「正伝寺 (岐阜県八百津町)」の版間の差分
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2017年8月29日 (火) 00:08時点における版
正伝寺 | |
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所在地 | 岐阜県加茂郡八百津町野上1298-1 |
山号 | 法雲山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建年 | 暦応3年(1340年) |
開山 | 夢窓疎石 |
中興年 | 明応元年(1492年) |
中興 | 東陽英朝 |
文化財 |
県指定:十一面観音坐像、金銅製三具足、愚堂東寔禅師墨書五幅 町指定:織田信長書状、雪江宗深墨書ほか |
法人番号 | 2200005006672 |
法雲山正伝寺(しょうでんじ)は岐阜県加茂郡八百津町にある臨済宗妙心寺派の寺院。
暦応3年(1340年)に夢窓疎石が現在地より500メートルほど東の地に法雲山米山寺として開き、足利尊氏から保護されたと伝わるが、その後しばらくの歴史は資料に乏しく未詳である。 明応元年(1492年)に当地出身で妙心寺13世の東陽英朝が住持となり、宗派を妙心寺派に改める。その後永正元年(1504年)には土岐政房により、土岐家の祈願所となる。天正8年(1580年)には美濃の支配者となっていた織田信長から保護を受けた。 江戸時代に入り、和知城の城主稲葉方通が寺基を現在地に移して寺号を正伝寺に移し、その父、稲葉一鉄の法事を行った。 元和3年に(1617年)に愚堂東寔が住持を務め、寺運の隆興に努めた。やがて稲葉氏が嗣子なき故に断絶すると、尾張藩の保護を受けるようになった。
所蔵する十一面観音坐像、金銅製三具足及び愚堂東寔禅師墨書が岐阜県の文化財に指定されているほか、寺の歴史にかかわったさまざまな人物の所蔵を数多く所蔵している。