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=== 明治期から終戦時まで ===
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2016年11月15日 (火) 17:42時点における版

仙台駅
西口(2009年6月)
せんだい
Sendai
所在地 仙台市青葉区中央
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本・駅詳細
仙台市交通局(地下鉄・駅詳細
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全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML
仙石線仙台駅東口・歩行者広場前出口(2009年6月)
仙石線仙台駅東口・歩行者広場前出口(2009年6月)
仙台駅東口(2007年11月)
仙台駅東口(2007年11月)
JR仙台駅構内(2階および3階コンコース部分)
JR仙台駅構内(2階および3階コンコース部分)
JR仙台駅 屋上駐車場
JR仙台駅 屋上駐車場

仙台駅(せんだいえき)は、宮城県仙台市青葉区中央一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・仙台市交通局仙台市地下鉄)のである。仙台市地下鉄の駅番号は、南北線がN 10、東西線がT 07である。JR東日本の駅は、東口および一部ホームが宮城野区榴岡一丁目にまたがっている。また、仙台市地下鉄東西線の駅は青葉区中央三丁目となっている。

概要

東北地方最大の都市・仙台市の代表駅である。東北新幹線は当駅を通る全営業列車が停車する。仙台都市圏首都圏との間の高速アクセス手段は、東北新幹線が大宮駅 - 上野駅間を延伸開業した1985年昭和60年)に、航空路線の仙台空港 - 羽田空港便が廃止されてからは、新幹線が独占的に担っており、当駅の新幹線利用客は1日平均4万人以上となっている。在来線は後述するように、仙台周辺の宮城県内の各都市や仙台空港、山形市福島市一関市などとを結ぶJR各線が発着する。市内各所を結ぶ地下鉄も乗り入れ、東北地方最大のターミナル駅となっている。「ショッピング、食事、ホテル等の施設も充実し、文化の発信基地としての役割も担う駅」として、東北の駅百選に選定された。なお、1961年(昭和36年)に客貨分離されている。

仙石線を除くJR在来線の軌道敷は、北は宮城野橋(X橋)付近から南は北目町ガード(六道の辻)付近まで及び、仙石線仙台駅は仙台トンネル内を仙台駅東口駅前広場の地下から宮城野通り西端地下まで及ぶ。地下鉄仙台駅は、南北線が愛宕上杉通り地下を北は中央通りから南は仙台駅西口バスプールまで(仙石線あおば通駅青葉通り地下で直結)、東西線が南町通り地下を通っている。仙台駅周辺での鉄道施設等の鉛直方向の分布については仙台トンネル#仙台駅周辺を参照。

所在地の住居表示

  • JR仙台駅 - 仙台市青葉区中央一丁目1番1号
    • 仙石線ホームは、宮城野区域に所在
  • 仙台市地下鉄
    • 南北線 - 仙台市青葉区中央一丁目10番10号地先
    • 東西線 - 仙台市青葉区中央三丁目5番6号地先

乗り入れ路線

JR東日本

新幹線は、線路名称上は東北新幹線のみであるが、新幹線ホームには同新幹線の列車のほか、盛岡駅から分岐するミニ新幹線である秋田新幹線直通列車(こまち号)や、北海道新幹線直通列車(はやぶさ号)も停車する。

在来線には次の各線が乗り入れている。

正式な線路名称上は以上の3路線であるが、東北本線を介して以下の路線も乗り入れている。

仙台市地下鉄
  • 南北線 - 当駅を中心に、仙台市内を南北に縦断する。
  • 東西線 - 当駅を中心に、仙台市内を東西に横断する。

歴史

節内の全座標を示した地図 - OSM
節内の全座標を出力 - KML
仙台駅の乗換駅の所在地と沿革(上:東側、下:西側)
  • 色は便宜的なもので、ラインカラーではない。
  • 形態は地上駅以外を記載。
  • 現在運行されている路線は太字
  • 現在直通運転している路線も記載。
  • 略史では、同地での駅の設置年と廃止年を記載(廃止駅の欄は背景が灰色)。
下図との対応
駅名 形態 現住所 位置 略史 ホーム
1 SenSeki
  
仙石線仙台 地下駅 宮城野区榴岡 北緯38度15分36.7秒 東経140度53分2.9秒 2000年03月11日:仙石線 9・10
2 SenSeki
  
(仙石線)仙台 北緯38度15分41.8秒 東経140度53分0.6秒 1952年09月26日:国鉄仙石線 → JR仙石線 → 2000年3月11日:廃止 1・2
3 streetcar
  
仙台 北緯38度15分39.4秒 東経140度52分59秒 1882年03月20日:宮城木道 → 1888年3月31日:廃止 単式
仙台駅 東口
4 Hbf
  
仙台 青葉区中央 北緯38度15分37秒 東経140度52分56秒 1929年09月29日:国鉄仙山東線 → 国鉄仙山線 → 仙山線 7・8
1897年11月10日:() 日本鉄道磐城線 → 国鉄常磐線 → 常磐線 1-6
1968年04月01日:(直) 国鉄丸森線 → 阿武急阿武隈急行線
2007年03月18日:(直) /仙台空港アクセス線
2015年05月30日:(直) 仙石東北ライン
1887年12月15日:日本鉄道本線 → 国鉄東北本線 → 東北本線
5 Hbf
  
仙台 高架駅 北緯38度15分37秒 東経140度52分55.2秒 1997年03月22日:(直) 秋田新幹線 11-14
2016年03月26日:(直) 北海道新幹線
1982年06月23日:東北新幹線
仙台駅 西口
6 SenSeki
  
宮電仙台 地下駅 青葉区中央 北緯38度15分41.3秒 東経140度52分55.3秒 1925年06月05日:宮城電鉄 → 国鉄仙石線 → 1952年6月1日:廃止 単式
7 streetcar
  
仙台駅前 北緯38度15分37.3秒 東経140度52分51.8秒 1926年11月25日:仙台市電 → 1976年3月31日:廃止 1・2
8 subway
  
地下鉄仙台 地下駅 北緯38度15分35.1秒 東経140度52分49秒 2015年12月06日:仙台市地下鉄東西線 3・4
9 subway
  
(地下鉄)仙台 地下駅 北緯38度15分36.5秒 東経140度52分47.1秒 1987年07月15日:仙台市地下鉄南北線 1・2
10 SenSeki
  
あおば通 地下駅 北緯38度15分38.6秒 東経140度52分42.9秒 2000年03月11日:仙石線 1・2
※ 5年毎の西暦以外の縦線は、明治大正昭和終戦平成および現在。

明治期から終戦時まで

江戸東京) - 仙台の所要時間は、江戸時代には上りが約半月かかった[2]仙台藩参勤交代では8-9日間[3])。1876年明治9年)の奥羽巡幸[4]において明治天皇馬車で各地を回ると、1877年(明治10年)に仙台・国分町岩沼とを結ぶ馬車会社が開業し、さらに馬車会社の万里軒が1881年(明治14年)に仙台 - 白石1883年(明治16年)に仙台 - 福島の運行を開始した[5]。このような都市間乗合馬車を乗り継くことで、東京 - 仙台の所要時間は3泊4日に短縮された[2]

中央に2代目仙台駅舎、左側に宮城電気鉄道の駅舎、手前側の道に仙台市電の線路が見える
中央に2代目仙台駅舎、左側に宮城電気鉄道の駅舎、手前側の道に仙台市電の線路が見える
昭和初期の仙台駅構内
昭和初期の仙台駅構内

1887年(明治20年)12月15日日本鉄道の駅として仙台駅が開業[注 1]。このとき東京府上野駅から宮城県塩竈駅まで通じ、上野 - 仙台間の所要時間は12時間20分となった[6]。すると鉄道と並行する都市間乗合馬車は急速に衰退して廃業し[2]、仙台 - 塩竈間に並行していた馬車軌道木道社(宮城木道)も廃業に追い込まれた。

仙台駅周辺における当初の敷設計画では、多くの都市と同様に市街地端へ線路を設け(現在の宮城野貨物支線に近いルート)、当時の宮城郡苦竹村、現在の仙台貨物ターミナル駅付近に停車場を設けようとした[7]。しかし、仙台城下町以来の街の衰退を恐れた地元商人がこれに反対し、費用負担を申し出て日本鉄道に変更を求めた[7]。これが仙台区のほとんどの組(現在の町内会)を巻き込んだ運動になった[8]。一方、士族を中心にした東京在住の仙台出身者は、都市の将来発展のためには原案が望ましいと論じていた[9]が、最終的には当時の宮城県知事松平正直も変更を支持し、地元の費用負担なく東六番丁通りの現在位置に決定した[10]

初代の駅舎は木造平屋建ての小さな建物で線路の西側に位置し、幅35m・奥行き8m・面積236m²であった[11]。また、駅前広場には馬車を回すロータリーがあった[12]

1894年(明治27年)、駅舎は改築され、木造ペンキ塗、中央部は2階建て両翼は平屋、面積8,407m²という、当時としては大きく立派なものとなった[13]。この駅舎には増・改築が重ねられたが、1945年(昭和20年)の仙台空襲により焼失した。

この間、1906年に日本鉄道は国有化され、国鉄東北本線となった。1925年に仙台地区では初の直流電化路線である宮城電気鉄道(後の仙石線)が西塩釜駅まで開業し、1929年には仙山東線(後の仙山線)が愛子駅まで敷かれた。所要時間は1926年に上野 - 仙台間が8時間弱となり、乗降客数は1928年に1日平均9,649人を数えた[14]。この頃の仙台駅は東北地方で最多の旅客をさばいたが、貨物では青森駅・塩竈駅(旧駅)などに引き離され、6位に留まった[15]1909年(明治42年)の汽車貨物では、米529トン、雑穀160トン、麦粉328トン、食塩383トン、酒406トン、鮮魚458トン、鉄類369トン、陶磁器298トン、硝子器150トンなどを送り出した[16]1926年(大正15年)11月25日には仙台市電仙台駅前駅 - 荒町日赤病院前駅において開業し、駅前広場に隣接する駅前通りに仙台駅前停留所が設けられた。

日本初の地下ホーム

宮城電気鉄道・仙台駅の地下ホーム

宮城電気鉄道は、駅の東側から地下に入り国鉄線西端から西口広場地下にかけてプラットホームを設置しており、そこから階段を上がると西口に出られるようになっていた。西口には宮城電気鉄道の独自の駅舎が設けられていた[17]

戦災復興期から高度経済成長期まで

1945年(昭和20年)7月10日の仙台空襲で仙台市街は大きな被害を受けた。仙台駅も死者4人を出して破壊され、他の駅から資材を回すなどしてバラック建ての駅舎を急造した[18]。終戦直後の仙台駅発着の車両は、石炭不足で削減されて超過密状態で、利用客の8割が食料買い出しに向かう人々であった[19]。その一方で、進駐軍は車両やホームを専用で留め置いて効率的運用を妨げ、その将兵の中には駅員に横暴を働く者もあった[20]

1948年(昭和23年)に新駅舎の建設が始まり、翌1949年(昭和24年)に竣工した。新たに駅前広場へのメインストリートとして青葉通りが敷かれ、1950年に駅前の舗装が完成したことで、駅および駅前広場の復興は一段落した。駅舎は木造モルタル2階建、面積2,023.9m²であった[21]。この駅舎は仮駅舎の予定であったが、結局1972年(昭和47年)まで使用されることになった。1952年(昭和27年)6月1日には仙石線の地下ホームへの発着が廃止となり、工事のための運休を経て、9月26日から従来仙台東口仮乗降場として使用していた設備を仙石線仙台駅として運転するようになった[17]

1951年(昭和26年)、東北子供博覧会開催時に、博覧会事務局は駅前広場の一部を11か月の期限付きで借りて建物を作った。しかし、博覧会終了後、河北新報社長菅野千代夫を社長とする河北実業株式会社が設立され、土地の賃借権を主張して返還を拒み、建物を店舗用に賃貸した。これが駅前ショウハウスである。地元有力紙の関連企業を相手にした明け渡し交渉は難航し、1972年までそのままとなった[22]

復興計画の一環として、国鉄は1946年(昭和41年)、仙台駅前後の曲線区間を避け短絡する宮城野貨物線を敷き、そこに貨物駅を設置し、仙台駅を旅客専用にする計画を作成した。その後、貨物取り扱いの増加により12年後の1958年に工事が始まり、1961年宮城野駅が開業した。これに伴い、仙台駅は貨物の取り扱いを廃止した[23]

新幹線の登場まで、仙台駅に停車する急行・特急は少しずつ速くなっていった。上野駅-仙台駅間の所要時間でその一部を拾うと、戦時中の1945年(昭和20年)1月に急行202列車は8時間33分かかった、初の特別急行列車である特急はつかりは、1958年(昭和33年)の登場時に5時間25分で走った。1965年(昭和40年)には、東北本線の電化により常磐線を経由しない特急電車ひばりが現われ、4時間35分とした[24]

東北新幹線開業

東北新幹線開業に伴う駅舎新築のため、1972年に西口駅前広場に仮駅舎を設置、仮駅舎の後方の旧駅舎を取り壊し、新築駅舎は1977年に竣工、在来線のみの駅として部分供用を開始した。新幹線工事のために、1973年2月1日始発駅発の列車から、深夜に仙台駅を通過する旅客列車は宮城野貨物線へ迂回となり、1978年(昭和53年)10月2日から仙台駅経由に戻った。この間、長町駅に代わりに停車して長町 - 仙台間で代行バスの運転が行われ、また多客期や荷物列車については仙台駅経由が続けられていた[17]。駅前ショウハウスの店子は仮駅舎設置時に強制執行で立ち退かされた[25]。仙台市電は、1976年(昭和51年)4月1日に廃止となり、仙台駅前停留所も撤去された。

新駅舎の全面供用は、およそ5年後の新幹線開業時である1982年となった。1990年代に入ると駅構内の東側の留置線が整理され、家電量販店やアミューズメント関連施設の用地となった。利用客は1986年、新幹線・在来線合わせ、1日平均17万5千人となった。

新幹線停車駅は、仙台駅、宮城野駅、長町駅が浮上し、それぞれ「新幹線現仙台駅建設促進期成同盟会」、「新幹線東部地区設置期成同盟会」、「新仙台駅誘致仙南期成会」を結成して運動した[26]。宮城野駅、長町駅は、ルート上に曲線区間が少なく減速を最小として通過できること、敷設距離短縮による工事費節減のメリットがあった。しかし、新幹線停車駅へ全列車停車すること、仙台市都心部へのアクセス利便性の確保から、新幹線停車駅は仙台駅に決定した。

相次ぐ新線開業

1987年(昭和62年)7月15日、愛宕上杉通り下に地下鉄南北線が開業。2000年(平成12年)3月11日には、仙台トンネル完成に伴い仙石線が地下ホームに移設された。

2004年(平成16年)、仙台空港鉄道仙台空港アクセス線)の開業に先んじ、ホームの改良工事を実施。1番線と2番線(当時)の間にあった中線を活用するため、2番線(当時)の北側部分(盛岡方面)を埋め、切欠きホームとした。中線に接するホームを新2番線とし、旧2番線を3番線に、以降在来線のホーム番号が1つずつ大きい数字に繰り下げられている。2007年(平成19年)3月18日、仙台空港鉄道が開業し、仙台駅への乗り入れを開始した。

2008年(平成20年)に入ると、地下鉄東西線開業に向けた工事が本格化していった[27]

東北地方太平洋沖地震の影響

地震による損傷を修復工事中の仙台駅(2011年4月)
地震による損傷を修復工事中の仙台駅(2011年4月)
天井パネルを外して営業再開された、新幹線ホーム(2011年6月)
天井パネルを外して営業再開された、新幹線ホーム(2011年6月)

2011年(平成23年)3月11日東北地方太平洋沖地震東日本大震災)発生。JRは、新幹線ホームの化粧天井が落下し、駅周囲の地上の歩道が一部電話ボックスが膝の高さまで沈下するほど波打ち、2階ペデストリアンデッキも一部変形するなど、広範囲に大きな被害を受け、営業休止[28]を余儀なくされ、市地下鉄も設備点検のため運休となった[29]3月14日、地下鉄南北線が一部区間(台原 - 富沢)で運転再開したことにより、地下鉄仙台駅は営業再開。3月25日、S-PAL地下1階「エスパルキッチン」の一部店舗が先行して営業を再開[30]3月28日、仙石線が一部区間(あおば通 - 小鶴新田)で運転再開したことに伴い、利用を大幅に制限した上で駅施設の営業を再開した[31]。続いて3月31日には東北本線下りの一部区間(仙台 - 岩切)、4月2日には東北本線上りの一部区間(名取 - 仙台)、4月4日には仙山線が一部区間(仙台 - 愛子)で運転を再開。東北新幹線についても運転再開の見通しが立ち、復旧が進んだ。

4月7日東北地方太平洋沖地震の余震により、JR仙台駅は案内板が崩落、スプリンクラーが誤作動によって浸水するなど再び被害を受けた。これにより、JR・仙台市地下鉄ともに運転を取りやめた[32]。翌4月8日、地下鉄南北線が一部区間(台原 - 富沢)で運転再開。4月12日、東北本線上りの一部区間(郡山 - 仙台)と常磐線の一部区間(亘理 - 仙台)で運転再開により、再び営業を再開。4月14日に仙山線の一部区間(仙台 - 愛子)、4月15日に仙石線の一部区間(あおば通 - 小鶴新田)、4月21日に東北本線下り(仙台 - 一ノ関)が運転再開されたことにより、仙台駅を発着するJRの全在来線が運転を再開した。

4月25日、震災以降初めて東北新幹線上り(東京 - 仙台)が運転を再開。4月29日には下り(仙台 - 一ノ関)が運転再開されたことにより、東北新幹線が全線復旧した。7月23日には仙台空港アクセス線が一部区間(仙台 - 美田園)で運転を再開したことで、仙台駅に乗り入れる全路線が復旧した。

地下鉄仙台駅・南2出入口はEBeanSが一部解体工事を行っていたために5月26日から11月18日まで封鎖された[33][34]

東口再開発

2009年夏、JR東日本は仙台市地下鉄東西線開業に呼応する形で東口一帯の所有地再開発に着手する構想を発表した[35]。計画の変更等を経て2012年1月、再開発計画を正式発表[36][37]。再開発予定地に含まれたZepp Sendai及びE-GATE(商業施設)は2012年に閉鎖、解体。2013年3月27日、再開発工事が着工した。

これに合わせ、仙台市は西口・東口駅前広場の再整備を行い、バスターミナルの増設や移設・改編等に取り組む[38]

東西自由通路の拡幅

仙台駅の東西をつなぐ自由通路の幅を6mから16mに拡幅した[36]。通路は3階層分の吹き抜け構造で[39]、2016年3月18日に完成した[40][41]。自由通路拡幅の工費の3分の2は、仙台市が負担した[42]

商業施設と新改札口の設置

東西自由通路の両側、在来線ホームの上に2棟の商業施設を建設する[39]。北棟は4階/地下1階建、南棟は6階/地下1階建で、自由通路を合わせた延べ床面積は約43,000m2。自由通路と同様に、2016年3月18日完成。北棟2階部には新改札口(東口)、南棟上層階には約250台分の駐車場を新設。新商業施設はS-PALとの連動を視野にいれている[42]

ホテル棟

ホテルは、E-GATE跡地に建設予定[36]。14階/地下1階建、延べ床面積は約14,000m2、客室は280室。ホテルメトロポリタン仙台の別館を想定しているが、コンベンション施設やウエディング施設を併設する本館とは異なり、宿泊特化型となる。宿泊料金は本館よりも高く設定される見込み[42]。低層階は商業施設となり、北棟商業施設と一体となる[39]。2014年春着工、2017年完成予定。

オフィス棟

オフィスは、Zepp Sendai跡地に建設予定。13階/地下1階建で、1階には多目的ホールを設置する。着工時期は未定。完成は2018年度以降となる見込み[42]

駅内リニューアル

新幹線連絡改札口の増設(東京方面側)及び移設(新青森方面側)、構内店舗・みどりの窓口の改修、ベビー休憩室の新設などが行われた[39]。2014年4月には、駅舎天井の改修工事にも着手[43]。仙台城の大広間をイメージした格子天井を茶色を基調とした色合いにし、東口再開発とのデザインに連続性を持たせる[44]

また、「おみやげ処 せんだい」がリニューアルしたほか、「駅弁屋 祭」の出店、2015年12月4日には「ずんだ小径」がオープンするなど、駅構内店舗の改装・新規開店も行われた[45] [46]

仙台市は、西口地下歩道・地下鉄入口(地下1階)と西口バスターミナル(地上階)、ペデストリアンデッキ(2階)、新幹線改札階(3階)とを結ぶエレベーターの新設工事を行う[38][47]

年表

駅構造

JR東日本

JR 仙台駅
2階在来線中央改札口
せんだい
Sendai
所在地 仙台市青葉区中央一丁目1-1*
北緯38度15分37秒 東経140度52分56秒 / 北緯38.26028度 東経140.88222度 / 38.26028; 140.88222 (JR仙台駅)座標: 北緯38度15分37秒 東経140度52分56秒 / 北緯38.26028度 東経140.88222度 / 38.26028; 140.88222 (JR仙台駅)
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 セン
駅構造 高架駅(新幹線)
地上駅地下駅(在来線)
ホーム 2面4線(新幹線)
4面8線(在来線・地上)
1面2線(在来線・地下)
乗車人員
-統計年度-
84,964人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1887年明治20年)12月15日
乗入路線
所属路線 ■東北新幹線
秋田新幹線
キロ程 351.8 km(東京起点)
白石蔵王 (45.0 km)
(43.2 km) 古川
所属路線 東北本線
常磐線仙台空港アクセス線直通含む)
キロ程 351.8 km(東京起点)
長町 (4.5 km)
(4.0 km) 東仙台
所属路線 仙山線
キロ程 0.0 km(仙台起点)
(3.2 km) 東照宮
所属路線 仙石線
キロ程 0.5 km(あおば通起点)
あおば通 (0.5 km)
(0.8 km) 榴ケ岡
所属路線 仙石東北ライン**
キロ程 0.0 km(仙台起点)
(4.0 km) 東仙台
備考 直営駅管理駅
みどりの窓口
仙 仙台市内駅(中心駅)
* 正式な所在地。東口および仙石線ホームは宮城野区榴岡一丁目(北緯38度15分36.7秒 東経140度53分2.9秒 / 北緯38.260194度 東経140.884139度 / 38.260194; 140.884139 (JR仙石線・仙台駅))にまたがる。
** 正式路線名は東北本線
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3・4番線ホーム
3・4番線ホーム
仙石線10番線ホーム
仙石線10番線ホーム
新幹線13・14番線ホーム
新幹線13・14番線ホーム

駅舎は地上4階建/地下1階、南北方向に広がっている。駅西口に駅ビルが併設され、S-PAL仙台本館(地上6階/地下1階)・ホテルメトロポリタン仙台(地上21階/地下2階)が南側に、S-PAL II(地上2階部)が北側に位置する。また、東口再開発に合わせてS-PAL仙台東館(地上6階・一部4階/地下1階建、2016年3月18日開業)及び宿泊施設棟(地上14階/地下1階建、2017年開業予定)・オフィス棟(地上13階/地下1階建、2018年度以降開業予定)も建設される[36]

コンコースは在来線が2階、新幹線が3階にある。

在来線改札口は西口側に「在来線中央改札口」(中央口から改称)、S-PAL地下1階に「地下南口」、東口側・仙石線地下改札口に「JR仙石線仙台駅改札口」(仙台駅東口改札から改称)の3か所で、東口再開発に合わせて東口2階コンコースにも新設される[36]

みどりの窓口は、3階中央みどりの窓口と3階新幹線乗換口(新幹線乗換口は在来線改札内のため、当日分のみ)の3か所で、JR仙石線仙台駅改札口(仙台駅東口改札)と地下南口改札にはない。中央口北側に「びゅうプラザ仙台」がある。かつては1階にJR北海道が運営する「JR北海道プラザ仙台支店」があり、みどりの窓口としても機能していたが、現在は閉店している[52] 。新幹線中央改札口に指定席券売機があるが、これはえきねっとで申し込みをした乗客の為の切符受け取り専用機となっている。

なお、3F新幹線南口改札口にあった指定席券売機とえきねっと専用受取発券機は2015年12月6日から供用を開始した南口改札口と2F在来線コンコースとを接続する乗換通路の工事に伴い、みどりの窓口側に移設された。


仙台市地下鉄への乗換は、地下南口から西口地下歩道を経由して地下鉄東改札へのルートが便利。仙台市地下鉄仙台駅とは地下自由通路・西口地下歩道で接続しているため、地下自由通路を利用すればあおば通駅からJR仙台駅(仙石線を含む)への徒歩連絡も可能であるが、連絡運輸は行っていない。

駅舎の屋上は、ジェイアールバス東北が管理する24時間営業の「仙台駅屋上駐車場」(駐車可能台数333台。時間貸し・月極)となっており、愛宕上杉通り柳町通との交差点から出入庫する。地上との高低差があるため、入庫用と出庫用の二重らせんの自走ループ線によるスロープ棟が併設されている。

直営駅駅長助役配置)であり、管理駅としてあおば通駅を管理している。JRの特定都区市内制度における「仙台市内」の駅であり、運賃計算の中心駅となる。

のりば

  • 1番線 - 1面1線の単式ホーム
  • 2 - 4番線 - 1面3線の島式・切欠きホーム。切欠き式となっている3番線は、青森方には進行不可能である。
  • 5・6番線 - 1面2線の島式ホーム
  • 7・8番線 - 1面2線の島式ホーム。主に仙山線が利用するが、仙山線に入線しない団体列車や臨時列車の多くがこのホームに停車する。
  • 9・10番線 - 地下2階にある仙石線専用の1面2線の島式ホーム。
  • 11 - 14番線 - 4階高架にある2面4線の島式ホーム
在来線 地上ホーム
1 東北本線 (下り) 利府小牛田一ノ関方面
仙石東北ライン 塩釜高城町矢本石巻方面
2 東北本線 (下り) 利府・小牛田・一ノ関方面
■ 仙台空港アクセス線 名取仙台空港方面
仙石東北ライン 塩釜・高城町・矢本・石巻方面
3 東北本線 (上り) 白石福島郡山黒磯方面
■ 仙台空港アクセス線 名取・仙台空港方面
4 東北本線 (下り) 利府・小牛田・一ノ関・盛岡方面
(上り) 白石・福島・郡山・黒磯方面
常磐線 岩沼亘理浜吉田方面
■ 仙台空港アクセス線 名取・仙台空港方面
仙石東北ライン 塩釜・高城町・矢本・石巻方面
5 東北本線 (上り) 白石・福島・郡山・黒磯方面
常磐線 岩沼・亘理・浜吉田方面
仙石東北ライン 塩釜・高城町・矢本・石巻方面
6 東北本線 (上り) 白石・福島・郡山・黒磯方面
常磐線 岩沼・亘理・浜吉田方面
7・8 仙山線 愛子作並山形方面
仙石線 地下ホーム
9 仙石線 (上り) あおば通
10 (下り) 多賀城松島海岸・高城町・石巻方面
新幹線ホーム(高架)
11・12 ■ 東北・秋田・北海道新幹線 (下り) 盛岡新青森秋田新函館北斗方面
■ 東北・秋田・北海道新幹線 (上り) (当駅始発)郡山大宮東京方面
13・14 (上り) 郡山・大宮・東京方面
その他

快速「リゾートみのり」は4番線から、快速「仙台シティラビット」は5・6番線から発車する。

構内配線・信号設備等
運転番線 営業番線 ホーム 上野方面発着 青森方面着発 山形方面着発
下本 1 12両 到着・出発可 到着・出発可 不可
中1 2 6両 到着・出発可 到着・出発可 到着・出発可
中2 3 6両 到着・出発可 不可 不可
中3 4 12両 到着・出発可 到着・出発可 到着・出発可
上本 5 12両 到着・出発可 到着・出発可 到着・出発可
上1 6 12両 到着・出発可 到着・出発可 到着・出発可
山下 7 8両 到着・出発可 到着・出発可 到着・出発可
山上 8 8両 到着・出発可 到着・出発可 到着・出発可
上4 ホームなし 到着・出発可 到着・出発可 到着・出発可

1・3番線を除き、どの番線からも3方向への発着が可能となっている。また4番線の青森方には30km/hの速度照査が設定されている。

旅客案内

番線標

地上ホームの駅名標や番線標には路線名は入っているが、ラインカラーは仙台空港アクセス線の青と、仙石東北ラインの水色と緑の併記をのぞき、すべて緑に統一されており、常磐線と仙山線のラインカラーは反映されていない。地下ホーム(仙台トンネル内)は地下化された2000年より駅名標や番線標に路線名や方面表記、ラインカラーが表示されている。乗車位置案内は地平ホーム・地下ホーム共足元にペイントされている。

案内放送
  • 在来線地上ホーム(1 - 8番線)
ATOS(東京圏輸送管理システム)が導入されている路線と同じタイプの自動放送がなされており、列車の行先や編成両数、発車時刻などの詳細な情報が案内されている。これは仙台空港アクセス線の開業で当駅発着の列車が大幅に増えることを考慮し[53]、2005年4月の電子連動化工事に併せて導入されたものである。原則として奇数番線が男声(担当:津田英治)、偶数番線が女声(担当:向山佳比子)となっている。なお、自動放送の他にも駅員によって適宜放送が行われている。
発車メロディは1988年の導入以来、一貫して榊原光裕(仙台市出身)が編曲したものを採用し続けており、2016年7月1日から仙台フィルハーモニー管弦楽団が演奏した「すずめ踊り」のお囃子が使われている。1988年から2016年6月30日まではさとう宗幸作曲の「青葉城恋唄」をモチーフにしたもの(新幹線ホームで現在使用されている「青葉城恋唄」とは別物)を使用していた[54]。長さはいずれも約30秒である。なお、回送列車が発車する際には発車メロディは使われず、ベルと音声による案内のみがなされる。
  • 仙石線地下ホーム(9・10番線)
列車の接近の際、音声案内の他に注意喚起の電子音が鳴り、列車が発車する際にはベルが鳴る。以前は仙台駅が仙石線の始発駅だったため、地平ホームと同様の発車メロディが用いられていたが、仙石線延伸に伴い発車メロディをあおば通駅に譲った。
  • 新幹線ホーム(11 - 14番線)
2016年7月1日から榊原光裕が編曲、仙台フィルハーモニー管弦楽団が演奏した「青葉城恋唄」が使われている。2016年6月30日までは榊原光裕が作曲したオリジナル曲が使われていた。長さはいずれも約30秒である。

仙台市地下鉄

仙台市地下鉄 仙台駅
南改札口
せんだい
Sendai
所在地 (南北線)
仙台市青葉区中央一丁目10-10地先
(東西線)
仙台市青葉区中央三丁目5-6地先
駅番号 N10 T07
所属事業者 仙台市交通局 仙台市地下鉄
駅構造 地下駅
ホーム 南北線:1面2線
東西線:1面2線
乗車人員
-統計年度-
48,604人/日(降車客含まず)
-2015年-
開業年月日 1987年昭和62年)7月15日
(南北線として)
乗入路線
所属路線 南北線
キロ程 8.5 km(泉中央起点)
N09 広瀬通 (0.6 km)
(0.9 km) 五橋 N11
所属路線 東西線
キロ程 6.5 km(八木山動物公園起点)
T06 青葉通一番町 (0.8 km)
(0.7 km) 宮城野通 T08
乗換 あおば通駅仙石線[注 2]
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JR仙台駅の西側に平行するように南北線仙台駅が建設され、JRあおば通駅の開業によって、現在では両駅の中間に存在する形となっている。また、仙台駅東西地下自由通路を介してJRあおば通駅及び仙台駅と直結する。さらに、さくら野百貨店仙台店(北5)・仙台Loft(中央1)・仙台TRビル(中央2)・S-PAL仙台店(東西地下自由通路)とは地下階で、EBeanS(南2)とは地上階でそれぞれ接続する。

改札口は、北側、南側、西側、東側の地下1階部分にそれぞれ1ヶ所ずつ(「北改札」「南改札」「西改札」「東改札」)、南北線ホーム階北側・あおば通駅との「仙石線のりかえ改札口」の計5ヶ所ある。

南北線と仙石線とを乗り換える場合はあおば通駅にある連絡改札を利用したほうが近い。なお、あおば通駅との乗換改札口はJR・地下鉄各社局の自動改札機がそれぞれ単独で向かい合わせに配置され、両社局の改札の間に各社局の自動券売機が設置されている。また、各社局ごとに自動精算機も設置されている。仙石線のあおば通駅延伸に開設されたこの改札口は、地上への出口がなく乗換専用改札口として運用していたが、2012年の駅改良工事で北改札口へ通じるエレベーターが設置され、改札外へ出ることが出来るようになった。

南北線駅には、仙台駅~富沢駅間を管轄する地下鉄仙台管区駅が、東西線駅には、東西線の全区間を管轄する地下鉄東西線管区駅が併設されている(南北線の広瀬通駅以北は、勾当台公園駅に併設される、地下鉄勾当台管区駅が管轄)。

のりば

地下3階ホーム
1 南北線 富沢方面
2 泉中央方面
地下4階ホーム
3 東西線 荒井方面
4 八木山動物公園方面
南北線

愛宕上杉通り道路下に位置する。コンコースが地下1階、東西線のりかえ階が地下2階、ホームは地下3階(島式1面2線)となっている。

2007年12月より、世界初の線路脇に設置された電子ペーパーによるデジタルサイネージとしてインターネットを活用した広告がホーム3ヶ所に設置されており[55]、その後も改修工事を施した上で継続して稼動している。

東西線

南町通り道路下、南北線の1層下に十字に交差する形で位置する。コンコースが地下1階、南北線のりかえ階が地下2階、ホームは地下4階(島式1面2線)となっている。
混雑対策のためホーム有効長が長めに作られており、東行・西行の電車はそれぞれの進行方向前よりに、約1両分ずれた位置に停車する[56]

出口案内

出入口は、北1 - 9、中央1・2、南1 - 6、西1、東1の全19ヶ所。

北1出口

北2出口

北3出口

北4出口

  • イオン
  • 中央2丁目
  • バスのりば50~51

北5出口

北6出口

中央1出口

中央2出口

  • 仙台TRビル
  • 中央3丁目
  • バスのりば60

南1出口

南2出口

南3出口

  • JR仙台駅
  • バスプール9~16

南4出口

  • JR仙台駅
  • バスプール1~8

南5出口

南6出口

西1出口(南町通口)

  • 仙台朝市
  • 仙台国際ホテル
  • SS30
  • イムス明理会仙台総合病院
  • 南町通

東1出口(JR連絡口)

自由通路

仙台駅を東西に移動するため、またはJRと地下鉄の接続のための移動手段として、6つの自由通路が設置されている。北から順に記載する。

名掛丁地下通路

仙台駅の昭和の最後の遺構である名掛丁地下通路の東出入口
仙台駅の昭和の最後の遺構である名掛丁地下通路の西出入口

名掛丁地下道とも呼ばれる、1935年に完成した仙台駅北西部と同駅北東部とを結ぶ地下通路。北部名掛丁自由通路の完成以前は、当地下通路が仙台駅北部の東西移動の役割を果たしていたが、うす暗く階段しか設置されていないことから、現在では北部名掛丁自由通路を補完する通路となっている。

北部名掛丁自由通路

正式名称は、仙台駅北部名掛丁自由通路[57]AER仙台マークワン付近の仙台駅北西部と同駅北東部を結ぶ、約90mの自由通路。駅西口に広がるペデストリアンデッキから直結し、東口北側の地上に至る。東側入口にはエレベーターが設置されている。名掛丁地下通路を補完する形で整備され、2008年8月10日に開通した。その他、自由通路内にS-PAL IIの北側出入り口が設けられている。

東西地下自由通路

西口地下歩道

正式名称は、仙台駅西口中央地下歩道。JR仙台駅・地下南口改札と地下鉄仙台駅とを結ぶ地下自由通路。S-PAL仙台店(仙臺みやげ館、エスパルレストラン街)、仙台Loft、地下鉄仙台駅定期券発売所に面している。地下鉄東1出口と接続しているほか、地上出口は中央1出口となっている。

東西自由通路

仙台駅東地下歩道

仙台駅東口から東七番丁通りを越えるためにつくられた地下歩道。ヨドバシ仙台第2ビルとも接続する。

駅弁

新幹線上りホームの駅弁売店

仙台駅は駅弁の種類が日本で最も多い駅である。仙台 - 首都圏・東北各都市間のビジネス客による需要や、東北新幹線車内の需要、観光客による需要が多いこと、仙台は山海の食材が豊富に揃う、といった点から駅弁の種類が増加していった。「伯養軒」と「こばやし」の2つの業者が1つの駅で競い合っていたことに加え、現在は先の2社の他に「日本レストランエンタプライズ」(NRE) が加わっている。「牛タン」弁当が売上一番であるが、他にも駅弁が数多く作られている。 この他に、NREがJR東日本管内の有名駅弁を集めて販売している売店「駅弁屋 旨囲門」や「駅弁屋 祭」が中央改札外にあり、全国の主な駅弁も当駅で購入できる[46]

駅弁以外にも、歩きながら食べられる安価なグルメとして「ずんだシェイク」が認知されている。中央通り笹かまぼこ屋の「ひょうたん揚げ」、一番町のお茶屋の「抹茶ソフトクリーム」と並び、仙台の三大食べ歩きグルメとなっている。駅3階の新幹線中央改札口の脇に、「牛たん通り」「寿司通り」と称して、仙台牛タン焼きの店とすし屋が軒を連ねている[58]

利用状況

年度 一日平均乗車人員[59]
国鉄 / JR東日本 仙台市地下鉄
新幹線 南北線 東西線 2路線計
1908 1,196        
1909 1,193
1910 1,136
1935 4,538
1990 84,260 - 32,336
1998 97,549 22,588 36,584
1999 95,708 22,569 36,730
2000 78,195 22,474 37,958
2005 76,723 22,496 36,573
2010 74,672 20,439 33,652
2011 64,498 20,896 33,505
2012 80,171 24,319 36,378
2013 83,540 26,093 37,316
2014 82,706 25,080 37,156
2015 84,964 26,029 37,876 10,728 48,604

JR東日本

  • 2015年度の1日平均乗車人員は、84,964人。JR東日本全体で51位であり、狭義の首都圏(南関東1都3県)以外の駅では最多。また、首都圏中京圏近畿圏を除く政令指定都市の中心駅の中では博多駅札幌駅に次いで多い。
    • 新幹線:2015年度の乗車人員は、1日平均26,029人東京駅大宮駅に次いで3番目に多い。
一日平均乗車人員(単位:人/日)
  仙台駅
  仙台駅
備考
  • 2000年に乗車人数が急減しているのは、仙石線あおば通駅が開業したためである。
  • 2011年度は東北地方太平洋沖地震の影響により大幅な減少となったものの、翌年にはV字回復となり、その後継続した増加傾向を見せている。
  • 旅客収入額(駅の売上額)はJR東日本では東京駅新宿駅に次ぐ第3位である。

仙台市地下鉄

  • 2015年度の1日平均乗車人員は、48,604人である(南北線 : 37,876人(乗換 : 8,105人)、東西線 : 10,728人(乗換 : 8,521人))[60]
    • 仙台市地下鉄の駅の中では最多。

駅周辺

仙台駅周辺地区は、国土交通省の『都市景観100選』に選ばれている。西口と東口のペデストリアンデッキの階段、および、地下鉄の出入口付近にはロードヒーティングが設置されている[61][62]

西口(中央口)

仙台駅西口南側より北側を望む(2011年10月)
仙台駅西口北側に建ち並ぶビル群(2012年5月)

西口(中央口)側は、伊達政宗仙台城下町を開府して以来の仙台の中心地である。メインストリートである青葉通りは、大手銀行や証券会社が連なり、金融街を形成している。

1887年明治20年)12月15日東北本線の仙台駅開業の際、駅舎が現在の西口に設置されて成立した。西口にはその後、1925年大正14年)6月5日宮城電気鉄道・仙台駅(1952年移設)、1926年(大正15年)11月25日仙台市電仙台駅前駅1976年廃止)、1987年(昭和62年)7月15日仙台市地下鉄・仙台駅、2000年(平成12年)3月11日にJRあおば通駅が設置され、仙台の玄関口として機能している。

2階コンコースと直結するペデストリアンデッキは、新幹線開業前の1977年12月に完成したもので、その面積・総延長距離は日本一である。ペデストリアンデッキは、アエルさくら野百貨店LoftLABIEBeanS仙台パルコといった、駅前に立地する大型店をはじめとするビルの2階部に接続している。

駅西口と中央改札口との間にある「ステンドグラス前」は、仙台市都心部の待ち合わせ場所として利用されている。以前はステンドグラス横に伊達政宗像(2代目)があり、「伊達前」と呼ばれていたが、2008年10月から12月の仙台・宮城デスティネーションキャンペーンに向けた駅改修のため、同年3月1日をもって大崎市に譲渡され、同月16日より同市にある陸羽東線有備館駅に移設された。また同年2月1日より、4代目の駅舎に設置されていたものを復刻したアナログ式の大時計が2階中央改札口前のコンコース壁面に設置されている。「ステンドグラス前広場」は催事場として、各種の物販イベントやギャラリーなどに用いられる。また、ステージを設置して、無料のミニコンサートもしばしば開催される[63]定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台仙台ゴスペル・フェスティバルでは、ペデストリアンデッキ上で演奏が行われる。

仙台駅西口駅前広場には、北から「一般車降車場」(一般車用の降車ロータリー)およびそれに囲まれた仙台駅自家用車駐車場(平面駐車場。60台駐車可。最初の20分間は無料、以後200円/30分)、「ロータリー降車場」(タクシー、観光バス、一般車の降車)、「タクシープール」、「仙台駅西口バスプール」が並んでいる。2008年のデスティネーションキャンペーンに合わせ、一般車から降車する場合は、「一般車降車場」または「ロータリー降車場」を使用し、一般車に乗車する場合は、仙台駅自家用車駐車場を使用するよう変更された[64]

西口北側は、繁華街である一番町に通じるショッピングストリート中央通りが東西に伸び、多くの買い物客で賑わう。西口南側の南町通り柳町通りの間(EBeanSの裏)には「仙台朝市」があり、生鮮食料品を始めとする店舗が立ち並ぶ。

郵便局

駅1階に所在。郵便窓口とATMは休日も稼働。1882年(明治15年)に仙台郵便局名掛町分局として開設され、「仙台名懸町郵便局」「仙台停車場前郵便局」「仙台駅前郵便局」の名称を経て、1984年(昭和59年)より現名称となっている。なお、2005年(平成17年)までは、駅東口に当局の臨時出張所が設置されていた。「臨時」という名称だが、常設の有人窓口であった。

東口(宮城野通口)

東口(2007年11月)

東口側には、仙台城下町の開府前に仙台平野の中心地があったが、現在の町並みとの関連は薄い。1882年(明治15年)2月25日、県内初の軌道である宮城木道(木道社)が東六番丁13番地に東六番丁停車場を設置し貨物輸送を始めるが、1887年(明治20年)12月15日に東北本線の仙台駅が東六番丁に設置されて廃線となった。その後、1929年(昭和4年)6月1日宮城電気鉄道東七番丁駅が設置され、仙台東口駅、仙石線仙台駅と改称しながらも東口の動線を集めていた。1978年(昭和53年)3月18日に仙台駅構内に東西自由通路が開通して西口と繋がり、仙台駅東第一土地区画整理事業により宮城野通りが開通し、2000年(平成12年)3月11日に仙石線仙台駅が地下化され、オムニバスタウン事業により東口の整備が進むと、東口の動線は現在の宮城野通口に集まるようになった。

このような変化により、中小規模の店舗が多かった東口周辺にヨドバシカメラ仙台店などの大型店が進出した。2003年に撤退した旧ラオックス跡にはBiVi仙台駅東口がオープンした。他方で駅前広場の再開発も進められ、2004年7月に東口ペデストリアンデッキが新たに供用を開始し、同時に高速バス乗り場も整備された。現在、JRバス東北日本中央バス宮城交通などが高速バス乗り場を使用している。

仙石線地上線跡地一帯では仙台駅東第二土地区画整理事業が進められ[65]、マンション開発を中心に高度利用が進む[66]。さらに、地下鉄東西線開業に伴い宮城野通駅が新たに開業予定。JR東日本が東口再開発事業を進め、商業施設・ホテル・オフィスの4棟の駅ビル及び在来線改札口を新設[39]。ヨドバシカメラも連鎖再開発事業を実施するなど[67][68]、長らく「駅裏」と呼ばれてきた地区が変わりつつある。

東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、楽天Koboスタジアム宮城への最寄り駅は仙石線の宮城野原駅であるが、仙台駅東口ペデストリアンデッキから球場正面入口までは宮城野通りを一直線に約1.6km、徒歩20分程で行くことができる。また試合開催時に限り、東口バスプール - 宮城球場間のシャトルバス(仙台市営バス・宮城交通の共同運行、運賃100円)が運行されるほか、JRバス東北の高速バスの一部が延長運転し宮城球場前まで乗り入れる。

バスのりば

隣の駅

新幹線各列車と在来線特急列車は列車記事を参照。

東日本旅客鉄道
■東北新幹線
白石蔵王駅 - 仙台駅 - 古川駅
秋田新幹線・■北海道新幹線
大宮駅[注 3] - 仙台駅 - 盛岡駅[注 4]
東北本線
快速「仙台シティラビット
長町駅 - 仙台駅
普通
長町駅 - 仙台駅 - 東仙台駅
常磐線
普通
長町駅 - 仙台駅
仙台空港アクセス線[注 5]
快速
名取駅 - 仙台駅
普通
長町駅 - 仙台駅
仙石東北ライン
特別快速・快速(赤快速)
仙台駅 - 塩釜駅
快速(緑快速)
仙台駅 - 東仙台駅
仙山線
快速(一部)
仙台駅 - 北仙台駅
快速・普通
仙台駅 - 東照宮駅
仙石線
普通
あおば通駅 - 仙台駅 - 榴ケ岡駅
仙台市地下鉄
南北線
広瀬通駅 (N09) - 仙台駅 (N10) - 五橋駅 (N11)
東西線
青葉通一番町駅 (T06) - 仙台駅 (T07) - 宮城野通駅 (T08)

脚注

注釈

  1. ^ 『仙台駅百年史』24頁は、12月20日あるいは3月とする説も紹介しているが、当時の新聞記事から12月15日が確実とする。
  2. ^ 南北線のみ。
  3. ^ 通常ダイヤでは大宮駅 - 仙台駅間の途中駅に停車する列車はない。
  4. ^ 通常ダイヤでは仙台駅始発終着の1往復/日のみ、盛岡駅までの各駅に停車する。
  5. ^ 仙台空港鉄道仙台空港線では、仙台空港方面を「上り」、仙台方面を「下り」としている。公式サイトの「時刻表・各駅情報」に明記あり。

出典

  1. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  2. ^ a b c 「渡辺信夫歴史論集 1 『近世東北地域史の研究』」(2002年7月20日発行 ISBN 4-7924-0519-X) P.502
  3. ^ 宇和島伊達家の参勤交代 (PDF) (第19回 宇和島市民歴史文化講座「そこ・どこや」 2011年1月16日)
  4. ^ 明治天皇行幸年表(明治天皇聖蹟保存会 編、1933年)
  5. ^ 明治実業家列伝10 橋本忠次郎 (PDF) (仙台商工会議所「飛翔」 2012年9月号 P.19)
  6. ^ 『仙台駅百年史』22頁
  7. ^ a b 宮城県公文書館だより 8号 (PDF) - 宮城県公文書館(2005年12月)
  8. ^ 1999年刊 『仙台市史』 資料編5 (近代現代1 交通建設) 84-94頁に複数の請願書をおさめる
  9. ^ 『仙台駅百年史』 22頁
  10. ^ 2008年刊 『仙台市史』通史編6(近代1)192頁
  11. ^ 『仙台駅百年史』27頁
  12. ^ 佐藤静吉・画 「仙台鉄道停車場の図」、『仙台駅百年史』 79頁に掲載
  13. ^ 『仙台駅百年史』27頁に、階下2543坪とあるのをもとに計算
  14. ^ 『仙台駅百年史』36頁により計算。
  15. ^ 『仙台駅百年史』35頁
  16. ^ 『明治四十三年仙台市統計一班』127頁。
  17. ^ a b c 「仙台駅の今昔」
  18. ^ 『仙台駅百年史』43-44d頁。
  19. ^ 『仙台駅百年史』47頁。
  20. ^ 『仙台駅百年史』48頁、57頁、129-130頁。
  21. ^ 『仙台駅百年史』49頁。
  22. ^ 『仙台駅百年史』157-159頁。
  23. ^ 『仙台駅百年史』51頁、57頁。
  24. ^ 『仙台市史』通史編8(現代1)21-221頁。列車の沿革については東北本線優等列車沿革も参照。
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参考文献

  • JR東日本仙台駅編『仙台駅百年史』、JR東日本仙台駅、1987年。
  • 仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編6(近代1)、仙台市、2008年。
  • 仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編8(現代1)、仙台市、2011年。
  • 仙台市史編さん委員会『仙台市史』資料編5(近代現代1 交通建設)、仙台市、1999年。
  • 仙台鉄道管理局編『仙台鉄道管理局40年史』、仙台鉄道管理局、1960年。
  • 三宅俊彦「仙台駅の今昔」『鉄道ピクトリアル』第833巻、電気車研究会、2010年5月、pp.17 - 24。 

同じ読みの駅

関連項目

外部リンク