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[[経済産業省]]が[[2010年|平成22年]]度に行った工業統計調査によると、全国足袋類の年間出荷額は約26億円である<ref>[http://www.meti.go.jp/statistics/tyo/kougyo/index.html 経済産業省]</ref>。 |
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都道府県別に見ると、[[徳島県]]の年間出荷額は約8億円。次いで[[埼玉県]]が約5億円で、[[岡山県]]が約1億円となる。 |
2016年11月15日 (火) 15:45時点における版
足袋(たび)とは、和装の際に足に直接はく衣類の一種[1]。日本固有の伝統的な衣類で、足に履く一種の下着である。木綿の布でできたものが一般的。小鉤(こはぜ)と呼ばれる特有の留め具で固定する[1]。日本の伝統的な履物である草履・下駄・雪駄などを履く際に用いるため、つま先が親指と他の指の部分の2つに分かれている[1](叉割れ)。
丈夫な生地で作られた足袋本体の底部にゴム底を貼り付け、直接屋外で履く事ができるようにした地下足袋(じかたび)と呼ばれる足袋もある。
起源
文献上は11世紀ごろに「足袋」の記載が見られるが現在の足袋と同様の物であるかは不明で、発音も「たび」と呼ばれていたのかは分からない。明確な起源は分かっていないが、平安時代の貴族が履いていた下沓(しとうず)と呼ばれる靴下か、当時の猟師が履いていたとされる皮製の靴下が源流であると考えられている。初期の足袋は足首部分に紐が縫い付けてあり、紐を結ぶことで脱げ落ちないように留めていた。
明暦3年(1657年)に起きた振袖火事によって皮が品不足となり高騰したことから、木綿製のものが急速に普及していったと言われている。木綿製足袋の普及と同時に、紐止め式からボタン止め式へと足袋を留める方式も変化していった。
宝暦年間に夏足袋ができて以降、一年中履かれるようになったという[2]。
現在の足袋は「小鉤(こはぜ)」(甲馳、牙籤、甲鉤、骨板)と呼ばれる金属製の金具(ホック)を「受け糸」(または掛け糸)と呼ばれる糸のループに引っ掛けて留めるようになっているが、この方式は江戸後期から明治前期にかけて普及したものである。
足袋の種類
- 皮足袋
- 足袋は本来皮革をなめして作られたものであり、江戸時代初期までは布製のものは存在しなかった。皮足袋は耐久性にすぐれ、つま先を防護し、なおかつ柔軟で動きやすいために合戦や鷹狩などの際に武士を中心として用いられたが、戦乱が収まるにつれて次第に平時の服装としても一般的に着用されるようになった。布製の足袋が登場するにいたって皮足袋は姿を消し、現在ではごく特殊な場合を除いて見かけることはないが狂言の舞台で用いる黄色い足袋(狂言足袋)は皮製の足袋の外見を真似て考案されたものである。
- 白足袋
- 白足袋は主として改まった服装の際や慶弔等の行事ごとの際に用いられる。殊に儀式用・正装用というわけではないが、黒足袋・色足袋が平服にしか合わせられないのに対し、白足袋は平服から礼服まで広汎に着用することができる点に特色がある。特に茶人や僧侶、能楽師、歌舞伎役者、芸人などはほとんどの場合白足袋をはいており、こうした人々を総称して「白足袋」と称するならいがある。
- 能舞台、所作板、弓道場などは白足袋着用でなければあがれないことが多く、土俵上でも白足袋以外の着用は認められない。これらの例からもわかるように白足袋は清浄を示す象徴であり、ほかの足袋とは性格の異ったものとして扱われている。江戸時代からはメリヤス編み技法でも盛んに作られた。また現在流通している国内産のものはメリヤス編みである。
- 黒足袋
- 男性が平服の際にのみ用いる。一説には白足袋のように汚れが目立たず経済的であるところから考案されたとも言い[要出典]、江戸時代には勤番武士が多く黒繻子の足袋を履いていたことから、こうしたことを理由として黒足袋を嫌う人も多い。なお弔事に黒足袋を用いるとするのは俗説もしくは明治時代以降のきわめて特殊な慣習であって、本来慶弔にかかわらず正装の際には白足袋しか用いることはできない。
- からす足袋と呼ばれる紺木綿黒底足袋などは表生地/底生地に紺や黒の生地を使用し舞台の黒子が動いたときに白い部分が目立たないようなものもある。
- 色足袋・柄足袋
- 白黒以外の色や柄ものの足袋。女性が通常使用するもの。男性の場合、昔はごく一部の伊達者のみが使用していたが、現代では女性同様に着物の柄に合わせて選ぶことも珍しくない。
- ニット足袋
- 伸縮性のあるニット生地が使用されているもの。織物で作られている足袋はセンチきざみでサイズが設定されているのに対し、ニット製品は生地の伸縮性を生かし、S/M/L/2L/3L/4Lと各サイズ設定に幅を持たせている。織物を使用して作られた足袋より拘束性も小さく靴下に近い履き心地が得られるのが特徴。以前はニット製品であるが為、足の形が表面化し正装には向かないという考え方が強かったが現在ではそのような考え方も若干薄れ、広く使用されるようになった。ニット製品の呼称は通常ストレッチ足袋と呼ばれることが多い。その他、足袋の上に履くたびカバーと呼ばれる製品もトリコットなど伸縮性のある素材で作られている。
- ハイソックス足袋
- ヒール足袋
- シークレット足袋とも呼ばれる。背丈を高くして和服の着姿を美しく見せるため、踵部分にヒール芯というクサビ状の台を挿入できるよう仕立てられた専用の足袋。最下部のコハゼよりも下側にヒール芯を挿入できるスペースを持つ。ヒール芯を安定させる目的で、コハゼの数は5枚の深型の物が多い。足袋に内蔵するヒール芯後端の高さは概ね3cm程度で、その高さの分、草履を脱いで上がった室内でも常に脚を長く見せる事が可能。ただし踝の位置が不自然に高くなるため、普通の足袋ではないことが一目で判る。装着時、ヒール芯は足には直接固定されず、ヒール芯の上に乗った状態でヒール専用足袋が足とヒール芯を一緒に包んで固定する方式を取るため、たとえ3cm程度の高さとはいえど、歩行時には足首の不安定さを伴う。ヒール芯の長さは概ね土踏まずから踵後端までの短い物が主流だが、爪先から土踏まずまでを3~5mm程度の薄いプレートでカバーし、土踏まずから踵までをクサビ状に盛り上げて足裏全体をカバーする、足袋底と同形状の長い物も存在する。構造上、長い物は爪先から踵部にかけて緩やかに盛り上がる形状により足との固定力が高くヒール部のグラつきが比較的少ないが、足裏全体に板状の芯を介して布製の足袋底が床と接するため、摩擦係数の低い床上では滑りやすく危険を伴う事があり、足袋底には滑り止め加工を施す事が好ましい。
- 足袋カバー
- 和装で訪問などを行なう際、屋外移動時に装着中の足袋を汚れから保護する目的で重ね履きする足袋型のカバー。基本的な構造は通常の足袋と変わらないが、汚れが付きにくい素材を使用する。また足袋の汚れ防止目的で装着するため、マナーとして訪問先の座敷に上がる前に玄関先で取り外す必要があることから、短時間で簡単に脱着できるよう留め具にはコハゼを使用しない靴下状の物もある。さらに和装のまま家事を行なう際に足袋の上から重ね履きする場合もあり、活動しやすいよう底がゴムで滑り止め加工されていたり、本体に撥水加工が施された足袋カバーも存在する。
- 祭足袋
- 祭足袋は、ゴム底を貼り付けた地下足袋の一種であるが、本体は通常の足袋と同じ素材で作られ爪先や踵に補強布がない。ゆえに、ゴム底を見られない限りは通常の足袋と見分けが付かないのが特長で、屋外、屋内を問わず足袋裸足状態で使用する際、通常の足袋の外観を確保しながら滑り止め効果のあるゴム底によって、高い運動性を両立したい場合に用いられる。神輿担ぎ、和太鼓演奏、時代劇の殺陣等で多く用いられる。
- ゴム引き足袋
- 屋外で足袋裸足の状態で着用するため、足袋底周辺にゴム引き加工を施した物。地下足袋や祭足袋に比べてゴムの厚みが薄い。阿波踊り等で使用される。
- 足袋下(足袋ソックス)
- 靴下タイプの足袋。商品名「タビックス」など。
足袋の素材
- 足袋は表生地/裏生地/底生地の3種類の生地からなる。
- 一般的には表/裏/底共に綿素材が使用されるが戦後化繊の流入により綿/ポリエステル混紡生地やナイロン糸トリコット足袋などが発生してきた。
- 素材別の足袋は綿などの織物とトリコットなどの編み物に分類される。綿等の織物で作られた足袋は大きく伸縮することが難しいのでサイズ構成もセンチ単位だが、編み物等ニット製品で作られた足袋は伸縮にゆとりがあるため多くはS/M/L/2L/3L/4Lとサイズ表示される。
足袋の寸法
文数で表記されていたが、現在はcm表記が広く用いられている。更に各メーカーに独自の幅表記がある。ほとんどの既製品は人差し指の先が親指より短くなっているが、人差し指が親指より先に出る型もメーカーによっては少数ながら生産されている。
生産
経済産業省が平成22年度に行った工業統計調査によると、全国足袋類の年間出荷額は約26億円である[3]。
都道府県別に見ると、徳島県の年間出荷額は約8億円。次いで埼玉県が約5億円で、岡山県が約1億円となる。
徳島県は全体出荷額の約30%を占めており、足袋の名産地として知られている。
2004年4月に徳島県足袋工業会の足袋が、徳島県伝統的特産品に選出される[4]。
かつて、埼玉県が1938年に足袋生産量が8400万足となり、全国生産のおよそ8割を埼玉県行田市が占めていた時代もあった。行田の足袋製造用具及び製品が国の登録有形民俗文化財となっている。
脚注
関連項目
- 足袋の足首部分で留める金具。大阪市の青山金属工業が全国トップシェアである。