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「御池山クレーター」の版間の差分

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地勢に詳しいごく一部のハイカーは独特の地形から隕石クレーターではないかとの疑問をもっていた。その疑問をもとに岩石サンプルを採り[[岡山理科大学]]に鑑定依頼した[[小学校]][[教頭]](当時)により、このクレーターは数万年前に直径40 - 50メートルほどの[[天体]]が衝突した痕跡であることが確認された。
地勢に詳しいごく一部のハイカーは独特の地形から隕石クレーターではないかとの疑問をもっていた。その疑問をもとに岩石サンプルを採り[[岡山理科大学]]に鑑定依頼した[[小学校]][[教頭]](当時)により、このクレーターは数万年前に直径40 - 50メートルほどの[[天体]]が衝突した痕跡であることが確認された。


その根拠となったものは、この地形から「PDFs」と呼ばれる[[衝撃石英]]が発見されたことによる<ref>西戸裕嗣ほか、[https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosocabst/2010/0/2010_0_189/_article/-char/ja/ 御池山クレーターから見出された衝撃変成石英について] 日本地質学会 第117年学術大会(2010富山)セッションID:O-124</ref>。これは隕石衝突などの極めて強い衝撃と圧力によって生成されるもので、通常の[[地層]]には存在しないものである。この構造の特徴は[[顕微鏡]]下での縞模様にあり、この点で[[石英]]が高温超高圧下で穀粒状に変性する[[スティショバイト]]とは異なる。この発見により御池山クレーターは隕石衝突痕として国際的に認められるようになった。また、日本国外の衝突クレーターで観測される負の[[重力異常]]も観測されておりクレーターである有力な証拠とされている<ref>{{PDFlink|[https://www.wakusei.jp/book/pp/2010/4/316.pdf 坂本正夫、志知龍一:御池山隕石クレーターに検出された負の重力異常] 日本惑星科学会 2010}}</ref>。更に、2015年にはクレーター外縁から約400m離れた地点の岩石サンプル中から「スフェルール(<I>spherule</I>)<ref group="注釈">直訳すると「小球」だが、[[地質学]]においては鉱物・岩石等の飛来物が大気摩擦による高熱で一度溶融し、空気中で再冷却して固化した微粒子のことを表す。溶融時に表面張力が生じて球形となり、そのままの形で固化するためこう呼ばれる。</ref>」が見つかり、誘導結合プラズマ質量分析(LA-ICP-MS)で分析した結果、隕石物質が発見されたと報告されている<ref>坂本正夫ほか、{{PDFlink|[http://www2.jpgu.org/meeting/2015/session/PDF/P-PS21/PPS21-02.pdf 御池山クレーターで発見したspheruleに隕石物質を含む可能性] 日本地球惑星科学連合 2015年 PPS21-02}}</ref>。
その根拠となったものは、この地形から「PDFs」と呼ばれる[[衝撃石英]]が発見されたことによる<ref>西戸裕嗣ほか、[https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosocabst/2010/0/2010_0_189/_article/-char/ja/ 御池山クレーターから見出された衝撃変成石英について] 日本地質学会 第117年学術大会(2010富山)セッションID:O-124</ref>。これは隕石衝突などの極めて強い衝撃と圧力によって生成されるもので、通常の[[地層]]には存在しないものである。この構造の特徴は[[顕微鏡]]下での縞模様にあり、この点で[[石英]]が高温超高圧下で穀粒状に変性する[[スティショバイト]]とは異なる。この発見により御池山クレーターは隕石衝突痕として国際的に認められるようになった。また、日本国外の衝突クレーターで観測される負の[[重力異常]]も観測されておりクレーターである有力な証拠とされている<ref>{{PDFlink|[https://www.wakusei.jp/book/pp/2010/4/316.pdf 坂本正夫、志知龍一:御池山隕石クレーターに検出された負の重力異常] 日本惑星科学会 2010}}</ref>。更に、2015年にはクレーター外縁から約400m離れた地点の岩石サンプル中から「スフェルール(''spherule'')<ref group="注釈">直訳すると「小球」だが、[[地質学]]においては鉱物・岩石等の飛来物が大気摩擦による高熱で一度溶融し、空気中で再冷却して固化した微粒子のことを表す。溶融時に表面張力が生じて球形となり、そのままの形で固化するためこう呼ばれる。</ref>」が見つかり、誘導結合プラズマ質量分析(LA-ICP-MS)で分析した結果、隕石物質が発見されたと報告されている<ref>坂本正夫ほか、{{PDFlink|[http://www2.jpgu.org/meeting/2015/session/PDF/P-PS21/PPS21-02.pdf 御池山クレーターで発見したspheruleに隕石物質を含む可能性] 日本地球惑星科学連合 2015年 PPS21-02}}</ref>。


== 資料 ==
== 資料 ==

2016年11月29日 (火) 00:19時点における版

御池山クレーターとされる地形のステレオ空中写真(1976年) 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成 写真の白線の内側にある扇形のくぼみがそれにあたる。写真右側が北。

御池山クレーター(おいけやまクレーター)は、隕石衝突による痕跡が日本で初めて確認された最初のクレーターである[1]

長野県飯田市(旧上村)内、南アルプス南部の御池山(1905メートル)付近の北緯35度24分46.10秒 東経138度0分39.44秒 / 北緯35.4128056度 東経138.0109556度 / 35.4128056; 138.0109556に位置する。このクレーターは直径約900メートルで、現在残っているのは全体の4割ほどである。 以前からこの地形の中を遊歩道が通っており、実際にクレーター内を散策でき、展望台からも一望できる。

由来

御池山クレーターの位置(100x100内)
御池山クレーター
御池山クレーターの位置。クレーターは赤丸の位置。画像は長野県の中南部で画像の上が北北西。

地勢に詳しいごく一部のハイカーは独特の地形から隕石クレーターではないかとの疑問をもっていた。その疑問をもとに岩石サンプルを採り岡山理科大学に鑑定依頼した小学校教頭(当時)により、このクレーターは数万年前に直径40 - 50メートルほどの天体が衝突した痕跡であることが確認された。

その根拠となったものは、この地形から「PDFs」と呼ばれる衝撃石英が発見されたことによる[2]。これは隕石衝突などの極めて強い衝撃と圧力によって生成されるもので、通常の地層には存在しないものである。この構造の特徴は顕微鏡下での縞模様にあり、この点で石英が高温超高圧下で穀粒状に変性するスティショバイトとは異なる。この発見により御池山クレーターは隕石衝突痕として国際的に認められるようになった。また、日本国外の衝突クレーターで観測される負の重力異常も観測されておりクレーターである有力な証拠とされている[3]。更に、2015年にはクレーター外縁から約400m離れた地点の岩石サンプル中から「スフェルール(spherule[注釈 1]」が見つかり、誘導結合プラズマ質量分析(LA-ICP-MS)で分析した結果、隕石物質が発見されたと報告されている[4]

資料

同現象は2003年(平成15年)9月に国立極地研究所で開催された国際シンポジウムにおいて、飯田市立竜丘小学校の教頭・ 坂本正夫と岡山理科大学の研究チームらによる「中部日本、御池山クレーターからの面状微細変形組織」と題する論文の中で発表された。

注釈

  1. ^ 直訳すると「小球」だが、地質学においては鉱物・岩石等の飛来物が大気摩擦による高熱で一度溶融し、空気中で再冷却して固化した微粒子のことを表す。溶融時に表面張力が生じて球形となり、そのままの形で固化するためこう呼ばれる。

脚注

  1. ^ 坂本正夫ほか、国内初の隕石クレーター(御池山クレーター)の発見 日本地質学会 第117年学術大会(2010富山)セッションID:O-123
  2. ^ 西戸裕嗣ほか、御池山クレーターから見出された衝撃変成石英について 日本地質学会 第117年学術大会(2010富山)セッションID:O-124
  3. ^ 坂本正夫、志知龍一:御池山隕石クレーターに検出された負の重力異常 日本惑星科学会 2010 (PDF)
  4. ^ 坂本正夫ほか、御池山クレーターで発見したspheruleに隕石物質を含む可能性 日本地球惑星科学連合 2015年 PPS21-02 (PDF)

関連項目

外部リンク