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2017年1月11日 (水) 01:52時点における版
闇サイト殺人事件(やみサイトさつじんじけん)とは、2007年(平成19年)8月24日に愛知県名古屋市千種区内で発生した強盗殺人事件。闇サイトが犯行グループ結成に利用されたことが注目され、殺害された被害者が1人でありながら第一審では実行犯3人のうち2人に死刑判決が言い渡され[1]、そのうちの1人は控訴を取り下げ確定し[2]、死刑執行された(もう一人は控訴審で無期懲役に減軽されたが、刑確定後前科があることが判明、改めて死刑判決を受け上告中)。愛知女性拉致殺害事件(あいちじょせいらちさつがいじけん)とも呼ばれる。
概要
犯行まで
2007年(平成19年)8月24日午後10時頃、名古屋市千種区自由ヶ丘の路上を歩いていた31歳女性(同区在住)を、男3人は道を尋ねる振りをして、強盗目的で拉致した[3][4][5]。犯行グループ3人は日常生活で面識はなく、知り合って犯行を行うきっかけとなったのが、携帯電話サイト「闇の職業安定所」という犯罪者を募集する闇サイト[3]であり、初めて顔を合わせてからわずか3日後の犯行であった[6]。
この闇サイトで無職の男A(犯行当時40歳、本籍愛知県津島市)[3]が投稿し、朝日新聞の新聞拡張員だった男K(同36歳、同県豊明市在住)[3]と、過去に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件[注釈 1]など2つの強盗殺人・同未遂事件を起こし逃亡中であった無職の男C(同32歳、名古屋市東区在住)[3]の2人の男が参加し犯行を決め、若いOLを拉致して口座の暗証番号を聞き出し、預金を引き出した上で殺害することにし、8月24日に決行[6]。被害者の女性は偶然見かけただけという通り魔的犯行であった[7]。
犯行当日
豊川市内のファミリーレストランで落ち合った(後述の事務所荒らしのためAは同市内のホームセンターでハンマーやドライバーなどの道具を調達した。この時購入したハンマーが凶器に用いられる)3人はKを除き偽名を名乗り[3][8]、それぞれ8月24日午後10時頃、名古屋市千種区で帰宅途中の路上(自宅から僅か100m近くの路上[6])を歩く女性を車に連れ込んで、手錠をかけて拉致。約6万円とキャッシュカードを奪う[4]。さらに包丁で被害者を脅して、キャッシュカードの暗証番号を聞き出し(暗証番号をなかなか言わない被害者に対し、5分間のカウントダウンをして脅している[6])、8月25日午前0時頃、愛西市佐屋町の駐車場で被害者を殺害する[5]。被害者の女性は「殺さないで下さい」[9]「話を聞いて」[10]と何度も命ごいをしたが聞き入れられず、3人は犯行が露見するのを恐れて被害者を殺害、遺体を岐阜県瑞浪市稲津町小里の「御料林橋」北東の山林に埋めて逃走した[3][5]。なお、運転はA、拉致は後部座席のKとCが分担して行い、怯える女性を二人で挟んで座り、Kが中心となってハンマー(後述の事務所荒らしのためにAが用意したものだった[8])で殺害した[3]。
殺害方法はまさに「惨殺」というものだった[6]。Kが腕で被害者の首を絞めた後、Cはマスクのようにしたガムテープを口と鼻に貼り、その上から手で押さえ、被害者の鼻をつまみ、息ができないようにした[6]。被害者を早く殺して金を手に入れたいと思ったCは金槌を取り出し、被害者の頭を3発殴打した[6]。その後ロープを被害者の首に巻き、片方をAが、もう片方をCが持って引っ張ったがうまく絞められなかったので、Cはその後、1人で首を絞めた[6]。その間、被害者は「殺さないって言ったじゃない」「お願い、助けて」「死にたくない」「お願い、話を聞いて」と、途切れ途切れに絞り出すような最後の言葉を発したが、それを聞いても誰も躊躇することなく「まだ生きてやがる」と3人の行動はますますエスカレートしていった[6]。顔面の縦横にガムテープを23周ぐるぐる巻きにし、頭からビニール袋をかぶせ、その首元から頭にかけてガムテープで8周まわして留め、その後、Kはロープで被害者の首を絞めた[6]。それでもおさまらずKは、既に痙攣し始めている被害者の頭に30回から40回金槌を振り下ろして殺害した[6]。死因は窒息死だった[6]。
被害者は3人がかりのために手足の自由を奪われ、抵抗することもできずに虫けらのように殺されていった[6]。捜査に当たった警察も、裁判での検察も「生き埋めと同じだ」と言った[6]。被害者の母親は「親として、我が子をこのような形で亡くすことほど辛く苦しいことはない。娘も同じ思いです」とコメントしている[6]。被害者は生前、親しい人に「一番の親不孝は親より先に死ぬことだから私は絶対にそんなことはしない」と語っていたという(母親は「ですから、薄れゆく意識の中で1人残していく私のことを心配していたのではないかと思うと、胸が苦しくなります」と語った[6]。また、Kが殺害行為は「ゴキブリを殺すのと一緒で、仕事感覚」と発言したことに触れ「裁判を通して、身勝手な欲のために何の関係も落ち度もない人の命を簡単に奪えるほど、善悪に対する根本的な考えが一般の人とは違うということを知った」とも語った[6])。
この男ら3人以外に男1人(第4の男D)も「闇の職業安定所」で知り合って行動を共にしていた。一緒に女性拉致事件の前日に長久手市内の事務所に窃盗目的で侵入した(KとCは「あなた達とは考え方も方法も違う」と参加しなかった)ものの、途中で怖くなりAがDを見捨てて一人で逃げ出し、Dは土地勘がない上に所持金が200円程度しかなかったため、女性拉致事件直前の時間に名東警察署に自首し逮捕された[11](Dは裁判で窃盗未遂罪と強盗予備罪で懲役2年・執行猶予3年が確定)。AはKやCと継続的に連絡を取っており、その後3人で集まった会合で、女性を拉致して強盗することを決めた。Kはこの際、「女をシャブ漬けにして風俗店に売り飛ばすのはどうか」「金を奪ったら殺せばいい」などと主張した他、盗みより手荒な手段で金品を奪うことも提案、Cがこれを支持し、Aも同調したため、最終的に惨劇に繋がった[11]。
女性を殺害した翌日の8月25日午後1時になり、容疑者のうち仲間を集めた張本人であるA[6]が、第2の犯行を計画していたKとCを裏切るような形で愛知県警本部に犯行をほのめかす電話をし、名古屋市緑区内で逮捕され、他の2人も逮捕された[3][6]。警察に事件に関与したことを話した理由は、金欲しさに無辜なる女性を拉致して惨殺した挙句「死刑になりたくないから」という、あまりにも身勝手なものだった[3]。
警察署で事件後、被害者の母親と伯母(母親の姉)が霊安室で初めて会った被害者の遺体はブルーシートに包まれていて、首から上だけが出ている状態だった[6]。顔には何か所も青痣が広がっており、ぱんぱんにむくんでいたという[6]。眉間や左頬、顎には傷があり、髪はまるで糊付けでもしたかのようにばりばりに固まって、大量の出血を想像させるものだった[6]。その左側頭部にはガーゼがあててあり、傷口が隠してあった[6]。あまりにも惨たらしい遺体の姿を見て、母親は強く抱きしめると痛いのではないかと思い、そっとなでることしかできなかったという[6]。母親は2016年12月17日に犯罪被害者支援弁護士フォーラムが開いたシンポジウムで「当時のことはあまりよく覚えていませんが、後に姉(伯母)から『もうお母さんがいるから大丈夫よ。安心して。もう怖くないからね』と言いながら、そっとなでていたと聞いたという)[6]。しかし、母親がはっきり覚えているのは、頬をつけたときの娘の遺体の頬の異常な冷たさだったという(これについては「亡くなったという現実を突きつけられたショックが、記憶としてとどまったのかもしれない。警察署では顔の部分だけしか見ていなかったが、司法解剖を終え、物言わぬ姿で帰宅した娘の両手首に内出血のような青痣が残っていた。娘の唯一の自慢は、父親譲りのきれいな手だったが、その手が無残に変色し腫れているのを見ると、娘の恐怖が伝わってくるようで、何とも言えない悲しみに襲われたのを覚えている」と語った)[6]。後に担当刑事に「手錠をかけられているだけであのように変色するものなのですか」と尋ねたところ、刑事は「抵抗が激しいとなります」と答えたという[6]。母親は娘の顔の青痣を少しでも隠してあげたいと思い、姉と2人で死化粧をしてあげたが、その娘は白無垢をまとった花嫁のようだったという(母親には「解剖の痕を隠すように頭を覆った綿のようなものが綿帽子に見え、死装束が白無垢に見えた」という)[6]。
逮捕後
なお、当該事件を報道で「犯罪の温床」と大きく取り上げられた闇サイト「闇の職業安定所」は8月27日に閉鎖された。[要出典]
また、被害者の女性は趣味のブログを公開しており、ブログのコメント欄には被害者に対する哀悼のコメントが書き込まれた[注釈 2]。
被害者の母親がマスコミ宛に「もう少しで自宅に着けたのに」「犯人を絶対に許せない」という趣旨の手記を寄せた。のちに母親は姉とともに容疑者らを極刑にするために陳情書の署名を集めるホームページを設立、2007年10月1日に10万人、2008年12月18日に目標の30万人を超える署名を集め、最終的に33万2806人の署名が集まった[6]。海外に住む日本人や外国人の署名もあったという。なお、被害者の母親は容疑者3人全員の極刑を求めている[12]。
「事件のことを話すと娘のむごい姿につながり辛い」という遺族の母親が事件を語り続けてきたのは「被害者の現状を知ってもらいたい」「でも、娘が亡くなったことを無駄にしたくない」という思いからである[13]。
被害者の母親は各地の講演で死刑の必要性を訴え続け[13]、2016年12月17日に犯罪被害者支援弁護士フォーラムが東京都千代田区の星陵会館ホールで開いたシンポジウムで基調講演し[13]「人はどのような人でも最低限の道徳心を持ち合わせていると思っていたが、それは大きな誤りで、きれいごとでは済まされない、どうしようもない人間が存在することを認識する必要がある」「加害者の更生という未来の不確定なことを前提にして裁くのではなく、まじめに生きている人を守ることを優先して裁く司法であってほしい」と語った[6]。この中では日本弁護士連合会(日弁連)が「2020年までに死刑制度の廃止を目指すべきだ」との宣言を採択したことについても触れ(死刑廃止宣言には「遺族のことを全く考えていない」と憤っており、宣言で「国民は弁護士のほとんどが死刑廃止を求めていると捉えてしまうのではないか」とも懸念している[13])、「3万7000人の全弁護士に対し賛成は546人、全弁護士の1.4%にすぎない」「裁判で見た弁護人は被告人の刑を軽くするためならどんな方法もいとわない共犯者として映った。正義感など何も感じられない。弁護人は敵にしか見えなかった。しかし、全国犯罪被害者の会(あすの会)の総会に出席して、被害者に寄り添う弁護士の方々の話を聞き、こんな弁護士もいるのかととても驚いた。そして感動し、元気をもらった」とも語り、「死刑反対を唱える方々は、自分や自分の大切な人は絶対に犯罪に巻き込まれないとの前提の上で物事を考えているのではないか。想像力の欠如か、あるいはすべてが他人事か。今や誰に降りかかってくるかもしれない世の中であり、きれいごとでは社会秩序は守れない」と日弁連及び死刑廃止論者の主張を批判し、「死刑制度の廃止を目指す前に人権擁護大会でやっていただきたいのは、被害者やその家族の人権や処遇を、被疑者や被告人同様に憲法に明記していただくように働きかけていただくこと」とも語った[6]。
母親は「彼らに謝罪を望んだことは一度もない。死刑しかない」といい、法務大臣が交代する度に「きちんと執行する人か」とその経歴や発言に注目したという[13]。また「嫌なことを思い出してほしくない」と娘の墓前に報告はしていないと言い、「私の中で区切りがつくとしたら、3人がこの世からいなくなったとき」とも語っている[13]。
2017年(平成29年)現在は全員の刑が確定(Kは死刑執行)されたことから署名活動は終了したが、その後無期懲役が確定したCが後述の碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件[注釈 1]で主犯として再逮捕され、その後一・二審で改めて死刑判決を受けたことから、ホームページの更新自体は継続している(関連リンク参照)。
裁判
容疑者3名は当初の逮捕容疑の死体遺棄罪で起訴されたのに加え、強盗殺人罪・営利目的略取罪・逮捕監禁罪を加えて9月14日に再逮捕された[14]。3人とも容疑を認める一方、「反省はしていない」「謝罪するつもりはない」などと、この時点では反省の色を微塵も見せていなかった[14]。なお、3人は消費者金融から数十万円から数千万円の借金を抱えており、「闇の職業安定所」をKは10年ほど前から、Aは8年ほど前から、Cはこの年の6月頃からそれぞれ利用していた[14]。被害者女性を狙った理由については「真面目で金を持っていそうだったから」と供述した[14]。
その後、3人は10月5日、営利略取、逮捕監禁、強盗殺人の罪で、Aはさらに強盗強姦未遂の罪で追起訴された(監禁中、3人は被害者に対し足に包丁を突き刺すまねをしながら「この包丁は100円ショップの包丁で切れ味が悪いんだよ。死ぬまでに最低5、6回は刺さないと死ねないかな」と執拗に脅していた)[15]。
裁判では、裁判官の「被害者が1人である本件では死刑選択がやむを得ないと言えるほど悪質な要素があったとはいえない」、弁護人の「被害者が1人で死刑になった事件に比べると、この事件はそれほど酷い事件ではない」など、司法の世界ではごくごく当たり前だという文言が被害者遺族の心を傷つけた[6]。
第一審(名古屋地裁)
2008年(平成20年)9月25日に名古屋地方裁判所で公判が開始した。公判のなかで被疑者3名がお互いに罪をなすりつけ合い(特に「殺害方法の順番が違う」と主張したAと「共犯者が違う供述をしている」と主張したKの間でそれが顕著だった)、反省の態度を見せなかった[16]。
2008年11月5日に開かれた第5回公判では、Aへの被告人質問で3被告に脅されても正しくないキャッシュカードの暗証番号を教えるなど、被害者が最後まで生きる希望を失っていなかった様子が明らかになった(愛西市内の駐車場の車内で、Cが包丁を手に「いいかげんしゃべれ」とすごんだのに対し被害者は「2960」と答えた。Kが再び聞いたが、被害者は同じ番号を伝えた。Aが携帯電話で「2960」を押し発信履歴を残した直後、3人は被害者を殺害した。ロープなどで首を絞めハンマーで5回殴った。「話を聞いて」とすがる被害者に、3人は「まだ生きてやがる」と言い、粘着テープを顔に何重も巻き付け、ビニール袋をかぶせ、さらにテープを巻く。そしてハンマーで40~50回殴った。しかし8時間半後、3人は銀行で暗証番号が虚偽だと気づく。父を幼少時に31歳で白血病により亡くし、母と2人で生きてきた[17]被害者の預金は母の夢だった「マイホーム資金」だったと思われる。「命をとられてまで、嘘をつくはずはないと思った」とAは法廷で語ったが、3人は被害者の「夢」までは奪い取れなかった)[18]。
2008年11月7日の第6回公判ではAに対する被告人質問が行われ、Aは「サスペンス劇場を見ている感じだった。自分は見ているだけだった」などと供述、またKとCに「お前らが悪い」などと声を荒げ、裁判官が静止する場面もあった[19]。
2008年11月27日の第9回公判でKへの被告人質問があり、Cの弁護人が「3被告が出会った当初、過去に人を殺したことがあったと話したか」と問うと、Kは「『2人ほど埋めたことがある』と警察官には話した」と答えた。「実際にやったのか」と追求されるとKは「はい」と答えた上、「殺害行為にはかかわっていない」などと話したが、それ以上のことについては具体的な話はなかった。愛知県警は「そのような事実は把握していない」とした[20]。
2008年12月1日の第10回公判でKは被告人質問で、昨年8月26日に逮捕された後、別の警察署の留置所にいたAに宛てて脅迫めいた手紙を送ったと述べた。Kは手紙の内容について「『知人が面会などで失礼をすることがあれば許してください』と書いた」と説明し、Aに危害を加えることを示唆する文章だったとした。Aが自首したことを逮捕数日後に知らされ、「正直頭に来た。(Aを)ぶっ殺してやろうかと思った」という。また、駐車場に停めた車の中で被害者の首を絞めた際には、Aはこれまでの公判で「車外から戻ったらKとCが首を絞めていた。やむを得ず自分も加わった」と述べていたのに対し、KはAも車内にいたと述べた[21]。またKは逮捕後の取調べに、「人を殺すことに全く抵抗感がない」などと供述していたことが明らかになった(公判で引用された調書によるとKは「私が作ったルールに従って生きるだけで、他人が作った法律に縛られて生きようとは思わない」とも供述したという)[22]。Kは「Cが被害者から銀行のキャッシュカードの暗証番号(実際には前述の通り嘘だった)を聞き出した後、『もうやっちゃいましょうか』と殺害を提案した」と述べた。Kは「首を絞めます」と応じたが、「暗証番号が本当かどうか分からない」と思い、まずは失神させようとしたという。だが被害者がAに強姦されそうになり大声を上げたため、「殺すしかない」と考えたという。Aが「外でたばこを吸っていて、車に戻ったら首を絞めていた」と主張しているのに対してKは、「Aは運転席にいた」と反論した[23]。
2008年12月3日の第11回公判ではCは被告人質問で「Cが殺害を提案した」と主張するKの証言に反論し、「Kが突然『首を絞める』と殺害を提案してきた」と主張、Aは「Kが首を絞めた時は車の外にいた」と主張したが、KとCは「運転席にいた」と証言したため、殺害状況や発言を巡って3被告の食い違いが目立った。Cは「拉致して金を奪うことは決まっていたが、殺すという話は出ていない」「(Kから殺害を提案され)なぜかと思ったが、反対はしていない」と述べた[24]。
2008年12月8日の第13回公判では、証人として初出廷した母親らが「死刑判決を望む」と語った(被害者女性の交際相手の男性は「被害者が被告らに伝えた偽の暗証番号『2960』は『憎むわ』という意味だと思う」と証言。その根拠として、被害者が数字の語呂合わせをよくしていたと話した)[17]
2008年12月11日の第14回公判ではAへの被告人質問が行われ、遺族への謝罪についてAは被害者への心境を質問されると「お気の毒」、被害者が殺害された理由を「運が悪かった」などと淡々と述べ、まるで反省の色が感じられなかったため、検察官が「人ごとのように聞こえる」とたしなめた[25]。またAは「申し訳ないことをしたという気持ちはある。でも、遺族が納得できない謝罪は意味がない」と供述、遺族が死刑を望んでいることに対して「死刑なら死刑で構いません」と言い「包丁があるなら今、(遺族に)刺してもらってもいい」と述べた。その後、近藤宏子裁判長から真意を問われると「開き直っているのではない」と返答。「自分の命を差し出してもいいという意味か」との裁判長の問いに「そうです」と答え、自首した経緯については「『殺さないで』と言った被害者の最後の言葉が頭から離れず、犯行後のK、Cの発言にも腹が立ったから」と説明した。検察側が事件の責任を問うと「自分が首謀者で、Kは主犯だ」と話した[26]。
また、Kは交際相手に対して手紙を出していたことが2008年12月19日の第16回公判で明らかになった(その中には拉致後の車中で被害者が吐き気を訴えたことに触れ「車酔いしてたら、背中とかに汗かくんだよ。芝居の上手い彼女(笑)。嘘吐き姉ちゃん。嘘なら俺の方が上手だぜ」「食えねえ女だ」など、また被害者が包丁で脅されて震えていた場面は「がったがた。マグニチュード10?」などと表現する[6]など、被害者を中傷し遺族の感情を逆なでするような内容が見られた。また事件を「仕事」と表現し「『仕事』(8月21日~8月25日)をちゃんと覚えておこう」とも書いていた)[27]。
2009年(平成21年)1月20日に論告求刑公判で検察側は「被害者の命乞いを無視して殺害した方法は、生き埋めにしたのとほかならず、地獄の苦しみを味わわせた」「当初から強盗殺人の計画を練っており、なんら躊躇もなく犯罪に及んだ」「社会全体を震撼させた凶悪事件で、模倣性の強さも他の事件の比ではない」「自己の利欲目的達成のために他人の生命を軽視する根深い犯罪性向と反社会性があり、今後改善更生の可能性は認められない」などとして被告人3名に死刑を求刑した[28]。この中で検察側は「面識のない人間が(闇サイトがきっかけで)集まり、極めて短時間で殺害まで計画するなど、人の所業とは考えられない」と3人を厳しく非難し、自首したAについても「反省しておらず、刑を減軽するのにはあたらない」とした[29]。検察は論告の中で「遺族の母親の切望に応えることこそ法に課された使命ともいうべきである」「被告人らの死刑を望む遺族らの意思は被告人3名の量刑を決めるにあたって最大限に考慮されなければならない」ともしている[6]。
同年2月3日に弁護側の最終弁論が開かれ、実際には後述の通り全く反省していなかったAは声を震わせる演技をしながら「被害者女性のお母さんの意見陳述は胸に刺さりました。被害者女性のご冥福をお祈りいたします。申し訳ございませんでした」と、実際には後述の通り強盗殺人の余罪を隠していたCも泣く演技をしながら「被害者の夢や希望を奪って、遺族に苦しみを与えてしまった。申し訳ない」と遺族の座る傍聴席に頭を下げ、それぞれ表面上だけは謝罪した(被害者女性の母親は「謝罪を受け入れる気持ちはないので、素直に聞けなかった」と語っている)一方、第一審で死刑が確定したKは「特に申し上げることはない」とだけ述べ、Kの弁護人は最高裁の死刑判決の判例(永山基準)を挙げ「計画性のなさや殺害された被害者数が一人であり、殺害方法も他の死刑事件と比べて残虐背が低い」として無期懲役か有期懲役を求め、Cの弁護人は「殺害方法の主導はKで、Cは支持に従っていた。(実際にはこの時点でも余罪を隠蔽していることが後に明らかとなるが)矯正不可能とは言えず生きて罪の償いをさせるのが相当」と、Aの弁護人は「(実際には死刑回避のためであり、反省の色などないにも関わらず)良心の呵責の耐えきれず自首した」とし、「反省に基づかない自首は刑の減軽に値する事情ではない」とする検察側の意見に反論し、結審した[30]。
同年3月18日午前10時開廷の判決公判(近藤宏子裁判長)では、主文を後回しにするかたちで同日正午過ぎに強盗殺人罪の主犯格の被告人KとCの2名に「悪質性の高い種類の犯行で、社会の安全にとって重大な脅威であり、厳罰を持って臨む必要性が誠に高い」として死刑(日本弁護士連合会によれば、把握している確定判決の統計では、1人殺害に対して複数被告に死刑判決が言い渡されたのは1988年に最高裁で2被告に死刑判決が出た福岡病院長殺人事件以来2件目[31])、強盗強姦未遂罪の主犯であるAには「犯罪の発覚、逮捕が困難であるこの種の犯罪で、自首したことにより共犯者の逮捕や、その後に起こり得た犯罪も抑止した。極刑をもって臨むには躊躇を覚える」として無期懲役の地裁判決が言い渡された[1][32][33]。なお、無期懲役が言い渡された理由として判決によれば「死刑になりたくなかったから」というあまりにも身勝手な理由で捜査機関へ出頭したことを「自首」と認定、罪一等軽減したというものであった[注釈 3]。
無期懲役の地裁判決が言い渡されたAは判決後に中日新聞記者との面会に応じ、「3人とも同じ刑になるのかな、と思っていた。主犯のKと同じ判決だったら控訴するつもりだった。自首が認められ、助かった」[34]「誰のおかげで事件が解決したかとの思いだったから満足している。今でも悪いことはばれなきゃいいという気持ちは変わらない」[6]と語り、逮捕当時同様微塵も反省の色を見せていなかった[34]。なお、死刑判決が下ったKは即日控訴、Cは判決から6日後に控訴した[35]。また、名古屋地方検察庁もAの無期懲役は「量刑が軽く、不当」として3月27日に控訴した[36]。なお、即日控訴したKはその後、同年4月13日に控訴を取り下げたため、死刑が確定した[2]。
控訴審(名古屋高裁)
AとCについては名古屋高等裁判所で公判が続行された。初公判は2010年(平成22年)8月9日に開かれ、検察側は「Aは闇サイトで働きかけて犯罪者集団を結成し、犯行でも重要な役割を果たした中心的人物。自首を最大限考慮しても死刑を回避する事情には当たらない」と、改めて全員への死刑適用(Cの控訴棄却及びAへの一審判決破棄)を、弁護側はCについては「他人に同調しやすい性格。反省の態度は顕著で、生きて償わせるべきだ」として無期懲役を、Aについては犯行直後の自首を考慮し、さらに減軽して有期懲役とするように求めた[37]。
2011年(平成23年)4月12日に下山保男裁判長はAに対し地裁の判決を支持、Cに対し地裁の死刑判決を破棄して、両名に無期懲役の判決が下った[38]。判決理由は、犯行の計画・実行でのKとの重要度の差や、A・C両名の前歴から更生の余地があるものと判断したことによる(なお、Cについては後述の碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件[注釈 1]に主犯として関与していたことが発覚する前であった)。しかし、それでもなおCに対しては「自らが行った行為に対し、正面から向き合って真摯に反省しているとまではいえない」と厳しい文言が添えられしていた[6]。
Aについては、検察側が上告を断念したため無期懲役が確定し、Cについては、検察側が最高裁判所に上告した[6][39]。Cは一審で死刑判決を受けていた上、後に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件[注釈 1]の一・二審でも死刑判決を受けたため、結果的に一連の事件の引き金を引いたAだけが死刑判決を免れることとなってしまった。またCは死刑から無期懲役に減軽された途端、被害者遺族に対し謝罪の手紙を送りたいという申し出もなくなり、何も言ってこなくなったという[6]。被害者の母親はこの反省のないCの態度に加え、Cが碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件[注釈 1]で再逮捕されるまでこれらの余罪を隠していたことについて「本気で反省し、謝罪する気があったらこれまでに犯した犯行を自供していたはず」と非難している[6]。
上告審(最高裁)
最高裁判所(千葉勝美裁判長)は2012年(平成24年)7月11日付の決定で検察側に対し上告棄却の決定をし、Cの無期懲役が確定した[39]。
死刑囚及び受刑者のその後
Cは本事件で収監中(無期懲役判決確定直後)の2012年(平成24年)8月3日、14年前(本事件から9年前)の1998年(平成10年)に愛知県碧南市で夫婦が殺害され現金約6万円を奪われた強盗殺人事件の主犯として、共犯の男E、F(本事件とは無関係)と共に強盗殺人罪で再逮捕され、さらにCとEは2006年に名古屋市守山区脇田町で高齢女性が首を絞められて現金を奪われた強盗殺人未遂事件にも関与したとして、2013年1月16日に再逮捕されている。これにより、控訴審及び上告審の裁判官や犯罪心理鑑定士の「犯罪傾向は進んでいない。犯罪の親和性は低い」とした判断が誤りだったことが明らかとなった[6]。2017年(平成29年)現在、Cはその事件の裁判で第一審・名古屋地裁(景山太郎裁判長、裁判員裁判)及び控訴審・名古屋高裁(山口裕之裁判長)で死刑判決を受け、最高裁に上告中である。
※なお、上記項目ではC、E、Fをそれぞれ「A」「B」「C」と表記している。
Kは再審請求中だったが、2015年(平成27年)6月25日に名古屋拘置所で死刑が執行された[40]。Kは逮捕後に中日新聞の記者の取材に対し「罪悪感を感じない」と発言、AとCを「言い逃ればかりしている」と批判する一方で、自らも遺族への謝罪について問われると「根本的な考えが普通の人とは違う」「人を殺すことや泥棒、詐欺をすることは悪いこととは思わない」などと述べており、全く反省の色を見せておらず、控訴を取り下げた際も当時取材した関係者によれば「淡々としていた」という(一審判決前に拘置所で自殺を図ったこともあるという。凶行に走った動機、控訴を自ら取り下げて死刑判決を受け入れた理由については、最期まで明らかにされなかった)[41]。
脚注
注釈
出典
以下の出典において、記事名に事件当事者の実名が使われている場合、この箇所を本項目で用いているその人物の仮名及び伏字とする。
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“【死刑制度廃止論】闇サイト殺人遺族の△△(被害者女性の母親)さん基調講演詳報 「被害者が1人でも、私にとってはかけがえのない大切な娘」 残忍な殺害状況も子細に…(2/11ページ)”. 産経新聞. (2016年12月18日午前7時10分). オリジナルの2016年12月18日時点におけるアーカイブ。 2016年12月18日閲覧。
“【死刑制度廃止論】闇サイト殺人遺族の△△(被害者女性の母親)さん基調講演詳報 「被害者が1人でも、私にとってはかけがえのない大切な娘」 残忍な殺害状況も子細に…(3/11ページ)”. 産経新聞. (2016年12月18日午前7時10分). オリジナルの2016年12月18日時点におけるアーカイブ。 2016年12月18日閲覧。
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- ^ 『朝日新聞』2008年12月2日朝刊「事件仲間脅す? 逮捕後の手紙」(「遺族による極刑陳情書への署名を募っていたサイト」より引用)
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- ^ 『中日新聞』2009年1月21日朝刊27面「千種拉致殺害 『人の所業でない』死刑求刑の検察が非難」
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- ^ 『東京新聞』2009年3月18日夕刊1面「闇サイト殺人2人に死刑 女性拉致監禁 自首の一人は無期 名古屋地裁判決『無慈悲で残虐』」
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- ^ 『中日新聞』2010年8月10日朝刊30面「闇サイト殺人 検察『2被告死刑に』 名高裁控訴審第1回公判 弁護側は減軽求める」
- ^ “闇サイト殺人、控訴審2人とも無期「矯正の可能性」”. 産経新聞. (2011年4月12日) 2011年4月24日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b “闇サイト殺人、上告した被告の無期懲役が確定へ”. 読売新聞. (2012年7月14日). オリジナルの2012年7月16日時点におけるアーカイブ。 2012年7月21日閲覧。
- ^ “「闇サイト殺人事件」のK死刑囚の死刑執行 第3次安倍内閣で初”. 産経新聞 2015年6月25日閲覧。
- ^ 『中日新聞』2015年6月25日夕刊11面「『殺人 罪悪感ない』 K死刑囚、公判前面会で」
関連書籍
- 『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』(角川書店、大崎善生著、2016年11月30日発売、ISBN 4041025222 / ISBN 978-4041025222)
外部リンク
- Yahoo!ニュース - 闇サイト問題
- 遺族による極刑陳情書への署名を募っていたサイト
- 真実 前略、名古屋拘置所より[リンク切れ] - 犯人の1人が知人に依頼し名古屋拘置所から手紙を出して設立したブログ
- 被害者女性のブログ