コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

松村義一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松村義一

松村 義一(まつむら ぎいち、1883年明治16年)9月7日[1] - 1959年昭和34年)1月6日[1])は、明治末から昭和前期の内務官僚政治家憲政会系官選県知事貴族院勅選議員

経歴

[編集]

山口県都濃郡、現在の下松市[2]で商業・松村冷蔵の長男として生まれる[1]山口中学校山口高等学校を経て、1909年(明治42年)7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業[1]1910年(明治43年)11月、文官高等試験行政科試験に合格[1]内務省に入り、神奈川県属として内務部地方課に配属された[1]

1911年(明治44年)4月、神奈川県試補となる[1]。以後、佐賀県事務官、同県視学官鳥取県視学官、石川県警察部長、広島県警察部長、警察講習所教授兼内務省参事官山形県内務部長、和歌山県内務部長などを歴任[1]

1924年(大正13年)7月、大分県知事に就任。1925年(大正14年)9月、内務省警保局長に転じ、1927年(昭和2年)4月まで在任し退官した[1]。同年同月18日、貴族院勅選議員に任じられ[3]公正会に属し1946年(昭和21年)6月18日まで在任[4][5]1931年(昭和6年)4月から同年12月まで、第2次若槻内閣商工政務次官を務めた[1]

戦後、1946年6月から1951年(昭和26年)8月まで公職追放となった[1]。1959年1月6日死去。享年75。

親族

[編集]

伝記

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本近現代人物履歴事典』483-484頁。
  2. ^ 『防長人物百年史』326頁。
  3. ^ 『官報』第89号、昭和2年4月19日。
  4. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』165頁。
  5. ^ 『官報』第5847号、昭和21年7月12日。
  6. ^ a b c 武者小路実篤の系族(下)” (PDF). 千葉大学 (1989年). 2018年1月21日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 末弘錦江『防長人物百年史』山口県人会、1966年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。