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滋賀県長浜に生まれる。長浜高等女学校卒。大正10年上京して速記、タイプを学び、次いで日本大學社会学科に入学。昭和3年中退して馬場明男(社会学博士)と結婚。翌年雑誌 |
滋賀県長浜に生まれる。長浜高等女学校卒。大正10年上京して速記、タイプを学び、次いで日本大學社会学科に入学。昭和3年中退して、[[馬場明男]](日大社会学博士)と結婚。翌年雑誌、[[女人芸術]]を舞台に評論活動を始めるも、8年同人橫田文子検挙に連坐、以後筆を折り、戦時下父の遺志を継いで幼稚園開園、仏教保育に従事。義兄は、[[稲垣国三郎]]。 |
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2024年11月23日 (土) 02:09時点における版
中島 幸子(中島 さちこ、1902年-1995)は、日本の文学者、評論家、教育者。昭和初期に女性作家たちの文学運動を牽引し、日本の文学史やフェミニズムの歴史において重要な役割を果たした女性作家。女性の自己表現や社会的地位の向上を目指した雑誌女人芸術の中心的存在の一人である。目黒私立幼稚園会長、全国私立幼稚園協会常任理事、私立たちばな幼稚園(東京都目黒区)を務めた。
来歴
滋賀県長浜に生まれる。長浜高等女学校卒。大正10年上京して速記、タイプを学び、次いで日本大學社会学科に入学。昭和3年中退して、馬場明男(日大社会学博士)と結婚。翌年雑誌、女人芸術を舞台に評論活動を始めるも、8年同人橫田文子検挙に連坐、以後筆を折り、戦時下父の遺志を継いで幼稚園開園、仏教保育に従事。義兄は、稲垣国三郎。
翻訳
- 偉大な戀 (コロンタイ著) 世界社、1930年
- 機械時代の戀愛 (フロイド・デル著、田村とし子(田村俊子)共訳) 先進社、1932年)