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2016年11月15日 (火) 19:21時点における版
遊び(あそび)とは、知能を有する動物(ヒトを含む)が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。類義語として遊戯(ゆうぎ)があるものの、原義は大きく異なる(後述)。
遊びは、それを行う者に、充足感やストレスの解消、安らぎや高揚などといった様々な利益をもたらす。ただし、他者にとってその行動が何を意味するかは問わないのであり、たとえ他者への悪意に基づく行動であっても当人が遊びと認識するのであれば、当人に限ってそれは遊びである(むろん、他者はそれを容認しない)。
動物の遊び
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遊び行動[1]は、高度な知能を具えた動物において、成長途上にある個体に多く見られるほか、成熟個体にも少なからず見られるものである[2]。 これは、動物が生きてゆく上で必要な身体能力(筋力・心肺能力〈持久力〉・運動能力等を意味する体力、免疫力等を意味する基礎的体力)・知識・経験などを、おのずから習得する、あるいは鍛錬するために具わった性質と考えられる。動物は遊びのなかで狩りやコミュニケーションの方法を学んでゆく。ヒトは成熟後も遊びを行なうのが一般的である一方、ヒト以外の動物は成熟するとあまり遊ばなくなると言われてきたが、必ずしも研究者はそのようには捉えていない[3]。また、家畜化およびペット化された動物、特にイヌやネコなどは、成熟後も遊びたがる傾向があるように見える。野生動物でも、遊び行動は哺乳類と鳥類に広く見られ[4]、成熟した個体であってもそれが見られる。哺乳類の中でも霊長類はよく遊び、霊長類の中でも類人猿はよく遊ぶ[4]。哺乳類では他に、クジラはよく遊び、クジラの中でもハクジラ類がよく遊ぶが、ハクジラ類の中でもイルカの遊び行動は観察機会が多いこともあってか一般にまで広く知られている。現生ゾウ目(長鼻目)のゾウ2属(ロクソドンタ属〈アフリカゾウ属〉とエレファス属〈アジアゾウ属〉)もよく遊ぶ。また、デグーのような一部の齧歯類でも「物体遊びである可能性がある行動」が確かめられている[1]。鳥類では、オウム目[2]はよく遊ぶことで知られている。スズメ目に属する数科もよく遊ぶが、中でもカラス科はよく遊び[2]、カラス科の中でもカラス属はよく遊ぶことで知られている(観察機会が多いこともあって一般にも広く知られている)。
霊長類の遊び
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霊長類(霊長目、サル目)の遊びは、その形態的特徴から、「運動遊び (locomotor play, locomotor-rotational play, exercise play)」、「物体遊び (object play)」、激しく取っ組み合う「闘争遊び (play-fighting, rough and tumble play)」、ごっこ遊びに代表される「想像的な遊び (pretend play, fantasy play, imaginative play, symbolic play)」等に大別することができ[5]、他にも、未成熟個体による擬似性行動や子守り行動を遊びと見なす研究者もいる[5]。
他者と遊ぶにあたって、掴む、叩く、突き放す、蹴る、咬む、追う、逃げるなどといった闘争時にこそ執ることの多い行動に及ぶ際は、「本気ではない」旨を確実に伝えておくことが必要不可欠であり[4]、このような遊びのためのシグナル(プレイシグナル、プレイマーカー)として、最も明瞭なものに、遊び顔、遊び声、および、遊びたいとき以外で使われることの無い特別な行動がある[4]。
人間の遊び
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これ以降は人間(社会にあるヒト)の遊びについて解説するが、遊びは様々な局面において人間性と関連付けて扱われる傾向も見られる。
他の高度な知能を有する動物に比べて、ヒトは特に遊びが多様化・複雑化しており、成熟後も遊びを多く行ない、生きていく上ではまったく不要と思われるような行動も多く見受けられる。これを他の動物ないし生物との区別と捉える考えがある。遊びは大きな文化として確立しており、また商品の売り手にとっても市場を左右する要因としても重要である。個人の日常化した遊びを特に趣味と呼ぶ。遊びは個人の性質に大きく左右される。
誰しも勉強や訓練を他者から強要されるのは苦痛であるが、遊びのなかで習得していくことは楽しい。そのため、遊びながら学習する方法が採用されることがある。
オランダの歴史家ホイジンガ(ハイツィンハ)は著書『ホモ・ルーデンス』で、子供の遊びだけでなく、企業活動、議論、戦争、人間の活動のあらゆる局面に遊びのようなルールと開始と終わりのあるゲーム的性格が見られると指摘しており、「人は遊ぶ存在である」という所説が評判を呼んだ。フリードリッヒ・シラーも、「人は遊びの中で完全に人である」という有名な言葉を著書『人間の美的教育について』において残している。
遊びの類型
人間が行う遊びは非常に多岐にわたっており、適当に分類することは難しい。遊びには自然発生的に形成され、世代や地域ごとに伝えられていくものと、パッケージ化・商品化して提供されるものがある。パッケージ化されたものは人間の創造力の成長を阻害するとして批判の対象にされることもある一方で、広大で多様な市場を形成しており、いわゆる玩具など遊びに用いる器具は、素朴なものから複雑で最新の技術を導入したものまで、様々な物品が流通している。また、この玩具と遊びを通して教育や能力開発を行おうという考え方もあり、知育玩具のように遊びを通して成長を促そうという分野も存在する。
フランスの思想家ロジェ・カイヨワはホイジンガの著書『ホモ・ルーデンス』[* 1]に影響を受け、「遊びと人間」[* 2]を執筆した。その中でカイヨワは遊びを次の4つ要素に分類している。
- アゴン(競争) :運動や格闘技、子供のかけっこ、ほか。
- アレア(偶然) :くじ(宝くじなど)、じゃんけん、賭博(競馬など)、ほか。
- ミミクリ(模倣) :演劇、物真似、ごっこ遊び(ままごとなど)、ほか。
- イリンクス(めまい) :メリーゴーランド、ブランコ、ほか。
発達心理学上では、遊びの発達は社会性の発達と関わっていることが観察される。子どもは最初「一人遊び」(solitary play)をするが、やがて同じ年頃の子どもと並んで、しかし関わり合わずに遊ぶ「平行遊び」(parallel play)が見受けられるようになり、やがて他人と協働して行う「協力遊び」(cooperative play)に移行する。兄弟などで遊んでいると、上の子が遊んでいるときに下の子が乱入してきて上の子が怒る、といった場面が見受けられるが、下の子を入れてあげられるようになるためにはある程度自分の遊びを確立していなければ、難しいのかもしれない。
また、プレイルームでの観察によると、年齢が低い(3歳児など)場合、いろいろな遊びをつまみ食いするようにして室内を移動していくが、年齢が上がると(4,5歳児〜)、いくつかの遊びに腰を据えて取り組んで行けるようになる。幼児の注意持続時間も年齢とともに上がっていくので、一見移り気な3歳児の行動は年齢相応の注意や興味の持続とも関係があると思われる。
幼児のごっこ遊び
ごっこ遊びは、ふり(pretending)とごっこ遊び(make believe)に分けられる。ふりは、ふり行動(pretend behavior)とも呼ばれるが、日本ではみたて(見立て)といわれる。Aを「B」と見なすためである。小石を「あめ玉」と見立てて遊んだり、コップに泥水を入れて「ジュース」というためである。物を物としてしか扱えない感覚運動期(乳児期)から、物を別の物として扱える表象(representation)の時期に入ったことを示している。[6]。
幼児の行うルール遊び
子どもの遊びにはさまざまなものがある。ここではルールが明確なオニごっこについて記述する。
1-2歳児が行うルールのある遊び
1対1のオニごっこが基本である。ルールとしては、オニが逃げるコを追いかけて捕まえるという遊びである。保護者や保育士といった大人が子どもを追いかけて、捕まえることが多い。繰り返して遊び、ルールの上では終わりがない。疲れるか、飽きるまで行われる。
子ども同士で遊ぶ場合、目印が必要なこともある。目印の例として、タオルをズボンにはさんでしっぽにするなどがある。しっぽをとられたら終わりなので、しっぽオニと呼ばれることもある。オニのお面をつけることも役割を意識させる上で有効である。逃げるコには、誰がオニかわかるため逃げやすい。また、オニ(オニの役割)ができなくて、コといっしょに逃げてしまう子どもやみんなが自分から逃げるから泣いてしまう子どもにとって、お面をつけることでオニ意識(役割意識)を持つ手助けとなる。大人は、オニのしぐさをしたり、「ガオー」という声をつけてオニであることを示す必要がある。この年齢の子どもは、目印がないと役割(オニ、コ)を維持できない。
また、オニにつかまると本当に泣いてしまったり、逆にオニに殴りかかったりする子どももいる。役割(ごっこ)の要素が強く、タッチされるだけでオニとコの役割を交代するのはまだ難しい。
3歳ごろからのルール遊び
オニがコを捕まえる点は変わらないが、逃げるコは3-10人になる。集団遊びと言われるようになる。オニの数が増えたり(手つなぎオニ)、捕まると除外されたり(ためおに)、捕まった子どもを助けるルールが追加される(助けオニ)などの発展をする。地域によって名称やルールは異なるが、代表的な遊びをあげる。
- 高おに
- オニは1人。高いところにいるときは捕まらない。
- すわりおに
- オニは1人。座っていると捕まらない。
- 鉄おに
- オニは1人。鉄に触っていると捕まらない。
- 色おに
- オニは1人。指定された色に触っていると捕まらない。
- かくれんぼ
- オニは1人。隠れている者を見つける。見つかると終わるまで遊びから除外される。溜めオニの一種。
- ためおに
- オニは1人。捕まったら牢屋などに入れられ、終わるまで遊びから除外される。
- 手つなぎおに
- オニは1人から複数へ。捕まったらオニといっしょに手をつなぎオニとなる。
- どろけい(どろぼうとけいさつ)
- 警察と泥棒の2つのチーム。捕まっても助けることができる。
- ネコとネズミ
- ネコとネズミの2つの集団。捕まっても助けることができる。
これらの遊びは、ルールの違いによって3種類に分けることができる。
- 安全地帯のある遊び
- 高オニから色オニまでの4つは、何かしていれば捕まらないという安全地帯が入った遊びである。集団で遊ぶが、基本的にはオニとコの1対1の遊びである。オニはコの誰か1人を捕まえれば交代することができ、コは自分が捕まらなければよいのである。ただ、コは誰がオニになったのか常に注意しなければない。ルール上、遊びの終わりはないため疲れるか、飽きるまで行われる。遊ぶ人数は、多くて10人であり、ふつう4-5人である。
- 安全地帯というルールが入っているが、コが安全地帯から離れなければ遊びは成り立たない。コを安全地帯から離すために10数えるうちに別の場所に逃げなければないという10秒ルールが導入されることが多い。また、オニが遠くにいる時、あえて安全地帯を離れて、はやし立てる場合もある。
- オニがコを全員捕まえる遊び
- かくれんぼから手つなぎオニは、オニがコを全員捕まえる遊びである。コは、自分が最後まで捕まらなければよい。そのためオニもコも集団全体を意識することが必要となる。遊びの終わり方が、ルール上はっきりしている。コは、捕まると遊びから除外されて減ってゆくので、人数が多くとも遊ぶことができる。遊びを指導する際は、最後まで捕まらなかった子を「チャンピオン」として褒めることで、子どもたちは最後まで逃げようとがんばるようになる。
- 助けオニ
- どろけい(けいどろ、泥棒と警察)やネコとネズミは、集団意識が明確でチーム対チームの戦いとなる。オニは複数でチームを作り、コの全員を捕まえるという目的がある。コは、コ全員が捕まらないようにするという目的があり、助けに行くことができる。したがってルールの上で遊びの終わりは明確だが、オニチームの守りが下手だったり、コのチームの作戦がうまい場合は終わらないこともある。コを全員捕まえられない場合は、オニが降参して終わる。
- オニチームは捕まえにゆく役割と牢屋を守る役割に分かれる。挟み撃ちや包囲などの作戦も使うようになる。コ側は、捕まったコを助けるために囮(おとり)を使ったり、オニのふりをして近づくなどの作戦を立てる。
- かつては「水雷艦長」や「駆逐水雷」と呼ばれる水雷艇と駆逐艦と戦艦の三つ巴の遊びへ発展したこともあったが、現在ではドッチボール、サッカーなどのルールが明確なスポーツで遊ぶようになった。[7]。
語としての遊び
この項目の現在の内容は百科事典というよりは辞書に適しています。 |
和語「あそび」の語源について定説というべきものは無いが、大喪儀の際などに殯(もがり)の神事に従事することを職とした品部である「遊部(あそびべ)」[8]が古代に存在したことなどを論拠に、その本義を神道の神事に関わるものとする説がある[9]。
漢字の「遊」は、「辵」と「ゆれ動く」意と音とを示す「斿(ゆう)」によって構成され、「ゆっくり道を行く」意を持つと共に、「あそぶ」意をも表わしている[10]。
遊戯(ゆうぎ、wikt)は、第1義に、遊びたわむれること[8][11][12]。第2義には、子供たちが行う、音楽に合わせた踊りや運動であり、美化語で「おゆうぎ」とも言う[11][12]。 ただし、「ゆうぎ」と読むようになったのは明治時代以降であり、それ以前は「ゆげ」(ときに「ゆけ」)もしくは「ゆうげ」と読んでいた[9]。さらに元を正すと遊戯(ゆげ、古くは「ゆけ〈遊化〉」[11])は仏教用語であり、いっさいの精神的束縛から脱した「自在の境地」に達していること、あるいは、その境地に至った人、すなわち仏や菩薩およびそれに近い修行者が自由自在にふるまうことを意味する[9][12]。その意味においても、神道の神と交わることを原義とする和語「あそび」に由来する遊び(あそび)とは異なる[9]。
遊山(ゆさん[8]、ゆうざん[10])は、他の語義もあるが、一義に、気の向くまま山野に出かけて遊ぶこと[10](現代日本語で言うところの、行楽、ピクニック、ハイキングに近い[10])、一義に、気晴らしに遊びに出かけることを言う。物見遊山(ものみゆさん)は、物見(見物)して遊山すること[11]。気の向くままに見物して遊び歩くこと[11]。春遊(しゅんゆう)は、野外に出かけて春を楽しむこと[11]。以下は「遊」の原義に近い「道を行く」意が強まって、遊覧(ゆうらん)は、見物して回ることを、遊歴(ゆうれき)は、旅をして各地を巡ること[11][12]を、漫遊(まんゆう)は、気の向くままに旅をして各地を巡ること[11][12]を、吟遊(ぎんゆう)は、各地を巡りながら詩歌などを詠むこと[8]を指す。外遊(がいゆう)は、外国を旅すること[8][11][12]、外国に留学すること[11][12]、および、昭和・平成時代に見られる用法としては、研究・視察・交渉等々何か重大な目的や使命を帯びて外国を旅することをも意味する。遊学(ゆうがく)は、故郷を離れて他の地域・他国で学問すること[11][12]を意味する。
遊興(ゆうきょう)は、面白く遊ぶこと[8][12]。遊び興じること[8][11][10]。特に、料理屋や待合などで酒を飲んだりして遊ぶこと[8][12]。または特に、酒と色事に興じること[11][* 3]を意味する。
遊人(ゆうじん、wikt)は、一義に、旅人[10]。一義に、遊侠(ゆうきょう。おとこだて、任侠)[10]。一義に、定職に就かず遊び暮らしている人[8][11][12]。道楽者[11]。一義に、物見遊山に出かける人[8][11][12]。一義に、遊女[12]を意味する[* 4]。遊び人(あそびにん)は、第1義に、定職に就かず遊び暮らしている人[8][11][12]。第2義には、遊興を好み、その種の遊びに慣れている人や入り浸っている人[11]。放蕩者[11][12]。第3義には、博打打ち(ばくちうち)、博徒[8][11][12]。第4義には、やくざ[8]を指すが、遊人[8]/遊び人[11](あそびびと)と読む場合は、第1義に、宮中などで音楽(雅楽)を演奏する人を指し、楽人(がくにん、がくじん)、伶人(れいじん)、遊男(あそびお)[8]とも称される古語[11][8]であり、第2義には、現代語で、遊び好きの人、遊び上手な人[8]を意味している。
脚注
注釈
- ^ 和訳版に(Huizinga 1963)がある。
- ^ 和訳版に(Caillois 1971)がある。
- ^ 『角川 新字源』では、第2義に「花柳界に遊ぶ」
- ^ 他にも、漫画家のペンネーム「遊人」がある。
出典
- ^ a b 藤田和生[1]、中村哲之[2]、ほか. “遊び行動と認知機能の関係性についての比較認知科学的・比較認知発達科学的研究” (PDF). 京都大学学術情報リポジトリ 紅(公式ウェブサイト). 京都大学. 2013年1月12日閲覧。
- ^ a b c 森川, 愛. ““動物の心”に関する研究” (PDF). (ウェブサイト). 北海道大学農学部. 2013年1月12日閲覧。
- ^ 加藤由子 (2009年10月5日). “平成21年度横浜市立小学校長全体研修会 講演「動物学からみたヒトの子」 加藤由子先生” (PDF). Y・Y NET(公式ウェブサイト). 横浜市教育委員会. 2013年1月12日閲覧。
- ^ a b c d 早木仁成 「霊長類の遊びと人類の進化」(公式ウェブサイト)- 交替劇A02, 52頁。
- ^ a b 早木仁成 「霊長類の遊びと人類の進化」(公式ウェブサイト)- 交替劇A02, 49頁。
- ^ ピアジェ 1976『遊びの心理学』黎明書房。
- ^ 河崎道夫編著1983『子どもの遊びと発達』ひとなる書房。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『広辞苑』
- ^ a b c d 『世界大百科事典』 第二版
- ^ a b c d e f g 『角川 新字源』
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 『大辞泉』
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『大辞林』 第二版
Ames, Louise Bates. Your Four-Year-Old: Wild and Wonderful.'
参考文献
- 河崎道夫編著 編『子どもの遊びと発達』ひとなる書房、1983年。ISBN 4938536110。
- ロジェ・カイヨワ 著、多田道太郎・塚崎幹夫 訳『遊びと人間』(増補改訂版)講談社、1971年。 NCID BN05258716。
- ジャック・アンリオ (Jacques Henriot) 著、佐藤信夫 訳『遊び―遊ぶ主体の現象学へ』(新装復刊版)白水社、2000年6月5日。ISBN 4-5600-2426-X。ISBN-13 ISBN 978-4-5600-2426-3。
- ピアジェ, ジャン『遊びの心理学』黎明書房〈幼児心理学 2〉、1967年。ISBN 4654010025。
- ヨハン・ホイジンガ 著、高橋英夫 訳『ホモ・ルーデンス ― 人類文化と遊戯』中央公論社、1963年。ASIN B000JAGM0I。 NCID BN05032327。
- 増川宏一『遊戯―その歴史と研究の歩み』 134巻、法政大学出版局〈ものと人間の文化史〉、2006年5月。ISBN 4-5882-1341-5。ISBN-13 ISBN 978-4-5882-1341-0。
- 西村清和『遊びの現象学』勁草書房、1989年5月10日。ISBN 4-3261-5218-4 ISBN 978-4-3261-5218-6{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。。
- 多田道太郎『遊びと日本人』筑摩書房、1974年。ASIN B000J92AX2。 NCID BN03845007。
- 安田武『「遊び」の論』永田書房、1968年。 NCID BA37421123。
関連項目
- 遊びを通して治療を行おうという考え方。
外部リンク
- 早木仁成[3]. “霊長類の遊びと人類の進化” (PDF). Research Team A02 狩猟採集民の調査に基づくヒトの学習行動の特性の実証的研究(公式ウェブサイト). 交替劇A02. 2013年1月12日閲覧。
- “あそびネット”. (公式ウェブサイト). 公益財団法人 日本レクリエーション協会. 2013年1月12日閲覧。
- 山川学而. “『遊びと文化』山川学而”. ピエロの館(ウェブサイト). 山川学而. 2013年1月12日閲覧。
- 小川純生[4] (2000年2月). “カイヨワの遊び概念と消費者行動 - 経営研究所論集 第23号(2000年2月)” (PDF). (公式ウェブサイト). 東洋大学. 2013年1月12日閲覧。
- 小川純生 (2001年2月). “カイヨワの遊び概念と消費者行動 - 経営研究所論集 第24号(2001年2月)” (PDF). (公式ウェブサイト). 東洋大学. 2013年1月12日閲覧。
- 小川純生 (2003年2月). “遊び概念 ―面白さの根拠― - 経営研究所論集 第26号(2003年2月)” (PDF). (公式ウェブサイト). 東洋大学. 2013年1月12日閲覧。
- 大森隆子[5] (1995年). “保育のための“遊び”研究考(Ⅶ)―「子とろ子とろ」について(下)― - 1995, No.12, 135-145” (PDF). (公式ウェブサイト). 椙山女学園大学教育学部. 2013年1月12日閲覧。
- 大森隆子 (1997年). “保育のための“遊び”研究考(IX)―再び「はないちもんめ」について(上)― - 1997, No.14, 29-36” (PDF). (公式ウェブサイト). 椙山女学園大学教育学部. 2013年1月12日閲覧。
- “1. 子どもの遊びにおける危険性と事故” (PDF). (公式ウェブサイト). 国土交通省. 2013年1月12日閲覧。
- “伝承遊び(昔あそび)” (PDF). (公式ウェブサイト). 熊本県青少年育成アドバイザー連絡協議会[6]. 2013年1月12日閲覧。