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*[[明治維新以前に日本に入国した欧米人の一覧]]
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*[[日英関係]]
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*『消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿』([[翔田寛]]著、2008年、東京創元社 ISBN: 978-4488480011) - ワーグマンを探偵役とした推理小説。
*『消えた山高帽子 チャールズ・ワーグマンの事件簿』([[翔田寛]]著、2008年、東京創元社 ISBN 978-4488480011) - ワーグマンを探偵役とした推理小説。


== 外部リンク ==
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2016年11月15日 (火) 16:47時点における版

チャールズ・ワーグマン(Charles Wirgman、1832年8月31日 - 1891年2月8日)は、イギリス人の画家漫画家幕末期に記者として来日し、当時の日本のさまざまな様子・事件・風俗を描き残すとともに、「ポンチ絵」のもととなった日本最初の漫画雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊した。また、五姓田義松高橋由一をはじめとする様々な日本人画家に洋画の技法を教えた。

生涯

1861年10月12日のイラストレイテド・ロンドン・ニュースに掲載された、ワーグマン画による第一次東禅寺事件。乗馬用の鞭で反撃する一等書記官オリファント。襖の陰に隠れているのが長崎領事モリソン。

1832年ロンドンのスウェーデン系の家で生まれ、1852年ごろパリにて絵を学んだといわれ、またそのころ陸軍に入隊して大尉を務めたとされるなど、不明な点が多い。1857年に「イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ」の特派記者兼挿絵画家として広東アロー戦争の取材のため来訪。1861年4月25日に長崎を訪れ、その後イギリス公使オールコックの一行に伴って、陸路を通り江戸まで旅行するが、7月5日(文久元年5月28日)にイギリス公使館となっていた東禅寺にて水戸藩浪士の襲撃を受ける。この時ワーグマンは、縁の下に避難しながら事件の一部始終を記録し、これを記事とスケッチにして横浜から発信している。

1862年には居留外国人向けの雑誌『ジャパン・パンチ』を創刊。これはイギリスの風刺漫画雑誌パンチを模したものである。ただし多忙のためか、第2号は1865年に発刊されており、そののち22年間にわたって月刊誌として刊行されていった。

1863年、日本人女性の小沢カネと結婚。この年薩英戦争が勃発、ワーグマンも取材のために写真家フェリーチェ・ベアトとイギリス艦隊に同行し記事などを書いている(彼とは後に「ベアト・アンド・ワーグマン商会」を設立している)。また同年から翌1864年にかけて、下関戦争についても記事や挿絵をロンドンに送っている。同年、長男の一郎が誕生。

1865年五姓田義松がワーグマンの許に入門、翌1866年には高橋由一が入門する。また1874年には小林清親が入門しようと尋ねた。

ワーグマン画による1867年8月10日のイラストレイテッド・ロンドン・ニューズの挿絵。大坂城内で徳川慶喜に訓練を披露する英国陸軍第9連隊の兵士。

1867年ハリー・パークスアーネスト・サトウに伴い、徳川慶喜との会見に臨むため大坂に出立。このとき大坂の風景スケッチとともに、慶喜の肖像画も描いている。その後、江戸に向かう途中の掛川宿例幣使の襲撃を受けるが、かろうじて難を避けることができた。

1885年(明治18年)、『A Sketch Book of Japan』を刊行[1][2]

1887年3月にジョルジュ・ビゴーへの挨拶を含めた『ジャパン・パンチ』の最終号を発刊。イギリスに帰国する。翌1887年に弟ブレイクとロンドンで展覧会を開いた後、再び来日するが病に倒れる。

1891年横浜にて58歳で死去、横浜外人墓地に葬られる[3]。毎年命日の2月8日には、横浜文芸懇話会によって、「ポンチ・ハナ祭り」(ワーグマン祭)がワーグマンの墓前にて開かれている[4][5]。ちなみに彼の直系の子孫は1945年に途絶えて存在しないとされる。

脚注

  1. ^ 清水勲編『ワーグマン日本素描集』 
  2. ^ 立教大学図書館パンフレット「ワーグマン『日本素描集』、ちりめん本 (Crepe Paper Book)」]
  3. ^ 妻・カネと長男・一郎は善行寺(横浜市中区)に眠る。
  4. ^ 伊川公司『ハマことば』神奈川新聞社、2000年。
  5. ^ 「開港100年祭」にちなんで、1958年2月8日、ヨコハマ話の波止場や横浜ペンクラブが中心となり「ワーグマン追慕式」が開催され、その後、「ワーグマン祭」として引き継がれた。(羽田博昭「日本愛妻会と横浜ペンクラブ(2)」『市史通信』第5号、横浜市史資料室、2009年7月)

参考文献

  • 清水勲編『ワーグマン日本素描集(岩波文庫)』岩波書店 1987年

関連項目

外部リンク

チャールズ・ワーグマンの業績を紹介した展覧会