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'''牛嶋 俊一郎'''(うしじま しゅんいちろう)は、[[日本]]の[[経済]][[官僚]]、[[経済学者]]。元[[経済企画庁]]総合計画局長、[[埼玉大学]]経済学部[[教授]]。[[1997年]]から1年間、[[ロシア]]経済省に外国[[政府]]関係者として初めて派遣され、経済改革支援に従事した<ref |
'''牛嶋 俊一郎'''(うしじま しゅんいちろう)は、[[日本]]の[[経済]][[官僚]]、[[経済学者]]。元[[経済企画庁]]総合計画局長、[[埼玉大学]]経済学部[[教授]]。[[1997年]]から1年間、[[ロシア]]経済省に外国[[政府]]関係者として初めて派遣され、経済改革支援に従事した<ref name="m0">「ビジネス情報 ロシアでは国の主導必要-牛嶋俊一郎さん」『[[毎日新聞]]』1998年5月23日付東京版朝刊、12面。</ref>。 |
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== 経歴・人物 == |
== 経歴・人物 == |
2016年11月15日 (火) 16:03時点における版
牛嶋 俊一郎(うしじま しゅんいちろう)は、日本の経済官僚、経済学者。元経済企画庁総合計画局長、埼玉大学経済学部教授。1997年から1年間、ロシア経済省に外国政府関係者として初めて派遣され、経済改革支援に従事した[1]。
経歴・人物
長崎県出身[2]。長崎県立長崎東高等学校を経て[3]、1971年に東京大学経済学部経済学科卒業後、経済企画庁に入庁[4]。官庁エコノミストとしての活動に加えて、経済協力開発機構(OECD)エコノミストや同日本代表部参事官などを務め、国際経験を積んだ[5]。こうした経歴を買われ、ロシア経済省からの要請に応える形で1997年に同省顧問として派遣された[5]。任期中には金融政策や地下経済に関する推計を行ったほか、財政投融資システムの導入を提案した[1]。帰国後、経済企画庁総合計画局長や内閣府経済社会総合研究所次長、OECD経済政策委員会副議長などを歴任し、2004年9月に退官[4]。退職後は電通顧問を務めたほか、東京経済大学、埼玉大学で教鞭を執った[4]。
略歴
- 1971年6月 - 東京大学経済学部経済学科卒業
- 1971年7月 - 経済企画庁入庁
- 1977年4月 - OECD事務局エコノミスト
- 1983年6月 - 大蔵省主計局主査
- 1986年6月 - 経済企画庁調整局OTO対策官
- 1988年6月 - OECD日本代表部参事官
- 1991年12月 - 経済企画庁物価局物価調整課長
- 1993年6月 - 国土庁計画調整局計画課長
- 1996年1月 - オーストラリア国立大学豪日研究センター客員研究員
- 1996年6月 - 経済企画庁物価局審議官
- 1997年5月 - ロシア経済省顧問
- 1998年6月 - 経済企画庁総合計画局審議官
- 1999年8月 - 経済企画庁総合計画局長
- 2001年1月 - 内閣府経済社会総合研究所次長、経済財政政策担当大臣国際経済アドバイザー
- 2002年4月 - OECD経済政策委員会副議長
- 2004年9月 - 内閣府経済社会総合研究所顧問
- 2005年1月 - 電通顧問( - 2009年1月)
- 2007年4月 - 東京経済大学非常勤講師( - 2010年3月)
- 2009年4月 - 埼玉大学経済学部教授
- 2013年3月 - 埼玉大学定年退職