「山口放送下関ラジオ中継局」の版間の差分
→FM転換に向けた運用休止: KRY公式サイトだけでは完全転換と言っているわけではないので、2024年4月の総務省有識者会議におけるスライドと、これに言及した共同通信社配信記事を出典に追加しておきます |
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1958年10月1日に「ラジオ山口下関放送局」として開局したAMラジオ放送局<ref name="KRY1987_048>「萩・下関ラジオ局」『山口放送三十年史』pp.48-49</ref>。KRYとしては徳山本局(2003年以降は周南本局)、萩放送局に次いで3番目に設置したAMラジオ放送局である<ref name="KRY1987_048/>。工費は約2000万円<ref name="KRY1987_048/>。開局当初は1500 kc(kHzと同義)・100 Wで送信していたが<ref name="KRY1987_505"/>、周波数は1959年10月1日に920 kc<ref name="KRY1987_527">『山口放送三十年史』p.527</ref>、1978年11月23日に918 kHzへそれぞれ変更され<ref name="KRY1987_559">『山口放送三十年史』p.559</ref>、出力は1986年11月20日より1 kWへ増力した<ref name="KRY1987_588">『山口放送三十年史』p.588</ref>。 |
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当初は有人運用であったが、1961年1月1日より無人運用(KRY本社からの遠隔運用)に切り替えられた<ref name="KRY1987_075">『山口放送三十年史』pp.75-76, 529</ref>。1958年10月の開局時は徳山本局・萩局・下関局の各局で別番組を放送する時間帯があったほか<ref>『山口放送三十年史』pp.49-51</ref>、1984年11月29日から使用していたラジオマスターも各局ごとに別番組を送出することが可能であった<ref>『山口放送三十年史』p.448</ref>。 |
当初は有人運用であったが、1961年1月1日より無人運用(KRY本社からの遠隔運用)に切り替えられた<ref name="KRY1987_075">『山口放送三十年史』pp.75-76, 529</ref>。1958年10月の開局時は徳山本局・萩局・下関局の各局で別番組を放送する時間帯があったほか<ref>『山口放送三十年史』pp.49-51</ref>、1984年11月29日から使用していたラジオマスターも各局ごとに別番組を送出することが可能であった<ref>『山口放送三十年史』p.448</ref>。 |
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1958年当時、[[郵政省]](総務省の前身)が民放AMラジオ中継局用の周波数として割り当てていたのは800 kc、1060 kc、1560 kcの3波のみであった。 |
1958年当時、[[郵政省]](総務省の前身)が民放AMラジオ中継局用の周波数として割り当てていたのは800 kc、1060 kc、1560 kcの3波のみであった。 |
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800 kcは韓国・釜山の局、1060 kcは[[RKB毎日放送]]([[RKBラジオ]])の小倉局<ref name="NAB1961_735">『民間放送十年史』日本民間放送連盟、1961年 p.735</ref>、1560 kcは[[大分放送]](OBS、当時の社名はラジオ大分)の中津局<ref>『民間放送十年史』p.736</ref>が既に使用しており下関市への中継局設置は不可能な状態であったが、本来は親局用の周波数であり[[西日本放送]](RNC、香川県)と同一の1500 kc{{efn|RNCのAMラジオ親局の周波数は1959年10月1日に1450 kcへ変更されている<ref name="NAB1961_735/>。}}の割り当てを郵政省の配慮により受けることが出来た<ref name="KRY1987_048" />。 |
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== 年表 == |
== 年表 == |
2024年6月11日 (火) 01:34時点における最新版
下関ラジオ中継局 | |
---|---|
送信波 | AMラジオ放送 |
偏波面 | 垂直 |
送信塔 | 1塔 |
空中線形式 (凡例) | 頂部負荷型 |
送信放送局 | 山口放送 |
空中線電力 | 1kW |
放送区域 | 山口県 |
開局 | 1958年10月1日 |
設置場所 |
山口県下関市上田中町1丁目20番21号[1] 北緯33度58分02.5秒 東経130度56分12.2秒 / 北緯33.967361度 東経130.936722度座標: 北緯33度58分02.5秒 東経130度56分12.2秒 / 北緯33.967361度 東経130.936722度 |
特記事項: 開局当時の住所は下関市大字関後地村355の9[2]。最初の免許取得日は1958年9月24日[1]。2024年4月29日より減力[3]、2024年5月27日より運用休止中。 |
山口放送下関ラジオ中継局(やまぐちほうそうしものせきラジオちゅうけいきょく)は、山口県下関市にあった山口放送 (KRY、1961年5月までの社名はラジオ山口) の中波放送中継局である。
周波数は918 kHz[注釈 1]、空中線電力(送信出力)は1 kW[注釈 2]、コールサインはJOPM。
1958年10月に開局したが、社の方針により廃止を前提として2024年5月より運用を休止している(後述)。
概要
[編集]1958年10月1日に「ラジオ山口下関放送局」として開局したAMラジオ放送局[4]。KRYとしては徳山本局(2003年以降は周南本局)、萩放送局に次いで3番目に設置したAMラジオ放送局である[4]。工費は約2000万円[4]。開局当初は1500 kc(kHzと同義)・100 Wで送信していたが[1]、周波数は1959年10月1日に920 kc[5]、1978年11月23日に918 kHzへそれぞれ変更され[6]、出力は1986年11月20日より1 kWへ増力した[7]。
当初は有人運用であったが、1961年1月1日より無人運用(KRY本社からの遠隔運用)に切り替えられた[8]。1958年10月の開局時は徳山本局・萩局・下関局の各局で別番組を放送する時間帯があったほか[9]、1984年11月29日から使用していたラジオマスターも各局ごとに別番組を送出することが可能であった[10]。
下関市上田中町1丁目20番21号[1](下関市立日新中学校・下関市立文関小学校そば)の丘陵地に置かれ、下関市を中心とする山口県西部の広範囲と福岡県北九州地方を中心にカバーしていた[4]。山口県内のエリア内世帯数は約23万7100世帯(2024年の運用休止直前時点)であり、周南本局(約38万世帯、同上)に次いで2番目に多かった[3]。
FM転換に向けた運用休止
[編集]山口放送は「AMからFMへの全面転換」(AM放送の速やかな廃止)を目指す方針を公言しており[11][12][13]、2015年以降FM補完中継局の設置を進めている。下関AM局を補完するKRY下関FM(火の山の下関テレビ中継局[注釈 3]と同所)は2017年5月21日に開局し、2021年8月のKRY豊田FMの開局をもって14局体制となっている[14]。
2023年の再免許申請時、全国AM民放で唯一、全AMラジオ放送局(周南本局、萩局、下関局、岩国局、山口局、須佐田万川局の6局)について「AM局の運用休止に係る特例措置」の適用を申請、電波監理審議会はこれを適当と認める旨を答申し[15]、総務省から免許が交付された[16]。下関局では2024年4月29日より減力(空中線電力の段階的な低下)を実施し、2024年5月27日より運用を休止している[17]。また休止期間後も再開せずそのまま廃局にすることも有り得るとしている[13]。
中継局概要
[編集]放送局名 | コールサイン | 周波数 | 空中線電力 | 放送対象地域 | 放送区域内世帯数 |
---|---|---|---|---|---|
山口放送下関放送局 | JOPM | 918kHz | 1kW | 山口県 | 約-世帯 |
送信アンテナは1958年開局当初のものを2024年の休止直前まで約65年間使用していた[18]。
1958年当時、郵政省(総務省の前身)が民放AMラジオ中継局用の周波数として割り当てていたのは800 kc、1060 kc、1560 kcの3波のみであった。
800 kcは韓国・釜山の局、1060 kcはRKB毎日放送(RKBラジオ)の小倉局[19]、1560 kcは大分放送(OBS、当時の社名はラジオ大分)の中津局[20]が既に使用しており下関市への中継局設置は不可能な状態であったが、本来は親局用の周波数であり西日本放送(RNC、香川県)と同一の1500 kc[注釈 4]の割り当てを郵政省の配慮により受けることが出来た[4]。
年表
[編集]- 1958年9月24日 - 最初の放送免許を取得[1]。
- 1958年10月1日 - 周波数1500 kHz、出力100 Wで開局[1]。
- 1959年10月1日 - 周波数を920 kHzに変更[5]。
- 1961年1月1日 - 送信所を無人運用(本社からの遠隔運用)に変更[8]。
- 1978年11月23日 - 周波数を918 kHzに変更[6]。
- 1986年11月20日 - 出力を1 kWに増力[7]。
- 2024年4月29日 - この日より減力(出力低下)を実施[17]。
- 2024年5月27日 - この日より運用休止[17]。
注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 『山口放送三十年史』p.505
- ^ 『山口放送三十年史』p.526
- ^ a b 「AM局の運用休止・FM転換に関わる山口放送の取組」p.8
- ^ a b c d e 「萩・下関ラジオ局」『山口放送三十年史』pp.48-49
- ^ a b 『山口放送三十年史』p.527
- ^ a b 『山口放送三十年史』p.559
- ^ a b 『山口放送三十年史』p.588
- ^ a b 『山口放送三十年史』pp.75-76, 529
- ^ 『山口放送三十年史』pp.49-51
- ^ 『山口放送三十年史』p.448
- ^ 「AM局の運用休止・FM転換に関わる山口放送の取組」p.12
- ^ 「AMラジオ 終焉の波 MBCなど13社 FM転換視野 休止実験」『南日本新聞』2024年6月7日18面。共同通信社の配信記事。英語版記事"FEATURE: AM radio listeners set to be permanently tuned out in Japan"は同年6月5日配信だが、日本語版記事で「山口放送の担当者」と明示した箇所を"one broadcast official"と表現している。
- ^ a b “AMからFMへ エフエムKRY”. 山口放送株式会社. 2024年6月3日閲覧。
- ^ 山口県下関市の一部地区でFM補完放送が聴取可能に< KRY 山口放送株式会社のFM補完中継局に免許 > 中国総合通信局、2021年8月21日。
- ^ 令和5年地上基幹放送局の再免許に係る電波監理審議会からの答申 総務省、2023年10月23日。
- ^ 令和5年地上基幹放送局の再免許 総務省、2023年10月26日。
- ^ a b c 休止を予定する民間AMラジオ放送事業者一覧 総務省、2024年3月29日更新、同年5月28日閲覧。
- ^ 「AM局の運用休止・FM転換に関わる山口放送の取組」p.3
- ^ a b 『民間放送十年史』日本民間放送連盟、1961年 p.735
- ^ 『民間放送十年史』p.736
参考文献
[編集]- 惠良勝治「AM局の運用休止・FM転換に関わる山口放送の取組」 - 総務省デジタル時代における放送制度の在り方に関する検討会(第25回)配付資料 2024年4月10日。
- 『山口放送三十年史』山口放送、1987年6月。