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「芦原温泉」の版間の差分

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2017年9月29日 (金) 00:10時点における版

芦原温泉
セントピアあわら
温泉情報
所在地 福井県あわら市
座標 北緯36度13分30秒 東経136度11分40秒 / 北緯36.22500度 東経136.19444度 / 36.22500; 136.19444座標: 北緯36度13分30秒 東経136度11分40秒 / 北緯36.22500度 東経136.19444度 / 36.22500; 136.19444
交通 鉄道:えちぜん鉄道三国芦原線あわら湯のまち駅
JR北陸本線:芦原温泉駅からタクシー10分
飛行機:小松空港からタクシーで45分
車:北陸自動車道:丸岡ICから20分、金津ICから15分
泉質 塩化物泉
泉温(摂氏 33.5 - 77.5 °C
外部リンク あわら市観光協会
芦原温泉旅館協同組合
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芦原温泉(あわらおんせん)は、福井県あわら市(旧越前国)にある温泉芦原町金津町が合併してあわら市が発足してからは「あわら温泉」と表記されることも多くなっている。福井県屈指の温泉街として「関西の奥座敷」と呼ばれ、昔から多くの文人墨客に愛されてきた。温泉療法医がすすめる名湯百選にも選ばれている。

泉質

  • 含塩化土類食塩泉
  • 効能は、リウマチ、慢性皮膚炎ほか多種多様。
  • 源泉数は46箇所あり、泉温は33.5〜77.5℃で源泉によって異なる。

温泉街

  • 温泉街

周囲を坂井平野に広がる水田に囲まれている。歓楽温泉としても発展していたが、温泉街にその要素は少なく、落ち着いた雰囲気のある温泉街を作っている。あわら湯のまち駅で貸し出しされるレンタサイクルで街中を散策することが出来る。

2006年から、観光協会から湯めぐり手形が1,500円で発行され、温泉街の19の宿の湯をどこでも楽しめるようになった(手形には500円のシールが3枚付き、1枚で1ヶ所巡れる)。

2007年末にはあわらゆのまち駅前のスペースに「あわら温泉屋台村 湯けむり横丁」がオープン、観光客と地元住民との憩いの場として賑わいを見せている。

  • 周辺施設

国指定の天然記念物名勝である東尋坊へも近く、芦原温泉駅からはバスで約40分、タクシーで約15分の距離にある。その他、道元禅師が建立した曹洞宗本山の永平寺、世界最大のウォータースライダーを擁する芝政ワールド、海水浴場、スキー場、ゴルフ場等へのアクセスも便利。

石川県の加賀温泉郷と並ぶ北陸観光の拠点となっている。

歴史

1883年(明治16年)に偶然発見される。一帯はこれといった作物も育たない湿地帯であり、農地の灌漑工事を行っている最中に噴出した。翌年には開湯式を挙行している。後発であったが、大正から昭和初期の旅行・観光ブームにのり発展した[1]。昭和2年の日本百景選出にあたって11カ所の温泉が選ばれたが、芦原温泉もその一つに選ばれている。官営三国線(北陸線支線)や三国芦原電鉄(後の京福電鉄三芦線)の芦原駅開業の影響も大きく、昭和7年頃には加越温泉郷の中ではトップの地位についている[2]

戦時下で一時閉塞したが、戦後まもなく復活。1956年(昭和31年)に大火に見舞われ、温泉街は烏有に帰すが、新たな都市計画のもと碁盤目上に区画された温泉街が整備された。もともと、田園地帯で風情が乏しかったため、近代的な建築に庭園の整備や露天風呂などを設え、風情のあるものに再整備された。その後は、落ち着いたたたずまいが人気を呼び、また永平寺の精進落としの湯、はたまた関西地方の奥座敷として発展を遂げ、現在に到る。

2004年(平成16年)に発生した温泉偽装問題では、温泉利用表示に問題がある旅館および源泉の無断開発の疑いがある旅館が複数軒あり、ニュースで大きく取り上げられた。これをきっかけとして、あわら市独自の温泉表示に関する基準が設けられ、それを満たした施設には「温泉表示マーク」を交付するようになった。同マークは2004年12月から交付が始まった。

アクセス

出典

  1. ^ 奥山秀範「ふくい歴史回廊~芦原温泉 昭和初期に躍進」『福井新聞』2015年11月27日号 19面
  2. ^ 開湯100週年記念誌編纂委員会編『芦原温泉100年史』芦原町役場発行 1984年 69頁他参照

参考文献

  • 芦原温泉観光協会『福井県芦原温泉誌』芦原温泉観光協会、1953年。 
  • 開湯100週年記念誌編纂委員会『芦原温泉100年史』芦原町役場、1984年。 

関連項目

外部リンク