「大谷口 (板橋区)」の版間の差分
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区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる<ref name="school">{{Cite web|url=http://www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/000/000388.html|title=板橋区立小中学校通学区域・小学校隣接校案内|publisher=板橋区|date=2017-07-31|accessdate=2017-12-11}}</ref>。 |
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!丁目!!番地!!小学校!!中学校 |
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2017年12月29日 (金) 00:34時点における版
大谷口 | |
---|---|
東京都水道局大谷口給水所 | |
北緯35度44分39.76秒 東経139度41分14.92秒 / 北緯35.7443778度 東経139.6874778度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 板橋区 |
地域 | 上板橋地域 |
面積 | |
• 合計 | 0.310 km2 |
人口 | |
• 合計 | 5,864人 |
• 密度 | 19,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
173-0035[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 練馬 |
大谷口(おおやぐち)は、東京都板橋区の町名[4]。現行行政地名は大谷口一丁目及び二丁目。全域で住居表示が実施されている。郵便番号は173-0035[2]。
地理
板橋区の南部南端部に位置する。北で大谷口上町、東で大山西町、南で豊島区千川、西で向原と隣接する。町域の南辺をもって板橋区 - 豊島区境を形成している。町域中央を南北に縦走する都道を境界に東側に大谷口一丁目、西側に大谷口二丁目が並ぶ。
地価
住宅地の地価は、2015年(平成27年)1月1日の公示地価によれば、大谷口2-24-15の地点で37万5000円/m2となっている[5]。
歴史
1559年(永禄2年)の『小田原衆所領役帳』に初出する。『新編武蔵風土記稿』では上板橋村の小名として見える。
1871年(明治4年)11月14日に、当該エリアが浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。1931年(昭和6年)大谷口配水塔が設置された。1932年(昭和7年)板橋区大谷口町となる。1957年(昭和32年)より3年間に幸町・大山西町・大谷口北町・大谷口上町・弥生町が分裂し、残った大谷口町と向原町の一部を合わせて大谷口一・二丁目が成立した。
地名の由来
石神井川湾曲地点の地形を表したものと考えられている。
世帯数と人口
2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
大谷口一丁目 | 1,237世帯 | 2,176人 |
大谷口二丁目 | 2,002世帯 | 3,688人 |
計 | 3,239世帯 | 5,864人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
大谷口一丁目 | 全域 | 板橋区立板橋第十小学校 | 板橋区立上板橋第二中学校 |
大谷口二丁目 | 全域 |
交通
鉄道
バス
道路
施設
- 東京都水道局大谷口給水所
- 東京都立板橋高等学校
関連項目
脚注
- ^ a b “町丁目別世帯数・人口表”. 板橋区 (2017年12月1日). 2017年12月11日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月11日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月11日閲覧。
- ^ 板橋区教育委員会『いたばしの地名』、1995年3月、P127。
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ “板橋区立小中学校通学区域・小学校隣接校案内”. 板橋区 (2017年7月31日). 2017年12月11日閲覧。