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[[2008年]]、2年ぶりの[[本塁打]]を放ったものの、[[根元俊一]]や[[田中雅彦]]の台頭により40試合の出場にとどまり、打率も.153と下げてしまった。また、[[8月12日]]の[[オリックス・バファローズ|オリックス戦]]([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])では、6回表に[[サブロー]]の適時二塁打で、三塁走者としてホームインする際に、折れたバットが頭を直撃して怪我を負い、担架で運ばれ16針縫った。また、秋季キャンプ中の[[11月7日]]には外野でキャッチボールをしている最中に打球が頭を直撃し[[頭蓋骨骨折]]している。 |
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[[2009年]]、[[6月18日]]、対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦では、10回表に[[林昌勇]]から膝に死球を受け、担架で運ばれた。8月以降打撃の調子をあげ規定不足ながら入団初の打率3割をマーク。本塁打、打点もキャリアハイの成績を残した。反面、左投手からは無安打に終わった。[[金泰均_(1982年生の内野手)|金泰均]]が入団したことで<ref name=">[http://www.marines.co.jp/news/detail/3673.html 金 泰均選手入団会見のお知らせ] - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2009年11月16日</ref>、背番号が16に変更となっている<ref>[http://www.marines.co.jp/news/detail/3674.html 背番号変更のお知らせ] - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2009年11月16日</ref>。 |
[[2009年]]、[[6月18日]]、対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦では、10回表に[[林昌勇]]から膝に死球を受け、担架で運ばれた。8月以降打撃の調子をあげ規定不足ながら入団初の打率3割をマーク。本塁打、打点もキャリアハイの成績を残した。反面、左投手からは無安打に終わった。[[金泰均_(1982年生の内野手)|金泰均]]が入団したことで<ref name="">[http://www.marines.co.jp/news/detail/3673.html 金 泰均選手入団会見のお知らせ] - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2009年11月16日</ref>、背番号が16に変更となっている<ref>[http://www.marines.co.jp/news/detail/3674.html 背番号変更のお知らせ] - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2009年11月16日</ref>。 |
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[[2010年]]、内野4ポジション守れるスーパーサブとして一度も出場選手登録を抹消されることなく一軍に帯同し(親子ゲームなどの2軍戦にも出場)、主に一塁の守備固めや代走、左の代打、[[ピンチバンター]]などマルチな働きを見せた。[[中日ドラゴンズ]]との[[2010年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では第7戦では守備固めで途中出場し、その後の打席で日本シリーズでの自身初安打を記録。シーズンオフ、背番号が23へ変更<ref>[http://www.marines.co.jp/news/detail/6312.html 塀内選手背番号変更のお知らせ] - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2010年12月28日</ref>。 |
[[2010年]]、内野4ポジション守れるスーパーサブとして一度も出場選手登録を抹消されることなく一軍に帯同し(親子ゲームなどの2軍戦にも出場)、主に一塁の守備固めや代走、左の代打、[[ピンチバンター]]などマルチな働きを見せた。[[中日ドラゴンズ]]との[[2010年の日本シリーズ|日本シリーズ]]では第7戦では守備固めで途中出場し、その後の打席で日本シリーズでの自身初安打を記録。シーズンオフ、背番号が23へ変更<ref>[http://www.marines.co.jp/news/detail/6312.html 塀内選手背番号変更のお知らせ] - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2010年12月28日</ref>。 |
2017年1月11日 (水) 01:42時点における版
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2011年 | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県西宇和郡三瓶町(現:西予市) |
生年月日 | 1981年7月7日(43歳) |
身長 体重 |
180 cm 76 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 内野手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト4位 |
初出場 | 2002年4月7日 |
最終出場 | 2013年9月15日 |
年俸 | 1,100万円(2014年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
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塀内 久雄(へいうち ひさお、1981年7月7日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属した元プロ野球選手(内野手)。
来歴・人物
三瓶高校時代は「四国のバース」の異名を持っていた。高校通算30本塁打。1999年夏の愛媛県大会一回戦。1999年のドラフト4位で千葉ロッテマリーンズに指名され入団した。
2001年、顎骨・右足首の骨折により、1軍の試合には出られなかったが、2002年は小坂誠の故障により出場機会が増加。4月8日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、クリス・シールバックから史上41人目のプロ初打席初本塁打を放った。しかし同年4月26日、右膝前十字靭帯断裂の大怪我を負い、手術を受けた。
2004年、2年間のリハビリを経て再び一軍に昇格。翌2005年は3年ぶりの安打を放った。二軍では打率.328、8本塁打、6盗塁と活躍を見せた。阪神タイガースとの日本シリーズでは第2戦に2番二塁手で初出場。アジアシリーズでは怪我で欠場の堀幸一、小坂誠らの代役として全試合先発出場したが無安打に終わった。
2006年、初めて開幕一軍に登録された。シーズン序盤以降は準レギュラーとして出場試合が増えたものの、打率は2割を少し超える程度と低迷し、レギュラー獲得はならなかった。二軍では打率.305、6本塁打。
2007年、1月27日に元モデルの渡辺奈緒美との婚姻届を提出。シーズンでは西岡剛の怪我もあり、自己最多の出場機会を得たものの、打率が2割を切る不振に加え、送りバントの失敗や守備での失策も連発。さらに終盤はオーティズの途中加入により出場機会が激減した。またしても低調なシーズンとなってしまったが、主に代打・内野の守備要員として初めてシーズン通して一軍に残った。二塁手47試合、遊撃手21試合、三塁手19試合とさまざまなポジションを守り、二塁と遊撃はチーム2位の出場試合数だった。
2008年、2年ぶりの本塁打を放ったものの、根元俊一や田中雅彦の台頭により40試合の出場にとどまり、打率も.153と下げてしまった。また、8月12日のオリックス戦(京セラドーム大阪)では、6回表にサブローの適時二塁打で、三塁走者としてホームインする際に、折れたバットが頭を直撃して怪我を負い、担架で運ばれ16針縫った。また、秋季キャンプ中の11月7日には外野でキャッチボールをしている最中に打球が頭を直撃し頭蓋骨骨折している。
2009年、6月18日、対東京ヤクルトスワローズ戦では、10回表に林昌勇から膝に死球を受け、担架で運ばれた。8月以降打撃の調子をあげ規定不足ながら入団初の打率3割をマーク。本塁打、打点もキャリアハイの成績を残した。反面、左投手からは無安打に終わった。金泰均が入団したことで[1]、背番号が16に変更となっている[2]。
2010年、内野4ポジション守れるスーパーサブとして一度も出場選手登録を抹消されることなく一軍に帯同し(親子ゲームなどの2軍戦にも出場)、主に一塁の守備固めや代走、左の代打、ピンチバンターなどマルチな働きを見せた。中日ドラゴンズとの日本シリーズでは第7戦では守備固めで途中出場し、その後の打席で日本シリーズでの自身初安打を記録。シーズンオフ、背番号が23へ変更[3]。
2011年、代走や一塁の守備固めなどで出場していた。荻野貴司の離脱後は遊撃手としての先発出場もあったがスタメン定着には至らず、金泰均が離脱した7月には代走や守備固めとしての出場もほぼなくなり、出場選手登録を抹消された。9月に1軍復帰も、目立った活躍なくシーズンを終えた。
2012年、例年同様代走や一塁の守備固めなどで出場していたが、夏以降出場機会が減少し、8月に出場選手登録を抹消された。10月6日に地元愛媛で開催されたファーム日本選手権では7番・一塁手で出場し、2安打2打点の活躍で勝利に貢献、最優秀選手に選出された。
2013年は、8月に根元俊一の負傷に伴い昇格。根元が守っていた二塁手のほか、今江敏晃の欠場時には三塁手も務めた。また、例年同様代走や一塁手の守備固めとして出場した。
2014年は開幕から一度も一軍に昇格することなく、10月5日に球団から戦力外通告を受けた[4]。12月2日、自由契約公示された[5]。
2015年からはマリーンズ・アカデミーのコーチを務める[6]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002 | ロッテ | 17 | 31 | 26 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1 | 6 | 4 | 0 | 2 | 3 | 0 | 2 | 1 | 0 | 9 | 0 | .115 | .179 | .231 | .409 |
2004 | 3 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
2005 | 15 | 20 | 19 | 2 | 4 | 2 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | .211 | .211 | .316 | .526 | |
2006 | 49 | 115 | 102 | 12 | 21 | 6 | 0 | 2 | 33 | 8 | 1 | 0 | 4 | 0 | 7 | 0 | 2 | 33 | 0 | .206 | .270 | .324 | .594 | |
2007 | 88 | 146 | 134 | 17 | 25 | 11 | 1 | 0 | 38 | 7 | 2 | 0 | 5 | 1 | 6 | 0 | 0 | 41 | 2 | .187 | .220 | .284 | .503 | |
2008 | 40 | 66 | 59 | 8 | 9 | 1 | 0 | 2 | 16 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 0 | 18 | 1 | .153 | .180 | .271 | .452 | |
2009 | 54 | 108 | 96 | 17 | 29 | 4 | 0 | 4 | 45 | 10 | 0 | 0 | 2 | 0 | 8 | 0 | 2 | 31 | 2 | .302 | .368 | .469 | .837 | |
2010 | 51 | 28 | 22 | 6 | 4 | 0 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 8 | 0 | .182 | .217 | .182 | .399 | |
2011 | 35 | 50 | 45 | 4 | 8 | 2 | 0 | 0 | 10 | 2 | 0 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 11 | 0 | .178 | .213 | .222 | .435 | |
2012 | 61 | 20 | 17 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 4 | 2 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | .118 | .167 | .235 | .402 | |
2013 | 36 | 36 | 32 | 4 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | 9 | 1 | .188 | .235 | .250 | .485 | |
通算:11年 | 449 | 626 | 558 | 73 | 111 | 28 | 2 | 9 | 170 | 40 | 3 | 4 | 32 | 1 | 30 | 1 | 5 | 173 | 6 | .199 | .246 | .305 | .551 |
- 2013年度シーズン終了時
記録
- 初出場:2002年4月7日、対大阪近鉄バファローズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、8回表に遊撃手として出場
- 初先発出場:2002年4月8日、対日本ハムファイターズ1回戦(千葉マリンスタジアム)、9番・遊撃手として先発出場
- 初打席・初安打・初本塁打・初打点:同上、3回裏にクリス・シールバックから右越ソロ ※史上43人目の初打席初本塁打
- 初盗塁:2006年8月29日、対福岡ソフトバンクホークス17回戦(千葉マリンスタジアム)、9回裏に二盗(投手:新垣渚、捕手:山崎勝己)
年度別守備成績
年 度 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2002 | - | 1 | 4 | 3 | 0 | 0 | 1.000 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | .500 | 12 | 10 | 25 | 2 | 2 | .946 | |||||
2004 | - | - | - | 3 | 4 | 6 | 0 | 1 | 1.000 | |||||||||||||||
2005 | - | 4 | 3 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | 3 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | |||||
2006 | - | 34 | 53 | 75 | 3 | 16 | .977 | 3 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | 13 | 14 | 16 | 1 | 4 | .946 | |||||
2007 | - | 47 | 41 | 65 | 2 | 14 | .981 | 19 | 11 | 24 | 0 | 2 | 1.000 | 21 | 19 | 31 | 2 | 7 | .962 | |||||
2008 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 18 | 19 | 32 | 0 | 7 | 1.000 | 8 | 2 | 1 | 1 | 0 | .750 | 14 | 8 | 24 | 1 | 5 | .970 |
2009 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 15 | 31 | 40 | 2 | 8 | .973 | 22 | 5 | 28 | 3 | 4 | .917 | 11 | 5 | 13 | 0 | 0 | 1.000 |
2010 | 34 | 44 | 7 | 0 | 4 | 1.000 | - | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | ||||||||||
2011 | 13 | 17 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | - | 8 | 4 | 8 | 1 | 0 | .923 | 11 | 10 | 21 | 0 | 1 | 1.000 | |||||
2012 | 52 | 71 | 6 | 0 | 4 | 1.000 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 2 | 1 | 3 | 0 | 1 | 1.000 |
2013 | 13 | 17 | 1 | 1 | 2 | .947 | 20 | 22 | 25 | 2 | 2 | .959 | 2 | 2 | 1 | 1 | 0 | .750 | - | |||||
通算 | 116 | 154 | 15 | 1 | 11 | .994 | 141 | 174 | 241 | 9 | 48 | .979 | 71 | 30 | 66 | 7 | 6 | .932 | 88 | 71 | 139 | 6 | 21 | .972 |
背番号
- 52 (2000年 - 2009年)
- 16 (2010年)
- 23 (2011年 - 2014年)
登場曲
脚注
- ^ 金 泰均選手入団会見のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2009年11月16日
- ^ 背番号変更のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2009年11月16日
- ^ 塀内選手背番号変更のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2010年12月28日
- ^ 来季契約について - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト2014年10月5日
- ^ 2014年度 自由契約選手 - 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月5日閲覧。
- ^ 最新メディア出演・掲載情報 - 千葉ロッテマリーンズオフィシャルサイト 2015年1月11日
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 塀内久雄 - NPB.jp 日本野球機構