コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「酒匂 (軽巡洋艦)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
MomijiRoBot (会話 | 投稿記録)
m Bot: </br> → <br /> ∵Tag with incorrect/obsolete syntax: Check Wikipedia #2
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m cewbot: 修正ウィキ文法 26: HTMLの<b>タグの使用
51行目: 51行目:
|搭載量 =
|搭載量 =
|兵装 = [[50口径四十一式15cm砲|50口径15cm連装砲]] 3基6門 <ref name="Ippan-p4">「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」4頁。</ref><br />[[六〇口径九八式八糎高角砲|九八式8cm連装高角砲]]2基4門 <ref name="Ippan-p4" /><br /> 25mm機銃 3連装10基<br />同 単装機銃18挺、据付台座13基(竣工時)<ref name="A-go">「あ号作戦後の巡洋艦兵装状況一覧表」[[#世界巡洋艦物語]]p.356。</ref><br />同 単装機銃21挺(最終時平時推定)<ref name="矢萩登p24">[[#矢萩登]]p.24。「1/200酒匂甲板敷物配置図」からの推定。</ref><br />同 単装機銃31挺(最終時戦時推定)<ref name="矢萩登p24" /><br />九二式四連装[[魚雷発射管|発射管]]四型2基8門<ref name="Ippan-p6">「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」6頁。</ref><ref group="注釈">梅野和夫[[#阿賀野型の水雷兵装]]によると九二式四連装発射管一型。</ref><br />[[酸素魚雷|九三式一型改一魚雷]]16本<ref name="Ippan-p6" /><br />爆雷投下軌道2本<ref>[[#JapaneseCruisers]]p.604下の写真による。</ref><br />九五式[[爆雷]]18個<ref name="Ippan-p6" />
|兵装 = [[50口径四十一式15cm砲|50口径15cm連装砲]] 3基6門 <ref name="Ippan-p4">「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」4頁。</ref><br />[[六〇口径九八式八糎高角砲|九八式8cm連装高角砲]]2基4門 <ref name="Ippan-p4" /><br /> 25mm機銃 3連装10基<br />同 単装機銃18挺、据付台座13基(竣工時)<ref name="A-go">「あ号作戦後の巡洋艦兵装状況一覧表」[[#世界巡洋艦物語]]p.356。</ref><br />同 単装機銃21挺(最終時平時推定)<ref name="矢萩登p24">[[#矢萩登]]p.24。「1/200酒匂甲板敷物配置図」からの推定。</ref><br />同 単装機銃31挺(最終時戦時推定)<ref name="矢萩登p24" /><br />九二式四連装[[魚雷発射管|発射管]]四型2基8門<ref name="Ippan-p6">「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」6頁。</ref><ref group="注釈">梅野和夫[[#阿賀野型の水雷兵装]]によると九二式四連装発射管一型。</ref><br />[[酸素魚雷|九三式一型改一魚雷]]16本<ref name="Ippan-p6" /><br />爆雷投下軌道2本<ref>[[#JapaneseCruisers]]p.604下の写真による。</ref><br />九五式[[爆雷]]18個<ref name="Ippan-p6" />
|装甲 = <b>計画</b><ref name="Ippan-p20">「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」20頁。</ref><br />機関部舷側 60mmCNC鋼、甲板 20mmCNC鋼<br />弾火薬庫舷側55mmCNC鋼、甲板20mmCNC鋼<br />舵取機室舷側 30mmCNC鋼、甲板20mmCNC鋼<br />操舵室舷側 30mmCNC鋼
|装甲 = '''計画'''<ref name="Ippan-p20">「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」20頁。</ref><br />機関部舷側 60mmCNC鋼、甲板 20mmCNC鋼<br />弾火薬庫舷側55mmCNC鋼、甲板20mmCNC鋼<br />舵取機室舷側 30mmCNC鋼、甲板20mmCNC鋼<br />操舵室舷側 30mmCNC鋼
|搭載艇 =<b>平時</b><ref>[[#JapaneseCuisers]]p.593</ref><br />11m内火艇1隻<br />9m内火艇1隻<br />12m内火ランチ1隻<br />9mカッター(救助艇)2隻<br />
|搭載艇 ='''平時'''<ref>[[#JapaneseCuisers]]p.593</ref><br />11m内火艇1隻<br />9m内火艇1隻<br />12m内火ランチ1隻<br />9mカッター(救助艇)2隻<br />
<b>戦時</b><ref name="矢萩登p24" /><br />11m内火艇1隻<br>9mカッター1隻
'''戦時'''<ref name="矢萩登p24" /><br />11m内火艇1隻<br>9mカッター1隻
|搭載機 = 計画 水偵2機<ref name="Umeno">梅野和夫[[#阿賀野型の航空兵装]]</ref>
|搭載機 = 計画 水偵2機<ref name="Umeno">梅野和夫[[#阿賀野型の航空兵装]]</ref>
|レーダー = [[21号電探]]1基<ref name="A-go" /><br />[[22号電探]]2基<ref name="A-go" /><br />[[13号電探]]1基<ref name="A-go" />
|レーダー = [[21号電探]]1基<ref name="A-go" /><br />[[22号電探]]2基<ref name="A-go" /><br />[[13号電探]]1基<ref name="A-go" />

2016年11月15日 (火) 16:13時点における版

酒匂
佐世保軍港における酒匂(1944年11月)
佐世保軍港における酒匂(1944年11月)
基本情報
建造所 佐世保海軍工廠[1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 二等巡洋艦
級名 阿賀野型
母港 横須賀
艦歴
計画 1939年マル4計画
起工 1942年11月21日[1]
進水 1944年4月9日[1]
竣工 1944年11月30日[1]
除籍 1945年10月5日[2]
その後 標的艦としてクロスロード作戦に使用され1946年7月2日沈没[2]
要目
基準排水量 計画 6,651英トン[3] または 6,652英トン[1]
公試排水量 計画 7,710トン[1]
実際 7,894.71トン[4]
満載排水量 計画 8,338.4トン[3]
実際 8,533.52トン[4]
全長 174.50m[1]
水線長 172.00m[1]
垂線間長 162.00m[1]
最大幅 15.20m[1]
深さ 10.17m[1]
吃水 公試平均(計画) 5.63m[3][1]
公試平均(実際) 5.71m[5]
ボイラー ロ号艦本式重油専焼缶(空気余熱器付)6基[1]
主機 艦本式高中低圧タービン4基[1]
推進 4軸[1]
出力 計画 100,000hp[1]
速力 計画 35ノット[1]
燃料 計画 重油 1,420トン[1]
航続距離 計画 6,000カイリ / 18ノット[1]
乗員 計画乗員 700名 + 司令部26名[6]
兵装 50口径15cm連装砲 3基6門 [7]
九八式8cm連装高角砲2基4門 [7]
25mm機銃 3連装10基
同 単装機銃18挺、据付台座13基(竣工時)[8]
同 単装機銃21挺(最終時平時推定)[9]
同 単装機銃31挺(最終時戦時推定)[9]
九二式四連装発射管四型2基8門[10][注釈 1]
九三式一型改一魚雷16本[10]
爆雷投下軌道2本[11]
九五式爆雷18個[10]
装甲 計画[12]
機関部舷側 60mmCNC鋼、甲板 20mmCNC鋼
弾火薬庫舷側55mmCNC鋼、甲板20mmCNC鋼
舵取機室舷側 30mmCNC鋼、甲板20mmCNC鋼
操舵室舷側 30mmCNC鋼
搭載艇

平時[13]
11m内火艇1隻
9m内火艇1隻
12m内火ランチ1隻
9mカッター(救助艇)2隻

戦時[9]
11m内火艇1隻
9mカッター1隻
搭載機 計画 水偵2機[14]
レーダー 21号電探1基[8]
22号電探2基[8]
13号電探1基[8]
その他 呉式二号五型射出機1基[14]
テンプレートを表示

酒匂(さかは/さかわ)は、太平洋戦争中に建造された大日本帝国海軍軽巡洋艦[15]阿賀野型の4番艦。名前は静岡県および神奈川県を流れる酒匂川からとられている[16]。戦争末期に竣工したため、作戦参加の機会もなく太平洋戦争終戦時、七尾湾にて無傷で残存していた。終戦後は復員船として活動した。最終的にアメリカ軍の原爆実験クロスロード作戦)の標的艦となり沈没した。

艦歴

建造から終戦まで

仮称艦名「第135号艦」[1][17]。1942年(昭和17年)9月25日、第134号艦(阿賀野型軽巡3番艦矢矧)が佐世保海軍工廠で進水[18]。10月31日、阿賀野型軽巡1番艦「阿賀野」が竣工[19]、佐世保を離れた。11月21日、潜水艦2隻(第376号艦《伊46潜水艦》第377号艦《伊47潜水艦》)と軽巡1隻(第135号艦《酒匂》)は佐世保工廠において起工した[20][21]

1943年(昭和18年)12月29日、佐世保で建造中の姉妹艦矢矧が竣工、第十戦隊に編入された[22]。 1944年(昭和19年)4月1日、第135号艦を酒匂と命名[15]、同日附で軍艦籍に加入された[23]4月9日進水。同日附で横須賀鎮守府在籍[24]。 8月28日、佐世保工廠に酒匂艤装員事務所を設置[25]。 9月25日、日本海軍は大原利道大佐を酒匂艤装員長に任命する[26]。大原は、吹雪型駆逐艦磯波駆逐艦長[27]、朝潮型駆逐艦初代駆逐艦長[28]、第19駆逐隊(浦波敷波天霧)司令[29]等を歴任していた。 11月10日、酒匂艤装員事務所は閉鎖され[30]、大原(酒匂艤装員長)は制式に酒匂艦長となる[31]。 同年11月30日、「酒匂」は竣工し[32]、連合艦隊附属となる[33]。その後、佐世保から[34]呉に回航される[35][36]。 12月11日より第十一水雷戦隊(司令官高間完少将)旗艦となる[37][38][注釈 2]

第十一水雷戦隊は新造艦艇の訓練を目的に編制された部隊で[39]、酒匂の編入当時は松型駆逐艦秋月型駆逐艦を主力としていた。1945年(昭和20年)1月8日には、人間魚雷「回天」母艦に改造された軽巡洋艦北上も第一訓練部隊(第十一水雷戦隊麾下)に編入されている[40]。第7駆逐隊に編入される前の吹雪型駆逐艦も短期間所属した[41][42]

上記にあるように、酒匂は作戦参加の機会もなく専ら内地で訓練に従事していた[43][44][45]

1945年(昭和20年)3月には姉妹艦にして第二水雷戦隊旗艦矢矧とともに天一号作戦(戦艦大和沖縄水上特攻作戦)に参加する予定となり呉に移動したが、直前になって酒匂の出撃は中止された。瀬戸内海八島へ移動[46]。5月5日、第7駆逐隊の解隊[47]にともなって響は第105戦隊に編入され、第十一水雷戦隊の指揮下を離れた[48][49]。 5月10日、酒匂は駆逐艦部隊(秋月型駆逐艦《夏月宵月》、松型駆逐艦《》)を率いて八島を出発し、訓練地へ向かった3隻(梨、椎、榎)をのぞいて呉に到着[50]。5月20日まで酒匂は呉で待機する[51]。同時期、北上および駆逐艦波風(回天母艦)は海上挺進部隊として鹿児島湾での訓練を命じられ、同地へ移動した[52]

5月27日、酒匂は松型駆逐艦を率いて呉を出発、舞鶴へ向かった[53]。航海中、触底してスクリューに軽微な損傷を受ける[54]。27日、4隻(酒匂、菫、)は舞鶴に到着[55]。同地には、すでに第17駆逐隊(雪風初霜)も到着していた[56]。 6月1日、酒匂は小浜湾へ移動し、待機を続けた[57][58]。燃料不足のため、陸上から電気を引き、ボイラーの火は消された状態となった。

7月1日、第十一水雷戦隊司令官は高間完少将から松本毅少将へ交代[59][60]。7月10日に着任した松本少将は「酒匂」の視察をおこなう[61]。 7月15日、第十一水雷戦隊は解隊された[62][63]。先任参謀松原瀧三郎大佐は第17駆逐隊司令へ転任[63]。本艦は特殊警備艦に指定される[64]。 7月19日、舞鶴市に回航され、若狭湾の一角に停泊する[65]B-29が投下した機雷によって艦尾附近に若干の損傷を受けたこともあったという[65]。訓練すら出来なくなった後は、埠頭に横付けして藁の縄と植物で艤装を行った[65]。藁に引火する恐れがあるため、対空射撃も禁止された[65]。 終戦時は七尾湾にて無傷で残存され、1945年10月5日に除籍された[66]

終戦-復員輸送

1945年(昭和20年)12月1日、酒匂は特別輸送艦に指定された。釜山、南洋諸島、ニューギニア、台湾などを航海し、復員輸送に従事した。阿賀野型巡洋艦の定数乗組員約900名に対しこの時点の酒匂には約300名しか乗艦しておらず、武装を撤去し甲板に居住区やトイレが設置された[67]。武装については、主砲は砲塔を残し砲身のみ撤去、その他に高角砲、魚雷発射管、機銃、各射撃指揮装置、探照燈、射出機、13号電探、22号電探なども撤去された[68]。艦内秩序は維持され、同乗した豪州海軍の少尉が敬礼を求めると、大原艦長は「こっちは大佐だ」とやり返したという[69]

また北海道函館港から朝鮮半島釜山港へ、朝鮮半島出身労働者(約1000名)を送り届けたこともあった[70]。当時の乗組員の手記によれば、この時、士官居住区解放を求める朝鮮半島出身労働者と酒匂の乗組員との間に対立が起こった[71]。だが、酒匂が沖合いに出て猛烈な時化に襲われると彼らは船酔いに悩まされ、交渉は取りやめとなった[72]。この時、朝鮮系労働者が航海中甲板の至るところで嘔吐・排便排尿をしたため、彼らが下艦した後、その処理に酒匂の乗員は泣かされることになったという[73]。また釜山港の埠頭には多数の民衆が集まって朝鮮人労務者を歓迎し、英雄として迎え入れた[70]。目撃した岩松(酒匂航海士)は繰り返される万歳に複雑な想いを抱き、強い印象を受けたと回想している[70]

ビキニ環礁へ

1946年(昭和21年)2月11日、大原大佐(酒匂艦長/第二復員官)は雲龍型航空母艦3番艦葛城艦長へ転任された[74]。2月25日、酒匂は特別輸送艦の指定を解除された[75]。その後、核実験クロスロード作戦)の標的艦として戦艦長門などとともに、横須賀でアメリカ海軍に引き渡された[76]。帝国海軍乗員による操縦指導が東京湾で行われたが、意思疎通不足によって主蒸気管が閉鎖されないまま巡航タービンのクラッチが切られた[注釈 3]。無負荷となった巡航タービンは規定回転数を超えて暴走し、その轟音を聞いた日本兵とアメリカ兵はあわててタービン室から逃げだして事なきを得た。結果タービン1基が破損し3軸運転となった。操縦指導は20日間に渡って実施された。ビキニ環礁への移動に2名の日本兵の添乗が求められたが、日本兵が断ったためアメリカ海軍兵員によってのみ行われた。後にこの日本兵はビキニについていけばよかったと後悔している[注釈 4]

1946年7月1日 ビキニ環礁で行われたクロスロード作戦にともなう核実験(A-実験 空中爆発)では、酒匂は目標艦ネバダの約500~600m地点に配置されていた[77]。だが爆心地点がずれ、ほぼ上空で原子爆弾が爆発した。その強力な爆風により艦橋より後方の構造物は、前方へなぎ倒された[78][79]。艦尾部分は24時間近く炎上し、また艦尾にも亀裂が生じて浸水がはじまった[77]。酒匂は7月2日、浅瀬への曳航作業中に左舷へ傾斜し始め艦尾から沈没しその艦歴に幕を閉じたのであった[77]。現在は水深60mの海底に眠っている[80]

歴代艦長

※『艦長たちの軍艦史』175-176頁に基づく。

艤装員長

  1. 大原利通 大佐:1944年9月25日[26] - 11月10日[31]

艦長

  1. 大原利通 大佐:1944年11月10日[31] - 1946年2月11日[74]

同型艦

脚注

注釈

  1. ^ 梅野和夫#阿賀野型の水雷兵装によると九二式四連装発射管一型。
  2. ^ 高間少将は、1942年7月より第四水雷戦隊司令官として第三次ソロモン海戦などガダルカナル島の戦いに従事。1943年7月20日より第二水雷戦隊司令官として阿賀野型2番艦能代座乗。12月15日より第十一水雷戦隊司令官。
  3. ^ アメリカと日本のタービンの操作手順の違いによって、この誤動作は起きた
  4. ^ 原爆実験のことは教えられていなかった

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t #昭和造船史第1巻784-785頁。
  2. ^ a b #写真日本の軍艦第9巻p.105。
  3. ^ a b c 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」2頁の計画値「註.上記ノモノハ昭和十四年十月十三日艦本機密決第五三八号ニ依ル基本計画当初ノモノヲ示ス」。
  4. ^ a b #JapaneseCruisersp.565, TABLE 11.7.
  5. ^ #JapaneseCruisersp.563.
  6. ^ 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」22頁。
  7. ^ a b 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」4頁。
  8. ^ a b c d 「あ号作戦後の巡洋艦兵装状況一覧表」#世界巡洋艦物語p.356。
  9. ^ a b c #矢萩登p.24。「1/200酒匂甲板敷物配置図」からの推定。
  10. ^ a b c 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」6頁。
  11. ^ #JapaneseCruisersp.604下の写真による。
  12. ^ 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」20頁。
  13. ^ #JapaneseCuisersp.593
  14. ^ a b 梅野和夫#阿賀野型の航空兵装
  15. ^ a b #達昭和19年4月(1)p.8『達第百二號 佐世保海軍工廠ニ於テ建造中ノ軍艦一隻ニ左ノ通命名セラル 昭和十九年四月一日 海軍大臣 嶋田繁太郎 軍艦 酒匂(サカハ)』
  16. ^ #聯合艦隊軍艦銘銘伝p.131。
  17. ^ #S1812佐鎮日誌(1)p.20『第百三十五號艦|起工十七.十一.二十一|進水 |竣工豫定十九.十一.末』
  18. ^ #S1711佐鎮日誌(1)p.22『矢矧(百三十四)|十六.十一.十一|十七.九.二十五|十八.十一.末』
  19. ^ #S1710佐鎮日誌(1)p.17『阿賀野十月三十一日竣工』
  20. ^ #S1711佐鎮日誌(1)p.23『十一月二十一日第三百七十六號艦、第三百七十七號艦及第一三五號艦起工』
  21. ^ #S1711佐鎮日誌(4)p.40『二十一(天候略)第三七六、第三七七、第一三五號艦佐廠ニ於テ起工』
  22. ^ #S1812佐鎮日誌(4)p.52『二十九(天候略)二.矢矧ヲ第十戰隊ニ編入セラル|矢矧佐廠ニ於テ竣工』
  23. ^ #内令昭和19年4月(1)p.1『内令第五百二十二号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年四月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦二等阿賀野型ノ項中「矢矧」ノ下ニ「、酒匂」ヲ加フ』
  24. ^ #内令昭和19年4月(1)p.13『内令第五百三十三号 軍艦 酒匂 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル 昭和十九年四月九日 海軍大臣嶋田繁太郎』
  25. ^ 昭和19年8月28日(月)海軍公報第4783号 p.34」 アジア歴史資料センター Ref.C12070496300 『○事務開始(略)酒匂艤装員事務所ヲ八月二十一日佐世保海軍工廠内ニ設置シ事務ヲ開始セリ』
  26. ^ a b 昭和19年9月28日(発令9月25日付)海軍辞令公報(部内限)第1604号 p.38」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101000 
  27. ^ 昭和13年3月15日(発令3月15日付)海軍辞令公報(部内限)第149号 p.24」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073500 
  28. ^ 昭和14年3月1日(発令3月1日付)海軍辞令公報(部内限)第308号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072075500 
  29. ^ 昭和18年12月10日(発令12月10日付)海軍辞令公報(部内限)第1278号 p.17」 アジア歴史資料センター Ref.C13072094800 
  30. ^ 昭和19年11月22日(水)海軍公報第4859号 p.13」 アジア歴史資料センター Ref.C12070497900 『○事務所撤去 軍艦酒匂艤装員事務所ハ十一月十日之ヲ撤去セリ|第六十七號海防艦艤装員事務所ハ十一月十二日之ヲ撤去セリ|第二百二十六號驅潜艇事務所ハ十一月十四日之ヲ撤去セリ|第四十九號海防艦艤装員事務所ハ十一月十六日之ヲ撤去セリ』
  31. ^ a b c 昭和19年11月14日(発令11月10日付)海軍辞令公報(甲)第1643号 p.49」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101900 
  32. ^ #S1906十一水戦(4)pp.60-61『酒匂(宛略)機密第三〇一二〇〇番電 一.本日一〇〇〇引渡ヲ受ク/二.五日佐世保出撃内海西部ニ於テ羅針儀公試測定儀試験轉輪羅針儀加速度誤差試験ノ上八日呉回航ノ予定』
  33. ^ #S1906十一水戦(4)p.61『総長|戰編着艦|十一月三十日 一.酒匂ヲGFニ附属/二.椿ヲ11sdニ編入』
  34. ^ #S1906十一水戦(4)p.47『(四)麾下艦艦船部隊ノ行動』
  35. ^ #軽巡二十五隻245頁
  36. ^ #S1906十一水戦(5)p.5『四.麾下艦船竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動』
  37. ^ #戦隊行動調書p.47『11sd 昭和19年12月11日 将旗ヲ酒匂ヘ』
  38. ^ #S1906十一水戦(5)pp.22-23『一一(天候略)一三三〇将旗ヲ酒匂ニ移揚ス』
  39. ^ #S1906十一水戦(6)p.3『(イ)第一訓練部隊トシテ内海西部ニ在リテ新造駆逐艦及大修理艦艇ノ急速戰力練成ニ任ズル外一部艦艇海上護衛作戰ニ協力』
  40. ^ #S1906十一水戦(5)p.52『八(天候略)北上第一訓練部隊ニ編入』
  41. ^ #S1906十一水戦(5)pp.53-54『一四(天候略)響、第一訓練部隊編入』-『二五(天候略)響7dgニ編入』
  42. ^ >#内令昭和20年1月(3)p.46『内令第六七號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年一月二十五日|第七驅逐隊ノ項中「潮、」ノ下ニ「響、」ヲ加フ』
  43. ^ #S1906十一水戦(5)p.31『(四)麾下艦船竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動』(一月)
  44. ^ #S1906十一水戦(6)p.5『(四)麾下艦船竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動』(二月)
  45. ^ #S1906十一水戦(6)p.34『(四)麾下艦船竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動』(三月)
  46. ^ #S1906十一水戦(7)pp.7-8『(四)麾下艦船部隊竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動』(四月)
  47. ^ #内令昭和20年5月(4)p.6『内令第三八二號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル 昭和二十年五月五日 海軍大臣 第七駆逐隊ノ項ヲ削ル』
  48. ^ #S1906十一水戦(7)p.4『(ロ)軍隊区分(備考)(1)ハ四月六日迄(2)ハ四月六日以降』
  49. ^ #S1906十一水戦(7)p.57『五(天候略)北上呉発早瀬着|響105S編入』
  50. ^ #S1906十一水戦(7)p.58『一〇(天候略)酒匂宵月梨椎萩榎菫〇二〇〇八島発酒匂宵月夏月萩菫一四五〇呉着/梨椎榎小樍沖回航/楠勝浦発大阪着|酒匂宵月夏月梨椎萩榎菫出動諸訓練』
  51. ^ #S1906十一水戦(7)p.38『(四)麾下艦船部隊竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動』(五月)
  52. ^ #S1906十一水戦(7)p.48『(司令官)KTB北上波風(長官)機密第二〇〇八五五番電 KTB電令作第一號 北上波風ハ北上艦長之ヲ指揮シ鹿児島湾ニ在リテ訓練整備ニ従事スベシ』
  53. ^ #S1906十一水戦(7)p.60『二一(天候略)酒匂欅楢柿楠菫一一〇〇呉発/酒匂櫻楢柿楠一四一五安下庄着(略)』
  54. ^ #S1906十一水戦(7)p.53『(司令官)11S(宛略)機密第二七一三三番電 酒匂二十六日〇九〇〇北九州水道通過時觸底右舷外軸推進器翼先端部湾曲セリ戰斗航海ニ差支ヘナシ』
  55. ^ #S1906十一水戦(7)p.61『二七(天候略)酒匂菫柿楠〇六二五舞鶴着/欅神戸着/櫻楢椿呉着』
  56. ^ #S1906十一水戦(7)p.45『(司令)17dg(宛略)機密第一五一一四六番電 当隊(雪風初霜)舞鶴着』
  57. ^ #S1906十一水戦(8)p.5『(四)麾下艦船竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動』
  58. ^ #S1906十一水戦(8)p.27『(二)麾下艦船竝ニ訓練部隊一時加入艦船ノ行動』
  59. ^ 昭和20年7月12日(発令7月1日付)海軍辞令公報(甲)第1854号 p.11」 アジア歴史資料センター Ref.C13072106100 
  60. ^ #S1906十一水戦(8)p.25『司令官|少将|松本毅|十日着任』
  61. ^ #S1906十一水戦(8)p.34『一〇|新旧司令官交代酒匂巡視』
  62. ^ #S1906十一水戦(8)p.34『一五|将旗ヲ徹ス』
  63. ^ a b 昭和20年7月25日(発令7月15日付)海軍辞令公報(甲)第1867号 p.9」 アジア歴史資料センター Ref.C13072106400 
  64. ^ 昭和20年7月25日(水)海軍公報第5079号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C12070505800 『内令第六四三號 横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 欅 驅逐艦 橘/呉鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 柳 右警備驅逐艦ト定メラル|伊號第五百一潜水艦 伊號五百二潜水艦 伊號第五百三潜水艦 伊號第五百四潜水艦 伊號第五百五潜水艦 伊號第五百六潜水艦 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|横須賀鎮守府豫備艦 軍艦 酒匂 右特殊警備艦ト定ム|横須賀鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 柿 驅逐艦 楠 驅逐艦 菫 驅逐艦 初櫻/呉鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 楢 驅逐艦 椿/佐世保鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 楡 驅逐艦 雄竹/舞鶴鎮守府豫備驅逐艦 驅逐艦 榎 驅逐艦 初梅 右特殊警備驅逐艦ト定ム|呉鎮守府在籍 伊號第五百三潜水艦 伊號第五百四潜水艦 右特殊警備潜水艦ト定ム|昭和二十年七月十五日 海軍大臣』
  65. ^ a b c d #軽巡二十五隻246頁
  66. ^ #終戦と帝国艦艇79頁
  67. ^ 井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』412-413頁「復員航海」
  68. ^ #軽巡阿賀野型・大淀51頁の写真と解説、#JapaneseCruisersp.574 Photo 11.3, p.575 Photo 11.4, p.604 Photo11.10など戦後に撮られた写真による。
  69. ^ 井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』414頁
  70. ^ a b c #軽巡二十五隻249-250頁『第三話 朝鮮出身者送還』
  71. ^ 井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』416頁
  72. ^ 井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』417頁
  73. ^ 井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』417-418頁、「軍艦『酒匂』始末記」
  74. ^ a b 昭和21年3月8日付(発令2月11日)第二復員省辞令公報(甲)第78号 p.21」 アジア歴史資料センター Ref.C13072158700 
  75. ^ #公報昭和21年3月p.1『内令第三二號|元驅逐艦 冬月、元第百九十六號海防艦 右特別輸送艦トシ佐世保地方復員局所管ト定ム|横須賀地方復員局所管 特別輸送艦 酒匂 右特別輸送艦ヲ解ク|昭和二十一年二月二十五日 第二復員大臣』
  76. ^ #軽巡二十五隻253-254頁『異郷に眠る新鋭艦への思慕』
  77. ^ a b c #終戦と帝国艦艇80頁
  78. ^ 井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』418頁「屈辱の日」
  79. ^ #終戦と帝国艦艇84頁『(70)酒匂 原爆実験後の被害写真』
  80. ^ Kevin Denlay Collection…長門の写真もあり

参考文献

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.『昭和19年1月~6月達/昭和19年4月(1)』。C12070124600。 
    • Ref.『昭和19年4月(1)/昭和19年1月~7月 内令』。C12070196500。 
    • Ref.『自昭和20年1月.至昭和20年8月秘海軍公報/1月(3)』。C12070503700。 
    • Ref.『昭和20年1月~6月 秘海軍公報/5月(4)』。C12070511300。 
    • Ref.『昭和20年6月~8月 秘海軍公報/7月(4)』。C12070512500。 
    • Ref.『昭和20年12月 昭和21年6月第2復員省公報/昭和21年3月』。C12070534700。 
    • Ref.『昭和16年~昭和20年 戦隊 水戦輸送戦隊 行動調書』。C08051772000。 
    • Ref.『昭和17年10月1日~昭和17年10月31日 佐世保鎮守府戦時日誌(1)』。C08030339100。 
    • Ref.『昭和17年11月1日~昭和17年11月31日 佐世保鎮守府戦時日誌(1)』。C08030339800。 
    • Ref.『昭和17年11月1日~昭和17年11月31日 佐世保鎮守府戦時日誌(2)』。C08030339900。 
    • Ref.『昭和17年11月1日~昭和17年11月31日 佐世保鎮守府戦時日誌(3)』。C08030334000。 
    • Ref.『昭和17年11月1日~昭和17年11月31日 佐世保鎮守府戦時日誌(4)』。C08030334100。 
    • Ref.『昭和18年12月1日~昭和18年12月31日 佐世保鎮守府戦時日誌(1)』。C08030350100。 
    • Ref.『昭和18年12月1日~昭和18年12月31日 佐世保鎮守府戦時日誌(2)』。C08030350200。 
    • Ref.『昭和18年12月1日~昭和18年12月31日 佐世保鎮守府戦時日誌(3)』。C08030350300。 
    • Ref.『昭和18年12月1日~昭和18年12月31日 佐世保鎮守府戦時日誌(4)』。C08030350400。 
    • Ref.『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4)』。C08030127700。 
    • Ref.『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(5)』。C08030127800。 
    • Ref.『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(6)』。C08030127900。 
    • Ref.『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(7)』。C08030128000。 
    • Ref.『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(8)』。C08030128100。 
  • 井川聡『軍艦「矢矧」海戦記 建築家・池田武邦の太平洋戦争』(光人社、2010年)ISBN 978-4-7698-1479-5
    池田武邦(矢矧航海士。終戦時、大尉)は復員船「酒匂」に分隊長として勤務。
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9
  • 原為一ほか『軽巡二十五隻 駆逐艦群の先頭に立った戦隊旗艦の奮戦と全貌』潮書房光人社、2014年12月。ISBN 978-4-7698-1580-8 
    • 当時「酒匂」航海士・海軍中尉岩松重松『遅れてきた精鋭「酒匂」ビキニ環礁に死す 戦うことなく終戦、原爆実験に供された阿賀野型四番艦への鎮魂譜
  • 福井静夫『終戦と帝国艦艇 わが海軍の終焉と艦艇の帰趨』出版共同社、1961年5月。 
  • Eric Lacroix; Linton Wells II (1997). Japanese Cruisers of the Pacific War. Naval Institute Press 
  • 福井静夫『福井静夫著作集第8巻 世界巡洋艦物語』光人社、1994年。ISBN 4-7698-0656-6 
  • 『軽巡 阿賀野型・大淀』 丸スペシャル 日本海軍艦艇シリーズNo.5、潮書房、1976年。 
  • 雑誌『』編集部/編 編『写真 日本の軍艦 第9巻 軽巡II』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0459-8 
    • 梅野和夫『阿賀野型の航空兵装』、112-113頁頁。 
  • (社)日本造船学会/編 編『昭和造船史(第1巻)』(3版)原書房〈明治百年史叢書 第207巻〉、1981年(原著1977年)。ISBN 4-562-00302-2 
  • 呉市海事歴史科学館/編 編『日本海軍艦艇写真集 巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。ISBN 4-478-95059-8 
  • 矢萩登『矢萩登の素晴らしき艦船模型の世界』大日本絵画、2010年6月。ISBN 978-4-499-23021-6 
  • 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」

外部リンク