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「称名念仏」の版間の差分

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{{buddhism}}
{{浄土教}}
[[画像:Rennyo6.jpg|thumb|[[蓮如]]筆による六字名号/[[本願寺]]所蔵]]
'''称名念仏'''(しょうみょうねんぶつ)とは、仏を念ずる行('''[[念仏]]''')の一つであり、「南無阿弥陀仏」のように仏の'''名号'''(みょうごう)を唱える行をさす。基本的に「称名」と「念仏」とは別の語である。
'''称名念仏'''(しょうみょうねんぶつ)とは、仏の名号、特に[[浄土教]]においては「[[南無阿弥陀仏]]」の名号を口に出して称える[[念仏]](口称念仏)をいう。「称名」とは、仏・菩薩の名を称えること。また諸仏が阿弥陀仏を称讃することもさす。宗旨により、「称名念仏」を行<ref>行…「行」には様々な原義・定義があるが、ここでは仏に成るための行為を指す。</ref>として捉える場合と、非行として捉える場合がある。


== 念仏について ==
== 概要 ==
=== 歴史 ===
念仏とは、[[サンスクリット]]語では"buddha-anusmRti"であり、六念(ろくねん; 念仏、念法、念僧、念戒、念施、念天)の一つとしての念仏の原語である。この場合の念仏は、仏の属性には大慈・大悲・大光明があり、神通も無量であって、それによって、衆生の苦を救うと思い、自分もまたそのような仏とならねばならないと仏を念ずることを意味する。
{{独自研究|section=1}}
初期の仏教では、六隨念や十隨念の第一である「[[念仏#仏隨念|仏隨念]]」を「念仏」と呼ぶ。


原始経典の「南無仏」のように口称念仏として仏の名を呼ぶことによって、仏を具体的に感得しようとする信者たちのいが生じる。常に信者たちの実践と結びついていたのは「阿弥陀仏への念仏」であった。
念仏については、さらに正しく物を見るために、五停心観(ごじょうしんかん)という、心を停止する観法があり、その中にも「念仏観」がある。この場合の念仏観は、睡眠とか逼迫の障りを対論して心を静止せしめるための方法をいう。


『般舟三昧経』では、諸仏現前三昧の代表として阿弥陀仏の念仏が説かれ、これが天台宗の常行三昧のよりどころとなる。
このように、念仏には、様々な受け取り方がある。


中国では、念仏の流れとして[[慧遠 (東晋)|慧遠]]の[[白蓮社]]の観想念仏、[[善導]]による称名念仏、[[慧日]]による[[慈愍流]]の禅観的念仏の三流が盛んになる。このように阿弥陀仏の念仏については、おおむね3つの形態がある。
念とは「憶念」「思念」「心念」「観念」「称念」などの意味があり、仏には仏身、仏名の意味づけがなされている。
「仏」を仏身とみる場合、具体的な仏の相好(そうごう)とか仏像とかとみる時と、仏の本質的な実相の理をあらわす法身(ほっしん)とみる時とでは、「念」の意味もおのずから変わってくる。法身を念ずる場合は、それは「理を観ずる」のだから、念は憶念、思念、心念などの意味である。具体的な仏や仏の相好にむかえば、それは生身や像身の色相(すがたかたち)を観ずることであるから、念は観念の意味が強い。仏を仏名とみれば、名は称えよぶものであるから、念は称念の意味とみるべきである。


日本においては、「称名念仏」が平安時代末期には主流を占め、名号を称える道を歩めば、[[末法]]の濁世でも[[世尊]]の教えを理解できると説かれ、浄土教の根幹をなす。また名号の中でも「南無阿弥陀仏」と称える称名念仏が中心となる。そのような動き中で鎌倉時代中期には[[一遍]]などにより、より具体的に歓喜のこころを身振りや動作の上に表そうと「[[念仏#踊り念仏|踊り念仏]]」が派生する。
このように、同じ念仏という語にも、仏教ではいろいろの意味づけがなされて、一義ではない。念仏のこのような展開は、仏陀観の展開にも呼応するものといえるであろう。


この「称名念仏」を純粋な形で人間生存の根底にすえ生きる力を求めたのは、[[良忍]]の[[融通念仏]]であり、さらに[[法然]]や[[親鸞]]の教えであった。
古い経典で、仏弟子たちが「南無仏」と唱えたといわれるのは、現存の仏陀釈尊に対する追憶の念仏であり、また祈りの念仏である。やがて、このような念仏が師としての釈迦の入滅を機として、一つの展開をとげて、法を介しての仏への念仏が説かれるようになる。この場合の念仏も決して人格的な釈迦を無視するのではないが、単に現存の仏に対してでなく、法を仲介としている。ところが、現実の釈迦へのイメージが仏弟子の後継者たちからだんだんぼやけて来ると、仏を純粋に「法」として念ずるようになる。この場合、念仏は「念法」と同じような意味あいになるが、それが念仏であるかぎり、単なる念法とは異なるので、それは理法という形でとらえた法身としての仏を念ずるのである。時代の経過につれて、仏の功徳を念ずるという念仏となり、さらに仏像や仏の相好を描き出すと、仏像や相好を観念することになり、観像、観想の念仏となる。


{{要出典範囲|彼らの教えは「称名念仏によって自分と仏との一体感を得て、現実を念仏とともに生きぬいてゆくものとした思想、もしくは自らが称名念仏する声を、自が聞くことによって、仏に願われている存在であると確認し、無常なる生を生きぬいてゆく思想である。}}
== 称名念仏について ==

{{独自研究|section=1}}
=== 『佛説無量寿経』 ===
このような念仏の展開の中に、原始経典の「南無仏」のように口称念仏として仏の名を呼ぶことによって、仏を具体的に感得しようとする信者たちのいがあった。常に信者たちの実践と結びついていたのは「阿弥陀仏への念仏」であった。
『[[無量寿経#佛説無量寿経|佛説無量寿経]]』には、[[阿弥陀如来|阿弥陀仏]]に現世で救われて「[[南無阿弥陀仏]]」と[[念仏]]を称える([[称名]])身になれば、阿弥陀仏の[[浄土]]([[極楽|極楽浄土]])へ往って、阿弥陀仏の元で[[仏|諸仏]]として生まれることができると説かれている。


その故は、法蔵菩薩(阿弥陀仏の修行時の名)が、48の誓願「[[四十八願]]」を建立する。その「[[四十八願#第十八願|第十八願]]」(=[[本願]])に
古くは『般舟三昧経』に説かれる諸仏現前三昧の代表として阿弥陀仏の念仏が説かれ、これが天台宗の常行三昧のよりどころとなった。ことに中国では、念仏の流れとして[[慧遠 (東晋)|慧遠]]の[[白蓮社]]の念仏、[[善導]]による念仏、[[慧日]]による[[慈愍流]]の念仏の三流が盛んである。とくに'''善導'''による念仏は、日本に伝わり浄土教の根幹をなすこととなった。これらの念仏の三流は、それぞれ特徴をもち、白蓮社の念仏は観想念仏を主とし、善導の念仏は口称念仏、慈愍流の念仏は禅観的念仏であるなどである。
{{Indent|「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法<ref name="yuijyo">唯除五逆誹謗正法…親鸞は、『尊号真像銘文』において「唯除五逆誹謗正法」の真意を、「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。としている。</ref>」}}
{{Indent|意訳<ref>意訳…『[[#参考文献|<浄土真宗聖典>浄土三部経 -現代語版-]]』29頁より引用。</ref> 「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます<ref name="yuijyo"/>。」}}
と誓う。そしてすべての願が成就し、阿弥陀仏に成ったと説かれていることによる。


=== 人物 ===
このように阿弥陀仏の念仏についてもいろいろの形の念仏があるが、この口称念仏の主流を占めたのが、'''六字の名号'''「南無阿弥陀仏」を唱えることである。'''御名号'''(おみょうごう)を唱える道を歩めば、[[末法]]の濁世でも[[世尊]]の教えを理解できると説かれたのである。その中で称名念仏において、具体的にこれを身振りや動作の上に把握しようとする中に、踊り念仏のようなものもあらわれてくる。
;[[善導]]
:「憶念」<ref>憶念…(略)東アジアの浄土教において憶念の語は、殊に、阿弥陀仏や阿弥陀仏の功徳、あるいはその本願を、思って忘れぬこと、しばしばそれを思い起こすことの意に用いられる事が多い。(『岩波仏教辞典』第二版P.114より引用)</ref>と「称名」(称える)とは同一であると主張して、称名念仏を勧めた。
:観想念仏のように阿弥陀仏や浄土を心の中でイメージ化する瞑想は特に必要でない。したがって、特別な修行(例:日本天台宗の常行三昧)や浄土を観想するための建築空間(寺院・堂)や宗教美術(仏像・仏画)は不要となり、時間と空間を問わず誰でも称名念仏できるため、幅広い層の民衆に対する浄土教の普及に貢献した。
;[[円仁]](日本天台宗、慈覚大師)
:入唐の際に[[五台山 (中国)|五台山]]竹林寺を訪れて[[法照]]の流れを汲む念仏を日本に持ち帰った。これは'''五会念仏'''とも'''五台山念仏'''ともいわれ、独特の声明による称名念仏が特徴である。これが日本の称名念仏の源泉となった。
;[[良忍]]
:称名念仏の流れは、平安時代末期に、融通念仏の祖の良忍に受け継がれ、その後の[[融通念仏宗]]では「[[南無阿弥陀仏]]」と称え、「'''大念仏'''」という。
;[[法然]]
:[[平安時代]]末期から[[鎌倉時代]]初期にかけて、「[[南無阿弥陀仏]]」をひたすら称える「'''専修念仏'''」の教えを説いた。後に法然は、[[浄土宗]]の開祖と定められる。
;[[親鸞]]
:法然の弟子である親鸞にも受け継がれる。後に親鸞は、[[浄土真宗]]の宗祖と定められる。
:浄土[[往生]]の道が開けるのは、阿弥陀仏の本願によるものであり、この[[理]](ことわり)を賜る(=[[信心]]をいただく)ことにより救われるとする。よって「阿弥陀仏より賜わる信心」を浄土往生の正因とし、その信心を賜わった後は「仏恩」に対して自然に湧き起こる「報謝」の心によるものとする。そのことを「信心正因 称名報恩」という。念仏を、極楽浄土へ往生するための因(修行)としては捉えない。
;[[真盛]]
:[[室町時代]]に天台宗から生じた[[天台真盛宗]]は、円戒と称名念仏を主にしている。


== 脚注 ==
この称名念仏を純粋な形で人間生存の根底にすえ生きる力を求めたのは、[[良忍]]の[[融通念仏]]であり、さらに[[法然]]や[[親鸞]]の教えであった。{{要出典範囲|つまり、称名念仏によって自分と仏との一体感を得て、現実を念仏とともに生きぬいてゆくものとしたのである。自らが称名念仏する声を、自が聞くことにおいて、仏との一体感を確認しつつ孤独なる生を生きぬいてゆくのだとしたのである。}}
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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*[[浄土教]]
*[[浄土教]]


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[[Category:浄土系仏教|しようみようねんふつ]]
[[Category:浄土系仏教|しようみようねんふつ]]

2009年7月27日 (月) 17:22時点における版


Dharma Wheel
浄土教
[このテンプレートは廃止されています]
分類
大乗仏教
地域別浄土教
インド 中国 日本
主な宗旨(日本)
天台宗(天台浄土教) 融通念仏宗
浄土宗 浄土真宗 時宗
如来 菩薩
阿弥陀如来
観音菩薩 勢至菩薩
経典
浄土三部経
仏説無量寿経曹魏康僧鎧
仏説観無量寿経劉宋畺良耶舎
仏説阿弥陀経姚秦鳩摩羅什
思想 基本教義
称名念仏 末法思想
関連人物
釈尊
十大弟子
龍樹 天親
曇鸞 道綽 善導 懷感 少康
空也 源信 良忍
源空(法然) 証空 弁長 幸西 長西 隆寛
親鸞 性信 真仏 唯円 如信 覚如 蓮如
一遍 聖戒 他阿
ウィキポータル 仏教
蓮如筆による六字名号/本願寺所蔵

称名念仏(しょうみょうねんぶつ)とは、仏の名号、特に浄土教においては「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える念仏(口称念仏)をいう。「称名」とは、仏・菩薩の名を称えること。また諸仏が阿弥陀仏を称讃することもさす。宗旨により、「称名念仏」を行[1]として捉える場合と、非行として捉える場合がある。

概要

歴史

初期の仏教では、六隨念や十隨念の第一である「仏隨念」を「念仏」と呼ぶ。

原始経典の「南無仏」のように口称念仏として仏の名を呼ぶことによって、仏を具体的に感得しようとする信者たちの願いが生じる。常に信者たちの実践と結びついていたのは「阿弥陀仏への念仏」であった。

『般舟三昧経』では、諸仏現前三昧の代表として阿弥陀仏の念仏が説かれ、これが天台宗の常行三昧のよりどころとなる。

中国では、念仏の流れとして慧遠白蓮社の観想念仏、善導による称名念仏、慧日による慈愍流の禅観的念仏の三流が盛んになる。このように阿弥陀仏の念仏については、おおむね3つの形態がある。

日本においては、「称名念仏」が平安時代末期には主流を占め、名号を称える道を歩めば、末法の濁世でも世尊の教えを理解できると説かれ、浄土教の根幹をなす。また名号の中でも「南無阿弥陀仏」と称える称名念仏が中心となる。そのような動き中で鎌倉時代中期には一遍などにより、より具体的に歓喜のこころを身振りや動作の上に表そうと「踊り念仏」が派生する。

この「称名念仏」を純粋な形で人間生存の根底にすえ生きる力を求めたのは、良忍融通念仏であり、さらに法然親鸞の教えであった。

彼らの教えは「称名念仏」によって、自分と仏との一体感を得て、現実を念仏とともに生きぬいてゆくものとした思想、もしくは自らが称名念仏する声を、自身が聞くことによって、仏に願われている存在であると確認し、無常なる生を生きぬいてゆく思想である。[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。

『佛説無量寿経』

佛説無量寿経』には、阿弥陀仏に現世で救われて「南無阿弥陀仏」と念仏を称える(称名)身になれば、阿弥陀仏の浄土極楽浄土)へ往って、阿弥陀仏の元で諸仏として生まれることができると説かれている。

その故は、法蔵菩薩(阿弥陀仏の修行時の名)が、48の誓願「四十八願」を建立する。その「第十八願」(=本願)に

「設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺 唯除五逆誹謗正法[2]

意訳[3] 「わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生まれたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます[2]。」

と誓う。そしてすべての願が成就し、阿弥陀仏に成ったと説かれていることによる。

人物

善導
「憶念」[4]と「称名」(称える)とは同一であると主張して、称名念仏を勧めた。
観想念仏のように阿弥陀仏や浄土を心の中でイメージ化する瞑想は特に必要でない。したがって、特別な修行(例:日本天台宗の常行三昧)や浄土を観想するための建築空間(寺院・堂)や宗教美術(仏像・仏画)は不要となり、時間と空間を問わず誰でも称名念仏できるため、幅広い層の民衆に対する浄土教の普及に貢献した。
円仁(日本天台宗、慈覚大師)
入唐の際に五台山竹林寺を訪れて法照の流れを汲む念仏を日本に持ち帰った。これは五会念仏とも五台山念仏ともいわれ、独特の声明による称名念仏が特徴である。これが日本の称名念仏の源泉となった。
良忍
称名念仏の流れは、平安時代末期に、融通念仏の祖の良忍に受け継がれ、その後の融通念仏宗では「南無阿弥陀仏」と称え、「大念仏」という。
法然
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、「南無阿弥陀仏」をひたすら称える「専修念仏」の教えを説いた。後に法然は、浄土宗の開祖と定められる。
親鸞
法然の弟子である親鸞にも受け継がれる。後に親鸞は、浄土真宗の宗祖と定められる。
浄土往生の道が開けるのは、阿弥陀仏の本願によるものであり、この(ことわり)を賜る(=信心をいただく)ことにより救われるとする。よって「阿弥陀仏より賜わる信心」を浄土往生の正因とし、その信心を賜わった後は「仏恩」に対して自然に湧き起こる「報謝」の心によるものとする。そのことを「信心正因 称名報恩」という。念仏を、極楽浄土へ往生するための因(修行)としては捉えない。
真盛
室町時代に天台宗から生じた天台真盛宗は、円戒と称名念仏を主にしている。

脚注

  1. ^ 行…「行」には様々な原義・定義があるが、ここでは仏に成るための行為を指す。
  2. ^ a b 唯除五逆誹謗正法…親鸞は、『尊号真像銘文』において「唯除五逆誹謗正法」の真意を、「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。としている。
  3. ^ 意訳…『<浄土真宗聖典>浄土三部経 -現代語版-』29頁より引用。
  4. ^ 憶念…(略)東アジアの浄土教において憶念の語は、殊に、阿弥陀仏や阿弥陀仏の功徳、あるいはその本願を、思って忘れぬこと、しばしばそれを思い起こすことの意に用いられる事が多い。(『岩波仏教辞典』第二版P.114より引用)

関連項目