コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ママちょっと来て」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Cewbot: ウィキ文法修正 2: <br/>タグの違反
8行目: 8行目:
| 放送国 = {{JPN}}
| 放送国 = {{JPN}}
| 制作局 = [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]
| 制作局 = [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]
| 映像形式 = モノクロ放送</br>カラー放送([[1960年]][[1月10日]]の回<ref name=asahi19600110>朝日新聞 1960年1月10日 東京版朝刊P.5 ラジオ・テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref>から随時(不定期))
| 映像形式 = モノクロ放送<br />カラー放送([[1960年]][[1月10日]]の回<ref name=asahi19600110>朝日新聞 1960年1月10日 東京版朝刊P.5 ラジオ・テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)</ref>から随時(不定期))
| 音声 = モノラル放送
| 音声 = モノラル放送
| 企画 = [[間部耕苹]]
| 企画 = [[間部耕苹]]

2024年9月29日 (日) 00:01時点における版

ママちょっと来て
ジャンル テレビドラマ
企画 間部耕苹
脚本 野末陳平 ほか
演出 間部耕苹
出演者 千秋実
乙羽信子
山岸映子
中野しげる
坂倉春江 ほか
オープニング 「ママちょっと来て」(古賀さと子ボニージャックス
製作
制作 日本テレビ
放送
映像形式モノクロ放送
カラー放送(1960年1月10日の回[1]から随時(不定期))
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
放送期間1959年7月12日 - 1963年4月28日
放送時間日曜 19:00 - 19:30
放送分30分
回数198

特記事項:
1962年3月までは三菱石油(現在:ENEOS一社提供、1962年4月以降は資生堂一社提供。
テンプレートを表示

ママちょっと来て』(ママちょっときて)は、1959年7月12日から1963年4月28日まで日本テレビ系列の毎週日曜19:00 - 19:30に放送されたテレビドラマである。全198回。基本的にモノクロ放送であるが、1960年1月10日の回から不定期に随時カラー放送を行っている[1]

概要

アメリカ製ホームドラマパパは何でも知っている』をモデルとして、理想化された家庭像を描いた作品[2]。その後の国産ホームドラマ全盛時代の先駆的番組となった。

1962年5月23日には、大阪フェスティバルホール婦人団体代表3000人が出席し、大阪市婦人団体協議会から「子供に見せたいよいテレビ番組」の最優秀番組に推薦された当番組の表彰式が行われた[3]

出演者

スタッフ

ネット局

1960年当時

日本テレビ(制作局)

札幌テレビ

・ラジオ青森テレビ(現在:青森放送

山形放送

・ラジオ山梨テレビ(現在:山梨放送

東海テレビ

読売テレビ

西日本放送(当時は香川県のみ)

日本海テレビ(当時は鳥取県のみ)

・ラジオ山口テレビ(現在:山口放送、当時は周南局のみ)

テレビ西日本(当時は八幡局(北九州地区)のみ)

主題歌

「ママちょっと来て」

  • 作詞・作曲:三木鶏郎/歌:古賀さと子、ボニージャックス
  • CDの歌詞カードなど多くの媒体で「ご飯の支度 気になるの」と歌っているとされる箇所があるが、これは誤植であり、実際には「ご飯の支度 日に3度」と歌っている[5]

提供

脚注

  1. ^ a b 朝日新聞 1960年1月10日 東京版朝刊P.5 ラジオ・テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  2. ^ 志賀信夫『テレビヒット番組のひみつ : 「ジェスチャー」から「おしん」まで』日本放送出版協会、1984年8月1日、62 - 64頁。NDLJP:12275392/35 
  3. ^ 日本テレビ放送網株式会社社史編纂室 編『大衆とともに25年 沿革史』日本テレビ放送網、1978年8月28日、147頁。NDLJP:11954641/86 
  4. ^ a b 参考:テレビドラマデータベース
  5. ^ 1999年までのQ&A、三木鶏郎資料館 - 2019年10月3日閲覧。

関連項目

外部リンク

日本テレビ 日曜19時台前半枠
前番組 番組名 次番組
日曜家庭劇場
ママちょっと来て
日本テレビ 資生堂一社提供
あなたとよしえ
(水曜19:00 - 19:30)
ママちょっと来て
(1962年4月 - 1963年4月)
ホラ、しあわせが