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「イリオモテヤマネコ」の版間の差分

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{{生物分類表
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[http://www.iucnredlist.org/ The IUCN Red List of Threatened Species]
[http://www.iucnredlist.org/ The IUCN Red List of Threatened Species]
* Izawa, M. 2008. [http://www.iucnredlist.org/apps/redlist/details/18151/0 ''Prionailurus bengalensis iriomotensis'']. In: IUCN 2010. IUCN Red List of Threatened Species. Version 2010.4.
* Izawa, M. 2008. [http://www.iucnredlist.org/apps/redlist/details/18151/0 ''Prionailurus bengalensis iriomotensis'']. In: IUCN 2010. IUCN Red List of Threatened Species. Version 2010.4.
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{{右|{{Habitat|イリオモテヤマネコの生息地|Iriomote Island}}}}


'''イリオモテヤマネコ'''(西表山猫、''Prionailurus bengalensis iriomotensis'')は、[[動物|動物界]][[脊索動物|脊索動物門]][[哺乳類|哺乳綱]][[ネコ目]](食肉目)[[ネコ科]]に分類される[[ベンガルヤマネコ]]の亜種。[[沖縄県]][[八重山諸島]][[西表島]]だけに生息する<ref name="fn1">今泉吉典監修 D.W.マクドナルド編 『動物大百科1 食肉類』、[[平凡社]]、[[1986年]]、64-65頁。</ref><ref name="fn2">今泉吉典監修 『世界の動物 分類と飼育2 (食肉目)』、東京動物園協会、[[1991年]]、151、213-215頁。</ref><ref name="fn3">小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著 『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ4 インド、インドシナ』、[[講談社]]、[[2000年]]、18、143頁。</ref><ref name="fn4">加藤陸奥雄、沼田眞、渡辺景隆、畑正憲監修 『日本の天然記念物』、[[講談社]]、[[1995年]]、622-623頁。</ref><ref name="fn5">増田隆一 「[http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=jgeography1889&cdvol=105&noissue=3&startpage=354&chr 遺伝子からみたイリオモテヤマネコとツシマヤマネコの渡来と進化起源]」『地學雜誌』 Vol.105 No.3、社団法人[[東京地学協会]]、[[1996年]]、355-362頁。</ref><ref name="fn6">『沖縄県の絶滅のおそれのある野生生物(レッドデータおきなわ)-動物編-』、沖縄県文化環境部自然保護課編 、[[2005年]]、25-27頁。</ref><ref group="a" name="bio">[http://www.biodic.go.jp/index.html 環境省 自然環境局 生物多様性センター]
'''イリオモテヤマネコ'''(西表山猫、''Prionailurus bengalensis iriomotensis'')は、[[動物|動物界]][[脊索動物|脊索動物門]][[哺乳類|哺乳綱]][[ネコ目|ネコ目(食肉目)]][[ネコ科]][[ベンガルヤマネコ]]に分類されるヤマネコ一種、もしくは一亜種。
== 分布 ==
[[日本]][[西表島]][[固有種]]または固有亜種<ref name="fn1">今泉吉典監修 D.W.マクドナルド編 『動物大百科1 食肉類』、[[平凡社]]、[[1986年]]、64-65頁。</ref><ref name="fn2">今泉吉典監修 『世界の動物 分類と飼育2 (食肉目)』、東京動物園協会、[[1991年]]、151、213-215頁。</ref><ref name="fn3">小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著 『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ4 インド、インドシナ』、[[講談社]]、[[2000年]]、18、143頁。</ref><ref name="fn4">加藤陸奥雄、沼田眞、渡辺景隆、畑正憲監修 『日本の天然記念物』、[[講談社]]、[[1995年]]、622-623頁。</ref><ref name="fn5">増田隆一 「[http://www.journalarchive.jst.go.jp/jnlpdf.php?cdjournal=jgeography1889&cdvol=105&noissue=3&startpage=354&chr 遺伝子からみたイリオモテヤマネコとツシマヤマネコの渡来と進化起源]」『地學雜誌』 Vol.105 No.3、社団法人[[東京地学協会]]、[[1996年]]、355-362頁。</ref><ref name="fn6">『沖縄県の絶滅のおそれのある野生生物(レッドデータおきなわ)-動物編-』、沖縄県文化環境部自然保護課編 、[[2005年]]、25-27頁。</ref><ref name="bio">[http://www.biodic.go.jp/index.html 環境省 自然環境局 生物多様性センター]
* [http://www.biodic.go.jp/rdb_fts/2000/74-063.html 絶滅危惧種情報(動物)- イリオモテヤマネコ -]</ref><ref group="a" name="sizen">[http://www.sizenken.biodic.go.jp/ インターネット自然研究所]
* [http://www.biodic.go.jp/rdb_fts/2000/74-063.html 絶滅危惧種情報(動物)- イリオモテヤマネコ -]</ref><ref name="sizen">[http://www.sizenken.biodic.go.jp/ インターネット自然研究所]
* [http://www.sizenken.biodic.go.jp/rdb/txt/content/006.html イリオモテヤマネコ]
* [http://www.sizenken.biodic.go.jp/rdb/txt/content/006.html イリオモテヤマネコ]
</ref>。
</ref>。
西表島は面積が290平方kmほどで、これは[[ヤマネコ]]の住む島としては(またヤマネコの生息域としても)世界最小である<ref name=Imaizumi1994-2>今泉(1994), Pp. 50-75</ref>。

分布域内では、主に標高200メートル以下にある[[スダジイ]]やカシからなる[[亜熱帯]]もしくは[[暖帯]]の[[森林]]に生息する<ref name="fn1"/><ref name="sizen"/><ref name="Imaizumi2004">今泉(2004)</ref>。[[川|河川]]の周辺や低[[湿原]]、林縁などを好む<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/><ref name="fn6"/>。
== 形態 ==
[[体長]]はオス55-60センチメートル、メス50-55センチメートル、[[体重]]はオスで3.5-5キログラム、メスで3-3.5キログラムとオスの方がメスよりやや大きい<ref name="fn6"/>。尾は先端まで太く、尾長は23-24センチメートル<ref name="fn3"/><ref name="Imaizumi1994-1" />。胴が長く、四肢は太く短い<ref name="Imaizumi1994-1">今泉(1994)、Pp.7-48</ref>。

全身の地色は暗灰色や淡褐色で、腹部や四肢の内側はより淡く、あごは白色である<ref name="Imaizumi1994-1" />。頭部の暗褐色の斑は頬に左右に2本ずつあり、[[ベンガルヤマネコ]]のように額から背面にかけて5-7本の縞模様が入るが、ベンガルヤマネコとは違い肩の手前で途切れる<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/><ref name="Imaizumi1994-1" />。体側面には暗褐色の斑点、胸部には不規則に3-4本の帯模様が入る<ref name="fn2"/><ref name="fn3"/>。尾全体は暗褐色であり、尾背面には不規則に暗褐色の斑点が入るが、尾腹面に斑紋が入らず、また先端は暗色である<ref name="Imaizumi1994-1" />。

耳介の先端は丸く黒色の毛で縁取られ、先端の体毛は房状に伸長しない<ref name="Imaizumi1994-1" />。また成獣の耳の背面は白濁色の虎耳状斑とよばれる斑紋がある<ref name="Imaizumi1994-1" />。この虎耳状斑は、ベンガルヤマネコは幼獣の時から小さな白濁した斑があり、成長するにつれ白色になるが、イリオモテヤマネコは幼獣にはこの虎耳状斑は無く、成長しても白色にはならない<ref name="Imaizumi1994-1" />。虹彩は淡い琥珀色である<ref name="Imaizumi1994-1" />。吻端の体毛で被われない板状の皮膚(鼻鏡)は淡赤褐色をしており、大型で、鼻面も太い<ref name="fn2"/><ref name="fn3"/><ref name="Imaizumi1994-1" />。[[肉球]]の幅は[[イエネコ]]の24-30ミリメートルより大きく、29-37ミリメートルである<ref name="Imaizumi1994-1" />。

頭骨はイエネコに比べて細長いが、ベンガルヤマネコとは大きな違いはない<ref name="Imaizumi1994-1" />。しかし、ベンガルヤマネコよりも頭骨が厚く、その分脳の容量も小さく、脳の重量はベンガルヤマネコのオスの42グラムに対して、イリオモテヤマネコのオスは30グラムと小型である<ref name="Imaizumi1994-1" />。[[後頭骨]]の突起と聴胞が接しない<ref name="fn1"/><ref name="fn2"/>。下顎の縫合部が短い<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/>。歯列は門歯が上下6本、犬歯が上下2本、小臼歯が上下4本、大臼歯が上下2本の計28本で、ヤマネコなどのネコ類より上顎前臼歯が1対少ない<ref name="Imaizumi1997">今泉(1997)、PP.18-29</ref>。また、亜熱帯に生息する哺乳類には珍しく、歯に年輪ができることが確認され、これにより年齢別での行動分析などができるようになると期待されている<ref name=ryusin101104>{{Cite web|url=http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-169649-storytopic-5.html|title=イリオモテヤマネコ、歯年輪で年齢判別|accessdate=2011-05-01|author=琉球新報社}}</ref>。
臭腺(肛門腺)はベンガルヤマネコを含む他のネコ類は肛門内にあるのに対し、イリオモテヤマネコは肛門を取り囲むように存在する<ref name="Imaizumi1994-1" /><ref name="Imaizumi1994-4" />。

== 分類と系統 ==
1967年の学会発表時にはイリオモテヤマネコは食肉目ネコ科イリオモテヤマネコ属の1属1種 {{snamei|Mayailurus iriomotensis}} とされた<ref name="fn5"/>。原始的な特徴を残す形態から約1000万年前の[[中新世]]から、約300万年前の[[鮮新世]]前期に出現した、化石群メタイルルス属{{snamei||Metailurus}}と近縁な原始的な特徴を残した種であるとした<ref name="fn2"/><ref name="fn5"/>。イリオモテヤマネコの形態は原始的な特徴を残し、1000万年前の[[中新世]]から500万年頃前までの[[鮮新世]]に出現したネコ亜科の共通祖先であるメタイルルスによく似た特徴がある<ref name="fn5"/><ref name="Imaizumi1994-1" />。このことから、イリオモテヤマネコの祖先は約300万年前に大陸から西表島などに分布域を広げたとしている<ref name="fn5" />。一方で、頭骨や歯、標本や生体、遺伝子の研究などによる検討から独立種ではあるもののネコ属やベンガルヤマネコ属の一種とする、あるいは独立種ではなくベンガルヤマネコの一亜種とすることがある<ref name="fn1"/><ref name="fn5"/>。

核型や核内の[[リボソームRNA]]の制限酵素断片長、[[ミトコンドリアDNA]]内の12S リボソームRNAおよび[[チトクロム]]bの[[分子系統学]]的解析はベンガルヤマネコと一致あるいはほぼ一致し、非常に近縁(ネコ科他種における種内変異あるいは個体変異の範疇)と推定されている<ref name="fn5"/><ref>{{cite journal | author = Suzuki H, Hosoda T, Sakurai S, Tsuchiya K, Munechika I, Korablev VP| title = Phylogenetic relationship between the Iriomote cat and the leopard cat, ''Felis bengalensis'', based on the ribosomal DNA| journal = The Japanese journal of genetics| year = 1994| volume = 69|issue = 4| pages = 397-406 |naid =10006701901}}</ref>。またチトクロムbの塩基置換速度および多様度からベンガルヤマネコの他亜種とは18-20万年前に分化したと推定され<ref>{{cite journal | author = Masuda R, Yoshida MC| title = Two Japanese wildcats, the Tsushima cat and the Iriomote cat, show the same mitochondrial DNA linage as the leopard cat ''Felis bengalensis''.| journal = Zoological Science| year = 1995| volume = 12| pages = 656-9}}</ref>、海洋地質学でも2万-24万年前には[[琉球諸島]]および大陸間に断続的な陸橋があったと推定されていることからこの時期に侵入したと推定されている<ref name="fn5"/>。また本亜種内の遺伝学的多様性は乏しいと推定されている<ref name="bio"/>。

== 生態 ==
[[夜行性]]で、特に[[薄明薄暮性|薄明薄暮時]]に活動する<ref name="fn2"/><ref name="bio"/>。昼間は[[樹洞]]や岩穴などで休む<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/>。1-7平方キロメートルの行動圏内で生活する<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/><ref name="fn6"/>。行動圏内にある石や切り株、藪などに糞尿をかけて縄張りを主張する<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/>。地表性だが、樹上に登ったり、水に入ったり、潜水することもある<ref name="fn1"/><ref name="sizen"/><ref name="Imaizumi2004" />。

=== 食性 ===
食性は動物食で、[[哺乳類]]や[[鳥類]]、[[爬虫類]]、[[両生類]]、[[魚類]]、[[甲殻類]]などを、日に400-600グラムを捕食する<ref name="Imaizumi2004" />。他のヤマネコ類はネズミやウサギなどの小型哺乳類が主要な餌であるのに対し、西表島にはイリオモテヤマネコと競合するような肉食哺乳類が他には生息しておらず、生息環境や餌資源などの棲み分けが必要ないために、様々な生物を幅広く餌としている<ref name="IriomoteCat">イリオモテヤマネコBOOK(2006)</ref>。

哺乳類では[[クマネズミ]]、[[クビワオオコウモリ]]、[[イノシシ|リュウキュウイノシシ]]の幼獣などを、鳥類では[[カルガモ]]、[[オオクイナ]]、[[コノハズク]]、[[シロハラ]]、[[シロハラクイナ]]、爬虫類では[[ヘビ]]類や、[[キシノウエトカゲ]]、両生類では[[サキシマヌマガエル]]などを、その他、[[マダラコオロギ]]、[[カニ]]などを食べる<ref name="fn1"/><ref name="fn2"/><ref name="fn6"/><ref name="bio"/>。[[ツグミ]]より大きい鳥を補食する際、他のネコ類は羽毛をむしって食べるが、イリオモテヤマネコは大きな鳥類でも羽毛をむしらず丸ごと食べる<ref name="Imaizumi2004" />。また他の多くのネコ類のように[[脊髄]]を破壊して獲物をすぐに仕留めることはせず、動かなくなるまで咥え続ける<ref name="fn1"/>。狩り場の中心は湿地や水辺であり、水に入って泳いだり潜水して水鳥や魚、[[テナガエビ]]類などを捕らえることもある<ref name="Imaizumi2004" /><ref name="IriomoteCat" />。

糞分析の結果では、食料の中で出現率が多いのは、鳥類が約60%、クマネズミが約30%、昆虫類が約30%などであり、トカゲ類やカエル類は15-20%程度で、クビワオオコウモリの出現率は3-17%、リュウキュウイノシシなどの出現率は1%弱ほどである<ref name="Imaizumi1994-3">今泉(1994), Pp.75-117</ref><ref name="Yasuma2001">安間(2001), Pp.112-146</ref><!--- 出現率であるので、100%を超える --->。その他の魚類や甲殻類の出現率は3-4%程度である<ref name="Imaizumi1994-3" /><ref name="Yasuma2001" />。また、推定重量に対する出現率が多いのは[[水鳥]]類であり年間を通して60%前後、次いでクマネズミが年間を通して10-30%ほどを占める<ref name="Imaizumi1994-3" /><!--- こっちは重量に対する出現率なので100%を超えない --->。

その他、クマネズミやカエル類は年間を通して捕食される他、春から夏にかけてはトカゲ類、秋から冬にかけてはマダラコオロギやクビワオオコウモリが多くなる傾向にある<ref name="IriomoteCat" />。

=== 繁殖 ===
普段は[[夜行性]]もしくは[[薄明薄暮性]]であるが、繁殖期には日中も活動するようになる<ref name="Imaizumi1994-4">今泉(1994), Pp.119-157</ref>。また、繁殖期以外は単独で行動するが、繁殖期中の交尾期になるとつがいで行動するようになる<ref name="Imaizumi1994-3" /><ref name="Imaizumi1994-4" />。繁殖期は12月から3月にかけてであり、メスは繁殖期中に発情を何回か繰り返すが、発情のピークは1-2月頃である<ref name="fn6"/><ref name="Imaizumi1994-3" />。2月下旬になると2週間程度の絶食期があり、その間はメスの発情が特にピークを迎え、オスとメスは常時行動を共にするようになり、この間に妊娠をすると考えられている<ref name="Imaizumi1994-4" />。

繁殖形態は胎生で、5-6月に樹洞や洞窟などで1回に2-3頭の幼獣を産む<ref name="fn1"/><ref name="fn2"/><ref name="fn3"/><ref name="bio"/><ref name="sizen"/>。この出産や育児用の樹洞は、風通しがよく、乾燥した場所が選ばれる<ref name="Imaizumi1994-4" />。
生まれた子供は約11ヶ月の間、メスに育てられる<ref name="Imaizumi1994-4" />。生後20ヶ月で性成熟する<ref name="fn3"/>。メスは幼獣を自分の縄張りに残し、次の繁殖期を迎えると新しく縄張りを形成する<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/>。

=== 寿命 ===
野生下での[[寿命]]は推定で7-8年、飼育下の寿命は8-9年である<ref name="fn3"/><ref name="Imaizumi1994-4" />。しかし今泉(1994)は交通事故死や罠などによる人為的な影響を考え合わせると、4-5歳であるかもしれないとしている<ref name="Imaizumi1994-4" />。[[1979年]]6月14日に親ネコとはぐれて生後約5週齢で保護されたオスの個体「ケイ太」は、[[沖縄こどもの国]]動物園で飼育され、[[老衰]]で死ぬまで13年間生き、推定年齢は13年2ヶ月とされる<ref name="Imaizumi1994-4" />。また、国立科学博物館で飼育されたメスの個体の年齢は推定で9歳7ヶ月と見られる<ref name="Imaizumi1994-4" />。また、1996年8月6日に交通事故に会い保護されたオスの個体「よん」は、環境省西表野生生物保護センターで飼育期間最長となる14年8ヶ月飼育され、推定年齢は最高齢となる15歳1ヶ月とみられる<ref name=ryukyunews>{{Cite web|url=http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-176001-storytopic-5.html|title=15歳1ヵ月「よん」死ぬ 最長寿イリオモテヤマネコ|accessdate=2011-4-12|author=琉球新報社}}</ref>。


== 発見の経緯 ==
== 発見の経緯 ==
イリオモテヤマネコの発[[1965年]]の[[戸川幸夫]]、記載は[[1967年]]、当時の[[国立科学博物館]]動物部長であった[[今泉吉典]]による<ref>{{cite journal | author = Imaizumi Y| title = A new genus and species of cat from Iriomote, Ryukyu Islands.| journal = J. Mammal Soc. Jpn.| year = 1967| volume = 3| issue = 4| pages = 74-105}}</ref>。
イリオモテヤマネコの発は1965年の[[戸川幸夫]]、記載は1967年当時の[[国立科学博物館]]動物部長であった[[今泉吉典]]による<ref>{{cite journal | author = Imaizumi Y| title = A new genus and species of cat from Iriomote, Ryukyu Islands.| journal = J. Mammal Soc. Jpn.| year = 1967| volume = 3| issue = 4| pages = 74-105}}</ref>。


西表島に野生ネコがいることは、以前から現地では知られており「ヤママヤ」(山にいるネコ)、「ヤマピカリャー」(山で光るもの)、「メーピスカリャー」(目がぴかっと光るもの)などと呼称し、野良猫を「ピンギマヤ」、飼い猫を単に「マヤ」やあるいは「マヤグヮー」と呼称し、区別していた<ref name="Imaizumi1994-Yamapika">今泉(1994), Pp.8-13, Pp. 144-147</ref><ref name=Togawa1972-1>戸川(1972), Pp.13-92</ref>。一方で、飼い猫が野生化した[[野猫]]ではないかとも考えられていた<ref name="fn1"/><ref name="fn2"/>。また、沖縄がアメリカの占領下にあった頃に、アメリカの大学による総合調査が行われたが、その時もイリオモテヤマネコの発見には至らなかった<ref name="Imaizumi1994-1" />。
西表島に野生ネコがいることは地元では古くから知られていたが<ref name="fn1"/><ref group="a" name="sizen"/>、単に脱走したイエネコと考えられていた<ref name="fn2"/>。[[1962年]]にこれらの情報を基に[[琉球大学]]の[[高良鉄夫]]が幼獣を捕獲したが、成獣の標本は入手できなかった<ref name="fn1"/>。沖縄の本土復帰に先立つ1965年3月、八重山を訪れることになった動物文学作家の[[戸川幸夫]]が、那覇市で琉球新報の記者から「西表島では山猫がいるという噂がある」ことを聞いた。彼はこれをよくあるヤマイヌ発見談のようなものと考えたが、知人であった琉球大の高良に相談したところ、彼はその噂を知っており、しかも一定の信頼性が感じられることを説明した上で、戸川に証拠集めを依頼したという。彼は西表島に渡り、幸いに[[標本 (分類学)|標本]](頭骨と毛皮2枚)を入手し、1965年の日本哺乳学会において公表した<ref name="fn1"/>。高良はこれを聞いて戸川にそれを東京で研究するようにと要請した。そのため戸川はこれらを今泉に託し、これを元に研究が進められた。後に検討が進められ、1967年にはオスメス各1体の生体も生け捕られた。そして戸川が入手した計6個の頭骨と3枚の毛皮を基に、ネコ科内でも原始的な分類群である {{snamei|Metailurus}} 属に近縁な新属新種として記載された<ref name="fn1"/>。旧属名''Mayailurus''は''maya''は生息地の方言、''-ilurus''は古代ギリシャ語で共に「ネコ」を指す<ref name="fn1"/>。


=== 標本の入手まで ===
野生ネコの新種(当時)が発見されるのは70年ぶりのことであり、[[20世紀]]最大の生物学的発見とまで言われた<ref group="※">日本には、ノネコを除けば、野生のネコ科動物は、[[対馬]]の[[ツシマヤマネコ]]と西表島のイリオモテヤマネコしか生息しない。</ref>。西表島は面積が290平方kmほどで、これは[[ヤマネコ]]の住む島としては(またヤマネコの生息域としても)世界最小である<ref>この章の断りの無い部分については戸川(1972)による。</ref>。
1962年にこれらの情報を基に[[琉球大学]]の[[高良鉄夫]]が幼獣を捕獲したが、成獣の標本は入手できなかった<ref name="fn1"/>。また、1964年には早稲田大学探検部の高野凱夫がヤマネコが生息しているという噂を今泉らに伝えた<ref name="Imaizumi1994-1" />。沖縄の本土復帰に先立つ1965年2月、八重山を訪れることになった動物文学作家の[[戸川幸夫]]が、那覇市で琉球新報の記者から「西表島ではヤマネコがいるという噂がある」ことを聞いた<ref name=Togawa1972-1 />。戸川はこれをよくあるヤマイヌ([[ニホンオオカミ]])発見談のようなものであり、飼い猫が野生化したものであると考えたが、知人であった琉球大の高良に相談したところ、彼はその噂を知っており、しかも一定の信頼性が感じられることを説明した上で、戸川に証拠集めを依頼した<ref name="Imaizumi1994-1" /><ref name=Togawa1972-1 />。戸川は当時担当していた記事の取材を兼ね西表島に渡り、ヤマネコの情報の入手や標本の収集に奔走した<ref name=Togawa1972-1 />。しかし西表島では食糧不足のため捕獲されたヤマネコは焼いて汁にして食べるか、捨てていたためにヤマネコの標本の入手は容易ではなかった<ref name=Togawa1972-1 />。その後、島の西部にある網取部落を訪れた際に、高良に師事をしていた中学校の教師が、イノシシ用の罠で捕獲されたヤマネコの死体を入手し、皮を高良に送り、その他は埋めたことを聞きつけ、戸川らはこれを掘り起こし、頭骨を入手した<ref name=Togawa1972-1 />。また網取り部落付近で手に入れた2個の糞を発見している<ref name=Togawa1972-1 />。また同時に、浦内川沿いにあるイナバ部落の漁師が皮を保管しており、これも手に入れた<ref name=Togawa1972-1 />。この3つの標本を手に再び琉球大学の高良のもとを訪れ、網取部落の中学校教師が高良に送ったヤマネコの皮を入手し、これらの標本を国立科学博物館の今泉のもとに送り、日本哺乳動物学会に鑑定を依頼した<ref name=Togawa1972-1 />。1965年3月14日に日本哺乳動物学会において、これらの標本の鑑定がなされた<ref name="Imaizumi1994-1" />。鑑定の結果、新種もしくは新亜種らしいということにはなったが、標本が足りなく、完全な標本もしくは生体の入手が求められた<ref name="Imaizumi1994-1" />。この発表の後も、哺乳動物学会員の中には、単なる[[奇形]]であるか、もしくは過去に船乗りが海外産のヤマネコを西表島に離したものであると考えるものもいた<ref name=Togawa1972-1 />。


=== 生体の捕獲から発表まで ===
== 分布 ==
[[ファイル:mare_falls.jpg|thumb|right|250px|タイプ標本が発見された南風見田の浜の小さな滝]]1965年6月に戸川は、生態情報の収集や、完全な標本の入手、生け捕りを目標とし、再び高良とともに西表島を訪れた<ref name=Togawa1972-2>戸川(1972), Pp. 93-138</ref>。この時に戸川らは、生け捕りをするために箱罠やマタタビを持ち込んでいる<ref name=Togawa1972-2 />。しかし、猟師によって捕らえられるのは多くて年に1,2頭であったことや、生息個体数がさほど多くはないと推定していたため、戸川はヤマネコを生け捕りできることには期待はしていなかった<ref name=Togawa1972-2 />。
[[日本]]([[西表島]])<ref name="fn1"/><ref name="fn2"/><ref name="fn3"/><ref name="fn4"/><ref name="fn5"/><ref name="fn6"/>[[固有種|固有亜種]]<ref group="a" name="bio"/><ref group="a" name="sizen"/>。
これに先立つ1965年5月5日に、島南部の南風見田の浜にある、通称“マーレー”と呼ばれる小さな滝の下で、遠足にきていた大原中学校の生徒がけがをして弱っているオスを発見し、引率の教諭が捕獲した<ref name="Imaizumi1994-1" /><ref name=Togawa1972-2 />。別の教諭がこの個体の皮をホルマリン標本に、頭骨や骨格を木箱に入れ学校の裏に埋め、後に戸川らにより掘り起こされ、この個体がイリオモテヤマネコの[[タイプ (分類学)|タイプ標本]]となった<ref name="Imaizumi1994-1" /><ref name=Togawa1972-2 />。その後も、[[由布島]]で砕けた幼獣の頭骨を手に入れ、今泉により復元されている<ref name=Togawa1972-2 />。また、戸川はこの調査時に、イリオモテヤマネコよりも大きいオオヤマネコ(後述)の噂を聞きつけ、調査を行っている<ref name=Togawa1972-2 />。戸川は帰京前に、ヤマネコに生体は100ドル、死体は30ドルなどと懸賞金をかけ、竹富町長や八重山毎日新聞の協力を得て、西表島の掲示板などで告知した<ref name=Togawa1972-3>戸川(1972), Pp. 139-176</ref>。なおこの時、オオヤマネコにも生体には200ドル、死体には100ドルの懸賞金をかけている<ref name=Togawa1972-3 />。この調査では、2体分の全身骨格、頭骨2つ、毛皮3枚などを持ち帰った<ref name=Togawa1972-3 />。この毛皮の内1枚は大原中学校の学生らが捕獲した個体のもので、ヤマネコのものと鑑定されたが、由布島で手に入れたものは標本が小さく鑑定は保留され、また残りの[[石垣島]]で手に入れた1枚はイエネコのものと鑑定された<ref name=Togawa1972-3 />。


1966年1月に仲間川流域でイノシシ罠で捕獲されたヤマネコの死体が、琉球大学の高良のもとに送られているが、その後しばらくは捕獲されたという情報は入らなかった<ref name=Togawa1972-3 />。1966年12月に仲間川中流域で猟師である黒田宏により、オスの成獣が生け捕られたが、これは直後に逃げられた<ref name=Togawa1972-3 />。しかし、そのすぐ後に再び黒田が別のオスを捕獲した<ref name="Imaizumi1994-1" />。同年1月15日には、仲間山付近でメスの若い個体が捕獲された<ref name="Imaizumi1994-1" /><ref name=Togawa1972-3 />。報奨金については国立科学博物館の庭園の修繕費を回すことになったが、捕獲した猟師や地元の人々は1頭に付き1000-3000ドル程度を期待していた<ref name=Togawa1972-3 />。しかし、営林署長の説得により、日当及び礼金として予算内での謝礼金を支払っている<ref name=Togawa1972-3 />。一方、時の竹富町長は日本政府[[南方連絡事務所]]や琉球政府に掛け合い、天皇へこの2頭のヤマネコを献上し、西表島の名を広めかつ、産業開発の促進をすることを目的に、那覇市へと渡った<ref name=Togawa1972-3 />。と同時に、竹富町役場は、琉球政府から飼育許可を得ていることを理由に、国立科学博物館職員の手からヤマネコを取り上げ、役場へと持ち帰った<ref name=Togawa1972-3 />。結局、戸川の新聞社への働きかけや、今泉の文部省(当時)を通じた琉球政府や南方連絡事務所への働きかけにより、南方連絡事務所は天皇への献上手続きを拒否し、琉球政府は竹富町長を説得し、最終的に国立科学博物館へと運ばれることが決定した<ref name=Togawa1972-3 />。
== 形態 ==
体の形態には原始的な特徴を残し、イエネコよりもずんぐりしている。胴が長く、四肢は太く短い。大きさはイエネコとほとんど変わらないか、少し大きい。[[体長]]オス55-60センチメートル、メス50-55センチメートルとオスの方がメスよりやや大きい<ref name="fn6"/>。尾長23-24センチメートル<ref name="fn3"/>。[[体重]]オス3.5-5キログラム、メス3-3.5キログラム<ref name="fn6"/>。耳介の先端は丸く、房状に体毛が伸長しない<ref name="fn2"/>。毛衣は暗灰色や淡褐色<ref name="fn3"/><ref name="fn6"/>。頬に左右に2本ずつ、額から肩にかけて5本の縞模様が入る<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/>。体側面には暗褐色の斑点<ref name="fn3"/>、胸部には不規則に3-4本の帯模様が入る<ref name="fn2"/>。尾背面には不規則に暗褐色の斑点が入るが<ref name="fn3"/>、尾腹面に斑紋が入らない<ref name="fn2"/>。{{要出典範囲|[[肉球]]はイエネコより大きい。尾も太く、先端にいくほど被毛がふさふさとして、見かけの上ではより太い。|date=2010年10月}}


この2頭はその後、1967年3月20日に東京・[[東京国際空港|羽田空港]]へと空輸された<ref name=Togawa1972-3 />。翌日には今泉吉典宅にしばらく飼育され、その後発見者である戸川幸夫宅で国立科学博物館の委託を受け約2年間飼育され、生態が観察された<ref name="Imaizumi1994-1" /><ref name=Togawa1972-4>戸川(1972), Pp.177-242</ref>。その後、国立科学博物館に移され生態が観察され、オスは1973年4月25日に、メスは1975年12月13日に死亡した<ref name="Imaizumi1994-1" />。オスの皮は仮剥製に、血は染色体研究用に、その他の体は液浸標本に、メスは本剥製にされ、展示されている<ref name="Imaizumi1994-1" />。
頭骨は細長い<ref name="fn2"/><ref group="a" name="sizen"/>。脳はオスでも30グラムと小型<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/>。[[後頭骨]]の突起と聴胞が接しない<ref name="fn1"/><ref name="fn2"/>。耳介は丸みを帯びる<ref name="fn1"/><ref name="fn2"/><ref name="fn3"/><ref group="a" name="sizen"/>。吻端の体毛で被われない板状の皮膚(鼻鏡)も大型で<ref name="fn2"/>、鼻面も太い<ref name="fn3"/>。下顎の縫合部が短い<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/>。歯列は門歯が上下6本、犬歯が上下2本、小臼歯が上下4本、大臼歯が上下2本の計28本で<ref name="fn1"/><ref name="fn2"/><ref name="fn3"/>、イエネコなど多くのネコ類より上顎前臼歯が1対少ない。四肢は太く短い<ref name="fn2"/>。肛門周辺の臭腺(肛門腺)は肛門から離れた位置に開口する<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/>。


その後、1967年5月に発行された哺乳類動物学雑誌の第3号・第4号で、ネコ科内でも原始的な分類群であるメタイルルス属{{snamei|Metailurus}}に近縁な新属新種として英文で発表された<ref name="Imaizumi1994-1" />。旧属名''Mayailurus''は''maya''は生息地である西表島での方言でネコを意味し、また''-ailurus''は古代ギリシャ語でネコを意味する<ref name="Imaizumi1994-1" />。また、''iriomotensis''は「西表の」という意味である<ref name="Imaizumi1994-1" />。和名は、今泉は発見者の戸川の名を取って、トガワヤマネコと名付けるよう提案したが、戸川はこれを辞退し、[[ツシマヤマネコ]]に習い発見地の西表島の名前を取って名付けるよう提案をし、高良の賛成もあって、イリオモテヤマネコと名付けられた<ref name=Togawa1972-1 />。
== 分類と系統 ==
学会発表時、イリオモテヤマネコは食肉目ネコ科イリオモテヤマネコ属の1属1種 {{snamei|Mayailurus iriomotensis}} とされた。形態から[[中新世]]から[[鮮新世]]前期に出現した、化石群メタイルルス属と近縁な原始的な特徴を残した種であるとした<ref name="fn2"/><ref name="fn5"/>。一方で1属1種とする説は有力とされず記載直後から頭骨や歯、標本や生体の検討から独立種ではあるもののネコ属やベンガルヤマネコ属の構成種とする、あるいは独立種ではなくベンガルヤマネコに含める説もあった<ref name="fn1"/><ref name="fn5"/>。核型や核内の[[リボソームRNA]]の制限酵素断片長、[[ミトコンドリアDNA]]内の12S リボソームRNA、[[チトクロム]]bの[[分子系統学]]的解析はベンガルヤマネコと一致あるいはほぼ一致し、非常に近縁(ネコ科他種における種内変異あるいは個体変異の範疇)と推定されている<ref name="fn5"/><ref>{{cite journal | author = Suzuki H, Hosoda T, Sakurai S, Tsuchiya K, Munechika I, Korablev VP| title = Phylogenetic relationship between the Iriomote cat and the leopard cat, ''Felis bengalensis'', based on the ribosomal DNA| journal = The Japanese journal of genetics| year = 1994| volume = 69| issue = 4| pages = 397-406 |naid =10006701901}}</ref>。またチトクロムbの塩基置換速度および多様度からベンガルヤマネコの他亜種とは200,000年前に分化したと推定され<ref>{{cite journal | author = Masuda R, Yoshida MC| title = Two Japanese wildcats, the Tsushima cat and the Iriomote cat, show the same mitochondrial DNA linage as the leopard cat ''Felis bengalensis''.| journal = Zoological Science| year = 1995| volume = 12| pages = 656-9}}</ref>、海洋地質学でも240,000-20,000年前には琉球諸島および大陸間に断続的な陸橋があったと推定されていることからこの時期に侵入したと推定されている<ref name="fn5"/>。また本亜種内の遺伝学的多様性は乏しいと推定されている<ref group="a" name="bio"/>。


== 生態 ==
=== ヤマピカリャー ===
一般には、現地でヤマピカリャーなどと呼ばれてきたネコ科動物は、イリオモテヤマネコであったと考えられている。しかし体長がイエネコの倍ほど、尾が約60cmほどで、イリオモテヤマネコとは模様の違う大型のネコ科動物が現地の人によって幾度か目撃されている<ref name="Imaizumi1994-Yamapika" />。この“大ヤマネコ”はヤマピッカリャー([[新城島]])、クンズマヤー(祖納地区)、トウトウヤー(古見地区)などと呼ばれて、イリオモテヤマネコやイエネコ(野良猫)とは区別されてきた<ref name="Imaizumi1994-Yamapika" /><ref name=Iriomote35-59P>{{Cite web|url=http://www.museums.pref.okinawa.jp/museum/issue/report/image/iriomote/Iriomote4.pdf|title=西表島総合調査報告書|accessdate=2011-4-18|author=沖縄県立博物館}}<!--- 西表島およびその周辺の島における野生動物の方言 ---></ref>。1965年には戸川が地元猟師の話を受け、猟師が数ヶ月前に虎毛のオオヤマネコを殺し、死体を捨てたという南風見を調査している<ref name=Togawa1972-2 />。10日前までは白骨化してそこにあったと言うが、折からの雨により流失していた<ref name=Togawa1972-2 />。しかし、その猟師は寸法を計測しており、肩高は大人の膝くらい、尾長は約60cm、全長はイエネコの2倍ほどであり、イリオモテヤマネコのようなヒョウ柄ではなく、緑がかった虎毛であったという<ref name=Togawa1972-2 />。
標高200メートル以下にある[[スダジイ]]やカシからなる[[森林]]に生息する<ref name="fn1"/><ref group="a" name="sizen"/>。[[川|河川]]の周辺や低[[湿原]]、林縁などを好む<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/><ref name="fn6"/>。[[夜行性]]で<ref name="fn2"/>、特に薄明薄暮時に活動する<ref group="a" name="bio"/>。昼間は[[樹洞]]や岩穴などで休む<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/>。1-7平方キロメートルの行動圏内で生活する<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/><ref name="fn6"/>。行動圏内にある石や切り株、藪などに糞尿をかけて縄張りを主張する<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/>。主に地表性だが、樹上にも登る<ref name="fn1"/><ref group="a" name="sizen"/>。水に入って泳いだり、潜水して獲物を捕らえる<ref name="fn1"/><ref name="fn2"/><ref name="fn3"/><ref group="a" name="sizen"/>。


1982年6月2日の[[読売新聞]]には、ヤマピカリャーの目撃談の記事があり、長年イノシシ猟をしている猟師がテドウ山にかけての山中で10回にわたり目撃しうち一回は捕らえて食べているほか、子連れのヤマピカリャーの目撃談も寄せられている<ref name="Imaizumi1994-Yamapika" />。その後も目撃談は存在し、例えば2007年9月14日には魚類の研究のために滞在中の秋吉英雄[[島根大学]][[教授]]によって、イリオモテヤマネコより大型で尾が長く斑紋を持つ動物が、島内でも人跡まれな南西部の崎山半島で目撃されたことが伝えられている<ref>[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-30074-storytopic-5.html 伝説の生物「ヤマピカリャー」? 西表で目撃相次ぐ] 琉球新報、2007年12月27日</ref>。一方、今泉(1994)は、地元猟師が保有していた、“大ヤマネコ”とされる頭蓋骨を見聞したところ、実際はイエネコであったという<ref name="Imaizumi1994-Yamapika" />。
食性は動物食で、哺乳類([[クマネズミ]]、[[クビワオオコウモリ|ヤエヤマオオコウモリ]]、[[イノシシ|リュウキュウイノシシ]]の幼獣)、[[鳥類]]([[カルガモ]]、[[オオクイナ]]、[[コノハズク]]、[[シロハラ]]、[[シロハラクイナ]])、[[爬虫類]]([[ヘビ]]、[[キシノウエトカゲ]])、[[サキシマヌマガエル]]、[[魚類]]、[[マダラコオロギ]]、[[カニ]]などを食べる<ref name="fn1"/><ref name="fn2"/><ref name="fn6"/><ref group="a" name="bio"/>。鳥類を食べるときに門歯で羽毛をむしらず<ref name="fn3"/>、また他の多くのネコ類のように[[脊髄]]を破壊して獲物をすぐに仕留めることはせず、動かなくなるまで咥え続ける<ref name="fn1"/>。


一般に体の大きさと行動圏の広さは比例し、体の大きさが大きいほど行動圏も広くなる<ref name="Imaizumi1994-Yamapika" />。一般的にイリオモテヤマネコの行動圏は6.5平方kmほどであるが、目撃されているオオヤマネコの大きさから考えると行動圏は約30平方kmの行動圏が必要となり、面積が約290平方kmの西表島には、10頭弱のオオヤマネコしか生息できない計算となる<ref name="Imaizumi1994-Yamapika" />。
つがいで行動する繁殖期以外は単独で暮らす。繁殖形態は胎生。主に11-翌4月に交尾を行う<ref name="fn3"/><ref name="fn6"/><ref group="a" name="bio"/>。5-6月に樹洞や洞窟などで1回に2-3頭の幼獣を産む<ref name="fn1"/><ref name="fn2"/><ref name="fn3"/><ref group="a" name="bio"/><ref group="a" name="sizen"/>。生後20か月で性成熟する<ref name="fn3"/>。メスは幼獣を自分の縄張りに残し、次の繁殖期を迎えると新しく縄張りを形成する<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/>。飼育下の[[寿命]]は8-9年<ref name="fn3"/>。[[1979年]]、親ネコとはぐれて生後約5週齢で保護されたオスの個体「ケイ太」は、[[沖縄こどもの国]]動物園で飼育され<ref name="fn2"/>、{{要出典範囲|[[老衰]]で死ぬまで13年間生きた。|date=2010年10月}}<!-- Amazon の書誌情報では18年になっている。{{Cite book | 和書| author = 比嘉源和、日下部由紀代 | title = イリオモテヤマネコケイ太飼育日誌| year = 1997| publisher = 沖縄出版| id = ISBN 978-4900668669}}-->


== 人間との関係 ==
== 人間との関係 ==
開発による生息地の破壊、イヌによる捕食、交通事故、イノシシ用の罠による混獲などにより生息数は減少している<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/><ref name="fn6"/>。[[1985]]における生息数は83-108[[1994]]における99-110と推定されている<ref group="a" name="bio"/>。
開発による生息地の破壊、イヌによる捕食、交通事故、イノシシ用の罠やカニ罠による混獲などにより生息数は減少している<ref name="fn1"/><ref name="fn3"/><ref name="fn6"/>。第2次調査(1982-84における生息数は83-108第3次調査(1994-93における99-110匹、第4次調査(2005-07年)では100-109匹と推定されている<ref name="bio"/><ref name=env2008>{{Cite web|url=http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=10060|title=イリオモテヤマネコ生息状況等総合調査(第4次)の結果について(お知らせ)|accessdate=2011-05-01|author=環境省}}</ref>。また第3次調査時における推定個体数は、第4次調査と同じ推定方法を用いると108-118匹と推定され、個体数は減少していると考えられている<ref name=env2008 />。


=== 保全状態評価 ===
=== 保全状態評価 ===
IUCNによる保全状態の評価では、種ベンガルヤマネコ(''P. bengalensis'')は、Least concern(軽度懸念)に分類されている<ref name="iucn_bengal">
[[琉球政府]](当時)指定の[[天然記念物]]に指定された{{要出典|date=2011年2月}}。日本では[[1972年]][[5月15日]]に国指定の天然記念物、[[1977年]][[3月15日]]に特別天然記念物、[[1994年]]に[[絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律|種の保存法]]により国内[[希少野生動植物種]]に指定されている([[1月28日]][[法令|政令]]公布、[[3月1日]]施行)<ref name="fn4"/><ref group="a" name="bio"/><ref group="a" name="env">[http://www.env.go.jp/nature/yasei/hozonho/list_domestic.pdf 国内希少野生動植物種] - 環境省</ref><ref group="※">[[哺乳類]]では長い間、イリオモテヤマネコと、同時に指定された[[ツシマヤマネコ]]だけが種の保存法による保護対象種であった(後に[[ダイトウオオコウモリ]]と[[アマミノクロウサギ]]がこれに加えられた)。</ref>。
[http://www.iucnredlist.org/ The IUCN Red List of Threatened Species]
{{絶滅危惧IA類|ref=<ref group="a" name="sizen"/>}}
* Sanderson, J., Sunarto, S., Wilting, A., Driscoll, C., Lorica, R., Ross, J., Hearn, A., Mujkherjee, S., Khan, J.A., Habib, B. & Grassman, L. 2008.[http://www.iucnredlist.org/apps/redlist/details/18146/0 ''Prionailurus bengalensis'']. In: IUCN 2010. IUCN Red List of Threatened Species. Version 2010.4.
</ref>。一方で亜種イリオモテヤマネコ(''P. b. iriomotensis'')は当初はEndangered(絶滅危惧IB類)に分類されていたが、2008年の査定では西表島でしか確認されていないことや個体数が減少を続けていることなどから、Critically endangered(絶滅危惧IA類)に分類されている<ref name="iucn" />。
{{Critically endangered|IUCN=3.1}}

[[琉球政府]](当時)指定の[[天然記念物]]に指定されていた<ref name="Togawa1972-3" />。沖縄の本土復帰に伴い、[[1972年]][[5月15日]]に国指定の天然記念物に指定され、[[1977年]][[3月15日]]に特別天然記念物、[[1994年]]に[[絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律|種の保存法]]により国内[[希少野生動植物種]]に指定されている([[1月28日]][[法令|政令]]公布、[[3月1日]]施行)<ref name="fn4"/><ref name="bio"/><ref name="env">[http://www.env.go.jp/nature/yasei/hozonho/list_domestic.pdf 国内希少野生動植物種] - 環境省</ref>。また、環境省のレッドリストでは当初は絶滅危惧IB類に分類していたが、2007年のレッドデータの見直しにより、絶滅危惧IA類に再評価された<ref name=RDB_env>{{Cite web|url=http://www.env.go.jp/press/press.php?serial=8648|title=哺乳類、汽水・淡水魚類、昆虫類、貝類、植物I及び植物IIのレッドリストの見直しについて|accessdate=2011-03-28|author=環境省自然環境局野生生物課 }}</ref>。<br />

{{絶滅危惧IA類|ref=<ref name="sizen"/>}}


=== 行政の対応 ===
=== 行政の対応 ===
行政の対応としては、[[1978年]]に当時の環境庁がイリオモテヤマネコへの給餌作戦を開始し、幼獣生存率の上昇を図っている<ref group="※">同年、[[イギリス]]の[[フィリップ (エディンバラ公)|エンバラ公]]より日本の[[皇]]に宛ててイリオモテヤマネコの保護を訴える手紙が寄せられたが、この手紙の付属報告書に住民島外退去の提案などがあったため、地元の反発を招くこととなった。</ref>。また[[1983年]]には発信器つい首輪で野生動物の位置調べる[[テレメトリー]]調査が開始され、イリオモテヤマネコも対象とされた
[[ファイル:Iriomote_wildlife_conservation_centre.jpg|thumb|250px|西表野生生物保護センター|left]][[1977年]]に[[イギリス]]の[[フィリップ (エディンバラ公)|エディンバラ公]]より[[明仁|当時の太子殿下]]に宛ててイリオモテヤマネコの保護を訴える手紙が寄せられたが、この手紙の付属報告書(ライハウゼン博士よるも)にこれ以上の移住及び開墾禁止提案などがあった<ref name="Imaizumi1994-4" />。これに対し皇太子殿下はイリオモテヤマネコの保護と地元住民生活が両立できるような方法で保護活動が行われることが望ましい答え、また当時の首相である[[福田赳夫]]も鳥獣保護区設置の検討を伝え、エディンバラ公の日本の野生動物問題に関する関心に謝意てい<ref name="Imaizumi1994-4" />


1972年に国立科学博物館がイリオモテヤマネコの生態調査の下見を、1973年11月には世界野生保護基金及び環境庁(当時)が合同でイリオモテヤマネコの生態調査の予備調査を行い、1974年から環境庁による3年間のイリオモテヤマネコ生息状況等総合調査が行われた<ref name="Imaizumi1994-1" /><ref name=env2008 />。その後も、1982-84年に第2次調査、1992-93年に第3次調査、2005-07年に第4次調査が行われた<ref name=env2008 />。
[[1991年]]3月には「西表島森林生態系保護地域」が設定され、地域内の自然環境保護が図られている<ref group="a">[http://www.rinya.maff.go.jp/kyusyu/okinawa/sinrinkanrisyo/hogotiiki/index.html 西表島森林生態系保護地域(保全利用地区・保存地区)] - 九州森林管理局</ref>。また保護増殖事業・調査研究の実施・普及啓発等の業務を統合的に推進するための拠点施設である「西表野生生物保護センター」の設置、道路標識の設置などの保護対策が進められている<ref group="a" name="bio"/>。給餌も行われているが、批判的な意見もある<ref name="fn3"/>。


[[1979年]]に環境庁(当時)がイリオモテヤマネコへの3年間の給餌作戦を開始し、幼獣生存率の上昇を図っている<ref name="Imaizumi1994-4" />。しかし、このような給餌活動には、批判的な意見もある<ref name="fn3"/>。
イリオモテヤマネコの[[交通事故]]死は例年数件が報告されており、[[1988年]]には県が「ヤマネコ注意」の看板設置を開始。[[2001年]]に「非常事態宣言」が出されている。


発見以来、様々な生態調査が行われ、2006年現在においては、イリオモテヤマネコの生息状況を把握するため、自動撮影調査、ラジオ・テレメトリー調査、ウイルス感染の有無を確認する臨床病理調査、糞や食痕を確認する痕跡調査、住民や観光客の目撃情報をとりまとめる目撃情報調査などを行っている<ref name="IriomoteCat" /><!--- 文献に頼ると2006年になってしまうが、2011年も行われている --->。
=== 生物間の問題 ===
上記のような交通事故や、開発に伴う原生林の伐採、湿地の開発といった人間の手による自然環境の改変と並んで、他のネコとの競合や伝染病の伝搬、交雑による[[遺伝子汚染]]も懸念されている<ref name="fn6"/>。特に懸念される要因はイエネコが野生化・半野生化したノネコの存在である。これまでのモニターリングでは検出されていないが、食物を奪い合う競合関係による圧迫、ノネコとの接触による[[猫免疫不全ウイルス感染症|FIV感染症]](いわゆる[[猫後天性免疫不全症候群|ネコエイズ]])をはじめとする[[感染症]]、交雑による純血個体の減少が懸念されている<ref name="fn6"/>。


イリオモテヤマネコの生息域の一部は1972年4月18日に[[政府立公園|西表政府立公園]](同年5月15日の[[沖縄返還]]にともない[[西表石垣国立公園|西表国立公園]]となった)に指定されたほか、[[1991年]]3月には11,584.67ヘクタール(約115.84平方キロメートル)の「西表島森林生態系保護地域」が設定され、地域内の自然環境保護が図られている<ref name=>{{Cite web|url=http://www.env.go.jp/park/iriomote/intro/basis.html|title=西表石垣国立公園 基礎情報|accessdate=2011-03-29|author=環境省}}</ref><ref name="KFO">{{Cite web|url=http://www.rinya.maff.go.jp/kyusyu/okinawa/sinrinkanrisyo/hogotiiki/index.html|title=西表島森林生態系保護地域(保全利用地区・保存地区)|accessdate=2011-03-28|author=九州森林管理局}}</ref>。しかし、これらの保護区はイリオモテヤマネコの生息地に適しているとされる標高200メートル以下の地域を十分には含んでいない<ref name="bio"/>。1995年には保護増殖事業・調査研究の実施・普及啓発等の業務を統合的に推進するための拠点施設である「西表野生生物保護センター」が設置された<ref name="bio"/>。
[[2000年]]に地元の市民団体などによる調査で、実際に西表島の飼いネコ3匹からFIVが検出され、イリオモテヤマネコへの感染が懸念されたため、翌2001年に[[竹富町]]では飼いネコの登録を義務づける「ネコ飼養条例」が制定された。2008年6月には飼いネコのウイルス検査や予防接種、避妊・去勢手術を義務づける厳しい内容に改正されている<ref group="a">[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-133305-storytopic-1.html 飼い猫の避妊義務化 イリオモテヤマネコ保護] [[琉球新報]]、2008年6月19日</ref><ref group="a">[http://eco.nikkei.co.jp/news/today/article.aspx?id=NN000Y290%2031052008 西表島にヤマネコ保護条例] 日経エコノミー 、2008年5月31日</ref>。さらに耳腺などから強い毒液を分泌する[[オオヒキガエル]]<ref group="a">[http://iwcc.a.la9.jp/ym_kiki.htm ヤマネコにせまる危機] - IWCC</ref>が島に入り込んでいることが判明し、ヤマネコへの被害を防ぐために[[2008年]]から市民参加で駆除活動が行われている<ref group="a">[http://www.y-mainichi.co.jp/news/15157/ 外来生物次々と侵入 広がる生態系への影響] - 八重山毎日新聞オンライン</ref>。

1972年の沖縄本土復帰以来、本土資本による開発が進み、特に1977年の島を半周する県道の全線開通以降、毎年数頭のイリオモテヤマネコが交通事故にあっている<ref name="Imaizumi1994-4" />。環境省や沖縄県、竹富町などにより道路標識や動物用トンネル、ゼブラゾーン(振音舗装)、幅広側溝、片勾配側溝の設置などの保護対策が進められている<ref name="bio"/><ref name=>{{Cite web|url=http://iwcc.a.la9.jp/iwcc.htm|title=イリオモテヤマネコを守る!~IWCCの取り組み|accessdate=2011-05-01|author=西表野生生物保護センター}}</ref>。一方で、イリオモテヤマネコをはじめとする西表島の貴重な生態系を守る取り組み、例えば土地改良事業などの土地開発の制限などに異を唱える住民も少なくない<ref name="Imaizumi1994-4" />。

<gallery>
ファイル:Warning_signs_for_Iriomote_cat.jpg|イリオモテヤマネコの絵が描かれた道路標識
ファイル:Warning_sign_for_iriomote_cat.jpg|飛び出し注意を呼びかける看板。目撃情報用に通し番号が振られている
ファイル:zebra_zone_at_iriomote.jpg|ゼブラゾーン及び片勾配側溝。ゼブラゾーンを車が通行すると音がし、ヤマネコに車の存在を知らせることができる
</gallery>

=== 生物間の問題 ===
上記のような交通事故や、開発に伴う原生林の伐採、湿地の開発といった人間の手による自然環境の改変と並んで、飼い猫や野良猫との競合や伝染病の伝搬、交雑による[[遺伝子汚染]]や、イヌによる捕食などが懸念されている<ref name="fn6"/><ref name="bio"/>。特に懸念される要因は飼い猫が野生化・半野生化した野良猫の存在であり、これまでのモニタリングでは検出されていないが、食物を奪い合う競合関係による圧迫、野良猫との接触による[[猫免疫不全ウイルス感染症]](いわゆるネコエイズ)をはじめとする[[感染症]]、交雑による純血個体の減少が懸念されている<ref name="fn6"/>。


[[1999年]]6月に野生生物保護センターなどによる飼い猫や野良猫50匹とイリオモテヤマネコ23匹を対象とした調査で、イリオモテヤマネコからは猫免疫不全ウイルス感染症の原因となる猫免疫不全ウイルス(FIV)は検出されなかったが、飼い猫や野良猫3匹からFIVが検出された<ref name=ryusin990628>{{Cite web|url=http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-94591-storytopic-86.html|title=西表で猫エイズ初確認/イリオモテヤマネコへの感染懸念/環境庁などが野良猫調査/県、竹富町と対策協議へ*影響は全く未知数|accessdate=2011-05-01|author=琉球新報社}}</ref>。イリオモテヤマネコへの感染が懸念されたため、翌2001年に[[竹富町]]では飼い猫の登録を義務づける「ネコ飼養条例」が制定され、さらに2008年6月には飼い猫のウイルス検査や予防接種、避妊・去勢手術、マイクロチップの埋め込みの義務化や飼育頭数の制限など厳しい内容に改正されている<ref name=ryusin080619>{{Cite web|url=http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-133305-storytopic-1.html|title=飼い猫の避妊義務化 イリオモテヤマネコ保護|accessdate=2011-05-01|author=琉球新報社}}</ref>。さらに耳腺などから強い毒液を分泌する[[オオヒキガエル]]が島に入り込んでいることが判明し、西表島へのさらなる侵入や定着を防ぐために、[[2008年]]から石垣島で市民参加の駆除活動が行われている<ref>[http://iwcc.a.la9.jp/ym_kiki.htm ヤマネコにせまる危機] - IWCC</ref><ref>[http://www.y-mainichi.co.jp/news/15157/ 外来生物次々と侵入 広がる生態系への影響] - 八重山毎日新聞オンライン</ref>。
== ヤマピカリャー ==
イリオモテヤマネコは現地では「ヤママヤー」(山にいるネコ)、「ヤマピカリャー」(山で光るもの)として以前から存在が知られていたが、[[野猫|ノネコ]]([[イエネコ]]が野生化したもの)ではないかとも言われていた(現地でのもう1つの呼び名である「ピンギーマヤー」は「逃げたネコ」の意)。


=== キャラクター ===
一般には、現地でヤマピカリャーと呼ばれてきた[[未確認動物]]は、イリオモテヤマネコであったと考えられている。しかし、ヤマピカリャーは体長80cmから120cmほどの尾の長い大型の動物で、イリオモテヤマネコとは別種であるとする説も地元では根強い。島内での目撃談もしばしば報告されており、2007年9月14日には魚類の研究のために滞在中の秋吉英雄[[島根大学]][[教授]]によって、[[台湾]]に棲息する[[ウンピョウ]]に似た、イリオモテヤマネコより大型で尾が長く斑紋を持つ動物が、島内でも人跡まれな南西部の崎山半島で目撃されたことが伝えられている<ref group="a">[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-30074-storytopic-5.html 伝説の生物「ヤマピカリャー」? 西表で目撃相次ぐ] 琉球新報、2007年12月27日</ref>。
2010年7月30日に竹富町観光協会はデザインの公募を経て、当時古見小学校の6年生が応募したデザインを採用し、イリオモテヤマネコをモチーフとしたマスコットキャラクターを作成した<ref name=painusima>{{Cite web|url=http://www.painusima.com/t11pikaryaa.htm|title=日本最南端の街、竹富町 ご当地キャラ「ピカリャ~」|accessdate=2011-04-23|author=竹富町観光協会}}</ref><ref name=painusimastory_blog>{{Cite web|url=http://painusimastory.ti-da.net/e2961086.html|title=竹富町マスコットキャラクター 竹富町長訪問|accessdate=2011-04-23|author=竹富町観光協会}}</ref>。ピカリャ~の胸の模様には竹富町に属する島が描かれている<ref name=painusima />。名前も公募を経て、2010年8月31日に石垣市在住の市民が応募したヤマピカリャを参考にした名前である「ピカリャ~」が採用された<ref name=painusima2>{{Cite web|url=http://painusima.com/t10namaebosyu.htm|title=竹富町マスコットキャラクター 名前が決定しました!|accessdate=2011-04-23|author=竹富町観光協会}}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|group="※"}}
{{Reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書
{{Reflist}}
* {{Cite book
| 和書
| editor = 沖縄県環境保険部自然保護課
| title = 沖縄県の絶滅のおそれのある野生生物 レッドデータおきなわ
| edition= 改訂版
| year = 1996
| publisher = 沖縄県
}} [http://www3.pref.okinawa.jp/site/contents/attach/9962/honyuurui-shusei.pdf PDF]
* {{Cite book
| 和書
| author = 戸川幸夫
| author = 戸川幸夫
| title = イリオモテヤマネコ
| title = イリオモテヤマネコ
100行目: 151行目:
| publisher = 自由国民社
| publisher = 自由国民社
}} - 発見までの経緯、生態研究の成果など、本亜種の発見者による顛末記。
}} - 発見までの経緯、生態研究の成果など、本亜種の発見者による顛末記。
* {{Cite book|和書

| author = 今泉忠明
=== 参考ウェブサイト ===
| title = イリオモテヤマネコの百科
{{Reflist|group="a"}}
| year = 1994
| publisher = データハウス
| isbn = 978-4887182851
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* {{Cite book|和書
| author = 今泉忠明
| title = 野生ネコの百科
| pages = pp 24 - 27
| year = 2004
| publisher = データハウス
| isbn = 978-4887187726
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* {{Cite book|和書
| author = 阿部 永
| title = 日本の哺乳類
| year = 2002
| publisher = 東海大学出版会
| isbn = 4-486-01290-9
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* {{Cite book|和書
| author = 安間繁樹
| title = 琉球列島 生物の多様性と列島のおいたち
| pages = pp 112 - 147
| year = 2001
| publisher = 東海大学出版会
| isbn = 4-486-01555
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* {{Cite book|和書
| author = 財団法人 自然環境研究センター
| title = イリオモテヤマネコBOOK
| year = 2006
| publisher = 株式会社高陽堂印刷
}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
111行目: 195行目:
== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://iwcc.a.la9.jp/ 西表野生生物保護センター]
* [http://iwcc.a.la9.jp/ 西表野生生物保護センター]
* [http://www.town.taketomi.okinawa.jp/island/wildlife/wildlife.htm 西表野生生物保護センター(竹富町ホームページ内)]
* [http://www.sizenken.biodic.go.jp/rdb/content/006.html 環境省 インターネット自然研究所;イリオモテヤマネコ]
* [http://www.sizenken.biodic.go.jp/rdb/content/006.html 環境省 インターネット自然研究所;イリオモテヤマネコ]
* [http://twcc.cool.ne.jp/torayama/02/02-02.htm ツシマヤマネコとイリオモテヤマネコの行政の取り組み比較]

{{デフォルトソート:いりおもてやまねこ}}
[[Category:ヤマネコ]]
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[[Category:日本の哺乳類]]
[[Category:西表島]]

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[[es:Prionailurus bengalensis iriomotensis]]
[[fi:Iriomotenkissa]]
[[hu:Iriomote-szigeti macska]]
[[it:Prionailurus iriomotensis]]
[[ko:이리오모테살쾡이]]
[[ltg:Prionailurus iriomotensis]]
[[nl:Iriomotekat]]
[[pl:Kot z Iriomote]]
[[ru:Ириомотейская кошка]]
[[sv:Prionailurus iriomotensis]]
[[tr:Iriomote kedisi]]
[[uk:Іріомотський кіт]]
[[zh:西表山貓]]

2011年5月1日 (日) 06:37時点における版


イリオモテヤマネコ
イリオモテヤマネコ
イリオモテヤマネコ剥製(国立科学博物館
保全状況評価[1][2]
CRITICALLY ENDANGERED
(IUCN Red List Ver.3.1 (2001))
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 哺乳綱 Mammalia
: ネコ目 Carnivora
: ネコ科 Felidae
: ベンガルヤマネコ属 Prionailurus
: ベンガルヤマネコ
P. begalensis
亜種 : イリオモテヤマネコ
P. b. iriomotensis
学名
Prionailurus bengalensis iriomotensis
(Imaizumi, 1967)
シノニム

Mayailurus iriomotensis
Imaizumi, 1967
Felis iriomotensis (Imaizumi, 1967)

和名
イリオモテヤマネコ
英名
Iriomote cat
Iriomote wild cat
イリオモテヤマネコの生息図

イリオモテヤマネコ(西表山猫、Prionailurus bengalensis iriomotensis)は、動物界脊索動物門哺乳綱ネコ目(食肉目)ネコ科ベンガルヤマネコ属に分類されるヤマネコの一種、もしくは一亜種。

分布

日本西表島固有種または固有亜種[3][4][5][6][7][8][9][10]。 西表島は面積が290平方kmほどで、これはヤマネコの住む島としては(またヤマネコの生息域としても)世界最小である[11]

分布域内では、主に標高200メートル以下にあるスダジイやカシからなる亜熱帯もしくは暖帯森林に生息する[3][10][12]河川の周辺や低湿原、林縁などを好む[3][5][8]

形態

体長はオス55-60センチメートル、メス50-55センチメートル、体重はオスで3.5-5キログラム、メスで3-3.5キログラムとオスの方がメスよりやや大きい[8]。尾は先端まで太く、尾長は23-24センチメートル[5][13]。胴が長く、四肢は太く短い[13]

全身の地色は暗灰色や淡褐色で、腹部や四肢の内側はより淡く、あごは白色である[13]。頭部の暗褐色の斑は頬に左右に2本ずつあり、ベンガルヤマネコのように額から背面にかけて5-7本の縞模様が入るが、ベンガルヤマネコとは違い肩の手前で途切れる[3][5][13]。体側面には暗褐色の斑点、胸部には不規則に3-4本の帯模様が入る[4][5]。尾全体は暗褐色であり、尾背面には不規則に暗褐色の斑点が入るが、尾腹面に斑紋が入らず、また先端は暗色である[13]

耳介の先端は丸く黒色の毛で縁取られ、先端の体毛は房状に伸長しない[13]。また成獣の耳の背面は白濁色の虎耳状斑とよばれる斑紋がある[13]。この虎耳状斑は、ベンガルヤマネコは幼獣の時から小さな白濁した斑があり、成長するにつれ白色になるが、イリオモテヤマネコは幼獣にはこの虎耳状斑は無く、成長しても白色にはならない[13]。虹彩は淡い琥珀色である[13]。吻端の体毛で被われない板状の皮膚(鼻鏡)は淡赤褐色をしており、大型で、鼻面も太い[4][5][13]肉球の幅はイエネコの24-30ミリメートルより大きく、29-37ミリメートルである[13]

頭骨はイエネコに比べて細長いが、ベンガルヤマネコとは大きな違いはない[13]。しかし、ベンガルヤマネコよりも頭骨が厚く、その分脳の容量も小さく、脳の重量はベンガルヤマネコのオスの42グラムに対して、イリオモテヤマネコのオスは30グラムと小型である[13]後頭骨の突起と聴胞が接しない[3][4]。下顎の縫合部が短い[3][5]。歯列は門歯が上下6本、犬歯が上下2本、小臼歯が上下4本、大臼歯が上下2本の計28本で、ヤマネコなどのネコ類より上顎前臼歯が1対少ない[14]。また、亜熱帯に生息する哺乳類には珍しく、歯に年輪ができることが確認され、これにより年齢別での行動分析などができるようになると期待されている[15]。 臭腺(肛門腺)はベンガルヤマネコを含む他のネコ類は肛門内にあるのに対し、イリオモテヤマネコは肛門を取り囲むように存在する[13][16]

分類と系統

1967年の学会発表時にはイリオモテヤマネコは食肉目ネコ科イリオモテヤマネコ属の1属1種 Mayailurus iriomotensis とされた[7]。原始的な特徴を残す形態から約1000万年前の中新世から、約300万年前の鮮新世前期に出現した、化石群メタイルルス属Metailurusと近縁な原始的な特徴を残した種であるとした[4][7]。イリオモテヤマネコの形態は原始的な特徴を残し、1000万年前の中新世から500万年頃前までの鮮新世に出現したネコ亜科の共通祖先であるメタイルルスによく似た特徴がある[7][13]。このことから、イリオモテヤマネコの祖先は約300万年前に大陸から西表島などに分布域を広げたとしている[7]。一方で、頭骨や歯、標本や生体、遺伝子の研究などによる検討から独立種ではあるもののネコ属やベンガルヤマネコ属の一種とする、あるいは独立種ではなくベンガルヤマネコの一亜種とすることがある[3][7]

核型や核内のリボソームRNAの制限酵素断片長、ミトコンドリアDNA内の12S リボソームRNAおよびチトクロムb分子系統学的解析はベンガルヤマネコと一致あるいはほぼ一致し、非常に近縁(ネコ科他種における種内変異あるいは個体変異の範疇)と推定されている[7][17]。またチトクロムbの塩基置換速度および多様度からベンガルヤマネコの他亜種とは18-20万年前に分化したと推定され[18]、海洋地質学でも2万-24万年前には琉球諸島および大陸間に断続的な陸橋があったと推定されていることからこの時期に侵入したと推定されている[7]。また本亜種内の遺伝学的多様性は乏しいと推定されている[9]

生態

夜行性で、特に薄明薄暮時に活動する[4][9]。昼間は樹洞や岩穴などで休む[3][5]。1-7平方キロメートルの行動圏内で生活する[3][5][8]。行動圏内にある石や切り株、藪などに糞尿をかけて縄張りを主張する[3][5]。地表性だが、樹上に登ったり、水に入ったり、潜水することもある[3][10][12]

食性

食性は動物食で、哺乳類鳥類爬虫類両生類魚類甲殻類などを、日に400-600グラムを捕食する[12]。他のヤマネコ類はネズミやウサギなどの小型哺乳類が主要な餌であるのに対し、西表島にはイリオモテヤマネコと競合するような肉食哺乳類が他には生息しておらず、生息環境や餌資源などの棲み分けが必要ないために、様々な生物を幅広く餌としている[19]

哺乳類ではクマネズミクビワオオコウモリリュウキュウイノシシの幼獣などを、鳥類ではカルガモオオクイナコノハズクシロハラシロハラクイナ、爬虫類ではヘビ類や、キシノウエトカゲ、両生類ではサキシマヌマガエルなどを、その他、マダラコオロギカニなどを食べる[3][4][8][9]ツグミより大きい鳥を補食する際、他のネコ類は羽毛をむしって食べるが、イリオモテヤマネコは大きな鳥類でも羽毛をむしらず丸ごと食べる[12]。また他の多くのネコ類のように脊髄を破壊して獲物をすぐに仕留めることはせず、動かなくなるまで咥え続ける[3]。狩り場の中心は湿地や水辺であり、水に入って泳いだり潜水して水鳥や魚、テナガエビ類などを捕らえることもある[12][19]

糞分析の結果では、食料の中で出現率が多いのは、鳥類が約60%、クマネズミが約30%、昆虫類が約30%などであり、トカゲ類やカエル類は15-20%程度で、クビワオオコウモリの出現率は3-17%、リュウキュウイノシシなどの出現率は1%弱ほどである[20][21]。その他の魚類や甲殻類の出現率は3-4%程度である[20][21]。また、推定重量に対する出現率が多いのは水鳥類であり年間を通して60%前後、次いでクマネズミが年間を通して10-30%ほどを占める[20]

その他、クマネズミやカエル類は年間を通して捕食される他、春から夏にかけてはトカゲ類、秋から冬にかけてはマダラコオロギやクビワオオコウモリが多くなる傾向にある[19]

繁殖

普段は夜行性もしくは薄明薄暮性であるが、繁殖期には日中も活動するようになる[16]。また、繁殖期以外は単独で行動するが、繁殖期中の交尾期になるとつがいで行動するようになる[20][16]。繁殖期は12月から3月にかけてであり、メスは繁殖期中に発情を何回か繰り返すが、発情のピークは1-2月頃である[8][20]。2月下旬になると2週間程度の絶食期があり、その間はメスの発情が特にピークを迎え、オスとメスは常時行動を共にするようになり、この間に妊娠をすると考えられている[16]

繁殖形態は胎生で、5-6月に樹洞や洞窟などで1回に2-3頭の幼獣を産む[3][4][5][9][10]。この出産や育児用の樹洞は、風通しがよく、乾燥した場所が選ばれる[16]。 生まれた子供は約11ヶ月の間、メスに育てられる[16]。生後20ヶ月で性成熟する[5]。メスは幼獣を自分の縄張りに残し、次の繁殖期を迎えると新しく縄張りを形成する[3][5]

寿命

野生下での寿命は推定で7-8年、飼育下の寿命は8-9年である[5][16]。しかし今泉(1994)は交通事故死や罠などによる人為的な影響を考え合わせると、4-5歳であるかもしれないとしている[16]1979年6月14日に親ネコとはぐれて生後約5週齢で保護されたオスの個体「ケイ太」は、沖縄こどもの国動物園で飼育され、老衰で死ぬまで13年間生き、推定年齢は13年2ヶ月とされる[16]。また、国立科学博物館で飼育されたメスの個体の年齢は推定で9歳7ヶ月と見られる[16]。また、1996年8月6日に交通事故に会い保護されたオスの個体「よん」は、環境省西表野生生物保護センターで飼育期間最長となる14年8ヶ月飼育され、推定年齢は最高齢となる15歳1ヶ月とみられる[22]

発見の経緯

イリオモテヤマネコの発見は1965年の戸川幸夫、記載は1967年に当時の国立科学博物館動物部長であった今泉吉典による[23]

西表島に野生ネコがいることは、以前から現地では知られており「ヤママヤ」(山にいるネコ)、「ヤマピカリャー」(山で光るもの)、「メーピスカリャー」(目がぴかっと光るもの)などと呼称し、野良猫を「ピンギマヤ」、飼い猫を単に「マヤ」やあるいは「マヤグヮー」と呼称し、区別していた[24][25]。一方で、飼い猫が野生化した野猫ではないかとも考えられていた[3][4]。また、沖縄がアメリカの占領下にあった頃に、アメリカの大学による総合調査が行われたが、その時もイリオモテヤマネコの発見には至らなかった[13]

標本の入手まで

1962年にこれらの情報を基に琉球大学高良鉄夫が幼獣を捕獲したが、成獣の標本は入手できなかった[3]。また、1964年には早稲田大学探検部の高野凱夫がヤマネコが生息しているという噂を今泉らに伝えた[13]。沖縄の本土復帰に先立つ1965年2月、八重山を訪れることになった動物文学作家の戸川幸夫が、那覇市で琉球新報の記者から「西表島ではヤマネコがいるという噂がある」ことを聞いた[25]。戸川はこれをよくあるヤマイヌ(ニホンオオカミ)発見談のようなものであり、飼い猫が野生化したものであると考えたが、知人であった琉球大の高良に相談したところ、彼はその噂を知っており、しかも一定の信頼性が感じられることを説明した上で、戸川に証拠集めを依頼した[13][25]。戸川は当時担当していた記事の取材を兼ね西表島に渡り、ヤマネコの情報の入手や標本の収集に奔走した[25]。しかし西表島では食糧不足のため捕獲されたヤマネコは焼いて汁にして食べるか、捨てていたためにヤマネコの標本の入手は容易ではなかった[25]。その後、島の西部にある網取部落を訪れた際に、高良に師事をしていた中学校の教師が、イノシシ用の罠で捕獲されたヤマネコの死体を入手し、皮を高良に送り、その他は埋めたことを聞きつけ、戸川らはこれを掘り起こし、頭骨を入手した[25]。また網取り部落付近で手に入れた2個の糞を発見している[25]。また同時に、浦内川沿いにあるイナバ部落の漁師が皮を保管しており、これも手に入れた[25]。この3つの標本を手に再び琉球大学の高良のもとを訪れ、網取部落の中学校教師が高良に送ったヤマネコの皮を入手し、これらの標本を国立科学博物館の今泉のもとに送り、日本哺乳動物学会に鑑定を依頼した[25]。1965年3月14日に日本哺乳動物学会において、これらの標本の鑑定がなされた[13]。鑑定の結果、新種もしくは新亜種らしいということにはなったが、標本が足りなく、完全な標本もしくは生体の入手が求められた[13]。この発表の後も、哺乳動物学会員の中には、単なる奇形であるか、もしくは過去に船乗りが海外産のヤマネコを西表島に離したものであると考えるものもいた[25]

生体の捕獲から発表まで

タイプ標本が発見された南風見田の浜の小さな滝

1965年6月に戸川は、生態情報の収集や、完全な標本の入手、生け捕りを目標とし、再び高良とともに西表島を訪れた[26]。この時に戸川らは、生け捕りをするために箱罠やマタタビを持ち込んでいる[26]。しかし、猟師によって捕らえられるのは多くて年に1,2頭であったことや、生息個体数がさほど多くはないと推定していたため、戸川はヤマネコを生け捕りできることには期待はしていなかった[26]

これに先立つ1965年5月5日に、島南部の南風見田の浜にある、通称“マーレー”と呼ばれる小さな滝の下で、遠足にきていた大原中学校の生徒がけがをして弱っているオスを発見し、引率の教諭が捕獲した[13][26]。別の教諭がこの個体の皮をホルマリン標本に、頭骨や骨格を木箱に入れ学校の裏に埋め、後に戸川らにより掘り起こされ、この個体がイリオモテヤマネコのタイプ標本となった[13][26]。その後も、由布島で砕けた幼獣の頭骨を手に入れ、今泉により復元されている[26]。また、戸川はこの調査時に、イリオモテヤマネコよりも大きいオオヤマネコ(後述)の噂を聞きつけ、調査を行っている[26]。戸川は帰京前に、ヤマネコに生体は100ドル、死体は30ドルなどと懸賞金をかけ、竹富町長や八重山毎日新聞の協力を得て、西表島の掲示板などで告知した[27]。なおこの時、オオヤマネコにも生体には200ドル、死体には100ドルの懸賞金をかけている[27]。この調査では、2体分の全身骨格、頭骨2つ、毛皮3枚などを持ち帰った[27]。この毛皮の内1枚は大原中学校の学生らが捕獲した個体のもので、ヤマネコのものと鑑定されたが、由布島で手に入れたものは標本が小さく鑑定は保留され、また残りの石垣島で手に入れた1枚はイエネコのものと鑑定された[27]

1966年1月に仲間川流域でイノシシ罠で捕獲されたヤマネコの死体が、琉球大学の高良のもとに送られているが、その後しばらくは捕獲されたという情報は入らなかった[27]。1966年12月に仲間川中流域で猟師である黒田宏により、オスの成獣が生け捕られたが、これは直後に逃げられた[27]。しかし、そのすぐ後に再び黒田が別のオスを捕獲した[13]。同年1月15日には、仲間山付近でメスの若い個体が捕獲された[13][27]。報奨金については国立科学博物館の庭園の修繕費を回すことになったが、捕獲した猟師や地元の人々は1頭に付き1000-3000ドル程度を期待していた[27]。しかし、営林署長の説得により、日当及び礼金として予算内での謝礼金を支払っている[27]。一方、時の竹富町長は日本政府南方連絡事務所や琉球政府に掛け合い、天皇へこの2頭のヤマネコを献上し、西表島の名を広めかつ、産業開発の促進をすることを目的に、那覇市へと渡った[27]。と同時に、竹富町役場は、琉球政府から飼育許可を得ていることを理由に、国立科学博物館職員の手からヤマネコを取り上げ、役場へと持ち帰った[27]。結局、戸川の新聞社への働きかけや、今泉の文部省(当時)を通じた琉球政府や南方連絡事務所への働きかけにより、南方連絡事務所は天皇への献上手続きを拒否し、琉球政府は竹富町長を説得し、最終的に国立科学博物館へと運ばれることが決定した[27]

この2頭はその後、1967年3月20日に東京・羽田空港へと空輸された[27]。翌日には今泉吉典宅にしばらく飼育され、その後発見者である戸川幸夫宅で国立科学博物館の委託を受け約2年間飼育され、生態が観察された[13][28]。その後、国立科学博物館に移され生態が観察され、オスは1973年4月25日に、メスは1975年12月13日に死亡した[13]。オスの皮は仮剥製に、血は染色体研究用に、その他の体は液浸標本に、メスは本剥製にされ、展示されている[13]

その後、1967年5月に発行された哺乳類動物学雑誌の第3号・第4号で、ネコ科内でも原始的な分類群であるメタイルルス属Metailurusに近縁な新属新種として英文で発表された[13]。旧属名Mayailurusmayaは生息地である西表島での方言でネコを意味し、また-ailurusは古代ギリシャ語でネコを意味する[13]。また、iriomotensisは「西表の」という意味である[13]。和名は、今泉は発見者の戸川の名を取って、トガワヤマネコと名付けるよう提案したが、戸川はこれを辞退し、ツシマヤマネコに習い発見地の西表島の名前を取って名付けるよう提案をし、高良の賛成もあって、イリオモテヤマネコと名付けられた[25]

ヤマピカリャー

一般には、現地でヤマピカリャーなどと呼ばれてきたネコ科動物は、イリオモテヤマネコであったと考えられている。しかし体長がイエネコの倍ほど、尾が約60cmほどで、イリオモテヤマネコとは模様の違う大型のネコ科動物が現地の人によって幾度か目撃されている[24]。この“大ヤマネコ”はヤマピッカリャー(新城島)、クンズマヤー(祖納地区)、トウトウヤー(古見地区)などと呼ばれて、イリオモテヤマネコやイエネコ(野良猫)とは区別されてきた[24][29]。1965年には戸川が地元猟師の話を受け、猟師が数ヶ月前に虎毛のオオヤマネコを殺し、死体を捨てたという南風見を調査している[26]。10日前までは白骨化してそこにあったと言うが、折からの雨により流失していた[26]。しかし、その猟師は寸法を計測しており、肩高は大人の膝くらい、尾長は約60cm、全長はイエネコの2倍ほどであり、イリオモテヤマネコのようなヒョウ柄ではなく、緑がかった虎毛であったという[26]

1982年6月2日の読売新聞には、ヤマピカリャーの目撃談の記事があり、長年イノシシ猟をしている猟師がテドウ山にかけての山中で10回にわたり目撃しうち一回は捕らえて食べているほか、子連れのヤマピカリャーの目撃談も寄せられている[24]。その後も目撃談は存在し、例えば2007年9月14日には魚類の研究のために滞在中の秋吉英雄島根大学教授によって、イリオモテヤマネコより大型で尾が長く斑紋を持つ動物が、島内でも人跡まれな南西部の崎山半島で目撃されたことが伝えられている[30]。一方、今泉(1994)は、地元猟師が保有していた、“大ヤマネコ”とされる頭蓋骨を見聞したところ、実際はイエネコであったという[24]

一般に体の大きさと行動圏の広さは比例し、体の大きさが大きいほど行動圏も広くなる[24]。一般的にイリオモテヤマネコの行動圏は6.5平方kmほどであるが、目撃されているオオヤマネコの大きさから考えると行動圏は約30平方kmの行動圏が必要となり、面積が約290平方kmの西表島には、10頭弱のオオヤマネコしか生息できない計算となる[24]

人間との関係

開発による生息地の破壊、イヌによる捕食、交通事故、イノシシ用の罠やカニ罠による混獲などにより生息数は減少している[3][5][8]。第2次調査(1982-84年)における生息数は83-108匹、第3次調査(1994-93年)における99-110匹、第4次調査(2005-07年)では100-109匹と推定されている[9][31]。また第3次調査時における推定個体数は、第4次調査と同じ推定方法を用いると108-118匹と推定され、個体数は減少していると考えられている[31]

保全状態評価

IUCNによる保全状態の評価では、種ベンガルヤマネコ(P. bengalensis)は、Least concern(軽度懸念)に分類されている[32]。一方で亜種イリオモテヤマネコ(P. b. iriomotensis)は当初はEndangered(絶滅危惧IB類)に分類されていたが、2008年の査定では西表島でしか確認されていないことや個体数が減少を続けていることなどから、Critically endangered(絶滅危惧IA類)に分類されている[2]

CRITICALLY ENDANGERED (IUCN Red List Ver. 3.1 (2001))

琉球政府(当時)指定の天然記念物に指定されていた[27]。沖縄の本土復帰に伴い、1972年5月15日に国指定の天然記念物に指定され、1977年3月15日に特別天然記念物、1994年種の保存法により国内希少野生動植物種に指定されている(1月28日政令公布、3月1日施行)[6][9][33]。また、環境省のレッドリストでは当初は絶滅危惧IB類に分類していたが、2007年のレッドデータの見直しにより、絶滅危惧IA類に再評価された[34]

絶滅危惧IA類 (CR)環境省レッドリスト[10]

行政の対応

西表野生生物保護センター

1977年イギリスエディンバラ公より当時の皇太子殿下に宛ててイリオモテヤマネコの保護を訴える手紙が寄せられたが、この手紙の付属報告書(ライハウゼン博士によるもの)にこれ以上の移住及び開墾の禁止提案などがあった[16]。これに対し皇太子殿下はイリオモテヤマネコの保護と地元住民の生活が両立できるような方法で保護活動が行われることが望ましいと答え、また当時の首相である福田赳夫も鳥獣保護区の設置の検討を伝えた上で、エディンバラ公の日本の野生動物問題に関する関心に謝意を述べている[16]

1972年に国立科学博物館がイリオモテヤマネコの生態調査の下見を、1973年11月には世界野生保護基金及び環境庁(当時)が合同でイリオモテヤマネコの生態調査の予備調査を行い、1974年から環境庁による3年間のイリオモテヤマネコ生息状況等総合調査が行われた[13][31]。その後も、1982-84年に第2次調査、1992-93年に第3次調査、2005-07年に第4次調査が行われた[31]

1979年に環境庁(当時)がイリオモテヤマネコへの3年間の給餌作戦を開始し、幼獣生存率の上昇を図っている[16]。しかし、このような給餌活動には、批判的な意見もある[5]

発見以来、様々な生態調査が行われ、2006年現在においては、イリオモテヤマネコの生息状況を把握するため、自動撮影調査、ラジオ・テレメトリー調査、ウイルス感染の有無を確認する臨床病理調査、糞や食痕を確認する痕跡調査、住民や観光客の目撃情報をとりまとめる目撃情報調査などを行っている[19]

イリオモテヤマネコの生息域の一部は1972年4月18日に西表政府立公園(同年5月15日の沖縄返還にともない西表国立公園となった)に指定されたほか、1991年3月には11,584.67ヘクタール(約115.84平方キロメートル)の「西表島森林生態系保護地域」が設定され、地域内の自然環境保護が図られている[35][36]。しかし、これらの保護区はイリオモテヤマネコの生息地に適しているとされる標高200メートル以下の地域を十分には含んでいない[9]。1995年には保護増殖事業・調査研究の実施・普及啓発等の業務を統合的に推進するための拠点施設である「西表野生生物保護センター」が設置された[9]

1972年の沖縄本土復帰以来、本土資本による開発が進み、特に1977年の島を半周する県道の全線開通以降、毎年数頭のイリオモテヤマネコが交通事故にあっている[16]。環境省や沖縄県、竹富町などにより道路標識や動物用トンネル、ゼブラゾーン(振音舗装)、幅広側溝、片勾配側溝の設置などの保護対策が進められている[9][37]。一方で、イリオモテヤマネコをはじめとする西表島の貴重な生態系を守る取り組み、例えば土地改良事業などの土地開発の制限などに異を唱える住民も少なくない[16]

生物間の問題

上記のような交通事故や、開発に伴う原生林の伐採、湿地の開発といった人間の手による自然環境の改変と並んで、飼い猫や野良猫との競合や伝染病の伝搬、交雑による遺伝子汚染や、イヌによる捕食などが懸念されている[8][9]。特に懸念される要因は飼い猫が野生化・半野生化した野良猫の存在であり、これまでのモニタリングでは検出されていないが、食物を奪い合う競合関係による圧迫、野良猫との接触による猫免疫不全ウイルス感染症(いわゆるネコエイズ)をはじめとする感染症、交雑による純血個体の減少が懸念されている[8]

1999年6月に野生生物保護センターなどによる飼い猫や野良猫50匹とイリオモテヤマネコ23匹を対象とした調査で、イリオモテヤマネコからは猫免疫不全ウイルス感染症の原因となる猫免疫不全ウイルス(FIV)は検出されなかったが、飼い猫や野良猫3匹からFIVが検出された[38]。イリオモテヤマネコへの感染が懸念されたため、翌2001年に竹富町では飼い猫の登録を義務づける「ネコ飼養条例」が制定され、さらに2008年6月には飼い猫のウイルス検査や予防接種、避妊・去勢手術、マイクロチップの埋め込みの義務化や飼育頭数の制限など厳しい内容に改正されている[39]。さらに耳腺などから強い毒液を分泌するオオヒキガエルが島に入り込んでいることが判明し、西表島へのさらなる侵入や定着を防ぐために、2008年から石垣島で市民参加の駆除活動が行われている[40][41]

キャラクター

2010年7月30日に竹富町観光協会はデザインの公募を経て、当時古見小学校の6年生が応募したデザインを採用し、イリオモテヤマネコをモチーフとしたマスコットキャラクターを作成した[42][43]。ピカリャ~の胸の模様には竹富町に属する島が描かれている[42]。名前も公募を経て、2010年8月31日に石垣市在住の市民が応募したヤマピカリャを参考にした名前である「ピカリャ~」が採用された[44]

脚注

  1. ^ CITES homepage
  2. ^ a b The IUCN Red List of Threatened Species
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 今泉吉典監修 D.W.マクドナルド編 『動物大百科1 食肉類』、平凡社1986年、64-65頁。
  4. ^ a b c d e f g h i 今泉吉典監修 『世界の動物 分類と飼育2 (食肉目)』、東京動物園協会、1991年、151、213-215頁。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 小原秀雄・浦本昌紀・太田英利・松井正文編著 『動物世界遺産 レッド・データ・アニマルズ4 インド、インドシナ』、講談社2000年、18、143頁。
  6. ^ a b 加藤陸奥雄、沼田眞、渡辺景隆、畑正憲監修 『日本の天然記念物』、講談社1995年、622-623頁。
  7. ^ a b c d e f g h 増田隆一 「遺伝子からみたイリオモテヤマネコとツシマヤマネコの渡来と進化起源」『地學雜誌』 Vol.105 No.3、社団法人東京地学協会1996年、355-362頁。
  8. ^ a b c d e f g h i 『沖縄県の絶滅のおそれのある野生生物(レッドデータおきなわ)-動物編-』、沖縄県文化環境部自然保護課編 、2005年、25-27頁。
  9. ^ a b c d e f g h i j k 環境省 自然環境局 生物多様性センター
  10. ^ a b c d e インターネット自然研究所
  11. ^ 今泉(1994), Pp. 50-75
  12. ^ a b c d e 今泉(2004)
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae 今泉(1994)、Pp.7-48
  14. ^ 今泉(1997)、PP.18-29
  15. ^ 琉球新報社. “イリオモテヤマネコ、歯年輪で年齢判別”. 2011年5月1日閲覧。
  16. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 今泉(1994), Pp.119-157
  17. ^ Suzuki H, Hosoda T, Sakurai S, Tsuchiya K, Munechika I, Korablev VP (1994). “Phylogenetic relationship between the Iriomote cat and the leopard cat, Felis bengalensis, based on the ribosomal DNA”. The Japanese journal of genetics 69 (4): 397-406. NAID 10006701901. 
  18. ^ Masuda R, Yoshida MC (1995). “Two Japanese wildcats, the Tsushima cat and the Iriomote cat, show the same mitochondrial DNA linage as the leopard cat Felis bengalensis.”. Zoological Science 12: 656-9. 
  19. ^ a b c d イリオモテヤマネコBOOK(2006)
  20. ^ a b c d e 今泉(1994), Pp.75-117
  21. ^ a b 安間(2001), Pp.112-146
  22. ^ 琉球新報社. “15歳1ヵ月「よん」死ぬ 最長寿イリオモテヤマネコ”. 2011年4月12日閲覧。
  23. ^ Imaizumi Y (1967). “A new genus and species of cat from Iriomote, Ryukyu Islands.”. J. Mammal Soc. Jpn. 3 (4): 74-105. 
  24. ^ a b c d e f g 今泉(1994), Pp.8-13, Pp. 144-147
  25. ^ a b c d e f g h i j k 戸川(1972), Pp.13-92
  26. ^ a b c d e f g h i j 戸川(1972), Pp. 93-138
  27. ^ a b c d e f g h i j k l m n 戸川(1972), Pp. 139-176
  28. ^ 戸川(1972), Pp.177-242
  29. ^ 沖縄県立博物館. “西表島総合調査報告書”. 2011年4月18日閲覧。
  30. ^ 伝説の生物「ヤマピカリャー」? 西表で目撃相次ぐ 琉球新報、2007年12月27日
  31. ^ a b c d 環境省. “イリオモテヤマネコ生息状況等総合調査(第4次)の結果について(お知らせ)”. 2011年5月1日閲覧。
  32. ^ The IUCN Red List of Threatened Species
    • Sanderson, J., Sunarto, S., Wilting, A., Driscoll, C., Lorica, R., Ross, J., Hearn, A., Mujkherjee, S., Khan, J.A., Habib, B. & Grassman, L. 2008.Prionailurus bengalensis. In: IUCN 2010. IUCN Red List of Threatened Species. Version 2010.4.
  33. ^ 国内希少野生動植物種 - 環境省
  34. ^ 環境省自然環境局野生生物課. “哺乳類、汽水・淡水魚類、昆虫類、貝類、植物I及び植物IIのレッドリストの見直しについて”. 2011年3月28日閲覧。
  35. ^ 環境省. “西表石垣国立公園 基礎情報”. 2011年3月29日閲覧。
  36. ^ 九州森林管理局. “西表島森林生態系保護地域(保全利用地区・保存地区)”. 2011年3月28日閲覧。
  37. ^ 西表野生生物保護センター. “イリオモテヤマネコを守る!~IWCCの取り組み”. 2011年5月1日閲覧。
  38. ^ 琉球新報社. “西表で猫エイズ初確認/イリオモテヤマネコへの感染懸念/環境庁などが野良猫調査/県、竹富町と対策協議へ*影響は全く未知数”. 2011年5月1日閲覧。
  39. ^ 琉球新報社. “飼い猫の避妊義務化 イリオモテヤマネコ保護”. 2011年5月1日閲覧。
  40. ^ ヤマネコにせまる危機 - IWCC
  41. ^ 外来生物次々と侵入 広がる生態系への影響 - 八重山毎日新聞オンライン
  42. ^ a b 竹富町観光協会. “日本最南端の街、竹富町 ご当地キャラ「ピカリャ~」”. 2011年4月23日閲覧。
  43. ^ 竹富町観光協会. “竹富町マスコットキャラクター 竹富町長訪問”. 2011年4月23日閲覧。
  44. ^ 竹富町観光協会. “竹富町マスコットキャラクター 名前が決定しました!”. 2011年4月23日閲覧。

参考文献

  • 戸川幸夫『イリオモテヤマネコ』自由国民社、1972年。  - 発見までの経緯、生態研究の成果など、本亜種の発見者による顛末記。
  • 今泉忠明『イリオモテヤマネコの百科』データハウス、1994年。ISBN 978-4887182851 
  • 今泉忠明『野生ネコの百科』データハウス、2004年、pp 24 - 27頁。ISBN 978-4887187726 
  • 阿部 永『日本の哺乳類』東海大学出版会、2002年。ISBN 4-486-01290-9 
  • 安間繁樹『琉球列島 生物の多様性と列島のおいたち』東海大学出版会、2001年、pp 112 - 147頁。ISBN 4-486-01555{{ISBN2}}のパラメータエラー: 無効なISBNです。 
  • 財団法人 自然環境研究センター『イリオモテヤマネコBOOK』株式会社高陽堂印刷、2006年。 

関連項目

外部リンク