村瀬吉彦
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村瀬 吉彦(むらせ よしひこ、1952年12月8日 - )は日本の財務・内閣府官僚。血液型はA型[1]。
来歴
[編集]愛知県名古屋市出身[1]。愛知県立旭丘高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業[2]。1975年4月 大蔵省入省(大臣官房文書課)[3]。1977年9月 大臣官房調査企画課[3]。1978年7月 主計局総務課調査主任[4]。1979年7月 主計局総務課企画係長[5][3]。1980年7月 高田税務署長[3]。1984年6月 和歌山県総務部財政課長[3]。1988年7月 主計局主計官補佐(厚生第一、二係主査)[3]。1995年7月 主計官主計官(建設、公共事業、公共事業総括担当)[3]。2000年6月 主計局総務課長。2001年1月6日 財務省主計局総務課長。同年6月 大臣官房参事官兼審議官(大臣官房担当)。2003年7月 内閣府大臣官房審議官(経済財政 - 運営担当)。2004年7月 内閣府政策統括官(経済社会システム担当)。2007年7月 東京国税局長。2008年7月 退官。国民生活金融公庫理事。同年10月 (株)日本政策金融公庫代表取締役専務(2014年6月19日まで)[6]。2015年6月30日 (株)日本地震再保険代表取締役会長(2021年6月30日まで)。2023年11月 瑞宝中綬章受章。
職歴
[編集]- 1975年4月:大蔵省入省(大臣官房文書課)
- 1977年9月:大臣官房調査企画課
- 1978年7月:主計局総務課調査主任[4]
- 1979年7月:主計局総務課企画係長[5]
- 1980年7月:高田税務署長
- 1981年7月:理財局国債課長補佐
- 1982年12月:大臣官房付兼内閣官房内閣審議室(小粥内閣総理大臣秘書官付)[7]
- 1983年7月:主計局法規課長補佐
- 1984年6月:和歌山県総務部財政課長
- 1986年6月:主税局税制第二課長補佐(消費税)[8]
- 1988年7月:主計局主計官補佐(厚生第一、二係主査)
- 1990年7月:東京国税局間税部長
- 1991年6月:大蔵大臣秘書官(事務担当)
- 1993年6月:日本たばこ産業(株)経営企画部長
- 1995年6月:主計局主計官(建設、公共事業、公共事業総括担当)
- 1997年7月:主計局主計官(厚生・労働担当)
- 2000年6月:主計局総務課長兼主計局法規課長兼主計局司計課長
- 2000年7月:主計局総務課長
- 2001年1月:財務省主計局総務課長
- 2001年6月:大臣官房参事官兼大臣官房審議官(大臣官房担当)
- 2003年7月:内閣府大臣官房審議官(経済財政 - 運営担当)
- 2004年7月:内閣府政策統括官(経済社会システム担当)
- 2007年7月:東京国税局長
- 2008年7月:退官
- 2023年11月:瑞宝中綬章受章[9]
脚注
[編集]- ^ a b 『日本の官庁,その人と組織:大藏省』政策時報社、1993年発行、16頁
- ^ 『東大人名録,第1部』1992年発行、46頁
- ^ a b c d e f g 『大蔵省名鑑 1997年版』時評社、1996年12月発行、54頁
- ^ a b 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1979年発行、486頁
- ^ a b 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1980年発行、484頁
- ^ 【人事】日本政策金融公庫(2014年6月19日) 異動ニュース
- ^ 榊原昭二『現代世相語辞典』柏書房、1984年8月発行、55頁
- ^ 『職員録 第1部』大蔵省印刷局、1988年発行、498頁
- ^ 秋の叙勲 金融界から18人ニッキン2023.11.03 05:05
官職 | ||
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先代 田中正昭 |
東京国税局長 2007年 - 2008年 |
次代 森本学 |
先代 小平信因 |
内閣府政策統括官 (経済社会システム担当) 2004年 - 2007年 |
次代 松元崇 |
先代 大蔵省 |
財務省主計局総務課長 2001年 |
次代 松元崇 |
先代 飯原一樹 |
大蔵省主計局総務課長 2000年 - 2001年 |
次代 財務省 |