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*New York Dada 1915-23, Francis M. Naumann, Harry N. Abrams, 1994, ISBN |
*New York Dada 1915-23, Francis M. Naumann, Harry N. Abrams, 1994, ISBN 0810936763, ISBN 978-0810936768 |
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==関連項目== |
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2016年11月15日 (火) 16:40時点における版
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2012年12月) |
ニューヨーク・ダダとは、ニューヨークにて、1910年代半ばに起こったダダのことをいう。同時期に、ヨーロッパのチューリヒ等で起こったダダと対応しているが、その発生は独立したものであり、ダダ的な思想を持っていたが、意識的・集団的なものではなかった。
中心メンバーは、1913年のアーモリー・ショーののちにフランスから渡米し、そのままアメリカにいついてしまった、
- マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp; 1887年-1968年)
のほか、
- マン・レイ (Man Ray; 1890年-1976年)
- フランシス・ピカビア (Francis Picabia; 1879年-1953年)
がいる。さらに、アメリカ出身の美術家としては、例えば、
- モートン・シャンバーグ(Morton Livingston Schamberg, 1881年-1918年)
がいる。
デュシャンの作品としては、レディ・メイドが、ニューヨーク・ダダを象徴する作品である。世の中一般ではなく、とりわけ、自分がかかわっている芸術そのものを、高貴な場所から引きずりおろし、皮肉り、知的に冷笑するというその態度は、既成の価値や概念を否定する(ひいては自己否定にまで向かう)ダダの典型である。
また、「アメリカ合衆国」という観点から見ると、主要なメンバー3人のうちマルセル・デュシャンとフランシス・ピカビアの2人がアメリカの出身ではなく、残りのマン・レイもアメリカ合衆国出身ではあるものの両親はユダヤ系(スラブ地域)であり、思想的にヨーロッパ由来の運動という色彩がある。
なお、ニューヨーク・ダダは、パリのダダと異なり、シュルレアリスムに向かわなかった点においても、大きな特徴をもっている。
参考文献
- New York Dada 1915-23, Francis M. Naumann, Harry N. Abrams, 1994, ISBN 0810936763, ISBN 978-0810936768