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「ゴリツィア (重巡洋艦)」の版間の差分

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==参考文献==
==参考文献==
* [[学研]]『世界の重巡洋艦パーフェクトガイド』2007年4月 ISBN978-4-05-604691-5
* [[学研]]『世界の重巡洋艦パーフェクトガイド』2007年4月 ISBN 978-4-05-604691-5


== 参考リンク ==
== 参考リンク ==

2016年11月15日 (火) 15:39時点における版


竣工時のゴリツィア
艦歴
発注 OTO社リヴォルノ造船所
起工 1930年3月17日起工
進水 1930年12月28日
就役 1931年12月23日
退役
その後
除籍 1947年2月27日
性能諸元
排水量 基準:11,712トン
満載:14,460トン
全長 182.8m
水線長 179.6m
全幅 20.6m
吃水 7.2m(満載)
機関 ソーニクロフト式重油専焼水管缶8基
+パーソンズギヤード・タービン2基2軸推進
最大出力 95,000hp
最大速力 32.0ノット
航続距離 16ノット/5,434海里
燃料 重油:2,350トン
乗員 841名
兵装(竣工時) 20.3cm(53口径.)主砲4基
10cm(47口径)連装高角砲8基
40mm(39口径)単装機関砲6基
12.7mm単装機銃4丁
装甲 舷側:150mm(水線部)、100mm(水線末端部)
甲板:20~70mm
主砲塔:150mm(前盾)、75mm(側盾)、70mm(天蓋)
バーベット:150mm(最厚部)
司令塔:150mm(側盾)、70mm(天蓋)
航空兵装 水上機:2機
カタパルト:1基


ゴリツィアIncrociatore pesante Gorizia) はイタリア海軍ザラ級重巡洋艦の一艦である。艦名は、未回収のイタリアの一部としてイタリア領となった都市ゴリツィアに因む。

艦歴

1930年3月17日起工。同年12月28日進水。1931年12月23日就役。

スペイン内戦時、近海で活動。1936年8月にはドイツを訪れ観艦式に参加。その帰路、爆発事故を起こす。

1940年6月10日イタリア第二次世界大戦に枢軸側として参戦しイギリス宣戦布告7月9日イギリス海軍地中海艦隊とのカラブリア沖海戦に参加。

1940年8月31日、イギリス海軍のハッツ作戦に対する迎撃に参加。

1940年11月11、12日、イギリス海軍によるタラント空襲にあう。この際ソードフィッシュ1機を撃墜する。

1940年11月27日スパルティヴェント岬沖海戦に参加。

1941年6月ナポリからトリポリへ向かう兵員輸送船団の護衛。

1941年8月、イギリス海軍のミンスミート作戦に対する迎撃に参加。

1941年9月、イギリス海軍のハルバード作戦に対する迎撃に参加。

1941年11月、北アフリカへ向かう船団の運航支援に参加。

1941年12月17日第1次シルテ湾海戦に参加。

1942年3月22日第2次シルテ湾海戦に参加。

1942年6月、イギリス海軍のマルタ補給作戦(ヴィガラス作戦)に対する迎撃に参加。

1942年8月、イギリス海軍のマルタ補給作戦(ペデスタル作戦)に対する迎撃に参加。

1943年4月10日、空襲からの退避先ラ・マッダレーナアメリカ軍B-24八十四機による空襲に遭い、直撃弾3発を受け大破、ラ・スペツィアへ移り修理を受ける。

1943年9月8日イタリアと連合国が講和する。これに対抗しドイツ軍はイタリア各地に進駐、ラ・スペツィアも占領され、ゴリツィアはドイツ軍に鹵獲された。すでに制海権連合国側に渡っていたため、ドイツ軍はゴリツィアの本格的な復旧を諦め、港内への敵艦侵入を妨害する閉塞船として係留するに留めた。

1944年6月26日、ゴリツィアがドイツ軍に戦力化されることを恐れた連合国側はイタリア軍の特殊潜航艇チャリオットで停泊中のゴリツィアを撃沈した。

1946年、残骸は解体処分とされる。

1947年2月27日、除籍。

就役後の武装の変遷

1937年に艦橋の側面に位置する10cm(47口径)連装高角砲を左右あわせて2基とヴィッカーズ・テルニ40mm機関砲4基と12.7mm単装機銃4丁を撤去し、近接火器としてブレダ37mm(54口径)機関砲を連装砲架で4基、13.2mm機関銃を連装砲架で4基ずつを搭載した。1940年には照明弾発射用の12cm(15口径)単装砲2基追加したが、同型艦三隻がいずれも1941年3月末のマタパン岬沖海戦で撃沈されたのに対し、祖国の敗戦まで生き残ったゴリツィアには主として対空兵装の強化が行われた。具体的には12cm単装砲2基の撤去が行われ、37mm連装機関砲2基の6基で計12門まで強化、13.2mm機銃も20mm機関砲に装され連装6基、単装2基の計14門となっている。

参考文献

参考リンク