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* 『ニュースを食え 「編集局デスク」から』 ISBN |
* 『ニュースを食え 「編集局デスク」から』 ISBN 978-4806204428 |
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* 『続 ニュースを食え―「編集局デスク」から』 ISBN |
* 『続 ニュースを食え―「編集局デスク」から』 ISBN 978-4806204886 |
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2016年11月15日 (火) 18:25時点における版
小出 宣昭(こいで のぶあき、1944年(昭和19年) - )は、日本の新聞編集者、経営者。
経歴
- 1944年 - 愛知県名古屋市にて誕生[1]
- 1967年 - 私立東海高校を経て、同年早稲田大学第一政経学部 卒業。中部日本新聞社入社。名古屋本社編集局長、常務などを務める。[2][3]
- 2001年 - 取締役[4]。
- 2007年 - 東京本社代表[5]。
- 2009年6月 - 専務・東京本社代表[6]。
- 2011年6月20日 - 中日新聞社社長[7]。
人物
- 2009年4月29日 - 愛煙家であり、中日新聞に「タクシー禁煙の憂うつ」というコラムを掲載した[8]。それに対し「たばこの害を、どう考えているのか」などの抗議が同社に相次ぎ、NPO法人「日本禁煙学会」(東京)も小出氏に抗議文を送付した。[9]
- 2010年4月20日 - 親中のスタンスであり、東京新聞社長時代には、駐日大使の表敬訪問を受け、「東京新聞は本社を名古屋に置く中日新聞社に属している。本社は中国との交流と協力を重視しており、かつての中米「ピンポン外交」で積極的な役割を果たした。」と述べた[10]。
- 大のデジタル嫌いであり、この手のテーマになると、必ずアンチ・デジタル論をぶつという[11][12]。
首相訪朝に想う
2004年5月22日、小泉再訪朝当日の朝刊「編集局デスク」に、中日新聞名古屋本社編集局長として「首相訪朝に想う」と題する署名記事を掲載。その中で『5人の人々(注:拉致被害者)も、1年8カ月前の本紙報道にあるように「本人たちの希望もあり」、10日前後で家族のいる平壌にいったん帰るつもりだったと考える方が、人間の心情からいって自然である。それを言えなくしてしまった「何か」が、いまの日本にはある。拉致という国家犯罪に怒り、憎むことは当然の国民感情だ。しかし、それも度が過ぎるとかえって第三者の共感を呼ばないのは、北朝鮮をめぐる6カ国協議でなかなかこの問題が取り上げられなかったことでも分かる。日本は怒りすぎたのではないか。北を憎みすぎたのではないか。そう自問しつつ、きょうの小泉首相と金正日総書記の会談を見守りたい』と書く。三大紙以外の記事にもかかわらず大きな反響を呼び、論壇における小出自身の知名度も上昇した。
書籍
- 『ニュースを食え 「編集局デスク」から』 ISBN 978-4806204428
- 『続 ニュースを食え―「編集局デスク」から』 ISBN 978-4806204886
脚注
- ^ 『ニュースを食え 「編集局デスク」から』
- ^ 中日新聞社長に小出専務が昇格-日本経済新聞
- ^ 『ニュースを食え 「編集局デスク」から』
- ^ 中日新聞社長に小出専務が昇格-日本経済新聞
- ^ 中日新聞社長に小出専務が昇格-日本経済新聞
- ^ 中日新聞社長に小出専務が昇格-日本経済新聞
- ^ 中日新聞社長に小出専務が昇格-日本経済新聞
- ^ タクシー禁煙
- ^ 中日新聞編集担当常務の記事に対する日本禁煙学会の抗議と質問
- ^ 程永華駐日大使 小出宣昭東京新聞社長を表敬訪問 2010/04/22
- ^ 中日新聞プラスからのお知らせ-電子メディア局長からのごあいさつ。
- ^ 小出・中日新聞社長が「電子新聞断罪」発言-FACTA