コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「リャドク」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m cewbot: ウィキ文法修正 1: Template contains useless word template
19行目: 19行目:
*[http://dic.academic.ru/dic.nsf/bse/128990/Рядок {{lang|ru|Большая Советская Энциклопедия, 3-й выпуск}}]
*[http://dic.academic.ru/dic.nsf/bse/128990/Рядок {{lang|ru|Большая Советская Энциклопедия, 3-й выпуск}}]


{{Template:スラヴ語の行政区分呼称}}
{{スラヴ語の行政区分呼称}}
{{DEFAULTSORT:りやとく}}
{{DEFAULTSORT:りやとく}}
[[Category:キエフ・ルーシの法]]
[[Category:キエフ・ルーシの法]]

2017年8月29日 (火) 00:17時点における版

リャドクロシア語: Рядок)とは、キエフ・ルーシ期に主にノヴゴロド公国で見られた、商工業者の小規模な居住地のことである。

キエフ・ルーシ期のリャドクには、法に基づいた契約の1つであるリャドを結び、一定期間他者に隷属したリャドヴィチに属する人々が住んでいた[1]。また、リャドクの商工業者は農業にも従事した。

15世紀末には製鉄・製塩所などの採取産業地区や、連水陸路などの交易路上にもリャドクが登場した。なお、より大規模な、しかし防御設備をもたない[注 1]商工業者の居住地はポサードと呼ばれた。

16世紀前半、現在のノヴゴロド州には42のリャドクがあった。16世紀末から社会的価値を失い消滅していったリャドクもあったが、いくつかのリャドクはポサードへ、そしてゴロド(都市)へと発展していった。たとえばチフヴィンヴァルダイヴイシニー・ヴォロチョークなどである。また、ベリョゾヴスキー・リャドク(ru)、オペチェンスキー・リャドク(ru)などの自治体の名に、リャドクの名が残っている。

脚注

注釈

  1. ^ 都市(ゴロド)は一般にクレムリなどの防御設備を有した。

出典

  1. ^ Рядовичи в Энциклопедическом словаре 2009

外部リンク