温泉寺 (諏訪市)
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温泉寺 | |
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所在地 | 長野県諏訪市湯の脇1-21-1 |
位置 | 北緯36度3分1秒 東経138度7分9.1秒 / 北緯36.05028度 東経138.119194度座標: 北緯36度3分1秒 東経138度7分9.1秒 / 北緯36.05028度 東経138.119194度 |
山号 | 臨江山 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
本尊 | 薬師如来 |
開基 | 諏訪忠恒 |
正式名 | 臨江山温泉寺 |
札所等 | 中部四十九薬師霊場7番、諏訪三十三番観音霊場24番 |
法人番号 | 9100005007922 |
温泉寺(おんせんじ)は、長野県諏訪市湯の脇にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は臨江山、本尊は薬師如来。中部四十九薬師霊場7番札所。
歴史
[編集]高島藩2代藩主諏訪忠恒が上諏訪温泉の源泉を守るために、下諏訪の慈雲寺14世泰嶺玄未を開山として寛永17年(1640年)建立された。以来高島藩諏訪家の菩提寺となり、忠恒から8代忠恕までの歴代藩主の廟がある。
明治3年(1870年)、温泉寺の火災によって同寺の本堂以下の伽藍が焼失したため、高島城より薬医門、山門、能舞台が移築されている。また高遠石工、守屋貞治による願王地蔵などの石仏がある。
永享2年(1430年)作という古鐘は、もともと伊那市の安養寺にあったもの。織田信長が武田勝頼を攻めた時に陣鐘[1]としてここまで引いてきて捨てたものを、寺創建の時に同寺の梵鐘としたという。
高台にあるため、寺からは諏訪湖をはじめ諏訪の温泉街が見渡せる。
多宝塔は市指定文化財となっていて、もともとは江戸時代中期に建てられたが、明和4年(1767年)再建されたもの。
墓地の横の木の下にある五輪塔は、和泉式部の墓と伝えられている。下諏訪宿は、和泉式部の出身地という説がある[2]。
高島藩主諏訪家墓所(温泉寺墓所と茅野市頼岳寺墓所の一括指定)が国の史跡に指定されている[3]。
- 諏訪市有形文化財 温泉寺鉄塔(石之御座多宝塔)
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 陣中の種々の合図のために鳴らした鐘。
- ^ 『街道を歩く甲州街道』236頁
- ^ “国史跡高島藩主諏訪家墓所”. 諏訪市 (2018年12月10日). 2019年7月6日閲覧。
参考文献
[編集]- 『信州の文化シリーズ 寺と神社』1981年 信濃毎日新聞社
- 『探訪 信州の古寺 禅宗』1996年 郷土出版社
- 『街道を歩く甲州街道』大高利一郎著2009年揺籃社ISBN 978-4897082745
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 諏訪市観光ガイド温泉禅寺
- 諏訪神仏プロジェクト - 諏訪信仰と神仏習合と神仏分離の歴史のプロジェクト