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ゴルフ[[インストラクター]]である父親の手ほどきを受けて、8歳から[[ゴルフ]]を始める。日体荏原高校卒業後は[[日本体育大学]]に進学するが、[[日本学生ゴルフ選手権競技]]大会優勝を機に3年で中退し、[[1989年]]にプロテストに合格。直後に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]へ渡り、[[PGAツアー]]の下位ツアーである「[[ウェブドットコムツアー|ナイキ・ツアー]]」(当時)に4年間挑戦後[[1993年]]に日本へ帰国、[[尾崎将司]]に師事し始める。[[1995年]]日本におけるメジャー大会のひとつ「[[日本オープンゴルフ選手権競技|日本オープン選手権]]」で初日からの首位を4日間明け渡さずにツアー初優勝を果たした。
ゴルフ[[インストラクター]]である父親の手ほどきを受けて、8歳から[[ゴルフ]]を始める。日体荏原高校卒業後は[[日本体育大学]]に進学するが、[[日本学生ゴルフ選手権競技]]大会優勝を機に3年で中退し、[[1989年]]にプロテストに合格。直後に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]へ渡り、[[PGAツアー]]の下位ツアーである「[[ウェブドットコムツアー|ナイキ・ツアー]]」(当時)に4年間挑戦後[[1993年]]に日本へ帰国、[[尾崎将司]]に師事し始める。[[1995年]]日本におけるメジャー大会のひとつ「[[日本オープンゴルフ選手権競技|日本オープン選手権]]」で初日からの首位を4日間明け渡さずにツアー初優勝を果たした。


[[2001年]]4月、[[マスターズ・トーナメント]]で4日間で10アンダーパーの278ストロークで日本人史上最高の4位入賞を果たす。同年は国内においても5勝を挙げ、[[尾崎将司]]の[[1994年]]獲得賞金総額を上回る日本ツアー史上最高額(217,934,583円)<ref>{{Cite |和書|author = 一季出版株式会社|date = 2013-4|title = ジャパンゴルフツアーオフィシャルガイド 2013|publisher = 一般社団法人 日本ゴルフツアー機構|id = ISBN978-4-87265-177-5|ref = harv }}</ref>で初の賞金王となった<ref>海外獲得賞金も含む。</ref>。
[[2001年]]4月、[[マスターズ・トーナメント]]で4日間で10アンダーパーの278ストロークで日本人史上最高の4位入賞を果たす。同年は国内においても5勝を挙げ、[[尾崎将司]]の[[1994年]]獲得賞金総額を上回る日本ツアー史上最高額(217,934,583円)<ref>{{Cite |和書|author = 一季出版株式会社|date = 2013-4|title = ジャパンゴルフツアーオフィシャルガイド 2013|publisher = 一般社団法人 日本ゴルフツアー機構|id = ISBN 978-4-87265-177-5|ref = harv }}</ref>で初の賞金王となった<ref>海外獲得賞金も含む。</ref>。


[[2002年]]は国内で未勝利に終わるなど成績低迷したが、12月[[メキシコ]]で開催された[[世界ゴルフ選手権]]の一試合「[[ワールドカップ (ゴルフ)|EMCワールドカップ]]」で[[丸山茂樹]]とのコンビで日本に45年ぶりの“世界一”の名誉をもたらす活躍をみせる。また、[[2003年]]には年間2勝を挙げ2年ぶり2度目の賞金王を獲得し完全復活を遂げたものと思われた。
[[2002年]]は国内で未勝利に終わるなど成績低迷したが、12月[[メキシコ]]で開催された[[世界ゴルフ選手権]]の一試合「[[ワールドカップ (ゴルフ)|EMCワールドカップ]]」で[[丸山茂樹]]とのコンビで日本に45年ぶりの“世界一”の名誉をもたらす活躍をみせる。また、[[2003年]]には年間2勝を挙げ2年ぶり2度目の賞金王を獲得し完全復活を遂げたものと思われた。

2016年11月15日 (火) 17:44時点における版

 伊澤 利光 
Toshi Izawa
基本情報
名前 伊澤 利光
生年月日 (1968-03-02) 1968年3月2日(56歳)
国籍 日本の旗 日本
出身地 神奈川県鎌倉市
経歴
メジャー選手権最高成績
マスターズ 04位タイ: 2001
PGA選手権 18位タイ: 2003
全米オープン 44位タイ: 2001
全英オープン 22位タイ: 2002
成績
優勝回数 日本男子:16回
初優勝 日本オープン (1995)
賞金王 2001年・2003年
賞金ランク最高位 日本男子:1位 (2度)
2012年9月24日現在
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伊澤 利光(いざわ としみつ、1968年3月2日 - )は、神奈川県鎌倉市出身のプロゴルファー日体荏原高等学校日本体育大学体育学部体育学科3年次中退。

プロフィール

身長169cm。2005年までの登録名は「伊沢利光」だったが、翌年から「伊澤利光」に変更[1]。現在は妻の実家がある福岡県内に在住している。

略歴

ゴルフインストラクターである父親の手ほどきを受けて、8歳からゴルフを始める。日体荏原高校卒業後は日本体育大学に進学するが、日本学生ゴルフ選手権競技大会優勝を機に3年で中退し、1989年にプロテストに合格。直後にアメリカへ渡り、PGAツアーの下位ツアーである「ナイキ・ツアー」(当時)に4年間挑戦後1993年に日本へ帰国、尾崎将司に師事し始める。1995年日本におけるメジャー大会のひとつ「日本オープン選手権」で初日からの首位を4日間明け渡さずにツアー初優勝を果たした。

2001年4月、マスターズ・トーナメントで4日間で10アンダーパーの278ストロークで日本人史上最高の4位入賞を果たす。同年は国内においても5勝を挙げ、尾崎将司1994年獲得賞金総額を上回る日本ツアー史上最高額(217,934,583円)[2]で初の賞金王となった[3]

2002年は国内で未勝利に終わるなど成績低迷したが、12月メキシコで開催された世界ゴルフ選手権の一試合「EMCワールドカップ」で丸山茂樹とのコンビで日本に45年ぶりの“世界一”の名誉をもたらす活躍をみせる。また、2003年には年間2勝を挙げ2年ぶり2度目の賞金王を獲得し完全復活を遂げたものと思われた。

しかし、翌2004年は未勝利で賞金ランキング26位。2005年は『アンダーアーマーKBCオーガスタ』で2年ぶりのツアー通算15勝目を挙げるが、賞金ランキング11位に終わる。2006年は体調不良やスイング改造の成果が出ないなどの原因で、思った成績を残せず賞金ランキング78位と低迷し、賞金によるシード権を失う[4] など好不調の激しい戦績の選手ではある。

2007年には長年親しんだブリヂストンスポーツとの契約を解消し、心機一転、5月沖縄県で開催された第75回日本プロゴルフ選手権で一勝し賞金ランキングは13位。国内のプロゴルファーの多くが賞賛する美しいスイングや海外での実績もあり、完全復活を心待ちにするファンは少なくない。

優勝歴

日本ツアー (16)

勝数
メジャー (4)
ツアー (12)
No. 日時 大会 優勝スコア 打差 2位
1 1995年10月1日 日本オープンゴルフ選手権競技 -7 (67-70-70-70=277) 1打差 日本の旗 細川和彦
2 1998年10月11日 東海クラシック -11 (73-66-70-68=277) 3打差 日本の旗 湯原信光
3 1999年7月25日 アイフルカップ -14 (67-72-68-67=274) 1打差 日本の旗 谷口徹
4 1999年8月1日 NST新潟オープンゴルフトーナメント -19 (64-67-68-70=269) 6打差 日本の旗 細川和彦
5 2000年7月2日 JGTO TPC イーヤマカップ -13 (63-70-70=203) 3打差 日本の旗 横尾要
6 2000年8月27日 久光製薬KBCオーガスタ -18 (67-65-71-67=270) 4打差 日本の旗 杉本周作
7 2000年11月12日 住友VISA太平洋マスターズ -14 (68-69-66-71=274) 1打差 日本の旗 深堀圭一郎
8 2001年5月27日 ダイヤモンドカップトーナメント -11 (77-68-64-68=277) プレーオフ 日本の旗 藤田寛之日本の旗 五十嵐雄二
9 2001年9月23日 三井住友VISA太平洋マスターズ -18 (66-67-68-69=270) 2打差 日本の旗 野仲茂日本の旗 宮里優作
10 2001年10月7日 ジョージア東海クラシック -16 (65-68-70-69=272) 2打差 日本の旗 近藤智弘
11 2001年10月21日 ブリヂストンオープンゴルフトーナメント -14 (71-67-67-69=274) 1打差 日本の旗 尾崎将司
12 2001年10月28日 フィリップモリスチャンピオンシップゴルフトーナメント -16 (67-67-66-72=272) 1打差 日本の旗 谷口徹日本の旗 田中秀道
13 2003年7月6日 日本ゴルフツアー選手権宍戸ヒルズカップ -14 (70-63-68-69=270) 1打差 日本の旗 高山忠洋ニュージーランドの旗 デビッド・スメイル
14 2003年7月13日 ウッドワンオープン広島ゴルフトーナメント -13 (66-68-69-72=275) プレーオフ 日本の旗 室田淳
15 2005年8月28日 アンダーアーマーKBCオーガスタ -20 (67-65-67-65=264) 5打差 日本の旗 小田龍一タイ王国の旗 プラヤド・マークセン
16 2007年5月13日 日本プロゴルフ選手権大会 -5 (68-70-72-73=284) 1打差 日本の旗 広田悟

プレーオフ記録 (2-1)

No. 大会 対戦相手 内容
1 1998年 カシオワールドオープン アメリカ合衆国の旗 ブライアン・ワッツ プレーオフ2ホール目で、伊沢がパー。ワッツはバーディー。ワッツの優勝。
2 2001年 ダイヤモンドカップトーナメント 日本の旗 藤田寛之日本の旗 五十嵐雄二 プレーオフ1ホール目に藤田、五十嵐のボキー以上が確定、伊沢がパーパットを決め、伊沢の優勝。
3 2003年 ウッドワンオープン広島ゴルフトーナメント 日本の旗 室田淳 プレーオフ2ホール目に伊沢がパー、室田が3オン後のパーパットを外し、伊沢の優勝。

関連項目

脚注

  1. ^ 海外参戦時の登録名は「Toshi Izawa」。
  2. ^ 一季出版株式会社『ジャパンゴルフツアーオフィシャルガイド 2013』一般社団法人 日本ゴルフツアー機構、2013年4月。ISBN 978-4-87265-177-5 
  3. ^ 海外獲得賞金も含む。
  4. ^ 「賞金ランキング」以外の要件でシード権を保有しているため国内ツアーには出場可能である。

外部リンク