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[[1930年]]、[[沖縄県]][[宮古郡]]城辺村(後に[[城辺町 (沖縄県)|城辺町]]→[[宮古島市]])に生まれる。幼い頃から歌うことが好きで、四六時中「歌ってばかり」の少年だったという。<br />[[1945年]]、15歳で[[新城青年会]]に入会。20歳の頃から地域の演芸会で歌・[[三線]]を披露するようになる。その後、24歳の若さで新城青年会会長に就任し、宮古島内の大会で活躍した。<br />[[1965年]]、[[宮古民謡]]の道に生きることを決意して[[宮古丸]]で[[那覇]]へ渡る。翌年、[[琉球放送]]の番組「[[金の歌銀の歌]]」に出演。[[伊良部トーガニー]]を歌った。その翌年には第20回[[NHKのど自慢]]沖縄地区大会・民謡の部優勝を果たし、沖縄本島においても類稀なる才能を発揮する。<br />[[1968年]]から25年連続で琉球放送の番組「[[新春民謡紅白歌合戦]]」にも出演した。この年、戦前の[[友利明令]]に次ぐ戦後初めての宮古民謡のレコードを発売。<br />[[1969年]]に初のリサイタルを故郷宮古島で開催するも、昼夜2回、2日間の公演予定が、超満員で収容できず、3日間に延長された。以後、これまで5回宮古でリサイタルを開催。<br />[[1971年]]には、那覇市内で民謡研究所を開設し、[[沖縄テレビ]]の「[[東西民謡歌合戦]]」に出演。以後、同番組には20年連続して出演した。<br />[[1990年]]、芸道40周年を記念し、リサイタル「芸道四十年 国吉源次の世界」を開催するも、[[1991年]]と[[1993年]]の2度にわたって[[脳腫瘍]]で手術を受けた。2度目の手術の半年後より、本格的に演奏活動再開。 [[1995年]]、初のCDアルバム「初恋」を発売。[[1999年]]には芸道50周年記念リサイタル「芸道五十年 国吉源次の世界-宮古民謡の真髄を20世紀ヘー」 を開催。<br />過去に[[琉球民謡協会]]理事長(2期)、[[宮古総合芸能協会]]会長、[[琉球民謡保存会]]理事長(2期)等の重役を務めた。<br />妻は同じく宮古民謡歌手の[[国吉義子]]。 |
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== ディスコグラフィー == |
== ディスコグラフィー == |
2018年1月29日 (月) 00:39時点における版
国吉 源次 | |
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出生名 | 国吉 源次 |
生誕 | 1930年6月10日(94歳) |
出身地 |
日本 沖縄県宮古郡城辺村(現在の宮古島市) |
ジャンル | 民謡 |
職業 | 歌手、三線奏者 |
国吉 源次(くによし げんじ、1930年6月10日 - )は、沖縄民謡(主に宮古民謡)の歌手。宮古島歌謡の第一人者と称されている。
来歴・人物
1930年、沖縄県宮古郡城辺村(後に城辺町→宮古島市)に生まれる。幼い頃から歌うことが好きで、四六時中「歌ってばかり」の少年だったという。
1945年、15歳で新城青年会に入会。20歳の頃から地域の演芸会で歌・三線を披露するようになる。その後、24歳の若さで新城青年会会長に就任し、宮古島内の大会で活躍した。
1965年、宮古民謡の道に生きることを決意して宮古丸で那覇へ渡る。翌年、琉球放送の番組「金の歌銀の歌」に出演。伊良部トーガニーを歌った。その翌年には第20回NHKのど自慢沖縄地区大会・民謡の部優勝を果たし、沖縄本島においても類稀なる才能を発揮する。
1968年から25年連続で琉球放送の番組「新春民謡紅白歌合戦」にも出演した。この年、戦前の友利明令に次ぐ戦後初めての宮古民謡のレコードを発売。
1969年に初のリサイタルを故郷宮古島で開催するも、昼夜2回、2日間の公演予定が、超満員で収容できず、3日間に延長された。以後、これまで5回宮古でリサイタルを開催。
1971年には、那覇市内で民謡研究所を開設し、沖縄テレビの「東西民謡歌合戦」に出演。以後、同番組には20年連続して出演した。
1990年、芸道40周年を記念し、リサイタル「芸道四十年 国吉源次の世界」を開催するも、1991年と1993年の2度にわたって脳腫瘍で手術を受けた。2度目の手術の半年後より、本格的に演奏活動再開。 1995年、初のCDアルバム「初恋」を発売。1999年には芸道50周年記念リサイタル「芸道五十年 国吉源次の世界-宮古民謡の真髄を20世紀ヘー」 を開催。
過去に琉球民謡協会理事長(2期)、宮古総合芸能協会会長、琉球民謡保存会理事長(2期)等の重役を務めた。
妻は同じく宮古民謡歌手の国吉義子。
ディスコグラフィー
- 初恋(1995年、ユニバーサルミュージック)
- 綾語~国吉源次の世界~(1999年、クラウンレコード)
- 宮古民謡特集(2001年、マルフクレコード)
- 伊良部トーガニー(2002年、ビクターエンタテインメント)
映画出演
- 「ホテル・ハイビスカス」(2002年、中江裕司監督)
- 「恋しくて」(2007年、同)