ノート:口裂け女
- 2004/05/29- 2010/06/26
- 赤いマスク女と口裂け女
- 広まり始めた時期
- 基本形と妖怪化
- この噂の検証
- マスコミに初登場した時期
「高速で走る」と語られるのはマスコミ発とする説について
この身体能力の節にある、1979年7月5日付『毎日小学生新聞』の、噂が広まる速度を「100メートル何秒」と表現した記述が、口裂け女は「100メートル何秒で走る」と語られるようになった原因という説ですが、出典にある『週刊朝日』(1979年6月29日号)に、すでに「100メートル何秒で走る」と語られているという記述があることから、この説は事実に反します。
独自研究に当たるかもしれませんが、他に『週刊女性』(1979年7月3日号32頁)、『女性自身』(1979年7月5日号46~48頁)、『週刊朝日』(1979年3月23日号35~36頁)の記事中にも同様に「100メートル何秒で走る」と語られる報告が見られます。先付けが慣例となっている発売号数から見ても『毎日小学生新聞』報道より以前に、かなりの広がりを持って語られていたことが判ります。
この説が事実に反することは、出典として明記された『毎日小学生新聞』と『週刊朝日』を比較することで、確かに読者には検証可能な状態に置かれています。しかし、この部分が現状の編集記述のままでいいのだろうか、というのが私の提出したい議題です。
問題点は、この説の出典である『恐怖の都市伝説』の本文中に、『週刊朝日』(1979年6月29日号)正にそのものが参照文献として明記されているということです(同書31頁)。つまり、この『恐怖の都市伝説』は事実に反することを知りつつ独自の仮説を主張しています。事実かどうかよりも面白さを優先した結果かと思われますが、ここは執筆意図を問う場ではありません。結果として、故意による虚偽の風説の流布を促す情報源を出典として、この項目のこの部分が編集記述されている点が、問題です。
記事のこの部分は、2008年6月29日 (日) 09:29に編集されて以来、現在に至るまで露出を続けています。ネット上でこの説が話題になっていることも散見されます。2011年2月に発売された『日本ミステリアス妖怪・怪奇・妖人事典』(勉誠出版 志村有弘・編ISBN 978-4-58-520005-5)の「口裂け女」の項目に、こういう記述があります。
しまいには100メートルを三秒で走るとさえ言われたが、これは噂の伝達速度についてマスコミが報じた記事を、子どもたちが尾ひれをつけて広げたものと考えられている。
この記述がウィキペディアを参考にして書かれたかどうかを問題にしているのではありません。もし将来、この「信頼できる出版社から公刊されている文献」を出典として、逆にウィキペディアの記事が編集されてしまったとしたら、この仮説が事実に反していること、この仮説の情報源が虚偽の風説の流布を促すものだったことは、読者には検証不可能になってしまうかもしれません。マスコミ出版メディアがもくろんだ風説の流布の完成です。
以上が、あえて現状の記述を問題にする理由です。そして、紙媒体の事典ではなし得ない、ウィキペディアならではの、訂正情報による情報の公正化を実現するために、どのような記述編集が最善かを検討していきたいとうのが、私の提案です。よろしくお願いいたします。--ワサビ 2011年6月17日 (金) 16:46 (UTC)
- 件の編集をした者です。ご指摘ありがとうございます。別件で本日図書館に行く予定でしたので、ついでに『週刊女性』『女性自身』を閲覧し、確かに『毎日小学生新聞』より前の号に「高速で走る」の説があることを確認しました(『週刊朝日』は閲覧できませんでしたが)。対処としては、
- この「高速で走る」という説は、1979年7月5日の『毎日小学生新聞』上の(中略)との説もあるが、実際には『毎日小学生新聞』の該当記事よりも前に、『週刊女性』『女性自身』で「高速で走る」の説がある。
- のように付け加えるか、もしくは「この『高速で走る』という説は~」の一文をまるごと削るか、といったところでしょうか。個人的には前述のマスコミに初登場した時期で、『最強の都市伝説』の記述に誤りがあると露見しておりますので、後者を選択して『最強の都市伝説』による記述は残さないほうが良いかと考える次第ですが、いかがでしょう? それにしても『日本ミステリアス~』がウィキペディアを参考にしたかどうかはわかりませんが、あちこちのサイトでウィキペディアを引用しているのは日常茶飯事ですので、今さらながら影響力を怖く思います(汗)--逃亡者 2011年6月18日 (土) 06:19 (UTC)
いきなりの不躾な書き込み、大変失礼いたしました。早速に応答いただきありがとうございます。
現在、私が問題にしている出典は、『恐怖の都市伝説』(ISBN 978-4-8130-2061-5)です。逃亡者さんがおっしゃられているのは『最強の都市伝説』(ISBN 978-4-7667-8398-8)でして、非常に紛らわしいのです。対策として、現状では編集人が編者扱いとなっている誤りを訂正して、問題となっている記事執筆者を明記して責任を明確にし、また問題となっている記述の範囲を限定するために記事のタイトルで表記するように改めておきました。これで、この著者の記述を出典とするときには、ある程度の警戒が必要だと伝えられればいいのですが。『恐怖の都市伝説』の記述も、負けず劣らず誤りが多いです。とくに資料を扱う手つきに相当深刻な問題があるようです。口裂け女ページ内で、ここが出典元になっている他の記述も再検証をすすめてみます。
さて、今後の対処ですが、『口裂け女の本当の正体とは』(『恐怖の都市伝説』をこう呼び変えます)を出典とする記述を削除してしまうと、これまでウィキペディア上で露出させてきた情報の訂正報道が出来なくなります。これは、一番避けたほうがいいと思います。かといって、両論併記法では、今まで与えてきた情報を打ち消すインパクトのようなものに欠ける気がしますし、『口裂け女の本当の正体とは』を出典とする記述は残さざるを得ませんし、悩ましいところですね。
この問題は、ひとつの仮説が正統性・妥当性に欠けるため反証され棄却されることと、同じではないと思います。どちらかというと、ウィキペディアの自浄能力を問われているような気がします。紙媒体の事典なら、後でこっそり正誤表を挟み込むくらいしか出来ないでしょうが、ウィキペディアならもっとスマートな善後策がとれたりしないものでしょうか?過去に似たような事例とか、なかったのでしょうか?勝手なことばかりすみません。--ワサビ 2011年6月18日 (土) 14:53 (UTC)
- 出典の誤り、失礼しました。さて、ワサビさんのご意図は、件の『恐怖の都市伝説』の記述を完全に削除してしまうのではなく、「今まで存在していた『恐怖の都市伝説』の記述は間違い」と読者に強く知らせたい、とのことと思われるのですが(私の解釈が間違いでしたらご指摘ください)、それは百科事典としてのウィキペディアの役目から逸脱しているのではないかという気もするのですよね……。WP:NOTSOAPBOXに抵触するかもしれない、との恐れも抱いています。前例はちょっと思いつかないのですが、これから捜してみるとともに、もう少し良い方法がないか考えて見ます。勝手ながら他の皆さんのご意見も頂きたく、記事にTemplate:告知を添付させていただきます。--逃亡者 2011年6月18日 (土) 20:17 (UTC)
Template:告知のご手配、ありがとうございます。皆様のご意見も伺いたいです。私の意図というお話が出ましたので、自分でもひとつまとめてみました。
私が気づいたこと。
- 高速で走ると語られるのはマスコミ発とする説が、事実に反すること。
- 出典の『口裂け女の本当の正体とは』は、信頼性に乏しい情報源であること。
ウィキペディアの基本ルールに当てはめると。
- 事実に反することが立証された記述は、修正する。(除去しない)
- 信頼性に乏しい情報源を出典とする記述は、除去する。
ここで、除去する/除去しないのジレンマに陥っています。--ワサビ 2011年6月19日 (日) 15:05 (UTC)
声を誰かに届かせようとおもって、無闇に大上段に構えた物言いになってしまっておりました。お許しください。また、応答していただいた方が、問題になっている記述を編集された、逃亡者さま当のご本人だったこともあって、私の物言いが不必要に非難や攻撃の響きを帯びて、受け取られたかも知れず、ここに私にはその意図がないことをご理解いただきたく申し添えて、重ねてお詫びいたします。
さて、昨日来いろいろ調べてみた結果、「口裂け女の本当の正体とは――」記事は信頼性の乏しい情報源と評価するべきだという主張を、あえて行わず、あえて除却せず、現状の記述をそのまま残して、修正記事を加えていただいたほうがよいと、私なりに反省判断いたしました。
調べましたところ、『恐怖の都市伝説』の「口裂け女の本当の正体とは――」記事は、再録物であることがわかりました。「不思議ナックルズvol.3」という雑誌に、「日本最大の都市伝説の謎 仮死魔霊子という名の口裂け女」というタイトルで、2005年4月20日に刊行されたのが初出だそうです。再録なら再検証や訂正の機会もあったのにもかかわらず、ということです。さらにウェブアーカイブにて、すでに閉鎖された松山ひろしのHPのページ「口裂け女の足はなぜ速い」を見つけました。そこでわかったことは、なんとこの「小学生新聞」が走る速さの起源という説は、ゾルゲ市蔵という人のHPから、アイデアをそのまま借用したものだということです。まさか他人のアイデアだったとは。もはや、信頼性の乏しい云々と、目くじらを立てている自分が馬鹿らしくなってしまいました。
というわけで、とにかく、この仮説が事実に反するということを、ウィキペディア上に記述していただきたいという一点のみが、私の本来の意図ということで、よろしくお願いいたします。「口裂け女の本来の正体は――」という記事の記述自体をどうこうしようとは、もはや思いません。とにかく、この記事が発信源となり、ひとり歩きを始めてしまった仮説に対して、訂正報道を行って公正化を図りたいと思っています。実は、この記事が発信源となってひとり歩きを始めているもうひとつの仮説についても、反証となる文献を現在準備中です。これも、現状の記述に追加併記する形で検証可能状態に置き、読者の判断に任せるのが最良かと思っています。
つきましては、最初に逃亡者様よりご提案いただいた、事実に反する旨を付け加えるかたちの修正案が、この場合、一番妥当ではないかと、現在の私は思っております。ご意見はいかがでしょうか。いろいろお騒がせして、申し訳ありませんでした。--ワサビ 2011年6月20日 (月) 15:07 (UTC)
この仮説の発信源が、いわゆるネット上の俗説だったことを考えに入れて、編集案を立ててみました。訂正報道による情報の公正化、ひらたくいえば、この仮説の一人歩きを食い止めることがねらいとしつつ、百科事典の本義に反しない形式の記述を目指します。
編集方針
- 説の浸透状況を出典を元に記述
- 説が俗説であったことを、出典を元に記述
- 説が事実に反することを、出典を元に記述
現状の本文「~との説もある。」に続けて
- 【本文1】これは、松山ひろしによって説として主張され、志村有弘によって正当な説として紹介されている。
- ここに「口裂け女の本当の正体とは――」と「日本ミステリアス~事典」の出典脚注をつけます。
- 【本文2】しかし、この説は本来、なんら検証を経ていないネット上の俗説であり、
- ここに脚注の形で参考リンクをつけます。
- 【本文3】現実には、「100メートル○○秒で走る」という語られ方は、『毎日小学生新聞』の発売があった7月5日以前から、相当の広がりをもって語られている。
- この後に、「週刊朝日」「週刊女性」「女性自身」の出典脚注をつけます。
本文には事実のみを記述し、検証は出典により読者にもたどれる形になるよう心がけました。いかがでしょうか?
問題は、説の浸透状況のところで、「日本ミステリアス~妖人事典」以外にもこの説を記述している書籍があるかもしれないところです。まあ後から追加すればそれでいいのですが。現在のところ一番容疑がかかるのは、当の「日本ミステリアス~事典」の口裂け女の章が参照文献としてあげている本たちです。この中のどれかにすでにこの説の記述があるのかもしれません。お手持ちの方などいらっしゃいましたら、一度チェックしてみてください。
- 『怪異の民俗学2 妖怪』河出書房新社 小松和彦編
- 『怖いうわさ 不思議な話』童心社
- 『日本妖怪大事典』角川書店 村上健司
- 『お江戸の「都市伝説」』PHP研究所
- 『学校の怪談』講談社 常光徹
- 『図説 江戸東京怪異百物語』河出書房新社 湯本豪一--ワサビ 2011年6月22日 (水) 15:37 (UTC)
上記の案に基づいて編集させていただきました。ページデザイン上「脚注」部分などが、少々ちぐはぐになってしまいました。申し訳ありません。--ワサビ 2011年6月29日 (水) 13:13 (UTC)
「多田克己」と「松山ひろし」は同一人物ですか?
口裂け女ページには、「口裂け女の本名はカシマレイコ(仮死魔霊子)だ」と語られる事例があるとする主張があると記述されています。また、その事例を根拠に、カシマレイコ伝承が口裂け女伝承に直接変化したと主張する説もあり、これも現在の編集では、ページに記述があります。そして、幾つかの事例を並べて、これが具体的な伝承の変化過程を表すとされる説もあります。この変化過程の後半部分は、「原爆少女」を経て「整形オバケ」から口裂け女に変化したという内容の記述で、ページに反映されています。
これらの説の出典となっているのが、松山ひろしの「口裂け女の本当の正体とは――」(2005年初出)と多田克己の「口裂け女を追う!!」(2008年初出)の二つの文章です。つまり、複数の独立した出典によって主張されている客観性の高い説と評価され、ページの参考文献上もそう読めるような記述になっています。しかし、ここでの問題提起は、この二つの出典を二つの客観的に独立したものとして扱ってよいのかという点です。以下理由を挙げます。
まず、その主張する論の特殊性にあります。仮に「口裂け女の本名はカシマレイコだ」と語る事例が存在すると前提して、それを根拠に「カシマレイコ伝承が口裂け女伝承に変化した」と唱えるのは、論理的に無理です。両者は別次元の問題で対応関係にはない事は明らかです。また、具体的な変化過程として挙げられている事例モデルは、検証してみると、完全に破綻しています。このような仮説を、活字メディアに載せてしまおうとする人物が、二人もいるとは考えにくいという点があります。
つぎに、論旨だけではなく、その文章の問題です。多田克己の「口裂け女を追う!!」内の約20パーセントに当たる文章は、松山ひろしの「口裂け女の本当の正体とは――」の文章の語句を改めた程度の再録のようです。両者のその部分を比較すると、少なくともその文章の並びはほとんど同じです。そして、「口裂け女を追う!!」文中には、参照とも引用ともかかれておりません。
そして、「口裂け女を追う!!」が引用している事例の出所の問題があります。この事例は2003年の福岡の事例として、ページにも記述されていますが、これは、松山ひろしのサイトの年表の1979年の項目から、引っ張ってこられているという事実です。これも同じく、記事文中には引用もとの情報はありません。
さらに、その手口が同じという点が挙げられます。上記の事例は、引用元を読むと判るように、1979年に聞いた話が2003年に報告されたというものです。「口裂け女を追う!!」が主張するように、決して2003年にも口裂け女が健在だという事例ではありません(この点、ページの記事の訂正も必要かと)。そして「口裂け女を追う!!」が描いた、2003年に福岡に来た口裂け女が海を渡り、2004年に韓国に現れたという座りのよいストーリーには、決してならないはずです。ちなみに松山ひろしは、「口裂け女が100メートル○秒で走ると語られるようになったのは小学生新聞の記事が原因」とする説を主張する際に、自説を否定する証拠の存在を知っていながら、読者に隠蔽して提示しました。この場合も、自説の流れを否定する事例であることを知りながら、それを読者に知らせず、間違った情報を与えたまま、自説を主張するという点、どこかに通ったものを感じてしまいます。
この二つの出典の関係はどうなっているのでしょうか。この二人は別々の人なのでしょうか。いろいろ複雑な事情がある事柄なのかもしれませんが、私が知りたいのは、ウィキペディア上で参考資料として扱う場合、どう対応すればよいかという一点だけです。その点を明らかにする目的で差し支えない範囲で、何かご存知の方がいらっしゃったらお知らせ願えないでしょうか。--ワサビ 2011年7月10日 (日) 21:42 (UTC)
傍証として
『日本妖怪大百科vol.10』に掲載された多田克己の記事のツノガキまで含めた正式名称は、「恐怖の都市伝説、『口裂け女』を追う!!」です。これは、松山ひろしの著作名『呪いの都市伝説 カシマさんを追う』(アールズ出版 2004年 ISBN 9784901226851)に非常に似ています。
松山ひろしは「口裂け女の本当の正体とは――」の記述で、「3」という数字を好む口裂け女について言及したあと、「民俗学の世界では”3”はホーリーナンバーと呼ばれる数字であり、たいていの話に登場する数字はなぜかいつも”3”に落ち着くことで知られている。」として、民俗学用語としてのホーリーナンバーという、他ではあまり見かけない、珍奇な表現を用いています。
多田克己は、『百鬼繚乱』(PHPエディターズグループ 2002年 ISBN 9784569622125)収録の「妖怪夜話」(東雲騎人との対談)の、「数字――妖怪の好きな『三』」(139頁)において、「3」を好む口裂け女について言及しています。しかし、ここではさすがに、ホーリーナンバーなどという珍奇な表現は用いられていません。
しかし、多田克己の記事が掲載されている同じ『日本妖怪大百科vol.10』中の、「現代妖怪ベスト10」という記事(文/並木伸一郎)の「口裂け女」の項目に、「伝承や民俗学の世界では、『3』は聖なる数(ルビ・ホーリーナンバー)とされている。」という表記があり、例の珍奇な表現が、ここに再び顔を出します。
これらのことは、どう解釈したら言いのでしょうか?
この二つの資料が、事情はどうあれ、同根であるとすれば、「『口裂け女の本名はカシマレイコだ』という話が伝わっているから『カシマレイコ伝承が口裂け女伝承に変化した』とする説」は、同一の発信源から出続けていることになります。
注意すべきは、以下の点です。
- この発信源が、「100m○秒、小学生新聞起源説」と同一の文献であること。
- 「小学生新聞説」と同じく「口裂け女本名説」は、すでに広く流布して、社会的に影響が大きいこと。また、この場合もウィキペディアでの露出の影響が大きいと考えられること。
- 「小学生新聞説」は事実に反していること。また、説を主張する記述には欺瞞性があること。(項目参照)そして、「口裂け女本名説」を主張する記述にも欺瞞性が含まれ、おそらく事実に反すると考えられること。
以上のことを踏まえて、今後二つの文献、二つの仮説をどう扱っていいのか、考えてみたいと思います。--ワサビ 2011年7月13日 (水) 21:17 (UTC)
「口裂け女の本名はカシマレイコだ」と語られたのは、本当ですか?
松山ひろしの「口裂け女の本当の正体とは――」を発信源として、いまやすっかり流布してしまっている、「口裂け女の本名はカシマレイコだ」と語る話を前提して、それを根拠に「カシマレイコ伝承が口裂け女伝承に変化した」と唱える仮説について、問題を提示します。
その前にひとつ提案があります。現状のページの表記では、伝承の話し手が語った解釈と、伝承の研究者が分析検証して導いた解釈とが、同じ「云々という説がある」という記述となっていて、混乱の元になりそうです。話し手が語ったものは「と語られることがある」「という話がある」などにして、研究者の仮説は「という説がある」などと、表記を区別するようにすればどうでしょう。
これに従うと、本文・ルーツの項目にある「口裂け女の本名は『カシマレイコ(仮死魔霊子)』だという説もあるが、」という記述は、「だと語られることもあるが、」と改めたほうが、出典資料の文意からも、適当だと思われます。
さて、この「口裂け女の本名はカシマレイコだ、と語られることがある」という情報が問題です。結論から言ってしまうと、この事例の一次資料が見当たりません。口裂け女とカシマレイコを関連付ける、ほとんどすべての仮説の大前提である「口裂け女の本名はカシマレイコだという話」が現実に語られていたのかどうか、確認できません。ウィキペディアにも記載されて、当たり前のようにあちこちで語られ、すっかり流布して、ほとんど既成事実化している「口裂け女の本名をについての噂」が、もしかしたら恐ろしく大胆なデマなのかもしれません。
「口裂け女の本当の正体とは――」には、この件に関してこう記述されています。(『恐怖の都市伝説』ミリオン出版 ISBN 978-4-8130-2061-5 32ページ)
79年当時、北海道や横浜で流れた口裂け女の噂には、彼女の本名について言及しているものがあった。これらの噂の中で、口裂け女の本名は「カシマレイコ」であると語られていた。
多田克己の「口裂け女を追う!!」の、この件に関しての記述です。(『DISCOVER妖怪 日本妖怪大百科 VOL.10』講談社 ISBN 978-4-06-370040-4 18ページ)
そんな口裂け女の本名は「カシマレイコ」だと、北海道や横浜あたりなどで囁かれるようになった。
「口裂け女の本当の正体とは――」が主張する、カシマレイコ伝承が口裂け女伝承に変化したという仮説を考えようと思えば、その大前提になっているこの件を検証する必要があるのですが、上記二つの出典は、具体的な一次資料の所在を明記していません。そんなことが必要ないほど有名な資料なのでしょうか。だとしても、基盤の資料を固めないまま、その上に仮説を構築するというのは、下手をしたら命取りですから、人事ながら危険すぎてドキドキします。もし、それが、疑われずに信じられ、すっかり定着してしまったとしたら、とりかえしのつけようが、私には思い当たりません。
少なくとも現在私の手元にある当時の記事などの資料には、このような事例の報告は見当たりません。しかも、上記引用からわかるように「79年」「北海道」「横浜」の条件を満たす一次資料を見つけなければなりません。どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報ください。
ちなみに、松山ひろしのサイト「現代奇談」には、「あなたはご存知だろうか?口裂け女の本名が、カシマレイコであるということを」、「カシマレイコ 口裂け女の本名とも言われる」、「口裂け女の本名はカシマレイコというらしい」、「口裂け女(本名はカシマレイコとの説あり)」、「口裂け女の本名をカシマレイコとする噂があることを考え合わせると」、「口裂け女の本名がカシマレイコと言われることもあるように」、「口裂け女の本名はカシマレイコという噂もあることですし」、「口裂け女=カシマレイコという噂の存在を考慮して」、「口裂け女の起源がかしまさんであるという話」など、煽り文句のような物言いは数多く見られるのですが、それがどの資料に基づいているのかの情報は、ついに見つけられませんでした。
松山ひろしの著書『呪いの都市伝説 カシマさんを追う』(アールズ出版 2004年 ISBN 9784901226851)には、
つまり、口裂け女の正体はカシマさんなのである。彼女の本名が『カシマレイコ』だと言われることは、ある意味、真実なのだ。(112頁)
とあるのみで、その本名とやらがどこで語られていたのかを示すデータは、ありません。
ウェブ上でもいろいろ検索してみたのですが、ウィキペディアへの掲載後の記事がほとんどで、成果は得られませんでした。
「口裂け女の本名はカシマレイコだと語る事例」「79年」「北海道」「横浜」
以上の条件に当てはまる一次資料の所在をご存知の方は、ぜひお知らせください。
また、「79年」「北海道」「横浜」「カシマレイコ」の条件が整わなくても、「口裂け女の本名について語っている一次資料」の所在をご存知の方も、お願いいたします。--ワサビ 2011年7月15日 (金) 21:31 (UTC)
- 3か月以上にわたってコメントがありませんが、後掲の#今後の編集方針についてでの整理にともない、多田克己氏・松山ひろし氏の文献に関する記述を除去したことで、「カシマレイコ」に関する記述もなくなりましたので、本件の意味もないかと思われます。もう少々待ってまだコメントがないようであれば、告知テンプレートを除去させていただきたく思います。--逃亡者 2011年10月31日 (月) 20:02 (UTC)
資料「口裂け女の本当の正体とは――」の欺瞞性
松山ひろしの「口裂け女の本当の正体とは――」中に、『怪の標本』(福澤徹三 角川春樹事務所 ISBN 9784894568327)を参照し引用する箇所があります。その際、この資料に関する記述は以下のとおりです。(『恐怖の都市伝説』ミリオン出版 ISBN 978-4-8130-2061-5 33ページ)
01年に刊行された実録怪談集『怪の標本』(角川春樹事務所)の後書きにおいて、著者の福澤徹三氏は幼いころに聞いた話としてカシマさんを紹介している。
しかし、現実の『怪の標本』は、「実録怪談集」ではなく「短編小説作品集」です。また、引用箇所は、表題作の短編作品から正確に引用されていますが、掲載頁は、11~12ページで、もちろん「後書き」ではありません。そもそも、この書籍に「後書き」やそれに類するものは付いていません。
つまり、この引用箇所の「実録怪談集」「後書き」という記述は、明らかに虚偽の情報です。
なぜ、ウソの情報を、読者に提示するのかという理由も、ほぼ推測できます。この『怪の標本』の「カシマさん話」が「あたし、きれい?と問いかける要素」を持っており、「嫌でもあの口裂け女を連想させる」もので、重要な事例だからです。この一点を機軸にして、「口裂け女の本当の正体とは――」では、「カシマさん伝承」が「口裂け女伝承」に変化したという仮説を展開します。基礎となる最重要事例が、「創作作品」でなく「実録怪談」に、「作品本文」でなく「後書き」に書かれていると偽ることによって、読者にその現実性を印象付けようと意図が働いていると思われます。このたぐいの虚偽の記述は、単行本『カシマさんを追う』、初出の『不思議ナックルズ』、再掲の『恐怖の都市伝説』においてみられ、改正の機会がありながら、再三にわたって繰り返されており、単なるミスではなく確信犯的な〈虚偽の記述〉です。
すでに「口裂け女の本当の正体とは――」の記述について、「100m何秒小学生新聞起源説」の主張において、反証情報の意図的な〈隠蔽〉が明らかになっています。(項目参照)また、「口裂け女の本名はカシマレイコと語る事例」の存在については、その立証責任を満たさず、検証機会を与えぬまま既成事実的に記述するのみで、結果その〈捏造〉疑惑が拭い去れません。(項目参照)他にも、検証も根拠も示さず断定的に語られる記述が、事実と反する場合などもあります。これに加えて、この明白な〈虚偽〉の記述をみるに、この資料の欺瞞性は明らかだと思われます。
資料「口裂け女の本当の正体とは――」を、信頼性に乏しい情報源と評価せざるを得ないでしょう。
とはいえ、この欺瞞を含む記述によって主張された仮説、「100m何秒小学生新聞起源説」「口裂け女の本名はカシマレイコと語る事例が存在する説」「カシマさん伝承が口裂け女伝承に変化した説」は、すでに広く流布しており、社会的に重大な影響があるものになっていると思います。その影響のひとつの面が、多田克己資料(ISBN 978-4-06-370040-4)、志村有弘資料(ISBN 978-4-58-520005-5)に現れているとも考えられます。この場合、これらの仮説については、「情報が重要で残す値打ちがある」ものと判断せざるを得ません。
以上の点をかんがみて、信頼性に乏しい情報源の取り扱いルールにしたがい、口裂け女ページの各仮説の情報の記述はそのまま残しつつ、資料「口裂け女の本当の正体とは――」の注釈に信頼性に乏しい情報源であることを但し書きとしてつけ、読者に明示する方法で、ひとまず対応したいと考えます。--ワサビ 2011年7月20日 (水) 21:12 (UTC)
カシマさん伝承が口裂け女伝承に変化した説について
上で問題にした『怪の標本』(福澤徹三 角川春樹事務所 ISBN 9784894568327)に記載された「私きれい?とたずねる要素を持つカシマさん事例」の存在について、その後の調査で明らかになったことを、付け加えておきます。
まず、『ホラー・ジャパネスクを語る』(双葉社 ISBN 9784575234695)収録の東雅夫との対談における発言で、福澤徹三は「怪の標本」を、実話ではなく創作であると明言しています(120頁)
次に、2009年に刊行された、今度こそ正真正銘の「実録怪談集」である、『怖い話』(福澤徹三 幻冬舎 ISBN 9784344016217)の本文「怖い都市伝説」(61-62頁)において、「怪の標本」と同じ「カシマさんの話」を聞いた体験を語りますが、その話には「私きれい?と問いかける要素」がありません。つまり、現実には「私きれい?と尋ねる要素を持つカシマさんの話」は存在しなかったことになります。
これは、単行本『カシマさんを追う』、初出の『不思議ナックルズ』、再掲の『恐怖の都市伝説』と再三にわたって虚偽の記述を繰り返してきた、松山ひろしに対する、福澤氏からの抗議のメッセージのようにもとれます。
それはともかく、「怪の標本」は創作であり、福澤徹三が聞いた現実の「カシマさんの話」には「私きれい?と訊く要素」がないという一点により、「口裂け女の本当の正体とは――」が主張する「カシマさん伝承が口裂け女伝承に変化したとする説」が大きく破綻することになります。なぜならば、そこに示されているカシマさん伝承から口裂け女伝承への具体的な変化過程、つまり「怪の標本のカシマさん話」→「原爆少女」→「整形オバケ」→「口裂け女」の順に「私きれい?と問いかける部分要素」だけが、話型を超えて伝達したという説明が、成立しなくなるからです。
虚偽の記述までして確保しようとした始発点の「怪の標本のカシマさん話」が、当の福澤氏自身によって、「私きれい?要素」の存在を否定されてしまったことから、もし仮に、この変化過程が現実に起きたと仮定しても、いくらさかのぼっても「カシマさん伝承」にたどり着かないという事態におちいります。
大前提のように扱われている「口裂け女の本名はカシマレイコだ、と語る事例」の実在も確認できない上に(項目参照)、仮説の変化過程が「カシマさん伝承」に着地できないとしたら、「カシマさん伝承が口裂け女伝承に変化した」という説は、事実に反するまったくの空論といわざるを得ません。
以上のことをかんがみ、現状の口裂け女ページに記載されている「原爆少女」と「整形オバケ」に関する記事は、破綻した変化過程の後半部分を出典としているため、見直しが必要と思われます。また、多田克己「口裂け女を追う!!」を出典とする少し意味のとりにくい記載
「カシマレイコ」とは口裂け女以前から語られていた都市伝説であり、人間の体の一部をもぎ取るものとして恐れられていた。 口裂け女は全国規模に発展するにつれて噂に尾ひれが付き、武器を手にして子供を殺害する凶暴な女と噂されるようになるが、これは本来の噂にカシマレイコの伝承が加わったためと見られており、後には口裂け女とカシマレイコが混同されて語られるようになった。
についても、「口裂け女の本当の正体とは――」と「口裂け女を追う!!」との比較をした上で、何らかの記述の変更が必要かもしれません。--ワサビ 2011年7月22日 (金) 16:43 (UTC)
「原爆少女」の本当の正体とは――
現状の口裂け女のページに記載されている「原爆少女」および「整形オバケ」という話があります。
1975年頃の大阪で「原爆少女」という噂が流れている。これは、原爆のケロイドで焼け爛れた少女の幽霊が現れ「私、きれい?」と尋ねるというものである。また1976年から1977年にかけて「整形オバケ」という噂が広島に流れた。顔半分を長髪で隠した女が現れて「私、きれい?」と尋ね、「きれい」と答えると「これでも?」と言って髪をどけ、ケロイド状の醜い顔を見せて追いかけてくる、というものであり、これらが変化して「口裂け女」が誕生したとの説がある。
これは、松山ひろしの「口裂け女の本当の正体とは――」資料を出典として、「私、きれい?と問いかける要素」を持つことを、ほとんど唯一の根拠に、口裂け女へと変化したと説明されている事例であるため、この口裂け女ページに記載されている情報です。
これらについて、検討すべき重要な問題点を含むと思われる参照資料を提示します。
『はだしのゲン 第2巻 麦は踏まれるの巻』(中沢啓治 汐文社 1975年 ISBN 978-4811300313)に、「夏江」というキャラクターが登場します。夏江は日本舞踊の名とりになることを夢見る「少女」でしたが、「原爆」で焼かれ「顔にケロイド状のヤケド」を負って、原爆投下直後の焦土と化した広島の街をさまよっているうちに、主人公ゲンと出会います。夏江の顔のヤケドは、触るとウミがふき出し、生きたままウジがわくほど、ひどい状態なのですが、手元に鏡もないため、自分の顔がどうなっているか知ることができず、ゲンにこう、問いかけます。
「ねえ、あたしの顔、きれい・・・?」(89頁、4コマ目)
内容的に見て、「原爆」「少女」「顔にケロイド状のヤケド」「私、きれい?と問いかける」など、ほぼ完全に「原爆少女」譚と一致しており、深い関連性が見出せます。
状況的にも、『はだしのゲン』は1973年6月から『週刊少年ジャンプ』に連載され、このエピソードを含む回は、1973年10月頃に掲載されたものと思われます。(参考サイト)また、この回を含むコミックス版は、1975年5月に刊行されており、まさに1975年頃に語られたとされる「原爆少女」に、無理なくぴったり重なります。
以上のことから、「原爆少女」の話の成立に、『はだしのゲン』からの影響があったことは、ほぼ間違いないと考えられます。ちなみに、「口裂け女」に変化したとされる、もうひとつの事例「整形オバケ」についても、『はだしのゲン』には、顔半分のケロイド状のヤケドを長い前髪で隠している「勝子」というキャラクターが、1975年9月の連載分より(コミックス版は5巻ISBN 978-4811300344冒頭から)登場しており、内容的、状況的な影響を指摘できます。
少なくとも「原爆少女」にみられる「私、きれい?と問いかける要素」に関しては、カシマさん伝承から伝えられたとする考えはすでに完全に否定されていますので(項目参照)、『はだしのゲン』の夏江の台詞を出自とすると考えるほうが、妥当性が高いと思われます。「カシマさんの話」→「原爆少女」→「整形オバケ」→「口裂け女」の順に「私、きれい?と問いかける要素」が伝達した、という「口裂け女の本当の正体とは――」資料が主張する「カシマさん伝承が口裂け女伝承に変化したとする仮説」の説明が、「カシマさんの話」に続き「原爆少女」でも、事実に反することが、これで判明したと思います。そして、この破綻した仮説を出典とした現状の記述のままでよいのだろうかというのが、今回の問題提起です。--ワサビ 2011年7月25日 (月) 17:28 (UTC)
話の内容は、話の変化の歴史を暗示する?
上記のように「原爆少女」は『はだしのゲン』の影響で発生し、「私、きれい?」の台詞は「大原夏江」の台詞から伝わったとしても、「原爆少女」が「整形オバケ」を経て「口裂け女」に変化したとする仮説は、まだ有効なのではないかとする考えもあるかもしれません。
しかし、この変化仮説は、「口裂け女の本名はカシマレイコだとする話」があることと、それに対する「口裂け女の本当の正体とは――」資料の「独特の考え方」を大前提に立てられていることが問題です。ここで言う、独特の考え方とは、「本名はカシマレイコだ」と語られるということは、すなわち、カシマさん伝承が口裂け女伝承に変化して成立したことを意味していると解する考え方です。言い換えると、「語られた話の内容は、その話の変化の歴史を暗示する」という考え方になります。
この考え方にしたがえば、上記のように『はだしのゲン』の夏江が「原爆少女」になったのであれば、「口裂け女の本名は、オオハラナツエだという噂」が語られてなければおかしいはずです。そもそも、変化仮説は、「本名はカシマレイコの噂」の存在を大前提に立てられたものであることと、大きく矛盾してしまいます。だから「本名はカシマレイコだ」と語る事例が見つからないのだ、とする強弁は、自家撞着した詭弁に他なりません。
そもそも、この独特の考え方を検証してみると、伝承過程のはるか過去の時点(75年頃)で起きた変化(「カシマさん→原爆少女」改め「はだしのゲン→原爆少女」)は、伝承過程をずっと下った時点(79年)の話し手の立場からでは、どう考えても知りえない出来事のはずです。その話し手が、理由も手がかりもなく正確に、過去に起きた変化を暗示する内容の話を語りだすとする考え方は、あまりにも非現実的です。
この非現実的な独特の考え方を大前提に、「カシマさん」→「原爆少女」→「整形オバケ」→「口裂け女」と、「私、きれい?と問う部分要素」のみが、話型やモチーフの相違を超えて伝達したとする主張が、「カシマさん伝承が口裂け女伝承に変化したとする仮説」です。
このように、非現実的な前提の上にたち、恣意的に事例を並べるだけの仮説ゆえに、おのずと強弁にならざるを得ず、それを補うために虚偽の記述がなされ(項目参照)、にもかかわらず、「私きれい?要素を持つカシマさん事例」は存在せず(項目参照)、「原爆少女」の「私きれい?要素」はカシマさん伝承に由来せず(項目参照)など、仮説内部の破綻はすでに明らかになっています。
そしてまた、すべての前提になっている「語られた話の内容が、その話の変化の歴史を暗示するという考え方」自体が、仮説外部から仮説を否定しようとしています。つまり、変化仮説があくまで事実と主張するならば、現実には「本名はオオハラナツエ」と語る事例の存在を想定せざるを得ず、この仮説が「本名はカシマレイコ」と語る事例の存在を前提に立てられていることと矛盾します。端的に言うと、「話の内容が話の変化の歴史を暗示する」という考え方が間違っていることを、証明してしまったということでしょう。
「口裂け女の本名はカシマレイコだ」と語る事例の存在は、現在のところ、まだ確認されていません(項目参照)。今後の調査によって発見される可能性は、確かにあります。しかし、もし発見されたとしても、それが即、「口裂け女の本当の正体とは――」資料の唱える仮説が、すべて正しかったことを意味するわけではありません。むしろ、上記のように、「本名はカシマレイコ」事例の存在は、「話の内容は、話の変化過程を暗示する」という考え方と、「カシマさん伝承が口裂け女伝承に変化した」仮説を、完全に否定することになります。--ワサビ 2011年7月27日 (水) 20:48 (UTC)
多田克己資料の「ある特殊性」について
多田克己「口裂け女を追う!!」資料を出典とする、口裂け女ページの記述(現在、一時非表示)
「カシマレイコ」とは口裂け女以前から語られていた都市伝説であり、人間の体の一部をもぎ取るものとして恐れられていた。 口裂け女は全国規模に発展するにつれて噂に尾ひれが付き、武器を手にして子供を殺害する凶暴な女と噂されるようになるが、これは本来の噂にカシマレイコの伝承が加わったためと見られており、後には口裂け女とカシマレイコが混同されて語られるようになった。
を検討するため、元資料である「口裂け女を追う!!」資料と、同じく「カシマさん伝承が口裂け女伝承へ変化した」とする説を結論にする松山ひろし「口裂け女の本当の正体とは――」資料との比較検証を行います。同一の結論に至るまでの、両資料の論旨の同一性と差異性に注目して検証します。
まず、論旨の始まり・前提を提示する部分を両資料から引用します。多田克己「口裂け女を追う!!」資料は、背景色つきの引用、松山ひろし「口裂け女の本当の正体とは――」資料その他からの引用は、背景色なしの引用であらわします。
【噂は岐阜県下から始まった】 口裂け女の噂が日本各地で流行したのは79年の春から夏にかけてのことだった。ただし、噂の発祥は少し前の78年12月初めごろで、木曽川沿いの岐阜県加茂郡八百津町に流れていた話だという。まず1979年1月26日付の『岐阜日日新聞』編集余記で報道され(一説には『名古屋タイムズ』の報道が先んじていたという情報もある)、次いで『週刊朝日』(79年6月29日号)の記事にもなっている。 目撃者は農家のお婆さんで、母屋から少し離れた便所に用をたしに出かけたところ、物陰に立っていた不審人物が、耳まで口が裂けた女だった、というものだ。この口裂け女の噂が近隣の町へ流れ、噂が噂をよんで加茂警察署に問い合わせが殺到するようになり、年が明けるころには、口裂け女の話は岐阜県全域に広まっていったという。ただし、この時点ではまだ口裂け女のシンボルであるマスクをしていなかった。「私、キレイ?」という質問も、児童を追いかけるという話も、人を殺害する話もなかった。口が耳まで裂けている女を目撃した、という話だけで事件性も物語性もない、女の素性もわからない奇妙な噂話でしかなかったのだ。(多田克己「口裂け女を追う!!」、『DISCOVER妖怪 日本妖怪大百科 VOL.10』〈17頁-18頁〉) |
そもそも、口裂け女の噂が日本で大きな話題となったのは79年の春から夏にかけてのことだ。しかし、噂の発生自体はそれよりももう少し古く、78年末の岐阜県にさかのぼる。当時の騒動を詳細に追いかけた『週刊朝日(79年6月29日号)』の記事によると、確認できる中で一番古い口裂け女の噂は、78年12月はじめに岐阜県加茂郡八百町(ママ-引用者注)に流れた、次のようなものであった。 「農家の婆さんがある夜、母屋からすこし離れた便所に用たしに出かけた。と、物陰に人が立っている。不審に思って近づくと、人影はパッ(ママ-引用者注)と顔を向けた。耳まで口が裂けた女だ!婆さんは腰を抜かした。」 その後、噂は近隣の町へと飛び火、加茂警察署にはこの"口の裂けた女"についての問い合わせが殺到するようになり、年が明ける頃には噂は岐阜県全域にまで広まった。 ところが、見ての通りこの岐阜県下で流れた口裂け女の噂と、後に全国に広まった口裂け女の噂ではその内容が大きく異なっている。岐阜の噂では口裂け女はそのシンボルとも言える"マスク"をしていない。「私、きれい?」というおなじみの質問や、子供を追いまわす展開もない。後の噂では「整形手術の失敗によって」と説明される口が裂けた理由も明かされていない。岐阜に流れた最初の口裂け女の噂は、極めてシンプルなものであったのだ。(松山ひろし「口裂け女の本当の正体とは――」、『恐怖の都市伝説』〈31頁〉) |
今、何が起こったか判らなかった人のために、多田克己資料の「ある特殊性」をまのあたりに見るため、多田資料の一文章ごとに、それに対応する松山資料の文章その他を併記する形で、表示して見ます。なお、資料データを確認しておきます。「口裂け女を追う!!」(『DISCOVER妖怪 日本妖怪大百科 VOL.10』ISBN 978-4-06-370040-4)は、2008年6月刊行です。「口裂け女の本当の正体とは――」(『恐怖の都市伝説』ISBN 978-4-8130-2061-5)は、2007年5月発行ですが、この記事は再掲されたもので、初出は『不思議ナックルズvol.3』タイトル「日本最大の都市伝説の謎 仮死魔霊子という名の口裂け女」で2005年4月に刊行されています。また、多田資料中には、松山資料の参照に関する記述はありません。
口裂け女の噂が日本各地で流行したのは79年の春から夏にかけてのことだった。(17頁37行-18頁1行) |
そもそも、口裂け女の噂が日本で大きな話題となったのは79年の春から夏にかけてのことだ。(31頁11-12行) |
ただし、噂の発祥は少し前の78年12月初めごろで、木曽川沿いの岐阜県加茂郡八百津町に流れていた話だという。(18頁1-4行) |
しかし、噂の発生自体はそれよりももう少し古く、78年末の岐阜県にさかのぼる。(31頁12-14行) |
まず1979年1月26日付の『岐阜日日新聞』編集余記で報道され(一説には『名古屋タイムズ』の報道が先んじていたという情報もある)、次いで『週刊朝日』(79年6月29日号)の記事にもなっている。(18頁4-8行) |
当時の騒動を詳細に追いかけた『週刊朝日(79年6月29日号)』の記事によると、確認できる中で一番古い口裂け女の噂は、78年12月はじめに岐阜県加茂郡八百町(ママ-引用者注)に流れた、次のようなものであった。(31頁14-17行) |
【参考】1979年1月26日の岐阜日日新聞とされる(それより前に『名古屋タイムズ』で報道されたという説もある)。次いで『週刊朝日』1979年6月29日号に記事が掲載され、(ウィキペディア・口裂け女ページ) |
目撃者は農家のお婆さんで、母屋から少し離れた便所に用をたしに出かけたところ、物陰に立っていた不審人物が、耳まで口が裂けた女だった、というものだ。(18頁9-12行) |
「農家の婆さんがある夜、母屋からすこし離れた便所に用たしに出かけた。と、物陰に人が立っている。不審に思って近づくと、人影はパッ(ママ-引用者注)と顔を向けた。耳まで口が裂けた女だ!婆さんは腰を抜かした。」(31頁18-21行) |
この口裂け女の噂が近隣の町へ流れ、噂が噂をよんで加茂警察署に問い合わせが殺到するようになり、年が明けるころには、口裂け女の話は岐阜県全域に広まっていったという。(18頁12-16行) |
その後、噂は近隣の町へと飛び火、加茂警察署にはこの"口の裂けた女"についての問い合わせが殺到するようになり、年が明ける頃には噂は岐阜県全域にまで広まった。(31頁22-25行) |
ただし、この時点ではまだ口裂け女のシンボルであるマスクをしていなかった。(18頁16-18行) |
ところが、見ての通りこの岐阜県下で流れた口裂け女の噂と、後に全国に広まった口裂け女の噂ではその内容が大きく異なっている。岐阜の噂では口裂け女はそのシンボルとも言える"マスク"をしていない。(31頁26-29行) |
「私、キレイ?」という質問も、児童を追いかけるという話も、人を殺害する話もなかった。(18頁18-20行) |
「私、きれい?」というおなじみの質問や、子供を追いまわす展開もない。(31頁29-31行) |
口が耳まで裂けている女を目撃した、という話だけで事件性も物語性もない、女の素性もわからない奇妙な噂話でしかなかったのだ。(18頁20-23行) |
後の噂では「整形手術の失敗によって」と説明される口が裂けた理由も明かされていない。岐阜に流れた最初の口裂け女の噂は、極めてシンプルなものであったのだ。(31頁31-34行) |
「ある特殊性」が気になって仕方がありませんが、検証を続けます。引用でもわかるとおり、ここまでの論旨は、完全に同一です。論旨どころか文章構成、各文章、語句にいたるまで、ほとんど同一といえます。特殊性とせざるを得ないほど、同一すぎるきらいがあります。
ここまでの両資料共通(同一)の論旨をまとめると
- 『週刊朝日(79年6月29日号)』掲載の「お婆さんの話」を、最初期の口裂け女譚と断定していること。
- 「お婆さんの話」には、「マスク」「私、きれい?」「子供を追いかけ(殺害す)る」要素が欠けている点に注目していること。
が挙げられると思います。そして、両資料共通(同一)の問題提起は、当然以下の引用のようになるはずです。
それではいったいなぜこのシンプルな口裂け女が、現在見られるような多くの特徴を備えた姿へと変貌していったのだろうか。(「口裂け女の本当の正体とは――」32頁) |
それに続く論旨展開も同一です。その記述にも「ある特殊性」が見られるので、該当部分を引用併記します。
そんな口裂け女の本名は「カシマレイコ」だと、北海道や横浜あたりなどで囁かれるようになった。(「口裂け女を追う!!」18頁) |
79年当時、北海道や横浜で流れた口裂け女の噂には、彼女の本名について言及しているものがあった。これらの噂の中で、口裂け女の本名は「カシマレイコ」であると語られていた。(「口裂け女の本当の正体とは――」32頁) |
以上の引用部分の、記述に関する問題点はこの項目で、論旨に関する問題点はこの項目で検証しました。結論からいうと、この論旨展開は、妥当性説得性に欠けます。
次に提示される、カシマレイコとは何かという定義部分を、両資料から引用併記します。
この幽霊(=カシマレイコ-引用者注)は両足もしくは片足の無い幽霊で、彼女の名前を知ってしまった人のもとにやって来て、その人の足をもぎ取っていくとして恐れられていた。もし、この幽霊が現れたとき、「カシマのカは仮面のカ、カシマのシは死人のシ、カシマのマは悪魔のマ」と呪文を唱えると避けられるとされた。(「口裂け女を追う!!」18-19頁) |
彼女(=カシマレイコ-引用者注)は両足、あるいは片足のない幽霊であり、その名前を聞いた人のもとに現れる特徴を持つ。カシマレイコの名前を知ってしまうと、近いうちの夜に彼女がやって来て、足をもぎ取られてしまう。これを避けるためには、彼女が現れた時に「カシマのカは仮面のカ、カシマのシは死人のシ、カシマのマは悪魔のマ」という呪文を唱えなければならない。(口裂け女の本当の正体とは――」32頁) |
ここでも、論旨だけでなく文章構成、各文章、語句に「ある特殊性」が見出せます。
そして、ここまで見てきたように論旨そして記述までほとんど同一であった両資料ですが、この後、微妙な差異を見せて展開します(ただし、結論は同一です)。それは別々に検討したほうがよいでしょう。 しかし、やはり看過できないのは、多田克己「口裂け女を追う!!」資料が持っている「ある特殊性」でしょうか。多田資料には、以前指摘した不正確な一次資料の取り扱いの問題(2003年に採話報告された1979年の事例を、2003年の事例として紹介した部分)があります。(項目参照)しかし、ここは倫理や権利をどうこうする場ではありませんので、問題はこのような「ある特殊性」を持つ文献資料を出典として、ページの編集記述をおこなうことの是非を問うことになると思います。--ワサビ 2011年7月30日 (土) 22:13 (UTC)
同一論旨部分の反証
上記でまとめた、多田克己「口裂け女を追う!!」資料と松山ひろし「口裂け女の本当の正体とは――」資料の共通(同一)の論旨で、まず一番に問題になるのが、「週刊朝日(79年6月29日号)」の「お婆さんの話」を口裂け女伝承の発祥と断定してよいのか、という点です。
現実問題として、「78年12月はじめ」の「お婆さんの話」以前に聞かれた、口裂け女の話の報告は数多くあります。この口裂け女ノートページでも、過去に問題になっています(項目参照)。それらのなかでも、信頼できる情報源からの事例をひとつ挙げれば、『現代民話考【第二期】Ⅱ 学校』(松谷みよ子 立風書房 ISBN 978-4651502021)で報告されている、以下の事例があります。
岡山県岡山市。昭和五十二、三年のこと。息子が幼稚園に通っていたときの話。学校の下校時間とか、少しおそくなって学校から帰る時、顔の半分くらいある白マスクをかけ、長い髪をたらした女の人が子供たちを呼びとめ「わたしきれい」と聞く。手にはつげの櫛を持って、目は笑いかけているみたいだけど、こわい感じがするとか。聞かれた子供が黙っていたり、首をかしげたり、首を横にふったりすると、サッとマスクをはずして、「これでもかー」と大きな口を見せる。子供たちが逃げ出すと追いかけてくる。だから夕方子供は一人で歩かせてはいけないと、何人もの人が注意してくれた。それは“口裂け女”といって、いま有名な恐ろしい女であると。その話を聞いて何日もしないうちに、ますます口裂け女は恐ろしくなって、片手に櫛、片手に鎌を持って、岡山市中あちこちに出没していると聞いた。 回答者 納所とい子(東京都在中) 『現代民話考【第二期】Ⅱ 学校』(松谷みよ子 立風書房 216-217頁) |
なお、この事例は、『現代の民話』(松谷みよ子 中央公論新社 ISBN 978-4121015501)においてでも、「その(『現代民話考・学校』-引用者註)中で一番古いのが岡山市に当時住んでいた納所とい子さんの報告である。昭和五十二、三年のことである。」(181頁)と紹介されています。念のためですが、「昭和五十二、三年」とは、西暦に直すと1977-78年となります。78年12月の「お婆さんの話」より早い時期の口裂け女事例と考えて、ほぼ間違いないと思います。また、この段階で、「マスク」「私、きれい?と尋ねる」「子供を追いかける」要素が備わっていることも、ご覧のとおりです。
このことから、お婆さんの話を口裂け女伝承の発祥とし、その発祥時には「マスク」「私キレイ?」「子供を追いかける」の各要素が備わっていなかったとする、両資料の共通同一論旨の断定は、事実に反します。したがって、その断定から導かれた、口裂け女の話に付け加わった上記のような各要素はどこから由来しどのように発生したのかという、両資料に共通同一の問題提起は、空論です。そして、各資料のこれに続く論旨は、空中楼閣とならざるを得ません。
「口裂け女の本名はカシマレイコ」と語られることがある、という事実かどうか検証できない断定と、「カシマさん伝承が口裂け女伝承に変化したに違いない」という非現実的な論理による無効な予断が、両記事共通同一の主題であることをかんがえると、その予断から逆算する形で、カシマさん伝承が接続する余地を設けるための恣意的な論旨誘導が、この強引な断定と問題提起を生んだのだと思われます。
そもそも元資料には、「お婆さんの話」とは、当時の警察に残っていた通報記録で、「口裂け女の話」そのものではないように書かれています。あらかじめ『現代民話考・学校』にあるようなブーム以前の口裂け女の話を聞いていたお婆さんが、物陰の不審人物を錯覚・解釈して通報してしまったものかも知れません。子供たちからではなくお婆さんからの通報だったこと、「私キレイ?」「大きなマスク」など、いかにも「お話」っぽい要素が無かったことが、警察の記録に残るなり、何らかの対応を引き出したとも考えられ、それがフィードバックされて口裂け女の話が現実感を得て、その後の爆発的なブームの起爆剤となったのかもしれません。とはいえ、「お婆さんの話」とは、口裂け女ブームの発祥かもしれませんが、口裂け女伝承の発祥と混同するべきではありません。
引用した「現代民話考・学校」の事例は、口裂け女ブーム以前の口裂け女伝承を示す貴重な事例と思われます。この資料を出典として、ブーム以前にも口裂け女伝承が語られていたという記述を、口裂け女ページのルーツの項目に編集記述するのは、いかがでしょうか。--ワサビ 2011年8月3日 (水) 21:45 (UTC)
多田克己「口裂け女を追う!!」資料の取り扱い
上記のように、共通論旨部分には無効な予断があり、「マスク」「私キレイ?」「追走」各要素はどこから発生したのかという問題提起は空論である点、また、多田克己「口裂け女を追う!!」資料が松山ひろし「口裂け女の本当の正体とは――」資料との関係において、「ある特殊性」を持っている点を検証しました。では、多田克己「口裂け女を追う!!」という文献を、資料としてどのように取り扱うのが適当かを明確にするために、共通論旨部分以降の独自の論旨を検討してみます。以下に「口裂け女を追う」(多田克己『DISCOVER妖怪 日本妖怪大百科』VOL.10、講談社 2008年 17-19頁 ISBN 978-4-06-370040-4)より主旨部分を引用します。
【引用1】
岐阜県下では語られていなかったが、日本全国の都市伝説になると、口裂け女は凶器を手に握って子供を殺害するようになる。(18頁) |
【引用2】
そんな口裂け女の本名は「カシマレイコ」だと、北海道や横浜あたりなどで囁かれるようになった。(18頁) |
【引用3】
この幽霊(=カシマレイコ-引用者注)は両足もしくは片足の無い幽霊で、彼女の名前を知ってしまった人のもとにやって来て、その人の足をもぎ取っていくとして恐れられていた。もし、この幽霊が現れたとき、「カシマのカは仮面のカ、カシマのシは死人のシ、カシマのマは悪魔のマ」と呪文を唱えると避けられるとされた。(18-19頁) |
【引用4】
岐阜県下の口裂け女の噂に、カシマレイコの伝承が融合したことで、刃物で子供を切りつける凶暴な口裂け女に進化したらしいのだ。(19頁) |
一見してわかるように、まったく論旨が一貫していません。まず、まるで「伝言ゲーム」のように松山ひろしの「口裂け女の本当の正体とは――」資料の文章を引き写して提起された、「マスク」「私キレイ?」「追走」の各要素がどのように発生したのか?という問題が、【引用1】のように「凶器を手に握って子供を殺害するようにな」ったのはなぜか?に言い換えられています。つぎに、【引用3】に示される「カシマレイコ」の特徴に、「凶器を手に握って(=刃物で)」「子供を殺害する(=切りつける)」などの要素が含まれていないにもかかわらず、【引用4】の結論部分では、「口裂け女の噂に、カシマレイコの伝承が融合したこと」により、なぜか「刃物で子供を切りつける」ようになったと説明されます。この文章を読んだだけでは、なぜそうなるのか納得できる人はいないでしょう。この脱論理的な論旨に加えて、共通論旨部分の問題提起は空論であること、【引用2】の事例の存在が客観的に確認できず、捏造(=創作)の可能性がなくならないことなどがあり、このままでは、仮説の主張は完全に破綻しているといわざるを得ません。
この文章を読んだだけでは意味がわからないとしましたが、松山ひろし「口裂け女の本当の正体とは――」資料の文章を読んだことがあれば、別の見方ができるでしょう。前半部分を逐語的に「伝言ゲーム」(完コピ)したにもかかわらず、後半部分は論旨が破綻するほど抽象化、曖昧化(劣化コピー)したのはなぜかと考えると、その意図は、すでに検証されている松山ひろし資料の後半部分、つまり具体例を挙げてカシマさん伝承から口裂け女伝承への変化過程を示す部分のもつ欺瞞性(虚偽、誤認、誤導)を隠蔽することにあったと考えられます。事実、このように抽象的に処理することによって、松山ひろし資料がもつ、数多くの「ツッコミどころ」を回避することに成功しています。曖昧になったぶん発生する論旨の破綻は、妖怪研究家・多田克己の権威性がカバーしてしまうのでしょう。しかし、より重大なことは、この多田克己の記事が、松山ひろしという「後世の書き手」が「創作」した後付け解釈が本来の口裂け女伝承に混じりこみ流布していくことを助長する中継点を作ってしまっている点です。
当多田克己資料がもつ、後世の創作(後付け解釈)の流布を助長するという性質は、この主旨部分に限りません。先に引用した部分の前段に、このような文章があります。
【引用5】
口裂け女の噂が岐阜県全域に広まった後に、(中略) 口裂け女の素性あるいは正体がまことしやかに語られるようになる。たとえば飛騨川沿いのバス落下事故で犠牲者となった女の亡霊説、江戸時代に起きた郡上一揆で死罪とされた、農民たちの怨念が妖怪化したという説、病院から脱走した女性説、江戸時代に夜盗を防ぐため丑の刻参りの変装をしたある女がモデルだという説など、多くは偏見とこじつけの説ばかりであった。しかし人々によるそのこじつけこそが、半年後に日本最大の都市伝説へと成長させた原動力だったのかもしれない。(18頁) |
まず注意すべきは、ここに描かれている「口裂け女」の話の発生展開モデルです。それは、発祥時「マスク」「私キレイ?」「追走」などの要素が無い「お婆さんの話」であったものが、【引用5】「岐阜県全域に広まった」段階では、それらの各要素が発生するに先んじて、「飛騨川バス転落事故の亡霊」「郡上一揆の怨念」「丑の刻参りの伝説」などの因縁話が語られたと説明されています。その後、文章は【引用1】につながり、「日本全国の都市伝説」となった段階で、先の因縁話のことごとくが失われ、さらに「カシマレイコの伝承が融合したこと」により一般的に知られる「口裂け女に進化した」と主張されます。この発生展開モデルはいかにも不自然ですし、おそらく事実に反するでしょう。
「飛騨川バス転落事故の亡霊」「郡上一揆の怨念」「丑の刻参りの伝説」の各モチーフが、78-9年当時に岐阜県エリアで語られていたとする口裂け女事例の報告は、一次資料その他の当時の資料には、私の知る限り見当たりません。おそらく今後も見つからないでしょう。
なぜなら、「飛騨川バス転落事故」と口裂け女伝承を結びつける言説は、2007年の並木伸一郎『最強の都市伝説』(経済界 ISBN 978-4-7667-8398-8)の再創作を経由して、1989年の朝倉喬司 「あの口裂け女の棲み家を岐阜山中に見た」(『うわさの本』 宝島社〈別冊宝島92〉1989年 ISBN 978-4796690928)にさかのぼるのが限界でしょう。「郡上一揆」と口裂け女を関連付けて語ったのは、2008年の『こわい話 - あなたの知らないニッポンの“恐怖”』(ミリオン出版 ISBN 978-4-8130-2076-9)が初出ではないかと思われます。「丑の刻参りの伝説」に関しては、上記の2008年『こわい話』、2007年『最強の都市伝説』の再創作から、2001年の清涼院流水の小説作品『秘密屋 赤』(清涼院流水 講談社 ISBN 978-4061821798)を経て、1997年のテレビ番組『特命リサーチ200X』(1997年9月7日放送分)が発生源と考えられます。この1997年9月7日『特命リサーチ200X』の番組内容は、『ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説』(竹書房 2006年 ISBN 978-4812429488)などが主張する「塾に行かせられない母親の作り話説」の起源かあるいは重要な中継点にもなっています。
つまり、多田克己資料が、79年当時に語られていたと主張するモチーフのほとんどが、実は、後世の書き手が創作した後付け解釈であるということです。ここでの「創作した後付け解釈」という物言いは、【引用5】の「偏見とこじつけの説」という判断に準拠しました。このように、後世の書き手により創作された後付け解釈を、伝承の事例があったかのように記述することは、その遠近法の転倒により創作の起源を隠蔽してしまい、創作が伝承として流布してしまうことを助長するでしょう。確かに「偏見とこじつけ」と切り捨ててはいますが、それとはまた次元の違う問題だと考えられます。他者の説を根拠も示さず切り捨てることは、自分が主張する説の信憑性を相対的に高めようとするレトリックが含まれているのでしょうが、その主張する説自体が、松山ひろしの「偏見とこじつけ」による説の、伝言ゲーム的引き写しにすぎないのですから、レトリックの説得力に、どれほどのものがあるのか疑問です。
これまで見てきたように、多田克己「口裂け女を追う!!」資料には、後世の書き手の創作による後付け解釈を、その起源を隠蔽することで、本来の「口裂け女」伝承との混同と流布を助長してしまう記述が、多く含まれるという問題点が指摘できます。しかし、そもそも、妖怪研究家・多田克己は、これまで、妖怪伝承に対する後世の書き手の創作を鋭く指摘してきました。そのことが妖怪研究家としての権威の一部を構成している感もあります。『百鬼解読』(多田克己 講談社 1999年 ISBN 978-4061821019 138頁)では、「わいら」に関する山田野理夫の創作を指摘し、『妖怪図巻』(多田克己・京極夏彦/編著 国書刊行会 2000年 ISBN 978-4336041876)では、152頁で同じく「わいら」の山田野理夫の創作を、167頁で「うわん」の佐藤有文の創作などを指摘し、『妖怪馬鹿』(京極夏彦・多田克己・村上健司 新潮社 2001年 ISBN 978-4102900734)の対談では311-318頁で「わいら」「ぬらりひょん」「山おとろし」に関する山田野理夫の創作について、329-334頁では「びろーん」に関する佐藤有文の創作について言及し、『百鬼繚乱』(多田克己・東雲騎人 PHPエディターズグループ 2002年 ISBN 9784569622125)の対談では135-136頁において「天井嘗」「ぬらりひょん」についての藤澤衛彦の創作を指摘しました。これらの創作が伝承として流布してしまうなぜかという点については、上記の書き手がオールスターキャストで登場し、よってたかって創作した「ぬらりひょん」についての記述を、『妖怪図巻』より引用します。
民俗学者藤沢衛彦が『妖怪画談全集』(一九二九)収録の「ぬらりひょん」の絵に「妖怪の親玉」という由来のないキャプションを創作したため、以来ぬらりひょんは「妖怪の総大将」に昇格してしまう。さらに作家佐藤有文が『日本妖怪図鑑』(一九七二)において「年の暮れになると、どこからともなくあらわれる妖怪。とてもいそがしいのに、家の中にはいりこんでどっかりすわる」と創作する。そして作家山田野理夫は『おばけ文庫2 ぬらりひょん』(一九七六)で、「和歌山県地方の山中に庵をむすんだ大田信衛という老学者のもとに、そのうわさを聞いたある殿様が、その教えを乞いに訪れた。するとそこへ羽織姿の青壁のごとき顔色のぬらりひょんが、ヘラヘラと笑って現れ出た。殿様が怪しんで信衛にたずねると、信衛は『ぬらりひょんは山の妖怪で、日暮れ時に山家がいそがしくなる時分になるとこうして現れるのです』と答えた」と創作している。 こうして①ぬらりひょんは妖怪の親玉→②ぬらりひょんはいそがしい時分に家の中に侵入し、家の主人になりすまして茶などをのむ→③日暮れ時の山家がいそがしい時分に現れる、というような伝言ゲームのような創作の連続で、いまある「ぬらりひょん」像ができあがってしまった。これは言わば、掴みどころのない情報に釣られ、そういった意のものと思いこまされる、「化かされている」という状態にあるということだ。 |
上の引用に見られる多田克己自身の評価基準に従うなら、「口裂け女を追う!!」の記述とはすなわち、松山ひろしの「口裂け女の本当の正体とは――」の「口裂け女の本名はカシマレイコ」という根拠の無い創作と、その創作に基づいた「カシマレイコ伝承が変化して口裂け女伝承になった仮説」という創作の連続を、その欺瞞性を隠蔽しつつ、「伝言ゲーム」的に引き写すことによって、読者を「釣る」「化かす」ことを意図した文章であるといえるでしょう。それと同時に、「飛騨川バス転落事故の亡霊説」「郡上一揆の怨霊説」「丑の刻参り伝説」などの遠近法を転倒し、読者からそれらが創作であることを隠蔽し、読者を「化かす」文章でもあります。他にも、1979年の事例を2003年の事例を記述する(項目参照)ことで、読者を「釣る」文章でもあるといえます。
以上のことから、ウィキペディアでの取り扱い上、「口裂け女を追う!!」資料を信頼性に乏しい資料と判断せざるを得ないと考えます。しかしながら、松山ひろしの「口裂け女の本当の正体とは――」と同様に、この資料の主旨である「口裂け女の本名はカシマレイコ事例が存在する」、および「カシマさん伝承が変化して口裂け女伝承が発生した」という風説を流布させる、重大な影響力をかんがみて、この主旨部分からの記述は残し、事実と反することを併記するようにし、資料出典をしめす脚注に但し書きをつけ、それ以外の重要でないこの資料からの記述は除却するようにしたいと思います。--ワサビ 2011年8月11日 (木) 18:45 (UTC)
今後の編集方針について
見出し付記・段落整理--ワサビ 2011年8月20日 (土) 21:51 (UTC)
ごくろうさまです。大幅な修正になるかと思われますが、できましたら実際にどのような修正をご予定か、サンドボックスか利用者ページ内のサブページで例を示していただけませんでしょうか? あと、今まで本記事の編集に多く携わった私がコメントしない限り誰もコメントしない現状ですので、コメント依頼で議論を活性化したほうが良いかもしれません。--逃亡者 2011年8月11日 (木) 19:09 (UTC)
- 不慣れなものでなかなか着手できなく、申し訳ありません。編集方針としては、現状の記述では、読者に混同されることが多いと思われる、「~と語られる事例」と「~という仮説」、 「社会現象(ブーム)としての口裂け女」と「伝承としての口裂け女」、「学術的研究からの情報」と「娯楽メディアからの情報」、このあたりをすっきり区別して読み取られるテキストを目指して検討しています。
- 大枠を目次の項目で示すと「2 社会問題化と終息」の項目名を「ブームの経緯」に書き換え、そのあとに「ブーム以前以後」の項目を加え、“伝承としての口裂け女”がブーム以前からあり、以後も続いていることを示します。
- 次に「3 ルーツ」の項目名を「その他の仮説あれこれ」に書き換え、娯楽系メディアからの情報を記述し、その前段に、対応する項目「口裂け女の研究」を新たに加え、学術的資料からの情報を記述します。そして、この「口裂け女の研究」と「その他の仮説あれこれ」の項目は、「噂に見る『人物像』」と「噂に見る『対処法』」の後に回します。そうすることで、~と語られた事例があることを記述している箇所と、~という仮説があることを行っている箇所が、区別しやすくなると考えます。
- 具体案としては、このような感じですが、いかがでしょう。--ワサビ 2011年8月18日 (木) 20:54 (UTC)
- ごくろうさまです。先の私のコメント直後に本記事の編集がありましたが、ご返答頂けるまで待っておりました。もっと早くコメントできれば良かったのですが、長文の読解が苦手なもので、申し訳ありません。編集方針はそのような方向で差支えないかと考えます。
- ところで、これまでのノートでの議論の展開は「なるほど」とたいへん感心しておりましたが、現状の編集の脚注にあります「この資料には、記述上多くの問題点が指摘されており、信頼性に乏しい情報源として取り扱いには注意が必要である」の一文はどうか……と思われます。ワサビさんも当初より独自研究にあたることを懸念しておられましたが、ウィキペディアのノートで資料の問題点が指摘されたのみではWP:NOT#ORに該当してしまい、「この資料に問題点がある」と記事上に書くためには、私たちウィキペディア編集者ではなく何らかの専門家がその問題点を指摘している旨、出典を提示しなければならないのでは、と考える次第ですが、いかがでしょうか。氏はまだご存命ですので、厳しい人だと名誉棄損とか言い出すかもしれません。私は信用できないと指摘されている資料を持ち出した張本人ですので、あまり強いことを言えないというのが本音ですが……。--逃亡者 2011年8月18日 (木) 21:23 (UTC)
【段落戻します】ご指摘の脚注内の但書に関しては、独自研究、あるいは資料著者個人に対する名誉棄損に受け取られないように注意した上での、苦肉の策でした。でも客観的に見て確かにものすごく違和感があるのは認めます。本文内ではなく脚注内で、資料の一般的評価ではなくウィキペディア利用(閲覧・編集)上の特殊的評価として、記述しようとしている点にご注意いただければ幸いです。
たとえば、資料Aに基づいた記述aに対して、資料Bに基づいて、記述aは事実に反する旨の記述bを併記しようとする場合を考えます。そして、資料Bの情報を踏まえると、資料Aの情報は「事実に反する」だけでなく、虚偽・捏造・剽窃などの疑いがある、明らかに「編集上の監督を欠く」「信頼性の乏しい」情報源であることが検証されてしまうと仮定します。この場合、原則としては、すべての記述を除去するべきだとされています。ただし、資料Aの「情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示して」記述するべきだとあります。そして、この情報が重要であると判断して、その情報源が信頼性に乏しいこと、しかしこの記述に関しては、あえて出典資料として取り扱うことを「明示」するために、本文ではなく脚注に、但書を加えました。
ここで問題になるのは、「資料Aは信頼性に乏しい情報源と評価するべきかどうか」と「この情報が重要かどうか」という点になることは認めます。しかし、このいずれもが、ウィキペディア運営上のルールに関することです。本文にではなく脚注の但書に、利用者に注意を促す程度の文章を加え、さらに疑問を感じる利用者についてはノートページの議論に誘導できるような筋道を提示したつもりです。ですから、これについて「専門家がその問題点を指摘している旨、出典を提示しなければならない」と考える必要は無いのではないかと感じています。
また「名誉棄損」に関しては、虚偽・捏造・剽窃などの可能性は検証できる状態に資料提示していますけど、あえて一般的な評価は下さないで、あくまでウィキペディアとしては出典とするにはふさわしくない資料との評価でどうでしょう?というニュアンスなんですが、うまく伝わりませんでしたでしょうか。
以上のことをご理解いただいたうえで、但書の文章が良くないとお考えなのか、脚注内の但書という書式が良くない、それとも、すべての記述を除去すべきとお考えなのか、ご意見をいただけると幸いです。--ワサビ 2011年8月19日 (金) 20:35 (UTC)
- 私の考えでは、議論冒頭でも触れておりますが、ある資料に誤りがあったり信頼性に疑問点がある場合、そうした資料は用いないことが最良ではないかと考えております。ウィキペディアはあくまで百科事典であり、それ以上の役目は別の場で行うべきではないか……との考えによるものですが、このままですと結局議論が平行線になりそうですので、ワサビさんが不慣れと仰っていたこともあって、私のほうからコメント依頼に提出させていただきました。ほかのどなたかから、第三者的視点でのご意見をいただきたく思います。--逃亡者 2011年8月19日 (金) 21:34 (UTC)
- それでは、第三者の方にもわかりやすいように、私も議論の冒頭に戻って立場の要約を。ある資料が間違った情報を流していた場合、その資料を用いないという形での対応が最良であることは、私も同意見ですが、ウィキペディアが間違った情報を流していた場合でも、上記の原則にしたがって、すべてを無かったことにするだけでよいのかというのが、根本の問題です。事実に反する資料や信頼性に問題がある資料に基づいて、すでにウィキペディアに記述されてしまっている情報が、社会的に重要な影響を与えている場合、訂正報道を発信して情報の公正化を図る必要があるのではないか、という立場です。
- そのための議論の当然の段階として、その資料が事実に反すること、信頼性に乏しいこと、社会的に重要な影響を与えていることを、ウィキペディア上で立証する責任が私にはあります。それをウィキペディア上で行ったところ、その立証行為は独自研究にあたり、百科事典の本義を逸脱するため、専門家による出典を提示しなければならないというご批判をいただいているところです。
- また、訂正報道をおこなうためには、その元になる「誤っていた情報」を何らかの形で、ウィキペディア上に記述しなければなりません。その情報が誤っていることを明示するための「注釈・但書」の提示の仕方の問題も指摘されています。
- さらに、最初に戻って、やはりすべて無かったことにしようというご意見もいただきました。
- 以上の点について、多くの方からの、ご意見をいただきたく思います。--ワサビ 2011年8月20日 (土) 22:28 (UTC)
- コメント依頼から来ました。ウィキペディアは報道機関ではないため、訂正報道の義務はありません。誤った情報があった場合、それを訂正すれば十分に責任を果たしたといってよいでしょう。ウィキペディアの責任については、Wikipedia:免責事項をご覧ください。名誉毀損やプライバシー侵害の恐れがある記述に対しては、過去の版を削除する措置がとられることがあります。しかし、この件ではそういった法的なリスクが生じているとは考えにくく、信頼できない情報であるというだけなら記述を除去するだけで足りるでしょう。過去に出典となっていたものの、信頼性に疑問があり今後用いるべきではないという合意があるなら、そのことをノートに記録しておくだけで十分意義のあることだと思います。--有足魚 2011年8月24日 (水) 10:01 (UTC)
- コメントをいただきまして、ありがとうございます。有足魚さまのご意見を私なりに言い換えて「ウィキペディアは百科事典であり、報道機関ではない。それ以前に、ウィキペディアは情報メディアであり、およそ情報メディアは情報の公正化を図る義務が当然ある。しかし、情報機関でないウィキペディアにおいて、公正化を図る方法は『訂正報道』ではなく『除去』である」と理解してよろしいでしょうか。これならば私にも納得できます。このことが利用者間で広く合意されているのであれば、その方針に従わせていただきます。
- つぎに「名誉毀損の不法行為」の疑いに関しては、まず、資料を「信頼性の乏しい情報源」と評価判断することが、不法行為の構成要件を満たすとは思いません。同時に今回の場合は、「事実性・相当性の法理」による免責要件を満たしていると主張できると考えます。したがって、いまのところ、名誉毀損の文言で、以前の議論、以後の議論に自主規制をかける必要は無いと思います。
- ここで改めて、松山ひろし「口裂け女の本当の正体とは――」資料および多田克己「口裂け女を追う!!」資料を「信頼性の乏しい情報源」と評価することに、議論に参加していただいた皆様のご意見を求めてみたいと思います。ここで合意が得られればそれに基づき、方針に従って当該記述を「除去」し、また今後資料として用いるべきではない旨をこのノートに記録します。ご意見のほどよろしくお願いいたします。
- 以下はお願いなのですが、「信頼性の乏しい情報源」と評価するあるいは評価しないの基準をどこにおいて判断されたのかを書き添えていただければ、後学のために非常にありがたいです。--ワサビ 2011年8月25日 (木) 21:07 (UTC)
- 情報源の信頼性についてはWikipedia:検証可能性やWikipedia:信頼できる情報源において説明されています。それらを基準としながら、個別の案件では編集者の間で合意されたものであるかどうかが重要になるでしょう。--有足魚 2011年8月27日 (土) 11:03 (UTC)
- コメント依頼後から1か月以上経過しており、これ以上のご意見は期待できないかと思われます。名誉棄損云々につきましては、誰かがそう言いだすかもしれないとの可能性を危惧しただけだったのですが、予想以上に話が膨らみ、余計な一言を付け加えてしまったと反省する次第です……。
- さて、私も松山ひろし氏、多田克己氏による資料を「信頼性の乏しい情報源」と判断することに同意します(そういえば肝心の『件の資料の信頼性はいかがなものか』に意見しておりませんでした。すみません)。ワサビさんも有足魚さんのご意見に同意される旨コメントされていますし、これら資料に基づく記述を除去する方向で編集することにしてはいかがでしょうか? さらに、今後ほかのどなたかがそれらの資料をもとに加筆することも考えられますので、このノート上に件の資料が参考文献として相応しくないことを改めて明記し、現記事には告知テンプレートによって編集前にノートを参照することを促すようにしてはいかがかと考えます。--逃亡者 2011年10月1日 (土) 05:21 (UTC)
- 記事ページからノートへの誘導は不要だと思います。これはウィキペディアへの自己言及に当たるため、やむをえない場合を除いて避けることが望ましいからです。ノートが過去ログ化された後でも参照しやすいように配慮しておけば十分でしょう。--有足魚 2011年10月1日 (土) 10:02 (UTC)
- ご意見ありがとうございます。ウィキペディアへの自己言及、理解しましたので記事からノートへの誘導の件は撤回します。--逃亡者 2011年10月1日 (土) 12:49 (UTC)
- 記事ページからノートへの誘導は不要だと思います。これはウィキペディアへの自己言及に当たるため、やむをえない場合を除いて避けることが望ましいからです。ノートが過去ログ化された後でも参照しやすいように配慮しておけば十分でしょう。--有足魚 2011年10月1日 (土) 10:02 (UTC)
- 情報源の信頼性についてはWikipedia:検証可能性やWikipedia:信頼できる情報源において説明されています。それらを基準としながら、個別の案件では編集者の間で合意されたものであるかどうかが重要になるでしょう。--有足魚 2011年8月27日 (土) 11:03 (UTC)
- それでは、第三者の方にもわかりやすいように、私も議論の冒頭に戻って立場の要約を。ある資料が間違った情報を流していた場合、その資料を用いないという形での対応が最良であることは、私も同意見ですが、ウィキペディアが間違った情報を流していた場合でも、上記の原則にしたがって、すべてを無かったことにするだけでよいのかというのが、根本の問題です。事実に反する資料や信頼性に問題がある資料に基づいて、すでにウィキペディアに記述されてしまっている情報が、社会的に重要な影響を与えている場合、訂正報道を発信して情報の公正化を図る必要があるのではないか、という立場です。
(インデント戻します)議論を立ち上げられたワサビさんが、今までは遅くとも1週間後にはコメントを返してくださっていたのですが、2か月近く書き込んでおられませんので、どうしたものかと思っております……決してコメントの強要は致しませんが、投稿履歴を拝見するに、ご活動は本項のみですので、単に本項の編集を中止されたのか、ウィキペディアの編集自体できない状況なのか判断できないのが辛いところです。あと1週間少々待って1か月経過した時点で、ほかにご異論がありませんでしたら、私のほうで疑問点の挙げられている件の資料関連の記述を除去する方向で、編集させていただきたく思います。--逃亡者 2011年10月22日 (土) 00:21 (UTC)
- ワサビさん不在のまま議論をクローズへ向けるのは心苦しいですが、先の予告通り、松山ひろし氏と多田克己氏による資料に関する記述を除去させて頂きました。このノートもいささか長くなりましたので、また別件での書き込みがあった時点で、高速走行説や両氏の文献に関する議論は一段落として、過去ログへ収めさせて頂きたく思います。--逃亡者 2011年10月31日 (月) 20:02 (UTC)