m、深さ8m程の穴ができた。乗員1名死亡。[4]
  • 5月5日 - 名古屋市内の畑にF-86D機が墜落し乗員1名死亡。
  • 5月22日 - 埼玉県入間郡坂戸町(現・坂戸市)の民家にジョンソン基地(現・入間基地)を飛び立ったF-86戦闘機が墜落し4歳の幼児が即死。乗組員は負傷。
  • 6月25日 - 神奈川県秦野市の農家にジェット機が墜落し物置や牛舎などを全焼。パイロットはパラシュートで脱出し平塚海岸に無事降下した。
  • 6月27日 - 茨城県下館市(現・筑西市)下平塚の上空で厚木基地のAD型単発式練習機が爆発し墜落。パイロットはパラシュートで脱出したが火傷した。
  • 7月20日 - 福岡県門司市(現・北九州市門司区)の沖約5マイルの海上にC107型輸送機が墜落し4名死亡。
  • 9月5日 - 名古屋市の上空で小牧基地を飛び立ったF-84機とF-86機が接触し、F-84は同市北区中富町に墜落。F-86は同市西区天塚町に墜落した。乗員1名はパイロットはパラシュートで脱出し無事だったが、もう1名は死亡。
  • 9月11日 - 島根県隠岐島RB-50観測機が墜落。
  • 9月28日 - 岡山県高梁市落合町の秋葉山中腹に、岩国基地所属機(単発低翼)が墜落炎上。操縦席から1名の焼死体。現場近くに、高梁市消防団が慰霊碑を建立。
  • 11月6日 - 神奈川県相模原市新戸の畑に座間基地を飛び立ったビーチクラフト機が墜落し大破。乗員は重傷を負った。
  • 11月8日 - 栃木県下都賀郡間々田町(現・小山市)平和農の雑木林にF3D機が墜落し爆発炎上。農家3棟を焼いて3名が火傷を負った。乗員は助かった。
  • 11月9日 - 千葉県君津郡清和村(現・君津市)東日笠に厚木基地のジェット機がエンジン故障で墜落し付近の住民1名が負傷。乗員1名はパラシュートで脱出し無事。
  • 11月23日 - 東京都南多摩郡忠生村(現・町田市)下小山田の雑木林に厚木基地の小型海軍機が墜落し乗員1名死亡。
  • 12月28日 - 埼玉県飯能市高山に横田基地から飛び立ったWB-50気象観測機が墜落。この事故で農家裏の大木が倒れて農家を直撃し1名が死亡した。また墜落機は火災を起こし、近くにあるキャンプ場の高山展望台バンガローなど5棟を焼いた。乗員11名のうち9名が死亡、2名重傷。

1957年(昭和32年)

  • 1月29日 - 岐阜県大野郡の山林に米軍機が墜落し1名死亡。
  • 2月8日 - 神奈川県の厚木基地で双発機が離陸直後に墜落し炎上。乗員3名死亡。
  • 2月18日 - 東京都台東区坂本町1丁目の民家の屋根に米軍ジェット機の車輪格納庫の部品が落下。そのすぐ後に荒川区日暮里町1丁目でも路上に駐車していた小型トラックの屋根に米軍機の部品が落下。続いて同区浅草石浜町2丁目の路上にも米軍機の部品が落下した。これらの落下物は全て同じ米軍機によるもので車輪格納庫カバーが風で壊れてめくれあがり、風圧で次々と剥がれ落ちたためと推察された。この米軍機は墜落せず、厚木基地に着陸した。
  • 2月26日 - 福岡県福岡市F-100スーパーセイバー戦闘機C-47スカイトレイン輸送機が衝突した。この事故により民家2戸が全焼し、乗員3名が死亡した。
  • 3月12日 - 羽田空港を離陸したC-47輸送機が10時40分頃に新潟市の上空から位置報告したのを最後に消息を絶つ。この飛行機は後日長野県白馬岳に墜落しているのが発見され乗員4名全員が死亡しているのが確認された。
  • 3月12日 - 東京都の横田基地を離陸したKB-50空中給油機ウェーク島に向かう途中で行方不明。
  • 3月22日 - サンフランシスコ・トラヴィス空軍基地からウェーク島を経て羽田空港へ飛行していたC-97輸送機八丈島の東方200マイルあたりで墜落。米軍人の家族など合計67名が乗っていたが全員死亡した。
  • 3月29日 - 青森県の三沢基地所属のF-86機太平洋に墜落。乗員1名はパラシュートで脱出したがそのまま行方不明となった。
  • 4月22日 - 福岡県八幡市(現・北九州市)河内上奥田の山中にC-119輸送機が墜落。乗員4名死亡。
  • 4月22日 - 福岡県八幡市市ノ瀬の山中に上記の事故の捜索のため出動したH191型ヘリコプターが墜落し天狗岩と呼ばれる岩山の壁に激突して大破。乗員3名のうち1名死亡、2名重傷。
  • 4月27日 - 静岡県田方郡上大見村(現・伊豆市)地蔵堂の万三郎岳にビーチクラフト機が墜落し乗員4名全員死亡。
  • 5月 - 山口県岩国基地の沖約1kmの海上にAD6攻撃機が墜落。
  • 5月7日 - 神奈川県高座郡綾瀬町(現・綾瀬市)蓼川の麦畑にジェット機が墜落し大破。乗員1名重傷。
  • 5月8日 - 静岡県賀茂郡南伊豆町波勝崎の沖約8マイルの海にKB-50空中給油機墜落。乗員8名のうち2名は近くにいた漁船に救助されたが6名は行方不明となった。
  • 6月 - 山口県岩国市今津川河口より東へ約1kmの瀬戸内海でAD6攻撃機が墜落。
  • 6月22日 - 熊本県玉名市上空を飛行していたF-862機が接触し2機とも墜落した。乗員2名が死亡。
  • 7月19日 - 横浜市港北区小山町(現・緑区小山町)の畑にジョンソン基地(現・入間基地)を飛び立ったジェット機が燃料切れで墜落。乗員2名はパラシュートで脱出し無事だった。
  • 7月25日 - 神奈川県高座郡大和町(現・大和市)下鶴間に厚木基地所属のジェット機が墜落。乗員1名死亡。
  • 8月3日 - 米軍機母子殺傷事件
    • 茨城県那珂湊市(現・ひたちなか市)で自転車に乗っていた母子(当時63歳と24歳)が、水戸補助飛行場から離陸後超低空で飛行してきたL-22単発連絡機に接触されて母親は胴体を切断されて即死。子供は腹部に重傷。
  • 8月29日 - 岩国基地所属のAD6攻撃機が羽田空港で離陸を失敗して墜落。飛行機は大破炎上し乗員1名重傷。
  • 10月 - 山口県岩国市阿品にAD6攻撃機が爆弾を誤投下。
  • 10月15日 - 沖縄を飛び立ち鹿児島県鹿屋基地へ向っていたA3D攻撃機薩摩半島の山川港沖約8マイルの海に墜落。乗員3名はパラシュートで脱出し無事だった。
  • 10月20日 - 横浜市戸塚区瀬谷町上瀬谷にある厚木街道の三叉路の近くにジョンソン基地(現・入間基地)所属のB-57爆撃機が火を吹きながら墜落。乗員2名はパラシュートで脱出し1名は無事だったがもう1名は死亡。
  • 11月8日 - 埼玉県狭山市上奥富地内にある入間川の河原にジョンソン基地(現・入間基地)所属のB57爆撃機が墜落し炎上。乗員2名死亡。
  • 12月12日 - 八王子市犬目町C-46輸送機墜落事故
    • 東京都八王子市犬目町の山に横田基地に着陸するため高度を下げて飛行していたC-46輸送機が送電線に接触して墜落。乗員5名全員死亡。
  • 12月29日 - 高知県足摺岬南方の太平洋上で飛行訓練していた米軍機が海に不時着。乗員2名が死亡。

1958年(昭和33年)

  • 1月 - の沖約2.5kmの海上にF-84が墜落。
  • 1月25日 - 山口県岩国基地を飛び立ったF-84G戦闘機3機が離陸直後に空中で相次ぎ接触し瀬戸内海に墜落。乗員3名死亡。
  • 2月8日 - 東京都八王子市小比企町にある多摩少年院近くの麦畑に、板付基地を離陸し横田基地に向かっていたT-33練習機が墜落。乗員2名はパラシュートで脱出し1名は無事に降下したが1名は腕を骨折する重傷。
  • 3月6日 - 横浜港沖の東京湾でF9F戦闘機が公開訓練中にロケット弾発射のため急降下し、そのまま機首上げ出来ずに東京湾に墜落。乗員1名死亡。
  • 3月7日 - 沖縄の那覇の南方の海でR4Q輸送機とレーダー哨戒機が空中衝突し両機とも墜落。
  • 3月16日 - 東京都北多摩郡田無町(現・西東京市)の大同機械株式会社の工場近くの畑に立川基地所属のT-33ジェット練習機が炎上しながら墜落。乗員2名はパラシュートで脱出し1名は無事に降下したが1名は死亡した。
  • 4月 - 山口県の岩国基地の沖約2kmの海上にP5M飛行艇が墜落。
  • 4月 - 山口県の岩国基地の沖約2.5kmの海上に米軍ヘリコプターが墜落。
  • 6月 - 広島県大竹市多田島F9戦闘機が墜落。
  • 6月 - 山口県の岩国市で米軍のヘリコプターが高圧線を切り愛宕橋南側川洲に墜落。
  • 6月12日 - 福岡県の板付基地(現・福岡空港)を離陸したジェット戦闘機が山口県の仙崎から15海里ほど離れた海上に墜落。乗員1名はパラシュートで脱出し無事。
  • 6月12日 - 福岡県の板付基地(現・福岡空港)を離陸したジェット戦闘機が長崎県五島列島福江島から15海里ほど離れた海上に墜落。乗員1名が死亡。
  • 7月8日 - 東京都にある横田基地を離陸したC-47が離陸直後にエンジンが故障して墜落。乗員2名死亡。1名負傷。
  • 7月25日 - 埼玉県狭山市B57爆撃機墜落事故
    • 埼玉県のジョンソン基地(現・入間基地)を離陸したB-57爆撃機狭山市入間川にある豆腐業を営む民家の屋根に接触して墜落。この事故により民家4戸が全壊し1戸が全焼。住民1名死亡、12名重軽傷。乗員1名も死亡した。
  • 8月26日 - 愛媛県西宇和郡瀬戸町(現・伊方町)川之浜の南方約4kmの海上に岩国基地所属のスカイレイダー攻撃機が墜落。
  • 8月31日 - 神奈川県横浜市神奈川区神大寺町にある住宅地裏手に厚木基地所属のFJ-4戦闘機が東京湾方面より飛来し、そのまま墜落し大破炎上。これにより民家2戸全壊、4戸半壊、住民2名がアゴに裂傷、顔に全治1ヶ月の大火傷を負うなどして重傷。その他に多くの付近の住民らが軽傷を負った。墜落現場は直径15mもの大穴が開いて破片は100m四方に飛び散った。これだけの事故でありながら住民に死者が出なかったのは不幸中の幸いと言える。なお戦闘機のパイロットは死亡した[5]
  • 9月9日 - 神奈川県厚木市七沢にある丹沢の大山の北東側の斜面に米軍のチャーターしウェーキ島から東京へ向って飛行していたフライング・タイガー航空の旅客機ロッキード コンステレーションが墜落。パイロットスチュワーデスなど乗員8名全員が死亡した。
  • 10月29日 - 茨城県猿島郡岩井町(現・坂東市)の上空で米軍第16飛行隊に所属するジェット機2機が接触し相次いで墜落した。この事故で畑仕事をしていた20歳の農夫1名に事故機の部品が直撃し怪我を負った。
  • 12月23日 - 埼玉県朝霞町(現・朝霞市)のキャンプ・ドレイクに所属する米陸軍の兵士1名がクリスマス休暇を利用して調布飛行場にてセスナ機を借りて東京湾方面へフライトしたところ江東区東雲の10号埋立地沖の東京湾に墜落し兵士は重傷を負い病院へ搬送された。

1959年(昭和34年)

  • 1月 - 群馬県太田市東別所にある太田飛行場で物資投下訓練をしていた大型輸送機が軍用ジープを投下訓練中に投下目標地点から遠く離れた一般住民の住む地域に誤ってジープを投下した。幸いに怪我人などは出なかった。
  • 3月10日 - 群馬県甘楽郡下仁田町栗山にある久保山の頂上付近にT-33練習機が墜落した。パイロットはパラシュートで脱出し足に怪我を負っただけで助かった。
  • 3月30日 - 埼玉県狭山市入間川地内入間川本流の新富士見橋の上流約100mの場所にジョンソン基地(現・入間基地)から飛び立ったT-33練習機がエンジン故障で墜落し乗員2名が即死。付近の民家に被害はなかった。
  • 5月20日 - 硫黄島から福岡県芦屋基地に飛来したC-130輸送機が着陸に失敗し同基地内線の兵舎に激突。この事故で死者2名、負傷者12名、火傷2名。
  • 6月30日 - 宮森小学校米軍機墜落事故
    • 沖縄本島の石川市(現・うるま市)にある石川市営宮森小学校(現・うるま市立宮森小学校)に嘉手納飛行場を離陸した米空軍のF-100Dスーパーセイバー戦闘機が墜落し爆発炎上。この事故ではパイロットは機体を放棄してパラシュートで脱出した。しかし無人となった戦闘機は小学校に墜落し、墜落現場となった小学校とその周辺にいた民間人ら17名(そのうち小学生は11名)が死亡。その他に重軽傷者200名以上を出す大惨事となった。
  • 10月2日 - 愛知県海部郡十四山村(現・弥富市)で伊勢湾台風の被災者の救出活動を行っていた米軍のヘリコプターが墜落し、救助しようとしていた被災者2名か死亡。パイロット1名重傷。
  • 10月5日 - 和歌山県潮岬の南方約270キロで米空母ミッドウェイ所属のF3H戦闘機2機が空中で接触し太平洋に墜落。
  • 10月24日 - 茨城県那珂湊市(現・ひたちなか市)にある米軍射爆場の沖でジョンソン基地所属の戦闘機1機が海に墜落。
  • 12月22日 - 神奈川県の厚木基地を離陸したジェット戦闘機が離陸直後に誤ってAIM-7スパロー・ミサイルを落下させた。安全装置がかかっていたので爆発の危険はなかったが、このミサイルは基地の外の道路を歩いてた工員のすぐ近くに落下し、工員は落下時に飛び散った破片などで負傷した。

1960年代

1960年(昭和35年)

1961年(昭和36年)

  • 1月11日 - 神奈川県厚木市妻田にある麦畑にアメリカ海軍所属のジェット機が墜落して大破。乗員はパラシュートで無事に脱出。
  • 1月11日 - 東京都八丈島の南東約100キロの太平洋上に米海軍所属の乗員1名乗りのF4D戦闘機が墜落。墜落前に無線で脱出すると連絡がありその後数日間にわたり米軍や海上保安庁が付近の海域を捜索したが乗員は見つからなかった。
  • 1月18日 - 神奈川県大和市上草柳地内、相模鉄道本線相模大塚駅から東へ約600m離れた線路脇に午前10時15分頃、厚木基地所属の単座式戦闘機が離陸直後に車輪が基地北側のフェンスに張られた鉄線に触れて墜落し大破炎上。乗員1名が逃げ遅れて機内で焼死した。この事故で架線が切れたり線路が損傷したりしたため相鉄本線は運行できなくなり復旧するまで5時間ほどかかった。また電話回線も切断されてしまった為に付近一帯で電話が使えなくなった。
  • 3月22日 - 茨城県那珂郡東海村照沼原の畑に米軍機の模擬爆弾が落下した。落下地点から僅か15m離れた場所では農民2人が農作業中だったが幸いに無事だった。この爆弾は地中4~5mの深さにまで突き刺さっており現場検証にきた米軍は「模擬爆弾だから爆発の危険はないし、深く刺さっているから掘り起こすのが大変だ」との理由でこの模擬爆弾の撤去作業を拒否した。
  • 4月 - 神奈川県の厚木基地所属のアメリカ軍機が離陸直後に高圧電線に接触、藤沢市高倉の民家に墜落。パイロットと住民1人が死亡、2人が負傷した[5]
  • 4月21日 - 神奈川県藤沢市中高倉にある民家に高圧線に触れた厚木基地所属のA4D攻撃機が墜落し墜落現場の民家に住んでいた夫婦2人が焼死。攻撃機の乗員1名も死亡した。
  • 4月24日 - 静岡県吉原市の沖に空母レキシントン所属のF4D戦闘機が墜落。
  • 6月3日 - 東京都青梅市上成木下分二本竹にある雑木林に横田基地を離陸したジョンソン基地所属のF-102戦闘機が墜落。乗員2名はパラシュートで脱出したが、うち1名は脱出時の高度が低かったためパラシュートが完全に開く前に地面に激突して死亡。もう1名は助かった。
  • 6月23日 - 東京都の伊豆大島にある波浮港より南へ約11km離れた太平洋B-57爆撃機が墜落。
  • 9月6日 - 茨城県内で米軍のP33機から増槽(補助燃料タンク)が落下。民家の屋根に落ちたあと転がって民家の庭先で遊んでいた6歳の児童の上に落下し即死した。
  • 11月2日 - 神奈川県中郡大磯町の南約11kmの相模湾に厚木基地所属のジェット機が墜落。乗員1名は墜落後にゴムボートで漂流したが無事に立川基地のヘリコプターに救助された。
  • 11月20日 - 長野県東筑摩郡麻績村叶里の農家横の桑畑に厚木基地所属のF4D戦闘機が火を吹きながら墜落。乗員1名はパラシュートで脱出したが地上へ降下後に死亡した。
  • 11月20日 - 茨城県那珂湊市にある米軍射爆場を飛行中のB-57爆撃機が射撃の訓練中に誤って付近の繁華街へ向けて20mm機関砲を誤射。これにより那珂湊市釈迦町の旅館やその近辺の民家8軒などに多数の砲弾が打ち込まれた。この事件により民家の屋根瓦や窓ガラスが割れたり壁に穴が開いたりした。また付近の道路にも弾が当たったと思われる穴が開いていた。現場から警察と住民が合計13発の20ミリ機関砲弾を回収した。この事件では幸いに死者や怪我人は出なかった。
  • 11月27日 - 神奈川県横浜市戸塚区瀬谷町本郷3丁目の民家の近くにA4D攻撃機が墜落。乗員1名はパラシュートでの脱出を試みたがパラシュートが開かず、地面に激突して即死。
  • 12月 - 沖縄本島具志川村川崎部落に米軍のジェット機が墜落。住民2名が死亡、4名が重軽傷を負った。
  • 12月7日 - 福岡県福岡市香椎にある民家にF-100スーパーセイバー戦闘機が墜落。パイロットは墜落前にパラシュートで飛行機から逃げ出したので負傷で済んだが、この事故で墜落現場のすぐ近くにあった民家3戸は事故機から飛び散ったジェット燃料を浴びて瞬く間に炎上し、中に居た3名が焼死した。その3日後に病院に運ばれていた住民1名も死亡。最終的にこの事故による一般人の死者は4名となった。

1962年(昭和37年)

  • 4月11日 - 青森県三沢基地所属のT-33ジェット練習機青森県上北郡で畑に墜落し2名死亡。
  • 5月24日 - 埼玉県秩父郡横瀬村(現・横瀬町)芦ケ久保地内にある北根入山の山腹に立川基地を離陸したC-124グローブマスター輸送機が墜落し乗員7名全員が死亡した。
  • 6月21日 - 青森県にある三沢基地を離陸したF-100スーパーセイバー戦闘機が離陸直後にエンジン火災を起こし、行方不明となった。そして翌日朝に平内町野辺地町の境界にある烏帽子岳に墜落しているのが発見された。
  • 8月11日 - 午前11時半頃に神奈川県大和市上草柳で厚木基地を離陸したジェット機2機のうち1機が県道を走っていたトラックに接触したのち、相模鉄道相模大塚駅から約500m離れた線路の架線にも接触して墜落。これにより架線が切断されて相模鉄道は不通となったり復旧は夕方になった。パイロットは墜落の衝撃で重傷を負った。
  • 12月20日 - 沖縄本島嘉手納基地に着陸しようとしたKB-50J型空中給油機が滑走路手前にある電柱に接触して墜落。飛行機は滑走路近くの民家に墜落し大破炎上、住民2名死亡、重軽傷2名、乗員5名死亡、重軽傷2名の大事故となった。
  • 12月20日 - 群馬県太田市東別所にある太田飛行場で物資投下訓練をしていた大型輸送機が投下訓練用のドラム缶を誤って投下目標地点から300m離れた民家裏に投下した。幸いに負傷者等は出なかった。
  • 12月21日 - 沖縄の糸満町の海岸にFJ-3が墜落。パイロットは無事脱出し、住民にも被害は無かった。

1963年(昭和38年)

1964年(昭和39年)

  • 1月16日 - 神奈川県高座郡座間町(現・座間市)相模台にある畑に米海軍のジェット機が墜落しパイロット1名が死亡。この事故による破片が周囲の民家にも飛び散り13世帯が爆発による爆風と飛んできた破片などで窓ガラスが割れたり屋根に穴が開いたりした[6]
  • 1月18日 - 福岡県板付空港の上空で米軍のF-100戦闘機が空中爆発。これにより破片が空港施設に飛び散ったため空港は閉鎖された。パイロット1名死亡。
  • 2月15日 - 鹿児島県薩摩半島にある開聞岳の南約9kmの海上に米空母から発進した哨戒機が燃料切れにより墜落し、乗員2名が死亡。
  • 3月18日 - 神奈川県横須賀市大田和にある山林に米海軍横須賀基地所属の艦艇から発進した無人ヘリコプターが墜落した。
  • 4月5日 - 町田米軍機墜落事故
  • 7月22日 - 茨城県鹿島郡鹿島町(現・鹿嶋市)にある県立鹿島高校の北約100m離れた場所にある養鶏所の敷地内に米軍機の標的用の吹流しとその付属品が落下した。
  • 7月31日 - 神奈川県藤沢市大庭にある畑にF-4ファントム戦闘機が墜落炎上。乗員2名はパラシュートで脱出しうち1名が軽傷。この事故により畑や雑木林など約200平方mが焼失。
  • 8月13日 - 岩手県下閉伊郡新里村刈屋堀谷下神立にある山林に三沢基地を離陸した米軍のWB-50気象観測機が炎上して墜落。乗員11名のうち4名はパラシュートによる脱出に成功したが他の7名は死亡した。
  • 9月8日 - 神奈川県厚木市厚木にある相模川の河川敷にF-105戦闘機が墜落し乗員1名が死亡。
  • 9月8日 - 大和米軍機墜落事故
    • 厚木基地を離陸したF8U-2 クルセイダー戦闘機が離陸直後にエンジン故障を起こし、高度が上がらず低空飛行を続けた末、滑走路北端から700m離れた上草柳の舘野鉄工所の建物に接触したあと、50mほど離れた畑に墜落し爆発炎上した。この事故で鉄工所の工場内にあったアセチレンガスのタンクが燃え上がり住宅と2棟の工場が全壊。工場棟で作業をしていた3人が即死、重傷を負って入院した2人も後日死亡、負傷者4人、家屋全壊4棟、一部損壊6棟をもたらす大惨事となった。パイロットは鉄工所に衝突する直前にパラシュートで脱出したので軽傷だけで済んだ[6][5]
  • 10月6日 - 神奈川県横浜市金沢区富岡町字滝にある山林に米海軍の大型ヘリコプターが墜落し乗員6名全員が死亡。
  • 10月29日 - 長野県南佐久郡小海町の五箇地区にあるカラ松林に嘉手納基地所属のF-105Dが墜落。またこの墜落の少し前に長野県諏訪郡原村の柏木地区の民家近くに同F-105Dの外部燃料タンク2個が落下して爆発炎上し民家248平米を全焼した。パイロットは墜落の直前にパラシュートで脱出し無事だった。
  • 12月 - 横田基地の近くにある昭島市堀向地域内でF-105戦闘機が超低空を猛スピードで飛行し、その時に発生した衝撃波で付近一帯の民家のうち14戸で窓ガラスが多数割れる被害が出た。そして同地区にある銭湯でも窓ガラスが多数割れて中に居た人々に割れた窓ガラスが降り注ぎ入浴中の女性が血だるまになる等の被害がでた。
  • 12月8日 - 神奈川県愛甲郡清川村煤ケ谷金翔にある農家の庭先にF-8C戦闘機が墜落。墜落の衝撃でジェット燃料が周りの農家に飛び散って火災が起き農家4棟を全焼したが住民はいち早く逃げ出して無事だった。パイロットもパラシュートで脱出して無事だった。

1965年(昭和40年)

  • 1月 - 東京都にある横田基地所属のF-105戦闘機が曳行標的を昭島市内に誤投下。
  • 1月10日 - ウェーク島を飛び立ち沖縄へ向っていたC-133輸送機太平洋に墜落し乗員6名が行方不明。
  • 2月2日 - 埼玉県入間郡西武町(現・入間市)野田芝の入間川の横にある茶畑にT-33練習機が燃えながら墜落。墜落現場近くに燃えて穴の開いたパラシュートが発見されそのすぐ近くで乗員2名が死んでいるのが発見された。
  • 2月16日 - 東京都青梅市新町小藤塚にある麦畑にF-105戦闘機が墜落。乗員2名はパラシュートで無事に降下した。
  • 2月18日 - 福岡県の板付空港(現・福岡空港)の南約21kmの山中にF-100スーパーセイバー戦闘機が墜落。乗員1名はパラシュートで無事に降下した。
  • 5月 - 東京都にある横田基地所属のF-105戦闘機から部品が脱落し、福生市内の住宅地に落下。
  • 5月5日 - 神奈川県相模原市上鶴間の米軍家族住宅に横田基地を離陸したF-105戦闘機が墜落。この事故で子供2名が死亡、軽傷8名だった[6]
  • 6月15日 - 神奈川県の大磯海岸沖の相模湾F-4Bファントム戦闘機が墜落し乗員2名死亡。
  • 6月25日 - 神奈川県の厚木基地に着陸しようとしたA-4C攻撃機が着陸に失敗し再びバウンドして基地外へ飛び出し、神奈川県大和市上草柳にある相模鉄道のコンクリート製トンネルに接触したのちトンネル先の麦畑に墜落し大破。現場は1962年(昭和37年)8月11日におきた米軍機墜落事故の場所とほとんど同じ所で、その事故のあと1964年(昭和39年)11月に米軍機の墜落に備えて厚さ40センチのコンクリート壁でトンネルを作ったばかりだった。もしこのトンネルが無かったら相模鉄道への被害は免れなかったと言われている。なおパイロット1名はこの事故で重傷を負った。
  • 9月27日 - 福岡県遠賀郡岡垣町糠塚の森林に米軍機が模擬爆弾を誤投下した。模擬爆弾の落下した場所からわずか10メートル離れた所には松の伐採作業をしている人達7名が居たが、幸いに負傷者は出なかった。
  • 12月5日 - 沖縄東方の太平洋でアメリカ海軍の空母『タイコンデロガ』のエレベーターからB43熱核爆弾1発を搭載したA-4E スカイホーク攻撃機が海に転落、パイロットとともに核爆弾も失われ未回収となった。1名死亡。

1966年(昭和41年)

  • 3月6日 - 東京都立川基地で米軍機が滑走路をオーバーランして滑走路先の柵に衝突。
  • 4月27日 - 広島県佐伯郡沖美町(現・江田島市)の沖合いの瀬戸内海岩国基地所属のF-4ファントム戦闘機が墜落。乗員1名は墜落前にパラシュートで脱出し付近の漁船に無事に助けられた。
  • 5月1日 - 東京都の立川基地に着陸しようとしたCL44機が基地手前の防護柵に車輪が接触した。これにより柵は壊れたが、幸いに飛行機の車輪は全く壊れず無事に滑走路に着陸できた。この柵は3月6日の事故で壊れた柵を応急的に修理した脆いもので、もし柵をもっと頑丈なものに作り変えていたら事故は免れなかったと推察される。
  • 5月19日 - 沖縄嘉手納基地を飛び立ったアメリカ空軍のKC-135空中給油機嘉手納町コザ市(現・沖縄市)の境にある道路に墜落し、たまたまこの道路を走っていた本土から仕事で来ていた会社員の運転する車を巻き込んで大破し会社員1名が死亡した。飛行機の乗員10名も全員死亡した。
  • 8月 - 東京都の横田基地所属のF-105戦闘機からエアブレーキの部品が脱落し昭島市明神町に落下した。
  • 9月12日 - 東京都の横田基地からウェーク島へ行こうとした米軍のチャーターするDC-7旅客機が離陸に失敗。滑走路先の柵をなぎ倒したあと基地の外にある畑まで飛び出して炎上した。乗員4名は飛行機が燃える前に脱出して無事だった。なお、この事故では飛行機の燃えた場所が五日市街道のすぐ横で、同街道が4時間以上に渡って通行止めとなり付近一体は大渋滞した。

1967年(昭和42年)

  • 2月1日 - 午後5時55分頃、横田基地を燃料満載の状態で離陸したF-105戦闘機が離陸直後にエンジンが停止し、そのまま府中市にある多摩川の河川敷に墜落した。乗員1名は機体から脱出する前に機体に付いている増槽(補助燃料タンク)2個を切り離した。この増槽2個も、それぞれ飛行機の墜落現場に近い多摩川の河川敷の土手に落下し、事故機と増槽から漏れ出た燃料により河川敷の広範囲が焼失した。特に増槽1個については燃料が多摩川の水面に流れ出し、文字通り一面が火の海になった。パイロットはパラシュートで脱出に成功し府中本町駅近くに無事降下。事故機のパイロットは「民家を避けて、人がいない場所に飛行機を落とそうと思い多摩川に飛行機が落ちるようにした」と語っている。そしてパイロットの狙い通り、事故機は人の居ない多摩川に落ちたのでこの事故では人的被害は出なかった。
  • 6月24日 - 神奈川県大和市深見にて、アメリカ軍ジェット機による部品落下事故発生。被害なし[6]
  • 4月28日 - 長崎県上県郡上対馬町の東北東約9kmの海上にP-3Aオライオン哨戒機が墜落。
  • 8月 - 横田基地に駐機中のB707機から火災が発生して全焼。
  • 12月28日 - 東京都三宅島坪田南の約500m沖合いにF-4戦闘機が墜落。乗員2名は漁船などに助けられた。

1968年(昭和43年)

1969年(昭和44年)

  • 1月12日 - 福岡県福岡市箱崎にある九州大学の正門前にある商店に米軍偵察機の防風ガラス清掃用の部品が落下。怪我人など出なかったものの、この現場は前年6月2日にファントム機が墜落した「九州大学電算センターファントム墜落事故」の現場からわずか400mしか離れていない場所だったので九州大学では再び米軍批判が高まることとなった。
  • 1月12日 - 東京都横田基地所属のF-4ファントム戦闘機が埼玉県入間市宮寺の狭山丘陵に墜落。この事故機は墜落の際に送電線を切ったため、三多摩地区の合計1万戸が停電した。なお乗員2名は即死した。
  • 4月15日 - アメリカ海軍EC-121機撃墜事件
  • 6月21日 - 神奈川県横浜市北区鴨志田の雑木林に、山口県の岩国基地から神奈川県の厚木基地へ向けて飛行していた在日米軍の軽飛行機が墜落し操縦士1名が死亡。生き残った同乗者の証言によれば「突然エンジンが止まった」とのこと。
  • 7月18日 - 山口県岩国基地を離陸し青森県三沢基地へ向かう途中のF-4ファントム戦闘機が岐阜県美濃加茂市の山林にAIM-7スパロー・ミサイルを落とした。厚木基地よりヘリコプターが飛び立って落下地点と思われるあたりを探索したが爆発の痕跡などは見つからなかった。この事故に対して時の内閣の佐藤栄作総理は22日の閣議でこの問題を日米間の協議問題に取り上げる旨を表明した。
  • 10月18日 - 沖縄県勝連村にある米軍港ホワイトビーチ桟橋のすぐ近くの海で米軍のヘリコプターが墜落。落下した破片で米軍基地で働いてる日本人1名が重傷。ヘリコプターの乗員18名のうち3名も死亡。

1970年代

1970年(昭和45年)

1971年(昭和46年)

1972年(昭和47年)

1973年(昭和48年)

1976年(昭和51年)

  • 8月31日 - 山口県にある岩国基地ハリアー戦闘機が垂直離陸しようとして失敗し墜落。パイロットは脱出して無事だったが、この事故で出動した米軍消防車のうち1台が滑走路一面に広がった消火剤の泡で横転し米軍消防士6名が車外に投げ出されうち1名が消防車の下敷きとなり重体となった。
  • 10月24日 - 東京都西多摩郡瑞穂町駒形富士山にある民家の屋根に米軍ヘリコプターの風防が落下。これは横田基地から入間基地へ向かう途中のCH-53ヘリコプターが落としたものだった。

1977年(昭和52年)

  • 9月27日 - 横浜米軍機墜落事件
    • 神奈川県横浜市緑区荏田町(現・青葉区荏田北三丁目・大入公園付近)の住宅地に空母ミッドウェイへ向かう途中のRF-4Bファントム戦術偵察機がエンジン火災を起こし墜落して民家2棟が全焼。この事故で民家に住んでいた3歳の幼児と1歳の乳児の2名が全身火傷で死亡。母親は大火傷を負い一命を取り留めたものの、その後4年間に渡り60回もの皮膚移植の手術等の治療を受け肉体的には回復するが、1982年(昭和57年)1月26日に心因性の呼吸困難により死亡した。パイロット2名はパラシュートで脱出し無事だった[6]

1978年(昭和53年)

  • 1月18日 - 静岡県御殿場市にある東富士演習場厚木基地所属のヘリコプターが墜落し乗員26名のうち4名が死亡。
  • 8月21日 - 神奈川県横浜市旭区の上空を飛行していたP-3C対潜哨戒機が翼の前縁カバーが落下。米軍は「乱気流に巻き込まれたため」と発表したが、日本側で調べたところ28本あるボルトの締め付けが全て甘かった事が判り、部品落下の原因は整備不良である事が判明した。
  • 10月 - 東京都横田基地を飛び立ったP-3対潜哨戒機がアリューシャン列島で墜落。乗員15名のうち10名はソ連の漁船に救助された。残り5名については2名が遺体で発見されたが3名は行方不明のままとなった。
  • 10月18日 - 東京都の横田基地の滑走路上でDC-8機が火災を起こして炎上。

1979年(昭和54年)

1980年代

1981年(昭和56年)

1982年(昭和57年)

  • 2月25日 - 神奈川県相模原市キャンプ淵野辺跡地にアメリカ軍所属ヘリコプターが不時着。被害なし[6]
  • 4月6日 - 沖縄県嘉手納基地所属のF-15戦闘機が沖縄本島北西約75kmの海上に墜落。乗員2名はパラシュートで無事に脱出し海兵隊のヘリコプターに救助された。

1983年(昭和58年)

1985年(昭和60年)

1986年(昭和61年)

1987年(昭和62年)

1988年(昭和63年)

1989年(平成元年)

1990年代

1991年(平成3年)

1992年(平成4年)

1993年(平成5年)

1994年(平成6年)

1995年(平成7年)

1996年(平成8年)

1997年(平成9年)

1998年(平成10年)

1999年(平成11年)

  • 1月20日 - 高知県沖の太平洋上で空中給油訓練中の第212海兵戦闘攻撃飛行隊英語版所属のF/A-18C戦闘攻撃機が僚機と接触し、高知県夜須町(現・香南市)の沖約18kmの土佐湾に墜落。乗員は緊急脱出後、救命ゴムボートで現場海域を漂流しているところを救助された[11]
  • 1月21日 - 青森県三沢基地所属のF-16C戦闘機が岩手県釜石市橋野の山中に墜落し、炎上した[11]。墜落の原因はパイロットが制服のファスナーに気を取られている間のいわゆる「わき見運転」が事故原因だった。後日、この飛行機には発がん性物質であるヒドラジンが搭載されていた事が判明し問題となった。
  • 4月19日 - 沖縄県の第1海兵航空団第36海兵航空群所属のCH-53E輸送ヘリコプターが夜間訓練中に北部訓練場の沖合に墜落し、乗員4名が死亡した[1][12]
  • 5月5日 - 東京都の横田基地所属のC-130輸送機が積載輸送訓練中に東京都町田市小山町で投下訓練用の砂袋(重量約7kg、パラシュート付き)を誤って落下させた[9]。この砂袋は民家に落下し、屋根瓦4枚が破損した[6]
  • 6月4日 - 沖縄県嘉手納基地で滑走路上にホバリングしていたAV-8B攻撃機がエンジンに異物を吸い込み、エンジンから火を吹いて墜落。パイロットは墜落直前に脱出し無事だった[1]

2000年代

2000年(平成12年)

2001年(平成13年)

  • 4月3日 - 青森県三沢基地所属のF-16戦闘機が三沢基地の近くの天ヶ森射爆場(Ripsaw Range)の数百mほど先の海に墜落。乗員は海上自衛隊のヘリコプターに救助されて無事だったが墜落現場の海に飛行機から漏れ出した燃料が広がるなど漁業被害がおきた。
  • 9月 - 東京都にある横田基地所属のC-17輸送機が飛行中に部品が脱落し羽村市神明台にある工場の屋根に落下。部品の重さは約1.2kgもあり工場の屋根に穴が開いた。後日、国が在日米軍を相手どって正式に抗議[9]

2002年(平成14年)

2003年(平成15年)

2004年(平成16年)

2005年(平成17年)

2006年(平成18年)

2007年(平成19年)

  • 2月27日 - 神奈川県内(場所不明)にアメリカ軍所属のFA-18Eスーパーホーネット戦闘攻撃機の部品落下。被害なし[6]
  • 3月22日 - 青森県三沢基地所属のF-16戦闘機が飛行訓練中に燃料漏れをおこし函館空港に緊急着陸。
  • 4月10日 - 神奈川県内(場所不明)にアメリカ軍所属のFA-18Eスーパーホーネット戦闘攻撃機の部品落下。被害なし[6]
  • 6月 - 東京都横田基地所属のUH-1Nヘリコプターがトランスミッション不調のため神奈川県横浜市のサッカー場に緊急着陸した[9]
  • 6月11日 - アメリカ軍所属のUH-1Nヘリコプターが神奈川県相模原市水郷田名の相模川河川敷へ不時着[6]
  • 6月13日 - アメリカ軍所属のUH-1Nヘリコプターが神奈川県横浜市金沢区へ不時着[6]

2008年(平成20年)

  • 6月11日 - 東京都の横田基地所属のUH-1Nヘリコプターがエンジン故障のため神奈川県相模原市田名にある相模川の河川敷に緊急着陸した[9]
  • 7月 - 東京都の横田基地所属のUH-1Nヘリコプターから立川市または昭島市(場所不明)にペットボトルが落下[9]
  • 7月14日 - 東京都の横田基地所属のC-130輸送機が同基地から北へ約100マイルの場所を飛行中、重量約1.4kgのアンテナが脱落[9]
  • 12月 - 東京都横田基地所属のヘリコプターがトランスミッション不調のため新座市の朝霞駐屯地に緊急着陸[9]

2009年(平成21年)

2010年代

2010年(平成22年)

2012年(平成24年)

2013年(平成25年)

2014年(平成26年)

  • 1月9日 - 米空母艦載機スーパーホーネットが神奈川県綾瀬市の民家の敷地にブレーキ部品を落下し、民家の柵の一部がへこみ、付近に停めていた乗用車の窓ガラスが破損した[29]

2015年(平成27年)

2016年(平成28年)

  • 9月22日 - 米海兵隊のAV-8B ハリアー IIが、沖縄県の辺戸岬の東約153kmの地点で墜落[33]。パイロットは米軍の救助隊に救出された[34]
  • 12月7日 - 山口県の岩国基地所属のF/A-18 ホーネットが、高知港の南約130kmの地点で墜落。パイロット1名が死亡[35][36]
  • 12月13日 - 沖縄県の普天間基地所属の輸送機MV-22 オスプレイが、沖縄県名護市安部の沿岸部で墜落(あるいは不時着水)。乗員5人のうち2人が負傷[37][38]
  • 12月13日 - 沖縄県の普天間基地所属の輸送機MV-22 オスプレイが、機体の不具合から前輪が出ず、普天間飛行場に胴体着陸した[39]

2017年(平成29年)

  • 1月20日 - 沖縄県うるま市伊計島農道上に、普天間基地所属の攻撃ヘリコプターAH-1Z ヴァイパーが機体の故障により不時着。機体の破損はなく、けが人もいなかった[40]
  • 3月8日 - 沖縄県宜野座村キャンプ・ハンセンで、ヘリコプターUH-1Y ヴェノムから訓練のためつり下げた複数の車のタイヤが落下した。けが人などの情報は入っていない[41]
  • 10月11日 - 沖縄県の普天間基地所属のヘリコプターCH-53E北部訓練場付近の牧草地に不時着し、炎上・大破した。乗員にけがはなかった[42][43]
  • 11月22日 - 空母ロナルド・レーガン艦載機のC-2輸送機沖ノ鳥島から北西約150キロの太平洋上で墜落した。輸送機には11人が搭乗しうち8人は救助されたが、3人が死亡した。ロナルド・レーガンは当時海上自衛隊と共同訓練を行っていた[44]
  • 12月13日 - 沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校の校庭に、上空を飛行中のCH-53Eが約90センチ四方のアルミ製の窓枠を落下させた。落下時に飛んだ石が当たり男児1人が手にけがをした[45]。同月7日にも普天間飛行場付近の保育園で同型機の部品が見つかっていたが、こちらについて在日米軍は、米軍ヘリのものと認めた上で飛行中の機体から落下した可能性は低いとしている[46]

2018年(平成30年)

  • 1月6日 - 沖縄県うるま市伊計島の東側の砂浜に、普天間基地所属のヘリコプターUH-1Y ヴェノムが不時着した。機体の目立った損傷はなくけが人もいなかったが、不時着した場所は最寄りの民家から約100メートル近くの場所だった[47][48]
  • 1月8日 - 沖縄県読谷村儀間にある廃棄物最終処分場の敷地内に、普天間基地所属の攻撃ヘリコプターAH-1が不時着した。機体に損傷はなく、住民やヘリの乗組員2人にもけが人はいなかった[49]
  • 1月23日 - 沖縄県渡名喜村渡名喜島のヘリポートに普天間基地所属の攻撃ヘリコプターAH-1Z ヴァイパーが緊急着陸した。飛行中に警告灯が点灯したため予防措置として着陸したという[50][51]

脚注

  1. ^ a b c d 県民生活への影響(事件・事故や環境問題)”. 沖縄県知事公室基地対策課. 2010年12月1日閲覧。
  2. ^ a b 本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士 北部・東北軍管区”. POW研究会. 2010年12月16日閲覧。
  3. ^ a b 本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士 西部軍管区”. POW研究会. 2010年12月16日閲覧。
  4. ^ 朝日新聞・昭和31年3月1日・夕刊
  5. ^ a b c d アメリカ軍機墜落事故とその波紋”. 神奈川県大和市役所. 2010年12月13日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 町田市周辺で発生した米軍・自衛隊機の事故”. 東京都町田市役所政策経営部企画政策課. 2010年12月13日閲覧。
  7. ^ 歴史年表 やまとバーチャル平和祈念館
  8. ^ 米軍機のダム墜落から20年 高知県本山町で住民が低空訓練中止を訴え”. 高知新聞 (2014年10月16日). 2015年10月3日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 基地の沿革”. 東京都瑞穂町役場. 2010年12月1日閲覧。
  10. ^ a b イカロス出版 JWing No.2 1998年10月号 118頁 「行くぞ! NEWSマン 米軍NEWS」
  11. ^ a b イカロス出版 Jwing No.8 1999年4月号 89頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」
  12. ^ イカロス出版 Jwing No.11 1999年7月号 96頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」
  13. ^ イカロス出版 JWing No.30 2001年2月号 96頁 「行くぞ!NEWSマン 事故」
  14. ^ イカロス出版 JWing No.70 2004年6月号 96頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」
  15. ^ イカロス出版 JWing No.74 2004年10月号 95頁 「行くぞ!NEWSマン 自衛隊・国内NEWS」
  16. ^ イカロス出版 JWing No.76 2004年12月号 104頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」
  17. ^ イカロス出版 JWing No.80 2005年月4号 99頁-100頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」
  18. ^ イカロス出版 JWing No.80 2005年月4号 99頁-100頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」
  19. ^ イカロス出版 JWing No.86 2005年月10号 110頁-111頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」
  20. ^ イカロス出版 JWing No.92 2006年月4号 92頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」
  21. ^ イカロス出版 JWing No.94 2006年月6号 94頁 「行くぞ!NEWSマン 米軍NEWS」
  22. ^ 米軍ヘリ、渡名喜島に緊急着陸 燃料系統に不具合 琉球新報、2009年4月27日
  23. ^ a b 大和市/過去のトピックス 2010年(平成22年)”. 神奈川県大和市基地対策課. 2010年12月13日閲覧。
  24. ^ 米軍機の部品落下:車直撃けが人なし、「岩国移駐」影響も/厚木 カナロコ 2012年2月8日
  25. ^ 沖縄本島東方沖に米軍F15墜落 琉球新報 2013年5月28日
  26. ^ 米HH60緊急着陸か 5日夜高江に 琉球新報 2013年6月7日
  27. ^ 沖縄で米軍ヘリ墜落、炎上 キャンプ・ハンセン内 朝日新聞 2013年8月5日
  28. ^ 米海軍ヘリ不時着、乗員2人けが…神奈川・三浦 読売新聞 2013年12月16日
  29. ^ 米空母艦載機:飛行中にブレーキ部品落下 民家の柵へこむ 毎日新聞 2014年1月9日
  30. ^ 米軍ヘリが墜落 沖縄・伊計島沖 6人重軽傷、陸自隊員も 沖縄タイムス 2015年8月13日
  31. ^ 米軍ヘリ墜落:沖縄沖 6人けが、同乗の陸自隊員ら 着艦失敗 毎日新聞 2015年8月13日
  32. ^ “着艦失敗の原因「操作手順ミス」15年の米軍MH60ヘリ、沖縄東沖事故 報告書に詳細説明なし”. 琉球日報. (2017年8月18日). https://ryukyushimpo.jp/news/entry-557313.html 2018年1月6日閲覧。 
  33. ^ 米ハリアー戦闘攻撃機が墜落 沖縄本島東沖 乗組員は無事 琉球新報 2016年9月22日
  34. ^ 沖縄沖に米軍機ハリアー墜落 太平洋で乗員1人を救助 朝日新聞デジタル 2016年9月22日付
  35. ^ 米のFA18戦闘機が高知沖で墜落 パイロット脱出も安否不明 産経ニュース 2016年12月8日
  36. ^ 墜落戦闘機のパイロット死亡=高知沖事故、原因調査-米海兵隊 時事ドットコム 2016年12月9日
  37. ^ オスプレイ墜落 名護東沿岸、夜間訓練中 乗員5人、2人けが 琉球新報 2016年12月14日
  38. ^ オスプレイ機体大破 不時着水、名護の海岸数十メートル 朝日新聞 2016年12月14日
  39. ^ 普天間飛行場に胴体着陸=事故機と別のオスプレイ-不安と反発一段と・沖縄 時事ドットコム 2016年12月14日付
  40. ^ 米軍ヘリが農道に不時着、けが人なし 沖縄・伊計島 朝日新聞 2017年1月20日付
  41. ^ 米軍つり下げのタイヤ落下=被害情報なし-沖縄・宜野座村 時事ドットコム 2017年3月9日付
  42. ^ 沖縄で米軍大型ヘリ炎上=北部訓練場施設外の民有地-住民、乗組員負傷者なし”. 時事通信 (2017年10月11日). 2017年10月11日閲覧。
  43. ^ 米軍ヘリ、飛行中に火災 不時着し炎上か 沖縄・東村”. 朝日新聞 (2017年10月11日). 2017年10月12日閲覧。
  44. ^ “米軍輸送機が沖ノ鳥島沖で墜落、3人不明 空母から発艦”. amass. (2017年11月22日). http://www.asahi.com/sp/articles/ASKCQ5JR1KCQTIPE030.html 2017年11月22日閲覧。 
  45. ^ 沖縄 米軍ヘリ窓枠、小学校に落下 校庭で授業中1人軽傷”. 毎日新聞 (2017年12月13日). 2017年12月13日閲覧。
  46. ^ 米軍、飛行中の落下「可能性低い」 保育園への部品落下”. 朝日新聞 (2017年12月9日). 2017-12-193閲覧。
  47. ^ “米軍ヘリが伊計島に不時着、民家から100m”. 読売新聞. (2018年1月6日). http://sp.yomiuri.co.jp/national/20180106-OYT1T50063.html 2018年1月6日閲覧。 
  48. ^ “米軍ヘリ不時着  伊計区民、月内に抗議集会”. 琉球新報. (2018年1月7日). https://ryukyushimpo.jp/news/entry-642461.html 2018年1月12日閲覧。 
  49. ^ “米軍ヘリまた沖縄で不時着…ホテル近くの処分場”. 読売新聞. (2018年1月8日). http://sp.yomiuri.co.jp/national/20180108-OYT1T50055.html 2018年1月8日閲覧。 
  50. ^ “普天間の米軍ヘリ、沖縄・渡名喜島に緊急着陸”. 読売新聞. (2018年1月24日). http://sp.yomiuri.co.jp/national/20180123-OYT1T50090.html 2018年1月26日閲覧。 
  51. ^ “沖縄のヘリコプター緊急着陸は予防措置 米海兵隊トップ”. NHK. (2018年1月26日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180126/k10011303201000.html 2018年1月26日閲覧。 

参考文献