雲鷹 (空母)
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艦歴 | |
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起工 | 1938年12月14日 |
進水 | 1939年10月31日 |
就役 | 1940年7月31日「八幡丸」として竣工 1942年5月31日空母に改装完了 |
その後 | 1944年9月17日戦没 |
除籍 | 1944年11月10日 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:17,830t 公試:20,000t |
全長 | 180.24m |
水線幅 | 22.5m |
全幅 | |
吃水 | 8.00m(公試状態) |
飛行甲板 | 長さ:162.0m x 幅:23.5m 後に長さ172.0mに延長 |
主缶 | 三菱式水管缶4基 |
主機 | 三菱ツェリー式タービン2基2軸 25,200hp |
速力 | 21.0ノット |
航続距離 | 18ktで8,500浬 |
乗員 | 747名 |
兵装 (竣工時) |
12cm単装高角砲4基 25mm3連装機銃2基 25mm連装機銃4基 |
搭載機 (常用+補用) |
艦戦9機 艦攻14+4機 合計23+4機 |
日本郵船所有の客船「八幡丸(やわたまる)」を改装し、航空母艦としたもの。八幡丸の建造費用は政府の優秀船舶建造助成施設の適用を受けており、有事には徴用・改装されることがあらかじめ決められていた。
概要
八幡丸は、当時好況を博していた欧州航路の老齢船を置き換える目的で日本郵船が建造した豪華客船新田丸級三姉妹船の第2船として誕生した。新田丸級三姉妹船(新田丸、八幡丸、春日丸)は、日本郵船を象徴する客船であり、日本郵船株式会社のイニシャルNYKに因んでそれぞれNittamaru, Yawatamaru, Kasugamaruと命名されている。竣工後は太平洋航路に就役したが、1941年(昭和16年)に海軍が徴用・購入を行い、空母に改装された。1942年(昭和17年)に空母として竣工している。低速・小型であるため、前線での戦闘任務には付けられず、竣工後しばらくの間は航空機輸送任務に従事した。
1944年(昭和19年)1月18日、空母「瑞鳳」とトラック泊地を出港し、横須賀へ向かう[1]。1月19日、アメリカの潜水艦ハダック(USS Haddock, SS-231)の魚雷攻撃を受ける。艦首左舷附近に命中し速力低下、サイパンに避退した[2]。その後、横須賀で修理を受けるが、その際に新型機用に着艦装置が更新されている。1944年(昭和19年)8月より船団護衛任務につくが、9月17日にバーブ(USS Barb, SS-220)の雷撃で撃沈された。
艦歴
- 1938年(昭和13年)12月14日 - 三菱重工業長崎造船所で起工。
- 1939年(昭和14年)10月31日 - 進水。
- 1940年(昭和15年)7月31日 - 客船「八幡丸」として竣工
- 1941年(昭和16年)11月5日 - 徴用決定。
- 1942年 1月21日 - 呉海軍工廠にて改装工事開始。
- 1944年(昭和19年)1月19日 - サイパン島近海で米潜水艦「ハダック」(USS Haddock, SS-231)の雷撃により、二本被雷。
歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』76-78頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。
艤装員長
- (兼)駒沢克己 大佐:1941年11月25日 -
- 湊慶譲 大佐:1941年12月10日 -
艦長
- 湊慶譲 大佐:1942年5月31日 -
- 相徳一郎 大佐:1943年1月28日 -
- 関郁乎 大佐:1943年4月14日 -
- 平塚四郎 大佐:1944年3月1日 -
- 木村行蔵 大佐:1944年7月1日 - 9月17日戦死
同型艦
脚注
参考文献
- 長谷川藤一『軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦』グランプリ出版、1997年 ISBN 4-87687-184-1
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第4巻 空母II』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0454-7
- 桂理平『空母瑞鳳の生涯 われ等かく戦えり』霞出版社、1999年10月。ISBN 4-87602-213-5。
- 雑誌「歴史群像」太平洋戦史シリーズ Vol.45 『帝国海軍 真実の艦艇史』、学習研究社 2004年、ISBN 405-603412-5
- モデルアート臨時増刊、艦船模型スペシャルNo.18-商船改造空母、モデルアート社、2005年
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。 ISBN 4-7698-1246-9