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2024年11月29日 (金) 00:03時点における最新版

谷口正孝
たにぐち まさたか
生年月日 (1917-01-28) 1917年1月28日
出生地 日本の旗 日本鹿児島県
没年月日 (1994-06-25) 1994年6月25日(77歳没)
国籍 日本の旗 日本
出身校 九州帝国大学法文学部法科
旧制第七高等学校造士館
旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校

任期 1980年4月 - 1987年1月

任期 1979年2月 - 1980年4月

任期 1975年 - 1976年
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谷口 正孝(たにぐち まさたか、1917年1月28日 - 1994年6月25日[1][2]は、日本裁判官最高裁判所裁判官[1][2][3]法学博士[3][4]高等裁判所判事東京地方裁判所所長を歴任[1][3]

来歴・人物

[編集]

鹿児島県および宮崎県出身[5]。鹿児島県の事務官[6]吉田詮則の次男で[4][7]、母方の谷口家(谷口ワサ)の養子となる[4]。旧制中学・高校は鹿児島市で、旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)を経て、1937年3月旧制第七高等学校造士館(現・鹿児島大学)文科卒業[8]1940年九州帝国大学法文学部法科(現・九州大学法学部)法律専攻卒業[1]。同年4月、司法官試補[3]1942年名古屋地方裁判所判事となり、一貫して刑事裁判官としての道を歩む[1][2]1957年、論文「没収及び追徴の研究、無差別没収を中心として」にて九州大学より法学博士号授与[9]1958年名古屋高等裁判所判事、1963年東京高等裁判所判事、1975年宇都宮家庭裁判所所長、1976年再び東京高等裁判所判事[1]。東京高等裁判所判事時代の1972年に、血のメーデー事件控訴審にて騒乱罪不成立で無罪の判決を出したことで知られている[2]1979年2月東京地方裁判所所長に就任[1][3]

1980年4月最高裁判所裁判官(最高裁判所判事)となる[1][2][3]。最高裁では市民派・人権派として知られた。多くの重要事件で反対意見を述べ[1]、少数意見を付すことが多く[2]、「最高裁の一言居士」と言われた[1]1987年1月定年退官[1][3]1989年勲一等瑞宝章[1]

退官後は、日本大学大学院法学研究科非常勤講師として勤務。講演原稿や最高裁裁判官時代の意見・補足意見・反対意見をまとめたものとして、『裁判について考える』(勁草書房、1989年)がある。

地方裁判所所長からの最高裁入りは現在まで、唯一のケースとなっている(高等裁判所部総括判事から最高裁入りした事例としては、岩田誠中村治朗の例がある)。最高裁判所裁判官国民審査における不信任率14.84%は歴代第二位(2007年現在)である。なお谷口の他にも宮崎梧一寺田治郎伊藤正己が歴代最高不信任率の第六位までに入っているように、1980年の第12回国民審査は全般的に不信任率が高い国民審査であった。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『20世紀日本人名事典』(日外アソシエーツ、2004年)「谷口正孝」 - コトバンク 2020年3月7日閲覧
  2. ^ a b c d e f 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』(講談社、2015年)「谷口正孝」 - コトバンク 2020年3月7日閲覧
  3. ^ a b c d e f g 『宮崎県風土記』(旺文社、1988年)475頁
  4. ^ a b c 藤井麟太郎『日本紳士録 第52版』交詢社、1960年、124頁。
  5. ^ 『20世紀日本人名事典』では出生地鹿児島県/出身地宮崎県延岡市、『日本紳士録 第52版』では鹿児島県生まれ、『宮崎県風土記』ではえびの市出身、デジタル版 日本人名大辞典+Plusでは鹿児島県出身扱い
  6. ^ 『日本官界名鑑 昭和12年版』日本官界情報社、1936年3月、ヨの部7頁。
  7. ^ 『大衆人事録 第13版 中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1940年10月、鹿児島の部23頁。
  8. ^ 七高史研究会『七高造士館で学んだ人々 改訂版』(2001年)
  9. ^ CiNii博士論文 2020年3月7日閲覧