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'''衛 子夫'''(えい しふ、? - [[紀元前91年]])は、[[前漢]]の[[武帝 (漢)|武帝]]の[[皇后]]。母親は[[婢]]であった衛媼(えいおん)。息子に[[劉拠]](戻太子)、姉に[[衛君孺]]<ref>「皇帝たちの中国」岡田英弘 著 ISBN 4-562-03148-4</ref>、妹に[[衛子女]]、弟に[[大将軍]]となった[[衛青]]がいる。衛青の父親が下級官吏の鄭季(ていき)とされており、衛子夫の父親も鄭季とする説がある。 |
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武帝の姉である{{仮リンク|平陽公主 (漢景帝の娘)|label=平陽公主|zh|平陽公主 (漢景帝之女)}}に引き立てられ、武帝の寵姫となる。背景に[[陳皇后 (漢武帝)|陳皇后]]と平陽公主の対立があった。子の戻太子が[[皇太子]]に立てられた後、[[紀元前128年]]に寵姫から皇后に昇格する。 |
武帝の姉である{{仮リンク|平陽公主 (漢景帝の娘)|label=平陽公主|zh|平陽公主 (漢景帝之女)}}に引き立てられ、武帝の寵姫となる。背景に[[陳皇后 (漢武帝)|陳皇后]]と平陽公主の対立があった。子の戻太子が[[皇太子]]に立てられた後、[[紀元前128年]]に寵姫から皇后に昇格する。 |
2016年11月15日 (火) 19:28時点における版
衛 子夫(えい しふ、? - 紀元前91年)は、前漢の武帝の皇后。母親は婢であった衛媼(えいおん)。息子に劉拠(戻太子)、姉に衛君孺[1]、妹に衛子女、弟に大将軍となった衛青がいる。衛青の父親が下級官吏の鄭季(ていき)とされており、衛子夫の父親も鄭季とする説がある。
武帝の姉である平陽公主に引き立てられ、武帝の寵姫となる。背景に陳皇后と平陽公主の対立があった。子の戻太子が皇太子に立てられた後、紀元前128年に寵姫から皇后に昇格する。
巫蠱の乱で罪に問われ、自殺を強いられた上、皇后の位を廃された。
のち、曾孫である宣帝によって皇后の位を回復され、思皇后の諡号を贈られた。これは中国史上、皇后が自身の謚号を持つ最初の例となった。
脚注
- ^ 「皇帝たちの中国」岡田英弘 著 ISBN 4-562-03148-4
登場作品
- テレビドラマ