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ノート:タイムトラベル

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この記事は5度削除されています。削除に関する議論はWikipedia:削除依頼/タイムトラベルWikipedia:削除依頼/タイムトラベル 061007Wikipedia:削除依頼/タイムトラベル 20070331Wikipedia:削除依頼/タイムトラベル 20080308Wikipedia:削除依頼/タイムトラベル 091023をご覧ください。

「時空が悪性」という表現

カー・ブラックホールの特異点付近では時空が悪性となっており、」←『時空が悪性』っていう表現は正しいのでしょうか?typo?Corwin 05:25 2004年2月10日 (UTC)

岡本さんの指摘

この部分は執筆者の個人的見解という性質が強いように見えました。大変興味深い指摘とは思いますが、そのままの形で記事に残しておくのが適切とは思えなかったのでノートに移動します。ウェルズの『タイムマシン』あたりはまさにこの問題を抱えていると言えるでしょう。しかし、例えばスティーヴン・バクスターの『時間的無限大』ではこれは殆ど問題になりません。そういった論点から、SF作家たちが描いたタイムトラベルの原理の変遷について論じるとよい記事になるかも知れません。Yugui 13:37 2004年5月23日 (UTC)

以下、岡本さんの指摘を本文から移動。


※(まったく論点の異なる加筆をします。お許しください。適当な時期に整理の上消去してください。)  タイムトラベルが偶発的に起こる可能性があるということと、意図したタイムトラベルを実現できるということとはまったく異なる意味を持ちます。  S・Fに登場するタイムトラベルは殆どが意図したタイムとラベルを実現する話であり、あるいは偶発的なタイムトラベルであってもそれが結果として意味を持つケースを描いていると思われます。(そうでなければ、そもそも小説として成り立たない。)  しかし、それは技術論を別にしても殆ど可能性のないことだと思われます。  なぜならば、タイムトラベルでは時間を移動するということは言うまでもありませんが、空間的にはどうでしょうか?同一空間の異なる時間へ移動するという話が殆どではないでしょうか?(勿論、行き先の場所まで指定できるという都合のよい話もあるでしょうが)  空間を考えるとき、私たちはつい「動かざる大地」を夢想してしまうのではないでしょうか?  例えば100年前へタイムトラベルする場合を考えて見ましょう。100年前の東京と現在の東京は同じ場所にあるでしょうか?  例えば12時間前の東京はどこにあったのでしょうか?どのような時代のどのような場所でも探索可能で、相対位置を修正できるという前提に立っているのでしょうか?  似たような話で、「古代の遺跡がある特定の星座の方角を向いていた。」というような話がありますが、 何千年も前に今と同じ方角に同じ星座が見えたはずはなく、さらに言えば星座の形そのものが現在とは異なっていたはずです。  我々人間の頭はどうやら相対論を考えるのには向いていないのではないでしょうか?                                           06.5.23※

文中の表現について

「理論上可能である。」といっても、ワームホール自体が仮説なのですから、理論上可能とはいえないのではないでしょうか?言い回しが気になるので、「実現可能性についての仮説が立てられている」など、断言調ではない形にしたほうが良いのではないでしょうか。ハイゼン

大幅な改稿を行いました

タイムトラベルタイムマシンの項目の住み分けがなんかかなりおかしくなっている感じだったので、両者をシャッフルして整理整頓を行いました。作業内容については、編集概要に記したほか、文中にもコメントアウトで記してあります。

なお、「作品一覧」は、タイムマシンからタイムトラベルに引っ越しましたが、どのようなものを一覧に掲載していいかという点については「タイムマシン#作品の取捨選択」で議論が行われています。引き続き一段落するまではそちらで行った方がよろしいかと思います。やや変則的な扱いとなりますが、よろしくお願いします。 --Nekosuki600 2005年11月22日 (火) 05:41 (UTC)[返信]

タイムマシンのノートのうち「作品の取捨選択」をサブノート化して、タイムトラベルからもアクセスできるようにしました。

--Nekosuki600 2005年12月1日 (木) 04:16 (UTC)[返信]

作品の取捨選択

※再編成のからみもあって、「作品一覧」が「タイムマシン」から「タイムトラベル」に引っ越したため、この項目をサブノート化して両方の項目のノートからアクセスできるように細工します。履歴はサブノート初版の末尾に記してあります。--Nekosuki600 2005年12月1日 (木) 04:05 (UTC)[返信]


登場する作品の取捨選択について、話し合っておきませんか?漫画やアニメなどの場合、タイムマシン(タイムトラベル)が全体から見て重要度が低いものは、妥当であるとは思えないのですが…P.N.沖島 遊 2005年11月13日 (日) 17:31 (UTC)[返信]

発言にタイトルが付けられていなかったので付けておきました。
基本的に1.タイムマシンが主題でない作品、2.エピソードの1つでしか出てこない作品、3.あまりメジャーではない作品、4.あまりにも低年齢向けで非科学的な作品は削除してもよいでしょう。
ざっと見た感じでは、以下の作品は必要ないと感じます。
  • キテレツ大百科(藤子・F・不二雄)= 1、2
  • T. P.ぼん(藤子・F・不二雄)= 1、3、4
  • Dr.スランプ(鳥山明)= 1、2
  • ドラゴンボール(鳥山明)= 1、2
  • 犬夜叉(高橋留美子)= 1? ※タイムトラベルというより伝奇物
  • まもって守護月天!(桜野みねね)= 1、2
  • 魔法先生ネギま!(赤松健) = 1、2
  • タイムボカンシリーズ = 4?
  • 宇宙戦士バルディオス = 1、3
  • まんがはじめて物語シリーズ = 1、3
  • ママは小学4年生 = 1?
  • ドラゴンボール = 1、2
  • クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望=1、2、4 ※タイムトラベルを扱ったエピソード
  • ロックマンエグゼStream=1?、2? ※タイムトラベルを扱ったエピソード?
  • 未来戦隊タイムレンジャー = 3
  • ウルトラマンA = 1、2
  • 時空警察 =3 スペシャルドラマ
【内容不明】
  • ノリ・メ・タンゲレ(道原かつみ)
  • クロノアイズ(長谷川裕一) 
  • クロノアイズ グランサー(長谷川裕一)
  • タイムウォーカー零(飛鷹ゆうき)
  • アレックス・タイムトラベル(清原なつの)
マンガ、アニメはタイムトラベルねたが多い分野ということもあり、追加に関してはある程度の掲載基準が必要でしょう。ウィキペディアはナレッジベースではないので、関連性が薄いものは掲載する意味も低いです。
またゲームと音楽はカテゴリとして必要ないのでは?--Vio 2005年11月16日 (水) 11:50 (UTC)[返信]
今後肥大化させないためにも取捨選択は必要でしょう。私も音楽はタイトルやイメージだけ、ゲームはストーリーや設定面から記事には不要と感じます。とりあえずアニメ、マンガでも不適切と思えるものはコメントアウトしておきました。項目名はタイムマシンなので、小説や映画もタイムスリップなどは省き、タイムマシンが登場する作品に限った方がよいと思います。--Kazzy 2005年11月17日 (木) 05:35 (UTC)[返信]

取捨選択は必要ですが、上のリストを見るとVioさんの判断にはいささか疑問を感じます。例えば、タイムトラベルが主題にかかってくるかどうかを問題にするのなら『T.P.ぼん』などは削るべきでありません。タイムマシンだけを問題とするなら話は別ですが、それなら『ドラえもん』も削るべきでしょう。また、どちらの基準で考えても、『ジパング』は不要と思います。なによりも、小説や映画も現状では多過ぎるのですが、それはどうするのでしょうか。 -- NiKe 2005年11月17日 (木) 06:09 (UTC)[返信]

クロノアイズは2003年の星雲賞のコミック部門で受賞をした作品であり、SFファンからの評価は高いです。そもそも、自分が内容を知らないから「内容不明」で必要ないというのはあまりに乱暴な議論ではないでしょうか。SINOBU 2005年11月17日 (木) 09:23 (UTC)[返信]

先に掲げたリストはあくまで私見なので。私は藤子作品に詳しくないのですが『T.P.ぼん』は削除理由としては残る「3、4」に因るのもあるので。『ドラえもん』に関してはあまりに人気作品であること、『ジパング』に関しては記事中でタイムスリップにも言及していることや人気作品であることを加味した結果です。
あと「内容不明」というのは削除対象ということではなく、私自身が内容を把握してないため対象から判断対象から除外しているという意味ですので悪しからず。
上記のリストは反応を探るための妥協案的なところがあって、個人的には記事名がタイムマシンであるため小説や映画も含め関連作品はタイムマシンが登場するものに限定するべきだと考えています。英語版は"time trabel"しかないのですが、他の英語版記事を鑑みても小説や映画はともかく、アニメ、マンガなどを列記する必要もないのかと思います。
英語版には"Time machine"はないのですが、日本語版ではタイムマシンとは別にタイムトラベルの記事を設けるべきか、もしくはタイムトラベルに統合すべきかという問題もありますが。--Vio 2005年11月17日 (木) 09:43 (UTC)[返信]
『T.P.ぼん』が 4.あまりにも低年齢向けで非科学的な作品 なんですか? 「内容不明」としていないのですから、読んだ事はおありなんですよね。 -- NiKe 2005年11月17日 (木) 13:23 (UTC)[返信]
藤子作品の幼年ものという範疇で判断しています。--Vio 2005年11月17日 (木) 17:11 (UTC)[返信]
それは読んだ上でおっしゃっているのでしょうか? -- NiKe 2005年11月18日 (金) 18:01 (UTC)[返信]

項を設立していただきありがとうございます。しかし、何をもって「ゲームは不要」とされるのでしょうか?(ゲームでも漫画やアニメと同様に一エピソードとして登場するものは結構な数が存在しますが。)例えばネット上でそのタイトルが挙がるという点については、「クロノトリガー」がGoogle検索で10万件以上であり、ここで挙げられた一部の映画や小説よりも馴染み深いものであると言えなくはないでしょうか。そもそも、「タイムマシンというものがゲーム(あるいは漫画、アニメ)というメディアで扱われた」という、タイムマシンの「功績」という点は考慮されないのでしょうか?P.N.沖島 遊 2005年11月17日 (木) 16:11 (UTC)[返信]

上にも似た意見がありましたが、クロノトリガーに限らずゲームの場合はタイムマシンを扱ってもあくまでも舞台設定や小道具に過ぎず、タイムマシンの考察を深める関連情報になるのか疑問です。--Vio 2005年11月17日 (木) 17:11 (UTC)[返信]
とりあえずタイムトラベルとタイムマシンを分けるのが先決って気もするなあ。あと、ほんのちょっとしか関係がないものをどんどん一覧に付け加えていっちゃうやつがいるというのはまあWikipediaでは珍しくもない問題なので、そういうのを削除したときにトラブらない程度の穏やかな基準があり、発見したとき果敢に削除するやつがいれば、まあ食い止めることはできるだろーな(「一覧に付け加えるのならばその項目の記事を書け」なんていう指針ができれば一発かも(笑))。
おまけ。「アレックス・タイムトラベル」は、理科系の少女漫画作家としてそこそこ有名な清原なつのの作品で、なぜか早川文庫にはいってますんで、お暇なときにでも。マンガ作品なのに早川文庫JAに収録されているというあたりで、まあだいたいSF業界での評価はわかるかと思いますが。
--Nekosuki600 2005年11月17日 (木) 16:36 (UTC)[返信]
私も同じことを考えていました。たしかに関連書籍等の追加は簡単なので、多くの記事でも際限なく追加される傾向がありますね。作品名を書くだけならと思いついたものをどんどんと書き足していく感じで、IPユーザも多いようです。そこで作品名だけではなく数行程度のあらすじを付記するようにすれば、安易に追加することは思っていました。アニメ、マンガに関しては各人の思い入れもあって削除はなかなかしづらいでしょう。
タイムトラベルとタイムマシンは早目に分けた方がいいかもしれませんね。--Vio 2005年11月17日 (木) 17:11 (UTC)[返信]
なんかいい区分けの仕方がないかなあと思っていたんですが、んー。「道具(=タイムマシン)を使うか使わないか」という区分でばっさり分けてしまうってのはどうだろうか。個人的には、この分け方にはちょっと違和感があって、「意図的なタイムトラベルと意図しないタイムトラベル」の方がしっくりするのだが(しかし「道具は使うが意図した時代に行けるとは限らない、というか意図した時代に飛べないのが物語のキモである『タイムトンネル』」「訓練すれば意図したところに飛べるのだが訓練しないとどこにいっちゃうかわからない『時かけ』」「道具を使わず意図したところにジャンプできてしまう『パタリロ』」あたりの扱いで泥沼化しそうなので、ひっこめます(笑))。
現状、まだ「タイムトラベル」の方はたいして育っていないんで、やるんだったら近日中にやっちゃうのが楽でいいなあと思ったりはするんですけどね。
--Nekosuki600 2005年11月18日 (金) 20:01 (UTC)[返信]
「ゲームの場合はタイムマシンを扱ってもあくまでも舞台設定や小道具に過ぎず」とありますが、具体的にどの部分を指して小道具に過ぎないと言っているのでしょうか?また、どのような扱いがされたら小道具でないと言えますか?
大体、作品リストが何の為に存在するのか分かっているのですか?タイムマシンが様々なジャンルに渡り幅広く影響を与えた証としての一面を持つのですよ?これを小説や映画だけにするということは「タイムマシンは限られたジャンルにしか影響を与えなかったモチーフ」としての評価しか与えてないということでは?P.N.沖島 遊 2005年11月18日 (金) 16:54 (UTC)[返信]
えーと、率直なところ、沖島さんのアプローチではモメるだけで合意形成は無理だと思います。でだ、そんだけだとイチャモンなんで。
リストにどうしても加えたい作品があり、しかしそれを加えることに反対するひとがいるように思えたならば、その作品の項目ないし作家の項目を立て(あったら加筆し)、その項目の方で「タイムマシン」ないし「タイムトラベル」に密接な関係を持つ作品であるということがわかるような説明をして、それから「これもリストに加えろ」と言うとか、リンクつきで加えてしまうとか、そういう方法のが有効なんじゃないかな。
ま、「タイムマシン、あるいはタイムトラベルという概念が、いかに人の心を打ち、いろいろな場面で使われているか」という意味であればいろいろなジャンルのものがあっていいと思います(個人的には、音楽やゲームをはずせ、というのはやや偏狭なんじゃないかという印象を持ってます)。しかし現状、テレビアニメのワンエピソードにタイムマシンが出てきたというだけでリストに加えられてしまうというありがちでどっしょーもない状況があるのもまた確かなわけですし、どこかで調整はしなくちゃなりません。「充実した説明を伴う項目による説得力で勝負する」というのは、悪い方法じゃないんじゃないかと思います。ご検討ください。
--Nekosuki600 2005年11月18日 (金) 20:01 (UTC)[返信]

なんか突然止まってしまってさびしいぞ、と。

んで作品の取捨選択なんだが、全然別件(このノートの現段階で末尾記載)でタイムトラベルタイムマシンの交通整理を試みてます。んで、作品リストはタイムトラベルに移動して、タイムトラベル(草稿)に載せてあるのだが、と。ついでに、「タイムトラベルの手段/作品の概要」てのを付け加えてみた。

現時点ではまだ草稿だし合意形成前だからこれを編集してもらっても無駄になる可能性が高いんだが、合意が形成されこれで再編成したとして、移動後一週間くらいの期間を定めて「どうしても残したい作品には、残したいと思うひとが、『手段/概要』を書き込む。期間後に説明が書き込まれなかった作品はばっさり消す」というのでどうだろう。概要は、そーだな、長くて200文字くらいが限度かな。

なお、個人的には、今は仮に復活してあるが「犬夜叉」はタイムトラベルものではないよーな気がしてならない。

--Nekosuki600 2005年11月20日 (日) 17:09 (UTC)[返信]

お疲れ様です。今から概要をまとめておかないと…ところで、「ばっさり消す」とは削除するということでしょうか?もしそうだとしたら、一定期間書き込まれなければコメントアウト、更に一定期間が過ぎても書き込まれないようなら削除、という方法を提案します。もしかしたら、見ているだけの人もいるかもしれませんし。P.N.沖島 遊 2005年11月21日 (月) 16:26 (UTC)[返信]
ちょっと気が早いかとは思いましたが、二日間ほど特に反対も出なかったので、改稿してしまいました。
で、作品一覧ですが、コメントアウトで十分かと思います。コメントアウトにしておけば、勢いで付け加えようとしたひとが編集画面を開いたときに「すでに記されているが、なんらかの理由でコメントアウトされている」ということがわかって、安易な追加を諦めてくれるんじゃないかとも思いますし。
とりあえず一週間か二週間くらいこのまま放置して、解説がつかなかったものはコメントアウトするという方針でいかがでしょう。もちろんその後、解説を書いて復帰するのは全然かまわないということで。
--Nekosuki600 2005年11月22日 (火) 05:46 (UTC)[返信]

作業状況。

  • 全項目:わかる範囲で「タイムトラベルの手段」を付記。
  • 小説:半分くらい発表年とISBNを付記。覚えているもの・残したいものに解説を加筆。
  • 映画:全てに製作年を付記。製作年順に並べ替え。
  • 漫画:半分くらい発表年を付記。覚えているもの・残したいものに解説を加筆。
  • テレビドラマ:ほとんど未着手。
  • 音楽・ゲーム:ほとんどわからんので誰かにまかす(=^_^;=)。

作品の個々の解説を深く書くよりは、「タイムトラベルものとしての位置づけ」みたいな感じで書くほうがいいんじゃないかって感じがする。タイムゲートものや天変地異ものって、こうやって眺めてみるとけっこう偏っていたんですねえ。個人的超能力もの、おれはパタリロ!しか思い出せなかったんだが、他にもなんかあったよなあ。なんだったっけか。というあたりもひっくるめて、みなさんよろしくどうぞ。この作業、けっこう面白いぜ。なんかひさびさにSFの血が騒いでしまったなぁ。

--Nekosuki600 2005年11月22日 (火) 10:16 (UTC)[返信]

まいど。

えーと、11月末をもって、いったん解説がない作品について、コメントアウトしようと思います。削除はせず、ソースにテキストは残しておきますが。まあ、解説がついているかどうかで残すか消すかを決めるという方法で適切なテキストが残るかどうかは微妙なところですが、「思いいれのある作品には解説を書く人がいるはずだ」という基準は、まあ十分ではないにせよそれなりには機能するのではなかろうかと思います。

つきましては、コメントアウトを避けたい作品については、解説をよろしくお願いします。現在、音楽・ゲームについては一本も解説がついておりませんので、このままですと項目ごと消えてしまいます。特にそのあたり、これまでの議論で残したいという意向が表明されていますので、ぜひよろしくお願いします。

--Nekosuki600 2005年11月28日 (月) 07:27 (UTC)[返信]

12月になりましたので、解説がない作品をコメントアウトしました。にちゃんねるで話題になって手伝いの方が駆けつけてくださったこともあり、タイムトラベルの手段にしても多様性が出てきていい感じになってるんじゃないかと思います。ありがとうございます。音楽の項目が消えてしまっていますが、あれは解説のつけようがないし、どうしましょうかねえ・・・・。まあ、とりあえず一段落ということで、みなさまおつかれさまでした。どもでした。

--Nekosuki600 2005年12月1日 (木) 04:26 (UTC)[返信]

議論停滞しているようですが、私が読んだ、プレイしたものに限って私見を述べさせてもらうと

  • 涼宮ハルヒの憂鬱 (削除)これには確かにタイムトラベルが出てはいるけど主題であるとは言えない1エピソードに過ぎないかなと思います。ただ現在あまりに人気になっている作品の為にファンが書き込んでしまっただけに思えてならない。
  • ドラゴンボール (削除)これは本当に1エピソードに過ぎないしタイムマシンがこの作品にどういった影響を及ぼしたかを考えると、新キャラクターとエピソード作りのためのこじつけになっているような気がします。
  • まんがはじめて物語 (削除)これは歴史を紹介するのが本文。そのためにタイムスリップしたように見せて話をしているに過ぎず、タイムトラベルとは言えないと思う。
  • クロノ・トリガー (存続)この作品はタイムトラベルを主題にしていますし、タイムトラベルを取ったら作品として成立しないはず。発売当時もそれなりに人気があったと思います。
  • この世の果てで恋を唄う少女YU-NO (削除も可)これもストーリーとシステムにタイムトラベルは欠かせないと思うが、一般にマイナーなのではないか?と思ってしまう。好きなゲームなのであるのはうれしいが。

以上ですが、取捨選択には「その作品からタイムトラベルを取ったら何が残るか」で考えるのはどうでしょうか。これは人気だから、これはタムトラベルの話が出たときがあるから、だけでは存続の理由には少し弱い気がします。タイムトラベルというのは漫画とかゲームにとっては1エピソードにする場合にも矛盾をこじつける場合にもとても簡単な手法になっていると思います。思い入れのある作品とかは削除したくない心理もとてもよくわかるんですがね。--ELPA 2006年9月26日 (火) 23:20 (UTC)[返信]

まんがはじめて物語と同じ手法は少女漫画に多く、よく現代の少女が物語の舞台になる歴史上実在した時代に飛ばされています。その発展である、未来に関する知識や機材を持つことを有利に働かせる成功譚などはオールジャンルにあります。これらは目的が目的なので、たいていはSF的なタイムトラベルを説明せずに(もしくは呪術的なもので)済ませ、また登場人物が歴史の改変に躊躇することもありません。

すでに書かれている項目では『戦国自衛隊』『犬夜叉』『ドラゴンボール』などがこの範疇に入ると思います。先行項目「タイムマシン」との親和性を考えると、こういったifものの発展とも言えるタイムトラベルは明確に別の場所(パラレルワールド?)へ誘導できるのではないでしょうか。Walks 2007年1月2日 (火) 10:51 (UTC)[返信]

パラレルワールドという項目で重複説明をすることはかまわないと思うのだが、「タイムパラドックスに無頓着なタイムトラベル物語」というのは類型として明らかにあるわけだし、きっちり峻別してしまう必要はないような気がする。この項目では「無頓着なタイムトラベル物語にはこういう問題が起きる」ということとセットで説明があればよく、問題の詳細はタイムパラドックスで説明し、またその問題解決に向けて発展したコンセプトとしてパラレルワールドで説明をする、ということでいいのじゃないだろうか。そのあたりの物語を楽しむ人々に対して必要な情報は、パラレルワールド概念の詳細ではなく、「その物語は問題を抱えており、ちょっと不自然なところがあるよ。それだけ覚えておいて」ということにとどまると思うのだな。--Nekosuki600 2007年1月2日 (火) 17:40 (UTC)[返信]

作品リストの置き場所(タイムパトロール関連)

タイムパトロール関連のリストの置き場所がタイムパトロールに移動しているのだが、これを戻したいと思います(できれば移動したひとに戻してもらいたいが)。理由は、「タイムトラベル関連は、へたに区別しようとすると複数要素を持つものの置き場所で悩むことになる。まとめておいた方が楽である」ということに尽きます。たとえば「タイムマシンを使ってタイムパトロールを行うタイムトラベルが登場する物語」を「タイムトラベル」「タイムマシン」「タイムパトロール」のどこに置くのがいいかなんてことを合意するのは不可能だと思う。リストはタイムトラベルに置く、必要ならリンクを貼る、という方針でいった方がいいんじゃないかということですね。また、作品の時代的登場背景なんかも、テーマ別に細分化するとわかりにくくなってしまいます。--Nekosuki600 2006年2月19日 (日) 06:07 (UTC)[返信]

タイムパトロールが主役主題のものについてのみ整理しなおせば問題ないはずです。Izayohi 2006年2月19日 (日) 14:43 (UTC)[返信]
それは事態のややこしさをわかっていないってことだと思うよ。
以前、リストは「タイムマシン」にあって、「タイムマシンが出てこないタイムトラベルもの」が混在してて、んでタイムマシンとタイムトラベルでどう分割するかで議論があって、リストはタイムトラベルにまとめるということになった(のだったような気がする)。現実問題、タイムパトロールはほぼすべてタイムマシンを使うものなわけで、「タイムパトロールだけ」が問題ならそんでいいのだが、たとえば「タイムマシン」「天変地異」など要素は他にもいっぱいあるでしょ。というわけで、タイムパトロールへのリストの分割はちょっと思慮に欠ける(そして過去の議論をふまえていない)部分があるんじゃないのかなあ。強く再考を求めるです。--Nekosuki600 2006年2月19日 (日) 15:55 (UTC)[返信]
「「タイムパトロールだけ」が問題ならそんでいい」ということは私の意見に同意ということですね。タイムパトロールとその他のことは直接関係ないのでタイムパトロールに関しては現状を議論にのっとり整理すればよく、他の問題は発生てから議論すればよろしいでしょう。Izayohi 2006年2月19日 (日) 22:40 (UTC)[返信]
すでに一回発生した問題でありそれが解決された状態をなんで崩すのか、と聞いているのです。しょうがないんでリバートさせてもらいます。--Nekosuki600 2006年2月20日 (月) 03:52 (UTC)[返信]
で、戻させてもらいました。改めて事態のややこしさをいくつか提示しておきます。
「タイムパトロール作品のリスト」を分けるとするならば、それは「タイムトラベル作品」を「タイムパトロール作品」と「それ以外のタイムトラベル作品」にきっぱり区分できる、ということが前提となるでしょう。しかし実際にはそれは不可能であり、かなりクロスオーバーしています。Izayohiさんが行った編集の中にもすでにその萌芽はあらわれており、たとえば「永遠の終わり」はタイムパトロールに移動されているのに「TERRAの工作員シリーズ」は移動されていない、といったあたりで不整合があります(この2作品が別項目に掲載されているというのは、この2項目の区分の不可能性をあらわすものだと思いますが、いかがでしょう)。
また、たとえば「アレックス・タイムトラベル」などで顕著ですが、一連の物語の中にちょっとだけタイムパトロールが登場するといったものがあります。これはタイムパトロールものなのでしょうか、それ以外なのでしょうか。また「スーパージェッター」は、身分はタイムパトロールではありますが、時間犯罪やタイムパラドックスはさほど大きなテーマとなっていません。これはタイムパトロールものなのでしょうか、それ以外なのでしょうか。
現実問題、「タイムトラベルもの」を「タイムパトロールもの」と「それ以外」に分けるというのは、無理だと思います。タイムパトロールという項目は存在してしかるべきものと思いますが、作品リストを分割するのはなんぼなんでも無理であり、「どのリストを見ても欠落が生じる」あるいは「やたら重複した複数のリストがある」のいずれかにしかなり得ないと思います。どうしても分割をしたいということであれば、その前にこのノートで問題提起を行い、ある程度以上の合意形成を先行させていただけると幸いです。--Nekosuki600 2006年2月20日 (月) 05:00 (UTC)[返信]
(通りすがりの横レス、失礼します。)包含関係として、タイムトラベルはタイムパトロールの上位にあると見るべきでしょうし、わざわざタイムパトロール物だけを分ける必要性が感じられません。つまり現状では、Nekosuki600さんに(というか、かつての合意内容に)同意します。もしIzayohiさんが、かつての合意を覆せるだけの根拠なり理由なりを示されるのであれば、タイムパトロール物の分離に賛同させていただこうと思います。--スゥ 2006年2月20日 (月) 05:53 (UTC)[返信]

リストの並び順

作者名の50音順ではだめですか?West 2006年4月27日 (木) 12:18 (UTC)[返信]

どうしても50音順にしたいのならば、ノートで合意形成をはかってからにした方がいいでしょう。なお、登場年代順には「タイムトラベルの進化と発展を俯瞰しやすい」というメリットがあり、50音順にはぱっと考え付くメリットがないため、おれは反対します。--Nekosuki600 2006年4月27日 (木) 14:22 (UTC)[返信]
年代順になってるのには気づきませんでした(汗 それについては了解です。で、作られた年がわからない場合はどうしましょう?West 2006年4月27日 (木) 15:46 (UTC)[返信]
あ、えーと、年代順になっていることにお気づきにならなかった理由は、たぶん年代順を守っていない項目が散見されるためだと思います。あとから加筆するひとが「年代順になっている」ということに気づかずにテキトーなところに入れてしまうということがよくあるんですわ。時々直してはいるのですが。
年代がわからないものは、わからないものは、、、調べましょうよ、百科事典の項目なのですから(=^_^;=)。どーしてもわからないものというのはそうそうないと思いますし、調べてもどーしてもわからなかったやつは「年代不詳」とか「1948?年」とか書いておけばそれもひとつの情報だし、わかるひとがいたら加筆してくれるんじゃなかろうかと。--Nekosuki600 2006年4月27日 (木) 15:58 (UTC)[返信]
よく見ると、リストの並び順に関しては何も書かれてないのでは…?リストの最初に「並び順は、年代の順とする」とか付け加えた方がいいのではないでしょうか。--61.114.46.25 2006年4月27日 (木) 16:08 (UTC)[返信]

項目の肥大化にどう対処するか

本文の履歴で指摘されていますが、作品リストが巨大になっています。それに対し

  1. 「タイムトラベル」と、「タイムトラベルを主題とする作品一覧」(仮題)に分割
  2. 作品の掲載基準を厳しくし、一部作品を削除
(既に作品の取捨選択で挙がったが、結局うやむやに)

について、皆さんの意見はどうでしょうか?--P.N.沖島 遊 2006年8月8日 (火) 16:25 (UTC)[返信]

一時的にすっきりさせちゃいましたがw、確かになんとかした方がいいですね。僕はというと、正直決められません。既にリストに載っている作品で(これは必要なのか?)って思うようなものもあるし、かといってVioさんの作った基準だと掲載すべきでない条件に引っかかるけど、ぜひ載せたい作品もあるし……West 2006年8月8日 (火) 17:44 (UTC)[返信]
率直に言って、『イシャーの武器店』や『宇宙の小石』のように、タイムトラベルは導入部やサブプロットとして用いられているだけで、実質的には未来世界テーマ物である作品をタイムトラベル物のリストに加えるのは疑問があります。また、筒井康隆の『笑うな』や『七瀬ふたたび』の「七瀬、時をのぼる」は、果たしてリストに加える必要があるほど重要な作品なのでしょうか? --カスガ 2006年8月9日 (水) 16:55 (UTC)[返信]

『七瀬ふたたび』は、タイムトラベルが主題でないという理由で不要だと思われます。『笑うな』は、ショートショートということがタイムトラベル物では珍しいと思うのですが。あと、Vio氏の基準の3はどうかと思います。タイムトラベルが独特の使われ方をしていれば知名度が低くとも残した方がいいと思います。。--P.N.沖島 遊 2006年8月12日 (土) 17:56 (UTC)[返信]

単に「タイムトラベルをテーマにしたショートショート」であれば、フレドリック・ブラウンや広瀬正を筆頭として、いくらでも先例:があります。
あと、作品の選出に「メジャー」「メジャーでない」という基準を持ち込むことに疑問があるという意見には同意します。例えば、今咄嗟に思い付くだけでも、P・スカイラー・ミラーの『存在の環』や、ベスターの『マホメットを殺した男たち』、スタージョンの『昨日は月曜日だった』あたりは、いずれも一般書籍読者への知名度の低い短編ではありますが、扱われているアイデアの斬新さや、後の同ジャンル作品に与えた影響、そしてSF読者の間での知名度という面から考えれば、リストに加えられて然るべき作品であると思います。 --カスガ 2006年8月12日 (土) 23:58 (UTC)[返信]
うーん。別に肥大化そのものは、どうでもいいんじゃないかなあ。肥大化してもかまわない、という意味で。紙幅の制限があるわけじゃないんだしさ。
問題があるとすれば、「不適切な作品が掲載されること」や「適切な解説がなされないこと」などの方。ごくわずかにタイムトラベルの要素がある、というだけの作品あたりはがんがん削除しちゃってかまわないと思う(ただし念のためですけど、「自分が知らないから削除」というのはやめてほしい。「熟知しており、タイムトラベルは重要な要素ではないと判断したから削除」というのが望ましいでしょう)。--Nekosuki600 2006年8月13日 (日) 14:34 (UTC)[返信]
どうでもいい という考え方には賛成できません。間違いを含まず、説明が全て行われていたとしても、余りに冗長になってしまうと『読めない、理解できない記事』が出来上がるだけです。大体、この記事は『タイムトラベルについて説明する記事』であって、『タイムトラベル関係作品を全て網羅するリスト』ではないですから、作品のリストは切り詰めてしかるべきであると思いますよ。 -- NiKe 2006年8月14日 (月) 00:26 (UTC)[返信]
それは構成の問題でしょう。--Nekosuki600 2006年8月14日 (月) 17:08 (UTC)[返信]
タイムトラベル物でショートショートは他にもあったのですね…知らなかった。話は変わりますがWikipedia:作品リストでは、特定のテーマに関することについては触れられてなかったり…作品リストがどうあるべきかはここだけの問題ではないので、そちらへ投稿することかもしれません。--P.N.沖島 遊 2006年8月14日 (月) 16:58 (UTC)[返信]


タイムマシンに限らず「登場作品」という項目を作り、どんどんと作品を追加する傾向は問題ですね。正直、どれだけ需要があるのでしょう?中には本文よりもボリュームが多い場合もあります。傾向としてはマンガ、アニメ、ゲームが多く、題材が琴線に触れると思わず追加してしまうのでしょう。流行りもので1年も経つと陳腐化してしまいそうな内容も少なくありません。タイムマシンはSFとの関わりが多いので必要な項目かもしれませんが、特に「登場作品」が必要ない記事については削除してしまっています。あまり肥大化すると、閲覧性も悪くなるので、「タイムマシンが登場する作品」という記事を作り、そちらにまとめた方が良いと考えます。--Vio 2006年9月8日 (金) 10:13 (UTC)[返信]
作品リストは別記事にした方が良いでしょうね。タイムトラベルという概念を説明するだけなら、本文中で説明の例示になる作品に触れればいいだけなので、必ずしもリストを文末に提示する必要はないと思います。
作品リストそのものは、私は使っています(苦笑)。知らない作品が挙げられることも多いので。そんなに気の利いた使い方をしているつもりはないので、同じ利用法をされている方は他にもいくらでもいらっしゃるのではないかという気もします。タイムトラベルの本記事を編集するときも、別記事の作品一覧を参照できれば最新の動向を把握しやすいでしょう。分割したほうが良くかつ分割すれば需要はあると考えて、「タイムトラベルを主題とする作品一覧」に分割案を推薦しておきます。--書士 2007年3月29日 (木) 08:56 (UTC)[返信]
作品の概要を削って、記事を短くするのはどうですか?--不思議探知者 2007年7月30日(月)17:38(UTC)

タイムパラドックスのこと

タイムパラドックスの項は、独立させてはどうでしょう?内容的にも周りと若干調子が違う気がしますし。--Ks 2006年9月12日 (火) 01:28 (UTC)[返信]

「タイムトラベルが登場する作品」で無駄に肥大化している記事ですが、それ以外の本文のボリュームからしては、タイムパラドックスを独立させるまでもないと考えます。--Vio 2006年9月12日 (火) 01:51 (UTC)[返信]

トラベルで移動した後の世界設定

タイムトラベルで移動した後の世界設定についてまとめてみようと思いましたが、なかなか難しいですね・・・・・・
大別すると

  • 「同一時間軸上を移動」
  • 「パラレルワールドへ移動」

の二つに二分でき、

同一時間軸の場合は

  • 「行動によって発生した歪はその世界自体の自己修復力で未来が修正される」
  • 「過去で何か行動することも歴史に折り込み済み」


パラレルワールドの場合は

  • 「元の世界に戻れる」
  • 「元の世界に戻れない」

と分けられるところまでは思いついたんですが --210.89.233.102 2006年11月12日 (日) 03:41 (UTC)[返信]

同一時間軸のパターンは、
  • 「未来の改変を妨げようとする世界自体の自己修復力が働くパターン」
  • 「行動によって世界が完全に改変されてしまうパターン」
  • 「過去で何か行動することも歴史に折り込み済み」
の3パターンかなと思います。
世界が完全に改変されるパターンの多くでは、時間旅行者はその時間軸と独立した存在として描かれていますが、J・P・ホーガンの『未来からのホットライン』(この作品は時間通信を扱ったもので、厳密にはタイムトラベルではないですが)の様に、過去に干渉した時点で改変前の未来が消滅してしまうというパターンもあるようです。ご参考まで。Azu

「タイムトラベルが登場する作品 」節の「タイムトラベルを扱った作品の一覧」への分割提案について

そろそろ作品リストを分割すべきではないかと思います。Wikipedia:記事の分割と統合の基準をいずれも満たしていると考えます。まず、「記事の分量が肥大化したため、読者にとって全体の見通しが悪く不便な場合」基準はページサイズ76キロバイトにのぼる現状で満たしています。また、「記事中で特定の説明だけの分量が多く、明らかにバランスを失している場合」という基準はこの節が記事中の過半を示すことから満たされます。最後に、「見出し語の解説としては不要な記述だが、百科事典の情報としては有用な場合」基準はこの作品リストは見出し語の解説としてはなくてもかまわないという意見が上のノートで多く、かつタイムトラベルについて扱った作品を知りたい場合・研究したい場合にこのリストは有用と個人的には考えるので基準は満たされるとと考えます。以上から分割を提案します。

新記事名は上のノートでは「タイムトラベルを主題とする作品一覧」という案も出ています。しかし、個人的にはどの程度タイムトラベルを扱っていれば「主題とする」といえるのかが個人の主観に依存し、現に上のノートでそれを巡る激しい論争が起こっているので避けて「タイムトラベルを扱った作品の一覧」で提案します。また作品要約も冗長な上にネタバレや著作権問題を起こしやすい(後者は去る三月に起こって特定版削除となりました)ので避け、原則タイトルとデータだけのシンプルなものがいいと考えております。以上、ご検討ください。--書士 2007年4月29日 (日) 09:58 (UTC)[返信]

分割には賛成しますが、各作品ごとに「その作品中でタイムトラベルがどのように扱われているか」「その作品がSF史のタイムトラベルジャンルにおいて、どのような意味を持っているか」程度の説明は必要ではないでしょうか。単に「タイムトラベルが登場している作品」のタイトルと作者名を羅列しているだけのリストでは、タイムトラベルが扱われている作品について調べたい読者にとって何の役に立ちません。--カスガ 2007年4月30日 (月) 14:34 (UTC)[返信]
なるほど、説明が必要ですか。しかし「作品について調べたい」とはどういった意味でしょうか。「研究したい」ということなら、作品紹介からの孫引きは研究方法として本来望ましくなく原典にあたるのが常道です。また「作品を入手して読みたい」のならば、要約はネタバレにすぎないわけです。ネタバレと著作権問題についてはどうお考えですか。最後に「どのような意味を持っているか」という点ですが、作品史上の意義がある作品ならばタイムトラベルの本項目で作品名を挙げてその意義について語るべきであり、全ての作品に作品史上の意義を求めるのは無理があると思います。もう少しお考えをお聞かせ下さい。--書士 2007年4月30日 (月) 23:48 (UTC)[返信]
下記NiKe氏との議論の結果を受けて、現行の指針(「タイムトラベルの手段/概要」)によって各作品に説明を付すことには合意することにします。--書士 2007年5月1日 (火) 02:10 (UTC)[返信]
説明を排して多数の人間が思いつくままに加筆していった一覧記事がどれだけ物の役に立たなくなるかは、架空の書物・文献一覧を見れば明らかです。作中で重要な位置を占める架空の書籍や、元作品の枠を越えて人口に膾炙している架空の書籍と、単に作中で一言触れられただけ、あるいはコマの端に登場しただけ、という書籍までがまったく同列に並べられていて、「フィクションに登場した架空の書物」について調査したい読者にとって、ほとんど何の役にも立ちません。
そもそも「研究したいなら原典にあたるのが常道」「作品を入手して読みたいのなら要約はネタバレにすぎない」と主張するのは、一覧記事、更にはウィキペディアを含む百科事典の存在を、全否定する行為ではないでしょうか? 文芸作品の記事に限って話を進めますが、百科事典の記事というのは初学者の研究や調査にあたって「どのような作品がこの分野において重要であり、何から調べ始めなければならないか」を示唆し、また単に面白い作品を求めている読者に対しては、「どのような内容の、どのような傾向を持つ作品であるか」という情報を提供するものであると私は思います。単に題名を列記しているだけのリストに、それが可能でしょうか?
次にネタバレについてですが、別に話の内容を完全に記述する必要はありません。新聞の書評や、文庫本の折り返しや裏表紙に書いてある紹介文程度の文章でも、内容や傾向の説明は可能でしょう。例えば、ロバート・F・ヤングの『たんぽぽ娘』であれば、この作品のオチを割ってしまわなくても、この作品が恋愛を主題にしたヤングの代表作とも言えるタイムトラベル物のSFであり、『わたしを月まで連れてって』や『クラナド』等の日本のポップカルチャーの諸作品においてもこの作品への言及が行われている事を記述すれば、上に書いたような情報提供という目的は、ある程度果たせるでしょう。
あと、著作権問題はこの話とまったく関係ありません。内容の紹介が著作権侵害となるのは、他人の文章を剽窃した場合であって、自分の文章で表現する限りは、著作権にはまったく抵触しません。
SF史における作品の位置については、書けなければ書けないでも構いませんが、重要な意義を持っている作品であれば特記しておくに越したことはありません。一覧を別ページに分けてタイムトラベルの要素を作中に含む作品を網羅するつもりなのであれば、尚更です。--カスガ 2007年5月1日 (火) 11:56 (UTC)[返信]
作品解説を加えること自体には異論はなく、おおよそそのための主張としては納得がいくので特にコメントは要らないのかもしれません。が、重要な誤解があるのではないかという一点だけ。研究が孫引きを厳禁するというのは、別に百科事典の存在を否定しているわけではありません。例えば大串夏身(1992)『チャート式情報・文献アクセスガイド』にある百科事典の使い方は研究世界でそれなりに首肯されるものかと。百科事典は引用元と言うより手がかりと言うべきだと考えております。--書士 2007年5月3日 (木) 22:30 (UTC)[返信]
分割に反対します。
第一点。現状で、さほど長い項目になっているわけではないと思います。そこらへん、おれはまあこういうケースでは大項目でかまわないと思っているせいかもしれませんが。
第二点。今の並びは、「メディア別>時代順」になっていて、タイムトラベルというアイディアの進化発展やら浸透と拡散(笑)やらが、わかるようになっていると思うんですよ。作品には説明をつけろということをおれは力説してきたわけですが、それは「この項目が、実例を通じてのタイムトラベルというアイディアの経緯がわかるような資料とできないか」という模索だったわけで。それは、それなりにうまくいっていると思うんです。ライターの独自の研究にせず、しかも思想的系譜を明らかにするとなると、事実に語らせるしかないのですからね。
てなわけで、申しわけないのだが、強く反対させていただこうと思います。--Nekosuki600 2007年4月30日 (月) 15:41 (UTC)[返信]
それでは提案者として申し上げます。第一点については分量肥大化基準は絶対ではないと公式にあるのでそれ自体には異論ありません。第二点は「見出し語の解説としては不要な記述」という基準が満たされないということですね?そう解釈して以下続けます。さて、ウィキペディアは百科事典であり、ウィキペディアの定義によれば「幅広い分野の知識を、項目ごとに整理・記述して、誰でも容易に概要を理解できるよう簡潔にまとめたもの」であります。すなわち整理と簡潔性が必要となります。アイデアの進化発展その他については作品リストではなく「タイムトラベル物語の歴史」等の節に枝葉を落として要約して語るのが百科事典としてのあり方ではありませんか。独自研究を排するためにも実例を通じる必要は確かにあるでしょうが、それは要約した文中で作品名を挙げて語れば済むことです。原提案の二番目である「特定の説明だけの分量が多く」の基準についてはどうでしょうか?作品リストに説明を付しても、それは作品についての説明にはなるかもしれませんが、整理されていない以上タイムトラベルアイデアの進化発展等の説明になっているとは言えません。まさに「個々の作品についての説明だけの分量が多い」状態になっていませんか?最後にカスガ氏の御意見との関係性をお教え下さい。仮にカスガ氏の御提案に従って作品リストに説明をつけて分割するならば、概要に疑問点があればリンクを辿って別項目の作品リストで確認することが出来ますが、そういう趣旨では駄目なのでしょうか?以上について御意見を頂ければ幸いに存じます。--書士 2007年4月30日 (月) 23:48 (UTC)[返信]
百科事典は、よりディープな情報(この場合は個々の作品)への誘導を行うといった機能もまた、求められるものであると考えます。タイムトラベル物語の進化と発展(はたまた浸透と拡散)については、おそらくSFファンそれぞれに独自の理解があるものと考えます。率直なところ、その歴史館を「合意形成をしてまとめあげる」などということは、不可能としか思われません。
また、以前にいちど議論が行われているんですが(ノートの過去ログにあったはずなんで探して精読されよ)、「単なる作品名だけのリスト」とすることによって安易な追加が行われることになり取捨選択がなされずに玉石混交となるという指摘がなされ、結果として「タイムトラベルの様式や解説などを付け加え、それらが書かれていないものは削除する」という合意が形成されています。今回のあなたの提案は、その合意に明確に反するものであると考えます。
合意は、改定が可能なものです。しかしその場合、すでに形成された合意を覆すに足りる納得を得ることが前提となるでしょう。強引な分割はなされぬよう、強く要請しておきます。--Nekosuki600 2007年5月1日 (火) 12:12 (UTC)[返信]
「合意形成は不可能」なケースはあり得るでしょうが、そのための中立性と両論並記でしょう。あなたの論法では百科事典というものを書くこと自体が不可能となります。また、個々人の独自の理解はウィキペディアにおいては独自研究です。提案者としては強引な分割はするつもりはありません。他の方から強行せよという説得力ある議論でも出ない限り、合意が得られてはじめて分割をする方針です。--書士 2007年5月3日 (木) 22:30 (UTC)[返信]
少なくとも「原則タイトルとデータだけのシンプルな」一覧には反対します。分割するとしても、しないとしても。『それでは記事が肥大化して読めたものでない』というのでしたら、むしろ一覧自体を廃すべきであると考えます。 -- NiKe 2007年5月1日 (火) 01:03 (UTC)[返信]
ご提案の理由をお聞かせ下さい。上の論争では「この記事は『タイムトラベルについて説明する記事』であって、『タイムトラベル関係作品を全て網羅するリスト』ではない」とおっしゃることから推測すれば、本記事から一覧を削除したいという理由は分かるのですが、別記事で作品一覧に説明を付すべきかどうかの理由にはならないと思われます。ご趣旨の詳細をご教示願えませんか。--書士 2007年5月1日 (火) 01:24 (UTC)[返信]
単なるリストでは役に立たないからです。ついでに言えば、無原則な追加が行われて肥大化してさらに無意味な混沌と化す可能性は高いですね。 -- NiKe 2007年5月1日 (火) 01:42 (UTC)[返信]
なるほど、そういう理由での肥大化や編集合戦等の危険は理解できます。それでは、原提案のうち「また作品要約も冗長な上に~」を削除して「タイムトラベルの手段・概要等の記述を付すことについては現在の節の記述を踏襲する。」ということでよろしいですか。--書士 2007年5月1日 (火) 02:04 (UTC)[返信]
ぜんぜんよろしくありません。
個々の作品の解説として記述されるべきものと、「タイムトラベル」という項目において作品の解説として記述されるものとは、内容が異なります。前者は作品解説として包括的に記述されるべきものですが、後者は「タイムトラベルという概念とその作品はどのような関係にあるのか」が記述されるべきものです。後者は「タイムトラベル」という概念にとどまらず、なんらかの切り口の項目で作品が紹介される際には不可欠の視点でしょう(また、そうでなければ、切り口を伴う項目にその作品を紹介する意味がない)。
さらに本項目の場合には、「タイムトラベル」という概念が、時代を経てどのように移り変わってきたのかも重要な要素となります。そのあたりを欠落させるような改定は、貴重な情報を切り捨てるものにほかならず、Wikipediaにとってマイナスとなるでしょう。--Nekosuki600 2007年5月3日 (木) 15:29 (UTC)[返信]
今回の分割先のページは「個々の作品の解説」の一覧ではなく『「タイムトラベル」という項目において作品の解説として記述されるもの』の一覧です。下記議論結果を基に修正された提案内容を再度御確認下さい。歴史的変化についても、百科事典としての整理と要約を行っていないタイムトラベル項目の現状はウィキペディアにとってマイナスです。--書士 2007年5月3日 (木) 22:30 (UTC)[返信]
本項目のリストは、すでに一度議論が行われ、「アホユーザが簡単に付け加えられ、容易に肥大化するような安易な一覧」からは脱していると考えます。どちらかというと、安易な一覧の肥大に対するアンチテーゼとしても紹介し得るものとなっているように思いますが。--Nekosuki600 2007年5月1日 (火) 12:12 (UTC)[返信]
一つ上の5/3の22時における議論で申し上げたとおり、百科事典として相応しい記述にはなっていない以上、紹介に値するものにはなっていないと考えております。実際のところ、肥大しております。作品リストとしてはかまわないかもしれませんが、ウィキペディアとしては放置できない水準でしょう。--書士 2007年5月3日 (木) 22:30 (UTC)[返信]
件の部分を見させていただきましたが、分割を考えてもいい時期かもしれませんね。今後も増えていくだろうし、自分も反対はしません。現状で有用なリストになっていると感じますので、このままの体裁を保って分割するのがよろしいかと思います。--ライアン 2007年5月1日 (火) 18:30 (UTC)[返信]
上記議論の通り、提案者としてはそれで異論ありません。--書士 2007年5月3日 (木) 22:30 (UTC)[返信]

修正後の分割提案

そろそろ作品リストを分割すべきではないかと思います。Wikipedia:記事の分割と統合の基準をいずれも満たしていると考えます。まず、「記事の分量が肥大化したため、読者にとって全体の見通しが悪く不便な場合」基準はページサイズ76キロバイトにのぼる現状で満たしています。また、「記事中で特定の説明だけの分量が多く、明らかにバランスを失している場合」という基準はこの節が記事中の過半を示すことから満たされます。最後に、「見出し語の解説としては不要な記述だが、百科事典の情報としては有用な場合」基準はこの作品リストは見出し語の解説としてはなくてもかまわないという意見が上のノートで多く、かつタイムトラベルについて扱った作品を知りたい場合・研究したい場合にこのリストは有用と個人的には考えるので基準は満たされるとと考えます。以上から分割を提案します。

新記事名は上のノートでは「タイムトラベルを主題とする作品一覧」という案も出ています。しかし、個人的にはどの程度タイムトラベルを扱っていれば「主題とする」といえるのかが個人の主観に依存し、現に上のノートでそれを巡る激しい論争が起こっているので避けて「タイムトラベルを扱った作品の一覧」で提案します。タイムトラベルの手段・概要等の記述を付すことについては現在の節の記述を踏襲する分割とします。以上、ご検討ください。--書士 2007年5月3日 (木) 22:30 (UTC)[返信]

  • (賛成)依頼理由に異議なし。現状を生かす方向でお願いします。Wikipedia:分割提案#2007年5月にも出しておきました。--ライアン 2007年5月4日 (金) 06:38 (UTC)[返信]
  • (反対)依然、分割するとどういうメリットがあるのか判然とせず。この一覧は、単に「作品を並べたもの」ではなく、作品を通じて「タイムトラベル概念の歴史」「その進化と発展・浸透と拡散」を紹介するという意味を持つ。独立させることで、タイムトラベルの側の情報性が大幅に低下するおそれがあることについて、説得力のある説明はなされていない。--Nekosuki600 2007年5月4日 (金) 12:02 (UTC)[返信]
    • メリットについて論じることは出来ますが、公式方針(案)が分割すべき場合の基準を明記している以上、その基準が成立するかどうかで論ずるべきかと。また、それ以下の御意見については既に上の議論で私見を申し上げている以上、まずそれへの反論をなさるべきではないでしょうか。必要なのは提案側と反対側との合意による結論なのですから。--書士 2007年5月5日 (土) 02:32 (UTC)[返信]
    • 分割すべきでない場合として「1つにまとまっているべき情報である場合」「記事の分量が32キロバイト以上になると編集画面で警告が出ますが、サイズのみを理由に分割がされるわけではありません。」とあるので、Nekosuki600さんの反対表明は一応筋が通っています。ですが自分の感想としては「独立させることで、タイムトラベルの側の情報性が大幅に低下するおそれがある」というのは分割否定としては弱いかなと。Wikipediaは紙媒体ではないのでシステム的にも必要ならばリンクを辿って見ていくことを想定していますし、分割したからといって一概に情報性が大幅に低下するというのには当たらないと考えます。もっとも自分としては分割条件は満たしていると思ってますし、その一方でNekosuki600の反対寄りのニュアンスも理解できる。で、折衝案を出します。分割と言っても「元記事側からすっぱり消す」のではなく「必要と思われる情報を分割対象の記事の中から抜き出して分割記事へのナビゲートを作る」という手法はいかがでしょう? 例えばH.G.ウェルズの「タイムマシン」、半村良の「戦国自衛隊」は原作版と映画版は内容を合せて説明することは可能と思いますし。--ライアン 2007年5月5日 (土) 07:27 (UTC)[返信]
      • とゆーか。もともと「代表的作品のリストのみを残し、分割先でも内容の紹介は廃せ」という提案から話がはじまっていると認識しております。その提案本体はすでに瓦解しているのじゃないかという気がする。そのあたりは、経緯の説明などを通じてある程度ご理解いただけたものと考えています。にもかかわらず、なぜ撤回ではなく分割の方向で話を進めようとするのかが、おれにはよくわかりません。さらに分割の方向性で意見を表明するのならば、「分割するとどういうメリットがあるのか」を説明してほしいというのが、おれの現段階での感想です。項目の大きさについてはいろいろな意見がありますが、確かに「リンクが貼ってあれば問題ねーだろ」という意見も理解はできるものの、ときどきWikipediaはシステムがむちゃくちゃ重くなりリンク先を参照するのにストレスを感じるような事態が頻発しているというのも現実です。積極的な分割理由(たとえば「切り口の相違」など)がない限りまとめておけ、とおれは思うわけで、しかし現状ではその「積極的な分割理由」が全く説明されていないのです。--Nekosuki600 2007年5月5日 (土) 15:30 (UTC)[返信]
      • もし、よろしければ「必要と思われる情報を分割対象の記事の中から抜き出して分割記事へのナビゲートを作る」という手法についてもう少しご教示頂けましたら幸いです。何らかの妥協点に到達できるのではないかと期待しております。--書士 2007年5月10日 (木) 21:50 (UTC)[返信]
    • 今回の新たな分割提案は上の項で出された意見を集約し「もし分割するならば現状を維持したまま」という落とし所を見つけたもの、つまり折衝案です。なので「何故、撤回ではないのか?」という問いは今の段階で適当ではありません。よって意見表明は「これこれだから反対します」だけで良いのでは、と感じますが。あとメリットと申しますが、書士さんは「Wikipediaのガイドラインに照らし合わせてみてそろそろ分割することが良いのでは」と書いているので、「分割すること」自体がメリットと捉えるようです。それに対して「理由を述べよ」と言ったところで「Wikipediaのガイドラインに沿った提案です」と水掛け論的な議論のループになるだけです。Nekosuki600さんに譲れない主張があるのは解かりますが、そういった流れのままではいつまで経っても議論は進みません。また「Wikipediaはシステムがむちゃくちゃ重くなりリンク先を参照するのにストレスを感じるような事態が頻発している」とありますが、これは今回の分割提案とは直接関係の無い2次的な現象を指したものです。Wikipediaの内部システムが抱えている問題であると同時に、編集者個人の通信環境によってもかなり違いがあると思われるので、これをもって「分割はダメ」という否定にはなりません。それを言い始めたら全ての記事編集行為までが「システムが重いからダメ」という理由で却下できることになってしまいますから。逆に「記事の1つ1つを軽減することによってシステム的な負荷を減らせます」という反対意見も立ってしまう(だからこそ「分割の目安」として記事量についての言及がされているのでしょうし)。とにかく、よりベターな方向を探るためには、他の方の意見が出るまでは結論を急がなくてもよいだろうと思いますよ。--ライアン 2007年5月5日 (土) 20:34 (UTC)[返信]
  • 猫♪さんの意見は判ります。ただ、この項目に並んでいる作品のリストはもう少しスリム化が可能ではないかと思うのですよね。それに、きちんとメンテしないとどんどん「単なる一覧」化が進行してしまう訳で。だったら「ここに挙げてある以外の作品は一覧的項目の方へどうぞ」として、分割先項目でエントロピーの増大を引き受けてもらうという感じでいいのではないかと思うのですが。まあ、ここへ何を残して何を落とすかをどう決めるかということが問題になるんでしょうけども。 By 健ちゃん 2007年5月6日 (日) 15:15 (UTC)[返信]
  • 手続きとしては公式ルール案では「反対意見・分割するべき項目・今後の方針に関する意見がある場合は、提案者が指定したノートに投稿します。そこで提案者を含む方々と意見調整を行います。」とあり、その後で「分割する事への反対意見等)が表明された場合は、速やかに相手との議論に移り、できる限り合意形成が得られるように努めてください」という趣旨が推奨されています。よって、分割もしくは撤回の二者択一ではなく、修正案を元にさらに分割・見送り・再修正といった選択を行う手続きを踏めばよいのかと思います。独自メリットを議論しない理由は単純で、分割手続きと分割基準はセットである以上分割基準を無視すれば分割手続きは進めようがないということです。本来百科事典としてページのあり方を十分検討した上で提示された基準を無視して双方が独自のメリットデメリットを語るとすれば、合意する基準もなく結論の正当性も保証されなくなります。ですので、「積極的な分割理由」としては分割基準が満たされていることで全くもって十分と考えますし、提案者にまで分割基準を無視して独自のメリットを提示せよという提案には慎重にならざるを得ません。まあ提案者になったのははじめてなので、もっとルールを気にせずに進めて良いと多くの方の意見があれば話は別ですが。Nekosuki600氏の議論で疑問なのは、私が提示した百科事典の整理と要約の必要性、両論並記の意義について何も語らない点です。これへの異論がないとしたら、分割基準は三つとも満たされてしまいますし、Wikipediaのシステムが重くなるという理由はあまりに説得力が欠けるのではないでしょうか?現状で当ページが大きくなりすぎて重くなっている点と大差があるとは思えません。--書士 2007年5月7日 (月) 10:49 (UTC)[返信]
    • 少し考えてみたのですが、整理と要約の必要性・両論並記の意義とも異論がないと言うことでしたら、Nekosuki600氏の想定されるケースはタイムトラベルについて大凡の概要を知りたい閲覧者ではなく、個々の作品リストにあたって綿密にタイムトラベルの詳細を検討したい方のみですよね。そういった方なら当然タイムトラベルに関連する諸項目を広くリンクを辿りながら手間を厭わず調べるわけですから、作品リストへのリンクでたまたまシステムが重くなることを懸念するというのはちょっと無理があると思います。逆にタイムトラベルの概要に関心がある方に、巨大なページを読み込み、整理されていない作品リストを全て読まないとタイムトラベルの概要を把握できないという手間を強いる問題はどうなのでしょうか。--書士 2007年5月7日 (月) 11:02 (UTC)[返信]
      • それは、構成によって解決できるのではないかと思います。というか、現状でも前から呼んで行くと「概要」「物語の類型」「(この項目はおれはかなり未整理だと思うのだが)タイムトラベル物語の歴史といくつかの構造」「タイムトラベルの現実的可能性」と続いてきて、本文の最後に「作品一覧」が並んでいるため、ざっと内容を知りたいひとは前から順番に読んでいけばいいようになっていると思うのですよね。あと、この作品リストですが、整理されていないものなのでしょうか。整理されていないという印象がどのような理由に基づくものなのかをお聞かせいただければ、なんらかの解決策を考えることができるかもしれません(しかしこの点についても、以前に「歴史順 v.s. 50音順」なんていう対立があったし、一筋縄ではいかない、かもしれない)。--Nekosuki600 2007年5月7日 (月) 13:37 (UTC)[返信]
        • 確かに「50音順」を提案したことはありますが、「年代順」にしたことにちゃんとした目的があり、その目的が果されている限りにおいてはそちらの方がいいと思います。で、リストの現状ですが「タイムトラベルの設定や作品内における位置付け」といったものをピックアップせず、単なるあらすじ紹介にしかなっていないような解説文が増えて来ていないでしょうか(例えば僕が編集する前の『ネギま!』。West 2007年5月7日 (月) 16:02 (UTC)[返信]
          • そうなのよ、それは悩みの種なのよ。とゆーか、ずっと悩みの種だった。なので、ときどき見回りをやって、単なるあらすじになってるやつはコメントアウトするとか、書き直すとか、そういうメンテは必要だわね。ただまあそれは、分割しようがしまいが発生するわけで(つーか、分割したとして、「なぜタイムトラベルが関係する作品をまとめておくのか」ということを考えたら、単なるあらすじ紹介では意味がないわけだし)。でもまあ、そういうあらすじ羅列な人々の対処は、Wikipediaの運命なんじゃないかと(ためいき(=^_^;=))。以上の署名の無いコメントは、Nekosuki600会話履歴)氏が[2007年5月7日 (月) 16:49 (UTC)]に投稿したものです。[返信]
        • 先に申し上げたのは、「タイムトラベル」というページを読みに来た閲覧者は作品リストを全て読むことを強いられる構成になっているという意味です。おっしゃるとおり厳密にタイムトラベルについて理解するには作品リストにも目を通すべきなのかもしれません。が、それは百科事典の提示すべき「項目の概要」と言えるのか疑問が残ると言うことです。前から順番に読むにせよ、どこまで読めばウィキペディアがタイムトラベルについて説明している内容を把握したことになるのか判然としない面もありそうです。いずれにせよ引き続きさらに皆様の意見をお伺いする所存です。--書士 2007年5月10日 (木) 21:42 (UTC)[返信]
          • その感覚が、正直よくわからないんだよなあ。どの程度の情報を求めるのかというのは閲覧する側が決めればいいことであり、「もうおなかいっぱい」と思ったらそこで読むのをやめればいいわけです。読む側にはそういう自由は常にあるのだし、提供する側が「これだけあれば十分だろう」とか考える必要はないんですね。もちろん、構成をどうするかみたいな検討はそれはそれで必要だと思うが、構成という意味では現状でもさほど悪いわけじゃないでしょう。--Nekosuki600 2007年5月11日 (金) 09:15 (UTC)[返信]
            • 反応遅れすみません。確かに求める情報は閲覧側が決めることです。でも、加工していないデータを並べたものは一般に百科事典とは呼びませんよね?つまりある程度の要約した情報を提供して閲覧者の便に供するところまでは百科事典がやるべきなのではないでしょうか。そして、それで足りないと思った方は関連項目に進めばいいわけで。Nekosuki600氏のお考えを取り入れるとすれば、関連項目に作品リストを記載する際に定義上の詳細な相違などはこちらを参照して欲しいと言った文面をつけるのはどうでしょうか?項目間を有機的に結びつける意味においてそういった形でも良いように思われますが。御一考頂けましたら幸いです--書士 2007年5月20日 (日) 02:46 (UTC)[返信]
              • や。こちらも対して反応早くないから、そこらへんはお気遣いなく。
                んで、「加工してないデータ」なんだが、この項目の作品紹介は、加工されていないだろうか。それなりにタイムトラベルの理解を深めるよう特化するよう誘導してきたし、それなりの成果はあがっていると思うのだが。「どういう切り口で素材を紹介するか」は、大事だと思うわけなんだよ。たとえば、「タイム・マシン」。これは、物語の紹介とかだけでは済まず、タイムトラベルというジャンルを開発したことや、それがどういう文化的背景を背負って登場してきたのか。タイムトラベルの項目では、そういう点に着目し特化して説明しなくちゃいけないと思うわけだね(そしてそれは、「タイム・マシン」の項目で紹介されるべき情報から、かなりの部分をそぎ落としたものになるはずだ。
                タイムトラベルというのは、ある意味人類の願望であり、見果てぬ夢(現状では)なわけです。それがどのように思いつかれ(前史も含めて、ね)、明確化され、進化してきたのか。それは、タイムトラベルという概念説明にとって極めて重要なことだと思う。決して、枝葉末節なことじゃないんだ。しかしまた、このことは、ひとつの解説テキストにまとめようとしても、どうしてもそのひとつのテキスト(の草案案の)執筆者のPOVになりかねないものでもある。だから、作品解説を体系的に並べることでタイムトラベル概念の説明に供しようというのは、悪いアイディアじゃないと思うんだなあ。それほど読むのに苦労するような長大項目になってるわけでもないしさ。--Nekosuki600 2007年5月20日 (日) 18:37 (UTC)[返信]
                • そういった文化的背景や歴史を整理して記述すること自体は編集者の裁量に任されていて、出典から離れない限りPOVではないでしょう。また、POVとなる危険があれば、積極的にタイムトラベル史について扱った既存の研究から引用すべきだと思うんですよね。公式ルールはそういう趣旨だと思うのですが。ただ、この議論を繰り返すだけでは合意に至りそうもないですね。もう少し他の方の違った提案や意見も伺いたいと思います。--書士 2007年5月24日 (木) 11:13 (UTC)[返信]

著作権侵害なのでは?

正氏は1972年に亡くなっている。しかし著作権が切れるのはその人の死後50年後なのでこれは著作権を侵害しているのでは?--221.82.22.202 2007年5月24日 (木) 11:59 (UTC)[返信]

この項目における広瀬正氏のテキストの再利用は、まず間違いなく「引用」の範疇に含まれるものであり、問題ありません。--Nekosuki600 2007年5月24日 (木) 13:29 (UTC)[返信]
「3.1 タイムパラドックス」の節にある『マイナス・ゼロ』の内容紹介の事をおっしゃっているのであれば、あれは「引用」ですらありません。あらすじや挿話の紹介が著作権侵害にあたるのであれば、ウィキペディアの文芸作品に関する全記事はもとより、現在存在するあらゆる読書案内や文学事典は全滅です。--カスガ 2007年5月24日 (木) 14:21 (UTC)[返信]
「マイナス・ゼロ」は読んでいない(or 読んだのだが覚えていない)のだが、2つの枠に囲まれた部分は、あれはいずれも原文どおりじゃないんですか? そうなんだとすると、あれはちっと表現方法について考える必要があるかもしれないな。いずれにせよ「著作権侵害ではない」という結論について違いはありませんが。--Nekosuki600 2007年5月24日 (木) 16:55 (UTC)[返信]
私も『マイナス・ゼロ』の現物は今手元にありませんが、該当する場面の描写がああいう文章でなかったのは確かです。ノートでの議論ということで敢えて結末を割ってしまいますが、元作品では、物語の終幕間際の、昭和初期から再び現代に戻ってくるタイムマシンを待つ場面で、主人公の娘がライターをすり替えていたことを打ち明ける、という語られ方になっていた筈です。--カスガ 2007年5月25日 (金) 14:05 (UTC)[返信]

申し訳ありません

差し戻しを繰り返してしまい、申し訳ありません。ドラマの項目の追記は無事できたのですが、アニメの項目の時系列ソートをたびたび試みたのですが、なぜか異常な編集状態となってしまいます。どなたかお願いできませんでしょうか?--じょびじょば 2007年9月9日 (日) 03:42 (UTC)[返信]

無事解決しました。どうもおさわがせしました。--じょびじょば 2007年9月14日 (金) 11:59 (UTC)[返信]

大胆すぎとの指摘を受けたので

お手数かけまして申し訳ありません。とりあえず、理由を挙げさせてもらいます。

1・タイムトラベルの概念に関して

  • おそらく普遍的な願いとして存在していたものであり」「解釈することは可能であろうし」「理解することもできよう」「なったと言えるかもしれない」。

事実として資料の残るダンテの神曲の事例はともかく、上記の表現は個人の独白のような形態となっており、こうした結論を導き出すために記述されている前後の記述も、辞典の記述としては不自然ではないでしょうか。方針には無いかと思いますが、ウィキペディアは編集者が自分の考えの代弁をさせる場所ではありません…よね?

2・タイムパラドックスの項目に関して

  • 「これは宇宙人動物園仮説と同様に、未来人が正体を隠していたり、周囲の現代人の記憶を改変していたり、あるいは未来でタイムトラベルが厳しく制限されていたりする可能性もあるので、「来ていない」だけで決めつけるのは早計であろう。 」

主語や引用なく仮定の例を連発しており、独自研究色の強い表現となっています。また、タイムトラベルに否定的な論を「早計であろう」と斬り捨てるのは、タイムトラベルに肯定的な立ち位置からの意見であり、中立性を欠いていませんでしょうか。

以上のような観点から編集を行わせていただきました。大幅な削除を伴いまして、記事作成に関わった編集者の方に不愉快な思いをさせたのであれば申し訳ありません。ご意見、宜しくお願いします。--ひゃくじゅうご 2008年5月13日 (火) 16:09 (UTC)[返信]

ざっと見比べた際に、情報量が増減するような改変ではなく、しかし読みにくくなっていると感じました。特に第一文の改変(「である。しかし、」→「概念であるが、」)、第一文と第二文の併合(「概念を生み出したわけではない。(改行)時間という制約を超えて、」→「概念を生み出したわけではなく、SFというカテゴリが」)にその印象が強かった。
なお、個人的には、冒頭部にジョン・タイターの話と超光速飛行の話はいらんと思ってます。--Nekosuki600 2008年5月14日 (水) 11:34 (UTC)[返信]

ご意見、感謝します。文章的に読みにくい点は、容赦なく編集していただいて構わないと思っております。加えて、先に挙げさせていただいたような、独自研究の発表を行っているかのような表現や、タイムマシンの存在への否定的意見に対して、仮定の反論を連発して「早計であろう」と断言してしまうような、中立性を欠いた表現の削減の可否に関しても意見を頂きたいと思っております。実際のところ、私としては、文体の改変よりも、これらの削減が今回の編集の主な目的であります(もちろん、ちゃんとした存在意義があるとなれば残すことにも異論はないのです)。ジョン・タイターと光速飛行に関しては、不必要との考えに同調させていただきます。--ひゃくじゅうご 2008年5月14日 (水) 13:15 (UTC)[返信]

タイムパラドックスの項目の「早計云々」についても、冒頭部のタイターand超光速飛行と並んで、いらないという判断には同意。えーと、おれ長文耐性がないひとじゃないと思うんだが、冒頭部の改変が妙に読みにくいと感じたというのが主眼です(「タイムトラベル=SFの小道具、という認識は違うんだぜ」という言明を最初に置き強調しておくのは、この項目にとって重要だろうという判断はしてます)。--Nekosuki600 2008年5月14日 (水) 13:25 (UTC)[返信]

いちど私の利用者ページかここ(タイムトラベルのノート)に例文上げてみようと思うのですが、いかがでしょう?--ひゃくじゅうご 2008年5月14日 (水) 13:40 (UTC)[返信]

話をややこしくしないために、とりあえず「冒頭部のタイター」「冒頭部の超光速飛行」「タイムパラドックスの項目の早計うんぬん」を機械的にばっさり切るという編集をやりませんか。そうすれば要素が少なくなるので、たぶん話が楽になるような気がする。現状、その3ヶ所については異論は出ていないわけだし(まあ、今後出てくる可能性はないではないのだが)。--Nekosuki600 2008年5月14日 (水) 13:45 (UTC)[返信]

しかし「例文」か…我がことながらずいぶん偉そうな事を言ってるな…「個人的な下書き案」ですね。さしあたって、ご意見に沿って編集を実行してみます。 --ひゃくじゅうご 2008年5月14日 (水) 13:52 (UTC)[返信]

ちょっと前から疑問に思っていたので、この機会に脇から書き込ませて頂きますが、『神曲』のウェルギリウスとの邂逅をタイムトラベルの先例として挙げるのには、個人的にはかなり疑問の余地があります(だって、『神曲』に登場するウェルギリウスって、別に過去からやって来たわけじゃなくて、ただの救済されてない霊魂でしょう?)。単にSFというジャンルの成立以前にもタイムトラベルの概念が存在したという例を挙げたいなら、英語版で挙げられているサミュエル・マッデンの『20世紀の記録』やルイ・セバスチャン・メルシェの『2440年』、あるいは近年の作品になりますが、チャールズ・ディケンズの『クリスマス・キャロル』やアンデルセンの『幸福の長靴』の方が適切なのではないでしょうか? それとも、『神曲』をタイムトラベルの先例としている有名な出典か何かがあるんでしょうか?--Kasuga

恥ずかしながら英語版の例の内容は知らないものでなんとも言えないのですが、神曲の「残留している霊魂との接触」だったら時間移動ではないですね。--ひゃくじゅうご 2008年5月14日 (水) 14:01 (UTC)[返信]
あ、それはおれもちょっとひっかかってた。あと、履歴を調べていないんだが、確か前はマーク・トウェインの「アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー」あたりがサンプルとして出てたようなんだけれども(僅差だが、ウェルズのタイム・マシンより早い)、あのあたりはどうなってしまったんだろうか。--Nekosuki600 2008年5月14日 (水) 14:04 (UTC)[返信]
「アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー」は「タイムトラベル物語の歴史といくつかの構造」の項目で例に出てるみたいですね。--ひゃくじゅうご 2008年5月14日 (水) 14:09 (UTC)[返信]
「アーサー王宮廷のヤンキー」はどう間違ってもSFではなくてファンタジーだし、冒頭部に持ってくるネタとしては良いのじゃないかと思うのだが(まあでもいまどき読んだひとは多くないかもしれないけどさ)、少なくとも「神曲」よりはマシだと思うんだよなあ。もうちょっと良い例がみつかるとうれしいんだけどね。--Nekosuki600 2008年5月14日 (水) 14:14 (UTC)[返信]
どうも、返答ありがとうございます。私もこの二冊の現物に目を通した事はないのですが、英語版記事の説明によれば、マッデンの著書は、未来から訪れた守護天使から授かった20世紀末の英国大使と英国政府の書簡のやり取りを書き綴った作品で、ポール・アルコンは Origins of Futuristic Fiction において、この守護天使こそ英文学における最初のタイムトラベラーであると述べています。一方、メルシェの作品は、18世紀のある人物が夢の中で2440年のパリを訪問する作品で、これもまたロバート・ダーントンのThe Forbidden Best-Sellers of Pre-Revolutionary France で、「幻想文学であるとの断りはあるが、真摯な未来予測として読み得る作品」として評価されています。上の説明を読む限り、少なくとも『神曲』のウェルギリウスのくだりと比べれば、この二冊は充分にタイムトラベル作品としての要件を満たしているのではないかと思います(『クリスマス・キャロル』と『幸福の長靴』はどちらも有名なので、説明は省きます)。--Kasuga 2008年5月14日 (水) 14:19 (UTC)[返信]

夢の中で未来を覗く『2440年』よりも、天使が物理的(??)に時間移動して出現するマッデン作品のほうが要素としては強いと感じますねぇ。--ひゃくじゅうご 2008年5月14日 (水) 14:34 (UTC)[返信]

取り敢えず英語版の記事から発祥の項を翻訳してみました。あと、記事に挙がっている以外でも、en:Time travel in fictionによれば、イギリスの作家トーマス・アンスティー・ガスリーがF・ガスリーの筆名で書いた Tourmalin's Time Cheques (1891) という作品が、最初のタイムパラドックスを扱った作品として評価されているそうです。--Kasuga 2008年5月17日 (土) 04:38 (UTC)[返信]

翻訳お疲れ様でした。ただ、タイムトラベルの起源の項に関しては、内容の解説を抑えて、もうちょっとシンプルにならないかとも思っております。特に、『神隠しの馬車: 時代を超えた男』と『クリスマス・キャロル』は、例として出しておきながら文末で「別の可能性を読者に暗示している」(タイムトラベルでないかもしれない)「単なる幻影であると考えられる」(タイムトラベルであることを否定)と結んであるなど、例として持ち出す意味が無くなってしまっているのではないでしょうか?(特にクリスマス~「考えられる」という表現は主語の無い研究発表口調で、独自研究を疑われた場合の検証可能性の面で、ちと弱いように思えます。)--ひゃくじゅうご 2008年5月19日 (月) 06:06 (UTC)[返信]

19世紀以前の幻想文学が夢か現実か判然としない結末になっているのは、ある意味仕方ありません。当時の科学知識では、合理的な手段による時間旅行や宇宙旅行を描写する事は困難だったので、作品にリアリティを与えるためには、勢いこういう構成をとらざるを得なかったのです。例えば宇宙旅行の例を挙げれば、近代的な月世界旅行譚の先駆けとされているヨハネス・ケプラーの『夢』は、主人公が見た一場の夢であったという結末になっていますし、エドガー・アラン・ポーの『ハンス・プファルの無類の冒険』も、語り手の詐欺であった事を暗示させる結末で終わっていますが、このニ作はどちらも現代の宇宙旅行物の重要な原型であると考えられています(出典として、自由国民社の『世界のSF文学総解説』 ISBN 4-426-61103-2 の320-326ページを挙げておきます)。時間旅行に話を戻せば、『アーサー王宮廷のヤンキー』も、ウォーリック城で出会った人物が著者(マーク・トゥエイン)に読ませた原稿の中の話という、読者には真実か嘘か判然としない形式を取っていますし、更に付け加えれば、ウェルズの『タイム・マシン』ですら、時間旅行に関わる物語は「時間旅行者」から間接的に物語の著者を通して語られるのみであり、直接に読者に語られるわけではありません。
あと、『クリスマス・キャロル』の「単なる幻影であると考えられる」のくだりは、英語版記事の「These might be considered mere visions」の直訳です。特に問題のある記述には思えなかったのでそのまま訳しましたが、独自研究の疑いがあるようなら削って頂いて構いません。なお、『クリスマス・キャロル』をタイムトラベル物の嚆矢とするジョン・L・フリンによるエッセイは現在リンク切れになっていますが、Interner Archiveで閲覧可能です[1]。一応フリンのエッセイでも、夢による時間旅行譚をタイムトラベルの先駆作品として認めている事を付け加えておきます。--Kasuga 2008年5月19日 (月) 10:11 (UTC)[返信]
各作品に外的評価があるんなら話は別ですね。そのあたりが示してあれば例としても有効と思います。大変失礼いたしました。
で、クリスマスキャロルの方なんですが、主語抜きで「~と考えられる」との表現は、「それって『誰が』考えたことなの?」という話なんですよ…。この表現だと、まるでウィキペディア自体が公式にそういう考えを持っているかのような意味合いになりかねないので、ここ(タイムトラベル)に限らず、見かけるたびに削除したり言い換えたりしているのです。というわけで、とりあえずそこだけ手を入れます。お手数かけました。--ひゃくじゅうご 2008年5月19日 (月) 11:04 (UTC)[返信]

改めて「タイムトラベルが登場する作品」の分割提案

最初の議論から既に3年も経っているようですが、やはり分割すべきだと思いましたので提案させていただきます。 提案の理由。 wikipedia:ページの分割と統合に書いてある分割すべき理由のすべてに当てはまっています。

* ページの分量が肥大化したため、読者にとって全体の見通しが悪く不便な場合

→タイムトラベルの記事なのだから、タイムトラベルのアイディアの起源や検討されている方法などよりも、それらを扱ったフィクションの作品のリストのほうがページで占める量が多いというのはおかしい。真中で区切ると、下半分はほぼ全てがタイムトラベルの登場する作品についての列挙です。

* ページ中で特定の説明だけの分量が多く、明らかにバランスを失している場合

→上の理由と同じ。タイムトラベルが完全に「フィクション」の中だけの概念ならまだしも、現在は実際に出来ると考える科学者がある程度いますし、それらをフィクションではなく一般書において解説しているような本も存在します。フィクションのリストをずらずらと並べるのは不適切だと思います。

* 見出し語の解説としては不要な記述だが、百科事典の情報としては有用な場合

→もちろん、フィクションの中だけの概念ではありませんが、フィクションから広く知られるようになったのは事実です。よって、さまざまな人もおっしゃってますが、百科事典の情報としては有用で、分割して今後もリストに追加し続けていくことも必要だと考えます。

また、nekosuki600さんがおっしゃられている「作品を通じて「タイムトラベル概念の歴史」「その進化と発展・浸透と拡散」を紹介するという意味を持つ。」ということに関してですが、別に作品を通して紹介する必要はないと思います。 たとえば、タイムマシン、というズバリそのものなウェルズの小説は非常に重要だと思われますし、ならば既に存在している「タイムトラベルの起源」という節においてウェルズの小説をピックアップしているだけで十分です。 その後の系譜というのは、「この記事においては」さして重要だとは思えません。ウェルズのアイディアによって世間で広まったと書いてありますし、だとしたら全てはウェルズが起源でありその派生でしょう。それを孫引き・アレンジしたものをひたすらリストに載せていってるような現状が、「その進化と発展・浸透と拡散」という大げさな大義名分に合致するとは私は考えません。

nekosuki600さんが言っているのは、タイムトラベル「物語」におけるこのリストの重要性であって、この記事は「物語」に登場する「概念」だけを扱ったものではありません。たとえ物語の比重が大きくても、です。「完全に実現不可能でありノンフィクションとして考えるのは無意味である」という証明は、絶対に出来ません。そして21世紀の現在、夢物語でしかなかったタイムマシンについて学者が(もちろん、20世紀にもアインシュタインがいますが)真剣に考え始めているという現状を無視して、タイムトラベルという概念を、物語に使われる単なるガジェットとして深く考えるということには断固反対します。

理由はこのくらいにして、作品をどのように紹介すべきかについて。 カスガさんなどの議論を参考にして私が考えたところでは、「その作品がSF史のタイムトラベルジャンルにおいて、どのような意味を持っているか」程度の説明というのは、そのような研究をしている出典がなければ不可能です。 そういうことを個人でやった場合、単なる独自研究にしかなりませんし、カスガさんの提案は「独自研究をしてちゃんとした作品の位置づけを決めましょう」と提案しているように見えます。これはwikipediaの方針と合致しませんし、そのようなことはすべきではありません。

ではどうすべきか。 書士さんの「原則タイトルとデータだけのシンプルなものがいい」に多少補足したものを提案します。 つまり、現在のようなタイトル+「タイムトラベルがどういう風に扱われているか」+「それが主題として重要に扱われているか否か」を記述するというスタイルです。 もちろん私は個々の作品について知っている作品以外は編集できませんので気づいた方が、ということになりますが、 書士さんの提案に+した「主題として重要に扱われているか否か」の判断方法は、あらすじや作品の紹介のされ方などを見れば一目瞭然だと思います。 つまり、時間SFやタイムトラベル小説などとわざわざ書いてあるものは主題として重要に扱われていると判断し、それ以外、数あるSF的ガジェットの一つとして扱われている場合はそうではない、と判断するということです。 たとえば、涼宮ハルヒというライトノベルSFのシリーズでは、リストにも書いてあるように、タイムマシンを所有した未来人が登場しますが、彼女は涼宮ハルヒという一種の力を持った人物に呼び寄せられた、という形で意図的に登場しており、同シリーズの主題はあくまで「涼宮ハルヒ個人」であると言えます。未来人の女性の能力(とタイムマシン)が重要になることもありますが、あくまで一部であり、全部ではありません。 もっと言えば、似たような小説である筒井康隆の「七瀬シリーズ」も同様です。タイムトラベラーが登場しますが、主人公はテレパスの七瀬であって彼女(タイムトラベラー)ではありません。これなども、見ればすぐ判断がつくと思います。 逆に完全にタイムトラベラーやタイムトラベルが主題になったものとしては、小川一水の時砂の王やご存知ウェルズのタイムマシンがあげられます。前者はタイムトラベルが人類の存亡を賭けた戦いに不可欠な要素となっており、後者はそもそも主人公がタイムトラベラーであり、彼の語る話が主題であるから明白でしょう。

このように、確かに主観に左右される部分も多少ありますが、概ねリストを整理できると思います。 カスガさんの危惧する「主題に扱っているものとそうでないものがごちゃまぜに」なる可能性もある程度は排除できます。いかがでしょうか。--グラン 2010年1月27日 (水) 17:06 (UTC)[返信]

反対です。
主旨はすでに述べたことがあるような気がしますが、「タイムトラベル」という概念は基本的にフィクションの中にのみあるものであり、その概念の発展はフィクションの展開の歴史によってのみ説明され得るものです。本稿について「関連作品リストが長すぎる」という感覚は理解しますが、同意はしません。それは独自の研究にならないよう根拠を明らかにしつつ記述すべく努力した当然の結果なのです。
リストの中に多少ノイズがまざっている可能性は否定しません。しかしそれは、リストを分割すべきであるという主張の根拠にはなり得ないと考えます。ある記述がノイズであると思うならば編集すればいいし、その編集の結果戦いが起きるのであれば、あなたは戦えばいいのです。ノイズがまざっているからといって、他の有益な情報も道連れに「分割」などという安易な方法を取るべきではありません。--Nekosuki600 2010年1月27日 (水) 18:32 (UTC)[返信]
具体的に反論します。
概念がフィクションの中にある(フィクションを起源としている)というのは確かにそのとおりですが、それを言うならば技術は全てそれに当てはまるでしょう。フィクションというのは人間の想像力によって生み出されたものですが、技術や製品といったものも同じです。飛行機は、人類が空を飛びたいと願っていたから生まれたのだし、人間が羽をつけて空を飛ぶ作品は古代からありますよね?タイムマシンも、そこまで原始的ではないにせよ、根本は同じでしょう。過去をやり直したい、遠い未来について知りたい、これらは同じ人間の願いと言っていいと思います。確かnekosuki600さんも上のほうで書いていたはずです。
概念の発展はフィクションの展開の歴史によってのみ、というのは明らかにnekosuki600さんの思い込みです。先ほど言った飛行機の例と同じです。人間の夢ということで考えればいまだ実現していない技術も理論も全てフィクションの展開の歴史で説明されるべきとなってしまいますよ。
私が書いたのを読んでいただけたかと思いますが、タイムマシンについては20世紀のアインシュタインのあたりから様々な形で検討がなされてきたのは事実ですし、現に未来へのタイムトラベルは実現しています(宇宙飛行士は地球の人間よりわずかに時間の流れが遅くなる)。つまり、もうフィクションに過剰に寄る必要などないのです。ライト兄弟が初飛行を成功させた当時に、飛行機のことを説明するのにフィクションの展開の歴史を使って説明する必要があると思いますか?フィクションはあくまでフィクションなのです。タイムトラベルの理論の検討に使われているのは、量子力学や相対性理論など、架空の理論ではなく現実に構築された理論や物質が大半です。パラレルワールドというのだけを見れば確かに荒唐無稽なフィクションの世界と思うかもしれませんが、量子重ね合わせの状態というのは既に実証されていますしそれを利用した量子コンピュータというのが(かなりしょぼいですが)もう作られているのですよ。
何が言いたいのか。フィクションは確かにこの記事において非常に大切ですが、半分以上を「作品列挙」が占める状態は好ましくない。それは、現実に既に一部でも実現しているタイムトラベルや実際の理論を使って検討されている科学者による方法などの記述と比べるとあまりにも多すぎる、つまりバランスがとれていないからです。
リストの中に多少のノイズが、という文章はよく分かりません。どうやらnekosuki600さんは、私や以前に提案した方が「リストを隔離して別の場所に追いやることで価値を減少させようとしている」とお考えのように見えます。そんなつもりは全くないのです。ただ、バランスがとれていない上に、今後さらにリストが増えた場合(タイムトラベルというのはメジャーなガジェットなのでいくらでも増えるでしょう)、もはやこの記事自体が「タイムトラベル(フィクションの概念)」という風に変えなければならなくなってしまうのを危惧しているのです。
nekosukiさんはフィクションについて非常に重要視されていますが、私はフィクションと同じくらい現実の可能性が大事だと考えています。単なる笑い話やフィクションにのみ存在する概念ではないにも関わらず、その歴史を「フィクションによってのみ」説明するというのは無茶苦茶な話です。未来へのタイムトラベルの方法や、既にタイムトラベルが実現していることを知っている上で、タイムマシンが荒唐無稽というなら、それは鉄の塊が空を飛ぶはずがないと言っているようなものです。
さらに誤解されていると思われる点について。リストにノイズがあるという話もそうですし、戦うべきといういささか過激な書き方もそうですが、私は「リストにはノイズがあって長すぎる。邪魔だから消したい」と言っているのではありません。リストにノイズがあるとは思っていませんし、以前のログを見る限り、よほどのものを除いてリストに追加されているものを今更削除できないのです。
それはやはり、どの作品でもタイムトラベルを扱っているのは事実であり、「タイムトラベルは面白いね」みたいな何の意味もない会話が一行あっただけでリストに加えられているのではないことは明らかだからです。
それに、リストを別ページに分割したからといって価値は下がりません。既に書いたように、タイムトラベルの起源の記事などに、その都度この概念をリードしてきたフィクションを載せればいいだけの話です。そしてそれ以外のものはリストとして十分に価値あるものです。
カスガさんがおっしゃっているように、タイムトラベルを扱ったフィクションを調べたい時に、このようなリストがあればとても便利です。しかし、SFの歴史での位置づけや、nekosukiさんがおっしゃっているような「進化と発展・浸透と拡散」というのは明らかに単なる独自研究に過ぎません。そのようなことはwikipediaに載せるべきではなく、あなた個人のウェブサイトでやるべきことなのです。
このリストからそのようなものが読み取れるというのであれば読み取ってもいいのですが、それはあなたや同じような意識でリストを見る人にそう見えるだけです。私は単純に「タイムトラベルを扱ったフィクションのリスト」としか見ていませんし、リストとはそういうものです。考察や研究は人間がやるもので、リストはただのリストです。
nekosuki600さんがやっていること、提案していることは、ようするにwikipediaで禁止されている「自分の考えを発表」していることなんです。リストから進化と発展・浸透と拡散を読み取り考察することは、nekosukiさんが自身のブログなりなんなりでwikipediaのこのリストを引用し、やるべきことです。似たことを著名な方がやっていれば(さらに出版されていたりすれば)載せる意味はありますが、個人がやってはいけないことです。もちろん、著名な方が自分で発表するのもダメです。これはnekosukiさんのwikipediaに対する誤解です。wikipediaとは既存の情報をまとめて整理する場所にすぎないのです。
私はリストにノイズが存在するから削除(または添削)したいと考えているわけではありませんし、それが理由でもありません。フィクションと現実のバランスを考えて提案しています。--グラン 2010年1月27日 (水) 19:32 (UTC)[返信]
ぜんぜん具体的な反論になっていないと思いますが。
技術などももちろん人間の想像力によって推移してきたものではあるのですが、そして同様のものは他にもたくさんあるのですが、しかしそれらの多くは「フィクション」としてのみ存在しているものではなく、「リアル」なものとしても存在しています。そして、百科事典的記述を行なう上では、「フィクション」という面よりも「リアル」な面が重視されます。対してタイムトラベルは、将来はどうだか知りませんが少なくとも現時点では、技術などが持つ「リアル」な側面が存在せず、もっぱら「フィクション」としてしか存在してこなかったものであり、その「フィクション」は「誰かがいつそのコンセプトをどのようにして発表したか」を手がかりとせざるを得ないのです。
たとえばヘリコプターの歴史を語る上で、ガリレオ・ガリレイのスケッチは、歴史の冒頭部分にほんのわずか記される程度が相当でしょう。しかしタイムトラベルを語る上では、そのガリレオ・ガリレイのスケッチと同じレベルのフィクションの山を積み重ねるしかなく、他の方法で何かを語ることはできません。もちろんそれらをまとめて論じることは可能ですが、それは評論家や文学史家として実社会でやるべきことで、Wikipedia上でやれることではありません。やったら「独自の研究という問題点」を抱え込んでしまうことになるのですから。
個人的には、タイムトラベルの歴史をおれ自身のテキストとして書き起こしてみたいという気持ちがあることは否定しません。しかし、前段落で述べた理由から、おれはそれをWikipedia上でやるべきことではないと考えています。おれがやるべきではないだけではなく、それが誰であったとしてもWikipedia上でやるべきことではないのです。やるべき場所は、Wikipedia外のメディアであり、そちらで発表し定評を得たら誰かがWikipediaに書いてくれるだろうと朧な希望を持つ程度のことが、われわれに許された最大限のことなのです(たぶんね)。
本件については、紆余曲折があって、そうやってまとめたテキストを作るっていうのも視野に入れたことがありましたが、多くのSFファンが合意するであろうテキストをまとめるなんて無理だろうし、半可通の特攻とかもあるだろうし、極めて困難です。次善の策として「作品をもって語らせる」という方法論が、現状で採用されているのです。
何が可能で何が不可能なのか、誰がどういう考えを発表していると理解すべきなのか。そのあたりについて、グランさんはなんかこう決定的に「Wikipediaの理想と限界」を読み違えておられるのではありませんか。あなたの理想は理解しますが同意できません。なぜならば、それはWikipedia上でやるべきことではないからです。--Nekosuki600 2010年1月27日 (水) 20:40 (UTC)[返信]
追伸。
グランさんの「タイムトラベルはすでに実現している」については、暴論であると考えます。あんたジョン・タイターかい、と思ったことを否定しません。相対論的観点から宇宙飛行士などの主観的時間が遅くなっていたことが計測されているということは存じていますが、それを「タイムトラベル」と並べるのは牽強付会であると存じます。
つきつめて理解したことをまとめますと、「タイムトラベルに関する理論物理学的知見があまり書かれていいない」という不満があるように思います。ならば、そういう方向で加筆してバランスを取るのがよろしいんじゃないでしょうか。「バランスが悪いから削除しろ」とか「バランスが悪いから別項目に隔離しろ」とかいうのは、不適切なのです。「バランスが悪い」と思ったら、まともな加筆をすることでバランスを取ればよろしいのです。ついでに言えば、Wikipediaなんて誰かがバランスを考えて執筆するようなものではないのだから(いや、執筆するときにはバランスを考えてやれ、とおれもしばしば思うんですけどね)、「バランスが悪い」という不満を抱くことがそもそも失当なんじゃないんだろうか。常により良くなるであろう可能性を秘めた不完全なものとわれわれはつきあっているのだといった諦観がなければ、不満が募るばかりであり、性急な改善を志して自滅するだけなのじゃないだろうかと助言をしておこうと思います。--Nekosuki600 2010年1月27日 (水) 20:49 (UTC)[返信]
あのですね、私の言葉を自分の言葉であるように語ったりして何が言いたいのでしょうか。
フィクションをいくら並べたところでそれはフィクションです。タイムトラベルはフィクションだけのものではないと散々言っているのに、あなたはそれを全く無視して思い込みの激しい文章を飾ってさももっともらしいことを書いているだけじゃないですか。
フィクションの側の記述だけをひたすらに増やしていったい何の意味があるんでしょうか。たとえば、超能力でタイムトラベルができました、先天的に時間移動する能力を持った超人でした、こんな「フィクションでしかありえないような」設定と、現実に検討されているものを全く同列に並べるなど理解出来ません。
暴論については、フィクションとはスケールが違いすぎる、と言いたいのでしょう?でもですね、タイムトラベルはタイムトラベルです。あなたはフィクションを前提にしすぎているからそのような意見になるんですよ。暴論というのは思い込みでしょう。どんなに短くてもタイムトラベルしたことは事実です。今後さらに高速で移動できるものが発明されればその短い時間はもっと長くなります。これが、現実のタイムトラベルです。フィクションのように最初から荒唐無稽でありえないものを前提にした設定を結びつけないでください。
あなたの意見や、この記事の(改めて読みました)フィクションに偏りすぎた記述を見ていると、タイムトラベルという記事そのものを分割したほうがいいのではないかと思いました。
つまり、リストを分割するのではなく、「フィクションのタイムトラベル(この記事のこと)」と「現実のタイムトラベル」を分けるということです。正直言って、ここには「フィクション」しか書くのが許されないような雰囲気が漂っており、現実のタイムトラベルについては飾りのように、申し訳程度に隅に追いやられているような状況は腹が立ちます。
この記事はフィクションが9割方のようですし、nekosukiさんのような「監視者」がいる限り、現実のタイムトラベルについていくら書いても無意味でしょう。というか、フィクションの作品リスト(で歴史を俯瞰してしまうような記事)と現実のタイムトラベルというかみ合わないものを同居させるのは耐えられません。
どうせフィクションのリストを分割することには何があっても反対するのでしょうから、現実のタイムトラベル理論のほうだけ「移動もしくはコピー」させたほうがマシです。この記事では彼らの十分な居場所がありませんので。何を書いても「フィクション」と混同されてしまいそうです。
長年の議論などという勝手な脳内妄想(自分で考えただけなのに)を平気で人前に晒したり、あからさまに新参者は編集するなというような勝手なことを言ったり(「分割提案」を勝手に削除するとは素晴らしい度胸だと思います。これも「先輩」だからこそ出来る暴挙なんでしょうかね?)あなたとはこれ以上関わらないほうが良さそうです。
私は新しいページを作ることにします。監視されているこの記事には手をつけないようにします。(たとえ記事が重複しようとも)何をされるかわかったもんじゃありません。--グラン (履歴未追跡ですのでタイムスタンプはつけませんが、署名だけ補っておきます。--Nekosuki600 2010年1月28日 (木) 13:18 (UTC)[返信]
別にまぜっかえしをした覚えはありませんし、おれは全てのテキストを自ら書きましたが。内容が類似している点があることは認識していましたが、つまるところがそれは「どうやって妥協を成立させればいいのか。どのあたりまで妥協が成立し得るのか」という点についておれとグランさんの認識が一部重なっており、一部重なっていないということの当然の帰結であろうと思います。にもかかわらずなぜ戦いになってしまうのかが、おれにはよくわかっていませんが。さて。
無駄に重複記事を作ることは望ましいことではありませんし、それがわかっていながらやるのならば、それはリダイレクト化などの対象になることであると考えます。
個人的には、ビギナーさんなどに対しては丁寧に説明をするようにしていますし、そのためのWikipedia文書の整備などにもかなりの手間をかけてきたと思っております。今回の説明についてもその延長線上にあります。まあ確かに耳が痛いことはあろうかと思うのですが、そのあたりについてはおれのオブラートの弱さについてお詫びするに吝かではありません。しかし逆切れをされてもいかんともしがたいという感じ。
無駄に分岐した新しいページを作るくらいならば、ご自身のWebサイト上に、これまでにWikipediaのタイムトラベルに蓄積された情報を基にGFDLを満たしたページを作るとかする方がいいんじゃないだろうかと思います。--Nekosuki600 2010年1月28日 (木) 13:18 (UTC)[返信]

たびたびの暴言をお許しください。何分シンザン者な上に常識もない輩ですから、書くこと書くこと全てが暴言になってしまいました。 もちろんシンザンを言い訳にすることはしませんが、人格的に問題があるのであまり気になさらないでください。精神障害者が何か喚いていたんだ程度に思ってくれれば私も安心します。 分割提案に関しては、何も知らない身分で随分と身勝手なことをしました。このような大事業をシンザンがやるのは決して許されないことなのですね。私は本当に未熟者で、そのようなルールも知らずに手前勝手にぐだぐだと長文を並べてしまいました。 全て削除いたしましたので、過去のことはすべて忘れてください。nekosuki600様が私の編集した全記録を差し戻してくださったので、私からもう何もしません。誠にお手数かけました。下手くそな文章でごめんなさい--グラン 2010年1月27日 (水) 21:59 (UTC)[返信]

記述を消しちゃうと後から見てなんだったかわからないので、取り消し線つきで復帰しました。--114.145.183.12 2010年1月28日 (木) 09:53 (UTC)[返信]

独自研究

タイムトラベルという概念は、時代とともに変遷をとげてきており、時代順に作品を眺めることで「タイムトラベルの進化と発展」を俯瞰(ふかん)できる一覧とすることを念頭に置いて編集されている。

これって独自研究じゃないでしょうか。なんかタイムトラベル研究家のメモ帳みたいになってますよ。ウィキペディアは様々な情報の合成で記事がつくられる百科事典ではありますが、個々の情報をもとに研究を行う場所ではないと思います。--リネン 2011年10月23日 (日) 10:22 (UTC)[返信]

作品リストの整理について

私自身、記事の形式に従って色々と作品解説をしてきましたが、今になって思うとこれらは余計なものでしかないと考えるようになりました。よって、これらの削減を行いたいと思います。反対意見がなければ来月までに全て削除します。--Cross-j会話2012年8月14日 (火) 12:42 (UTC)[返信]

  • コメント 「「タイムトラベルの進化と発展」を俯瞰(ふかん)できる一覧」とされていますが、独自研究と思われます。収録作品には一要素として含んでいるだけのものがあり、作品類型や代表例の紹介にもなっておらず、体系的に網羅してあるわけでも、本文の参考資料として機能しているわけでもないので、維持する積極的な理由を見出せません。--Yhiroyuki会話2012年11月5日 (月) 12:35 (UTC)[返信]
  • コメント タイムトラベルの方法と作品説明を除去するのは当然ですが、名称のみにして列挙を維持するか、「Category:タイムトラベルを題材とした作品を参照」に置き換えるかがちょうどいいかなと思います。--Cross-j会話2012年11月11日 (日) 14:49 (UTC)[返信]
    • コメント タイムトラベルが登場する作品のタイトルのみを列挙した、それがどのように登場するかの説明を伴わないリストは、タイムトラベルを理解するうえで役に立たず、この記事への存在意義がありません。そうすることで改善されるとお考えの理由は何でしょうか。--Greeneyes会話) 2012年11月13日 (火) 15:06 (UTC) (修正 誤:タイムマシン→正:タイムトラベル --Greeneyes会話2012年11月26日 (月) 13:11 (UTC)[返信]

ページ分割してはどうでしょうか?

私も冗長に感じています。 瑣末な作品まですべて記載すると、全体が見えづらく感じます。 各ジャンルごとに著名なものを3~5作品ほど残して、全体については別ページ分割がよろしいかと思います。 また、できればテーブル(表)にして、見やすくする工夫をしてはどうでしょうか? 「ゲームセンターCX 有野の挑戦」のように、テーブルの下に作品説明をする形であれば、現状の作品説明を損なわないと思われます。--124.108.208.140 2012年11月15日 (木) 15:21 (UTC)[返信]

作業予告

最終コメントから時間が空いてしまいましたが、そろそろ削減に移りたいと思います。これまでのコメントでは他の方からの反対意見はないようですが、具体例として特筆すべき作品があるなどの場合は、その明確な根拠なども添えて提示してください。--Cross-j会話2013年1月11日 (金) 15:21 (UTC)[返信]

報告 異論なしと判断し、作品リストを全て削除しました。--Cross-j会話2013年1月26日 (土) 13:06 (UTC)[返信]

オイディプス王神話

これはタイムトラベルではなく、予知のジャンルであると思いますが、予知の項目に作品紹介しているところがなかったため、書かせていただきます。タイムパラドクスの最も古い作品は、予知を題材としたギリシャ神話「オイディプス王神話」だと考えます。これは、予知により情報が時間移動するだけですが、因果が輪を作り、ハインラインの時間もの「時の門」と同じ因果の輪を作る物語構造になっています。ちらしのすみにでも、豆知識として付記したいものです。--バンパー会話2013年3月10日 (日) 09:50 (UTC)[返信]

 純粋理性批判

1781年発刊されたイマニエル・カントの「純粋理性批判」には、二律背反のひとつとして、神は時間移動するという記述がでてきます。何かの歴史考証の助けにでもなればと思い、メモしておきます。--バンパー会話2015年1月26日 (月) 01:09 (UTC)[返信]

多世界解釈

タイムパラドックスと矛盾にある多世界解釈。
エヴェレットの多世界解釈のページを見ても「物理的な相互作用が時間上にも及ぶ」というのは意味不明であり説明としておかしい。どこから出てきたのか?(タイムマシンにも同様な記述があるが、これも意味不明。)
補足にも書いたが、タイムパラドックス以前の問題。物理学では物体そのものをタイムトラベルさせると時間軸上で不連続点が生じ、物理法則に反する。情報を転送した場合でも、情報を記憶・消去するためにエントロピーが変化してしまうと考えるのが一般的(→マクスウェルの悪魔など)。多世界解釈にしても観測した時に収縮(可能性のない分岐を削除)する必要があることや相関が失われてはならないことが全く記載されていない。(実現するにはおそらく観測者がいないことが条件となるに違いない。)
このような手法で物理理論を「悪用」することは百科事典としてふさわしくないのではなかろうか?
--かねもとしゅうじ会話2016年3月3日 (木) 21:17 (UTC)[返信]